三十三話 三歳の誕生日で決意を新たに
お陰さまでブックマークが二百を超えました!
百を超えたときにお礼を申し上げるのを忘れてしまったので、その分もお礼申し上げます。
ありがとうございました!
【太陽の都】タロスヘイムの東西にそそり立つ山脈の壁面には、勇者ザッカートが遺した秘伝の錬金術を用いて作り上げた水銀鏡が存在した。この水銀に似た液体金属で出来た鏡で太陽光を地上に向けて反射する事で、タロスヘイムは平地と変わらない日照時間を確保していた。
そして年三回取れる細長い米(地球のインディカ米に似ている)を栽培し、大飯食らいばかりの民の胃袋を満たしたのだ。
国土の半分以上を魔境に覆われた土地であったが、そのお蔭かこの地の作物は育ちが早く収穫量も他の土地で育てる物に比べると三割は多かった。
しかし、ミルグ盾国との戦争で田畑は魔物が闊歩する草原と成り果て、水銀鏡は全て破壊されてしまった。
そんな悲しい歴史は兎も角、今日も休養中のヴァンダルーは遊ぶための工作に励んでいた。
「キング、何作ってる?」
そうしていると、何時の間にかブラックゴブリンやアヌビス、オーカスといった新種の子供達が集まって来た。
生まれてからまだ数か月だというのに、もうヴァンダルーより小さい者は一人もいない。魔物の成長ペースは速いと聞いてはいたが、実際に見ると驚愕に値する。
これでもブラックゴブリンは原種のゴブリンの成長速度よりだいぶ遅いと聞いて、更に驚かされた。
「武器か?」
「違うよ、ブラガ」
ヴァンダルーが【ゴーレム錬成】で形を整えている円盤状の木を見て、ブーメランの様な投擲武器だと思ったブラガ、ブラックゴブリンの子供だったがこれは武器ではない。
「分かった、皿だ」
「ふご? 最近、母さんが使う葉っぱの代わり?」
精悍な顔つきの犬の頭を持つ少年、アヌビスの少年ゼメドと既に人種の成人並の大きさがあるオーカスの少年ゴーバが皿だと見当を付けるが、それも違う。
「じゃあ何なの? あたし達にも教えてよ」
ゼメドの双子の姉……だったか妹だったか、とりあえず双子のメメディガにヴァンダルーは「玩具だよ」と答えた。
『玩具?』
声を揃えて首を傾げる友達の前で、ヴァンダルーは木製円盤のバランスの微調整を行い、やっと納得したのか最後に円盤の縁を横に置いた樽の中身……ラバーゴーレムの一部を使って当たっても痛くない様に覆って行く。
これでかなり荒削りだが、完成だ。
「これはフリスビーと言う玩具だよ」
ヴァンダルーが作っていたのは、フリスビーだった。
これまで骨狼達と遊ぶときは棒を投げていたのだが、地球のようにフリスビーを使った方が面白いのではないかとふと思ったのだ。
このラムダでは基本的にスポーツや玩具と言った娯楽は未発達だ。まだ陸上競技や格闘技なら国を挙げての大会も開かれているし、人形やヌイグルミといった玩具もある。
だがフリスビーやボールの類は無かった。……まあ、探せば何処かに在るのかもしれないが。
だからとりあえず自作してみたのだ。幸い木材は有り余るほどあるし、更に幸いな事になんとゴムの木があったので天然ゴムからラバーゴーレムを作り出し、滑り止めや緩衝剤に使う事が出来た。
「このフリスビーは、投げて――」
「ぶつけ合って、倒した方が勝ちなのか?」
「……投げて、受け取って、投げ返すのを繰り返して遊ぶ玩具だよ」
発想が物騒な友達に「最初に作るのはボールの方が良かっただろうか?」と思うヴァンダルーだったが、彼は球技が基本的に嫌いだったのであまり作りたくなかったのだ。
学校でボッチだった彼にとって、球技は体育で行う「苦痛」でしかなく、人気者の活躍を見せつけられる物でしかなかったからだ。
