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四度目は嫌な死属性魔術師  作者: デンスケ
第十二章 魔王の大陸編
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二百七十五話 魔王を打ちのめす結界と地底世界

 猛毒の海中を、クワトロ号は進む。周囲の海水をヴァンダルーの【消毒】で有毒な成分を消しながら。

「このまま……真っ直ぐ……うっ、ううっ……もうちょっと下に潜って……そう、そのまま」

 そして水深千メートル以下の深海なので分かり難いが、震えながら道案内をしているのは、人魚の女性だ。


 ピンクブロンドとでも評すのか、この世界でも珍しいピンク色の髪を腰より長く伸ばし、下半身は日光が届けば虹色の光沢を放っただろう鱗に覆われている。

 勿論容姿も美しく、彼女に声をかけられたらどんな船乗りでも惑わされてしまうだろう。更に、本来なら気品や威厳も漂わせていそうなのだが……。


「大丈夫? 休んでいてもいいんだよ?」

 今はプリベルの触腕に抱き止められ、宥められているので威厳も何もない。

「こ、心遣いは感謝する。だが、妾は人魚の長、ドーラネーザ! 我が一族の名誉にかけてっ、我が神の使命をっ、やり遂げ、必ずやり遂げてみせる!」


 ドーラネーザが何故怯えながら道案内をしているのかと言うと……彼女は驚くべき事に、魔王の大陸に住む人魚の長だと名乗った。正確には魔王の大陸に昔から住んでいたのではなく、数年前にバーンガイア大陸で、とある冒険者が指揮を執った大掛かりな討伐隊に住みかを追われ、生き残った一族の者達を纏め、更に同盟関係にあった魔人族の一族と共に移住してきたそうだ。


 バーンガイア大陸から遠く離れた魔王の大陸まで、神に導かれての壮大な旅のエピソードはドーラネーザに「長いから」と省略されてしまったが、つい数日前彼女達の一族が奉じている『紅南海の正悪神』マリスジャファーという神から、彼女は神託を受けた。


 その神託によって一族が代々守り、今は彼女が体内に宿している【魔王の欠片】を使って、ヴァンダルー達を猛毒の海で待っていたのだ。彼らを自分達の住まいに案内するために。

 だが、遥か上空で体長百メートルを超える真なる巨人を始めとする亜神とクワトロ号の戦いが始まってしまった。


 海中にまで届く爆発音に、亜神達の咆哮や怒号、そして落ちてくる巨体。このままでは自分の上にも巨体が降ってくるかもしれないので、深く潜ろうとした時にクワトロ号が突っ込んできて、それを追って轟雷や巨大な岩等、様々な攻撃が海に叩きつけられた。


 ドーラネーザの脳裏にこれまでの人生が走馬灯のように走ったが、彼女がクワトロ号にぶつかる前にヴァンダルーが伸ばした舌に絡め取られ、甲板に引っ張り上げられて助かった。


 しかし、クワトロ号は高位のアンデッドだらけ。それも、撤退したばかりで戦意や殺気を放ち、気も立っている者ばかりだ。ドーラネーザがそうした、並の騎士なら恐怖のあまり意識を失いかねない強烈な気配に震え上がってしまったのである。


 それでも使命感から震える口調で簡単な自己紹介を済ませ、道案内を行っていたのだ。流石一族の長といったところだろうか。

「うんうん、頑張ったね。ドーラちゃん、偉いよ」

 そのドーラネーザを、アンデッドではない、水中で呼吸と発声が可能なプリベルが宥めて、元気づけていたのである。


 ……口調と語った過去から、既に成人している一集団の長を幼児のようにあやすのは無礼ではないかと思うが……ドーラネーザ本人は全く気にしていないようだ。実は恐怖のあまり幼児退行しているのか、もしかしたら気さくな性格の持ち主なのかもしれない。


「ううっ……もう良い。お蔭で落ち着いた。ところで、あの者は何をしているのじゃ?」

「鰓呼吸の練習と、尋問だって」

 ドーラネーザが指したあの者、ヴァンダルーはクワトロ号のマストに【魔王の吸盤】で張り付き、【魔王の鰓】で呼吸していた。魚のように口を開けて鰓に海水を当てるとしょっぱくて仕方が無いので、鰓をヒレのように体表に露出させ、流れる海水に当てて新鮮な酸素を吸収している。


