三百六十九話 スローライフを脅かされる元皇帝とファゾン公爵領の自称老人
『平民に堕とされたら生きていけません! 陛下、どうかご慈悲をっ! せめて、せめていっそ一思いに死罪にしてください!』
重罪を犯し、それに目を瞑る価値がないと彼が判断した貴族から、このようなセリフを彼は何度となく聞いてきた。そして、ほとんどの場合無視して爵位と財産を没収して平民に堕としてきた。
何故なら、そうした方が民からの受けが良かったからだ。結果的には同じでも、皇帝自らの決定で一族郎党死罪では民にまで血も涙もないと恐れられるが、爵位と財産を没収するだけで済ませると慈悲深いと評価される。
よほど悪辣な事をしていた場合は逆に死罪にしないと、「弱腰だ」とか「甘い」と侮られる事になるのでその境界線を見極めないとならないが。
考えていたのはそんな事ばかりだったので、当然だが爵位と財産を失った当の貴族が生き延びられるとは考えていなかった。
「しかし、存外どうにでもなってしまうものだな。余が野垂れ死んだと思っていた連中も、意外と今でも生き延びているのかもしれない。
だとしたらあの『生きていけない』だとか『一思いに死罪に』という言葉と顔は、演技か? なら、余はしてやられたことになるな」
そう言いながら、前アミッド帝国皇帝マシュクザールは自分で淹れた茶で喉を潤した。
今、彼が生活しているのは粗末な小屋だ。部屋は三つで、木にペンキを塗って劣化を防ぎ、内側は土壁にして断熱にも気を使ってある本格的な小屋だ。
その小屋に備えられたウッドデッキに置いた椅子に腰かけ、マシュクザールは午前中の一服を入れていた。
小屋の近くには様々な農作物が蠢く畑があり、その向こうには果樹園と鶏小屋があり、その向こうにはヤギや豚だった存在が飼われている。
そして小屋の周りには、風とは関係なく揺れる花々が咲き乱れており、ミツバチだったものの巣箱がいくつか置かれている。
「いや、余がどうにかなっているように、連中もどうにかやれたと思うのは早計か」
「まったくもってその通りです。そもそも、お前がどうにかやれていると考えるのは間違いだと思います」
「やあ、今日も余の様子を見に来てくれたのかね?」
マシュクザールはいつの間にか現れたヴァンダルーに、そう言って笑いかけ、自分の向かいの椅子を勧めた。
「たしかに地位も財産もなくした余がこうして生活できるのも、貴君のおかげだ」
皇帝の座を追われたマシュクザールは、公には療養のためとか適当な口実で帝都から離れた場所にある屋敷に囚われていた。
臣下ではなく監視役と世話係としての使用人と、彼を捕らえておくための警備としての騎士に守られた屋敷での生活は、いつか食事や飲み物に毒を混ぜられて毒殺される未来が待っている可能性が高いこと以外は、不自由のない生活だった。
そこから『暴虐の嵐』のシュナイダーによって助け出されたマシュクザールはヴァンダルーに引き渡され、ここで仮初だが自由な生活を与えられた。
ただ、ヴァンダルーはマシュクザールを生かしておく気はあっても、世話をするつもりはなかった。
彼の前に大工道具などの様々な道具類、そして材木や釘等の材料を並べた後は一切の世話を放棄したのだ。
より正確に言うなら、毎日生きているか確認しに来て、必要な食料や水を渡してくれるがそれだけだ。
なんとマシュクザールは、自分が生活するための場所すら自分で建てなければならなくなったのだ。
逃げ出そうとは思わなかったし、実行しても成功する可能性はないと確信していた。何故なら、マシュクザールがいるのはヴァンダルーの【体内世界】の一つなのだから。
空には天井があり、地には壁がある。何故か風が吹いているが、これがヴァンダルーの呼吸によるものなのか、それとも【体内世界】に空気を循環させる仕組みがあるからなのかは分からない。
