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四度目は嫌な死属性魔術師  作者: デンスケ
第十四章 冒険者学校編
423/515

三百三十六話 公爵は、深淵を覗き込んでしまった。

「やはり、公爵閣下が直接見舞うのはやめた方が良いのでは? 外聞にも関わりますし……」

「それはダメだ。アポイントメントを取っておきながら私が行かないのでは、それこそ外聞が悪い。それに、これはまたとないチャンスなのだ」


 馬車の中でハドロス・ジャハン公爵は、反対する秘書官に対してそう語った。

「アルクレム公爵とそれに仕える貴族達の得体の知れない変化、サウロン公爵やハートナー公爵の不可解な動き、それにファゾン公爵領に漂うきな臭さ……何より、テルカタニス宰相や神殿の怪しい動き、それらの真実の一端をヴァンダルー・ザッカートが握っている。

 それを明らかにするまたとないチャンスなのだ」


「たしかに、ザッカート名誉伯爵家の者達が怪しいのは事実です。しかし、いくら何でもダンピールの少年如きにそこまでの影響力は無いのでは?」

 秘書官の意見にハドロスは苦笑いを浮かべて頷いた。


「私も彼が全ての裏にいるとは考えていない。しかし、彼はその一端を知っているはずだ。それを知る事ができれば、今何が起きているのか極めて真実に近い推測ができるはずだ」

 ハドロスは、今世界で何か大きな事が起こっている事を確信していた。敵国の属国であるミルグ盾国の境界山脈遠征の失敗から始まった、数々の不可解な事件。それは先ほど口に出した事だけではない。


 ハドロスはジャハン公爵家の諜報機関を使って調査を進めたが、それらの事件の真実を確かめる事はできなかった。だからこそ、医療機関という逃げ場の無い場所にいるヴァンダルーに「お見舞い」という名目で会い、話を聞きだす事ができる機会を逃す訳にはいかないのだ。


「それに護衛は万全だ。そうだろう? 秘書官であると同時に我がジャハン公爵領が誇る精鋭『七山将』の一人でもある『烈山盾将』のルダリオ、お前を連れてきているのだから」

 オルバウム選王国の公爵領の中でも最も雪深い地にあるジャハン公爵領と、海を隔てる北から東に聳える七つの高山。それに例えられた精鋭部隊の一人でもあるルダリオは、溜め息を吐いた。


「公爵閣下、私一人でどうにかなるほど世の中は甘くありません。閣下を逃がすまでの時間稼ぎもできない、そんな強敵はいくらでもいますし、そんな状況に陥る可能性はいつでもあります。

 せめて『七山将』から後二人は連れてきてほしかったものです」


 そう言うルダリオは人種としては背が高い方だが、百八十弱しかない。二メートル半ば過ぎの背をもつ巨人種であるハドロスと並ぶと、遠目から見ると大人と子供に見える。

 しかし、実力は外見の真逆で、ハドロスを子供同然に楽々と倒す事ができる強者だ。


「それこそ無理というものだろう。後ろの馬車に精鋭の騎士を乗せているのに、それでは不満か?」

「不満です。彼等程度では、私が撤退を提案するときには原型をとどめていない躯となって転がっているでしょう」

「もう少し言葉に気を付けた方が良い。そんな事だから、お前は武官に嫌われるのだ。それに、そろそろ着いたようだ」


 精神治療院の門が門番をしている警備員によって開かれ、公爵家の二台の馬車が敷地に入る。そして馬車から降り立った瞬間、ハドロスの顔から笑みが……余裕が消えた。

(なんだ、この異様な空気は? まるで見知らぬ何者かに囲まれ、見られているような居心地の悪さを覚える。馬鹿な、ここはただの監禁施設のはずだ)


 ハドロスの認識では、この医院はただの監禁施設だった。治療不可能な患者を、入院という名目で閉じ込め、素行があまりにも悪く野放しにできない貴族の子弟や後継者争いで敗れた者を死ぬまで幽閉するための場所だ。

