七話 取り返しの付く復讐完了 さぁ、頑張れ
行商人のルディは、自分は恵まれていると思っていた。
マッジオ子爵の御用商人の家の三男として生まれたルディは、生まれた順番のせいで家を継ぐ事は出来なかったが、両親も兄二人も彼を差別せず育ててくれた。長男次男と同じ高度な教育を施し、「お前は家を継げないから」と早くから独立のための準備をさせた。
そして成人したルディは、まず行商人として経験を積む事から始めた。実家からの援助金を受け取ったのは独立した時の一度だけで、様々な苦労を経験しつつもそれなりにやって来られた。
そして行商も三年目。そろそろ貯めた金で馬車を買って他の商人を誘い隊商を組むか、それとも何処かに腰を落ち着けて店を開くかと考える程度には、商売は上手く行っていた。
だが、数日前山賊団に襲われた事でルディは運が尽きたと思った。
護衛にE級の冒険者を二人雇っていたが、山賊団は二十人程いて数の暴力の前にやられてしまい、もっと護衛を雇うべきだったと後悔したがもう遅い。
商品と金を奪われ、命も取られそうになった時に叫んだ言葉は「私の家族なら身代金が払える!」だった。最低の命乞いだ。
だが、誇り高く死ぬのは商人の仕事じゃない。家族に迷惑をかけてしまうが、何とか生き残って商売を立て直さなければ。家族が払ってくれた身代金は、その商売で返せばいい。
一番良いのは、颯爽と現れた冒険者や騎士の一団が山賊団を討伐して自分を助けてくれた上に、奪われた金と商品を奪い返してくれる事だが、世の中そんなに上手くは行かないだろう。
そう思いながら、暗くジメジメした地下牢での監禁生活に耐えているルディの耳に、物音が聞こえた。
『誰か地下に降りてきた?』
梯子で誰かが下りてくる小さな音に気が付いたルディは、粗末でやや臭う毛布から身を起こすと木の格子の外側を見つめるが、真っ暗で何も見えない。
山賊が下りて来たなら、蝋燭や生活魔法の灯を灯してくるはずだ。気のせいかと思ったが、ヒタヒタと裸足で何者かが近づいてくる足音が聞こえる。
そしてその足音は、牢の前まで来ると止まった。しかし、闇の中には相変わらず何者の姿も見えない。
「だ、誰だ?」
得体の知れない恐怖に声を上擦らせながらそう問うと、地面の方から声がした。
「ああ、すみません。ここが暗い事に気がつきませんでした。【鬼火】」
ぼぉ。青い握り拳程の大きさの炎が、地下牢を照らした。
「っ!? ゴッ、ゴースト!?」
ルディの目に映ったのは、ボサボサに乱れた白い髪に蠟の様に白い肌の、布きれ以上服未満のボロを纏った幼児だった。
その生気の無い姿に、ルディはこの幼児は山賊団に殺された子供が化けて出たアンデッドだと思い込み、毛布を抱きしめて震え上がった。
「……いえ、生きています」
ルディの悲鳴に『もしかしてこの人も霊が見えるのかな?』と驚いたヴァンダルーだが、自分が怖がられているだけだと知って、肩を落とした。一応助けに来たのにそこまで怖がらなくてもと、自分の外見を棚に上げて不機嫌になるが、気を取り直して話を続ける。
「貴方を捕まえた山賊団は、全員始末しました。それで俺は見ての通り冒険者ではなく、ダンピールです」
淡々と言葉を続けるヴァンダルーに、ルディは徐々に落ち着きを取り戻して行った。ただ、あまり自分の立場が好転していない事に気がついて、顔を青くしたが。
「ダンピール……じゃあ、私を殺すのか?」
ダンピール。ルディが生まれ育ったこの国では、魔物の一種であり討伐対象だ。特に、法命神アルダの神官達は特殊なアンデッドであると言って憚らない。
なので冒険者や騎士団と違って自分を助ける義理は無いどころか、こうして顔を見てしまった以上口封じに殺される可能性が高い。
しかし、目の前のダンピールの子供は首を横に振った。
「いいえ。俺の事を黙っていてくれるなら、殺すつもりはありません」
「ほ、本当か?」
「はい。あなたは一度山賊に捕まったけれど、山賊団同士の抗争のどさくさに逃げ出す事に成功した。そう言う事にしてください。
