三百七十八話 絵を踏む公爵達と原理主義からの卒業
三百六十以上の骨、腱、軟骨、神経、血管、筋肉、脂肪、脳、眼球、鼻、耳、唇、心臓、肺、胃、肝臓、腎臓、膵臓、小腸、大腸、卵巣、子宮……。
それら必要なパーツを全て組み立てた状態で一度に作るのは、【メタモル】の力を使っても楽な事ではない。
物理的に不自由だし、大量の栄養を継続的に必要とするし、食事をし続けなければならないから胃もたれするし。
おかげでまだ三分の二ぐらいしか進んでいない。
「私としても初めての試みだったから、これで上手くいくなら今後も続けようと思ったけど……もう暫くはごめんだわ」
そう本音を吐露するマリの背後から、不健康な青白い肌をした腕が二本伸びてきて彼女を抱きしめる。
「本当にありがとう……この恩は永遠に忘れないわ」
そうマリの耳元で囁くのは、十代半ばの少女の外見になった彼女より幾分年上に見える女だった。緩くウェーブのかかった髪を伸ばしっぱなしにした、青白い肌の女。髪の間から見える片方の目や鼻、唇などの造作は整っており、美しいと言える。
しかし、ぼそぼそとした口調や纏っている暗くじっとりと湿ったような雰囲気、そして何より瞳が彼女の印象を決定づけている。何かを煮詰めたように暗いのに、炯々と怪しげな光が隠れることなく灯っているのだ。
そのため、女性を見た者は美しさや色香、可憐さなどよりも近づきがたい危うさを……それも抜き身の刃ではなく毒のある花のような印象を持つだろう。
そして、背後から彼女達を見た者は、何も知らなければ自分の感性が正しかった事を確信するだろう。何故なら、マリに背後から抱き着いている女には下半身が無かった。女の腰から上はマリの背中から直接生えていたのだ!
「うん、まあ私も加護をもらうのと他の神様への口利きを約束してもらったからやってることだしね。加護はもう先払いでもらったし。
気にしないで、バシャス」
だが、女性の正体は恐ろしい怪異ではなく『雨雲の女神』バシャスだった。腰から上がマリの背中から生えているのは、マリの【メタモル】によって肉体を創っている途中だったからだ。
バシャスはれっきとした女神だ。天候を予想する事で功績を残した女性が死後、魂を昇華された事で生まれた善神である。現代では主にアルクレム公爵領の一部でしか信仰されていなかったり、大雨による水害等の凶兆を報せる神であるため不吉がられたりするが、慈悲深い女神であるとされている。
「それとも女神様って呼んだ方がいい?」
「そんな、呼び捨てでいいのよ。私とあなたの仲じゃない」
「えっ? いや、仲って言われても……?」
「血や肉を分けた姉妹だって言ってくれたの、覚えているわ。私、人間だった頃は友達が少なかったから、心の友とか真の友とかに憧れていたの」
しかし、慈悲深い女神であるとされている事と彼女が現代日本でいわゆる地雷とか重いとか評される、ヤバイ性格の持ち主である事は矛盾しないのだ。
「いや、そんなアーサーみたいな事を急に言われても戸惑うんだけど?」
バシャスが英雄候補に選んだ強面だが純粋な好青年であるアーサーは、妹と幼馴染もそろってすぐ人に対する好意がランクアップする性格の持ち主だった事を、マリは思い出した。
もしかして、アーサーがアルクレム公爵領でも信者の少ないバシャスを信仰していたのは、自分に似た部分があると感じたからだろうかと思ったが、それはマリの勘違いだった。
「そうよね、ごめんなさい、私ったらつい嬉しくて。慌てちゃダメよね、まずはお友達になって、お互いの事を良く知る事から始めないと!
