三百一話 ペリアの復活と再開される戦い
あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。
ボティンの宣言によって、魔王の大陸は時間が止まったかのように静まり返った。
最初に動きを止めたのは、ヴァンダルー達だ。本体はボティン達の足元でじっとしているだけだが、使い魔王を通じて、『防御に専念』と伝えたためである。
その指示は当然だが前線で戦い始めたばかりで、【御使い降魔】や【降臨】をまだ使っていないクノッヘン、骨人、ゴドウィンには届かないが、グファドガーンが指示を行き渡らせた。
魔王の大陸に存在する魔物の内、防衛隊によって調教された個体は動けない。誰にも支配されていない野良の魔物は、大神の出現に驚き、一目散に逃げていったが。
神に匹敵する力を持つ魔物も、大神が放つ圧倒的な威圧感を前にすれば、恐れ戦かずにはいられない。そして、彼らはその恐怖と戦う理由がない。生存本能の警告に躊躇わず従った。
そのため、『法命神』アルダを神々の長と仰ぐ防衛隊の神々は、誰にも邪魔されず呆然自失となる事が出来た。
『そんな……馬鹿な……』
『我々は……何のために戦って来たのだ?』
『あ、ありえない。幻覚……あれは幻ではないのか!?』
彼等には、ヴァンダルーが自分達の目をどうやって掻い潜り、ボティンが封印されている場所まで到達できたのか、考える余裕もなかった。地下トンネルや、その奥にあるヴィダの新種族が住む地下大空洞のガルトランドの存在に、思い至ってもいない。
それ程の衝撃だったのだ。
彼等は、「ヴァンダルーがボティンの魂を喰らうために狙っている」と推測したアルダの指示によって、防衛隊を組織して戦って来たのだ。
『大地と匠の母神』は封印から解放されればアルダと……自分達と共にヴィダ派と戦うと信じて。
『まさか、奴らは最初からボティンを解放する事が目的だったのか? では、今までの攻撃は……まさか、あれは侵攻ではなく、偽装だったのか?』
しかし、防衛隊の指揮官であるゴーンは自失には至っていなかった。半端に思考が働く分、気がつかなければ楽だった事にまで気づいてしまっているが。
これまで自分達が『激戦』だと感じ、犠牲を出しつつも『撃退』出来ていると思っていた戦いが、全て偽装。茶番劇だった。
それに気づいた時、ゴーンは、全身が腐り落ちるような絶望を味わった。
『だが、何故……封印されているボティンと意思の疎通が取れるはずはない。彼女が味方につく、確信でもあったというのか?』
ゴーンは呆然としたまま呟いた。だが、彼が冷静に考えればボティンがアルダ側につくという確信こそ、幻だったという事に気が付けただろう。
『いや、ボティンは封印から解放されたばかりだ。一時の気の迷いかもしれん。説得すれば……我々ではなく、アルダが直接説得すれば、ボティンも正気に――』
『それはあるまい』
ゴーンのか細い希望を……妄想を否定したのは、『鏡像の神』ラーパンだった。
『ゴーン、亜神であるお前達には分かり難いだろうが、我々神は信者達の見聞きした事を我が事のように知る事が出来る。
ボティン様の……ボティンの判断は、十万年前から現代に至るまでの信者達の情報と、祈りを聞いたうえでのもののはず。アルダ様が直接説得したとしても、先程の宣言が翻る事はないだろう』
ラーパンの言葉に、ゴーンは視界が歪むようなショックを受けた。何故なら、ボティンはあの宣言通り、十万年の間神々の長として君臨し、この世界を守り少しずつ復興させてきた自分達の行いを評価したからだ。それでも、『法命神』アルダを認めないという。
これは、ボティンがアルダに突き付けた絶縁状に等しい。