 そのため現役のジャハン公爵であるハドロスにとって恐れるものはないはずだった。


 だが、医院の雰囲気は完全に変わっていた。

「閣下……医院の中で何かが起きたようです。血の匂いなどは感じませんが、尋常ではない異変が起きています。引き返された方が賢明かと」

 ルダリオもそう提案してくる。だが、ハドロスは行くべきだと判断した。


「いや、お前がそこまで言うほどの異変が起きたのなら、それを確かめねばならん。他の公爵家や、中央の貴族達に先んじてな。

 ルダリオはこのまま私の供をせよ、他の使用人は馬車の中で待機。私が戻るまで、何があっても外に出るな。騎士の半分はここで馬車を守り、もう半分は一階ロビーで退路を確保だ。……各員の判断で戦闘を行え。責任は私が取る」


「「「御意っ!!」」」

 ハドロスはそう命じると、ルダリオ達はきびきびと動き出した。見舞いの品が入ったバスケットをルダリオから受け取り、先行する騎士達に続いて医院の中に入る。


 足を踏み込んだ騎士とハドロスが見た限り、受付とロビーには何も起きていないように見えた。職員達は貴人の来客に対して深々と頭を下げている。

「ヨウコソイラッシャイマシタ、じゃはん公爵様。タダイマ、院長ガマイリマス」

 受付にいる職員が歪な笑みを浮かべて頭を下げて、そう言う。口の両端を割くように大きく釣り上げ、しかし目は見開いたままという、一目で普通ではないと分かる顔つきだ。


「閣下……今いる医院の人間は、全員正気を失い、何者かの支配下に置かれております」

「分かるのか?」

「はい、ゴーストに憑依された者や実体を持たないデーモンに肉体を乗っ取られた人間を見た事がありますが、それに似ています」


 そう小声で会話していると、廊下の向こうから見覚えのない男が現れた。院長は初老の男だったはずだが、現れた男は三十代前後程で、片眼鏡をして整った髭をした痩身の人物だった。

「ようこそいらっしゃいました、ハドロス・ジャハン公爵閣下。私は当院の院長代理を務めております、ルチリアーノと申します」

 そう言いながら、流れるような仕草で一礼した。その作法の美しさから、彼が高い教養の持ち主である事が察せられる。


「よろしく。しかし、院長代理というのはどういう事だろうか? 院長に何かあったのかね? 私は何も聞いていないが……」

「申し訳ない。院長は本日体調を崩して床に臥せっておりまして。ちょっと夕食を食べ過ぎたようでして」

「食べ過ぎか……そういう事なら仕方がないだろう」


 異様な雰囲気の医院に入ったら、自分達が訪ねる前日に院長が食べ過ぎて寝込み、正体不明の代理を名乗る男が出てきた。

 これを偶然だとは、ハドロスも考えなかった。一瞬、踵を返して脱出するべきか考えるが、それでは何が起きているのか分からない。


 それにハドロスには自信があった。ルダリオが付いている事もあるが、ハドロス自身も実はかなりの使い手だ。忌々しくも巨人種に生まれついたことで肉体は頑健であり、幼少からの訓練によってB級冒険者並みの力は持っている。いざとなれば、この医院程度の壁を拳で砕いて脱出する事も容易だ。

 だからもしも危険な状況になっても、脱出する事ができるとハドロスは考えていた。


(ドラゴンの巣に入らなければ、竜の卵は手に入らない。ここは臆さず進むべきだろう)

「そうか。では案内を頼む」

「畏まりました。では、こちらです」


 ルチリアーノの案内に従って、ハドロスとルダリオは患者がいる病室……ではなく、何故か職員や医師の部屋がある職員棟へ向かった。

「こちらは病室ではないようですが?」

「その通りですが、今は自由時間でして。し……ヴァンダルー・ザッカート君は、中庭にいます」


「自由時間?」

「ええ、患者が自由に院内や敷地内へ出歩く事ができる時間です。いくら当院の病室が快適とは言え、外に出て日の光を浴び、適度な運動をしないと健康に悪影響が出てしまいますので。