そして基本的に雨は降らず、天候は常に晴れ。しかし、何故か昼夜の区別はある。
そんな不思議な空間に囚われたマシュクザールの生活は、かなり難儀した。高い教養を持つ彼でも、日曜大工の経験はほぼなかったからだ。これが都市開発計画だとか、大規模な治水や土木工事ならそれなりに知識はあった。しかし実際に自分の手で釘を打ち、柱や梁を組み立てた経験はなかった。
だが生きるだけなら小屋を建てなくても可能なほど、【体内世界】の環境は整っていた。
食事は以前の生活と比べれば簡素だが、必要な量は毎食差し入れられる。味も悪くない。【体内世界】の気候は住み心地の良い状態で保たれている。雨も降らない。だからいくらでも野宿ができるのだ。
最初に建てた小屋が瞬く間に倒壊したのを見たマシュクザールの脳裏には、そんな怠惰な野宿生活でも構わないのではないかという考えがよぎった。
だが、すぐに彼は思い出した。皇帝に即位する前、ハーフエルフとして生を受け継承順位も高くなかったが皇帝を目指していた頃の野心と反骨精神を。
何もないからこそ誇りを持ち、生きるだけで精いっぱいだからこそ野望を目指さなければならない。毒杯を呷り、首を刎ねられるその時まで。
それまで何処か覇気のない、もしくは自暴自棄な様子だったのがウソのように、マシュクザールは精力的に活動を再開した。
魔術を利用して小屋を建て、一通り家具を仕立て、様子を見に来たヴァンダルーに対して要求を行った。実用と気休めを兼ねて農作物を栽培したい、服を仕立てるための布がもっと欲しい、小屋の外壁に塗るペンキが欲しい……。自分に対して、生きていればそれでいい、程度の価値しか感じていない相手に対して平然と厚かましいまでの要求を突き付けた。
突き付けられたヴァンダルーは断るかと思われたが、ほとんどの要求に応じた。聞いた後しばらく無言のまま佇むなど、渋々ではあったが。
何故ならヴァンダルーにとってマシュクザールは、生きていればそれでいい程度の価値しかない以上に、基本的には嫌いな人間だ。深い恨みや憎しみがあるわけではないが、価値観が合わないためできるなら深い会話はしたくない相手だ。
しかし「生きてさえいればいい程度」の価値はあるので、死なれるのは困る。だから、この【体内世界】のヴァンダルーは毎日様子を見に来て、食料を渡して世話をするしかない。
そして【体内世界】のヴァンダルーは、人格も記憶も五感もヴァンダルーと共有している。そのため、マシュクザールの存在はヴァンダルーに地味にストレスを与えていた。
そんな存在が自力で生活環境を充実させ、食料を生産したいと要求している。それが上手くいけば、毎日食料を差し入れる手間が省ける。
だからヴァンダルーはマシュクザールの要求に応じて生地や裁縫道具、農機具や作物の苗、ペンキを渡した。マシュクザールの要求がエスカレートして、鶏やヤギ、豚などの家畜や果樹を要求されても同じように要求にこたえた。
そしてマシュクザールが素朴だが豊かな生活を営める環境を整えても、一日一回様子を見に来るだけで放置している。
「財産と爵位を失った貴族達には、余と違い取引に応じる敵国の皇帝が近くにいなかった。それで、今日は何を知りたい? 主だった貴族のスキャンダルか? それとも屋敷の秘密の抜け道か? はたまた『邪砕十五剣』の活動拠点の位置? いや、ミルグ盾国の城砦に関する情報か?」
何故ならマシュクザールはペラペラと国家機密を打ち明けるからだ。代わりに要求するのは豪華な食事であったり、絹の生地だったり、陶器のティーセットと茶葉だったりと、その価値からすると他愛のない物ばかりだった。
それはヴァンダルー達にとって、この程度の国家機密情報は殆ど価値がないと知ったうえで取引を持ち掛けているからだ。
