三十六話 褒めて伸ばすスパルタ修行
このラムダ世界が最も平和で、最も栄えていた神代の時代。それを終わらせた魔王グドゥラニスと、魔王が率いてきた無数の邪神悪神。
水も大地も空気でさえも呪い、生ある物を蝕む毒とした【呪毒の邪神】。
狩猟か腕比べしか知らなかった人々に血の快楽を教えた、殺戮の匠、【殺狂の悪神】。
あらゆる生命を弄び、数多の邪悪な合成獣を創りだした【歪みの邪神】。
それまでラムダに存在しなかった悪徳を以て人々を惑わし、堕落させた【欲滅の悪神】。
それ等主だった存在は神々と勇者達によって滅ぼされたが、未だ数多の邪悪な神々がこの世界には潜んでいる。
その内の一柱、【歪みの邪神】の元従属神、【悦命の邪神】ヒヒリュシュカカを奉じ、その加護を受ける吸血鬼達のコミュニティが存在した。
ヒヒリュシュカカは、命を弄ぶ事こそが最大の快楽であり、自らがより優れた存在である事の証明であると教える邪神である。
命乞いする者がいるなら、弄び希望を持たせ従うように強制し、最後には絶望の縁に落として命を奪え。
力が欲しいと嘆く虫がいるなら、望まぬ力を与えて破滅するように誘導し、力など要らないと悔恨の叫びを上げさせよ。
自らの武勇を誇る者がいるなら、その力を奪え。四肢を捥ぎ取り、目を潰し、舌を裂け。地べたを這いまわる虫に等しい弱者に堕とせ。
それを成してこそ、汝らはより優れた存在に成る事が出来る。自らの足の下に弱者を積み上げ、踏み躙ってこそ高みに至る事が出来るのだ。
そんな教えを説くヒヒリュシュカカにとって、『生命と愛の女神』ヴィダを失った吸血鬼達を信者に加えたのも一つの快楽なのかもしれない。
しかし、十万年後邪悪な神々に鞍替えした吸血鬼達の中でも、【悦命の邪神】派は指折りの勢力に成長した。
強大な力を持った三名の原種吸血鬼によって支配された、百名を超える貴種吸血鬼。その下に存在する従属種吸血鬼や、永遠の命を望む吸血鬼の信奉者の数は数え切れない。その下のアンデッドや魔物、自分が手駒となっている事すら気づいていない傭兵団や山賊団まで行くと、数えるのも愚かしい。
その戦力は大国に並び、影響力なら大国すら操る事が出来る。
「さて、最初の議題は例のダンピールについてだ」
そう言ったのは、コミュニティに君臨する三名の原種吸血鬼の一人、ビルカイン。その見かけは二十歳前後の、線の細い優男といった様子で、貴族制度が無い時代の生まれながら貴族的な雰囲気で、名家の子息子女を集めて茶会や舞踏会を催すのが似合いそうな人物だ。
「ダンピール? ああ、あんたの所の従属種と警備兵の間に生まれた奴だっけ?」
それに応えたのは、二十歳過ぎの女だ。男好きする体つきに、輝かせればどんな男も落とせそうな美貌を何処か怠そうな眼差で曇らせている。
大きく胸元が開き背中を露出したドレスは豪華だが、品が無い。貴族のご婦人というよりも、貴族御用達の高級娼婦のように見えてしまう。
「だったらアタシの城で母子仲良く働いてるよ、背中と背中をくっつけて、八本の手足でね」
「テーネシア、それは百年前の事だろう」
「じゃあ、あの獣人種の胎から生まれた奴かい? それだったらあんたが殺したんじゃなかったっけ? 一族ごと」
「それは五百年前だね」
ビルカインと漫才のようなやり取りをするテーネシアの正体もまた、原種吸血鬼だ。
このコミュニティの実質的なNo3であり、実力的にはNo1だとされている女吸血鬼だ。
「私が言っているのは、グーバモンの所のずっと下の従属種吸血鬼と、ダークエルフの間に生まれたダンピールの事だよ」
「ああ、グーバモンの爺さんの所のか! そういえばあったね、そんな事も。
っで、そのグーバモンの爺さんは何処だ? 姿が見えないね」
ビルカインとテーネシアが名前を出したグーバモン。彼がこのコミュニティを支配する原種吸血鬼の最後の一人だ。
しかしテーネシアが探しても、その姿は欠片も見当たらない。
「ぐ、グーバモン卿は所用があり今回は欠席すると……」
青い顔をして口を開いた貴種吸血鬼は、グーバモンの下に居るのだろう。テーネシアに睨まれ、堪らず震え上がっている。
「何だって!? 今回も欠席かい!? アタシだって十回に九回しか休まないのに、あの爺さんもう二十回も休んでるじゃないのさ!
