六十九話 初めての村で他人の命を前に取捨選択
投稿が遅れてすみません
カシム達の案内で、ヴァンダルーは彼等が活動する村、第七開拓村に向かっていた。
「開拓村って、こんな所で?」
南に町の跡や、更にその向こうに鉱山もあるのにと驚くヴァンダルーに、フェスターは逆に驚いて答えた。
「町って、聞いた事が無いぞ。村より南にあるのは、奴隷鉱山がある岩山だけだ。それを越えて行けば、他の公爵領があるけど」
「いや、確か百年か、二百年前に町があったって聞いた事があるな。ヴァンダルーの言う町って、それじゃないか?」
「ああ、そうか。親は吸血鬼なんだっけ。それなら聞かされてもおかしくないか」
どうやら、ハートナー公爵領は二百年前よりも衰退したらしい。
「一体何故そんな事に?」
そう問うと、彼らは首を傾げた。
「すまん、俺達そんなに学が無いんだ。この国は公爵領一つ一つが公国、貴族が治める国みたいになっててさ、他領の歴史は俺達みたいなのは詳しくは習わないんだ」
「皆さんは他領の出身なのですか?」
「あー、それも複雑な話があってだな。聞くも涙、語るもな――」
「フェスター、俺が話すよ。とりあえず、町が何で無くなったのかから、俺達が知っている事だけ話すけど――」
ゼノの説明によると、やはり直接の原因はタロスヘイムの滅亡だったらしい。
当時、あの町はタロスヘイムとの交易の中継点として作られたので、その交易が出来なくなると途端に生産力が落ち、維持も難しくなってしまった。
同時期に南の鉱山も産出量が落ちて来て、普通に人を雇っていては採算が合わないので奴隷を使って採掘を行うようになった。
鉱山で働く人間が落す金も当てに出来なくなり、当時代替わりして数年程のハートナー公爵が町を撤収させたらしい。
町一つ撤収とは、封建社会では思い切った事が出来るものなのだなとヴァンダルーは思った。日本なら絶対揉める。
(でも、第一王女様はどうしたんだ?)
ゼノの話にはタロスヘイムの第一王女、レビアの名前は出て来なかった。町の話とは関係無いと、省かれたのかもしれない。
(気にはなるけど、今聞いたら不自然か)
そう思っていると、ゼノの話は一気に最近の話題に飛んだ。
「実は今から五年前、アミッド帝国が攻めて来て北にあったサウロン公爵領の殆どが占領されてしまったんだ。
俺達はそのサウロン公爵領の出身なんだよ」
「難民って奴だな。帝国の奴等、町や大きな農村では行儀良かったらしいが、俺達が暮らしていた小さな村じゃあ、好き勝手しやがって。俺の一番上の兄貴は、婚約者を助けようとして、二人とも――」
「フェスター、こんな小さな子に聞かせる話じゃないだろ」
それまで話に聞いていた、アミッド帝国とオルバウム選王国の戦争。それが急に距離を詰めてきたようにヴァンダルーには感じられた。
「まあ、兎も角俺達はサウロン公爵領からこのハートナー公爵領に逃げてきた難民って訳だ。それで、戦争が一段落してから、今の公爵様の次男のベルトン公子が難民対策に始めた開拓事業で、これから行く第七開拓村に家族と住む事が出来たんだ」
「それほど余裕がある訳じゃないし、俺達は村が出来て三年目に冒険者に成りに町へ行ったけどな」
「なるほど。それはご苦労なさったでしょう」
難民対策で開拓事業と言うのは、悪くない政策のようにヴァンダルーには思えた。地球と違って未開の土地は幾らでもある。特にこの辺りは魔境が無く、魔物が出ても殆どランク2が精々で、街道の先に奴隷鉱山しかないので山賊も殆ど出ないらしいし。
……つい昨日ゴブリンキング率いるゴブリンの集落を殲滅したばかりだが、あれは自然災害の様なものだろう。
