三百十一話 飛び込め! 隣国の呪われた屋敷!
拙作の書籍版5巻が、3月28日に発売予定です! 一二三書房さんの公式ホームページではカバーイラストも公開されていますので、よろしければご覧ください。
レビューありがとうございます! そう、当作品は「この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています」以外は安心して読める作品です。
旧スキュラ自治区奪還軍が撤退し終わり、今は亡き事にされたブラバティーユの悲鳴が響き渡った暫く後、ヴァンダルーの本体はダルシア達と共に、オルバウム選王国の首都オルバウムにあった。
人口約五百万。歴史はともかく、オルバウム選王国の中で最も人口の多い大都市だ。人口約三万人のモークシーの百六十倍以上、約百万人のアルクレムの約五倍である。
アミッド帝国という大きな脅威に他行するため、十二の小国が集まってオルバウム選王国を建国する際、選王国の首都となった独立都市が元となっている。
「五百年前はA級やB級のダンジョンが近く、それに挑戦する上位の冒険者の拠点として発展してきた、一万人規模の独立都市だったそうです。
それがオルバウム選王国の首都になって、他の公爵家から金と人が流れ込み、五百年かけてここまで発展するとは凄いですね」
「凄いねー、ヴァン」
パウヴィナに両腕でがっちり持たれたヴァンダルーが解説すると、彼女も街を見回して頷く。
ゴーレム建築で日々進化(変化)しているタロスヘイムも負けていないが、やはり規模と活気では人口の多いオルバウムの方が上だ。
それに【ゴーレム創成】スキルの使い手がいないのにここまでの大都市を造りあげる人間社会の技術力は、パウヴィナの想像力を超えていた。
『ええ、全くです。当時は何処の国にも幾つかある程度の小都市だったのに。その小都市の名士でしかなかったテルカタニス家やドルマド家が、街の自治権を放棄する代わりに貴族位を与えられ、今や侯爵とは……ククク、奴らの語る青き血とやらも、たかが知れるというものですな』
『短い間に増える人間共の特性が、もっとも分かり易い場所と言えるでしょう』
『キヒヒヒッ! この国の支配者を自称する者達の何と滑稽な事か。自分達の治世が続いているのは、偉大なるヴァンダルー様の慈悲によるものだと気づきもしない……』
そして、ヴァンダルーの周囲で待機している光属性のゴースト達。生前は数万年以上生きた吸血鬼であり、オルバウム選王国が建国された頃を知っているチプラスとダローク、ベールケルトが皮肉や嘲笑を浮かべる。
「チプラス、観光案内に皮肉はあまり混ぜないでください。ダローク、何度も言いますが俺も母さんもパウヴィナも、皆人間です。
ベールケルト、今日は調子がいいですね」
『ははっ、申し訳ございません』
『はははっ、ヴァンダルー様はユーモアのセンスも一流ですな!』
『あお~ん! 褒められた! 光栄が! 身に! 余るぅぅ!』
素直に謝るチプラスに、何度言ってもヴァンダルー達を人間だと認識しないダローク。そして喜びで言動が乱れるベールケルト。
「……ところで、そろそろ自分の足で歩いてもいいですか?」
ヴァンダルーがパウヴィナに持ち歩かれているのは仲が良いからではなく、従魔がテイム出来ているか確かめる審査でトラブルを起こした事に対する罰だった。
「ダメー」
パウヴィナに柔らかい声で拒絶されるヴァンダルー。声は柔らかいがその力は強い。掴まれているのが常人なら、たちまち骨を握り潰されていただろう。
「審査の時のあれは、ちゃんと事前に『抑えるのは無理っぽいので、力づくで止めてください』って頼んだじゃないですか」
「でもダメー」
しかし、掴まれているのは常人ではなくヴァンダルーなので、苦しそうな様子すら見せない。
そのせいか、ヴァンダルーに同情する意見はなかった。
「そうだよね?」
「ええ、そうね。門の衛兵を隊長さん以外全員気絶させちゃうのは、お母さんもやり過ぎだと思うのよ」
「師匠を押さえ込むのに義手が嫌な音を立てて軋むし、そこまでしてもえらい殺気を振り撒くし、胆が冷えましたぜ」
「気絶した衛兵の人達はすぐ気がついたから良かったけど、私達の後ろに並んでいた人達は迷惑だったと思いますよ」