さっさとあのクソジジイを連れてきな!」
「お許しをっ、グーバモン卿から今手が離せない、テーネシア様とビルカイン様にはすまないという伝言を預かっておりますっ」
「つべこべ言うんじゃないよ! アタシの作品の材料になりたいのかい!?」
恐れおののく貴種吸血鬼に、今にも牙を突き立てそうなテーネシア。その様子をクスクスと嘲笑う他の貴種吸血鬼と、ビルカイン。
彼らにとって、同胞といえど同情の対象では無い。
「その辺りにしておきたまえ。事の経緯は既に報告を受けているからね」
しかし従属種なら兎も角、貴種は作るのに手間がかかるし、グーバモン派とテーネシア派で抗争でも起こされたら、とても愉快だろうがコミュニティが空中分解しかねない。
ビルカインはやや愉しんでから止めに入った。
「そうなのかい?」
「ああ、君も知っての通り、グーバモンの手の者によりヴァレンの処刑は完了。死体は間違っても蘇らないように処理した。
母親のダークエルフも、アミッドの狂信者を使って火炙りの刑にかけたそうだ」
「へぇ、あのコレクションを集める事しか頭に無いクソジジイの手下にしては手際が良いじゃないか。それで、肝心のダンピールはどうしたんだい?」
「取り逃がしたそうだ」
「はぁっ!?」
顔を歪めるテーネシアに、ビルカインは愉快そうに目尻を下げて唇の端を釣り上げ、説明を続ける。
「見つからなかったがまだ乳飲み子だったので一人では生き残れないだろうと思って放置したら、三歳に満たない歳でどうやったのか分からないけれど数百匹のグールを支配下に置いていたそうだ。
しかも、人間に大規模な討伐隊を組ませて派遣させたら、その前にグールを連れて境界山脈を越えたらしい。何をどうやったのか、全くの謎だそうだ」
そうビルカインが言うと、テーネシアだけでは無く他の吸血鬼達も様々な反応を見せた。
何かの冗談だと思って、半笑いの表情を作る者。
驚いて唖然とする者。
聞き間違いかと困惑する者。
「フザケンナ!」
激怒したのはテーネシア一人だった。
「つまりそいつはこれで死んだだろって手を抜いて、そのダンピールが数百匹の手下を手に入れるのも、境界山脈を越えるのも、むざむざ見逃したって事だろ!
何考えてんだ!? いや、考えるだけの脳味噌があるのか!? 今すぐそいつをぶち殺せ!」
牙を剥き出しにして激怒するテーネシアは、ダンピールを恐れてはいない。ただ知っているのだ。自分達が十万年もの長きに渡って闇の世界に君臨してきたのは邪神の加護があったから、そして自分達が勝てる状況を整えてから戦って来たからだと。
相手がダンピールと人間だけなら、ここまで危機感を覚えない。しかし、境界山脈の向こうにはヴィダ派の原種吸血鬼達がいるのだ。自分達と互角の存在が。
十万年の間殆ど動きを見せていない奴等だが、それが動き出せば存亡をかけた脅威となるのは確実だ。
「その通りですビルカイン様っ、そのような者は今すぐ処刑し、ダンピールの件は我々にお任せください!」
「いえ、是非このカーマインにお任せください!」
「私ならばビルカイン様とテーネシア様のご期待に応えてご覧に入れます!」
そして次々に追従する吸血鬼達は、手柄を上げる機会だと求められてもいないのに、我先にと手を上げる。別に手柄を上げても貴種が原種に至る事は不可能だが、ヒヒリュシュカカに認められれば【加護】を得る事が出来る。
加護を得れば、他の貴種たちよりも一段、二段上の力と権力が手に入る。
「いやいや、まずは失態を犯した本人に働いてもらおうと思っている」
「何だって!? 二度失敗した奴にお情けをくれてやろうってのかっ? どうせ三度目の失敗を犯すに決まってるよ!」
「まあ、私もそう思うが、彼の熱意に胸を打たれてね。そうだ、皆に紹介しよう」
そう言いながら、ビルカインがすっと白く細い手を上げた。
どしゃあっ!
