三百八十話 魔王から魔術師殺しへの返事
以前この世界で再会した時とは違い、『オリジン』に居た時と同じ人の姿のプルートー。そしてヴァンダルーの仲間に加わったと聞いていたが、実際に目で見るのは今回が初めてな、『オリジン』では三十代だったのに十五歳ほどにしか見えない姿になっている【メタモル】のマリ。二人をアサギ達は驚いた様子で迎えた。
「ああ、積もる話は返事について説明した後にして。私はないけど、マリはあるでしょ?」
「分かってる。あ、でも最初に謝らないと。ごめんね、三人とも」
そう言って、軽く頭を下げて謝罪するマリにアサギはもちろんテンドウとショウコも困惑した。
「いや、なんでお前が謝るんだ?」
「ああ、謝るなら六道に利用されている事に死ぬまで気が付かなかった俺達の方だろう」
「『オリジン』の事じゃなくて、こっちでの事よ。三人がオルバウムに居るのを知っていたけれど、今まで連絡しなかったこと」
すぐに頭をあげて、マリはそう言って笑った。
「関心がなかったわけじゃないけど、あの時は連絡したら絶対面倒な事になるって思ったから連絡する気になれなかったのよね。ほら、『ヴァンダルーの仲間になったのならあいつを説得してくれ』とか、『なんでお前までカナコ達の仲間になったんだ!?』とか、言われたら嫌だったし」
「あんた、本当は悪かったとは全く思ってないよね?」
朗らかな口調で、【メタモル】で声帯を変化させてアサギの声と口調を真似て応えるマリに、ショウコは苦笑いを浮かべた。
「まあね。前世での負い目はお互いに忘れて話を聞いてくれると助かるわ」
マリ個人としては、テンドウとショウコ、そしてアサギにも含むところはなかった。【ブレイバーズ】だった頃は、何かと暑苦しいアサギに対して面倒臭さを感じたり、呆れたりした事はあった。うんざりさせられた記憶もある。しかし、それだけといえばそれだけだ。
何かと暑苦しい奴だけど、仲間。もしくは同僚、または戦友。親友だとまで思ったことは一度もないが、憎んでいたわけではないのだ。
現在進行形でヴァンダルーの悩みの種になっているのは、頂けないが。しかし、今回でそれが穏便に収まるならそれが最良だと思っている。
そしてテンドウやショウコに対しては、悪感情を覚える程深い付き合いをしたことはなかった。
六道聖……ダークアバロンから助けてくれなかったことも、それは他の【ブレイバーズ】も同じだ。なので、思うところはない。
「ちなみに、ここにカナコ達がいないのは、いたら確実に揉めるから。揉めなくても、後々になって『あの時納得したのは、カナコの【ヴィーナス】で記憶と感情を操られたからだ』ってアサギが言い出したら、ヴァンダルーが本気で怒る。そうなるとテンドウやショウコ、それにビルギット公爵が気の毒だから、だって」
「お、おい、いくら俺でもそんな事は――」
「アサギ、お前なら言い出しそうだと思われるほど信用が無いって意味だ」
「それで、手紙の返事は?」
アサギが出した手紙には彼が危機感を覚えた事について、何故危機感を覚えたのか、そしてどうするべきだと考えているのかをいくつか書き連ねてあった。
「じゃあ、本題に入るわね」
それに対する返事であるヴァンダルーの手紙も、それなりの長さになっていた。封筒から取り出したそれを、プルートーが読み上げる。
「アサギ・ミナミ殿へ。我が国の政策に関する質問、疑念、要望など様々ありましたが……我々にそれに応える義務は一切ありません」
「っ!?」
しかし、初めからはっきりと拒絶され、アサギが目を見開いて驚愕する。手紙の返事だけでなく、それを説明するためにマリ達まで来たので、もっと柔らかい返事を期待していたのだろう。
しかし、アサギが書いた手紙を何度も繰り返し添削したテンドウとショウコは、半ば納得したような表情を浮かべていた。
「何故なら貴殿は我が国に仕える文官でも、武官でも、ましてや国民ですらない。友好関係にあるとはいえ、他国民の冒険者でしかない。
そのような人物に我が国が今後執る政策や施策、方針を説明する事はできません」
何故なら、プルートーが読み上げたようにヴィダル魔帝国皇帝であるヴァンダルーにとって、アサギは他国民の冒険者だからだ。そんな相手に国家機密に相当する情報を渡す義務はない。