ダルシアが指で「めっ」と軽く叱り、サイモンとミリアムが苦笑いを浮かべた。ただ、前回……アルクレムに初めて入る時にした審査の時よりは、マシになったと思っているからだ。
以前は物音もなく殺気も発さず、背後から衛兵に襲いかかろうとした。それを防ぐ事が出来たのは、プリベルのファインプレイであって、それがなければ事態の隠蔽に一苦労していただろう。
だが、今回は事前に押さえるよう自発的に頼んでいる。それに、実は力や殺気も抑えていた方だった。
ヴァンダルーが本気を出せば、全長百メートルの真なる巨人と接近戦をして、浅くない怪我を負わせる事が出来る身体能力がある。ダルシアならともかく、サイモンやミリアムでは彼が本気を出したら木の葉のように翻弄されるだけだ。殺気にしても【魔王の魔眼】は使っていなかった。
だが、それよりも大きな理由は諦観である。
この先、この審査に対してヴァンダルーはもう少しましになるかもしれない。もっと上手く誤魔化す事が出来るようになるかもしれない。
しかし、完全には解決しないだろう。そんな諦めがあるからだ。
……門での騒ぎのお蔭で、一行から他の通行人が距離を取っているためスムーズに歩けるからという理由もあるが。
それでもパウヴィナやアイゼンに多くの好奇の視線が向けられているので、何事もなく街に入っていればかなりの人だかりになっていただろう。
『あの男爵モドキでいっぱいだねぇ』
パウヴィナは気にしておらず、アイゼンは通行人を美食狂いで自分の樹液から作るシロップに一家全員魅了されている、クオーコ・ラグジュ男爵と重ねているらしい。
男爵一家との付き合い(?)は、彼女の他人に対する耐性を鍛えたらしい。
「後ろに並んでいた方々には、我々が謝っておきましたので大丈夫かと」
「皆……少し引きつっていた気がするけれど、笑顔で許してくれたわ」
ヴァンダルーの身体が小さいため、抑える場所がなかったので代わりに周囲への対応をしていたアーサーとカリニアがそう言って頷く。
「クヒヒ。果たして、それはどうかのう……?」
だが、ボルゾフォイが不安そうに言うように、アーサー達に謝られたヴァンダルー達の後ろに並んでいた者達は、筋骨隆々とした強面の男と、どこか不気味な雰囲気を纏った眼光鋭い美女に謝られても、威圧されたようにしか感じないかもしれない。
「まあ、大丈夫よ」
「そうですね」
アーサー達の人柄が知られるようになれば、小さな悪評も笑い話に変わるだろう。
それよりも、まずは冒険者学校への入学よりも早くオルバウムに来た目的を済ませなくてはならない。
その目的とは初めてモークシーの町に来た時と同様で、オルバウムで暮らすための家の購入である。
ただ今回はダルシアが名誉伯爵となっている事と、交易都市ではなく王都であるため、戸建て住宅ではなく貴族用の屋敷を購入する事になった。
一代限りの名誉貴族だが、それでも屋敷を購入する者は少なくない。それに、オルバウムには様々な理由から売りに出されている屋敷が幾つもある。
その内一軒を購入し、モークシーの町の家のように改築して拠点とするのだ。
そのため、ヴァンダルー達はオルバウムでも有名なセノーパ商会を訪ねた。
訪ねられたセノーパ商会は有名だったが、没落貴族から屋敷を仕入れて、顧客である金持ち貴族や成金に売りつける事でも有名な不動産屋だった。
どんないわくつきの屋敷でも買い取り、改築し、買い主の要望通りの屋敷にして高額な代金と引き換えに売る。
その商売の秘訣は、アルダ神殿と強力なパイプで結ばれている事だ。
王侯貴族は皆清廉潔白な聖人君子ではなく、そんな彼らが売る「いわくつきの屋敷」は、怪談話に出てくる幽霊屋敷も真っ青な、怨霊や悪霊の住処と化したものが少なくない。
いくら掃除しても滲み出てくる紅い手形や、食器が宙を飛びまわるどころではなく、怨霊が現れて侵入者を直接殺そうとするような物件に対処するには、対アンデッド用の訓練を受けたアルダ神殿の光属性魔術師や聖職者の集団が必要だ。
そして、セノーパ商会はアルダ神殿の複数の枢機卿に布施を支払い、神の使徒たる神官達を派遣してもらい、禍々しい屋敷をただの中古物件にするのである。