 ちなみに先程の戦いの結果、ヴァンダルーは【怨狂士】ジョブのレベルがカンストしていた。ドーラネーザの【魔王の欠片】にも気がついている。

 しかしジョブチェンジや欠片の摘出を彼女に打診するのは、クワトロ号が安全な場所に着いてからにするつもりだ。


 万が一、ジョブチェンジ中や欠片の摘出中に襲われたら危ないし、ドーラネーザの【魔王侵食度】のレベルは低く抑えられているそうなので、一刻を争うと言う程深刻ではないと判断したからだからだ。


 その結果行っているラダテルやズヴォルド、レポビリスの霊を対象にする尋問である。

『……中々上手くいきませんね』

 亜神の霊だけあって、どの霊も格が高く、生前に【神喰らい】や【魂喰らい】で攻撃していなかったら、最後の力を振り絞って悪足掻きをしていたかもしれない。


 亜神は肉体を持つため、地上で活動する際に受ける制約は、神よりもずっと少なくて済む。だが、肉体が在る事は亜神にとって、弱点でもあるのだ。

 神なら魂を砕かれなければ、どれだけ深い傷を負ったとしてもいつか復活する事が出来る。しかし、亜神は人間と同じように、肉体が一定以上傷つけば死ぬ。


 だが普通の生き物と違い、亜神は死んでも時々物品に宿ったり、最後の力で呪ったり、霊だけで実体化して最後の悪足掻きをする場合がある。

 勿論、そんな事が出来るのは亜神の中でも一定以上の力を持つ者だけだが。


 ラダテル達にはそれ程の力は無いが、ヴァンダルーに情報を渡さないために、消滅前提で数秒だけ実体化する事を選んでいたかもしれない。

『貴様に惑わされんぞ、魔王! お袋の仇の味方など、誰がするか!』

 このように、ラダテルは霊になってもヴァンダルーの【死属性魅了】、それから覚醒した【誘引】に抵抗していた。


 同じ亜神でも原種吸血鬼のグーバモンやテーネシアとは大きな違いだが、グーバモン達は正気を失った状態で死んだのに対して、ラダテルは正気を保っていた上にヴァンダルーに対して強い憎しみを抱いていた事が影響しているのかもしれない。


『何度も言いますが、俺はお前の母親を殺したグドゥラニスとは別人です』

 そんな憎しみを減らせないかと説得を試みるヴァンダルーだが、効果は無かった。

『黙れ! 【魔王の欠片】を集めておきながら、いけしゃあしゃあと! そんなふざけた格好で儂が気を抜くと思ったか!』

 どうやら、ラダテルの中では【魔王の欠片】を持つ存在は、全てグドゥラニスと同罪であるらしい。恐らく、彼の父親であるブラテオも同じ考えでヴァンダルーに憎しみや恨みをぶつけて来たのだろう。


 確かに【魔王の欠片】はグドゥラニスの一部で、寄生した宿主を侵食し乗っ取ろうとするから、完全に間違っているとも言えない。しかし、ヴァンダルーにとっては「坊主(魔王)憎けりゃ袈裟(欠片)まで憎い! 袈裟(欠片)を着ている貴様も憎い!」と言われているようで、理不尽にしか思えなかった。


 もしかしたら、時間をかければラダテルも魅了出来るかもしれない。数日から数ヶ月もあれば。


『じゃあ、お前はもういいです』

 だが、そこまでの価値と魅力をラダテルには感じなかった。

『っ!? ギャアアアアアア!』

 ヴァンダルーは尋問を諦め、ラダテルの魂を喰らった。解放すると危険かもしれないからだ。


 亜神が死んだ後、その魂が何処へ行くのかは分からない。ロドコルテの元とは思えないため、神の魂が死後に行きつく場所が何処かに在るのかもしれない。もしくは、世界を循環するエネルギー的なものに還元され、その一部になるのかもしれない。