……でもあなたは私の事をすごく信頼してくれているし、私もあなたを加護するくらい信頼して愛している。これはもう、友達以上の関係だと思うの」
数少ない信者の中でも才能に恵まれ、純粋な好青年であり、さらに自分と似た部分があるアーサーをバシャスが見込んで加護を与えたのだ。
考えてみれば加護を得る前は、強いだけの猟師であったアーサーに神の性格を感じ取るなんてできる訳がないのだ。
このバシャスの言動を見聞きすれば、女神がこんな性格でいいのかと考える者もいるだろう。
マリも一瞬だがそう考えた。しかし、彼女がママと慕う幼女の守護者であり彼女が神と奉じる少年の事を思い出し、すぐに考えを改めた。
(それに、アーサーに似ているなら実害があるようには見えないのよね。女神だし、言っている事も……まあ、女神だし)
マリはそれほどアーサーと面識はない。初めて会話らしい会話をしたのも、彼から「バシャスの依り代を作ってほしい」という依頼を聞いた時、つまり最近だ。しかし人伝に彼の人柄を聞いていたし、裏表のない人物なので短い出会いでも分かり易かった。
それに、こうして【メタモル】で体を作る相手なのでバシャスについてマリ自身も聞き込みを行った。
ダルシアによれば「ヴィダがいうには寂しがり屋だけど良い娘みたい」、そしてタロスによれば『あれはなかなかいい女だと思うぞ!』という評価だった。ルヴェズフォルはほぼ会った事が無いそうなので、参考にはならなかったが……概ね、気をつけろとか近づかない方がいい等の警告を含まないプラス評価だけだった。
すぐに好意がランクアップするのも、考えてみればマリは既に彼女の加護を得ているのだから当然かもしれない。
そう、背中で彼女と繋がっているので逃げられない状態で考えていると、不意にドアがノックされた。
「マリ、お代わりを持ってきましたよ。バシャス、具合はどうですか?」
扉から、料理が載ったワゴンを押してヴァンダルーが現れた。
「ありがとうっ、頂きまーす!」
「ええ、愛しいマリが作ってくれた依り代は素晴らしいわ」
本来ならマリ一人でバシャスの肉体を完成させ、ヴァンダルーを驚かせる予定だったのだが……人一人分の肉体を作るのが想定していたよりも難しかったため、打ち明けて協力してもらったのだ。
ただ、マリの背中からバシャスの上半身が生えている光景を見たヴァンダルーは、驚いてはいたのでサプライズには成功したと言える。
「しかし、驚きました。マリがバシャスと親しいとは思いませんでした」
意図していたのとは違う方向の驚きだったが。
「まあ、色々考えるところがあって。この世界は複数の神様を信仰しても問題ないみたいだし」
『ラムダ』は複数の神が協力して世界の維持管理に当たっている世界だ。そのため、神殿に勤める聖職者以外の人が複数の神に祈るのは普通の事として扱われる。
ただマリの場合は普通とは順序が逆で、依り代になる体を作る依頼を受けたから加護を受けられるよう信仰するようになったのだが。
「……バシャス本人にも、それにヴィダやタロスにも何も言われなかったけど、信仰ってこんなのでいいの?」
『地球』や『オリジン』の常識を知るマリとしては、若干自分の『信仰』の在り方が不純ではないかと気になったらしい。他の神ならともかく、本命の信仰対象であるヴァンダルーの前であるし。
「問題ないと思いますよ。神殿に勤めて信仰の道に生きるのならともかく、マリは違いますし」
ヴァンダルーはそんなマリに、友人兼保護者のような感覚で答えた。
神が存在し信者に加護を与え御使いを派遣するこの世界の信仰には、現世での利益を得るという目的が含まれている。
もちろん、厳しい修行をして心身を鍛えて人々の心の支えになるべく活動する道もあるし、それに進むことを選ぶ者も少なくない。しかし、そうでなかったとしても恥じる必要はない。
「それに、俺だって神を信仰するのは自己幸福の追求の一環という不純な理由です。その俺が認められているのですから、大丈夫です」
「ヴァンダルーの言う通りだから大丈夫。気にしないで、愛しいマリ」
「ありがとう、でも人前で愛しいマリって言われるのはちょっと。あと抱きつかれるのもちょっと……」
「そう言えば、服がまだですね。とりあえず編みますね」
バシャスがまだ何も着ていない事に遅ればせながら気が付いたヴァンダルーは、口から糸を吐いて彼女の服を編み始める。
「ところで、そろそろオルバウムで大事な話があるんじゃなかったの? だから、てっきり私達のところに来てくれるのは分身か使い魔王だと思ってたんだけど」