無論、都の中にアンデッドが発生したなら、不動産屋から布施を貰わなくても浄化する事が神の信徒の務めだ。
しかし、屋敷で発生した怨霊は多くの場合屋敷の敷地から外に出る事はない。いわゆる地縛霊であるため、敷地の外に魔素が広がったり、外から霊が入り込んでアンデッド化したり、そうした事態を防ぐために門や塀に護符を貼って封印すれば、悪影響が広がる事が防げてしまう。
そのため、多くの場合「緊急性が低い案件」と判断され、後回しにされる。
それに、場所柄どうしても貴族と接触しなくてはならないため、布施の在る無しに関わらず神の教えを実践する熱意ある神官程、呪われた屋敷には関わろうとしない傾向にある。……実際、高額の布施を払えない市井の人々にとっては、関係のない事だ。
無論、だからといって放置し続ければ問題が生じる。護符の効果は永遠でもなければ絶対でもないので、数十年から数百年の間に屋敷内部のアンデッドが力や数を増し、封印を破ってしまうかもしれない。
そのため、選王国政府が神殿に依頼して古い呪われた屋敷の浄化を頼むのだが……逆に、「選王国政府が依頼するまでは放置しても構わない」と神殿が重い腰を上げない風潮を作っている。
中には、枢機卿の子弟の実績作りのために、故意に浄化を遅らせる場合もあると囁かれている。
ちなみに、神殿に属していない、冒険者の魔術師でも同じように浄化は出来る。出来るのだが、怨霊の口から屋敷の前の持ち主の醜聞を聞いて、良からぬことを考えないとも限らない。
そのため、こういった案件は冒険者ではなく口の堅い神殿関係者が対処する事が、暗黙の了解となっている。
だからこそセノーパ商会の強力なコネが、商売上の武器になり得るのだ。
そのため、セノーパ商会の従業員たちはダルシア・ザッカート名誉伯爵が客として現れた時、驚いた。ヴィダの新種族で、ヴィダの聖人である彼女がアルダ神殿と深い関係にあるこの店に来るなんて、思ってもいなかったからだ。
彼等は商人同士のネットワークから、ダルシアの息子のヴァンダルーと、その妹のパウヴィナという少女が冒険者学校に入学するために選王都オルバウムに来る事は知っていた。
その際、高級宿ではなく屋敷を購入するかもしれない。もしそうなら、彼女達を客にした不動産屋は幸運だと話していたのだが……。
「こちらが、ご要望の条件を満たす、唯一の物件です」
まだ若いセノーパ商会の従業員は、冷や汗が浮かんだ顔に張り付いたような営業スマイルを浮かべて、物件を手で指した。
「身長三メートル以上の方でも余裕を持ってご利用できる間取りに、巨人種の方が集団で飛び跳ねてもビクともしない頑丈な床や壁。三階建て以上で部屋数多数、大浴場に屋根裏部屋と地下室、広い庭もございます。
ただ……ご覧の通りでして」
従業員が手で指したのは、立派な屋敷だった。男爵や子爵ではとうてい住めない、大貴族の住まいに相応しい大きさと設備を誇っている。
しかし、明らかに呪われていた。
壁には蔦が伸び放題で、覆われていない壁も不気味に変色している。それに、今日のオルバウムは快晴のはずなのに、屋敷の周りだけ不自然に薄暗く感じる。
そして高価なガラスの窓の向こうには、いるはずのない人影が見える。
ここまで揃っていると、逆に笑いがこみあげてくる。屋敷に入らなくてよいのなら、だが。
「しかし、アルダ神殿の聖職者達でも浄化できなかった悪霊や怨霊の巣になっています。しかも、前の所有者に問題がありまして……」
「問題ですか?」
「ええ、名前は言えないのですが、百年ほど前までさる公爵様の弟がここに住んでいたのですが……あまり高貴とは言えないご趣味をお持ちだったようでして」
未成年だろうヴァンダルーや、彼個人としては子供とは思えないがパウヴィナに聞こえないよう、ダルシアやサイモン達にだけ聞こえるよう、説明を続ける。
「犯罪奴隷だけではなく違法に買い集めた奴隷や、スラムから攫って来た浮浪児、街娼を屋敷に連れ込み、地下室で拷問して殺していたそうです。
犯行は権力でもみ消していたそうですが、ついには他の貴族家の子女に手を出してしまい、実家からは勘当されて貴族から平民に堕ち、そのまま断頭台で首を刎ねられたのですが……残った屋敷はいつの間にかアンデッドが湧くようになってしまって」