そんな音を立てて、全身血だらけの男が何処からともなく落ちてきた。
「紹介しよう、グーバモンの配下、セルクレント・オズバ君だ」
優しげな笑顔のままビルカインが指し示した男……トーマス・パルパペック伯爵と繋がっていた貴種吸血鬼、セルクレント・オズバは「う゛ぅ」と小さい呻き声を上げた。
その姿は凄惨の一言に尽きた。両手の指全てに銀の串が突き刺さり、脚はローストされたかのように焦げ目が付いており、背中は無数の肉の瘤に覆われている。
背中の瘤が脈打ち弾けたかと思うと、そこから毛と皮膚の無い鼠のようなものが這い出て来て、周りの肉を食い千切る。そして自分の身体程も肉を喰うと、出来た穴に頭を突っ込んでセルクレントの肉に戻って行く。
ヒヒリュシュカカの呪いだ。
「おゆ、る、じ、……こ、こん……かな……らず……」
力を振り絞って顔を上げたセルクレントを見た吸血鬼達は、思わず息を飲んだ。そこに顔が無かったからだ。
眼球をくり抜かれ、鼻を削がれ、頬を抉られ、唇を引き千切られ、まるで血で汚れた髑髏のようだった。
何よりも惨いのは、呪いも含めてどれもこれも致命傷では無い事だ。貴種吸血鬼の生命力と再生力は凄まじく、ここまでされても死ぬ事は出来ない。
高貴な、寿命を超越した存在である貴種吸血鬼ですらも、ビルカインにとっては玩具に過ぎない。それを再確認し、吸血鬼達は押し黙った。
テーネシアは席を立ち、再生する度に肉鼠に肉を喰われているセルクレントに歩み寄ると、その顔を思い切りけり上げた!
「げう゛!」
「ビルカイン、この死にぞこないに何をさせるつもりなのさ。こんな奴じゃ芋虫一匹殺せやしないよ」
顎を蹴り砕かれて悶絶するセルクレントは、確かに刺客というよりも処刑を待つ哀れな死刑囚にしか見えない。
「僭越ながら、テーネシア様の言う通りかと。あの者に境界山脈を越え、標的を探しだし、数百匹のグールを突破してダンピールを始末するのは不可能かと思われます」
テーネシアに同意した女吸血鬼が発言する。他の吸血鬼も、概ね同意見のようだ。
個体差は在るが、吸血鬼は強力な種族だ。原種に限るなら、ヴィダの新種族中最強の種族であると言っても過言では無い。
竜種を易々と屠り、一人で一国を滅ぼす事も可能。彼らの前に立ちはだかる事が出来るのは、伝説級のマジックアイテムを持ったA級以上の冒険者パーティーだけだ。
しかし、セルクレントは原種よりも何段も落ちる貴種だ。それでも並の騎士や冒険者から見れば脅威以外の何ものでもないが、境界山脈にはその程度の魔物は掃いて捨てるほど居る。
空高く舞って山脈を越えようと試みる者は、空の魔境……魔空に住まう魔物達と空の支配権を争う挑戦者と見なされ、引き裂かれる。
かといって険しい山肌を人のように這いまわって越えようとすれば時間がかかり、更にそれでも無事に済む保証はない。
未知の魔境や未発見のダンジョンから、余所者を喰おうと魔物が溢れて来るからだ。
それを避けるなら魔物をものともしない、その上垂直の崖を登りながら自在に動き戦闘が行える猛者を数百人揃えて、その大所帯で周囲を威嚇しながら進むしかない。
どう考えても無理な話だ。それこそ神とその眷属が直接動くか、余程のイカサマでもしなければ。
しかも、山脈を越えるだけでは無く、その後ダンピールの足跡を追い、数百の内生き残っているグールの目を掻い潜って殺さなければならないのだ。使命さえ果たしてくれればこの場の大多数の吸血鬼にとってはセルクレントの生死はどうでもいいのだが、果たす前に死なれては困る。
「問題無いさ。セルクレント君はこの使命をやり遂げる為に命を懸けてくれるそうだからね。そうだろう、セルクレント君?」
「あ゛、あ゛い゛! お゛まがぜっ、お゛ま゛がぜぐだぢゃいっ!」
ビルカインの問いかけにセルクレントが即座に、裂かれた舌と砕けた顎で返答する。よく耳も無いのに聞こえたなと、場違いな思いを吸血鬼達は抱いた。
「だからそいつの意地とか、やる気とか、そんなのはどうでもいいんだよ。実力が信用できないってアタシは言ってんだよ」