その代わり、俺については誰にも、一言も話さないでください」
半信半疑といった様子のルディ。彼から見れば、善良な悪魔にでも出会ったようなものだから無理も無いが。
実際、ヴァンダルーもこの若き行商人の口を封じてしまった方がいい事は分かっている。しかし、彼にはルディを出来る限り殺したくない理由があった。
『日頃の行いは、出来るだけ良くしておきたい。将来のために』
と言う、シンプルな理由である。
自分の身を守るためなら、ラムダ全体で殺しても罪に問われない山賊等なら、別に良いのだ、殺しても。しかし、ルディのようなただの被害者を、自分の安全のために殺してしまうのは外道と言うしかない行いだ。
そうした行いは、たとえ他人に知られなくても自身の人格に甚だしい悪影響を与えると、ヴァンダルーは考えていた。
実際、地球で自分を差別した叔父家族、フェリーを爆弾で自分達ごと爆破沈没させたテロリスト達、オリジンで自分を含めて大勢の人間に人体実験を行っただろう科学者達は、外道に堕ちた狂人にしかヴァンダルーには見えなかった。
彼らと同じ外道に堕ちた狂人になる訳にはいかない。
彼らを嫌悪しているから、同じ存在に成りたくないという気持ちが無いわけではない。だがそれ以上に、ヴァンダルーはこのラムダで、地球やオリジンでは味わえなかった幸福な人生を歩みたいという願いがある。その願いを叶えるためだ。
裕福で快適な生活に、家族や友人に囲まれた温かい人間関係。それを外道狂人の類が築き、破綻させずに維持する事が出来るだろうか?
それに、後半世紀程先だろうが将来転生してくる雨宮寛人達チート共に、もし外道に堕ちていたら正義の名の下に粛清されかねないという問題もある。
奴らはチートなので、証拠一つ目撃者の一人も残さなくても過去の罪を暴き出しそうな気がする。きっと人の心を読んだり、過去を見たり、直接的に罪を暴くような特殊能力を持っているのが何人かいるだろうし、魔術の適性も高いはずだから。
なので、出来ればルディの様なただの被害者を殺すような事は避けたいのだ。
「それでいいなら、分かりました。私は冒険者でもなんでもないからね」
そして幸いな事にルディは熱狂的なアルダ信者という訳ではなかったので、ヴァンダルーの条件を飲んで生き残る方を選んだ。
更に彼が賢明だったのは、ヴァンダルーを見た目の幼さで侮らなかった事だ。自分の腰よりも、更に低い所に頭があるこの子供を、恐れて慎重になった事だ。
尤も、ルディにとっては当然の対応だったが。
見た目にそぐわない大人びた口調に、漂わせている不気味な気配。とてもただの幼児には思えない。
がちゃりと、山賊団の頭が持っていた牢の鍵を使って南京錠を外す。自由に成ったルディはほっと安堵の溜め息を吐くが――
「ああ、もし俺の事を誰かに話したら悪霊を放つので、心変わりはしないでくださいね」
念のためにとヴァンダルーに脅されると、ルディは青い顔でガクガクと頷いていた。
縄梯子を上って地上に出たルディは、転がる山賊達の死体と血塗れのアンデッド達、そしてランクアップして全身を青白い淡い光に包んだ骨鳥が、不吉な鳴き声を上げながら歓喜しているのを見て震え上がった。
そして、たとえ白金貨で山を作られても絶対にこの事は秘密にしようと誓ったのだった。
山賊達が飲んでいた酒を飲んで恐怖を紛らわせながら朝を迎えたルディは、ヴァンダルーから山賊団に奪われた自分の荷物を受けとった。更に「生きている馬は使えないので」と山賊団の馬を譲られた。そして同様に譲られた彼が他の山賊団から奪った荷車に繋いで、去って行った。
護衛も無い一人旅だが、周辺を縄張りにしていた山賊団はヴァンダルーに全滅させられているので、ゴブリンの群れに出くわすような不運に見舞われない限り、無事目的地に辿り着く事が出来るだろう。
期せずして馬を手に入れた彼は、これを機に馬車を買い隊商を組んで商売を広げる事になるのだが、それはヴァンダルーにはあまり関係の無い話だ。