「ふしゅるるる。俺にとってはこちらの方が重要なので、こちらを優先しました。ふしゅるるるる」
口から糸を吐き、服を編みながら質問に答えるヴァンダルー。蚕もびっくりの器用さである。
「ああぁ、とっても嬉しい。でも、選王達も出席する会議でしかも主役はヴァンダルーなんだから、使い魔王じゃなくて本人が出席してあげないと気の毒だわ」
「分かっています。料理を運んで二人の容態も確認したので、バシャスに服を編んだらすぐに行きます。……念のために確認しますが、これはプロポーズの類ではなく、ただのプレゼントです。良いですね?」
ヴァンダルーとしては、そう言ってディアナと同じ展開にならないように予防線を張ったつもりだった。
子供ができたのは喜ばしいが、無計画に増やすべきではない。まだ獣神ガンパプリオの骨がある。
「ぷ、プロポーズだなんて……ふ、ふふ、ふふふふふ」
しかし、バシャスは頬を赤く染めると、マリの髪に顔を埋めて笑い声をあげ始めたのだった。
「バシャス、足、もうできたから離れていいからね。それとヴァン、藪蛇だと思う」
「俺もそんな気がしました。ふしゅるるるる」
オルバウム選王国の首都、オルバウムは今年の六月に未曽有の危機に襲われ、人的被害は抑えられたものの殆どの建造物が被害にあう等、民が元通りの生活を取り戻すのに何年かかるか分からない程の被害を被った。
本来ならオルバウムを放棄して、遷都していただろう。
それが僅か三か月足らずでほとんどの建造物が……城や城壁、各ギルドや大規模商会の建物だけでなく、一般市民が暮らす住宅まで、全て修復され、建て直されている。
そして六月まで社会問題となっていたスラム街は、様々な商店のテナントが入る商業区画、ザッカート街として再生した。
オルバウムは元通りに再興されたのではない。以前よりもずっと栄え、都市としての生命力に溢れている。
「お祖母ちゃん、すっかり元気になったね!」
『ああ、今じゃお前達を抱えて空を飛ぶ事だってできるんだ。もう年寄り扱いはさせないよ』
「お、お母さん、無茶はしないでくださいね!」
「おう、てめぇ肩がぶつ……かってしまってすみませんでしたぁ! 以後気を付けますぅ!」
『こちらこそすみませんでした。角、痛くありませんでしたか? カバーをしているのですが』
「お気遣いなくぅっ! だから言ったでしょう兄貴! もうその手口は通用しないって!」
その代償に、住民にデーモンやアンデッドが混じる事になったが。彼らは事件で不運にも命を落とした者達で、ヴァンダルーによってデーモンに疑似転生した者達である。
娘と孫をそれぞれ左右の肩に乗せた有翼のデーモンは、事件の前までは腰の曲がった老婆だった。当たり屋のチンピラを気づかず撃退した頭部や肩や肘、膝から角を生やしているデーモンも、事件の前までは気の弱い青年だった。
他にもスケルトンの群れに見えるクノッヘンの分体達が『おぉぉん』と鳴きながら通りを横切り、ヴィダの新種族として正式に認められたグールが屋台で軽食を購入し、外との出入りが自由になった自治区から来たばかりらしいケンタウロスのキャラバンがオルバウムの様子に驚いている。
これが事件から復興した事による代償だというのなら、甘んじて受けるべきだろう。
「そう言えばお母さん、境界山脈が動いてサウロン公爵領とミルグ盾国の国境を閉じてしまったって噂になっていたけど、本当かしら?」
『何を言ってんだい。山脈を動かすぐらい、あのお方にとっては簡単な事だよ』
そしてデーモン達は、ヴァンダルーが山脈を動かしたのは当然の事として解釈していた。
だが、クノッヘン城に会議のために集まったコービット選王達にとっては当然の事とはいかなかった。
「山脈が動いた。そう聞いた時はついに執事の頭がどうにかしてしまったかと思ったが……まさか本当だとは思わなかった」
「せめて事前に根回しをしてもらいたかった」
「いや、されたとしてもそれはそれで困ったと思うが」
「はっはっは、儂としては引退の日が近くなったようでめでたい事ですがね」
境界山脈が動いたことに対してコービット選王達は悩み、愚痴り、ドルマド軍務卿のように笑い出す者までいる。
「事前に根回しをと言っても、仮にされたとしても意味はないだろう?」
「何を言われるか、メオリリス殿!?」
そして会議には、名誉貴族ですらないメオリリスが何故か出席していた。英雄予備校の校長を辞した今の彼女の身分はただの一般人だが、職を辞したからと言って元A級冒険者の実力とコネクションが無くなるわけではない。