 しかし、ラダテルの霊を解放していたらその前にブラテオの元に戻り、ヴァンダルー達が何処に向かっているのか……ドーラネーザ達人魚の存在を教えるかもしれない。

 亜神であるラダテルは、神と違って死んだら通常の生物と同じようにそのまま復活する事はない。そして、魂を喰らって消滅させたい程の恨みや憎しみはない。


 だが、ドーラネーザと彼女の一族やまだ見ぬヴィダの新種族達を危険に晒してまで、情けをかけ、惜しむ存在ではない。

『……味はまあまあ』

 ラダテルの魂はちょっと硬めの赤身肉と言う感じで、噛めば噛むほど旨味を感じる。


 食い応えがあり、御使いや英霊ではなく、やはり神なのだなと思わされる。ただ、能力値の上昇やスキルの獲得は無いようだ。

『それはともかく、お前達は俺に話す事はありますか?』

 視線を向けたのは、ズヴォルドとレポビリスの霊だ。


『うぬぅぅぅっ!』

『ギィィィィ♪』

 ズヴォルドはラダテルと同じように抵抗しているが、苦しげに唸りながら悶えているので、その内堕ちそうだ。

 レポビリスは、もう堕ちている。ただ、霊の損傷が大きいので情報源としての信用度は微妙だが。


 そうして尋問をしていると、時折深海の魔物の姿が見えるが、ヴァンダルーが視線を向けるとすぐに逃げていった。恐らく、亜神達の霊の存在感と、それを追い詰める彼に恐れをなしたのだろう。だが、何故か逆に近づいて来て、懐いてしまう魔物が時々いる。


『坊主、その卵は?』

 尋問が一段落したらしいと見て取ったボークスがヴァンダルーに近づき、彼の頭にくっついている球体を指差して訊ねた。

『さっき流れて来たこのタコのような、イカのような魔物に産み付けられまして。どうやら託されたようです』

 ちなみに親は力尽きて死んだので、咄嗟にアンデッド化させた。産卵を終えると寿命を迎える生態なのか、それともただ力尽きただけだったのかは、分からない。


 今はアンデッドリトルクラーケンとなって、ヴァンダルーの頭にくっつけた卵に新鮮な海水を吹きかけている。


『ところで、追っ手はどうですか?』

 勿論、追っ手に対する警戒も怠っていない。相手は人間ではなく、強靭な肉体を持つ亜神達だ。水深一千メートルの深海でも、猛毒の海水で満ちている海域や、渦が森のように乱立する海域でも、潜って追いかけてくる可能性がある。


 特に水属性に親しい龍や巨人は、魚以上に水中を自由自在に泳ぐ事が出来る。クワトロ号はドーラネーザの案内のお蔭で安全な航行が可能になっているが、龍や真なる巨人なら多少の渦や猛毒は強引に突破する事で、案内がなくても追う事が出来るだろう。

 だが、追っ手は今のところいないようだ。


 海に潜って暫くの間は投岩や落雷等が続いたが、今では海面上からの攻撃は無いようだ。落雷だけなら深海まで届いていないだけかもしれないが、岩も落ちて来ないので、恐らくそうだろう。


『姿は見えねぇから、こっそりついて来ているって事はねぇだろう。上から一気にここまで潜って来るって事も考えられるから、警戒は続けるが……奴等も警戒してるんじゃねぇか?

 深追いしたら、また坊主の大技を喰らうんじゃないかって』


『それに、奴らも無傷ではありません。ヒトデは討ち取り、貝も最低でも重傷。他の巨人や龍もほとんどが傷を負っているでしょう。

 逃げるのなら、逃げて欲しいというのが奴らの今の心境かもしれません、ヂュオォォ』


 会話に入って来た骨人がそう発言する。

 確かにと、ヴァンダルーは逃げ出す前のゴーン達の様子を思い出して頷いた。あの時は、【界穿滅虚砲】を敵が多い場所に向かって一薙ぎした。その結果、直撃した敵は少ない。骨人が止めを刺した『ヒトデの獣王』レポビリスぐらいだ。


 しかし手足に余波を受けて傷を負い、得物が損傷してしまった者は数多い。それに、ヴァンダルーは三柱の亜神、『雷の巨人』ラダテル、そして『大渦龍神』ズヴォルドとヒトデの獣王レポビリスの霊を捕えていた。