「でも、それは百年も前からなんだろ? 神殿に頼んで浄化しようとしなかったのか?」
パウヴィナからヴァンダルー番を代わってもらったナターニャが、従業員に訊ねる。驚くべき事に、彼女は怪談話など怖いものが苦手なのだ。
「はい。我々セノーパ商会がこの物件を買い取ったのは三十年程前になりますが、それまで何度となくアルダやペリア、リクレント神殿の神官や司祭様が浄化しようと試みたそうです。しかし、前の持ち主が屋敷の中に隠し部屋や隠し通路を幾つも造り、しかも罠まで仕掛けたそうで……屋敷の中は本物のダンジョンのように危険な状態でして。
お蔭で、浄化作業は大変難しく……悪霊や怨霊が発生する核のようなものが未だに見つかっていないそうです」
「ああ、それは厄介ですね。ダンジョンの罠は単純なものが多いですけど、人が仕掛けたものは……特に何かを隠すための罠を見抜くのは発見も解除も難しいですから」
ミリアムが同意するように、ダンジョンに仕掛けられる罠は侵入者の妨害、もしくは抹殺というシンプルな目的のために仕掛けられる、単純な罠である事が多い。
いわゆるブービートラップや、落とし穴、比較的手の込んでいるもので開けると毒ガスが発生する宝箱ぐらいだ。
侵入者に見つからない事を目的にした隠し部屋や、部屋の中の家具の装飾や壁の一部を操作しないと扉が開かない隠し通路等は普通のダンジョンにはほぼ無い。
そうした仕掛けを見破るのに、冒険者や聖職者は慣れていない。それこそ泥棒の技だろう。
だが、ただの泥棒では屋敷のアンデッド相手に生き延びるのは不可能だ。冒険者や神官が護衛するにしても、近くで仲間が戦っているのを無視して屋敷を調べる事が出来る胆力がなければ意味がない。
「ええ、しかも、復活する度にアンデッドも強力になってしまい、今では並みの光属性魔術では何の効果もないのだとか」
「そうなの……ヴァンダルー、だいたいあってる?」
「ええ、だいたいあっていますよ、母さん」
従業員は困惑した顔を向けるが、ヴァンダルーにとって彼の説明は既に聞いた話だった。
誰から聞いたのかと言うと、勿論悪霊や怨霊本人からである。
『ここは恐ろしい屋敷なんだぁ~、ただ盗みに入っただけの俺も、悪霊に殺されたぁ……! 階段に気をつけろぉ』
『私なんて、庭に死体を埋めに来ただけで殺されたんですぅ。ここに埋めれば、死体が見つかっても屋敷の悪霊の仕業だと思わせられると思ったのにぃぃ! 庭の井戸の中に潜んでいたぁ、魔物に食い殺されてしまいましたぁぁぁああああはははは!』
『その埋められた死体でぇっす! もうすぐぅっ、魔物になれそうなのぉ! 庭の木に乗り移ってぇ! あなたのぉ、あなたの血を頂戴ぃ! 少しで、少しでいいのぉ!』
『ヒヒヒ、コイツらに騙されるなよぉ、この不動産屋は、生きていると都合の悪い奴を殺しては、この屋敷に捨てているんだ。気を付けろ、ポミャデル商会の連中には! ……えっ? こいつはセノーパ商会? あ、そういえばポミャデル商会の会長は十年前に死んだんだっけ。 え? 三十年前からこの屋敷はセノーパ商会が取り扱っているって?』
護符が張られた鉄の門の前に、まだアンデッドになっていない霊が大集合している。その殆どは、まだアンデッド化するまえの、死んで数年経った程度の霊だが、中には百年前から漂っている霊もいて、ヴァンダルーへ己の身の上を話してくれた。
セノーパ商会の従業員が口にしなかった、そして実は彼自身は知らされていない、この屋敷が呪われる原因になった男が、どの公爵家当主の弟だったのかも。
従業員は恐ろしげな顔を門の向こうの屋敷へ向けるが、ヴァンダルーの耳には門の内側から押し寄せている霊達の声が聞こえている。
さらに言うなら、オルバウムに近づいた時からオルバウム中の霊がヴァンダルーの周囲に殺到し、話しかけている。
ハートナー公爵領を訪れた七歳の頃と違い、【超速思考】や【群体思考】、【完全記録術】等のスキルがあるため、時間をかければ無数の霊達からの情報を纏め、分析する事も可能だ。
(この屋敷の前の所有者は、ジャハン公爵の弟か。……アルクレムじゃなくて良かった)