集まっている貴族達は彼女を無下に扱う事はできなかった。
「そうだな、意味がないとは言い過ぎだった。政治的な意味が山ほどあるな。
事前に根回しをする事で、ヴィダル魔帝国がお前達に気を遣っているというポーズになる。そしてお前達はヴィダル魔帝国に気を遣わせたという実績を得る」
そうメオリリスが言うと、メオリリスに言い返した貴族は悔しそうに呻きつつも押し黙った。
「なるほど。書類としては残らないけれど、担当者や外交員同士ではそうした慣習の積み重ねが信用になると。勉強になります」
そして、ヴァンダルーは彼女の言葉に繰り返し頷いている。
「やはり事前の根回しは大切ですね、先生」
「もう先生ではない。今の私はただの雇われ冒険者だ。お前達に借りた分を返すまでは」
メオリリスがこの場に居るのは、ヴァンダルー達に対する借りを返すためだ。その借りとは、本来なら最低でも在学期間が一年である英雄予備校を、半年程で卒業させた事だ。それもパウヴィナやラインハルト達まで。
メオリリスはその借りを返すために、英雄予備校の校長の職を辞して冒険者に戻り、協力を申し出たのだ。
もちろん、ヴァンダルー達がそれを理由に要求した訳ではない。彼女自身の意志である。
「そんなに気を遣わなくてもいいですよ。パウヴィナ達も、今の情勢を考えれば妥当な時期だったと納得していますし」
「いや、教育者の端くれだった者としてそれではケジメが付かない。それに、私が必要なはずだ」
そういうメオリリスは元A級冒険者だが、戦力としてみればヴァンダルーにとって有用ではあるが必要という程ではない。A級冒険者相当の戦力なら彼女以外にもいくらでもいるからだ。
「ヴァンダルー、お前自身も自覚があると思うが……お前は政治に疎い。山脈を動かす前に根回しをするのを忘れていたのが、その証拠だ」
しかし、政治力が圧倒的に不足していた。
特に、時にはヴァンダルーに反対意見を言える常識的で狂信者ではない政治のブレーンが不足している。
チェザーレはいるが、アンデッドである彼はヴァンダルーの意向に従う事が多く、さらに言えば生前はミルグ盾国の武官であって文官ではない。弟のクルトも元武官であるため、どうしても専門家には一歩至らない。
ハドロス・ジャハン公爵やタッカード・アルクレム公爵達から助言も得ているが、彼らは友人であると同時にオルバウム選王国の公爵である。国政に関する相談を気軽に受けていい立場ではない。
そんなヴァンダルーにとって文官ではないが英雄予備校の校長として昔からオルバウムの貴族とコネクションを持ち、様々な交渉を纏めトラブルを解決してきたメオリリスは、必要な存在なのである。
「ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします、先生」
「いやだから、先生と呼ぶのはやめてくれ」
その様子を見て、ほっと胸をなでおろす貴族達。本来、政治の知識に欠ける者は彼らにとっては良いカモ……騙して利用するなり、助言して貸しを作るなり、色々する事ができる。
しかし、それが自国の軍事力を圧倒的に上回る強国の支配者なら話が別だ。
慣習をあまりにも知らないために、予期せぬトラブルが起こりかねない。そして、トラブルが致命的な事態……戦争にでも発展したら終わりだ。
ヴァンダルーが寛大だろうが、ダルシアがヴィダの化身だろうが、そうなる事を心配せずにはいられないのだ。
さらに、貴族達はメオリリスがこの場でもう一つの役割を果たしてくれることを期待している。
「しっかりした良い女だな。あんな良い女を放っておくたぁ、本当に枯れたんじゃねぇか、先輩様よ」
「お前のような万年発情期で女たらしのクソガキと違って、俺も彼女も大人なんだ」
怒気がぶつかり合い、ギシギシと空間が歪んでいるような錯覚を周囲に覚えさせながら、二人の男が睨み合っていた。
「誰がクソガキだ、こちとらあと十年もせず七十だ。人種の年の取り方がエルフと違うってことを忘れちまったか? それに俺は女を垂らした覚えはない! しっかり囲ってるだろうが!」
「いい加減現実を直視しろ、貴様のような人種の年寄りがいるか。それとも若いのは下半身だけで、頭の中は色ボケに染まり切ったのか? それと他人の色恋に口出しするな、野菜でも齧っていろ」
まるでチンピラのいがみ合いだが、それをしているのはアミッド帝国出身のS級冒険者『迅雷』のシュナイダー。そしてオルバウム選王国のS級冒険者、『真なる』ランドルフだったので貴族達は誰も止める事ができなかった。
