二百八十七話 第一子
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『龍皇神』マルドゥーク。
『生命と愛の女神』ヴィダ達属性を司る大神と同時に誕生した、十一の大神の一柱。全ての龍の神にして、親である存在だ。
神話に残るマルドゥークは巨大にして偉大な龍で、彼とその眷属たちは魔物が存在しなかった当時の世界では巨人と並ぶ自然の象徴、人々にとっては畏れ敬うべき存在だった。
しかし、魔王グドゥラニスが配下の邪神悪神を率いて現れた時、その役割は世界の守護者へと変わった。
眷属を率いて魔王軍と戦い、創られたばかりの魔物を尾の一振りで蹴散らし、その牙と爪で邪神悪神を引き裂き、絶大な威力を誇るブレスで魔王グドゥラニスも易々とは近づけさせなかった。
だが、魔王グドゥラニスはあまりに強大で、『獣神』ガンパプリオが滅ぼされた後、マルドゥークも全身を千々に引き裂かれてしまった。
十万年後、その骨の欠片が魔王の大陸の地下、ガルトランドで掘り進んでいるトンネルから発見された。
魔王の大陸の地下で発見された事自体は、おかしくない。神話では語られていないが、リクレントが言っていた通り、マルドゥークがグドゥラニスに倒された場所が魔王の大陸だったからだ。
それに、最初に発見された骨の欠片は短剣ほどの長さだった。マルドゥークがどれ程巨大だったのか正確には伝わっていない。バラバラに引き裂かれた遺体が大陸中にばら撒かれたと思えば、適当に掘ったトンネルから骨の欠片が出て来ても、不思議ではない。
不思議なのは、こんな地中深くで発生したミスリルゴーレムの体内に骨の欠片があった事だ。ヴァンダルーは勿論、第一発見者のルヴェズフォルも疑問に思った。
勇者ベルウッドがグドゥラニスを倒した後、魔王の大陸は一度徹底的に破壊されている。その際に地中深くめり込んだ……とは流石に考えられない。もしそうなら、魔王の大陸の地上部分は物理的に無くなっていただろう。
だが、マルドゥークの骨が見つかったのは事実だ。何者かの意図も感じられない以上、事実を否定する訳にもいかない。
そこでヴァンダルーは一旦トンネルの掘削工事を中止して、他にもマルドゥークの骨が無いか、ゴーレムが発生したミスリルとアダマンタイトの鉱脈を探した。
ミスリルやアダマンタイトのゴーレムと連戦する事になったが、その甲斐あって幾つもの骨の欠片を発見する事が出来た。それらの欠片に死体の損傷を治す死属性魔術の【治屍】をかけると、大木のように太い骨になった。それを現在、最もマルドゥークを知っているだろう人物の元に持っていった。
『これは……たしかに妾達龍の長にして父、マルドゥーク様の骨じゃ。恐らく、牙ではなく尾の方のものじゃな』
現存する龍の中で最も格の高い、『山妃龍神』ティアマトはヴァンダルーから受け取った骨を、愛おしげに眺めた。
『僅かだが、マルドゥーク様の残留思念がある。ルヴェズフォルがパニックに陥るはずじゃな』
骨にはマルドゥークの残留思念があった。ルヴェズフォルは、骨が尻尾に刺さった時にマルドゥークの思念を感じたのだろう。マルドゥークの死後、魔王軍に寝返った彼にとって、マルドゥークは恐怖の対象だろうから。
「マルドゥークの残留思念は何と言っているのでしょうか? ルヴェズフォルに聞いても、答えてくれなくて」
本来なら、ヴァンダルーは残留思念も読む事が出来る。だが、残留思念が龍の咆哮だったため、彼には理解できなかった。
『いや、意味のある言葉ではないぞ。おのれ! とか、貴様! とか。いわゆる怒りの咆哮、断末魔の叫びじゃろう。
グドゥラニスに対してのものじゃろうが……ルヴェズフォルが狂乱したのは、怒りの対象を自分だと誤解したせいじゃろう』
しかし、ティアマトによると最初から意味のある言葉ではなかったようだ。
『マルドゥーク様は人間達の神話だか伝説だかにあるように、魔王によってバラバラに引き裂かれて殺されたからの。これは尾の方の骨じゃから、仕方あるまい。
頭蓋骨の方なら、意味のある思念もあったかもしれぬが』