「アサギ、この世界の国家には広報部も報道官も存在しないのよ。人権もしっかり定義されていない世界で、知る権利が保障される訳がない。
こうした情報を知りたければ、今ならどこかの公爵領の外交官になるしかないだろうけど……まあ、無理よね。明らかに向いていないもの」
「いや、だけど、俺は同じ『地球』や『オリジン』から転生してきた、同じ境遇の転生者としてあいつに聞いて欲しい事があってだな――」
プルートーから伝えられた伝言、そしてマリにそう説明されてもアサギはこの拒絶に納得できない様子だった。しかし、それはヴァンダルーも予想していた。
「しかし、無回答では貴殿は納得しないと思われるので特別に回答します。なお、この情報はこの場で留めてください。貴殿とその仲間が情報を流布したと判断した場合は、相応の処置を行います」
そうプルートーが返事の続きを読み上げると、アサギは顔を輝かせ、テンドウとショウコは「知らない方が良いんじゃないか?」と顔を顰める。
「まず、世界征服でも目指すのかという質問について。武力での征服も、経済的侵略も、宗教的な内部からの浸食も、どれもこれも目指しませんし、考えてもいません。……うん、これは私も保証する」
「私も。アサギは疑っているようだけど、ヴァンダルーが超大国の為政者になったのはだいたい成り行きよ」
アサギはヴァンダルーが世界征服を狙っているのではないかと不安を抱いていたらしい。もっとも、これはアサギだけではなく、オルバウム選王国の貴族なら同様の不安を一度は覚えている。アミッド神聖国は、もっとはっきりと「ヴァンダルーは世界をその闇で包むつもりだ」と民衆に繰り返し訴えている。
しかし、ヴァンダルー本人にそのつもりはなかった。そもそも、オルバウム選王国にこのタイミングで正体を明かすことになったのも、ダークアバロンこと六道聖の陰謀が原因だ。彼にとって、予期せぬアクシデントだったのである。
それ以前の行動も、ヴァンダルーは別に支配者になろうとしたわけではないし、領土を増やすために行動してきたわけではない。彼の目的である自己幸福の追求のためには、ある程度の財産と社会的地位が必要だと求めたが、名誉貴族になれればそれでいいと考えていた。
「信じられないのなら、簡単にだけど経緯を説明してもいいわよ。聞いているし、話してもいいって了解はもらっているから」
「経緯が成り行きだったとしても、それが可能な力を手に入れた事まで成り行きな訳がないだろ! 成り行きで魔王を倒せたら、誰も苦労しない!」
そう訴えるアサギの言葉も、一理ある。しかし……。
「ヴァンダルーがその力を手に入れた原因なら、ロドコルテでしょ。ヴァンダルーが『地球』から『オリジン』に転生する時、ロドコルテが雨宮寛人に間違えて与えた彼の分の能力と属性魔術への適性、それに幸運をしっかり彼に与えていたら、ヴァンダルーは今とは全く違った存在になっていたはずよ」
プルートーの指摘に、アサギは思わずうっと呻いて黙り込んでしまった。
ヴァンダルーが『ラムダ』世界に転生した後、赤子の内に母であるダルシアを殺されても生き残ったのは、グールの集落でグールキングとなりノーブルオークと戦って勝利できたのは、タロスヘイムを復興できたのは……そしてその後に続く諸々の出来事を成し遂げ、勝利してきたのは、彼の努力もそうだが死属性魔術と莫大な魔力によるところが大きい。
だから彼は狙わず成り行きで、そのお人よしさや善意で見捨てたくない者を見捨てず、守りたいものを守り、忌々しい存在を踏みにじって、今の立場に至ったのだ。
それは成長限界を無くした【ヴィダの加護】によるところも大きいが、やはり全てのきっかけになったロドコルテの手違いのお陰である事は否定できないだろう。
もしロドコルテがヴァンダルーにそれらを与えていれば、彼は軍事国家の研究所に幼くして売られずに済んだ。そもそも他の属性の適性があれば死属性に目覚める事もなく、能力や幸運が与えられていればその分魔力も抑えられていたはずだ。
「そもそも、魔王グドゥラニスに砕かれたザッカート達の魂の欠片を無理やり纏めて一つの魂にするなんて事をしなければ、存在もしていなかったんだけど……まあ、そこまで遡らなくても、あの時ロドコルテがしっかりしていれば、今の状況はなかった」