カシム達が不思議がっている普通街道に出て来ないゴブリンバーバリアンの出現も、あのゴブリンキングが関係しているに違いない。派遣された偵察隊か、狩に出ていたのだろう。
「まあな。兵士に連れられて、開けた土地を指差されて『ここに村を作れ』って言われてから、畑を作って井戸を掘って、家を建てて……」
「村が出来るまで獣や魔物から守ってもらって、テントや毛布も貸してくれたし、飯もあんまり美味くなかったし少なかったけど出してもらった。後、五年は税を免除してくれるけど、苦労はしたよな」
カシムとフェスターが口々に語る内容を聞くと、ヴァンダルーが想像していた以上の苦労があったようだ。村が作れる土地は用意して、開拓の間の護衛と最低限の暮らしは保証するが、家や畑、井戸等のインフラも全て開拓民に手作りさせていたとは。
「あのな、スラムで日雇い仕事を探して四苦八苦するよりマシだろ。文句を言っていたら罰が当たるぞ」
しかもゼノの言葉から、それでもマシな部類である事が察せられる。
「それに、この子の方が苦労しているに決まってるだろ。悪いな、こいつ等察しが悪くて」
「いえ、お気になさらず。俺は母さん達のお蔭でこの歳まで喰うに困りませんでしたから」
一時期ミミズの汁を舐めて飢えを凌がなければならない程喰うに困ったが、それは流石に話しにくい。
この後は冒険者学校の事や、ハートナー公爵領の事を聞きながら、三時間ほど歩き村に辿りついたのだった。
第七開拓村は、人口三百人程のラムダ世界の村としては小規模と中規模の間くらいの大きさだった。
村人はやはり人種が一番多いが比率的には半分程で、残りが獣人とドワーフと巨人種が居るそうだ。エルフやダークエルフ、竜人等は寿命が長いのと独自の文化を持つため種族ごとに集落を造る事が多く、都市なら兎も角小さな村には殆ど居ないらしい。
難民になってもそれは同じで、サウロン公爵領のダークエルフや竜人は、他の同種族の集落に身を寄せたそうだ。
そして村に居る巨人種も、サウロン領に住んでいた巨人種なのでタロスヘイムとは関係無い。
開拓村の家は平屋ばかりで作りもそうしっかりした物ではないが、開拓民の手作りなのを考えれば上等な部類なのだろう。
実際、この辺りにある六つの開拓村の中では一番人口が多いらしい。
「ところで、この村が第七なのにこの辺りに六つしか開拓村が無いのは何故ですか?」
「最初に始まった第一開拓村が、採算が取れずに廃村になったんだ」
「結構頑張っていたんだけどな。近くの湧水が枯れて、井戸を掘っても水が出なかったらしい」
この世界の人間社会は、本当に世知辛い。
「まずはこの耳をさっさと換金しよう」
そう言い、カシム達はヴァンダルーを村に唯一ある商店……雑貨屋兼酒場兼冒険者ギルドの出張所で、客が居れば宿屋もやる、通称何でも屋に連れて行った。
この村では複数の業務を兼ねなければ食べていけないらしい。
だが、今まで村人が誰もヴァンダルーに注目しない事から、意外とこの村には外から人が来る事は珍しくないのだろう。
そんな村人の反応よりもずっと気になる物、アルダの聖印が刻まれた石を祭る祠を見つけたためヴァンダルーの意識もそれに向かっていたのだが……。
「うわっ!? カシム、お前の後ろに何かいるぞ!?」
何でも屋の店主に「何か」扱いされた上に、指差された。
「……こんにちは」
「ひぃっ!? 喋った!? 誰かっ、神官様を呼んできてくれ!」
めげずに挨拶したらこの言葉。閉鎖的な田舎の洗礼にしても、酷過ぎはしないだろうか?
