表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四度目は嫌な死属性魔術師  作者: デンスケ
第十一章 アルクレム公爵領編二
308/515

二百四十九話 主無き迷宮へ

 ヴァンダルー達がモークシーの町に現れて二ヶ月が過ぎ、三カ月目に入った。この頃にはオルバウム選王国内では諜報組織や特殊な情報網を持っている権力者以外にも、彼の存在が知れ渡り始めていた。

 ただ人から人に情報が伝播する際に余計な尾ひれがつき、逆に重要な部分が欠ける等正確さが失われていき、アルクレム公爵領から離れた公爵領では、かなりいい加減なものになっていた。


 ただ、ダークエルフの母とダンピールの息子がアルクレム公爵領に居るという事だけは共通していた。

 その噂はオルバウム選王国の各地に潜む過激派のアルダ信者の耳にも入った。彼等にとってヴィダの新種族は蔑視する存在であり、ダンピールは闇に葬るべき忌子だ。そんな彼らにとって、噂は不愉快なものだった。


 しかし、具体的に動く事は出来なかった。アルダ過激派と一括りにされているが、彼等は一つの組織では無い。地域ごとに散らばっている集団や個人だ。それに、オルバウム選王国ではアミッド帝国と違いダンピールも人間として扱うと法に記している。


 アルダ過激派はそれを悪法であると考えているが、彼等がどう考えようが司法機関には意味の無い事だ。

 更に『五色の刃』のリーダー、ハインツの活躍によりオルバウム選王国ではヴィダの新種族にも寛容なアルダ融和派が力を増している。元々選王国では少数派だった過激派の力は、より小さくなっている。


 離れたアルクレム公爵領に刺客を送りつけるような行動力や組織力は、無かった。ヴァンダルー達が彼らの巣くう町に訪れた場合は、何らかのトラブルが発生しただろうが。

 ちなみに、アルクレム公爵領は数年前まで獣人種に対する迫害が行われていたので、過激な思想を持つアルダ信者も少なくなかった。モークシーのような交易都市はともかく、弱小貴族が治める他の地域との交流が少ない辺鄙な領地等では、領民全体がアルダ過激派に染まっているという事もあった。


 しかし、アルクレム公爵領全体がアルダ融和派に傾いた近年では、過激派のような偏った考え方の者は減りつつあった。だが、それでも金で雇われた刺客が送り込まれ、旅人を装ったアルダ過激派の信者が町を訪れている。それが表面化していないのは、刺客を『飢狼』のマイケルことマイルズ・ルージュやアイラが処理し、モークシー伯爵の密偵がアルダ過激派の信者を町から排除しているからである。


 ダンピールにとって危険な集団としては、『英雄神』ベルウッドの信者の中でも過激な、若しくは狂信的な者達の存在が知られているが……実は知られているだけで、少なくとも現在のオルバウム選王国内には組織としては存在していない。


 米を栽培したと言うだけで農村を焼き打ちし、村人を皆殺しに、そして異世界の技術と同じ発明をしたという理由で発明家一家を惨殺。そしてヴィダの新種族への凄惨な事件の数々を、歴史に現れる度に起こしてきたベルウッド狂信者。同じベルウッドやアルダの信者達からも忌み嫌われ、時にはベルウッド信仰を騙って狼藉を繰り返す犯罪者として処断されてきた。


 だが、彼らの信仰対象である『英雄神』ベルウッドは、約五万年前に眠りについている。信者に神託や加護を与える事もない。そのため一部の歴史ある神殿以外のベルウッド神殿は、現在アルダ神殿に吸収されていた。