『オリジン』で死属性魔術が発見されず、プルートー達は少なくとも死属性魔術の研究や実験には使われない。……他の実験に使われていたかもしれないが。
六道聖も死属性魔術の研究にのめり込むことはなかった。他の陰謀を企んでいただろうが。
マリも、海藤カナタに復讐した結果特製の独房で残りの人生を過ごすことになったかもしれないが、六道に利用される事はなかった。
ヴァンダルー本人は天宮博人として、今も『オリジン』世界で生きていたかもしれない。
それはつまり、ダルシアは復活せず別人の魂が宿っている彼女の息子も死に、ザディリス達グールは寿命で死ぬかノーブルオークのブゴガンに敗れ、タロスヘイムは今も廃墟で、レビア王女達は今もハートナー公爵領のナインランドの城の地下でゴーストとして彷徨っている事を意味する。さらにいえば、『悦命の邪神』ヒヒリュシュカカとそれを奉じる邪神派吸血鬼の組織も健在で、境界山脈の内側は『解放の悪神』ラヴォヴィファードを奉じる勢力が牛耳っていたかもしれない。
サウロン公爵領のスキュラはレジスタンスに利用され、アルクレム公爵領では『共食いと強奪の邪悪神』ゼーゾレギンが潜み続けいつか災いを為していただろう。
なので、ロドコルテのミスをきっかけに、世界に大きな影響を与えたとも言える。
「といっても、私達はロドコルテに感謝しないけど。ロドコルテは意図して憎まれ役を買って出て、ヴァンダルーに試練を与えたわけでもない。ただ、ミスをしただけ。
苦難を乗り越えたヴァンダルーが偉大なのよ」
ヴァンダルーが好むので呼び捨てにしているプルートーだが、彼を信仰している事に変わりはない。そう断言する彼女の瞳には、はっきりと彼を讃える意思があった。
アサギにとってはそれが危険に思えるのだが、彼女とマリの指摘が間違っていないのは事実。そして、彼女の言う試練をヴァンダルーが乗り越えるのに、彼の仲間であると主張する自分自身が何の力にもなっていない事を無意識に理解しているため、言い返す言葉が思いつかなかった。
「プルートー、アサギもヴァンダルーが望んで世界で存在感を増している訳じゃないって納得したようだから、次に行きましょう」
「そうね。次は……死属性魔術や【魔王の欠片】を使ったマジックアイテムをこのまま広めるつもりなのかという質問だけど、イエスよ」
「っ! 待てっ、変身装具ってお前達が呼んでいるアイテムや義肢は別にいい。だけどブラッドポーションやVクリームは、本当に人体に副作用はないのか!?」
「その害っていうのが、影響という意味ならあるわ。導かれた人の内人種の場合は冥系人種、ドワーフはドヴェルグ、獣人は冥獣人へと、種族が変化するの」
マリは冥系人種などに関してさらに詳しく説明するが、アサギはより危機感を覚えたようだ。変化するとともにヴァンダルーに導かれ、彼を支持するようになる点が彼にはポーションやクリームの効果に誘惑された人々を変異させ、洗脳しているように思えたのだろう。
「アサギ、それは順序が逆だ。説明をよく聞けばわかるが、薬を使ったから変異して導かれる訳じゃない。導かれた人が、薬の効果で変異するんだ。
ヴァンダルーに導かれない人には、ただの薬に過ぎないんだ」
「それに、種族が変わるといっても……この世界、特にヴィダの新種族が多い社会ではそれほど問題になるとは思えないよ」
だが、そのアサギが口を開く前に宥めるような口調で説得に回ったのはテンドウとショウコだった。
「テンドウ、ショウコ、二人とも本気か!? 寿命がなくなるんだぞ。大勢が不老不死になったら、今は良くても将来国や社会が――」
「たしかに、『地球』や『オリジン』でなら大問題だったな。『地球』や『オリジン』には、人間しか存在しないから、人間に適応した社会しか存在しない」
「でも、ここは異世界なんだ。人種はたしかに百年も生きないが、ドワーフや獣人種の寿命は約二百年、グールや巨人種は約三百年、エルフは五百年で、ダークエルフは千年も生きるんだよ。人間から見れば、不老とそんなに違わないじゃないか」
ショウコが言うように、この『ラムダ』世界には『地球』の人間よりも寿命が長い種族が多い。そんな世界で人間の寿命がなくなり、数百年から数千年生きるようになったところで大きな変化とは言えないだろう。
それに、冥系人種に変化すると生殖能力が落ちる傾向にある。一組の夫婦が何百年もの間子供を何百人と生み続けられるわけではないのだ。