ランドルフはまだ良い。大貴族はコネクションを持っているし、癇癪を起こして暴れるような人物ではないと誰もが知っている。
しかし、シュナイダーは違う。オルバウム選王国の貴族達は彼と会うのは初めてだし、噂では激怒して貴族を真っ昼間の大通りで撲殺し、それ以後もムカつく者は貴族だろうが何だろうが胸倉をつかみ上げて空に向かって投げ飛ばすという傍若無人さで知られている。そして、その噂は根も葉もないわけではなく厳然たる事実に基づいている。
そんな危険人物を制止する覚悟は、まだオルバウム選王国の貴族達にはなかった。静かに二人からできるだけ距離を取り、嵐が過ぎ去るのを待っていたが中々終わらない。
元々敵国を代表するS級冒険者同士、浅くない因縁があるのだろう。
実際、ミルグ盾国とサウロン公爵領の間に数日前まで存在した国境沿いや、その内外でお互いに受けた依頼で間接的に衝突している。
安全圏まで護衛するはずだった亡命希望者を捕獲されたり、護送するはずだった戦争捕虜を依頼開始前に救出されたり。
直接対決した事がないので、お互いに「やられた!」という悔しさが燻ぶっていたのだろう。しかし、だからと言ってシュナイダーが名実ともにアミッド側から抜けた今になって直接対決されては堪らない。
だからどうにかしてくれと、シュナイダーをこの会議に出席させた人物……ヴァンダルーに視線で頼むが、彼は目配せに気が付かなかった。
「二人とも仲が良いのは分かりますが、もうすぐ会議が始まるので少し静かにしましょう」
そして、ヴァンダルーはランドルフとシュナイダーの口論を深刻に見ていなかった。何故なら、睨み合う二人から殺気が全く感じられないからだ。
そのため、ヴァンダルーは二人のにらみ合いをただの口喧嘩と解釈してのほほんとしていた。
「ランドルフ、彼を子ども扱いするなら大人気ない姿を見せるな。私は仕事中なんだ、手間を掛けさせないでくれ」
「シュナイダー、自分を年寄りだって言うなら、少しは落ち着きってものを身に着けてちょうだい」
そこでメオリリスとリサーナの出番である。メオリリスがランドルフを、そしてリサーナがシュナイダーをそれぞれ止めると、二人は顔をしかめて顔を逸らすと口論を中断した。
「では、出席希望者も集まったようなので、ヴィダル魔帝国とオルバウム選王国の合同会議を始めてもらえるか?」
『そうしましょう。では、これより会議を執り行います』
その間に、シュナイダーとランドルフの怒気に当てられて会議室に入ってくることができなかった者達が席に着いたため、コービット選王とチェザーレはこれ以上トラブルが起きないうちにと会議を始める。
とはいっても、実はこれは普通の会議ではない。何故なら会議の趣旨はヴァンダルー達を含めたヴィダル魔帝国への質問と提案だからだ。
……本来ならアルダ神聖国やファゾン公爵領に対する対策を話し合うべきなのだろうが、山脈で遮られた敵国や敵対的だが今のところ鎖国状態のまま閉じこもっている自国の公爵領よりも、ヴィダル魔帝国との関係を深めるべきだというのが、オルバウム選王国の主だった貴族の認識であった。
「最初に俺から発表する事がいくつかあります。新しい山脈はアーク山脈と命名しました。エリザベス・サウロン公爵と協力し、山脈沿いに都市の開発と神殿の建立を行う予定です」
ヴァンダルーの発表を聞いた他の公爵やその名代達の羨むような視線が、緊張した様子で座っているエリザベスに集中する。
これまでサウロン公爵領は敵国と唯一国境を接している土地……敵国へ向けられた鉾であり、盾だった。しかし、これからは超大国であるヴィダル魔帝国とオルバウム選王国との出入り口……貿易の中継点となるのだ。
その利益は計り知れない。
「次に、我が国と貴国の大使館の設置ですが、ある条件を満たしてくれれば認めます」
「ま、誠ですか!?」
「おおっ! 条件とはいったい!?」
浮足立つ公爵とその名代達。大使館の設置は、信頼関係の構築と同時に情報収集のための公的な拠点ができる事を意味する。
そこで得られた情報は、突然現れたヴィダル魔帝国との付き合い方を考えるのに必要不可欠だ。
しかし、浮足立った者達はヴァンダルーが告げた条件の内容を聞いて二の足を踏んだ。
「もしアミッド神聖国、そしてファゾン公爵領が、我が国と戦争になった場合、我が国の同盟国として参加する事です」