「そうでしたか。それを教えれば、ルヴェズフォルも立ち直る事でしょう」
死後に裏切った大神からの、怒りの思念。尻尾に何か突き刺さった痛みと同時にそんなものを感じたら、ルヴェズフォルならパニックにも陥るだろうとヴァンダルーは納得した。
『まだ狂乱しておるのか?』
「いえ、パニックは納まったのですが、燃え尽きたようにぐったりしています。ブラッシングしても、何の反応もありません」
『妾の仕置きより効いておるな』
マルドゥークの残留思念に込められた怒りに、ルヴェズフォルの精神は叩きのめされてしまったようだ。今は屍のように……いや、屍よりも大人しい。
『まあ、奴は結構図太い神経をしているようじゃから、大丈夫じゃ』
そう言いながら、ティアマトはヴァンダルーにマルドゥークの骨を返した。自分の身体よりも大きな骨を受け取ったヴァンダルーは、首を傾げて尋ねた。
「ところで、この骨はどうすれば良いのでしょうか?」
『どうすれば? 妾にそう言われてものぅ……自分達の骨の活用法など考えた事もなかったからの。魔大陸の者達は、妾が脱皮した後の抜け殻を授けると、喜んで武具や霊薬に加工していたので聞いてみてはどうじゃ? 食べるのは勧めんぞ。髄も残っていない白骨じゃし』
そう答えたティアマトの脳天に、巨大だが綺麗な手が唸りをあげて振り下ろされた。
『ギャン!? な、何をする、ディアナ!?』
体長約百メートルのティアマトにチョップを入れたのは、同じく身長百メートルの真なる巨人、『月の巨人』ディアナだった。
『武具や霊薬は良いが、最後の食べるというのは何だ。幾らなんでも失礼だ』
嘆息してそう凛々しい美貌をしかめっ面にするディアナ。己の親でなくても、やはり大神への敬意は大きいのだろうと、ヴァンダルーは思った。
『いや、じゃが、この子なら骨まで美味しく食べそうじゃろう? それに、勧めないと言ったはずじゃ』
『話を聞いていなかったのか。そのマルドゥークの骨は、地中深くにバラバラになって埋まっていたのだぞ。
それを食べるとは何だ。勧めないのなら、最初から口に出すべきじゃない。ヴァンダルーに失礼だ』
……どうやら、大神への敬意からティアマトを叱った訳ではないらしい。
「あのー、俺が聞きたいのはマルドゥークの骨を葬るとか、そう言うのは良いのかなとか、そうした事なのですが」
今まで幾柱もの神々やその眷属を喰らってきたヴァンダルーだが、それ等とマルドゥークは彼にとっては別の存在だった。
喰らってきた神々は、アルダ勢力や魔王軍残党……つまり敵だ。そのため、魔物と同じように利用する事に抵抗はない。
だがマルドゥークは、神々がアルダ勢力やヴィダ派に分かれる以前に没した龍の大神だ。そのためマルドゥーク自身は敵ではない。もちろん、味方でもないが。
しかしティアマトや、今は屍よりも生きていないルヴェズフォル、この場にはいないが『晶角龍神』リオエン達竜人国の守護龍達に、『五悪龍神』フィディルグ……いや、最後はマルドゥークとは関係ないか。魔王軍からこちらに寝返った悪神だから。
フィディルグはともかく、多くの龍が仲間にいる。だから、その親であるマルドゥークに敬意を持って接するのは当然だろうとヴァンダルーは考えている。
しかし、やはり龍は人間とは違う感性を持っていた。
『とくには、ないの。十万年前、魔王グドゥラニスを倒して魔王の大陸の地上部分を一掃した後、当時の勇者軍最後の拠点にベルウッドが碑を建て、発見したマルドゥーク様の角の欠片やゼーノの髪を、死んだ勇者軍の者達の遺体と共に納めたが……それを探すのは難しかろう』
『十万年も経っているからな。とっくに失われているだろう。
ヴィダが建てた慰霊碑は、アルダ勢力との戦いの流れ弾で粉々に砕け散ったそうだし……大きなアルダの神殿に慰霊碑のレプリカがあるかもしれないが、そこに納めるか?』
「いいえ、納めたくないです」
わざわざ敵対勢力の真っただ中に行き、最高の素材になり得るマルドゥークの骨を納めるのは、流石に敬意を持っていても無理だ。