マシュクザールが帝位から追われる前に目にすることができた情報から推測したヴァンダルー達の力なら、秘密の抜け穴を知っていたとしても関係ない。正面から殴り込んでも建物ごと更地にできるし、建材をゴーレムにすればすぐに崩壊させられる。建物がオリハルコン製でもない限り、意味がない。
そして死者の霊から話を聞くことができるから、スキャンダルの類は調べようと思えばたいていの情報は手に入れられる。少なくとも、マシュクザールはそう推測している。
そして『邪砕十五剣』の活動拠点は、マシュクザールの身柄を奪われたと知った時点で彼の知らない新しい場所に変わっているだろう。
だから躊躇いなく安値で売り渡しているのだ。
「……マシュクザール、俺はお前ほど狸親父という言葉が相応しい人物にあった事がありません」
ヴァンダルーもそれに気が付いているので、そう言うがマシュクザールは笑みを深くするだけだった。
「それはありがとう。しかし、だとしたらオルバウムの貴族達はまだまだだな。……それに、君も貧乏性が過ぎる」
マシュクザールが口にする情報は、ヴァンダルー達にとってあってもなくても関係ない程度のものだ。それが分かっているのに、ヴァンダルーはマシュクザールから情報を聞き、対価を渡している。
それはヴァンダルーが、「念のために聞いておこう」とついつい聞いてしまうから。そして聞いた以上対価を払わないと気まずいと考えるからだ。要求される対価がたいした物ではない事も理由の一つだが。
「性分ですからね。それに、別に損をしている訳ではありませんから構いません」
「余と会話する時間はできるだけ削りたいのではなかったか?」
「マシュクザール、お前の前にいる俺はこの【体内世界】の俺です。外に出すことはできません。なので、実質お前の監視以外にこの俺はやることがありません」
「つまり、その程度の理由で納得できる程、余の相手に慣れたという事か」
「はい。この俺は無数の俺の一つでしかありません」
「その考え方は幾度聞いても理解が追い付かない。複数の体と思考を一つの魂が操るなど、他に聞いたことがないのだから。余の知識が足りぬわけではないと思うが」
マシュクザールはこのラムダ世界の中でも高度な教育を受けた高い教養を持つ人物の一人だ。しかし、科学文明とは無縁である。
もし彼が現代の『地球』で発展している科学文明についての知識があれば、使い魔王や【体内世界】のヴァンダルーを端末、そして本体をサーバーのような存在だと理解したかもしれない。
「一つの魂? ……そう、魂は一つでしたね。分かれることができても、『俺の魂』という一つの群れであるのに違いはありません」
そして、ヴァンダルーには科学文明の知識があったので、自分はそれに近いと考えていた。そして、その場合は今の本体を増やそうという試みが上手くいかない事に今気が付いた。
(本体を、多くの魂が宿っている肉体。そして分身をあまり魂が宿っていない肉体と定義すると、そもそも本体を増やすことは不可能。
俺は魂を自由に千切り、元に戻すことができる。でも、総量は変わらない。魂の量が増えない限り、本体を増やすことはできない)
ヴァンダルーの魂の総量を百……いや、万としよう。使い魔王や【御使い降魔】スキルを発動した者に派遣する御使い代わりの魂の欠片は、基本的に一にも満たない。めー君こと雨宮冥に憑けたバンダーでようやく十ぐらいの感覚だ。
これなら幾らでも魂を分けて本体を作れそうだが、百や千、そして万の魂を分けても本体にはなり得なかった。他の分身より魂が多いだけの分身でしかない。
では魂を二つ、それも均等に分ければ本体を増やせるのか? それを考えながら実行しようとしたヴァンダルーだったが、すぐにやめた。