「それに、魔人族や吸血鬼は元々寿命がないし」
「たしかに将来的に人口爆発なんて事も起こるかもしれないが、それは数百年後だ。今から起こり得る問題を推測して解決に取り組めば、数百年後には解決策が見つかっているかもしれない」
「それは問題を先延ばしにしているだけじゃないのか!?」
「先延ばしにするっていうのは、問題に取り組むことをせず放置する事だろう。解決を目指して取り組み続ける事を、先延ばしとは言わない」
プルートーは、『地球』や『オリジン』で生きていた人間の価値観からヴァンダルーの行動やその影響を問題視するアサギを、テンドウとショウコが積極的に言い聞かせて宥めている様子を意外そうに眺めていた。二人が宥め役になる事は予想していたが、意見をぶつけてまで止めるとは思っていなかったのだ。
実際、寿命がなくなった未来で人口爆発が起きた場合どうするのか、ヴァンダルーは根本的な解決方法を持ってはいない。とりあえず、魔王の大陸の地上部分や魔大陸のまだ人が住めない部分を開墾すれば、数十億人以上暮らせるはずだと考えている。
ダンジョンを創り居住区として利用すれば、二百憶でも三百億でも可能だろう。
それ以上増えた場合は、まだ漠然と「じゃあ、宇宙でも開墾しましょうか」としか考えていない。
……ちょっと前に山脈を動かしたヴァンダルーなら、数百年後には惑星を入植可能に改造できるかもしれない。
しかし、人口が増えるペースが一定とは限らない。早まる可能性もあるが、逆に少子化が進む場合もある。
実際、『地球』では日本以外の先進国でもマリが生きていた時代から少子化が社会問題になっていた。
「じゃあ、アサギも納得したようだから次の質問というか、要望に対する答えだけど……」
アサギが二人に諭されて何も言えなくなったのをしばらく眺めてから、プルートーは手紙を再び読み上げた。
「カナコを危険視する質問や要望は、答える価値及び理由なしと判断します、以上。だって」
「やっぱりか! でも、あいつは都合が悪くなれば――」
「裏切るっていうんでしょ。カナコの都合が悪くなることは向こう千年ないだろうから、心配しないで。それに、仮にカナコが裏切るとしても、裏切られるのはあなたじゃなくてヴァンダルーでしょ。あんたには関係ないから、口を挟まないで」
そう言うプルートーには……他のレギオンの人格たちも、カナコがヴァンダルーを裏切る局面が想像できないか、できたとしても酷く現実味のない状況になってしまう。
しかし、それをどれだけ説明してもアサギは信じないだろう。実際、カナコは一度彼らを裏切っていて、彼にとってはそれが全てだろうから。
カナコ自身も『アサギは絶対あたしの事を信用しないでしょうから、信用してもらう必要はないと思います。もし仮にあたしがヴァンを裏切っても、あんたには関係ないでしょ、って方向で言っておいてください』と言っていた。
実際、ヴィダル魔帝国の国民でもないアサギはカナコがヴァンダルーを裏切ったとしても、直接影響は受けない。『オリジン』で彼女に裏切られたとしても、ここは『ラムダ』である。異世界で、しかも前世で行った犯罪行為を罰する法はないし、裁く法廷も存在しない。アサギも、彼女を訴えられる証拠を何も持っていない。
ヴァンダルーに他人と定義されている限り、アサギが口出しできる筋は無い。
「だったら、あのザッカート街はどうなんだ? あれはオルバウム選王国の首都だ! 俺にだって口を出す権利があるはずだ!」
なので、アサギは自分が手紙に書いた次の話題を出す。彼は元々スラム街だった場所が瞬く間に復興し、ザッカート街となった事自体は良い事だと思っている。
しかし、新たな住民として復活したデーモンやアンデッド達は、全員がヴァンダルーを称え、信仰し、神殿を建立しようとし、像が建立されている。
死者をヴァンダルーが疑似転生させ、自身の支持者を増やしていく様子を見たアサギは危機感を覚えたのだ。
「それに、使い魔王の事だ。六道が事件を起こした時に改めて気が付いたが、使い魔王は分身であって分身じゃない。あれは、ヴァンダルーの端末だ。そうだろう?」
「ん? ええ、そうだけど、それがどうかしたの?」
「どうかしたの、じゃないだろう。あいつが使い魔王を町中に放てば、それだけであいつは全てを監視できる! これを恐ろしいとは思わないのか!?」