ボティンとその従属神の復活によって、不利に陥った戦況を逆転できると期待した分、ゴーンが受けたショックは大きかった。
そして、ゴーンが膝から崩れ落ちたのを見た亜神達は統制を失った。
『……撤退だ。撤退するんだ!』
『逃げろっ! 皆、逃げるんだ!』
『もう勝ち目はない! 我々の負けだ!』
まず、ボティンが封印されている地点の周囲に降臨していた神々が、我先に逃げ出した。
彼等はボティンの封印の周囲をゴーン達が疑似神域化させ、最終防衛地点とした封印の周囲に配置された事でボティンの復活とその宣言の衝撃を、ヴァンダルーを除けば物理的に最も近くで受けた存在だ。
封印が解除された際に発生した衝撃波によって、疑似神域から押し出された事で、今も力を激しく消耗し続けている。
彼らの言う通り、復活したボティンがヴァンダルー側に付いた以上、防衛目標が敵に回ってしまったのだから、戦力的にも目標的にも勝ちはない。
いっそヴァンダルーを倒せるなら、それが勝ちではあるのだろうが……それが今の防衛隊では不可能なのはこれまでの戦いで分かっている。
彼らが逃げ出すのを、ボティン達は無言で見送った。彼等が逃げた後、ボティンの言葉に従ってアルダ勢力から離れて中立の立場に身を置くかは分からない。
寧ろ、アルダの元に逃げ帰って英雄候補を育てながら力の回復に努め、再び敵として現れる可能性の方が高そうに思える。
「念のために言いますが、これから逃げる者は見逃してください」
それは分かっているが、ヴァンダルーは彼等の背中を撃つ気はなかった。何故なら、それをするとボティンの顔を潰す事になるからだ。
疑似神域から弾き出されて力を大幅に消耗した小者の神が数柱では、ボティンから不興を買う代償としては少なすぎる。
それに、ボティンは「亜神達は己の住処に帰り、神は世界の維持に専念しろ」と言った。つまり、次にそうでなかったときは、見逃さなくていいのだ。もし逃げた神々が再び敵として現れたら、その時に喰らうなり封印するなりすればいいのである。
それに、別の目的……希望的な予想もある。
(ボティンまで俺の味方になった事で、アルダ勢力の中にも考えを変える神がいるかもしれない。この場にいないアルダ勢力の神々が、立場を中立へ変えてくれれば敵の戦力は低下し、結束にヒビを入れる事が出来る)
『雨雲の女神』バシャス達がヴィダ派に転向した事で、アルダ勢力には既に動揺が走っているだろうが、そこにボティンまでヴァンダルーの味方になったとなれば、アルダに従う神々も冷静ではいられないはずだ。
きっとバシャスのようにヴィダ派に転向するか、そこまででなくてもアルダ勢力から距離を置いて中立の立場をとる神も出て来るだろう。
(彼等がそうなるかもしれませんしね)
そう、思いながらヴァンダルーが神の後ろ姿を見送っていると、影から声が響いた。
『坊ちゃん、そろそろ出ても大丈夫でしょうか? 』
「あ、サム。大丈夫ですよ。後、ジョブチェンジ部屋を使わせてください」
今回の戦いではまだ亜神を倒してはいないが、バクナワが大量の魔物を喰らっており、その経験値でヴァンダルーの【混導士】のレベルが100に到達していた。
今も一応戦闘中だが、敵は呆然自失としたまま立ち直る様子がない。それに、ここは文字通り大神の足元である。ある意味では、世界で最も安全な場所だ。
『おお、またジョブを一つ極めたのですね! おめでとうございます、坊ちゃん!』
そう言いながら、ヴァンダルーの影からサムが現れる。そして馬車からメーネとホーフが出てきて、馬具を自動的に装着する。
『さっ、どうぞ坊ちゃん』
リタとサリアによって迎え入れられたヴァンダルーは、速やかにジョブチェンジを済ませた。選んだのは【神導士】である。