 アルダ神殿にベルウッドの神像も祭られている状態であるため、現在では過激なベルウッド信者もアルダ過激派に吸収される形で一体化されていた。


 そしてダンピールを血の汚れとして狙う邪神派吸血鬼の組織は、バーンガイア大陸を牛耳っていたヒヒリュシュカカを奉じていた組織が壊滅したばかりだ。

 いずれ他の大陸の邪神派吸血鬼の組織が進出して来るだろうが、それは先の事だろう。


 そのため、モークシーの町に居る限りヴァンダルーに敵対する組織は、『法命神』アルダに従う神々とその英雄達のみだ。

 しかし、ヴァンダルーの味方の……少なくとも、当人達は味方だと信じて疑わない組織も存在する。


「どうかな? ちゃんと書けてる? 書き間違えてない?」

 『五色の刃』に保護されたダンピールの少女セレンは、自筆の手紙を三人の大人に見せた。

 一人は現在彼女を護衛している冒険者パーティー『轟く剣戟』のリーダーであるレンブラン。

 そして残り二人はそれぞれ高位の聖職者を意味するローブを着た男女だ。胸にある聖印は、『法命神』アルダ、そして『生命と愛の女神』ヴィダ。


「漢字も使って書いてあるし、読みやすいぞ。勉強を頑張った甲斐があったな」

 ハインツ達が留守の間、護衛としてだけではなく家族代わりとして接してきたレンブランに褒められたセレンは、嬉しそうに微笑む。


「レンブラン殿の言う通りです。心がこもっているのが、伝わってくるお手紙ですね」

 ヴィダの聖印を記したローブを着た優しげな青年……ファゾン公爵の甥にあたるピエトロ・ファゾン高司祭がそう評する。


「ええ、セレンの手紙ならアルクレム公爵領に現れたダンピールの少年も受け取ってくれるでしょう」

 そして、アルダの聖印を記したローブを着ている二十代の女性、メーガン枢機卿が纏めた。


 ファゾン公爵領に居る彼女達は、北のアルクレム公爵領にダンピールの少年と、その母親のダークエルフが現れたと言う噂を聞き、詳しい調査を行った。そしてダンピールの少年が本当に存在しており、母親のダークエルフがヴィダの御使いを降ろす事が出来る聖人である事を確信した。

 それは融和派であるメーガン枢機卿、そしてアルダ融和派と積極的に協力体制を築いてきたピエトロ高司祭にとって吉報だったが、同時に喜ばしくない情報がもたらされた。


 ダンピールの少年とその母親は、ヴィダ原理主義、つまり融和を目指す彼女達と正反対の立場に在るという事だった。

 これではアルダ融和派のメーガンや、ピエトロの使者が接触しても相手にされない可能性が高い。


 しかし、アルダ融和派とそれに協力するヴィダの高司祭としては、二人と対立する事は避けたい。特にヴィダの御使いを降ろす事が出来る母親、ダルシアとは。

 オルバウム選王国のアルダ信者全体を融和派に、そしてヴィダ信者を融和派との協力体制に取り込む事を目標に掲げ、それが徐々に現実に近づいているのだから。


「でも、私のお手紙じゃ失礼にならない? 私、子供だし……」

 セレンは法律上、名誉伯爵位を持つハインツの義理の娘という事になっている。名誉貴族は一代限りで世襲する事は出来ないので、彼女を希少な種族の平民としか見ない者もいた。法律上は、ハインツが存命している間は彼女も貴族として扱われるのだが。


 そんな中途半端な立場の上に子供の自分の手紙だけでは、ヴァンダルーに対して失礼にあたるのではないか。そう心配するセレンにピエトロは笑って答えた。


「大丈夫だよ、私達の手紙も同封するし、ちゃんと使者に持たせるから平気だよ」

 ピエトロも、ファゾン公爵家の姓こそ名乗っているが、継承権は放棄している。法律上貴族ではあるが、彼の子供は他の貴族の養子になるか婚姻して家に入らなければ平民になる。

 メーガンも枢機卿と言っても、その権威は聖職者としてのもので世俗の法制度の中では平民でしかない。


 二人とも、今のセレンの微妙な立場を理解していた。


「しかし、原理主義か……今の時代には珍しい」

 十万年前アルダに敗れたヴィダだが、その信者が居なくなったわけではない。だが、つい最近までヴィダやその従属神、そして近しい神々は神託や加護を信者に与えた事が無かった。


 そのため人々の関心は、華々しい活躍をする英雄達がいる『法命神』アルダとそれに近しい神々に向けられる事が多かった。

 ヴィダ信者にも、ダンピールの『傭兵王』ヴェルドのような英雄が現れる事もあったが、それはあくまでも例外であった。


 だから大多数のヴィダ信者達は、アルダ信者に対して程よく距離を取り、積極的に論争はしても、武力で争う姿勢は見せなくなっていた。


「ダークエルフだそうですから、社会から隔絶された里で暮らしていたのかもしれません。新種族……その中でも女神の過ちによって生まれた魔人族等は、今もアルダの打倒と人間の根絶を唱えていますから」