 あの集団の中では中心的な立場にあったとは思えない三柱だが、敵の総数が三十柱以上だと想定しても、約一割の戦力減、重傷者が戦えない状態ならそれ以上に戦力は下がる。

 それに深い傷を負った亜神達では、思うように動けないはずだ。


『なるほど。連中は俺達を待ち伏せしていましたし……俺達が逃げたと見せかけて、自分達と同じように待ち伏せているのではないかと警戒しているのかもしれませんね』

 自分達が行った作戦を、そのままそっくり返される。ゴーン達にとって、それは警戒に値する展開のはずだ。


 それにゴーンが率いていた亜神達の中には、海の中が苦手な存在も多かった。『岩の巨人』であるゴーン本人は勿論、天候を司る巨人のブラテオ、そしてボークスが重傷を与えた金色の鎧を着た巨人等は、海での戦いは避けたいだろう。


『だが、油断は禁物かと。先ほど数柱の神も降臨していましたから』

『遠くに見えた援軍の連中は無傷だろうしな。それに、中には頭に血が上って突っ込んでくる奴もいるかもしれねぇ。

 真なる巨人には大らかな奴も多いが、短気な単細胞も多いって神話で聞いたしな』


『ああ、ボークスの言う通りだ』

 巨人種のゾンビであるボークスは、そう言いながら暗い深海の海を見つめて言う。ミハエルも、そう同意する。『……おい、ミハエルよ。ふと思ったんだが、ジーナやザンディアの嬢ちゃんは殿ってつけるのに、何で俺は呼び捨てなんだ?』