当主が巨人種である事で知られる、ジャハン公爵家の屋敷だったようだ。
ジャハン公爵家は巨人種の血筋が入っている家で、現当主は先祖返りで完全な巨人種だが、百年前の当主は大柄で比較的長寿なだけの人種だったため、既に他界している。
だが、弟の所業を隠すことなく罰し、斬首刑に処した後は公爵家の墓に入れなかった等、十分に罪を償わせているので、ヴァンダルーとしては今の当主に何かするつもりはない。
セノーパ商会がジャハン公爵家の名を口にしなかったのも、自主的に口をつぐんだ結果だ。アミッド帝国もオルバウム選王国も、王侯貴族と平民は別の生き物であり、「全ての人々は平等である」なんて思想を持つのは、世俗から離れて修行と信仰に人生を捧げる聖職者ぐらいなのが実情だ。
(俺の国も貴族制を取っていますが……身分の格差は、もっと穏やかにしていきたいものですね)
自分自身が絶対的な君主であるため、完全に平等にするのは難しいのがなんとも複雑だ。そんな事を考えながら、ヴァンダルーは自分を抱き上げているナターニャに言って、門に近づいてもらった。
「「「ひぇぇっ!?」」」
その途端、庭の奥に見える屋敷の窓や扉が激しく音を立て、手入れがされておらず茂り放題になっている庭木や草が動物のように蠢き、封印されているはずの門が震えて耳障りな金属音を響かせる。
思わずナターニャとミリアム、従業員が悲鳴をあげ、サイモンやアーサーが反射的に身構え、ダルシアが微笑む。
「ヴァンダルーが近づいただけであんなに喜ぶなんて、可愛らしいわね」
「ええ、悪い気はしません」
『日当たりが悪そうなわりに、元気だねぇ』
ただ、ダルシアとヴァンダルーには、それが呪われた屋敷の喜びと歓迎を表す意思表示に見えたようだ。……ヴァンダルーが言うからには、事実その通りなのだろうが。
アイゼンに至っては、庭の禍々しい植物達の動きに感心している。
「あー、なるほど、そういう事なら……」
「あの激しく開け閉めを繰り返している扉や窓も、人懐っこい犬の尻尾の動きに似ているかもしれません」
「たしかにそうね、兄さん。犬は、喜んでいる時は尻尾をあんな風に速く振るものだわ」
ほっとした表情で構えを解き、反射的に武器へ伸ばした手を戻すサイモンやアーサー達。特にアーサーとカリニアは、呪われた屋敷を人懐っこい犬の姿と重ねあわせているのか、頬を緩めて和んでいる。
「何だぁ、喜んでるだけか」
「ああ、驚いた」
ナターニャとミリアムも、ほっと安堵の溜め息を吐いている。
「何故、そんな事を思えるんですか!? どう見ても恐ろしい呪われた屋敷じゃないですか!?」
納得も安堵もできないのは、セノーパ商会の従業員である。顔は真っ青になり、膝はガクガクと初めて立つ生まれたての小鹿のように震えている。
「ここは危険です今すぐここから離れましょうそうしましょうそれしかない!」
「おお、素晴らしい滑舌と肺活量ですね」
ヴァンダルーが従業員の滑舌と肺活量に感心した次の瞬間、封印されているはずの門が弾かれるように開いた。
そして、蛇のように伸びて来た蔦がヴァンダルーを抱えているナターニャに絡まり、彼女ごと彼を引きずり込んでしまう。
「ぎゃああああああああ!?」
「ナターニャ、こういう時は、もっとそれっぽい悲鳴をあげた方が盛りあがると思いますよー」
そして、そのまま屋敷の扉の奥に引きこまれていった。
「た、大変だ!」
その光景を見送る事しか出来なかった従業員は、気が遠くなるのを何とか耐えていた。
彼等セノーパ商会は、たしかにアルダ神殿と太いパイプを持つ。高額の布施をアルダ神殿に払っているし、説法を聞きに行く事も多い。
しかし、商会長であるセノーパを含め商会の者達の多くは熱心なアルダ信者と言う訳ではない。商売に役立つのがアルダ神殿だから、アルダ神殿と深いパイプを持っているだけだ。
そのため、ダルシアとヴァンダルーに敵対するつもりは毛頭ない。ただ、アルダ神殿に対するポーズとして、持っている物件の中でも、最も厄介な呪われた屋敷を紹介しただけに過ぎない。
そして、物件の購入を断られた後は、他の商会を紹介するなど丁寧に対応して、穏便に済ませようとしただけである。
(このままでは、うちの……いや、私の将来が!)