「待てよ、親父さん。この子はお化けじゃないって!」
「確かに存在感が薄いけど、ちゃんと生きてるから!」
「ちょっと事情があるんだよ! 落ち着いて聞いてくれ!」
慌ててカシム達が何でも屋の店主を宥めると言うにはやや荒っぽく、店内に引き戻して行く。
この時ヴァンダルーは、カシム達の言葉でやっと自分の存在感が、【死属性魅了】の対象外の存在には空気並に希薄であると言う事に気がついたのだった。
今まで村人にヴァンダルーが何も言われなかったのは、単に気付かれなかったかららしい。
「ゴメンね、父さんが馬鹿な事言って」
そう言うのは冒険者ギルドの出張所の職員で、何でも屋の店主の一人娘、リナだ。
明るく素朴な村娘っぽいギルド職員……では無く、村娘が冒険者ギルドの試験を受けて出張所の職員をしているらしい。
小さな村だと冒険者の有無で存続率が大きく上下するため、村唯一の商店に間借りするような小さな出張所でも作らなければならなかったらしい。
「いえ、慣れてますから」
大嘘だ。しかし受けたショックがまだ響いていてもヴァンダルーの表情にそれが出る事は無い。リナもヴァンダルーの人形染みた顔に、「そう? なら良いんだけど、本当にゴメンね」ともう一度謝って気が付かずに流した。
「リナ、それより換金を頼む」
「はいはい。えーっと……これはゴブリンソルジャーに、ゴブリンバーバリアン!? よくこんなの退治できたわね、あんた達まだE級でしょ!?」
「いや、倒したのは――」
「フェスター、それは後で話せば良いだろ。とりあえず換金してくれ」
「ええ、そうね。えーっと……」
ややもたつきながら計算して、銅貨や銀貨を数えるリナ。どうやら村の出張所職員は、冒険者ギルドでは正規職員と言うよりも、アルバイト職員のような物でそれほど高い練度を求められないようだ。
実際、村に居る冒険者がカシム達だけなら出張所の仕事は数日に一回程度だろうし。
しかしヴァンダルーは別の事が気になっていた。
(今気がついたけれど、冒険者ギルドではどうやってゴブリンを耳だけで見分けているのだろうか?)
討伐証明部位の耳は、形と色からゴブリンの物である事はヴァンダルーでも分かる。しかし、どんなゴブリンの耳かと聞かれるとお手上げだ。
ゴブリンキングの様な、同じ種族とは思えない程体格が異なる場合は分かる。しかし、大きさも形も普通のゴブリンと変わらない、違うのは装備品や装飾品程度のゴブリンソルジャーやゴブリンメイジを、耳だけで見分けろと言われても無理だ。
それなのに何故わかるのか? 【鑑定】の魔術をいちいち唱えているのか、それとも【魔物鑑定】とか【討伐証明鑑定】とか、そんなスキルをギルドで習うのか。
「ゴブリンソルジャー十匹と、ゴブリンバーバリアン一匹の討伐証明で四百バウム。あと魔石の三百八十バウムで合計七百八十バウムね」
それを聞こうとしていたら、換金が終わってしまった。
七百八十バウム、一バウムの価値を百円とすると、七万八千円。とても命がけの戦いに釣り合う金額では無いようにヴァンダルーには思える。しかしそれは地球の、それも日本人の感覚に過ぎないのだとすぐに解った。
「三人で分けると一人二百六十か……よっしゃ!」
「暫く一息つけるな」
フェスターは拳を握ってガッツポーズを取り、ゼノも安堵の溜め息をつく。二百六十バウムは、彼らにとって十分な収入である事が、そこから伺える。
「そのお金はどれくらいの価値があるのですか?」
「ああ、二百六十バウムの価値か。そうだな……スラムの日雇い仕事の中でも割が良い仕事を二十六日くらいやると稼げるかもしれないな」
どうやら、スラムの日雇い仕事では二万六千円稼ぐのに幸運にも良い仕事を獲得して二十六日間休まずに働く必要があるようだ。