それはファゾン公爵領……ほんの数か月前まで自公爵領で活躍していた精鋭や腕利きの冒険者と、戦争で戦うという意思確認だった。
すかさずクノッヘンの分体が書類を配る。そこに公爵の名でサインし、公爵家の紋章が彫られた判を押せば正式な書類となる。
魔術や呪いで縛られるわけではないが、この誓いを反故にする事は決定的な裏切りであり……ヴィダル魔帝国相手にやっていい事ではない。
「こ、この場での返答は――」
当然のように名代達は「この件は持ち帰って検討します」と返事しようとする。しかし、それを遮るように、鈍い音が四つ響いた。
「これでいいかね?」
「サインしたわよ、確認してっ」
「あー、そこのクノッヘンさん、持って行ってくれ」
「やれやれ」
ハドロス、エリザベス、ビルギット公爵、そしてタッカードが躊躇わずサインをして判を押したのだ。
それを見た瞬間、他の公爵や名代達はしてやられたと直感した。
通常、トップ同士が顔を合わせて行う会談で話し合う内容は、始まる前にある程度決まっている。事前に文官や外交員同士が繰り返し話し合い、検討しているからだ。
だから今回のような場合は、通常なら事前に根回しをしておくのだ。
そのため、これは通常の事態ではない。ヴァンダルー……ヴィダル魔帝国は各公爵領に踏み絵を迫ったのである。土壇場でアルダ側に寝返られないように。
(この場で全ての公爵が返事をできないのは織り込み済み。最初から一度持ち帰らせて、返事を迫るつもりだったが……ビルギット公爵までこの場で返事をするとは思わなかった。もしや、予想していたのか?)
そう発案者であるタッカードは思っていた。
「ま、待ってくれっ、今、判を押すっ!」
「慌てなくていいですよ。返事はこの場でなくても、会議が終わってからでも構いません。もちろん、戦争になる前には出してもらわないと困りますが」
「いいやっ! 今受け取ってくれ!」
「コービット公爵家も約束する。これが証拠だ!」
ルーカス・ハートナー公爵とコービット選王が慌てて書類に判を押している。彼を合わせて書類を提出したのは六公爵家。他の公爵家も、すぐに書類を提出する事になるだろう。
これで踏み絵は踏まれた。
「では、俺からは最後になりますが……宗派の名称をヴィダ原理主義からヴィダ信仰に改めます」
「それは、普通のヴィダ信者になるという事ですか?」
「いいえ、名称を変えるだけです。主義主張は、一切変えるつもりはありません」
ヴァンダルーはヴィダ原理主義を掲げていたが、それはヴァンダルーが原理主義者だからではない。単に、融和派とか共存派などと名乗ると、ハインツが掲げるアルダ融和派と似てしまうからだ。
似たような名前だから似たような趣旨の信仰だろうとか、そんな風に思われては堪らない。
しかし、もうハインツはアミッド神聖国へ戻った後だ。アルダ融和派はファゾン公爵領以外では、急速に存在感を失いつつある。
それに、もう自分達の力を示した後だ。なら、自分達こそ正当なヴィダ信者であると主張するのに遠慮もなにもいらないだろう。
ヴァンダルー達境界山脈の内側でのヴィダ信仰こそ正当なものであるという、人間社会のヴィダ信者にとっては傲慢に思える言葉だった。しかし……
「私達の主張はステージで説明した通りですから、よろしくお願いしますね」
そう微笑みながら言う『ヴィダの化身』であるダルシアがヴァンダルーのすぐ後ろにいる。ヴィダを体に降ろす事ができる彼女がいる宗派に対して、「自分達の方が正しい」と言えるヴィダ信者はいないだろう。
こうして名前だけだったヴィダ原理主義は解散したのだった。
●魔物解説:冥帝神の骸骨騎士 ルチリアーノ著
ランク15に至った骨人の種族。外見は普通のスケルトンとそう変わらないが、その骨の硬さと柔軟さはオリハルコンを上回っている。
冥帝神を師匠とするなら、今の骨人は師匠の英霊と呼べる存在になっているらしい。
通常のアンデッドという枠からはみ出した事を証明するように光属性の対アンデッド用攻撃魔術が以前よりも効きにくくなっている。
そのため、正確に分類するなら肉体がある事も考慮してアンデッド系亜神族、もしくは亜神族系亜アンデッドと評するべきかもしれない。
とはいえ、まだ骨人一人なので分類名を決めるのは時期尚早だろう。今後骨人と同様の存在が現れるだろうから、それを待ってからでも遅くはない。
次の話は7月7日に投稿する予定です。
すみません、書籍化作業により次の話の投稿予定日が7月15日に変更になります。お待ちいただければ幸いです。