「とりあえず、俺が手本を見せるから投げてみて」
その日、訓練兼魔物の駆除から戻ったバスディアはヴァンダルーに声をかけようと思っていたら、偶然その場面に遭遇した。
「ヴァン?」
ひゅんっと空を回転しながら飛ぶ小さな円盤を追いかける、ヴァンダルー。
その円盤をキャッチすると、彼はそれを離れた場所にいる新種の子供達に向かって投げ返す。
「何かの、訓練か? いや、休養中だから遊びか?」
一瞬自分に向けて投げられた投擲武器を空中で掴み取り、投げ返しカウンターを行う訓練かと思ったバスディアだが、彼らの雰囲気が訓練とは異なっている様子なのでそのまま立ち止まって様子を見る事にした。
そうしていると、どうやらあれは遊びらしいと分かった。観察しているだけのバスディアには、何が楽しいのかいまいち分からなかったが。
「行くぞキングー」
すると、円盤を持ったオーカスの少年が腕を大きく振りかぶり、投擲した。
【怪力】スキル持ちで生来の筋力も高い彼の投擲によって、円盤が速く、何よりも高く飛ぶ。
「あっ、これは――」
ヴァンダルーが受け取るのは無理だ。そう思ったバスディアだったが、何とヴァンダルーは走り出した勢いそのままに近くの廃墟の壁を、両手足を使って四足獣の如く駆け上がったのだ!
魔術でも使ったのかと思ったが、どうやら鉤爪を使っているらしい。
「細い見た目に反して力もあるし、ヴァン本人が思っているより俊敏だ。流石は私が二番目に産む子の父にと見込んだ男だ」
うんうんと頷いて一人ヴァンダルーを改めて見直すと、邪魔をするのもなんだからと彼に話しかけるのは後にしてその場を離れた。
尚、フリスビーはグールやブラックゴブリン、そして特にアヌビスの間で流行する事となる。しかし、巨人種アンデッドやオーカスの間では、ウケは微妙だった。
現在タロスヘイムには、大量の物資が運び込まれていた。
その九割以上がボークスを先頭にタロスヘイムの町から魔境を駆逐するために働く、巨人種アンデッド達の働いた結果得られた産物である。
大量の魔物の肉に素材、木材、薬草や香草、後ミルグ盾国が放置、若しくは見つけられなかったタロスヘイムの物資等も運び込まれる。
その殆どは有効利用……されるよりも圧倒的に増えていくペースが速いため、ヴァンダルーが【鮮度維持】の魔術をかけた後は山になっている。
中には続々と集まってくる二百年前のオルバウム選王国の通貨……大小の銅貨や銀貨等、使いようが無い物も多かったが。恐らく、金貨以上の価値がある物はミルグ盾国軍が持って行ったが、銀貨以下は持ち帰る手間を考えて放置されたのだろう。
これらは磨いてオルバウム選王国に持ち込めば、損傷が激しい物以外は通貨として使えるはずだ。二百年の間に通貨の改定が行われたかもしれないが、最悪でも銅や銀としての価値が残るはずだ。運が良ければ、地球で居たような古銭マニアの間でプレミアが付いているかもしれない。
でも今は本当に使い道が無い。
「どーしましょうか、これ」
「どうにもなりませんわ。とりあえず、ヴァン様がオルバウム選王国に行く時まで保管しておきましょう」
冒険者ギルドの廃墟に在った転職部屋で無事元の『武具職人』にジョブチェンジして戻れたタレアは、ヴァンダルーに背中を揉まれながら言った。
「通貨の改定は滅多に行われませんから、大丈夫だと思いますけど……私、オルバウム選王国の事は詳しくなくて。カチア達に聞いても……あ、そこ、もっと強く……」
「そうですねー、何せ敵国同士で、最近戦争したばかりらしいですし」
通常隣国ならある程度の行き来があるものだが、生憎カチア達が人種だった頃活動していたバルチェス子爵領はオルバウム選王国の国境と接していなかった。