「君の言う事も尤もだ、テーネシア。だから、今回は私の恋人達から一人派遣しようかと思ってね」
「あ゛あっ? あんたの情婦を?」
ざわりと、吸血鬼達がざわめいた。その顔には抑えがたい畏怖と嫌悪が滲み出ている。
吸血鬼達は総じてプライドが高く、同じ階級の者を自らの上に置く事は無い。
従属種同士、貴種同士で上下関係が決まるという事は、下に堕ちた吸血鬼にとって奴隷にされたも同然という認識だからだ。
少なくとも、邪神や悪神に鞍替えした吸血鬼達にとってはそうだった。
そしてビルカインはそれを見るのが大好きだった。趣味と言っていい、拷問等それに比べれば暇潰しの手慰みだ。
自ら貴種吸血鬼、従属種吸血鬼に仕立てた手下同士で競い合わせ、争わせる。潰し合わせ血を流させて、勝った方に寵愛を、負けた方に苛烈な罰を与える。
それを自分の恋人達……自らの親衛隊と、グーバモンの配下であるセルクレントで行わせようというのだ。
「エレオノーラ、やってくれるね?」
すっとビルカインの影から現れたのは、赤毛を腰まで伸ばした美女だった。舞踏会に出たなら、お世辞に慣れた貴族達も語彙の限りを尽くして心から彼女を褒め称えるだろう美貌に、見惚れてしまいそうな微笑を浮かべている。
「はい、お任せください」
「フフ、セルクレント君達と仲良くするんだよ。
後、近くにタロスヘイムの廃墟があるから、剣王ボークスの骨がまだ残っていたら拾って来てもらえると助かるな。グーバモンに二個目の貸しが作れる」
「畏まりました、愛しい我が君」
エレオノーラ。ビルカインの配下の中でも最も年若く、数年前に貴種吸血鬼になったばかりでありながら頭角を現してきた才媛であり、後数百年で【悦命の邪神】に仕える者の中でも原種を除けば最強の吸血鬼になるだろうと目されている。
テーネシア本人も、彼女には敵わないと嘆いた配下を何人か苛立ちのあまり殺している。
「ふん、精々油断して痛い目を見ないように気をつけるんだね」
どうせならダンピールと刺し違えてくれればいいんだけどね。そういう本音を押し隠したテーネシアの言葉で、この議題は終わった。
後は何時も通りの定例会……闇ギルドがどうとか、最近のアミッド神殿の動きがあれやこれや、ハートナー公爵家で跡継ぎ争いが激化しそうだとか、吸血鬼達の長い夜の暇潰しに役立つ情報を交換し、それぞれの事業の報告を行い、最後に従属種吸血鬼候補の紹介と、吸血鬼化を行う事の承認が行われて、お開きとなった。
タロスヘイムの近辺に存在する魔境には、四つのダンジョンが存在する。
ガランの谷、ドラン水宴洞、ボークス亜竜草原、バリゲン減命山だ。何れも自然環境を模したタイプのダンジョンで、ここから手に入る産物がタロスヘイムの繁栄を支えてきたのだ。
ヴァンダルーは、そのダンジョンの内最も攻略難易度が低いD級ダンジョン、ガランの谷に挑む事となった。
以前ミルグ盾国で入ったダンジョンと同じくらいの難易度(だとヴァンダルーは思っている)だろうが、ここがタロスヘイムにおける新米の訓練場であり、そして繁栄を支える糧だった。
ガランの谷では、岩塩や石材が取れる階層がある。特に岩塩が無ければ、山脈に閉じ込められた内陸に位置するタロスヘイムは、小さな村以上に発展する事は無かっただろう。
今ヴァンダルーが居るのは、そのガランの谷の一階だ。メンバーは何時もの顔ぶれからサムを抜き、代わりにバスディアを加えた編成になった。
「ギッ! ガッ!」
そして、短槍で武装したゴブリンソルジャーと一対一で戦っていた。
ヒュッヒュと、バスディアの目には拙いが一応形は槍術になっている動きで、ゴブリンソルジャーがヴァンダルーに向かって何度も槍を突き出す。
「…………」
それをヴァンダルーは、やはり何とか形になっている程度の体術で避け、鉤爪で反撃を試みる。
「ギャギャ!」
それを避けられ、また槍が繰り出される。
三歳の子供が魔物と戦っていると見ればハラハラするが、戦士と戦士の戦いと見るなら欠伸を噛み殺さずにはいられない、拙い応酬が続く。