一方ヴァンダルーは夜が明けるまでの間に、アンデッド達の欠けた骨を予備パーツ……これまでに手に入れた動物や人の骨と交換し、ファントムバードにランクアップして霊体の翼を手に入れ飛行する事が可能になった骨鳥と遊んだり、山賊の死体を埋めたりして朝まで過ごし、その後ぐっすり昼近くまで眠った。
ルディの見送りは、骨人達に投げっぱなしで。
ヴァンダルーにとってルディはただの他人に過ぎないとは言え、あんまりかもしれない。
そして目覚めたヴァンダルーは、山賊達の食べ残しで昼食を取った。
メニューは塩を振って焼いた肉に、パンとチーズ。サラダ代わりの野菜の乾物に、干し魚のスープ。デザートは森で手に入れた果物。
「山賊の方が食生活豊かだ……」
食べながら、気がつきたくなかったその事実にヴァンダルーは若干落ち込んだ。
山賊を襲撃してその食料を手に入れているお蔭で、硬くて臭い狸や狐の肉を我慢して食べていた時よりは、大分食事事情も改善した。しかし、カース・ツール等のアンデッド化させた調理器具を使って料理をすると、中々上手くいかない。
カース・ツールは悪霊に憑りつかれて自ら動き出した道具の魔物だが、力も器用さも無い。そのため、料理にははなはだ不向きな魔物だった。
なら骨人にでもやらせればいいのだが、骨人も宿っている霊は人の物では無く元々虫やネズミ等の小動物の霊なので、料理という概念を持ってない。「野菜を切れ」と頼めば、野菜に向かって剣を思い切り振り降ろしてまな板まで切断するだろう。
剣や弓を覚えただけでも、成長としては十分すぎるのだ。
そしてヴァンダルー自身はというと――
『ダメ! まだ一歳なのに料理なんて! 火傷したらどうするの!?』
「でも母さん、干し肉や焼き固めたパンを直接食べるのは一歳児の胃腸には悪いと思うよ。俺は普通の一歳児の数倍顎の力はあるけど」
『ダメったらダメ! 火傷したらどうするの!?』
「……水と【奪熱】で冷やす」
死属性魔術は生命属性の反対なので、回復の類は苦手だった。無い事は無いのだが、それは「致命傷や重病は治せるけど、命に影響のない軽傷は治せない」と言う、非常に微妙なものだ。
全身大火傷なら治せるが、手の皮膚がケロイド状になるくらいだったら今のヴァンダルーの技量では難しいだろう。
『じゃあダメっ!』
「はーい」
恐らく生前、「子供が小さい内は火傷を負わないように気を付けよう」と強く意識していたせいだろう。それが死後、霊に成った事で暴走気味になっているのかもしれない。
ただ、一歳に成ったばかりのヴァンダルーの手足は短く、鍋を扱うと思わぬ怪我をする可能性があるのは確かであるため、ダルシアの主張も間違ってはいない。
結果、現在はウッドゴーレム化した薪に身体を擦り合わせさせて火種を作ってもらってお湯を沸かし、そこに骨人達が砕いたパンと千切った干し肉を投入して煮込んだ物が、ヴァンダルーの常食になっていた。
味は……まあタヌキやキツネのミートボールよりはマシ。
「いいんだ。大人に成ったらたくさん稼いで、腕の良い料理人を雇って毎日美味しいご飯を食べるから。
ええっと、それよりも今日の収穫は……」
まず、山賊達の武器。他の山賊団ではナイフを木の棒に括り付けた手製の槍や、棍棒、弓矢等品質が低い物ばかりだったが、流石この辺りでは最大規模の山賊団だ。全員良い武器を持っていた。
材質は普通の鉄だが、型に金属を流し込んで作った鋳物では無くちゃんと職人が焼きを入れた物だ。その内幾つかは刃毀れしていたり骨猿達に砕かれていたりするが、抵抗の余地なく一撃で殺されたために無傷の武器も多い。
それは山賊達が着ていた皮鎧も同様で、修繕に修繕を重ねていた他の山賊団の物と比べればずっと上物だ。
きっと、武器商人の馬車でも前に襲った事があるのだろう。
後は馬車の中に在った財宝。ルディの荷物は全て渡したが、それでもかなりの量が三頭立ての馬車の中に詰まっていた。