だが福利厚生や怪我や病気に対する保証もセーフティーネットも無いのだろう。しかも、日雇いなら毎日働けるかは分からない。それを考えると、命の危険はあっても一日でそれだけ稼げるなら、危険と吊り合った報酬なのかもしれない。
「でもこの額で一息つけるのも、ここの親父さんがタダで泊めてくれるからだけどな」
「そうとも、娘に色目を使うような奴でも、冒険者が居ないと困るからな」
そう話していると、その親父さんが突然話に割って入って来た。
「さっきは悪かったな。この村で泊まる時はこいつら同様タダにするから、それで許しておくれ、お嬢ちゃん」
そう言って、まるで先程とは別人のような柔和な顔つきで謝ってくれた。それは良いのだが……。
「親父さんっ! 俺は別にリナに色目なんて――」
「何だと、フェスター! お前は俺の娘が気に入らねェってのか!? 後誰がお前の親父だ!」
「ちょっと止めてよ、お父さん!」
「……あのー、俺、男なんですけど」
「「「えっ?」」」
何故かその場に居た全員に驚かれた。
自分が属していた社会や文化とは別の社会や文化に触れて受けるショックを、たしかカルチャーショックと言ったような気がする。
(でも、俺がラムダの人間社会で受けたショックは、絶対別の物だ)
まさか自分の存在感が幽霊のように薄いとは思わなかった。そして何より、性別を間違えられるような容姿をしている事にも、初めて気がついた。
グールの子供達にも性別を間違えられた事があったが、あれは単純にグールの男性は獅子の頭をしているからだと思っていた。
今までヴァンダルーの他の仲間には、性別を間違えられた事は無かった。
実際には、ザディリス達グールや巨人種アンデッドはヴァンダルーの一人称が「俺」である事と、サム達が「坊ちゃん」と呼んでいたから分かっただけで、最初から男だと思っていた訳ではないらしい。
他の場合も似たようなもので一人称が「俺」だから、キングだから、女の子らしくない挙動だから等々、顔以外で判断していたらしい。
(まあ、俺はまだ七歳。これから第二次成長期を迎え、声変わりしたり髭が生えたり筋肉がつけば、誰も間違えなくなるはず)
そう自分を励ましてショックから立ち直ろうとしているヴァンダルーは、今何をしているかと言えば、話題を提供していた。
「へぇ、この子がダンピールねぇ。初めて見たぜ」
「あらまぁ、まるで人形みたいじゃないかい。ちゃんと食べてるのかい?」
「俺、ダンピールに触ったぞ!」
「へへーんっ、俺なんて突いたもんねー」
「コラ! お前等、失礼だろ!」
見事な珍獣扱いである。どうやらこの娯楽に乏しい開拓村では、「初めて見るダンピール」は格好の見世物らしい。そのため何でも屋の飲食スペースには、次から次に村人達がやって来ていた。
お化け扱いよりはずっとマシだと、ヴァンダルー本人は気にしておらず話しかけられれば村人達の基準では礼儀正しく受け答えするため、村人達もあまり遠慮しない。
「そうかい、あんたも苦労したんだねぇ」
「大変だろうけど、頑張るんだぞ」
ただ村人達はヴァンダルーに対して基本的に好意的だった。元難民で自分達も苦労している分ヴァンダルーの身の上に同情的なのと、この開拓村には他人の身の上に同情できるだけの余裕があるのだろうと彼は解釈したが、更に二つ理由があった。
一つはヴァンダルーの無表情や死んだ瞳を見て、「凄く辛い目に遭ったのだろう」と村人達が思い込んだため。
もう一つは、ヴァンダルーがコストを伴わない同情できる相手だからだ。
もしヴァンダルーがただの無力な孤児だったら、村人達がどんなに同情的でも出来る事は限られている。村人達の殆どは若く、これから幾らでも働けるがそれでも裕福な訳じゃない。
今はまだ人頭税を払わずに済んでいるが、後二年で税の優遇措置が終わる。引き取って育てるような事は出来ない。