その周りには、十数匹のゴブリンソルジャーの死体が転がっている。それをなしたのは、ヴァンダルー……では無く、骨人やバスディア達である。
襲い掛かって来たゴブリンソルジャーの群を一匹だけを除いて皆殺しにし、ヴァンダルーの実戦相手に宛がったのだ。
『坊ちゃんの格闘術の才能はどうですか?』
ハルバードに付いた血を拭ったサリアがバスディアに聞くと、彼女は「どう言っていいか分からない」と答えた。
「ヴァンにも言ったが、筋は良い。良すぎてハラハラするぐらいだ。だが、天才と言うのも違う気がする」
『ええっと、それは才能があるって事ですか?』
『あたし達よりも覚えは良いし、すぐ追い越されそうだよね、姉さん』
バスディアの言葉に存在しない首を捻るサリア。リタの言う通り、ヴァンダルーの覚えは良いように彼女には見えた。
彼女達は今でこそリビングハイレグアーマーとビキニアーマー、アンデッドだ。しかし生前はただのメイドで、箒で掃除をしても、槍斧や薙刀を振り回し弓矢で魔物を射殺すような事はした事が無かった。
そのため、魔物となった事で上昇した能力値頼りに武器を振り回し、ヴィガロに「新米臭い動きだ」と言われながら教わり、疲労や睡魔と無縁のアンデッドとしての特性を活かして夜中も訓練を行い、やっとスキルを身に着けたのだ。
それに比べれば、ヴァンダルーの覚えは早いように彼女達には見えた。夜はしっかり眠り、週に一日の休日は一時間程練習するだけなのに。
ちょっとゴブリンソルジャーの反撃を受けて傷ついているが、それは仕方ないだろう。鎧だけの私達とは違って、坊ちゃんには肉があるのだから。
「ヴァンには躊躇いが無い、怖がりもしない、焦りも今は無いらしい」
『ヂュゥ? それは良い事なのでは?』
剣の切っ先でゴブリンの死体に魔石が発生していないか探っていた骨人の言葉に、バスディアも「そうだ」と答えた。
「良い事だ。私も昔はヴィガロに散々怒られたからな。目を瞑るな、怖がるな、焦るなと」
しみじみと自分が半人前だった時を思い出す。今でこそランク4のグールウォーリアーになったバスディアだが、勿論最初から強かった訳じゃない。
子供の頃は過酷な魔境で生きていくため、厳しい訓練を課され乗り越えてきた。
練兵術も何も無いグールの実践重視のスパルタ式訓練で、今ヴァンダルーに彼女がしているように生け捕りにしたゴブリン等の弱い魔物と戦わされた。
しかし、実戦と訓練は違う。
自分を殺そうとしている相手に、この攻撃でいいのか、避けられたらどうしようと躊躇う。
殺意の載った視線と攻撃に晒され、傷つき殺される事を怖がる。
訓練通りの実力を発揮できず、どうすればいいのかと焦る。
『そういうものですか?』
『あー、焦るのは分かるかも』
『うん、躊躇うのと怖がるのは分からないけど、焦るのは分かるわ』
アンデッド達にはあまり共感を得られなかったようだが。彼らは感覚が生物とは異なるので、それが普通だろう。
「だが、ヴァンにはそれが無い」
ヴァンダルーは躊躇わずに攻撃し、怖がりも痛がりもせず攻撃を受け、焦らず反撃する。
また無表情に誤魔化されているだけかと思って聞いてみると、本当に躊躇いも何も感じていないらしい。
「最悪でも、俺が傷つくだけですし。これぐらいじゃ、死なないし」
ヴァンダルーは常に【危険感知:死】の魔術を発動しているので、自分が死ぬ可能性に敏感だ。敵からの殺気も、数ある危険の一つでしかない。
痛みも無視する事が出来るらしい。感覚が鈍い訳ではない、後回しにするのだ。
「もっと痛い目に前世であっているので」
どうやら前世で痛みから意識を逸らす方法を身に着けていたらしい。更にダンピールの高い治癒力と無属性魔術の【治癒力強化】が拍車をかけている。
そして失敗しても、ちょっと痛い目を見るだけと割り切っているので焦らない。指が落ちても足が落ちても、拾ってくっ付けさえすれば大丈夫。目はちょっと困るから、気を付けよう。
「だから、ああいう事をしてしまう」