まず現金が約五万アミッド。次に、詳しい価値は分からないがアクセサリー類が少々。色も綺麗な上物の生地が一山、上物らしいワインの樽が二つ。更にミルグ盾国では生産されていないため高級品になっている砂糖。
そして山賊達の予備の武器に、食料。
馬車本体も含めると、二十万アミッド以上の価値になるだろう。日本円に換算すると二千万と、大金ではあるが財宝という程では無いように感じるだろうが、エブベジア以外に町が無いこの辺りでこれほど略奪したのは中々のものだと言えるだろう。
この場合山賊団の手際を褒めるのではなく、警備隊の不手際を責めるべきかもしれないが。
「まあ、食料以外はあまり意味無いけど」
相変わらず現金は使う機会が無いし、生地は頑張って服作りに挑戦した結果今着ているボロしか出来なかったし、山賊のお宝を活用しきれないヴァンダルーの現状は変わらなかった。
だが武器と鎧は骨人が使えるし、皮鎧をバラバラにすれば骨猿や骨熊の骨を守る防具に出来るだろう。
だが、幾らお宝があっても運搬手段が問題だ。馬は全てルディに渡してしまったので、残っているのは馬車の荷台のみ。骨熊達に引っ張らせるつもりだとしても、馬車の改造が必要になる。
しかし、ヴァンダルーには考えがあった。
「さて、誰にしようかな」
ヴァンダルーが周囲の霊を見回して呟くと、死んだばかりの山賊以外では珍しく生前の姿形を保っている細身の中年男性の霊が進み出た。
『どうか私に、このサムめにお任せください! 私は生前ある貴族の下で馬番と御者を兼任しておりました! 馬車の扱いなら誰にも負けません!』
生前馬車を扱っていたらしいサムの霊がまだ成仏せずに残っていた事は、ヴァンダルーにとって幸運だった。それに、魔力を供給されている訳でも無いのに生前の形を保っているところを見ると、精神力も期待できそうだ。
ある意味、サムの霊こそが一番の収穫かも知れない。
『ヴァンダルー様には、私と娘達の仇を討っていただきました! 奴らに、慰み者にされて殺された娘達の恨みをっ! ご恩返しに娘達共々終生お仕え致します!』
多分、そう言うサムの後ろで佇んで頭を下げている二つの霊が、サムの娘達なのだろう。どちらも黒焦げに成っていて体の輪郭が辛うじて女の物と分かるくらいなので、見分けがつかないが。
多分、慰み者にした時やり過ぎて商品に成らなくしてしまったか、それともこの山賊団は奴隷商人と伝手が無かったか。そのどちらかが原因で殺されてしまったのだろう。
山賊団の霊を見つめると、震え上がったから多分それで正解だ。
「じゃあ頼みました、サム」
山賊達の霊は使い潰そうと心に決めて、サムの霊を荷台だけの馬車に降ろす。
「起きろっ」
そしてヴァンダルーが魔力を注ぎ込みながらそう命じると、ギシギシと音を立てて馬車の荷台が軋んだ。
「……前進」
そして一言そう言うと、馬車は肝心の馬が居ないのに車輪がゆっくりと回転しだす。それを確認してヴァンダルーは満足げに頷いた。
「サムのカース・キャリッジ化成功。これで移動の足は手に入った。じゃあ森に戻りながら、ゴブリンでも轢き殺させてレベリングしよう」
二日後、ルディから山賊団の情報を聞いた街道警備隊が山賊団のアジトに踏み込んだが、彼らが見たのは山賊の死体が埋められ盛り上がった土と、掘り起こしてそれを貪る獣やゴブリンだけだった。
馬車の車輪の跡が外に続いていたが、それは山賊同士の抗争を勝ち残った連中だと考えられ、特別な捜査が行われる事は無かった。
馬車の跡に、馬の蹄の跡が無かった事に警備隊長は首を傾げたが、態々報告書に残すような事は無かった。
ベステロ準男爵は、この一年上機嫌だった。
あの魔女を捕まえて処刑してから、良い事ばかりが続く。確かにあの後二月ばかり高司祭達に森を占領されたり、三人ほど猟師が行方不明になったりしたが、そんな事は些細な事だった。
死体こそ確認していないがダンピール討伐を認められ、ミルグ盾国王より勲章を授与された。それにより周辺の領主からも一目置かれ、『ワインしか取り柄の無い田舎領主』と言う嘲りを掻き消した。