実行するのに問題は感じなかったが、結果がそれぞれ魂五千の本体が二つできるのではなく、魂五千の本体と分身に分かれるだけだと感覚で分かったからだ。
(つまり、本体は増やせない。しかし、本体が複数存在する利点は欲しい。では、本体を増やさずに本体が複数あるのと変わらない状態になる事を目指せばいい? ふむ……)
矛盾していて、達成は不可能なようにも思える。
しかし、以前気が付いた分身を創る事が本体の条件ではないという事と合わせて考えると、何かが引っかかる。もう少しで、形のあるアイディアになりそうな気がするのだが。
(もしかしたら、俺は『本体』を特別視しすぎていたのかもしれません。手足や内臓と同じように、『本体』という名称のただの部位として考えるべきなのかもしれません。
それに気が付いただけでマシュクザールを【体内世界】に監禁している意味はありましたが……本人にそれを告げたくないので黙っていましょう)
「それはともかく、何か要望はありますか?」
「ああ、それなら最近作物の活きが良すぎる気がするので……どうにかならないものだろうか?」
マシュクザールが視線で指した先には、すくすくと育ち活発に動き回っている作物達の姿があった。もちろん、普通の野菜ではない。全てモンスタープラントである。
「この前ここから見える距離に城よりも高い巨木が出現してからこうなったのだが」
そうなってしまったのは、マシュクザールが察しているとおりイグドラシルの幼木にランクアップしたアイゼンの樹木部分をこの【体内世界】に収納し、【大地肥妖化】スキルの実験を行ったのが原因である。
この【体内世界】にはマシュクザールしかいないし、そのマシュクザールも何かあればすぐに回収して別の【体内世界】に移動させればいいので、遠慮なく最大出力を試した。その結果、マシュクザールが育てていた作物は一気に実り、そのままモンスタープラントに変異した。
「他にも、植えた果樹の苗が成木になって動き回っていたり、鶏がギーガ鳥になったり……浅学故名称は知らないが、ヤギと豚、そしてミツバチも魔物化しているようだ。
おかげで卵の採集や搾乳の手間が増えた。屠畜や蜜の収穫はまだしていないが、その時には以前よりも注意しなければならないだろう」
そう述べるマシュクザールだが、しかしヴァンダルーは自分が主導して行った実験について説明するつもりはなかった。
「身に危険を覚えましたか?」
「いや、そこまでではないな。モンスタープラントは動き回るだけで、収穫にも抵抗はしない。ギーガ鳥や家畜の方はやや気が荒くなったが……腕は鈍っているが、余も皇族だ。今のところは問題ない」
アミッド帝国は、最も強い者が上に立つ蛮族の国ではない。しかし、貴い身分にある者として貴族や皇族には最低限の武術や魔術を修める事が求められる。
身分が高くなるにつれて、求められる『最低限』の水準は高くなる。しかもハーフエルフに生まれ、即位する前は敵の多かったマシュクザールは、『最低限』以上にまで技量を高めていた。
とはいえ、『暴虐の嵐』のシュナイダーの足元にも及ばないし、オルバウム選王国との戦争で前線に立って軍を指揮しながらバッタバッタと敵兵をなぎ倒せる程でもない。全盛期で、C級冒険者と互角程度。そして、実戦的な訓練から離れて久しい今では、だいぶ勘が鈍っている。
魔術の腕前は、建築作業や農作業でだいぶ戻ってきているが。
その程度ではあるが、ランク2のモンスタープラントやギーガ鳥程度では身に危険を覚えない。
「じゃあ、収穫や屠畜に使う新しい道具を渡しますね」
なので、ヴァンダルーは切れ味のいいナイフや、腕や顔を守る防具などの道具を渡すだけで充分だと判断した。
「それはありがたい。ここに来るのはオリハルコン製でもない限り、歯が立たない存在ばかりだから、余がもし良からぬことを企んだら等という邪推はせず、本当に切れ味のいいナイフを頼む」