そう言うバスディアの前で、ヴァンダルーの腕にゴブリンソルジャーの短槍が突き刺さっている。
『ああっ!』
『ちょっ、坊ちゃんっ!』
『グルルル!?』
リタ達が慌てるが、ヴァンダルーは平然としている。当然だろう、避けられないと判断した一撃に腕を盾にして凌いだのだから。
ゴブリンソルジャーはニヤリと笑って槍を引き抜こうとするが、それが彼の敗因だった。
「ふっ!」
三歳の矮躯からは考えられない力で、槍が刺さったままの腕を動かして、ゴブリンソルジャーの体勢を崩す。
「ギャギヒ!?」
そして鉤爪でつんのめったゴブリンソルジャーの脇を抉った。血を傷口と口から吐き出して、ゴブリンソルジャーは地面に転がる死体の一つになった。
「ふぅ……失敗」
そんな事を言いながら傷口から槍を引っこ抜き、【殺菌】した後治癒させる。
『失敗じゃありませんよ! 死んだらどうするんですか!』
『確か人って血を流し過ぎると死んじゃいましたよね!?』
『ゲエエエ!? グエエエエ!?』
「落ち着いて、死なないから、ごめんごめん」
慌てるサリア達を宥めながら謝るヴァンダルー。だからハラハラさせられるのだ、しかも怒り難い。バスディアはそう思った。
「すみません、攻めきれずにいる間に足元に転がる死体に足を取られて相手の攻撃を避けられなくなり、このままだと重傷を負うので腕を盾にしました。
次は鉤爪で槍を逸らすか、そもそもその前に倒せるようにしたいと思います」
本人としては腕を盾にしたのは最悪の事態を避けるための行動であり、仕方の無い事だったという感覚なのだろうが、それでもそれを親しい者が見たら良い気分はしないだろうなと気がついている。……しかも強く叱るとパニックに陥る。
「よし、次は気を付けるんだぞ」
なので、バスディアとしてはそう言った後、あの時こうすればいいとか指導するに止めるのだった。
本人が技量不足を自覚しているので、不足している技量が手に入ればあんな無茶をする必要は無くなるだろうとバスディアも、そして話を聞いたザディリスもヴィガロもそう考えていた。
誰も好き好んで自分の身を削ったりはしない。ヴァンダルーだって痛覚が無いわけではないのだ。削らずに生き残れるなら、勝てるなら、痛くない方法を選ぶはずだ。
実際、自分の力以上のものが生き残るのに必要な状況に陥ったら、ザディリスもヴィガロも無理や無茶をして何とか修羅場を潜り抜けて来た。特にザディリスは、その無茶をしてヴァンダルーに助けられたのだし。
「っと、いう訳でヴァン。お前には早く技量を上げてもらうぞ。休憩したら次だ」
なので、すぐ対処できる程度の無理無茶で済む今の段階で、ヴァンダルーにはしっかりとした技量を身に着けてもらいたい。
「……ちょっとペースが速くないですか?」
「速くない」
「じゃあ、魔術を使ってもいいですか?」
「強い腕っぷしが欲しいんだろう? 頑張れヴァン♪」
「せめて正面からじゃなくて、普通に不意打ちとか奇襲とかしていいですか?」
「それじゃあ技量が身につかないだろう、ファイトだ♪」
魔術を使ったら武術の訓練にならないし、魔術と武術を組み合わせて戦えるほど今のヴァンダルーは器用じゃない。
高い能力値で翻弄し、不意を打てばゴブリンソルジャーくらい一撃で殺せるが、それでは肝心の技量が身につかない。
そして何よりも、男は強くなくては。
「カチアから聞いたが、妻は子供だけでは無く夫も育てるという言葉が人種にはあるらしい。
安心しろ、ヴァン。お前は私が育ててやるからな♪」
「……わ、わーい」
強くなりたいから格闘術を教えて欲しいと彼女に言ったのは自分だし、このほぼ実戦の訓練が効果的なのは解っている。
「大丈夫だ、ヴァン。お前は出来る!」
「はい」
そして何より、ヴァンダルーは褒められると弱いタイプだった。
この日、ヴァンダルーはゴブリンソルジャー二匹、コボルト一匹、ミニニードルウルフ二頭、ゴブリンナイト一匹を一人で倒したのだった。
《【格闘術】スキルを獲得しました!》
次話の投稿は18日になる予定です