しかしヴァンダルーは冒険者志望で、カシム達の話を半分でも信じるなら既にゴブリンくらいなら難無く退治できる腕の持ち主らしい。なら、こうやって同情して励まして、料理の一つも奢れば十分だ。
ただ、都会の無関心よりはずっと上等な対応だろう。
「本当だって! こいつがゴブリンバーバリアンを後ろから、一発で首を刎ねたんだって!」
「うーん、あんたを疑う訳じゃないけど、幾らなんでも信じられないって言うか……」
「いや、疑ってるだろ! 信じてくれよ、リナっ!」
「フェスター、実際に見た俺達だって信じられないのに、リナに信じろって言うのが無理だろ」
ヴァンダルーの背後ではフェスター達が話しているが、ランク3の魔物なら難無く殺せる彼からすると、真実を主張する程の事ではないので黙っている。
実際、昨日ランク4のゴブリンキングを難無く無力化したばかりだ。ゴブリンバーバリアンくらい、それに比べれば大した手柄では無い。
尚、リナが一人で運営する出張所では冒険者登録する事は出来なかった。
ここで出来るのは証明部位とその他素材の買い取りだけらしい。登録するには、町に在るしっかりしたギルド支部に行かなければならないのだとか。
ボークス達から聞いた話では、二百年前は小さな村でも登録できると言う話だったのに。
どうやらこの二百年で衰退したのはハートナー公爵領だけでは無く、オルバウム選王国側の冒険者ギルドも同様なようだ。
「その子がカシム達を助けたと言う、ダンピールの子かね?」
そう尋ねながら、二人の男が入って来た。
二人とも三十代以下の者が多いこの村では珍しい年配の、壮年に成って数年目程に見える歳だ。しかし前に立っている男は他の村人と似たような服を着ているが、後ろに続いている男はしっかりと染料を使って染められた綿の服を着て、ヴァンダルーが嫌いな装飾の首飾りを下げていた。
「村長、神官様、お話は終わったのか?」
「ああ、もう済んだ。それよりも、その子に礼を言わなければな」
村長は何でも屋の店主にそう答えると、ヴァンダルーの手を取るとすっと一礼した。
「カシム達を助けてくれて本当にありがとう。幾ら冒険者志望でも、君のような子がゴブリンの気を引きつけるのは勇気が必要だったろうに」
どうやら、村人達の間では「ヴァンダルーが強いゴブリンの気を引きつけて、その間にカシム達が反撃してゴブリンを退治した」と言う筋書きになっているようだ。
ヴァンダルーは同世代の子供と比べても体が小さいし、ダンピールについて正確に知らない村人達からすれば、「小集団を指揮していたゴブリンの首を、背後から刎ねた」と言う真実よりも、ずっと信じやすいのだろう。
「お役に立てて幸いです」
特に訂正する事に拘らずにそう応えると、「でも危ない事はしてはいかんよ。冒険者は生き残ってこそだからね」と言ってくれた。
(思い返してみても、地球の誰よりも優しいな。ここの人達)
人間も捨てたもんじゃないなと、小さく感動する。しかし、その良い村長の背後には微笑んでいる「神官様」が居るので油断できない。
「巡教で偶々滞在していた時に、このような勇敢な少女に出会えるとは。これもアルダのお導きでしょう」
そう柔和な口調で言う神官様……アルダの神官は、胸にある十字架に似たアルダの聖印に手を触れて短く感謝の祈りを捧げる。
やはり性別を間違えられたが、そんな事はどうでもいい。
「神官様、この子は――」
「はっはっは、村長さん、何も心配する事はありません。アルダが罰するのは悪しき者のみ。例えダンピールでも善き行いを成す者を不当に罰する事はありません。
聞けば、今まで人里離れた森か山の中で生活していたとか。洗礼もまだでしょう、良ければ私が執り行いますが?」
特に殺気も嫌悪感も浮かべず、しかしヴァンダルーの目には薄っぺらに映る微笑を浮かべてそう申し出てくる。常時発動している【危険感知:死】にも反応は無い。