『忘れたのか? お前が呼び捨てで呼べと言ったんだぞ』


『ああ? そうだったか?』

『そうだ。それに、仕えている主君の婚約者を呼び捨てで呼ぶのは、抵抗がある。正直、『殿』でも馴れ馴れし過ぎるのではないかと思っているぐらいだ』


『……堅物だな、お前。俺と同じ冒険者だったはずだろうが』

『生前は貴族との取引も多く、礼儀作法も学んだ。ボークス、人間社会はタロスヘイムのように無骨者に寛容ではなかったんだ』


『それはともかく、ジーナやザンディアの呼び方は当人同士が納得していれば、別に何でもいいと思いますよ』

 皇帝の婚約者を呼び捨てで呼ぶ。国が国なら不敬罪だが、ヴィダル魔帝国では今更である。国家元首のヴァンダルー自身も、呼び捨てや愛称で呼ばれる事も多いのだし。

 ボークスやこの場に居ないザディリスなんて、坊主、坊やと今でも呼んでいる。


『ボス! 人魚のお姫さんの言っていた、デカい渓谷が見えてきましたぜ!』

 船首で進路を見ていた『死海四船長』が声を上げる。

「妾は姫ではないのだが……せめて名前で呼んでくれぬか? もう成人しているのだ」

『そりゃすまねぇ』

 アンデッドにも慣れて来たのか、それともボークス達の殺気が消えたからか、ドーラネーザがそう抗議した。


「そうだよね、もう成人してるよね」

「ん? どうした、プリベル、様子がおかしいようだが?」

「何でもないよ、本当に何でもないんだよ。たださ、ボク、気がついたら姫になっちゃってて、どうしたら姫ではなくなるのかなって」


「えっ? 何の話じゃ?」

「ドーラちゃんは何か知ってる? スキルの名前はもう仕方ないにしても、まだランクアップ出来るはずだから、種族名はどうにかしたいんだよね」

「ぷ、プリベル、落ち着け、目が据わってきているぞ」

 そうしている内に、クワトロ号が入る事が出来る程広い海底渓谷が姿を現した。


「この渓谷の底を進めば、我が神によって、人……ヴィダの新種族にしか見えないよう、結界が張られている洞窟がある。その洞窟を進んだ先が、妾の第二の故郷じゃ」

『念のために聞きますが、進んだ先に空気はありますか?』


『勿論ある。その地で暮らすのは、妾達人魚だけではないからな』




 洞窟の入り口は見つかったが、ヴァンダルーに大きな傷を残した。

 洞窟の入り口は、案内人のドーラネーザとプリベルがすぐ見つけた。結界で隠されていなければ、それだけ大きく目立つ洞窟だったのである。


『見えましたよ、本当に見えたんです。ただ、すごく薄っすらと、見間違いかなって思う程薄くですけれど』

 ただ、ヴァンダルーの目にはほとんど映らなかったのだが。この出来事は、自分は人間(ヴィダの新種族)であると言う彼の自負に、大きな影を落とした。


『気にする必要ないよ、陛下君! 私なんて全く見えなかったから!』

『ええ、全く見えませんでした!』

『プリベルには見えたのにねー。やっぱり元スキュラじゃダメかー』

『元巨人種もね。でも、神様の結界って凄いよ。魔術の気配も感じなかったよ』


 そして元巨人種のジーナ達巨人種ゾンビや、レビア王女達属性ゴーストにも、洞窟の入り口は見えなかった。どうやら、生前が何であれ現在アンデッドだと見えないらしい。


『おお、俺にも全く見えなかったぜ』

『当然ですが、私にも見えませんでした』

『ヂュオォ……』

 そしてボークスと、当然生前人間だったり、ネズミの霊だったりするミハエルや骨人も見えなかった。他のアンデッドも同様である。

チプラス達も見えなかったそうなので、アイラが居ても見えなかっただろう。


『……まあ、そうですね。気にしても仕方がないですよね。ありがとう、皆』

 皆に慰められて、ヴァンダルーは何とか立ち直った。

 こうなると新しいヴィダの新種族……カオスエルフや冥系人種、ドヴェルグや冥獣人種は見る事が出来るのか気になるところだと彼は思った。


「これは我が神、マリスジャファーが妾に案内をするよう遣わす訳じゃな」

「そうだね。ボクが乗り合わせていたのは偶々だし」

 ドーラネーザの言う通り、もし彼女達が奉じている神がヴァンダルー達に直接コンタクトを取ったとしても、これでは洞窟の入り口に気がつかなかったかもしれない。


 恐らく、魔物やアルダ勢力の亜神を警戒して張られた結界なのだろうが……ドーラネーザと合流できず、プリベルも居なかったら、洞窟の場所だけを教えられても気がつかなかっただろう。


『まあ、それはともかく。どれくらいで着きますか?』

「妾が普通に泳いで約三時間だが、この船は妾より早い。もうすぐのはずじゃ」

 洞窟に入ってから、変化の乏しい丸い筒状の内部を曲がったり潜ったりしながら進んでいる。既に方向感覚は効かなくなってきている。


 ドーラネーザが応えてからしばらくした頃、前方に上から明るい光が差し込む空間があるのに気がついた。

「あれじゃ。あれが洞窟の出口じゃ。そのまま前進して、海面に浮上すると良い」

『了解! 野郎共、浮上の準備をしておけ!』

 それまで暗く、時折目の無い魚や透明な海老を見かける程度だった海が、光に近づくにつれて賑やかになる。


 そして洞窟の出口から出ると、そこは普通の……いや、生態系が豊かな海のように見えた。

 大小様々な魚が群れをなして泳ぎ、海底には美しいサンゴ礁や、大型の海藻の森がある。

『ぎぃぃぃ?』

 だが、海面から浮上したクワトロ号は戸惑うような声をあげた。この海は、正確にはこの場所にはこれまでクワトロ号が航行してきた場所とは、大きく異なる事が分かったからである。


 上を見上げると、雲がある。しかし、青い空ではなく硬そうな鉱物の天井があった。太陽だと思っていたのは、宙に浮かぶ光輝く球体である。そして周囲には壁があり、地下水が滝となって海に降り注いでいる。