いや、国境を接していてもミルグ盾国とオルバウム選王国は一部の闇商人以外殆ど交易が無いらしい。
建国当時からの敵国同士で、更に数年前に凄惨な殺し合いの末オルバウム選王国の公爵領を大きく削り取ったらしいので、とても商いが出来る空気ではない。
それで国が回るのかと言うと、回るのだ。アミッド帝国はバーンガイア大陸の三分の一を……人間が住める場所だけなら半分を実質支配していて、更に大陸から近い島国や、他の大陸とは盛んに交易している。
そのため経済的にも食料的にも困っていないのだ。
オルバウム選王国の様子は分からないが、多分アミッド帝国と同じ理由で困らないのだろう。あそこの公爵領は元々は別々の小国だったのだし、選王国側から大陸外の国と交易する事も出来るだろうし。
それを考えると、ヴァンダルーがエブベジア近辺の山賊から強奪した通貨を選王国に持ち込んで換金しようという考えは、実行しない方が良さそうだ。
勿体ない気がするが、鋳潰して金属塊にしてしまった方がいいだろう。
「後でダタラ親方に頼む事にします」
ダタラとは、生前鍛冶師をしていた巨人種アンデッドの老人だ。彼は二百年鎚を振るい続けていた……まあ、振るっていただけだが。
ヴァンダルーに会って若干正気と生前の記憶を取り戻し、今は自分の仕事場を直そうと悪戦苦闘している。
色々と道具が腐食してしまい、一から作らなければ仕事にならないのだ。
「それが良いですわ。私、金属はまだ扱えませんもの」
タレアは腕の良い武具職人でスキルレベルも高い。しかし、金属の扱いは苦手だった。
ラムダ世界の武具職人とは、魔物から取れる素材を主な材料に武器防具を作る職人の事を指す。地球でイメージする金属を鍛造して剣や刀を作る刀鍛冶や武器職人とは異なり、金属をあまり扱わない。使ってもミスリルの粉やオリハルコンの欠片を触媒にしたり、鉄を留め金にしたりして使うぐらいだ。
一方金属を主に使うのが鍛冶師で、銅や青銅、鉄、アダマンタイトやミスリル、オリハルコン等の金属をベースに、魔物の素材は触媒などのオマケ程度にしか使わず武具を作る職人だ。
この二つの職種は、使うスキルも道具も異なっている。
特にタレアの場合、グール化してからは金属資源の乏しい密林魔境で腕を磨いて来たので、金属を扱ったのは二百数十年前だ。
「道具さえあれば、何か作る訳でもなく鋳潰すだけなら出来るとは思いますのよ? でも専門家が居るならそっちに任せた方が良いですわ」
「ですよね。それに頼まないとダタラが臍を曲げそうですし」
ダタラは、気難しい老人だった。自分ではなく金属の扱いの拙いタレアに頼んだと知ったら盛大に臍を曲げてしまい、しかも感情が暴走しやすいアンデッドであるため何時までも曲がったままである可能性があった。
それに気難しい老人の類から外れず、怒ると怖そうだ。
「しかし、面目在りませんわ。張り切り過ぎて……んぅっ……腰を痛めてしまうなんて」
一方、見た目は二十歳前の怖くない二百六十四歳のタレアは、腰を痛めてダウンしていた。
冒険者ギルド跡のジョブチェンジ部屋が使えるようになったので、タレアを含めたグールは皆ジョブに就いていた。
ジョブとは、魔王が現れる前から存在する神々から人間に与えられた祝福であるとされている。だから当然魔物はジョブチェンジ出来ない。サムやヌアザのような元人間のアンデッドであってもだ。
しかしグールはヴィダが吸血鬼と共に生み出した新種族の一つ。半ば魔物だが、残り半分は人間であるためジョブチェンジが可能だった。
それはグール化した後もタレアやカチアが、人種だった頃に就いたジョブの能力値補正やスキル補正を受け続けていた事から考えても確実だ。