そして今年はワインの出来もその材料になるブドウの出来も良いし、ここ何年かの頭痛の種だった山賊による治安の悪化も、初夏の頃から収束している。
街道警備隊や子飼いの騎士どころか、冒険者の手柄でも無いのが不満だが山賊問題は重大な問題だったため、たとえ抗争による同士討ちだったとしても、喜ぶべき事だった。
そして極めつけが、昇爵だ。
まだ正式に決まった訳ではないが、近々アミッド帝国の帝都に召喚を受ける事になるだろうと、内々に知らせが来た。
彼の曽祖父、初代ベステロ準男爵からの悲願だった男爵位。それが手に入る。
それを確信した今、たとえグラスの中身がワインでは無く酢だとしても気持ち良く飲めるだろう。それほど浮かれていた。
夏の蒸し暑い夜、エブベジアの外壁の外でうろつく影があった。
「入れ、入れ、入れ」
無数の霊を引きつれたヴァンダルーは、その霊を一つ一つ外壁に宿らせていた。
もしその姿を見かけた者がいたとしても、ヴァンダルーが何をしているか全く分からなかっただろう。死属性魔術に適性があるか、霊媒師でもなければ魔物化してアンデッドになっていない霊の姿を人が見る事は出来ないのだから。
警備兵に気がつかれれば矢を射られたかもしれないが、彼らの仕事は外壁を越えて中に入ろうとする魔物や賊を防ぐ事で、夜間に外壁の外側に出る魔物や賊を退治する事では無い。彼らの警戒心は門とその周辺に限られていた。
明かりも持たずに外壁から離れた所を移動する幼児の姿に気が付く可能性は、限りなく低い。
若しくは、魔力感知スキルを持つ冒険者や歴戦の騎士なら気が付いたかもしれない。しかし、ヴァンダルー自身まだ気が付いていないが、死属性魔術に適性を持つヴァンダルーの魔力は他人から感知されにくいという性質を持つ。
そのため、1レベルや2レベルの魔力感知スキルでは目の前で魔術を行使されても気が付けない。
3レベル以上でも余程集中していなければ無理だが、そもそも近くに強い魔物が出現する魔境やダンジョンが無いエブベジアの冒険者ギルドでは、腕利きでもD級が精々なので魔力感知を3レベル以上で取得している者はいなかった。
そしてエブベジアの外壁を半周した辺りで、ヴァンダルーはふぅっと息を吐いた。
「これで終わりか……二日かかったけど、準備は完了。後は一言いうだけで復讐も達成できる。
でも、明日の朝にしよう」
翌日、昨日までと何も変わらない朝日に照らされるエブベジアの人々は、誰も気が付いていなかった。
この日、エブベジアの名がミルグ盾国は勿論、アミッド帝国にまで鳴り響く運命の日だという事を。
ただし、『奇怪な事件が起きた町』として。
「崩れろ」
ミシリと、これまでゴブリン等の魔物や危険な野生動物、そして山賊から町を守っていた、高さ五メートルの石の壁が音を立てた。
警備兵が訝しげな顔をしたその時、ボゴンっと音を立てて外壁が崩れた。
『ウォォォォォォォン!』
外壁が崩れたかと思うと、次々に巨大な人型になって立ち上がり怨念を滾らせる悪霊の声のような咆哮を青空に轟かせた。
そして、ズンズンと音を立ててそのまま歩き去って行く。
「な、何だっ!? 何が起こったんだ!?」
「隊長! 外壁が、外壁がゴーレムになってしまいました!」
「そんな事は見れば分かる!」
警備隊長が叫んでいる間も、彼らが守っていた門までゴーレムの一部と化してそのまま歩き去って行く。
「ぼさっとしてないでゴーレムを止めろ!」
「ですが隊長、暴れもしないでただ歩いて行くだけですよ。町の方に行くなら兎も角、態々手出ししなくても……」
慌てる隊長に対して、部下は彼の命令に乗り気では無い様子だ。だがそれも当然だろう、誰が高さ五メートルの石材で組まれた巨人の前に出たいと思うのか。
そもそも、警備兵が持つ鉄の槍でストーンゴーレムをどうしろというのか。平警備兵達からすれば、隊長の正気を疑っても無理はないだろう。