それなのに、紹介した物件のせいで名誉伯爵の一人息子が怪我を……死んだなんて事になれば重大な責任問題だ。
過激な思想を持つアルダ信者は喝采をあげるかもしれないが、だからといって不注意で貴族の子弟を傷つけたセノーパ商会やその従業員を、彼等が庇ってくれるわけではない。
商会長は庇ってくれるだろうが、結局は自分を解雇する事になるだろう。
従業員は、商会長が解雇する際に渡してくれた幾ばくかの現金と紹介状を頼りに、家族と共に逃げるようにオルバウムを後にする自分の未来を見た気がした。
「今まで一度も封印が破られた事はなかったのに、いったい何故……?」
『多分だけど、呪われた屋敷が本気になれば、あの封印はいつでも破る事が出来たんじゃないかねぇ? 今までそれをしなかったのは、する理由がなかっただけで』
「で、でも、封印を破って外に出ようとする悪霊の姿が何度も確認されて……」
『それは屋敷に挑戦して返り討ちに遭った神官や、忍び込んだ泥棒がアンデッド化した悪霊だろうねぇ。自分を殺した屋敷から、逃げたかったんだと思うよぉ。
でも、そいつらは屋敷に統率されている訳じゃないから、屋敷の意志とは無関係なのさ』
「や、屋敷の意志、ですか。アンデッドに詳しいんで……す……ね……」
振り向いた従業員は、今まで自分が会話をしてきた相手がダルシアやカリニアではなく、従魔の首輪をしたアイゼンである事に気がつき、言葉をなくした。見た目からして知能の高い魔物だと思っていたが、まさか自分よりも見識があったとは思わず、驚愕したのだ。
「たしかに、封印の有無にかかわらず屋敷は動く事が出来ない。しかも、封印されていても泥棒や犯罪者の類が忍び込んでくるから、犠牲者には困らない」
「フフフ、それなら封印を破る理由は屋敷にはないわね。寧ろ、封印されていた方が強すぎて手におえない侵入者……外から屋敷を更地に出来る上位の冒険者の介入を防ぐ事が出来るという事ね」
「そ、そんな! では、私達はまんまと利用されていたのですか!?」
「ククク、まんまと騙されていたようじゃな。なぁに、お前さんは何も悪くはない。これはちょっとした事故のようなものじゃ」
「あ、ああっ、ああああっ!」
「そんな顔しなくても大丈夫ですぜ、従業員の兄さん。アーサーとカリニアはアイゼンの姉さんの推測を補足しただけだし、ボルゾフォイはショックを受けているあんたを安心させようとしただけで、罪悪感を煽ろうとした訳じゃねぇから」
絶望的な顔で叫び声をあげ始めた従業員を、慌てて宥めるサイモン。ちなみに、アーサー達と一緒にいると忘れがちになるが、サイモン自身もそれなりに強面である。約一年前から意識と生活を改善し、髭を剃っているのでだいぶマシになっているが。
「でも、屋敷もヴァンダルーを気にいってくれたようだし、ここにしましょう。従業員さん、契約書を見せてもらえる? お支払いは今ここでいいかしら?」
「ダルシアさん、一度セノーパ商会に戻って払った方が良いと思いますよ。多分、何百万バウムもするでしょうから、一人では持って帰れない重さになるはずです」
そして、ダルシアとミリアムが封印を破る恐ろしい呪われた屋敷の購入を、しかも息子やナターニャの安否を心配する様子もなく、進めようとする。
色々と精神的に振り切れた従業員は、壊れた人形のように首を横に振った。元々断られる予定だった、売るつもりのない物件だ。契約書を持っているはずがない。
「そうなの? じゃあ、仕方ないわね。私はサ……サイモンさんとセノーパ商会に行って、この屋敷を買ってきます。