グール達は今まで魔境で暮らし町の施設を使用する事も、また独自に作り出す事も出来なかったジョブチェンジ部屋を、次々に利用して行った。
そしてタレアも家族に売られた時に強制的に就かされ、とっくに百レベルに到達していた『娼婦』から、元の『武具職人』にジョブチェンジした。
「これで人種だった時夢だった『名工』や『匠』に成れますわ!」
っと、とても喜んでいた。『名工』や『匠』は地球では腕利きの職人を賞賛する呼び名だが、ラムダでは武具職人のような職人系ジョブの上位に共通して存在する上位ジョブらしい。『匠:武具職人』や『武器職人:匠』と表示される。
それで経験値を獲得してレベルを上げるためにも、ラプトルやフライングシャークなどの未知の素材の加工に取り組んでいたのだが、張り切り過ぎてしまったという訳だ。
「気持ちは分かりますよ」
ジョブに就けなかった気持ちはよく分かる。本当に。
そう言いながらヴァンダルーはタレアの腰の痛みを死属性魔術で麻痺させて、身体の一部を【霊体化】させて彼女の身体に潜り込ませ、強張った筋肉を解して行く。
『地球でこれが出来たら、すぐに店が持てたかもしれないな』
低周波マッサージよりも確実に筋肉の凝りを解せます、霊体マッサージ。……ダメか。
後筋肉の強張りを解しながら、同時にタレアの健康状態もこっそりチェックするが、これは問題無さそうだ。内臓の機能が低下している気配はない。
「あっ」
気が付かれたかな?
「ふと思ったのですけれど、ヴァン様の【ゴーレム錬成】で金属は操れませんの? ゴーレムには銅や鉄、ミスリルで出来た物も居るはずですけれど」
どうやら違ったらしい。別に悪い事をしている訳ではないが、内心ほっとしながらタレアの質問に答える。
「できますよ。石よりも魔力を使いますけど。ミスリルは試す機会が今まで無かったけど、多分可能かと」
人間社会に参加できず、金属に触れる機会が限られていたのはヴァンダルーも同じだった。しかし、僅かな鉄で試した事があり、その時は無事掌サイズのアイアンゴーレムを作る事に成功した。
「でも形を大まかに変える以上の事は、まだ出来ない。竪穴式住居を建てるとか、石造りの家を修理するとか、曲がった鉄の棒を元通り真っ直ぐにするのは出来るけど、例えば……」
【ゴーレム錬成】で銅貨を操り、形を変えて剣を作って見せる。
「なるほど、これはダメですわね」
タレアは一目見てこの銅の剣は使い物にならないと分かった。何故なら、それは剣の形をしているだけの銅の塊に過ぎなかったからだ。
刀身には刃が全く無く、これでは小枝一本斬る事は出来ない。刃物では無く、ただの細い鈍器でしかない。
「こんな感じです。石や土でも人そっくりな像を作るとか、細かい細工を施すとかはできません」
そう言いながら土や石のゴーレムでタレアに似せて人形を作ってみせるが……確かに女の形はしているのだが、顔の造作が大雑把で、指などの細かい箇所の作りが荒い。
このように【ゴーレム錬成】では、細かい事はまだ出来なかった。住居の建設でも、竪穴式住居なら兎も角地球の住居のような複雑で高度な物はまず作れない。
武器を作るのでも、頑張って溶けた金属を型に流し込んだだけの物……鋳造品が精々だろう。それすら型自体は用意して貰わないと不可能だ。
出来るようになるには【ゴーレム錬成】以外に、それぞれ【鍛冶職人】や【大工】等のスキルが必要になるのだろう。実際、【ゴーレム錬成】で竪穴式住居を作っていたら【大工】スキルを身に着けた。あれは【大工】技能を身に着けるための経験を積んだ、つまり【大工】スキルを使ったという事だろう。