「分かっています。あと、近日中にまた何か起きるかもしれないので覚悟と注意をしてください」
ノーライフクイーンになったアイラのスキルも、この【体内世界】で実験する予定である。
「ここでの生活は退屈と無縁で楽しいよ。……帝国もまだ無事なようであるし」
ヴァンダルーが自分を【体内世界】に留め、定期的に監視に来る事からマシュクザールはアミッド帝国が滅びていない事を確信していた。
帝国が滅びていれば、ヴァンダルーはマシュクザールをとっとと体外へ出すはずだからだ。
マシュクザールとしては、自分が生き残るためにヴァンダルーに自分の能力をその時までにアピールする必要がある。
気に入らなくても、価値観が合わなくても、ヴァンダルーはそれだけなら殺さないと推測しているからだ。
マシュクザールからヴァンダルーに靡く事は、今までの事を考えれば難しい。そもそも、演技してもそれを何らかの方法で見抜かれそうだ。
なら、気に入らないが利用する価値はある、と思わせなければならない。
(うまくすれば、彼が占領したアミッド帝国の統治に関わる事ができるだろう。……民が全てアンデッドにされなければだが。
ヴァンダルーにはその気はないだろうが、エイリーク……アルダが民をあまり扇動しない事を祈るばかりだ)
その頃オルバウム選王国の南方、海に面したファゾン公爵領には続々と人が集まっていた。
いち早く神々の神託を受け、その指示に従った英雄候補とその仲間達や、各地のアルダやその勢力に属する神の神殿の神殿長や高司祭、司祭、ジャハン公爵領の『七山将』のような精鋭部隊に属しながら国よりも神を選んだ者。
その総戦力はかなりのものだ。
「最近物々しいな。見ただけでただ者じゃなさそうな連中が次々にやってくる。でかいダンジョンでも発見されたのかね?」
ある酒場で、声に張りのある老人がそう言いながらジョッキを呷っていた。
「そういうあんたも、この辺じゃ見ない面じゃないか」
すると神官風の格好をした男が、自分が問いかけられた訳でもないのに言い返してきた。
「俺は村から仕事で来たんだよ。倅が寝込んじまったんで、代わりにな。そういうお前さんは神官様じゃないか? 良いのかい、昼間からこんなところで飲んでて」
「はっ! 良いも悪いもないね、もう俺は神官じゃない、破門にされたんだよ!」
「神殿を破門たぁ、ただ事じゃねぇな。何をやらかしたんだ、若いの?」
「娼婦をほんの数回買っただけだ。それで破門だなんて……神殿に他の公爵領の神殿の司祭様や高司祭様がやってきたからって、それはないだろう!?」
「そいつはひどい話だな。アルダ様だって、娼婦は買うななんて定めてないのによぉ」
実際にはアルダ神殿では姦淫……恋愛関係のない性交渉を禁じている。しかし、人間は何事にも抜け道を設ける。
娼婦との関係は一夜限りの恋愛。金銭を渡すのは、男からのプレゼント。いつ誰と交際し、何を贈っていつ別れるかは当人達の自由だ。だから教えには反していない、という事になるのだ。
戒律をより厳しく守る事を求められるアミッド帝国やジャハン公爵領では、客は仲介業者から花束を買ってそれを娼婦に贈り、娼婦は仲介業者に花束を渡して金を受け取るという手法が行われていた。
「そうだそうだ! それにここはアルダ融和派の総本山だぞ! 獣人種のラビーちゃんに貢いで何が悪いってんだ!」
娼婦の名前を叫ぶ若い元神官に、老人は首を傾げた。
「別に悪くはないと思うが……総本山だったか?」
アルダ融和派は、アミッド帝国と戦争を繰り返すうちにオルバウム選王国のアルダ信者が唱えだした宗派だ。そのためどこで発祥したのか、はっきりした記録は残されていない。
だから、総本山のような場所はなかったはずだ。