「……悪いけど、あなたが何を言っているのか、理解できない」
アサギの主張を、プルートーは理解できなかった。
「皆は理解できる?」
「いいや」
「さっぱり」
「はっはっはっは! 不可解で気分が悪いな!」
「瞳は?」
「たしかに私は同じ転生者だけど、私にも理解できないわ」
ゴースト、バーバヤガー、ワルキューレ、シェイド、瞳に目まぐるしく表に出る人格を変えるが、アサギの主張を理解できる人格はいなかった。
ヴァンダルーが監視する事の何に問題があるのか、彼女達は理解できない。人々は祈るではないか、『どうか見守っていてください』と。神仏や先祖や亡くなった親兄弟や恋人に。なら、神であるヴァンダルーに見守られる事に何の問題があるのか。
もちろんレギオンを構成する人格達も、ヴァンダルーを神として信仰しない者がいる事を理解している。しかし、そうした者達がヴァンダルーに見守られる事を、問題があると考えた事はなかった。
『オリジン』では人々はあれだけ監視されていたが、自分達のような一部の例外以外は気にも留めていなかったではないかと。
防犯カメラ、監視カメラ、個人が持つ携帯端末のカメラ、ドライブレコーダー、使い魔やゴーレムに搭載されたカメラ、そして人工衛星。おかげで『オリジン』世界で生きていた頃は、どれだけ苦労させられたか。
実際、タロスヘイムの人々は誰も使い魔王に見守られる事に抵抗やストレスを覚えていない。慣れた人では、携帯やメディア、ゲーム機代わりにしているほどだ。
友達と連絡を取りたいときに、近くに居る使い魔王に友達の名前と伝言を言う。すると、その友達の近くにいる別の使い魔王がメッセージを伝えてくれる。
おすすめの飲食店やその日にあった出来事が知りたければ、使い魔王に聞けばいくらでも話してくれる。
暇なときに話しかければ、簡単なゲームに応じてくれる。ただ、ボードゲームは何故か弱いので簡単に勝ててしまうが。
レギオン達が、ちょっと甘えすぎではないかと思う程タロスヘイムの民は使い魔王に親しんでいる。もし仮にアサギがタロスヘイムで使い魔王廃絶運動を展開した場合、民から総スカンを受け、場合によっては血の気の多い国民と暴力沙汰になりかねない。
だというのに、何故危険だと訴えるのか。レギオン達には理解できない。
一方、アサギは構成する人格に元【ブレイバーズ】の見沼瞳も含めたレギオンが理解できないでいる事に驚いていた。しかし、彼が何か言う前にマリが口を開いた。
「つまりアサギは、ヴァンダルーがとってきた政策や言動に依らず常に自分を支持する絶対的な支持者を増やすことに危機感を覚えている。
そして、『地球』では防犯カメラや携帯のカメラ毎に、別々の企業や団体、個人が管理している情報を、国を支配しているヴァンダルー個人が管理していることが、危険だと言いたい。そういう事よね?」
アサギと同じように『地球』から転生してきた元ただの学生のマリには、彼が言いたい事が分かった。
ヴァンダルーの行動から、彼は独裁者による強固な監視体制が敷かれたディストピアになるのではないかと危惧しているのだ。
実際、マリが使い魔王だらけのタロスヘイムを見た時、なんとなくディストピアっぽいなという思いが彼女の心によぎっていた。
これはレギオン達だけではなく、情報社会を経験した事がないこの世界の住人は殆ど思い至らない危険性だろう。そして、ヴァンダルー本人は問われても上手く説明できないだろう。
「そうだ。分かってくれたか、マリ」
「ええ、でも大丈夫だから。ヴァンダルーに限って、それはない」
しかし、分かったがそれは外から見た考えだとマリは思っていた。
「ヴァンダルーならそんな事はしないっていうのか?」
「しない、じゃないわ。できないのよ。そもそも、経緯が違うのよ」
ヴァンダルーは狂信的で絶対的な支持者を創り出そうとしている訳でも、国民を監視しようとしている訳でもない。
支持者を増やすためにいろいろしているが、狂信や冷めない熱狂までは求めていないのだ。
ただ、少し手間をかければ助けられる人達を、少しの手間を払って助けただけ。その結果、導かれて狂信的で熱狂的な支持者になってしまったのだ。