「まあ、金属から不純物を取り除く事は出来るんですけど……こんな風に」
そう言うと銅の剣がブルブルと小刻みに震え出し、見る見るうちに塵のような物がぽろぽろと落ちる。そして銅の剣は、さっきまでとは別物のように、キラキラと輝き出した。
「こ、これは銅ですの!? まるで宝石のように輝いて……ヴァン様、これは凄い事ですわよっ、ここまで銅の純度を高められる製法があれば、鉄で同じ事が出来るなら世界中が欲しがる技術ですわ!」
純粋な技術だけで純度百%にすることは、ラムダではまだ不可能だ。高位の土属性魔術師ですら、殆ど成功した例は無い。歴史上、純度百%の金属を作り上げた術者は居たが、その量は極微量でとても産業に活かせる量ではなかった。
だから、ヴァンダルーが純度百%の鉄を作り上げる事が出来るなら、そんな歴史上の高位魔術師と肩を並べる……いや、超える可能性がある。
しかしヴァンダルーはそれを誇る様子は無かった。
「確かにそうでしょうけど、すごい疲れるんですよ、これ」
「あ、魔力を多く使うのですわね」
「いえ、頭がすごく疲れるんです」
コテンっと、ヴァンダルーはタレアの背中に横たわると彼女の背に額を付けた。その熱さにタレアは驚いて思わず声を上げた。
「熱っ!? ヴァン様っ、火傷しそうなくらい熱いのですけど!?」
「こういうの、魔術熱って言うらしいです。知力の限界を超えて無理に複雑な術を使うとこうなるとか」
ステータスで表示される知力は、魔術や武技を制御し処理するための容量やスピードを表す。その限界を超えると、コンピューターを酷使した時のように熱が出るのだ。
ヴァンダルーが今タレアに見せたように銅の純度を【ゴーレム錬成】で上げるのには、魔力はあまり使わない。他の魔術師なら兎も角、一億を超える魔力を持つヴァンダルーからすれば、本当に僅かな量だ。
具体的にやっている事は、中学の科学だ。銅から銅以外の物質を弾き出す、そんなイメージで錬成しているだけに過ぎない。
鉱物を操る土属性魔術師が今まで鉱物の純度を上げる事が出来なかったのは、単に金属の分子構造を知らなかったからだろう。電子顕微鏡の無いファンタジー世界なのだから無理も無い。
だが、分子という概念を知っているヴァンダルーが一キロ程の銅の純度を百%にしただけで、意識が朦朧とするぐらい熱が出るので、やはり術自体難しいのだろう。
『若しくは、単純に俺の知力が低いのか。何か上手く工夫できる方法がある気がするんだけど……ふぅ、タレアの背中が気持ち良い』
熱を奪う青い炎の【鬼火】を自分の周りに灯しつつ、タレアの背中に額を押し付けていたヴァンダルーは、ふとある事に気が付いた。
「そういえばタレアの……」
「は、はいっ、私の?」
「二の腕って、太くてムキムキしてますよね」
「そこですの!? もっと他の場所でも良いんですのよ!? ヴァン様ならちょっと手が滑っても、私気にしませんわ!」
「他……背中もムキムキですよね」
鍛冶職人のように鎚を振るう訳ではないが、武具職人も仕事で結構力を使う。そのため、タレアは見た目より腕や背中に筋肉が付いていた。……それを隠すために、二の腕や背中が隠れる服や、見え辛くするための装飾品を付ける事が多いため、気が付く者は少ないのだが。
「いやああああっ! なんでよりによってそんな所ばかり!?」
顔を覆って悶えるタレアだが、ヴァンダルーは普通に褒めているつもりだった。何故なら筋肉は素晴らしいからだ。パワーフォージャスティス、パワーフォービューティフル、パワーフォーマッスルである。
そこまで極端に考えなくても、程よく引き締まった肉体というのはやはり魅力的なものではないだろうか?