アイゼンは従魔扱いだから、テイマーのヴァンダルーと屋敷で待っていてね。ミリアムさん達は、門の前で待機して、人が来たら封印が解けている事について説明して騒ぎにならないようにして」
『はぁい……』
「お任せください!」
それぞれ別れて動き出す一同。従業員は、気がつけば馬車の御者台にサイモンと並んで座って、セノーパ商会に戻っていた。
そして、セノーパ商会では「あんな危険な物件は売れない」と商会長がごねたが、ダルシアが「大丈夫です、もう危険はありません。女神ヴィダと勇者ザッカートに誓って」という言葉と、よくそんなに馬車に乗せられたなと思う程、大量の白金貨が詰まった革袋や、金塊、宝石類、およそ一千万バウムはありそうな財宝を見せて押し切った。
そして広い庭と歴史ある絵画や家具付きの三階建ての屋敷としては、破格の三十万バウムで屋敷を購入したのだった。
こうしてオルバウムの貴族や御用商人、そして神殿関係者の間に、「アルクレム公爵領のダルシア・ザッカート名誉伯爵が、あの呪われた屋敷を購入した」という情報が駆け巡ったのだった。
○魔物解説:呪われた屋敷 冒険者ギルド資料室の文献より
正確にはアンデッドが棲みつき、扉や階段、家具を操っているだけで建造物自体は魔物ではないが、便宜上魔物とされている存在。
多くの場合貴族や大商人の邸宅で、所有者が一家皆殺しにされた事件や、逆に所有者が使用人や愛人を拷問して殺してしまうなど、陰惨な事件の舞台となると発生する。
屋敷の敷地内には無数のアンデッドが存在し、屋敷を中心に集合体と化しているため、一匹二匹と数えず「呪われた屋敷」と一纏めにする。
その討伐難易度は、屋敷の規模と施された仕掛け、そして発生したアンデッドの強さによる。
商人の屋敷は隠し財産を守る隠し部屋がある程度だが、貴族の場合はいざという時に逃げ込む脱出路等、仕掛けが多い。中には、日常生活ではどう考えても使わないだろう仕掛けを幾つも屋敷に仕掛ける貴族もいる。
屋敷で発生する魔物は、使用人や娼婦、攫われてきた子供等がアンデッド化したものが多いので、リッチのような魔術を使うアンデッドは少ない。
しかし、物理的な攻撃が効き難いゴーストや、屋敷に飾ってある鎧や絵画が魔物化したリビングメイルや呪われた絵画、カースドウェポン等が、死角から襲ってくるので油断は禁物である。
さらに数百年以上放置され、魔素による汚染が深刻になった屋敷は本物の魔境とほぼ同じになり、庭の植物や屋敷に棲みついている虫やネズミが魔物化して、危険度が一層高まる。
男爵等の下級貴族の屋敷だった場合は、屋敷も小さく仕掛けも少ない。D級冒険者相当の神官が五人もいれば浄化する事は可能だ。しかし、公爵の屋敷の場合はA級冒険者相当の高司祭が必要とされることも少なくない。
なお、オルバウムでは呪われた屋敷の討伐は冒険者ギルドに依頼されない事が多いが、他の公爵領の都では神殿ではなく冒険者が対処する事もある。
その際は、魔物化した美術品は壊しても弁償を要求しないか、討伐の際壁や扉を壊しても構わないか等、依頼主とよく話を詰めておくことを勧める。
ちなみに、敷地の外から屋敷に向かって攻撃魔術を倒壊するまで連打する事や、油を撒いて屋敷ごと燃やしても構わないのなら、討伐難易度は格段に下がる。
ただ、多くの場合依頼主から許可は出ないので諦めるように。もし許可が出たとしても、流れ弾が隣の貴族の屋敷に当たったり、炎が延焼したりすれば、最悪の場合依頼主と一緒に縛り首にされる。良くても、多額の賠償金を支払う事になるので、十分注意する事。
勇者ファーマウン・ゴルド曰く、「生きている人間の方が、怖い」との事である。
3月22日に312話を投稿する予定です。