「いえ、略式でしたがヴィダの洗礼を母が執り行ってくれましたので」
しかし、何かの罠でなくてもアルダの洗礼なんて受けたくないので、再び嘘をつく。
「そうでしたか。良いお母様ですね」
ヴィダの洗礼について聞き返す事も無く、アルダの神官は引き下がった。
アミッド帝国の脅威から自国を守るため小国が纏まったのが、オルバウム選王国だ。
その成り立ちから、帝国が国教に据える法命神アルダの信仰を禁じている――訳ではない。ヴィダの信仰を認めてはいるが、アルダを信仰する事にも制限を設けてはいない。小国の中にはアルダやその従属神を信仰する人々が少なからず居たからだ。
ただ帝国のアルダ教と全く同じという訳でもない。
まずアルダの信仰にも、複数の解釈が存在する。中にはダンピールに人権を認めるオルバウム選王国で発展した、「法律を守る善良な存在なら、ヴィダの新種族でも存在を許しましょう」と唱える、アミッド帝国側の聖職者から見ると異端である融和派が存在する。
これは別に不自然でも何でもない。このラムダでは神が確実に存在する事を誰もが知っているが、その神が地上に存在したのは十万年前の神代の時代だ。
今では神託を下す等、限られた方法で限られた人物にしか意思を伝えられないでいる。
そのため現在では国や地域、人によって各神の教義の解釈は様々で、それぞれ微妙に異なっている事が多い。その最たる例がアルダの融和派だ。
尤も、融和派が選王国で広まったのは、獣人の公爵を含めて帝国よりも多くのヴィダの新種族が存在し、更に戦争でアルダの信仰に対しての印象が悪化している選王国内で生き残るための政治的判断の結果だろうが。
(地球でも大本は同じ神様なのに、教義が異なるなんて珍しくなかった。アルダが何を考えているのかは知らないけれど、流石に信者全員に監視を付けて、『その解釈は違う』っていちいち指摘するために降臨したり、神託を下したり、御使いを差し向けたりするはずないだろうし。
まあ、俺にとって無害なら別にいいか)
なんだか「許してやる」と上から目線で言われたようで気に入らないが、それだけなら気にしないのも社会で生きるには必要だと、ヴァンダルーは納得した。
「神官様、頂いた薬ですが……ちょっと効きが悪いようでして」
「それは一度に飲む量を多くした方が良いですね、これからは今までの倍飲むようにしてください」
「神官様、家の畑の様子を見てくれませんか?」
「構いませんよ。アルダは生命の神でもありますからね」
その彼の前で、村人達は神官の男に代わる代わる相談や、要望を述べていく。どうやら、笑顔が薄っぺらな割に慕われているようだ。
開拓村では聖職者が語る過去の聖人や英雄の逸話は数少ない娯楽だろうし、知識人でその上薬の調合まで出来るなら、確かに多少胡散臭くても慕われるだろう。
その時、外から声がした。
「神官様、来てくれっ! イワンの奴が屋根から落ちちまった!」
どうやら村人が修理か何かをしていたら、誤って屋根から落ちて怪我をしてしまったらしい。雰囲気からすると、結構な重傷のようだ。実際、ヴァンダルーが【生命感知】を使うと、不自然に弱い生命反応があった。
「それはいけない、すぐに行きましょう」
そう言って立ち上がる神官の声を背後に聞きながら、ヴァンダルーはすっと何でも屋から出ていた。皆神官に気を取られているのか、誰も彼が出ていくのに気が付かなかった。
(死んでいなければ何とかなると思うんだけど……あ、ここか)
生命反応があった場所に【飛行】で駆けつけると、地面に横たわってぐったりしている三十代前後の男と、それより少し若そうな、お腹の大きい女。そしてヴァンダルーより小さい子供が居た。
「あんたっ! しっかりするんだよっ、今神官様が来るからね!」
「父ちゃんっ! 父ちゃんっ!」
縋りつく妻と息子に、男は何も答えられずに呻いている。呼吸も苦しそうだ。その顔には、濃い死相が出ている。