『妾達亜神は、人とは異なる存在じゃ。死したのち喰われるのは、妾達にとっては忌避感を覚える事ではない。自然に死んだ生き物は、鳥獣や虫に食い散らかされ、土に還るものじゃからな。
また、身体の一部を武具や薬に加工されるのも同様じゃ。寧ろ、優れた戦士や賢者に武具として振るわれるのは、誉であるとすら考えておる』
『我々が人間と同じように墓を建てていたら、大陸中墓だらけになってしまうからな。特に、マルドゥーク達は私達の十倍以上の巨体だ。穴を掘るだけで大事業になる。
無論、粗末に扱われるのは良い気分はしないが、ティアマトが言った用途に使うのなら、不快に思う事はない。寧ろ誇らしいと思うだろう』
龍や真なる巨人にとっては、死後も己の一部が子孫や己が認めた人間の役に立つのなら、それは名誉なのだ。
『例外はアンデッド化や、魔王軍配下の魔物の糧にされる事じゃな。まあ、アンデッド化はヴァンダルーがやるのなら問題なさそうじゃが』
「俺が作るアンデッド以外は、多くの場合理性を失い、生前の人格と記憶も受け継がないそうですからね。当時の考えは分かります」
ヴァンダルーが作った存在以外のアンデッドの殆どは、生者への憎しみしか持たず、生きている存在を見ると無差別に襲い掛かかるような危険な存在だ。
高い知能を持つ個体もいるが、その知能を扱う人格は邪に歪んでいるため、より狡猾に生者を攻撃するだけの場合が多い。
そのため、自らの死後アンデッド化させられる事は亜神から人間、そして知能の高い亜人型の魔物からも忌避されてきた。
アンデッドと化した後、敵となって生前の仲間や愛した人を手にかけてしまうかもしれないのだから、当然だろう。
「つまり、この骨は俺の自由に使って良いと?」
『うむ、良いじゃろう。竜人国のリオエン達も、異は唱えまい。マドローザ達は盛大に異議ありと叫ぶじゃろうが、叫ばせておけ』
『奴等にとっては、大神の遺骸を魔王が利用して戦力を増強するのと同じだからな。まあ、考慮する必要はないだろう。
ああ、もしゼーノ様の遺骨が見つかっても、同じだ。加工する前に出来れば一目見たいが、その後は構わない。兄も同じ意見だろう』
ティアマトはヴィダ派の龍の長、そしてディアナは真なる巨人の長の次に位置している亜神だ。二人が保証するのなら、確実だろう。
「しかし、そう言われてもどうしましょうか?」
普通なら自分の装備でも作るのだろうが、【魔王の欠片】を操るヴァンダルーに普通の武具は必要ない。杖はギュバルゾーの杖があり、今は更に機能を高めた杖を製作中だ。
他の面々も変身装具や【魔王の欠片】製の武具を持っている。
すぐにマルドゥークの骨製の武具が必要な相手が、ヴァンダルーには思いつかなかった。
「やっぱりクノッヘンにあげましょうか」
無数の骨の集合体のクノッヘンなら、このマルドゥークの骨も吸収できるだろう。
『どうやら使い道に悩んでいるようじゃな。では、妾が良い知恵を授けてやろう♪』
すると、声を弾ませたティアマトが家を何軒か載せられそうな巨大な掌を、ヴァンダルーの前に降ろした。
『……嫌な予感がする』
『まず、妾の掌の中心にマルドゥーク様の骨を置くのじゃ』
ディアナの呟きを無視してティアマトはヴァンダルーに指示を出した。そしてヴァンダルーも、「失礼します」と彼女の掌に乗り、躊躇せず指示に従う。
『次に、骨に血をかけるのじゃ』
「血を? では【魔王の血管】で……」
ヴァンダルーの手首から黒い管が突き出てきて、先端から赤い血を白い骨へかけ始めた。
そして常人なら失血死していないとおかしい量の血が骨にかかったところで、ティアマトは『もう十分じゃ』と言ってヴァンダルーを止めると、彼をもう片方の手で地面に降ろした。
『では、頂くとしよう』
そう言うと、ヴァンダルーの血とマルドゥークの骨を、赤い舌でベロリと舐め取り、飲み下した。
『うむ、これで一週間後には卵が生まれ、一月後には孵り、新たな龍が誕生するじゃろう。第一子の名前を、よく考えておくのじゃぞ』
「え……えー、そうなるのですか? ちょっと不意打ち過ぎませんか? 情緒も何もあったものじゃない」