「うーん、『五色の刃』のハインツ様達を援助してきたし、今もセレン様をお預かりしてるんだから、総本山……いや、聖地と言っても過言じゃないだろ!?」
「そんなもんか? ハインツ様にセレン様ねぇ。村にいたんじゃわからなかったが、世の中はずいぶん変わったもんだなぁ」
ファゾン公爵領では、公爵が援助に力を入れていたこともあって、ハインツ達『五色の刃』は他の公爵領よりもはっきりと英雄として扱われていた。
アルダがその神威でハインツ達の前にダンジョンを出現させた事や、『英雄神』ベルウッドを目覚めさせた事。そしてファゾン公爵領に長年巣くう、邪悪な神を奉じ【魔王の欠片】を隠し持っていた魔人族と人魚の一族を討伐した事も偉業として有名だ。
「だが、この前聞いた話じゃ、『五色の刃』はアミッド帝国に行ったらしいじゃないか」
まだ公にはされていないが、『五色の刃』の姿がアミッド帝国……それもアルダ大神殿で確認されたというのはたしかな情報である。
そして、ハインツが敵国に渡っているという情報は老人達によって流され始めていた。
「え、本当か爺さん!? だ……だとしても、きっとほら、アミッド帝国にアルダ融和派の教えを説きに行ったんだよ! 間違いない! なんといっても、『英雄神』ベルウッドや、アルダだって融和派を認めてるんだから!」
若い元神官はそういうが、ベルウッドがアルダ融和派の思想を肯定したという確たる情報はない。ただハインツに力を貸しているから、周りが勝手にそう解釈しているだけだ。
しかし、その解釈をしている者は老人の目の前で酒を飲んでいる若い元神官以外にも大勢いる。おそらく、ファゾン公爵もその一人だろうから、この際ベルウッド本人の意思は関係ないだろう。
「たしかになぁ。だが、長年援助してきたこのファゾン公爵領よりも、古巣に戻る事を優先するっていうのは筋が違うんじゃねぇか? せめて公爵様に一つ挨拶してからにするべきだったと俺は思うね」
「それは、まあそうかもなぁ」
そうしてハインツ達の評判を適当に落として、老人は元神官と酒をしばらく飲み交わしてから酒場を離れた。
そして白い髪と顔の皴の数と深さからは不自然なほど素早く動き、裏路地を進んである建物の扉を叩く。
「合言葉は?」
「……へいへい、『自称老人』だよ」
「っ! 早く入って!」
渋々気に入らない合言葉を口にして、やっと扉を開けてもらったと思ったら、老人はエルフの美女と黒い肌をしたモヒカンの大男に掴まれて室内に引きずり込まれてしまった。
室内では痩身の老紳士とドワーフの美女がそれぞれ油断なく身構えており、エルフの美女とモヒカンは素早く魔術を発動して辺りの様子を探っている。
「おかしい……尾行されてねぇ!?」
「ばれなかったの!? シュナイダーの老人の仮装が!?」
「アミッド帝国でしたときは、例外なく見破られたというのに……成長しましたな」
「そうかなぁ? この町の人達の目が節穴だったからじゃない?」
「お前らなぁ、ゾッドを見習って俺が変装術の腕前を上げた事を褒めたらどうだ?」
そう言いながら、老人……シュナイダーは大きく体を左右に捻った。リズミカルな動きに合わせて、ゴキンボキンポキゴキと音が響き――。
「はあぁっ!」
そして全身に力を漲らせてパンプアップ。その瞬間、身長が百七十センチほどだった老人の肉体が膨らんだ。背は百九十センチほどに伸び、服の上からは痩せているように見えていた肉体は、発達した筋肉で服がはち切れんばかりになった。
そして最後に、顔の皮膚を引っ張る。
「それじゃあ、情報収集の成果を纏めるか」
それだけで皴一つない若々しい、野性味の強い美貌を取り戻した『迅雷』のシュナイダーは仲間達と情報交換を始めた。
次話は少々時間を頂き、5月16日に投稿させていただきます。