導士ジョブが続くが、ゴーン達の様子から考えるとこのまま戦いが終わる可能性もあるので、【神滅者】よりも状況に合っている気がしたのだ。それに――。
「『大魔王』なんて二つ名がついた直後ですからね」
ヴァンダルーがサムの荷台に入って数秒後。ゴーン達にも動きがあった。
『儂も退かせてもらう。皆も、逃げろ』
『この状況でこれ以上戦っても、意味はない』
『悪いことは言わない。ゴーン殿達も、今の内に逃げるのだぞ』
しかし動き出したのは戦いの再開を望む者ではなく、先に逃げ出した神々の後に続く者達だった。
彼等はここで戦う意味はないと逃げていくが、彼らの中にはこのままペリアの防衛隊と合流しようと考えている者が多かった。
そして、ヴァンダルーが再びペリアを狙って攻め寄せて来た時に迎え撃つつもりだったのだが……それは甘過ぎる考えだった。
ボティンがヴァンダルー側に付いたという現実に、思考が未だ追い付いてないのを責めるのは酷かもしれないが。
その頃、ボティン防衛隊の一部が向かおうとしていたペリア防衛隊が守る海域では、大混乱が起きていた。
『これは、これはいったい何事なのですか!?』
聖域は大きく揺れ、海水のドームは今にも崩壊しそうだ。そんな中、防衛隊の一柱である若い神が、叫んだ。
『どうか、どうかお答えください! 『流れの女神』パーグタルタ殿! 何が起きているのですか!?』
問われたのは、ペリアの従属神の中でも彼女の腹心である古参の女神のパーグタルタだ。
ペリアに似た優美な長い髪をした彼女は、青い鎧に三つ又の槍を携えた戦時の姿をしたまま、嬉しそうに笑っていた。
これまで常に浮かべていた優しげな微笑ではなく、唇の両端を大きく釣り上げた歓喜の笑みだった。その笑顔のまま、パーグタルタは答えた。
『貴殿は何を狼狽えているのだ? 十万年間、待ちに待った瞬間が目前に迫っているのだぞ。遂に、我が主ペリアが寝ているふりを止め、寝所から出る時が来たのだ!』
彼女が言った『寝ているふり』と言う言葉から、実はペリアが目覚めていた事を知り、防衛隊の神々が驚愕に目を剥く。
だがパーグタルタの言葉の真偽を確かめる余裕は、彼らにはなかった。
『それは……ペリア様の復活は我々も望んでいた事! お喜び申し上げる! だが、しかし、何故ペリアは我々を排除しようとなさるのですか!?』
何故なら、聖域に流れる水が激流となって彼らを押し流そうとしているからだ。
海中の聖域を守るために集まった防衛隊には、水属性の神々や亜神が多い。彼等は総出で海水の流れを止めようとしているが、その場に踏み止まるのが精一杯だ。
それ程の激流を操る事が出来るのは、大神である『水と知識の女神』ペリアを除いて他にはない。
その若い神の推測は、正解だった。
『何故ペリアがお前達を排除するのか、か? それは当然だろう。まだ敵対勢力に属しているお前達を、傍に置いたまま行く訳にはいかない』
『わ、我々が敵対勢力!? で、ではペリア様は……まさか!?』
『察しが良くて結構。では、そろそろさらばだ。とは言っても、お前達の今後の身の振り方によっては、意外と早い再会になるかもしれないが』
驚き、聞き返す若い神に、パーグタルタは笑みを深くして答えた。その瞬間、激流の速さが更に上がる。
『それはいったいどういう意味なのです!? まさか、我々もヴィダ派に鞍替えせよとでも!?』
今にも流されそうになりながら若い神が叫ぶが、パーグタルタの答えを聞く前に、彼は激流に飲み込まれて流されていった。
『……どちらの流れに付くのか、決断を促されているのだ。お前達は、この幸運に感謝すべきだろう。流れの行き着く先がどうであっても、自身の意思で選ぶ事が出来るのだから。