「も、もうマッサージはけっこ――お゛う゛ぐっ!?」
しかし、ヴァンダルーが背中に乗っている状態で悶えたのが悪かったのか、タレアの腰からゴキっという嫌な音が聞こえた。
「……骨に異常無し。ギックリ腰です」
パタリと動かなくなったタレアに、再び魔術で痛みを麻痺させて患部の熱を取っていく。
【痛覚耐性】スキルを持つグールすら半ば失神させるとは、ギックリ腰恐るべし。
因みに、この時ラムダで初めて『ギックリ腰』という名称が使われ、このタロスヘイムから長い年月を経て大陸中に広まっていく事になるのだが、この時は誰もその事を知らないのだった。
「坊や、ここにおったか。……それでそこで横たわっておるのはなんじゃ?」
「腰を痛めて動けないタレアです」
元気はつらつとした様子のザディリスが顔を出したのは、タロスヘイムが早い夕方を迎えた頃だった。
「腰をやったじゃと? 年寄り臭いのぅ」
「きぃぃぃっ、私より三十上の癖に! あなたもギックリ腰になればいいのですわ!」
「ぎ、ギックリ? まあ、呪われた事は分かるが」
痛みはヴァンダルーの魔術で麻痺させられていても、実際には治った訳ではないので大人しく療養しているタレア。
ザディリスがよく見ると、ヴァンダルーの腕がタレアの腰と同化していた。
「……何をやっておるんじゃ?」
「霊体同化療法です。こうして霊体化した俺の身体と同化すると、【高速治癒】スキルをタレアにも使えるようになるんですよ。
俺って回復魔術が使えないので、何かできないかなと思って色々試したら出来たんですよ」
「フッ、フフフ、羨ましいですか? こうして私はヴァン様と一つに……いやーっ、揺らさないでっ! やめなさい、この偽小娘!」
「年長者を敬わんからじゃ。まったく」
軽口を叩こうとしたタレアに悲鳴を上げさせて満足したザディリスは、真面目な表情になるとヴァンダルーに耳打ちした。
「やはり、寿命かのぅ?」
「いえ、ただの老化かと。死相は見えないから、無理をしなければ大丈夫だと思うんですけど」
「……しそうじゃな、無理」
「そうですね。近い内に、【若化】するか聞いてみましょう」
続けて腰を痛めたのはただ単に癖になっているだけかもしれないが、老化が進んでいる事が疑われた。気にし過ぎかもしれないが、思い切って死相が出る前に若返らせて元気になってもらった方がいいだろう。
「そういえば、訓練の方は?」
「うむ、順調じゃ。儂も百レベルになったので明日またジョブチェンジする予定じゃよ」
ジョブチェンジを果たしたグール達は、まず『見習い』ジョブに就いた。この『見習い』とは『見習い戦士』や『見習い魔術師』、『見習い武具職人』、『見習いメイド』等、あらゆるジョブに存在する。
文字通り見習いなので、能力値やスキルにかかる補正も弱い。だが若干補正がかかるスキルの幅が広いので、このジョブで自分の向き不向き等を考えながら訓練を積み、スキルの取得を目指すのだ。
その見習いをザディリス達グールは僅か数日でレベルを限界まで上げてしまったが、これは特殊な例だ。
見習いジョブに就いた人間は、普通なら一般人に毛が生えた程度の力しか無い。その状態から武器の使い方を木剣や木槍で練習し、模擬戦を行い、指導者が見守る前でランク1のゴブリンやビッグフロッグ、リビングボーン等と戦い、経験値を稼いでいく。
ただグール達は元々魔物としてランク3以上の力を持ち、既に戦闘用のスキルを幾つも獲得している。そのため、人間の見習い戦士だったら一方的に殺されるしかないニードルウルフ等を討伐し、大量の経験値を手に入れる事が出来るのだ。
ザディリスも他のグールと共にフライングシャークやラプトル等の魔物を倒し、早々に『見習い魔術師』の百レベルとなっていた。
因みに、魔物としてのレベルは上がっていない。どうやら経験値は『ジョブ経験値』と『魔物経験値』が別々に入って来るらしい。
「坊やも早く試したいじゃろうが、今はのんびりする事じゃ。タレアの腰が治る頃には、約束の誕生日を迎えるじゃろう」
「まあ、どうなるかわかりませんけど」
【既存ジョブ不能】の呪いにかかっているヴァンダルーは、既にこのラムダで確認されているジョブに就く事が出来ない。