「かひゅぅぅ……『地球』の映画や、小学校の図書室で読んだ冒険小説に在りましたね。こんなの」

 それまで止めていた肺呼吸を再開し、鰓を仕舞いながらヴァンダルーは地底世界を見回して言った。




「どう思いますか、グファドガーン?」

「……申し訳ありません、私の知識に、この地下空間に関する事は何一つありません。確実に言えるのは、十万年前にはここは存在しなかったはずだという事だけです」

 エルフの美少女に擬態している寄り代は、水中で呼吸する事が出来ないという事で潜水中は亜空間の中に籠っていたグファドガーンは、驚いたように周囲を見回しながら答えた。


「グドゥラニスが倒された後、地下に残党が潜んでいないかも徹底的に調べたので、確実です。当時の魔王の大陸の地下に、これ程広大な地下空間はありませんでした」

「なるほど。やはり、地球の冒険小説とは違いますね」


 『地球』の地底奥深くに、巨大な空洞があり、そこには太陽の代わりになる光源と空気、水が存在する。

 冒険家の一行は、洞窟探検に挑戦する内にそんな地底世界に足を踏み入れてしまう。そこには地上では見た事も無い生物や絶滅してしまった生物、それに古代文明の痕跡やら原始人がいたりする。

 冒険家の一行はそんな地底世界から地上へ脱出する事を目指し、冒険を重ねる。


 細かいところは忘れてしまったり、別の作品と混ざったりして判別できないが、そんな内容だった気がするとヴァンダルーは思った。


「ですが、恐竜や奇怪な生き物が存在するこの世界では、いまいち地底世界の凄さが分かりませんね」

「ピュイィ!」

「いや、異世界の物語と比べられても……いやいや、汝は本当に異世界から転生してきたのか? いやいやいや、それよりもその少女は……いやいやいやいや! その変なイカだかタコだかわからん、微妙な生き物は何じゃ!?」


 突っ込みどころが多すぎて半ば混乱しているドーラネーザに訊ねられたヴァンダルーは、どう答えたものか首を傾げた。

「異世界から転生してきた事をどう証明したらいいのでしょうか? 今まで疑われた事がないので、最近は何も考えていませんでした」


「異世界からやって来たと言う話を、何故疑われない事が前提になっている!?」

 ドーラネーザは思わずそう聞き返すが、今までヴァンダルーが打ち明けた相手は……ヴィダル魔帝国の国民は特に疑うことなく信じたので、何故と言われても答えようがない。


「だって、ヴァン君がそう打ち明けてくれる前から、彼は異世界から来たとしか思えない程不思議だったし、色々作っていたし」

 正確には、プリベルが言ったように告白する前に「自分が異世界から転生してきた存在である」と言う証明を済ませていたから、誰も深く疑わなかったのだ。ヴァンダルーは無自覚だったが、順序が逆だったのである。


「味噌や醤油を出せば信じて貰えます?」

「ミソやショーユ? そう言えば、ザッカートが遂に作り出す事が出来なかったと言う勇者の世界の調味料があると、伝説に残されていた。ショーユか。

 それを持っているなら、確かに。じゃが、お主の言うショーユが魚から作る物であるなら認めぬぞ」


 どうやら、この世界で異世界から転生者である事を証明するには、醤油を作れば良いらしい。

『魚醤はダメなのか? 美味いぜ?』

「魚から作る物は、妾達人魚や海辺に暮らすヴィダの新種族も作っていた。偶々作り方を先祖が発見してな。人間達の漁村でも魚の酢、ウオズやギョズと呼んで作っているところもあったそうだ」


 実は魚醤に似た物が、この世界でも作られていたらしい。ただ、海辺だけに限られているようだ。

 製造方法に問題があるのか、痛みやすいのか、流通の問題か、流行ってはいないらしい。


「それで、そのクラーケンの幼生はなんじゃ? 魔物を連れ込むのは、あまり……いや、今更言う事ではないか」

 ドーラネーザは、ヴァンダルーとプリベル以外全員が魔物である事を思い出して溜め息を吐いた。この状況ならクラーケンの幼生の一匹や二匹増えても、誤差でしかないだろうと諦めたようだ。