 ほら、病は気からと……ああ、この辺りでは言いませんでしたか?」


「似た言葉で、健全な肉体に健全な精神は宿るという言葉はあるな。たしか、ベルウッドが残した言葉だったか……」

「それよりも、その自由時間の制度はいつ頃から採用されたのですか? 私の記憶には無いのですが」

 ハドロスの声を遮って、ルダリオがそう尋ねる。この施設にはジャハン公爵領の関係者も利用……問題のある人物を幽閉するのに使っている。ハドロスの叔父……シルキー・ザッカート・マンションが幽霊屋敷になる原因となった人物の時は、事が大きすぎて隠しきれなかったが。


 だが、この精神治療院の事は医療施設としてではなく監禁施設であると、ジャハン公爵家と公爵家に直接仕える者達には知られている。

 間違っても、患者の心身の健康を維持するために自由時間に病室の、それも敷地内とはいえ建物の外へ出歩くことを許す施設ではないし、そうでなければ困る。


「昨日の夜からになります。院長命令でね」

「……閣下」

「いや、まだだ」


 この医院は完全に乗っ取られている。既に院長は殺されるか監禁されるかしており、職員達も脅されて従っているか……もしかしたら、変装した患者にすり替えられているのかもしれない。そう推測したルダリオが脱出を促すが、ハドロスはまだ危険は無いと判断していた。


 そして窓の無い廊下を進むと、そこでは表情の無い虚ろな職員達が掃除をしていた。異常な事に、公爵であるハドロスを見ても、会釈一つせず虚ろな瞳で見つめるだけだ。

「申し訳ない。彼等は大変憑かれ……疲れておりまして」

「いや、結構だ。仕事の邪魔をするのは、私としても本意ではない」

「公爵閣下の寛大なお心に感謝を申し上げます」


 そうして頭を下げるルチリアーノだが、ハドロスとルダリオは彼がこちらに対して欠片程の敬意も持っていない事を察していた。尤も、そんな事はこの医院で起こっている異変に比べたら些細な事だが。

「ん? ……っ!?」

 何処からか鳴き声が聞こえてきた。そう思った次の瞬間、前方の廊下を何者かが横切った。右側の壁から現れた何かが、左の壁の向こうへすり抜けて消えてしまったのだ。


「お下がりください、閣下!」

「あ、あれはっ!?」

 驚愕するハドロスの前へ、咄嗟に出るルダリオ。

「あれは患者ですよ」


 しかし、ルチリアーノは立ち止まる様子もなく進んでいく。

「か、患者だと!? 壁から壁にすり抜けて移動する患者がいるものなのか?」

「ええ、ご覧になった通りです」

「そんな馬鹿な事が……」


「ヴァンダルー・ザッカートが診察し、治療した多重人格を患っている患者ですよ。複数の人格がたった一つの肉体を共有する状態が問題なのなら、ああして全ての人格が表に出て活動できるようにすればいい。そう考えたようで、そのようにしたそうです」


「き、君の言っている事が理解できないのだが」

 ハドロスにとって、ルチリアーノの説明は理解できないものだった。何故患者のはずのヴァンダルーが、患者を診察しているのかもそうだが、その結果がひどい。全ての人格が表に出て活動できるようにすればいいと考えたので、そのようにした。全く意味が分からない。