さらに、日和見を決め込む自由も、ボティン殿によって認められたのだからな。我が主なら、そんな事は許さなかっただろう』
そんな腹心の言葉が聞こえたのか、激流が大きく弾けてパーグタルタも飲み込み、そのまま海面を貫き空まで届く水柱となった。
ここにペリアは目覚めたのだった。
そしてペリアは、魔王の大陸のボティンの封印間際に造られた疑似神域に……上空から見ると彼女がユリアーナに神託で「気持ちの悪い色の顎」と伝えた通りに見える場所に、空から水柱と共に降り立った。
『待たせたようね』
パーグタルタを従者として現れたペリアは、他の大神達同様に真なる巨人や龍に合わせた巨大な姿で顕現したが、海のような青い髪と瞳をした理知的な美貌に粗はなかった。そして、静かに兄弟姉妹達と再会の挨拶をした。
『久しぶりね、ペリア』
『……力は戻ったようだな』
嬉しそうにヴィダは微笑み返し、ザンタークは青あざが出来た顔を不自由そうに引きつらせた。
『ああ、待った。とても、待った』
『狸寝入りしていたんだってね。リクレント達まで無視して。ちょっと悪趣味じゃないかい?』
『ペリア、汝の目覚めに我から言葉を贈ろう。や~い、ペリアのビ~リ』
ズルワーンに至っては真顔で煽る始末である。
『はいはい、再会を喜ぶのも、小言も苦情も後で承るわ。でも仕方ないでしょう? 目覚めてみればアルダは訳が分からなくなっているし、ヴィダとザンタークは何処でどうなっているのか分からないし。そしてボティンは封印されたまま。リクレントとズルワーンは半死半生で動き回っている。
これでは、私に出来るのは狸寝入りぐらいよ』
ペリアは、完全に力を取り戻した。しかし、それは十万年前の彼女にとっての完全でしかない。ヴィダとザンタークを排除し、唯一残った大神となった『法命神』アルダは人間社会の信仰を一身に受けた。
人間達は従属神達や、眠りについていたリクレントやズルワーン、ペリア、そして封印されているボティンへも祈りを捧げたが、神々の長として振る舞うアルダと、アルダこそ神々の長であると唱えるアルダの司祭達の姿は彼等の心に強く刻まれた。
そのため、人間社会では全ての神々の信仰に、「神々の長はアルダである」と言う前提が加わったため、他の神への信仰の一部がアルダに向けられ、アルダは十万年前よりも強大な力を得るに至った。例外は、後世にアルダを信仰する勢力への反発から復活した、ヴィダとザンタークへの信仰と、境界山脈内部や魔大陸、そしてガルトランドの住人達の信仰ぐらいだった。
……それ程の力を得ても、光属性だけではなく生命属性の管理と魔王軍残党との泥沼の戦い、そしてヴィダ派への警戒を続けるのはきつかっただろうけれど。
その状況で目覚めたペリアは、アルダに協力するか狸寝入りをするかの選択を迫られた。
境界山脈内部には結界があるため彼女も入れないし、神託を送れない。ガルトランドの存在は知らない。魔大陸に向かっても、ザンタークがまだ正気を失っていたら詰んでしまう。
そして、力を失ったまま暗躍し、コンタクトを求めて来るリクレントとズルワーンに付いて行っても、危険が伴う。アルダとその配下の神々にバレれば、リクレント達に危険が及ぶので、こっそり応えるのも拙い。
そうしてヴァンダルーが生まれ活動するまでは、ただひたすら時を待った。ヴァンダルーが生まれ、ヴィダが復活した事を知ってからは、機を待った。
何故なら、ペリアがヴィダに合流すれば、アルダはまだ眠りについているボティンに、ペリアの護衛に割いていた戦力を集中させるはず。いや、もしかしたら、更に戦力を集めるかもしれない。
そうなれば、ヴァンダルーでも苦戦は必至のはず。
そのためユリアーナに神託を送り、ボティンの封印を先に解くよう促したのだ。後は、ボティンが復活するのを待って行動を開始するだけ。