「ちょっと前に産み付けられた卵が孵化しまして。玉のようなのでタマと……なんて名づけましょうか?」

 二匹のクラーケンの幼生は、透き通った白い身体をしており、頭部……正確には腹部なのかもしれないが……の形はタコやイカに在るようなヒレがあり、脚は十本だった。

 大きさは占い師が使う水晶球に十本の脚が生えた程度。これが大きくなると船より大きなクラーケンになるとは、信じられない大きさだ。


「じゃあ、ギョクでどう? スフィアだと将来イカっぽくなった時に困るし」

「そうですね。ではタマとギョクにしましょう」

「「キュイィ~!」」


 新たに誕生した生命に名を与えて慈しんでいると、地下空間の海……厳密には地底湖と言うべきなのかもしれないが……そこを進むと陸地が見えてきた。

『ここは随分広いんだね。本物の海みたいだよ』


「流石にそこまでではないが、大きな湾が幾つか入るぐらいの広さがあるぞ。海の恵みも豊かじゃ。妾達が初めてここに来た時、新参者を排斥するどころか是非住んでくれと歓迎されたぐらいだからの。

 ただ、陸地の方が広いらしいが」

 同じヴィダの新種族である事以外、縁もない余所者を歓迎する。たとえドーラネーザ達が数十人に満たない小集団だったとしても、余裕がなければ出来ない事だ。


 そして陸地が近づいてくると、港が見えてきた。そこには大勢の人々が集まっていた。

 白い体毛の生えた巨人種に、一見するとケンタウロスのように見える種族に、蟲の下半身を持つ種族、それに一人だけだが魔人族の姿も見える。他にも人種や獣人種、エルフもいるようだ。


 彼らは戸惑った様子でざわめきながら、クワトロ号を眺めている。

「あれが此処の人達ですか?」

「うむ、各種族の長が神の神託に寄り招かれた汝らを出迎えに集まったのじゃろうが……様子がおかしい?」


 ヴァンダルー達も地底世界の住人達の反応に戸惑っていると、クワトロ号の近くの海面から人魚達が顔を出した。


「貴船に、ドーラネーザ様は乗船しておられますか!?」

 人魚達の先頭にいる、額から頬にかけて傷跡がある壮年の男の人魚が声を張り上げた。

「おお、バスティアン! ここだ! 妾は帰ったぞ!」

 どうやら彼はドーラネーザの腹心らしく、彼女は駆け寄……る事は下半身の形状の問題で出来ないので、プリベルに運んでもらって顔を覗かせる。


「おお、ご無事でのご帰還、何よりでございます! ところで、皆が使命は成功したのかどうか、不安がっております!」

「何故!? 見ての通り、妾はちゃんとこの者達を案内して来たぞ!」

 聞き返すドーラネーザに、バスティアンは答えた。


「神託には天を翔ける船とありましたが、この巨大な船は飛んでおりません!」

「はっ、確かに!」

 どうやら、港に集まった人々は、クワトロ号が神託と違い天を駆けていなかったので、神託の成否が分からず困惑していたようだ。


「そこまで急いでいませんでしたからね。海も平和ですし」

『陛下君、もう港が見えてるけど……ちょっとだけ飛ぶ?』

「そうですね。クワトロ号、ちょっとだけ飛んでください」

『へ、へい。クワトロ号、ちょっとだけ浮上! その後ゆ~っくり、航行!』


『ぎいぃ……』

 微妙な声を上げ、クワトロ号が海面から十メートルぐらい浮上し、ゆっくり港に入って行く。

 それによって、やっと神託が達成されたと理解した地底世界の人々は歓声をあげたのだった。




・魔物解説:リトルクラーケン 冒険者ギルド著


 クラーケンの子供ではなく、小型なクラーケンである事を表していると考えられている。体長は3メートルから4メートル程で、ランクは4。小型な分クラーケンよりも弱いが、動きが素早い。更に、小型であるがため浅い近海に出没する事があり、リトルクラーケンの方が一般人には身近な脅威となっている。


 ただ、やはり基本的には遠洋の深海を住処としており、その生態は謎に包まれている。

 一説には、リトルクラーケンの成体が成長し続けると、大型帆船をも沈めるクラーケンになるとも唱えられているが、定かではない。


 ちなみに、貝やヒトデ、魚や鮫、海生哺乳類の獣王は存在するが、一部の虫や頭足類の獣王の存在を確認できる文献は存在しない。

 遥か昔に死んだため現在に記録が残っていないのか、それとも……。


 この事からイカやタコを「魔の魚」と呼び、この世界に現れた邪悪な神々が作り出した魔物が退化したのが、ランクを持たないイカやタコだと主張する学者も存在する。

9月3日に276話を投稿する予定です。

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