なので試してみたいとは思っていたが期待半分、ジョブチェンジできないのではないかという不安半分だった。
まあ、その時はアンデッドやグール達の強化育成に集中しよう。
「あうぅ、ヴァン様ぁ、そんなに私の腰は悪いのですか……」
呪いを知らないタレアがヴァンダルーの言葉を自分の腰の事だと思い込んでしまったので、ちょっと宥めるのに苦労した。
そして迎えた誕生日。ヴァンダルーは王城に連れてこられた。
『坊ちゃん! 騙されたと思ってこの袋を被ってください!』
『その前に目隠しと耳栓も忘れないでくださいね』
そういいながらリタとサリアが大きな皮袋と布の目隠しを見せて来た時は、思わず立ち尽くした。
下剋上かと思ったヴァンダルーだったが、どうやらサプライズの演出らしく、ワクワクしながら目隠しをして革袋を被る。見た目は拉致される幼児そのままだ。
『来たな! お前のために苦労して持って来てやったぜ!』
「我もだ! 我も獲って来たぞ!」
「まだ見せてもいないのに競うな!」
そして暫くすると俄かに騒がしくなった。ヴァンダルーは自分が期待していたよりも大掛かりなサプライズが待っているらしいと、胸を高鳴らせた。
『誕生日おめでとう!』
革袋と目隠しが取られる。すると、そこは王城でもオルバウム選王国と交易をするようになってから、人間の社交界風の立食パーティーや舞踏会を開くために増築された大食堂だった。
広大な空間にボークスやヴィガロ、ザディリスやヌアザ、バスディアにタレアにと大勢が集まっていた。
そして当時は荘厳だっただろうが今は荒れ果て見る影もない大食堂の装飾の代わりだというように、カラフルな羽毛や鱗の死体が幾つも並んでいる。
「これは、恐竜!」
正確な名前は分からないし、きっと地球でかつて生息していた恐竜とは色々異なるのだろうが、それらはパッと見て恐竜の骨だった。
巨大な牙を生やしたティラノサウルスっぽい死体。
一目で鳥や蝙蝠とは違う事が分かる、プテラノドンっぽい死体。
大きな角を生やした、トリケラトプスっぽい死体。
背中に骨の板を、尻尾に棘を生やしたステゴサウルスっぽい死体。
角が欠けていたり、腹を縫い合わせていたりと無傷ではなかったが、どれもこれも比較的新鮮そうだ。
「これが私達からの贈り物だ。ヴァンが竜種ではない鱗が生えた魔物を欲しがっていると、母さんから聞いて皆で集めていたんだ」
「ダンジョンでも結構出て来たからな。ただ腐るから血と内臓は取った後だが」
どうやら、ザディリスからヴァンダルーが恐竜が好きだという情報が流れたらしい。
まあ、恐竜というカテゴリーを誰も知らなかったせいか、巨大なワニやヘビの魔物や、全身に鱗が生え鋭い牙と爪を持つ体長三メートルほどの一つ目のネコ科っぽい肉食獣という、よく分からない生物の死体が混じっていたが。
しかし、それはヴァンダルーが覚えた感動を阻害する物ではなかった。
「皆……ありがとう……」
目頭が熱くなった。ダンジョンや魔境で血や内臓を抜いたとしても、魔物の死体をそのまま持ち帰る事がどれだけ難しいか。多分境界山脈を越える時に増産したカースキャリッジ達が協力したのだろうが、それでも楽ではなかったはずだ。
『ヴァンダルー……』
サリアが持って来ていた遺骨から、ダルシアの霊が現れる。
『母さんね、今までもうダメだって何度も思ったわ。父さんが殺されて、私も捕まっちゃって……でもあなたは今日三歳になってくれた。
本当にありがとう。だから、これからも元気で大きくなってね』
今まで数えるのも嫌になるくらい涙を流してきた。怒り、悔しさ、悲しさ、惨めさ、苦痛、憎しみ、悲哀、憎悪、赫怒、怨念。
だけど、喜びで涙を流したのは初めてかもしれない。
それの何と心地良い事だろう。
「ありがとう、母さん。ありがとう、皆。これからも、宜しく」
だから生きよう。
そして母さんを生き返らせよう。
きっと母さんを生き返らせた時に流す涙も、きっと心地良い物になるだろう。
殺されてなどやるものか、死んでなどやるものか。
立ちはだかるなら皆殺して――味方にしてやろう。
三十四話は、明日投稿予定です