(それにしても、ヴィダの新種族と元魔王軍か。……想像以上に逞しいわね。味方に付けようとしたザッカートと、生み出したヴィダの選択は正解だったようね)
さすがのペリアもガルトランドの存在は知らなかったので、想定よりも早く事が進んだ事にガルトランドの神々と住人達を高く評価していた。
『もっとも、不要な気遣いだったかもしれないけど』
遥か遠くに見える船団に、ヴィダの化身を始め神の領域に踏み込んだ者達が多数。そしてマルドゥークの因子と『大魔王』の血を受け継ぐ、ティアマトの子。
そして足元の『大魔王』本人。ボティンとペリア、両方の防衛隊を一度に相手取っても、勝ててしまいそうだとペリアは思った。
「それは過大評価だと思いますよ。単純に数が倍になるだけでも脅威ですし、俺の魔力も無限ではありません。それに……初戦は危なかったですからね」
ペリアの言葉を聞いていたヴァンダルーは、彼女の評価を否定しながらサムの荷台から降りてきた。
《【魔力常時回復】、【猛毒分泌:牙爪舌】、【無手時攻撃力増強】、【生命力増強】、【全能力値強化】、【料理】、【群隊】、【将群】、【欠片限界超越】、【群体思考】、【群体操作】、【魂魄体】スキルのレベルが上がりました!》
《【神道誘引】、【導き:神道】スキルを獲得しました!》
《【冥魔創滅混夢道誘引】に【神道誘引】が統合され【末那識誘引】に、【導き:冥魔創滅混夢道】に【導き:神道】が統合され【導き:末那識】に、覚醒しました!》
【神導士】にジョブチェンジしたヴァンダルーだったが、呆然自失としている防衛隊に何か影響を及ぼしているような感触はなかった。
寧ろ、サムやリタ、サリア、ボークス、そしてユリアーナに及ぼしている影響の方が大きいように思える。
(そう言えば、末那識って何のことでしょうか?)
新たに神道を加えて七つになった導きと誘引が覚醒したこのスキルの名称は、ヴァンダルーにはその意味が分からないものだった。【完全記録術】スキルを持っていても、そもそも知らないものは思い出しようがない。
末那識とは、意識の更に奥にあるもので、自己を認識する自分自身を表している。【根源】スキルを持ち、魂が異形であるヴァンダルーには、この覚醒は相応しかったのかもしれない。……当人は気が付いていないが。
『そうかな? 特に、魔力が無限ではないという点については異論があるのだけれど。魔術は魔力の消費が大きい大技を多用するけれど、それで魔力が足りなくなってもどうにでもなりそうだ』
ペリアの声を聞いて、ヴァンダルーの意識は自身のスキルから現実に戻った。彼女が指摘した通り、大技を多用して魔力が足りなくなったとしても、ヴァンダルーにはどうにかする手段が複数存在する。
しかし――
『しかし、どうにかなるからといって、魔力が枯渇する事を前提にするべきではない。実際に枯渇した時、その手段が取れる状態かどうかは不明なのだから』
『儂個人としては好みだが、大将が前線に出て戦う戦は、最近流行らないそうだ。安全な所で戦場を見下ろし、いざ自らの身に危険が迫ったら我先に逃げだす者を大将と呼べるのか、疑問だが』
しかし、ヴァンダルーが反論するより先にリクレントとザンタークが口を挟む。
『リクレントの言う事は尤も過ぎて面白みがないが、ザンタークの意見はヴィダの新種族に寄り過ぎている。いや、単に古いのか』
『ペリア、それは仕方がない。今の人間社会じゃ、ザンタークは半ば以上邪悪な神扱いで、信者の殆どはヴィダの新種族だから。そもそも、彼が大将に相応しくないと感じる人間達は彼の信者じゃない』
『私は、ヴァンダルーなら大丈夫だと思うけれど』