「馬鹿者! あれは町の外壁だぞ! あれが無くなったら今夜からどうやって町を守るつもりだ!」
しかし、平警備兵達もはっとするような、重大な問題があった。
外壁が無ければ夜に活発に活動する猪や狼、熊が町に入って作物や家畜を食い、更には人間を襲う。ゴブリンだって山賊だって入り放題だ。
警備隊の数は限られた数の門を守るのには十分でも、外壁の代わりに町の周囲を全て守るには不足過ぎる。
そんな重大な問題を認識しても、どうにもならない事もあった。
「で、ですが……っ」
焦燥を滲ませる警備兵達だったが、事態が重大だからと言って彼らの実力がそれに比例して上がる訳ではない。
彼らは、町から離れて行く外壁だったストーンゴーレムの後ろ姿を眺める事しか出来なかった。
外壁が突然ゴーレムになって歩き去って行く。その珍事にエブベジアの全ての人々は気が付いたが、咄嗟の事で対処できずにいた。
ベステロ準男爵は愕然と立ち尽くし、騎士と兵士達は狼狽し、冒険者ギルドでは緊急依頼を出そうと職員が大慌てで叫び、町の人々は唖然とした。
だが、それだけでは終わらなかった。
「土が、土がゴーレムに成ったぞ!」
「あれは俺の畑だっ! 俺のブドウ畑の土だっ!」
「待てっ、俺の麦畑! 待ってくれ~っ!」
畑の土が生えている作物や木ごと起き上がり、ゴーレムになると一足早く町から離れたストーンゴーレムを追って歩き出したのだ。
それに気が付いた農民たちは、必死の形相で走り出した。
材質が土とはいえ自分より大きなゴーレムを止めようとはただの農民としては大した勇気だが、農民だからこそ、彼らはあのゴーレムをこのまま逃がす訳には行かなかった。
ゴーレムが背中に生やした作物や木を取り戻す事以上に、ゴーレムの身体を作る土こそが彼らの命だ。
農業に重要なのは、土だ。作物を実らせるには、彼らが肥料をやり耕し、何年もかけて作って来た土が必要不可欠。
それが無くなってしまえば、一から土を作るところから始めなくてはならない。すぐに肥料が手に入る地球やオリジンなら兎も角、このラムダではより時間がかかるだろう。
葡萄畑を持つ農民は、それに合わせて木も育てなければならないのでより深刻だ。
そして畑だけでは無く――。
「うわっ! 領主さまの館が! 館が二階から崩れて次々にゴーレムになって行く!?」
「冒険者ギルドもだ! あそこには仲間が居るんだぞ!」
領主の館、冒険者ギルドの建物も、次々にゴーレムになって町の外に歩いて行こうとする。
ゴーレム達の動きは鈍い。しかし、身体が大きいためそれに比例してコンパスも巨大だ。町の人間や騎士、冒険者はゴーレムの討伐に、瓦礫の回収にと追われる事に成った。
その様子を、ヴァンダルーは清々しい気持ちで眺めていた。
外壁、畑、冒険者ギルドと領主の館。これらに雑多な霊を宿らせて待機させるのは大変だった。外壁だけでも二日かかり、畑や冒険者ギルド等はそれぞれが一日がかりの作業に成った。
だが、始めるには一言言えばそれだけでよい。まるで苦労して作ったドミノが成功した時のような、実に爽快な復讐劇だ。
「ほら、母さん。母さんを嗤った奴等が全員情けない顔で喚いているよ」
外壁や建造物がゴーレムになって動き出した時点で、エブベジアは死に体だ。ゴーレムを倒して建物だった残骸を取り戻しても、結局修理しなければならないのは変わらない。
残骸によっては使えない物も多いだろうし、何とか掻き集めてもそのまま元に戻せるのは畑の土くらいのものだろう。
これからエブベジアはあの高くて分厚い外壁を建て直さなければならない。そうしなければ、危険な魔物が存在するこのラムダでは、町の運営が出来ない。
勿論、立て直す間の警備も整えなければならない。警備兵の増援、冒険者への依頼、材料の発注に石工職人や労働者の手配、莫大な時間と、何より金がかかる。
ベステロ準男爵が館の立て直しを後回しにして、更に私財を擲っても賄えない程の金が。
当然ミルグ盾国の政府に泣き付くだろうし、それで昇爵も立ち消えだ。