監視についても、最初は侵入者から仲間を守るために設置した監視用ゴーレムやアンデッドから始まっている。そしてヴァンダルーは、タロスヘイムの王になってからも国民と気軽に接し続けている。だから、【完全記録術】スキルを手に入れた事で、国民の名前と顔を全て記録したのだ。
そして、ゴーレムやアンデッドよりもすぐに反応できる使い魔王をタロスヘイムに配置するに至った。
「だから、独裁者にはならないっていうのか?」
「そもそも、そんな事をする必要がないから大丈夫」
自分の説明を聞いてもまだ納得しきれていない様子のアサギに、マリはそう保証した。
国民を監視しなくても、ヴァンダルーが反乱やクーデターを起こされる事はない。タロスヘイムの都市機能は、ヴァンダルーにほぼ依存しているからだ。死属性魔術が使えるマリや冥でも同じ事はできるが、必要な魔力を賄う事は到底できない。
そもそも、アサギが危惧する絶対的な支持者はヴァンダルー以外の支配者を認めない。彼らは、アサギが考えているよりずっと狂信的なのだ。
「手紙の返事は、読み上げなくていいわね? マリの説明の方が分かり易かったから。
それで最後の質問の答えだけど……民主主義国家を作るつもりはありません」
『地球』の平和な日本の価値観を持つアサギにとって、もっとも正しい国家形態は人権が保障された民主主義国家だ。『ラムダ』世界の国々でも、いずれそうなるのが正しいと彼は考えている。そして、ヴァンダルーのように力のある立場なら、そうするのが正しいと信じている。
「何故なら、独裁者に成るつもりはないからです。だって」
しかし、ヴァンダルーが支配する国では民主主義こそ独裁国家になり得る政治体制である。
何故なら、国民はヴァンダルーが強固に反対しても彼の巨大神像を建造する程彼を支持している。そのため、ヴァンダルーが立候補する限り、無条件に彼に投票するだろう。そもそも、ヴァンダルー以外立候補者が出ないかもしれない。
ヴァンダルーが立候補しなければ解決かというと、そうでもない。立候補する者達が国民に訴えるのは自分達がどれほどヴァンダルーの考えを理解し、彼が望んだ治世を行えるかになるだろう。
もしくは、ただ単にヴァンダルーが立候補するまで国民全体で選挙をボイコットするだけかもしれない。
いずれにしても、ヴィダル魔帝国をディストピアにしないためにはヴァンダルーが頂点に存在し続けなければならないのだ。
そうプルートーから説明されたアサギ、そしてテンドウとショウコもそこまでとは思っていなかったのか、思わず絶句していた。
「最後に、ヴァンダルーから伝言。俺に対して反対意見があるのは、別に構いません。誰もに賛成され支持されるとは考えていないので。ただ、俺にとってあなた達はそうした反対者の一人でしかありません。
そして、反対運動はまっとうにこの世界に即した形で行ってください。……ファゾン公爵領でアルダ勢力に加わった場合は、他の敵と区別しません」
ヴァンダルーがしようとする事に反対する者は、アサギ以外にもいくらでもいる。彼らはカナコのライブを音楽と認めず、グールをヴィダの新種族と認める事に反発し、ザッカート街の存在を忌々しく思っている。
アサギは面倒な事以外はそうした者達の一人でしかなく、それだけなら殊更排除する理由にはならない。……ファゾン公爵領に行って、敵に加わらない限り。
「……分かった。ヴァンダルーに伝えてくれ。俺はしばらく、この世界に即した形ってのを考える事にする」
それがアサギにどれほど伝わったかは不明だが、そう言って座り込んだ。その様子を見たテンドウとショウコは安堵のため息を深々と吐いた。
アサギにとっての間違いは、『地球』と『オリジン』と比べて大きく異なるこの『ラムダ』世界で、赤ん坊として両親の元に生まれて育つことを選ばず、少年の体を得て転生した事だ。そのため、この世界の価値観を学ぶ機会を逃し、それ以後も同じ転生者であるテンドウとショウコと行動を共にして二人以外を仲間と見なさなかった事で、この世界との齟齬に気が付くのが遅れた。もしくは、気が付いてもそれはこの世界が間違っているのだと単純に思い込んだ。
それを矯正する事ができれば、テンドウとショウコの苦労が少しは減るかもしれない。
しかし、ヴァンダルーにとっては自分に関わってこない限りこの世界に無数にいる他人の中の一人の話である。
次の話は7月30日に投稿する予定です。