ティアマトが何を狙っていたのか、そして自分が何をしたのか理解したヴァンダルーは、驚き、狼狽した。
彼女は、マルドゥークの骨を介してヴァンダルーの子を身籠もったのだ。生物学的な意味で、性交はしていない。マルドゥークの遺骨と、他人の、それも種族も異なる彼の血を飲んだだけで、子供が出来る理由は、本来なら無い。
だが、残念な事にティアマトは龍。生き物としての性質しか残っていないドラゴン、竜種ではなく、神としての性質を保っている龍だ。しかも、豊穣と多産を象徴している。
神話にあるような摩訶不思議な方法で子供を作るのなんて、彼女にとっては普通の事だ。
『だから嫌な予感がしたのだ』
『そう言うな、ディアナ。折角のチャンスじゃったし、あれは利用しない方がおかしい。もしゼーノの骨が見つかったら、次は譲るから』
『譲るな! 私はお前のような方法で子を作ったりしない!』
「安心しました」
声を荒げるディアナに、ヴァンダルーは安堵の溜め息を吐いた。ゼーノの遺体も、マルドゥークの骨と同様にトンネル工事の最中に見つかる可能性がある。
ディアナがティアマトと同じ方法で子をなせるのなら、見つけても隠す事を考えなければならなかった。……大神の骨を見つける度に子供が増えるのを、避けたかったようだ。
『ああ、心配はいらぬぞ。妾を正妃にしろだとか、生まれる子を帝国の跡継ぎにしろとか、そんな無茶を言うつもりはない。生まれる子は、人ではなく龍として生まれるじゃろうし。
これからも魔大陸と境界山脈の竜人国をよろしく頼む』
「はい。まず母さん達に報告して、それから急いで名前を考えますね」
こうしてヴァンダルーは、父になったらしい。
大きな湖に幾つかある島の一つに建てられた、小さな屋敷。よく訓練された数名の使用人に、屈強な騎士と優れた魔術師の護衛。品の良い調度品に、城にあったのと同程度の高級家具。生活を便利にするための、幾つものマジックアイテム。
それらが揃った環境で、働きもせず静かに暮らす事に不満があると言えば、「なんて贅沢な」と怒りを抱く者もいるだろう。
「いるのならここまで来て欲しいものだ。喜んで代わってやるものを」
自室という事になっている部屋の窓から外を眺めるアミッド帝国皇帝……前皇帝マシュクザールは、不満げにそう呟いた。
神の傀儡である新教皇、エイリークを旗印にした勢力によって、彼はいよいよ帝位から追われた。『ご病気のため政務を続けることが難しくなった』という理由で、エイリーク達が推す新皇帝が擁立された。
その新皇帝は、マシュクザールが帝位を継いで間もない頃、反乱を企てたために始末させた公爵の、その子孫であったのは何かの皮肉だろうか。
その公爵の一族を皆殺しにした訳ではないが、把握はしていたつもりだった。だが、まさか非公式の妾が孕んだ子を神殿に出家させていたとは思わなかった。そしてその出家した妾の子が還俗し、複雑怪奇な過程と世代を経て、子孫が他の公爵家の息子になっていたとは。
……いや、気がついていたかとマシュクザールは当時の事を思い返した。気がついていたが、大した事は出来ないだろうと、捨て置くよう命じたのだ。
あれから約百年。まさか、当時大した事は出来ないだろうと考えた子供の曾孫に帝位を明け渡す事になるとは。
「当時の若かった余……私に言ってやりたい。消しておけと」
もちろん、今更後の祭りである。
戴冠式で新皇帝の誕生を祝わされたマシュクザールは、静養にも、そして「静養していたがその甲斐なく亡くなった」事にするにも、丁度良い屋敷に運ばれた。
恐らく、ここでしばらく飼われるのだろうとマシュクザールは自分の将来を推測していた。
新皇帝が何か失敗をしたら、マシュクザールが反乱を企てたという事にして処刑し、国民からの支持を取り戻すのに使う。
または、エイリークと新皇帝に反感を持つ者が、反乱の旗印としてマシュクザールを利用しようと企み、集まって来たところで駆除するための囮として生かしておく。
そのどちらもだろうか。
「いっそ自害でもと思うが……無駄だな」
屋敷に居るのは護衛の騎士はもちろん、メイドまで全員新皇帝の部下で、特別な訓練を受けた者達だ。