更に、実はワイン蔵にもヴァンダルーは手を伸ばしていた。
蔵の中のワイン樽に、【腐敗】の魔術をかけてワインを全て腐らせた。更に、【殺菌】で蔵が保存している酵母を一匹残らず死滅させておいたのだ。
まだ誰も気が付いていないようだが、エブベジアの産業は既に抹殺されたも同然だ。これを立て直すには、冗談でもなんでもなく十年単位の時間がかかるだろう。
『うん、母さんのためにありがとう、ヴァンダルー。大変だったでしょう? この優しい復讐をするの』
ダルシアの霊は、莫大な魔力を持つ小さな息子を愛おしげに見つめた。この復讐の何処が優しいのかと、異論を唱える者は多いだろう。しかし、彼女の言う通りヴァンダルーの魔術と魔力量を考えれば優しいと言えなくも無いのだ。
外壁で作ったゴーレムを町の外では無く内側に向かわせれば、それだけで町に大きなダメージを与えられたし、死傷者を大勢出せる。ここに領主の館や冒険者ギルドの建物から作ったゴーレムを加えれば、壊滅的な被害を出せるはずだ。
ゴルダン高司祭や五色の刃のハインツ達は、この町をとっくに去っているのだから。
他にも井戸水を【猛毒】の魔術で毒にするか、単純に【病】の魔術で疫病を流行らせるという手段もある。
やろうと思えば、エブベジアの人間を一人残らず殺す事だってできるのだ。
それをやらずに、外壁を崩すのも朝を待って行った事を指して優しいとダルシアは思ったのだ。
「あいつらが俺にした事と同じ事をしただけだよ」
ヴァンダルーはダルシアの言葉を肯定も否定もしなかった。だが、町の人間に慈悲をかけたつもりは無かった。彼にとって、エブベジアに罪の無い人々は一人もいない。一人残らず、処刑されたダルシアを見世物にして嗤った罪人だ。
だから、同じ事をしてやった。
「俺はこれから何年も、何十年もかけて母さんを取り戻す。母さんの霊に合う、新しい肉体を作るんだ。
だから、この町の連中も何年も、何十年も頑張れば元の生活に戻れる程度で済ましただけだよ」
今回の件で、直接の死者は誰一人出ていない。出ないように、外壁や建物が途中で崩れないようゴーレムが動き出す順番にも気を配ったのだから、当然だ。
だから、取り返しのつく物しか壊れていない。
『そうね、チャンスをあげたんだもの、やっぱりヴァンダルーは優しい子だわ』
考え方によっては、何十年も耐えなければ元に戻らない被害を与えたと言えるのだが……既に死属性魅了スキルの効果で魅了されているダルシアに、それを指摘する意思は無い。
ヴァンダルーは触れる事が出来ないダルシアの手に撫でられると、目を僅かに細めた。
「じゃあ、そろそろ行こう。骨鳥、宜しく」
「グェェェェェ」
首を絞められた人の呻き声のような鳴き声を上げて、ファントムバードにランクアップした骨鳥が骨翼を広げる。
ダルシアの骨片を懐に仕舞い、骨鳥の左右の足をそれぞれ掴む。
青白く光る霊体に包まれた骨翼が羽ばたき、ヴァンダルーはカース・キャリッジで待つ骨人達の所に空を飛んで戻ったのだった。
・名前:ヴァンダルー
・種族:ダンピール(ダークエルフ)
・年齢:1歳
・二つ名:無し
・ジョブ:無し
・レベル:100
・ジョブ履歴:無し
・能力値
生命力:34
魔力 :100,001,247
力 :32
敏捷 :7
体力 :33
知力 :45
・パッシブスキル
怪力:1Lv
高速治癒:2Lv
死属性魔術:3Lv
状態異常耐性:3Lv
魔術耐性:1Lv
闇視
精神汚染:10Lv
死属性魅了:2Lv
詠唱破棄:1Lv
・アクティブスキル
吸血:3Lv
限界突破:2Lv
ゴーレム錬成:3Lv(UP!)
・呪い
前世経験値持越し不能
既存ジョブ不能
経験値自力取得不能
・名前:(骨鳥)
・ランク:3
・種族:ファントムバード
・レベル:17
・パッシブスキル
闇視
霊体:1Lv(NEW!)
怪力:1Lv(NEW!)
・アクティブスキル
忍び足:1Lv(NEW!)
高速飛行:1Lv(NEW!)