『……ズルワーンは相変わらずだけど、ヴィダは化身に影響を受け過ぎだね。ヴァンダルー、あんたはこっちに構わずやる事をやりな。聞きたい事があったら、後で話そう』
「はーい」
『坊ちゃん、皆が来ましたよ。ユリアーナちゃんが……なんか小麦色ですね』
『冬ですが海なので、焼けたのでしょうか? ちょっとうらやましい』
頭上で行われる会話を終えたヴァンダルーが視線を地上に戻すと、丁度地下トンネルを抜けて、さらにボティンが封印されていた空間を走破したボークスやユリアーナ、レビア王女やキンバリーがやって来るところだった。
『おい、坊主! 嬢ちゃんがいきなりランクアップしたぞ!』
そしてボークスが肩に乗せているユリアーナの肌が、サリア達の屍蠟のような肌とは対照的な褐色に変わっていた。
「ヴァンダルー様! 私、ボティン様からも加護を賜って、種族がミノタウロスハーフからハトホルに変化しました!」
「おお、それは良かった……のですか?」
「はいっ!」
元気そうに笑うユリアーナは、変化を気にしている様子は見られなかった。肌の色が変わったのは、彼女にとっては小さなことなのかもしれない。
ハトホルといえば、ヴァンダルーの記憶にはエジプト神話の牛の頭部を持つ女神として残っている。だから、ミノタウロスハーフから変化したのかもしれないが……この世界の土属性の大神から加護を得たからといって、何故ハトホルになるのか、やや不可解だ。
(もしかしなくても、ボティンではなく俺が原因かな?)
ヴィダル魔帝国にはコボルトから変異したアヌビスに、リザードマンの新世代が変異したアーマーンが暮らしている。どれもエジプト神話の神であり、共通するのはヴァンダルーと死属性の魔力だ。
やはり、原因は自分だろう。【神導士】になる前、ジョブチェンジ可能な候補に【アポピス】というジョブが新たに生えていたし。……他にも【アザトース】というジョブも生えていたが、こちらは今は考えないでおく予定だ。
ちなみに、ボティンは変異しているユリアーナを見て『人間よりも魔物に近い体質のようだけれど、加護で変異するとは思わなかったよ』と内心少し驚いていた。
『ペリアまでヴィダに付いたというのか……もうダメだ! 逃げるしかない!』
その時、防衛隊がいる方から叫びながら亜神達の一部が逃げ出した。ペリアの降臨に驚いて再び動きを止めていたが、思考が動き出すと同時に恐慌状態に陥ったようだ。
『海鳥の獣王』ヴァルファズの仇を取るために防衛隊に加わった鳥系の獣王が、無防備な後ろ姿を晒して逃げていく。船団に攻撃する意思があれば、確実に落とされていただろう。
しかし、ヴァンダルーの命令が徹底されているので、獣王達がその背に砲撃を受ける事はない。彼等は巨大な翼で魔王の大陸から離脱していく。他の亜神達の一部も、それに続こうとする動きを見せる。
『ギャァアアアアアア!』
だが、砲撃ではなく雷撃によって一柱の獣王が落とされた。
『この臆病者共が!』
雷撃を落としたブラテオがそう吐き捨て、ゴーンが唖然として声を出した。
『ぶ、ブラテオ、味方を攻撃するとは何事だ? 気でも狂ったのか!?』
『敵前で逃亡する者を、貴様に代わって処罰したまでだ!』
『敵前? 逃亡? 貴様、まさか、まだ戦うつもりなのか!? 勝ち目などないぞ!』
『では貴様は逃げろと、一旦逃げて様子を窺えとでも言うのか、ゴーンよ!?』
そして口論を始める二柱の真なる巨人。ブラテオが攻撃したのが獣王だったので、グファドガーン達は戸惑いながらも防御姿勢のまま様子を窺っている。
『一旦逃げて、様子を見て、どうなるというのだ!? 今より状況が好転するのか!? アルダ以外の現存する大神全てがヴィダ側に、ヴァンダルーの味方をしているこの状況から!?