そしてこの屋敷のそこかしこに、隠された仕掛けが施されてあるに違いない。
こうして部屋で漏らす独り言さえ、盗聴されているのだろう。カーテンでロープを作り、首を括ろうとしても、窓から飛び降りても、すぐさま使用人や騎士が飛び込んできて助けてくれるに違いない。
この状況からマシュクザールを助け出せる、若しくは殺せる相手に彼は何人か心当たりがあった。
『邪砕十五剣』……無いだろう。『五頭蛇』のエルヴィーンが生きていたらともかく、あの組織は現皇帝直属の組織だ。だというのに、現皇帝が嫌だから前皇帝のマシュクザールを助けるなんて、組織として機能していない証拠だ。
新皇帝が余程の暗愚でも無ければ、あり得ないだろう。
『暴虐の嵐』は……これもないだろう。今のマシュクザールには殺す価値もないと、彼等は思っているはずだ。
そしてヴァンダルーだが、これもないだろう。彼がマシュクザールを殺すつもりなら、とっくに殺されているはず。今の状況で彼を殺すと帝国が一枚岩になるのを助ける事になるのを、理解していたとしても彼なら殺しているはずだ。
以上の事を考えて、マシュクザールは息を吐いた。
彼自身も、それなりの心得がある。並の騎士程度なら一人で相手取れるだけの身体能力と、それなりの魔術が。
しかし、今の状況では籠の中の鳥が嘴や爪を持っているのと同じ程度の意味しかない。
(さて、我の方の子孫は上手くやるだろうか?)
唯一の希望は、彼が『暴虐の嵐』を通じてヴィダ派に送り込んだ息子、ジークをヴァンダルーが利用して、将来帝国を属国や所領にして残す事だ。
(だが、やはり上手くはいかないのだろうな)
そう思いながら、マシュクザールは窓から手元の本へ視線を降ろした。
ヴィダル魔帝国は大騒ぎだった。
初代皇帝ヴァンダルーの正妃が決まる前に、第一子(?)が誕生すると言うのだから、将軍兼宰相のチェザーレも、その弟クルト・レッグストンも大いに困惑した。
『陛下、おめでたいのは確かですが……どんな名目で祝えば良いのでしょう?』
皇帝であるヴァンダルーの子が生まれる事は、統治を盤石に……今の段階でも十分盤石だが、それでも重要だ。
だが、普通のお世継ぎ誕生としていいのか、判断がつかないらしい。
「相手が龍で、生まれるのも龍。ならお世継ぎ誕生で良いのか? 結婚も婚約もしていない相手だが、神との間に子供が出来るなら……いや、前例があるはずないか」
自分の知識をひっくり返して、参考になる知識を探すクルトだったが、参考になる知識、つまり前例がない事に気がついた。
若い為政者やその親族が、結婚や婚約をしていない相手に子供を孕ませた前例なら幾らでもある。相手はだいたい地位の低い女で、多くの場合は金を払って黙らせていた。
しかし、ヴァンダルーの相手はティアマトである。地位の高低とは、別の次元に存在する相手だ。
そもそも、クルトが知っている前例は密かに処理すべきスキャンダルに分類される出来事だ。今回の場合とは最初から異なっている。
「普通に宗教的な祭りを催せば良いかと。産まれて来る俺の子は、龍寄りらしいので普通に第一皇子や皇女と評すると将来大変でしょうから。
……国家的な式典や、外交的、儀礼的なあれやこれやの度に、百メートルに達するだろう俺の子が参加出来るようにするのは大変でしょうし」
過程が過程なので、ヴァンダルーは当初ティアマトがこれから産む子の父親である自覚を、全く持っていなかった。なので、彼は意識して「俺の子」と呼ぶことにしている。
口に出して呼んでいれば、自然と自覚も生まれるだろうと考えたのだ。実際に産まれた卵、それから孵った子龍を見て、命名を行えば、より自覚が生まれるはずだと。
ちなみに、ヴァンダルーとティアマトの子の誕生は周囲には良い出来事として受け止められている。
魔大陸の『街』は当然だが、境界山脈内部の竜人国では早くもお祭り騒ぎになっている。
ダルシアは「私もおばあちゃんになるのね」と嬉しそうだし、ザディリスやバスディア、タレア達も祝ってくれた。……彼女達の場合は、ヴァンダルーと会う前や後に子を産んでいるので、特に抵抗はないようだ。