 吸血鬼の次に人間社会と衝突する事が多い魔人族を例に出して、ピエトロがメーガンに説明する。吸血鬼について言及しないのは、セレンの前だからか。


「そうかもしれませんね。もしそうなら、アルクレム公爵領の良き人々が彼女の考えを和らげてくれる事を祈りましょう」

「なんて言うか、小難しい話だな。いつも思うんだが、神様の事はとりあえず棚上げして、上手くやろうぜって事じゃダメなのか?」


 ピエトロとメーガンに、レンブランはそう尋ねた。彼は特定の神の信者ではない。冒険の前に適当な神に祈って縁起を担ぎ、稼いだ時は特定の神殿に偏らないように寄付をする。聖職者に睨まれないようにしてきた。


 その結果アルダ勢力とヴィダ派の争いを無くし融和する事を目的とする融和派の知り合いが増え、ハインツと親しくなり、今に至ると言うだけでレンブラン自身に強い思い入れがある訳ではない。

 そんな彼にメーガンは苦笑いを浮かべ、ピエトロは真剣な顔で答えた。


「それが出来れば良いのだが……聖職者なんてやっていると、難しく考えてしまうものなのよ」

「勇者ザッカートは、生前『神も過ちを犯す』という言葉を残しています。

 そのザッカート達勇者四人を犠牲にしてしまったアルダとベルウッド、そして獣人種や巨人種等新たな人類の仲間たる種族だけではなく魔人族など人類に仇成す種族を産み出してしまったヴィダ。偉大なる神々でもこのような過ちを犯すのです。人の子に過ぎない我々が過ちを犯さぬよう慎重になるは当然でしょう」


 ピエトロが口にした勇者ザッカートの言葉。それは事実、十万年以上前に生きていた彼が残した言葉だ。この言葉を指して、一部のアルダ信者は、彼が堕ちる前から勇者に相応しくない人物だった事を表していると唱える。

 そして多くのヴィダ信者は、神への盲信を戒める言葉だと教えている。


 だが真実は、ベルウッドを勇者に選んだアルダを皮肉った言葉だったのだが。


「……やっぱり難しい事しか言わないな。これだから人生相談はシスターに、結婚式はブラザーに頼めと言われるのだ」

「人生相談では女性の方が優しい言葉をかけて貰える。だが、結婚式では新婦に浮気を疑われないよう、年配の男性聖職者に頼む方が良い。実際はそうでもないと思いますが」

「寧ろ、女性の方が辛辣な場合も多いですよ」


 大人達がそう話している間、セレンは薄れかかっている記憶に残っているヴァンダルーの事を思い出していた。

(多分、新しく現れたダンピールって、あの子の事だよね? 今度はお話しできるかな?)

 ニアーキの町で偶然出会い、しかし声をかけた途端逃げ出してしまった同種族の少年。セレンはその事をレンブランにも話していなかった。


 ハインツ達に口止めされていたからだ。ヴァンダルーが逃げ出した後に起きたダンジョンの出現とその暴走等、不吉な事が多かったからだ。

 妙な悪評を発生させて、それにヴァンダルーを結び付けられないようにと言う配慮も……半分くらいはあった。


 そしてハインツは、レンブラン達にかつてミルグ盾国で冒険者として受けた仕事でダンピールの母親を捕まえ、アルダの高司祭に引き渡した事は話していた。

 しかし、その母親が産んだダンピールがヴァンダルーであるかもしれない事は話していなかった。母親の名前が、ダルシアである事も。


 彼等にとっては話し辛い過去の汚点だった事もあるが……ダルシアが復活して人間社会に現れるなんて事態は想定外だったのだ。




 上手くすれば儲けられるはずだった。

 魔物の暴走が起きた後の魔境は魔物の数が少なくなるし、立ち入り禁止だから冒険者と出くわす可能性も無い。

 最近この辺りの同業者が捕まったかどうにかして消えたらしいので、今なら裏社会の上層部に食い込めるかもしれない。


 そう考えて馬車に『商品』を乗せ、彼は傭兵を二人護衛に雇って、街道に設置された警備隊の詰所を避けるため魔境に入った。

「話が違うじゃないか!」

 しかし、彼は自分の考えが甘かった事をすぐに思い知った。


 魔境に入ってすぐの頃は、確かに魔物は少なかった。だが次第にゴブリンやコボルト等の魔物が現れるようになり、今はランク3の猿に似た魔物、狒々の群れに追われている。


 亜人では無く猿の魔物だが、凶暴で何より群れる習性がある。ランクアップすると大狒々という、ゴリラを一回り程大きくした種になるが、群れる習性が薄れる為そちらの方が倒しやすいと評される。