 こうすればいいと考えて、できるなら誰も苦労しないのだ。


「たしかにその通りだと、私も考えるのですが……」

 そう言いながら歩き続けるルチリアーノの周りを、実体のない人影が次々に走り抜けていく。左右の壁をすり抜けながら。


「しかし、私もまだ理解できなくてね。後で本人に聞いてみるのが一番だと思いますよ? まあ、説明を聞いても理解できるかは分からないが」

 そう言いながら、彼は中庭に繋がる扉を開けた。ハドロスやルダリオも、医院の中庭まではどんな状態だったのか知らない。


 しかし、以前とは全く違う光景が広がっているのだろうという事だけは分かった。

 建物に囲まれて薄暗いはずの中庭には、柔らかい陽の光が降り注ぎ、様々な花や果物をつけた木が生え、患者だろう数人の男女が楽しそうに設置された遊具で遊んでいる。


 どういう事かと上を見上げれば、建物の上部に巨大な鏡が設置されておりそれで太陽を反射して中庭を程よく照らしているらしい。

 どうせ建物に窓はないか、あっても極端に小さいのだ。反射させても構わないのだろう。


「閣下、ご注意を」

 そしてルダリオに促されてからハドロスは気がついたが、植えられている木は全て魔物だった。

「ルチリアーノ君、中庭に生えている木が魔物になっているようだが?」


「ああ、あれは不可抗力です。我々も知らない間に、いつの間にか魔物になっていまして……多分、昨日の夜の事でしょう。いやー、驚きました」

 ハドロスの質問に、全く驚いた様子もなく答えるルチリアーノ。彼も、患者達も、魔物化した樹木に対して危機感を全く覚えていないのが分かる。


「鮮やかな花を咲かせ、様々な果物を実らせているので、助かっています。これからは食事に新鮮な果物を使う予定です」

 聞き覚えのない声がして驚くと、いつの間にか目的の人物がそこにいた。


「ごきげんよう、ハドロス・ジャハン公爵閣下。本日はお見舞いいただき、感謝の言葉もありません。粗末ながら席を用意しましたので、こちらへ」

「あ、ああ、歓迎に感謝する。元気そうで何よりだ」


 屍蠟のように白い肌に、濁った瞳、生気を感じさせない声。元気そうには全く見えないヴァンダルーへ心にもない言葉を言いながら、ハドロスは案内されるまま用意された席……中庭の中央に敷かれた絨毯の上に座る。


「初めまして、ジャハン公爵様。私は妻のアメリア・サウロンと申します」

 そしてシンプルで品の良い、しかしハドロスが今まで見たことがないほど上等な生地で仕立てられたドレスを着た夫人の挨拶に、驚かされた。


「……よろしく。ご主人とこうして会うのは初めてだが、様々な偉業を成している彼と話ができて光栄だ」

 だが、すぐに彼女があの……密偵達に調べさせて判明した、心を病んでここに入院しているエリザベス・サウロンの母親だと思い出し、冷静さを保った。


「何故、彼女がここに?」

「今は自由時間ですので。それに、夫婦が一緒にいるのは不自然な事ではないと思いますが?」

「……話を聞いた限りでは、彼女はこの場に相応しくないと思うのですが? あらぬ誤解を生むかもしれません。それに夫婦と言っても本物の夫婦では――」

 院長代理を自称するルチリアーノに、とりあえずは常識的な抗議を行うルダリオ。


 しかし、次の瞬間ルダリオは武器を構え、全身を冷や汗で濡らしていた。

「申し訳ありませんが、俺は心を病んでこの医院に入院しており、精神的にとても不安定な状態です」

 ルダリオに対して、殺気を向けながらヴァンダルーが語り掛ける。


「なので、あまり刺激するような発言はしないよう、配慮していただけると助かると思います。お互いに」

「……部下の非礼を詫びよう。すまない、彼はこういう場所に来るのは慣れていなくてね」

 ヴァンダルーが殺気を向けているのはルダリオだけなので、ハドロスは何も感じていない。しかし、ルダリオの様子から何があったのか察してそう詫びる。


「いえ、理解していただければそれで十分です」

「あなた、お仕事の話なら……」

「大丈夫ですよ、アメリア。

 それでは、話を伺いましょう。私もジャハン公爵に聞きたいことがあるので、お互いに交互に質問に答えていくというのはどうでしょう? 質問を相手が答えられない場合は、質問を続けるという事で」


「……本来の意味とは違う意味で言葉遊びのようだが、いいだろう。では、まずは定石通り軽い世間話から始めよう。まずは、私の親戚のしたことをお詫びしよう。君の従魔となっている屋敷で出た犠牲者の事だが」