(これは重傷だ、骨じゃなくて内臓……最悪脳の中がどうにかなっているな)
そうなると、このラムダの医療ではお手上げだ。魔術なら何とかなるかもしれないが、ここは村の外れ。何でも屋からあの神官が来る前に、致命的な事態になる可能性が高いとヴァンダルーは判断した。……そもそも、あの神官の技量が一流以上でなければ、首を横に振る以外何もできないだろうが。
勿論、ヴァンダルーが死属性魔術を使えば高い確率でこのイワンと言う男の命を助ける事が出来る。妻は夫を、彼女の胎の中と傍らの子は父親を喪わずに済む。
しかし、彼の今回の目的は「目立たずにギルド登録だけして、ダッシュでタロスヘイムに帰る」事だ。
高レベルの魔術師でなければ助けられない命を、子供が救う。これは十分目立つ事だろう。
(初志貫徹か、情に流されるか……仕方ない、諦めよう)
「失礼します」
そう言いながら、すっと近づきするっと子供の横に入り込み、イワンの身体に触れる。
「ひぇっ!?」
「うわっ!? なんだおまえ!?」
やはりヴァンダルーに気が付いていなかった女と子供に驚かれたので、「今村で噂のダンピール、ヴァンダルーと申します」と自己紹介しながら、【霊体化】。彼女達に見えないように、イワンに触れている手の平の中心から触手を伸ばして行くイメージで、イワンと同化しながら体内に霊体を伸ばして行く。
やはり脳が問題の様だ。頭蓋骨の中で出血して、溜まった血が脳を圧迫している。
(溜まった血を触手から吸収。破れた血管を【治癒力強化】で再生。後、頭蓋骨の罅も治して……この人心臓近くの血管に動脈瘤が出来ている。ついでに治しておこう。あ、大腸にポリープが。悪性っぽいから取っておこう。水虫は……ついでに治しておくか)
「ちょっと、あんた何を……」
「母ちゃんっ、父ちゃんの顔色が良くなってる!」
「ほ、本当だ。まさかあんたが、この人を治してくれてるのかい?」
「あ、はい。もうちょっと待ってくださいね」
イワンと言う男は、不健康だった。素朴なスローライフは健康的だと言うイメージは、少なくとも彼には当てはまらないらしい。
とりあえず出来る処置は全て終えたので、触手を体内に戻して【霊体化】を解く。
「これで大丈夫。すぐに目を覚ますでしょう」
怪我を治すための体力や栄養まで同化していたヴァンダルーが消費したのだから、これで寝込むはずが無い。頭蓋骨内に溜まっていた血は美味しくいただいたが、治療代だと思ってもらおう。
「うぅ、俺は……一体?」
すると、早速イワンが目を覚ました。
「あんたぁっ!」
「父ちゃん!」
そしてそのイワンに、女と子供が抱きつく。感動的な光景である。家庭とは、家族とはこう在るべきだ。
「これはどう言う事だ? 何故ここに君が居るのだね?」
「い、イワン? お前、さっきまで死にそうな顔で倒れてたのに、何でピンピンしているんだ!?」
良い家庭を築いているイワンに対して尊敬の念をヴァンダルーが覚えていると、やっと神官や村長たちがやって来た。
ここで「実はイワンの容態は大した事無くて、何でも屋に神官を呼びに来た男が早とちりしただけだった」と誤魔化せれば、ヴァンダルーがこの場に居る事以外は解決だ。
「この子が、このヴァンダルーって子が治してくれたんだ! この子は命の恩人だよ!」
(奥さん、正直な女の人は好感が持てます)
「そう言えば、夢を見たんだ。恐ろしい死神に頭を掴まれて……でも気がついたら女神様に頭を撫でられてた。そうか、この子だったのか」
(誰が女神だ)
こうしてヴァンダルーは見ず知らずの村人イワンの命を救い、とても目立ったのだった。
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1月26日に70話、27日に71話を投稿予定です。