確かに、それでもベルウッドが復活すれば勝ち目はあるかもしれん! だが、その復活は奴が世界を手中に収めるまでに間に合うのか!?』
ブラテオが大声で主張したのは、悲観的だが事実だった。勇者であり英雄神であるベルウッドが復活すれば、リクレントとズルワーンの力が戻っていない今なら大神六柱の援護を受けたヴァンダルーと戦っても、勝てるかもしれない。
なんだかんだと言っても、ヴァンダルーは純粋な戦闘能力では未だに魔王グドゥラニスよりも下回っているのだから。
だが、この危機的状況に至ってもベルウッドは復活していない。ブラテオが復活を信じられなくなっても無理はない。
『答えられないか、ゴーン!? ならば、今こそが最大の勝機だ! まだズルワーンとリクレントが力を取り戻しきっておらず、ボティンも復活したばかりだ! 何より、奴らは儂等が創りあげた疑似神域の中から出る事は出来ん!』
ブラテオの訴えに、亜神達が『確かに』と理解を示す。今から時間を置けば置くほど大神は力を取り戻し、アルダ勢力の神々は信者の数を減らし、ヴァンダルーは仲間を増やし、強化する。
どんなに小さくても、無に等しくても、今が最大の勝機である。それは、ヴァンダルー達の急成長を知っており、さらに、バクナワと言う新戦力の脅威を味わった直後の亜神達には強い説得力があった。
『……そうね。確かに、その通りよ』
半死半生の状態のマドローザもまた、ブラテオに同調した。
『冷静になりなさい。このまま逃げてアルダから離れたとしても、奴らがボティンの言葉通り、見逃すと思うの? バラバラになったところを一柱ずつ各個撃破されるのが目に見えている!』
マドローザのその訴えに、防衛隊の面々ははっと目を見開き、ヴァンダルー達はそれぞれ顔を顰めた。
彼女の主張は、ヴァンダルー達にとっては被害妄想に等しい。しかし、これまで繰り返し攻撃を受け、それが偽装工作だったという事を明らかにされた直後の防衛隊の面々にとっては、限りなく現実味のある妄想だ。
実際、ヴァンダルーも自分がゴーン達の立場だったら絶対に信じないと思っていた。
(誓いを守る、誇り高く誠実な敵というには、これまでの行いが行いですからね)
明らかな騙し討ちや卑劣な罠を使った覚えはないが、不意打ちや奇襲は頻繁に使ったし、自分達が正々堂々と正面から全力で戦ったつもりでも、相手にはそれが奇策や禁じ手にしか見えなかったのだろう。
もっとも、彼はその事を特に残念には思わなかったが。アルダ勢力から見れば、【魔王の欠片】を吸収し、アンデッドや魔物を使う段階で、ヴァンダルーの評価は下がりきっている。それに、これまでの戦いを以って「信じられない」と断じる存在を、無理に味方にしても反発されるのが目に見えている。
『確かに……砕け散るまで戦ってこそ、繋がる未来もあるだろう!』
そして、ゴーンもブラテオとマドローザに同意した。
ボティンは彼等の言葉に深い溜め息を吐いて目を閉じ、ペリアは首を横に振り、ヴィダはただ諦めたような笑みを浮かべた。
『そうか、あたしが知らない内に、あいつ等とは道を違えていたんだね』
そう言うと、ボティンは半歩下がった。
「では、後は任せてください。戦闘、再開」
そしてヴァンダルーの言葉の直後、砲撃が再開された。
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○ジョブ解説:混導士 ルチリアーノ著
師匠がジョブに就いていた期間が短いので、確かな事は言えないが……混沌を導くジョブなのか、混沌が導くジョブなのか、微妙なところだ。
推測すると、混沌(師匠)が確かな名称や形を失った存在(霊)や何処に向かうか決めていない存在を、混沌へと導く導士なのかもしれない。
恐らくだが、正気でも狂気に陥っていても、このジョブには就けないだろう。師匠のように、正気であると同時に狂気でもなければ。
302話は、1月9日に投稿する予定です。