「お気になさらず。公爵様のしたことではないですし、もう昔の事です。シルキー達も、公爵様の事は特に憎んではいないようです」


「そうか、それは何よりだ」

「俺の方からの質問ですが、昼食は済まされましたか? よければ用意しますが?」

「いや、済ませてきた。気持ちだけいただこう。そういえば、奥方の着ているドレスは見事なできだが、何処で仕立てたのかね? 恥ずかしいが、その生地を見たことがなくてね」


「今朝、俺が出した糸で仕立てました」

「……んっ? 言っている意味が分からないのだが……?」


「それで、質問ですが普段通りの口調で話していいですか? 変わるのは一人称ぐらいですが、肩が凝る気がして」

「それは構わない。私も普段の口調で話していいのならね。

 それで、さっきの生地についての答えは……?」


「では、実演して見せましょう。ふしゅるるるる」

「口から糸を吐いた!? しかも、その糸が布にっ!?」


 そう話しているうちに、ハドロスは次第にヴァンダルーとの問答を楽しいと感じるようになっていった。途中で立ち直ったルダリオから何度か声をかけられた……はっきりと止められたが、それでもこの問答を続けていた。

「私は、先代ジャハン公爵とその正室との間に生まれた……ふっ、物心ついたときには、自分の生まれに戸惑い、不安でたまらなかったよ」

 気がつくと、腹心であるルダリオたちにも明かしたことのない胸の内を打ち明けていた。


「周りの大人は私を見るとひそひそと何事か囁き、他の貴族の子弟や……血を分けた兄弟姉妹も私から距離を取る。父は顔を顰め、母は私を責めるように睨むのだ。

 幼かった私は、自分が何か悪い事をしてしまったのだと思い、しかし何が悪い事だったのか分からなかった」


 ハドロスの悲劇は、先祖返り……遠い先祖に混じっていたらしい巨人種の血を濃く受け継いでしまった事だった。

 父である前ジャハン公爵は妻の不貞を疑い、母は父に疑われるのはハドロスが醜く(巨人種に)生まれたからだと我が子を憎んだ。


 だが、ハドロスは巨人種である事以外は両親やジャハン公爵家の特徴を強く受け継ぎ、母に掛けられた疑いは彼が成長するにつれ薄れていく。だから、ハドロス一人が出来損ないと疎まれた。

 幼いハドロスは何故自分が疎まれるのか分からなかった。彼は優秀で、勉強も礼儀作法も、剣術や馬術、狩猟や芸術でさえ、正室の子として受けた教育によって全て水準以上にできた。


 だが家族からは褒められも、認められもしなかった。


 何故ならハドロスが子供の頃のジャハン公爵領は、以前のアルクレム公爵領や現在のハートナー公爵領よりもヴィダの新種族に対する差別意識が強い公爵領だったからだ。

 もちろんオルバウム選王国の一部なので、ヴィダへの信仰は認められていた。しかし信仰するヴィダの新種族は全て労働階級とされ、住む場所も仕事も制限されていた。


 衛兵や騎士、官僚、商会の経営者、そして貴族は完全に人種とエルフ、ドワーフの人間とされる種族のみで構成されていた。

 人間の中にも地位の低い労働階級の者はいたが、地位の高いヴィダの新種族は一人も存在しない。


 そんな二分化された社会でハドロスは、公爵とその正室の実の息子として生まれたのだ。生まれた時は巨人種としては極端に小さかった事で、「大きな人種の赤ん坊」に見えなければ、闇に葬られていたかもしれない。

 抑圧されていたヴィダの新種族やヴィダ信者の人間は、ハドロスが成長し優秀さを見せれば自分達の代表のように喜び、ジャハン公爵領を変えてくれることを期待した。


 だが、その期待が強まれば強まる程、ハドロスが最も評価されたい褒められたい相手である父や母は、ハドロスを将来自分達を打倒せんとする不穏分子のように思い、彼よりもできの悪い兄弟達の教育に力を入れ、愛情を注いだ。