カナコやプリベル達も、「子供を作る過程が過程だから、先を越されたって気が全然しない」と、特に悔しがる様子を見せなかった。
……魔大陸に留学していたヴァンダルーの同好の士、オニワカは「不潔だ! 見損なったぞ!」と言って走り去ろうとしたけれど。
勿論、ヴァンダルーは走り去ろうとする彼女を即座に追跡、捕獲して、じっくり話をして既に和解している。
オニワカはヴァンダルーがティアマトとの間に子供を作ったと言う事実だけを聞いて、思春期の少女らしい潔癖さを発揮してしまったそうだ。
「俺としては大した混乱もなく、お祝いムードになってくれて安心しています。意図して作った訳ではありませんが、歓迎されないのは不憫ですし」
『オニワカのお嬢さんを、背中から蜘蛛の節足を生やして追いかけて、触手でがんじがらめに縛って捕まえた件は、大した混乱じゃ……いや、ないのでしょうね』
ゴーストのキンバリーが姿を現して尋ねるが、ヴァンダルーが自分の言葉を不思議そうに聞いているのを見て、色々察して黙った。
なお、地上では問題は起きていないが、ヴィダ派の神々の間ではちょっと揉めていた。リオエン達竜人国の守護龍が祝い、タロスが『次はお前が励むんだぞ』とディアナを激励して兄妹喧嘩に発展し、ズルワーンは動けなくなるまで爆笑した。
人間的には常識外の過程で生まれる命だが、神々の間ではそうではなかったようだ。
そうしてティアマトが卵を産んだらお祭りを行う事等をチェザーレ達と決めて、この日の会議は終わった。
ヴィダ神殿の神殿長であるヌアザからは、『御子の巨大神像は、卵が孵る前に完成を間に合わせます!』と報告を受け、ヴァンダルーは微妙な気分だった。
皆が団結して力を注いだ事業が完成する事は、おめでたいと思う。だが、その事業が自分の巨大像の建造であるため、素直に喜べない。
「まあ、卵誕生と一緒に祝えば像のインパクトも少しは薄れ……ないでしょうねー。
おや、どうしました?」
ため息を吐きながら城の一階広間を歩いていると、そこには見知った顔があった。
筋術の師匠であるゾッドの義理の息子、ジーク。そしてチェザーレとクルトの甥っ子であるサルア・レッグストンである。
「お父さんなら、城には居ませんよ。チェザーレとクルトなら上に居ますけど、呼んできましょうか?」
ヴァンダルーは二人と、特別親しい訳ではない。親しさで言えば、マッシュを始めとした孤児院の子供達の方が上だろう。
しかし、彼にとってジークは師の息子、サルアは部下の甥だ。そのため、ヴァンダルーも親戚の子供のように認識していた。
そんな二人が無言のまま、子供らしからぬ真剣な顔つきで自分を見つめている事に彼は違和感を覚えた。即座に【超速思考】や【群体思考】スキルを使って、分析を試みる。
(これはにらめっこを挑まれているのでしょうか?)
(それはないでしょう、俺よ。二人とも顔だけではなく目も真剣です)
(ですが、何処か怯えているような気がします。これは、何か告白しようとしているのではないでしょうか?)
(何かとは、やはり悪戯の類でしょうか? 子供の頃はやりますよね)
(しかし、怒られる前に自分から謝りに来るとは、感心ですね)
(謝る相手がご両親や家族ではなく、俺なのが少し疑問ですが)
二人は、自分に悪戯か何かの告白に来たのだと推測したヴァンダルーは彼等が口を開くのを待つ事にした。そして、二人が何をしたとしても軽く叱るだけで許そうと決めた。
そして、二人は頭を下げながら口を開いた。
「「すみません! 俺達、前世では【ブレイバーズ】だったんです!」」
「そうでしたか。ですが、良く言ってくれましたね。それはとても勇気のいる……ん?」
《【能力値強化:君臨】、【能力値強化:被信仰】、【能力値強化:ヴィダル魔帝国】スキルのレベルが上がりました!》
10月29日に288話を投稿する予定です。
ニコニコ静画とコミックウォーカーで、コミック版四度目は嫌な死属性魔術師の五話が更新されました! よろしければご覧ください。