 その状況が変わるきっかけは、ハドロスがアルダ神殿に入信し、アルダ神殿の聖典を諳んじるほど学び、ジャハン公爵領のアルダ神殿長が称賛した事だった。

 その時、初めてハドロスの両親は息子を褒めたのだ。そして彼は、どうすれば最愛の両親や家族から愛され、家臣たちの信頼を勝ち取る事ができるのか気がついた。


 それからのハドロスは、良きアルダ信者となった。法と秩序を守り、領民を守るために騎士団の先頭に立って魔物と戦い、山賊を討伐し、邪神派吸血鬼の組織を壊滅させ、厳しい雪国であるジャハン公爵領の食糧問題や財政を解決するために奔走した。


 兄弟たちの中には、特に彼のすぐ下の弟や妾腹の兄などは「ヴィダの新種族に生まれついたハドロスは、公爵位に相応しくない」と訴えた。しかし、ハドロスは良きアルダ信者として積み上げた実績を持って彼らを叩き潰し、公爵位に就いた。


 それから約百年が過ぎ、既に父も母もそして他の兄弟姉妹も土の下だ。それでもハドロスは良きアルダ信者でいる事を止めようとは思わなかった。何故なら、彼はそれ以外に生き方を知らない。それ以外に、ジャハン公爵家の一員として相応しく在る方法を知らないのだ。


「私は、それに疑問を覚えなかった。意識すらしていなかった。この百年の間に、アミッド帝国軍と直接矛を交えた事は何度もある、巨人種がアルダ信者を名乗るのかと侮辱を受けた事は数知れない。

 だが、私は我がジャハン公爵領のアルダ神殿の教えこそが、私を名誉高司祭に任命した神殿の教えこそが正しいアルダの教えだと信じていた! ……それは、間違っていたのか?」


「ヴィダ信者の俺に相談する時点で、相談相手の選択を間違っている気がしなくもないですが……間違ってはいないと思いますよ」

 いつの間にかハドロスに両肩をがっしりと掴まれているヴァンダルーは、やや悩んでからそう答えた。


「間違って、いない……だと?」

「ええ、少なくとも俺はそう思います」


 いくら公爵家、ジャハン公爵領最大の権力者の家に生まれたとはいえ、子供は子供である。社会体制や家族の偏見をどうにかできなかったとして、ハドロスを責めるのは間違いだろう。

 子供が両親や家族からの愛情を求めるのは普通の事で、そのための手段を見つけたのなら、それを実行するのは当然だ。特に、それが自分と家族が属する社会で、正しいとされている事なら。


 ハドロスはアルダ信者で融和派ですらなく、自領ではヴィダの新種族に対して差別的な政策を続けている。が、別にヴィダの新種族から厳しい税を取っているわけではないし、意味もなく殺している訳ではない。職業や住む場所を制限しているだけだ。


 自由はないし、その事で辛い目に遭っているヴィダの新種族はいるだろうが、ハドロスは為政者としてヴィダの新種族を含めた領民たちを適度に管理し、彼らを活かしている。


「……ヴィダ信者になればよかったとは、言わないのか?」

「あなたがヴィダ信者になっていたら、ろくなことにはならなかったと思いますよ。子供の頃なら最悪の場合暗殺されていたかもしれないし、良くても公爵家を追放されていたでしょう。

 それに、公爵家を継いだ後は家臣や侯爵以下の貴族達が納得しなかったのでは?」


 ハドロスは才能のある人物だが、社会全体を変えるほどの力はない。もし彼がヴィダ信者として生きていくことを選んでいたら、今の地位にはいられなかっただろう。

 それに、家臣や侯爵以下の貴族はヴィダの新種族でありながら誰よりもアルダ信者らしいから、彼を信頼してついて来ている。その彼がヴィダ信者になったら、家臣や貴族達の信頼は失われる。


 実際には彼の人柄やカリスマ性に惹かれている者もいるかもしれないが、それはヴァンダルーには分からない事だ。


「もちろん、俺はヴィダ信者なのであなたにヴィダを信仰するよう説きますし、領民のヴィダの新種族のためにできる事をします。

 ですが、それはあなたが正しいのかどうかとは、別の話です」


「……てっきり、君はもっと強引に改宗を訴えると思っていた」

「焼き鏝や杭で改宗を迫ると思われていたのなら、いくらなんでも心外ですね。それは狂気の沙汰です。

 俺は来る者は拒みませんし、去る者には憑い……引き留めますが、最初から来ない者を無理に引きずり込もうとはしませんよ」


 どうしてもアルダを信仰したいと主張する者を、ヴァンダルーは改宗させるつもりはない。関わる時間が勿体ないので、放置する。

 『生命と愛の女神』ヴィダ本人としては、もっと熱心に布教してほしいかもしれないが、神には神の都合があるように人には人の都合があるのだ。


「では、何故私と話をしているのだね?」

「別にヴィダ信者はアルダ信者と口をきいてはならないという教えもありませんし……宗教家の端くれとしては、人の相談を無視するのは問題でしょう」


「人、か。……私は、アルダを信仰しなければ人として扱ってもらえなかった。アルダを信仰する事が、人であるために必要最低限の条件だった。

 だが、そうではなかったのかもしれない……人は、何を信仰していても人なのだな。ふふふ、ふはははっ、はははははっ!」


 そう笑いながら涙を流し始めたハドロスを見て、ルチリアーノはいつの間にか絨毯に座ってアメリアが淹れた紅茶を飲んでいるルダリオに話しかけた。

「君の上司は、だいぶ溜まっていたようだね。師匠が塩水漬けにされそうなほど泣いているよ」

「そのようですね。元々生き急いでいるような方でしたが……ところで、あなたは院長代理では? いつから患者の弟子になったのですか?」


「正確には、患者の弟子が院長代理をしているのだよ」

「そうでしたか」

 当初考えていた予定は、ハドロスがいつの間にか胸の内に澱のように溜まっていたものを吐露した事で、ご破算になった。ヴァンダルーを過度に警戒する必要がない事が分かったのは収穫だったが。


「それで、君はこれからどうするのかね? アルダ信者だろう?」

「それはそうですが、ジャハン公爵領のアルダ神殿はヴィダの新種族やヴィダ信者を、上司にしてはいけないとは説いていません。

 それに、私は神官や司祭ではありません。しがない勤め人です。上司についていきますよ」


 しがない勤め人の中にも、信仰のためなら今の生活や収入、親兄弟や妻や子を投げ捨てる者もいるかもしれない。だが、少なくともルダリオはそうではない。

「もしかして、こうなる事を読んだうえでダルシア・ザッカート名誉女伯爵は、公爵のアポを認めたのですか?」

 だとしたら恐ろしい、深淵にも似た叡智だが……。


「いや、師匠もその母上も深い事は何も考えていなかったと思うよ。ジャハン公爵に興味はあったようだから、この機会に会って話を聞きたいと思っていただけではないかな?」

 そうではないようだ。ルダリオは紅茶の香りで鼻孔を満たし、肩から力を抜いて応えた。


「そうですか……とりあえず、閣下があの様子なのでこちらで話を進めましょう。サウロン公爵領に関しては彼女でだいたい分かったので、テルカタニス宰相が【魔王の欠片】を集めている事について聞いてもいいですか?」

「ふむ、その話を詳しく聞かせてもらえるかね? っと、師匠も言っている事だろう」


「ふふふ、さすがあなたね。もうジャハン公爵様とあんなに仲良くなって」

 ヴァンダルーはアメリアに見守られながら、ハドロスの腕の中で【魔王の欠片】について興味深い話を聞いたのだった。


次話は10月2日に投稿する予定です。

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― 新着の感想 ―
宰相なんか怪しいッスよ(意訳)の情報がさり気なく出てきてて驚いた。 キチンと、主人公陣営以外の有能な人たちを描いている流れ、良いと思います。 この手の作品はとかく、主人公とその一党以外はアホに描かれが…
アメリアさんはどう言った形に落ち着くのかなぁ。 元に戻すだけが治療ではないよな。 一度グネグネになった針金を叩いて伸ばして真っ直ぐにしても、歪みは無かったことにはならない。
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