 地域によってはキラーエイプやゴブリンエイプとも呼ばれる。


 そんな魔物が十匹以上、彼の馬車を追いかけていた。

「ホォー! ホォー!」

「ウォォォ! ヴオオオ!」

 護衛に雇った傭兵達は、既に他の魔物によって殺されている。狒々たちは、次にご馳走にありつくのは自分達だと牙を剥き出しにし、底なしの食欲が浮かんだ瞳を馬と御者の人間に向ける。


「もっと早く走れ! この駄馬が!」

 焦って馬を罵るが、馬が限界なのは分かっていた。昨日、病気を起こす茸型の魔物の胞子を受け、その状態から休ませず移動を続けて来たからだ。

 モークシーの町まで保てばそれでいいと思っていたが、それも無理そうだ。


「クソっ、何でこんなに魔物が多いんだ!? 魔物の暴走が討伐された後は、魔物が減るんじゃなかったのかよ!」

 彼が叫んでいる通り、通常魔物の暴走が討伐された後は魔物の数が減る。だが、モークシーの町を襲った魔物の暴走は、通常のものでは無かった。


 『雷雲の神』フィトゥンが管理するダンジョンの出入り口を、彼の配下である英霊がモークシーの町の近くにある魔境に設置し、フィトゥンがダンジョンを操作して起こさせた暴走だ。だから当然、モークシーの町を襲い討伐された魔物の多くは、フィトゥンのダンジョンで発生した魔物で、魔境に生息している魔物ではなかった。


 とは言っても、幾らかは他の魔物につられて暴走に加わったり、逆に見慣れない魔物に縄張りを荒らされたと考えて襲い掛かり、返り討ちに遭ったりしただろう。

 しかし元々数が多いゴブリンや、頭が良く見慣れない魔物を警戒して巣に籠ったコボルト、そして狒々には影響は殆ど無かったのだ。


「ウボオオオ!」

 その時、群れの先頭の狒々が石を投げた。魔物の腕力によって投じられた石は、狙い違わず馬の脚に命中し、馬が転倒し馬車が横転する。

「うああああっ!?」

 男は悲鳴をあげて御者台から投げ出され、地面に叩きつけられた。しかし、狒々達が男に殺到する事は無かった。


 見ると、馬は立ち上がれないのか大きな声で嘶きながら、脚で宙を蹴っている。その動きと、横転した馬車から散乱した『商品』が狒々達の注意を男から逸らしているようだ。

「い、今のうちにっ!」

 体中から感じる痛みを堪えながら、男は逃げ出そうとした。『商品』を無くすのは痛いが、死んでは何の意味も無い。


 もう魔境の表層のはずだ。後は何とか駆け抜けて、町まで辿りつければとりあえず助かる。今はそれだけを考えて、男は駆け出そうとした。だが、狒々達がその気配を見逃す筈も無く……。

「【飛剣】!」

 突然響いた声と共に飛来した黒い金属の手が握る剣が、狒々の胸を貫いた。


 目を見開いて動きを止める男と、彼以上に驚愕する狒々達。そこに、更に「【ロケットパンチ】!」と言う女の声が響き、素早く回転する何かに狒々達が薙ぎ倒される。


「狒々の群れか。前なら両腕があっても、相手するのは勘弁だったが……!」

「今のオレ達には、物足りない相手だ!」

 そして男と狒々が衝撃から立ち直る前に、やはり黒い鎧を着た男と、獣人種の女が現れて狒々の群れに突っ込んで行く。


「二人とも、初めて変身してからまだ十日も経っていないのに、随分腕を飛ばすのが上手くなりましたね。ナターニャは俺が教えたロケットパンチを武技として使えるようになりましたし」

「ボークスさん達の訓練は壮絶だったから。終わりの方にはダグも巻き込まれたし」

「ああ、全く。俺とあの二人は違うって言うのに、似たようなもんだって言いやがって……」


 そして次々に狒々を倒していく二人の活躍を見守りながら、ヴァンダルー達が現れた。魔物化したメーネに引かせている……ように見えるサムを囲むようにして歩いている。

 男からすると狒々の群れは絶望を覚える程の脅威だったが、ヴァンダルー達にとってはサイモンとナターニャの訓練の成果を見るのに、適当な相手でしかない。


「た、助かった……。なあ、あんた達冒険者だよな? すまないが助けてくれないか」

 狒々が全滅したのを見て安堵した男は、自らの幸運に感謝しながら恩人達に話しかけた。ファングやマロル達を見て驚き、声が震えたが従魔である事を示す首輪をしているので、問題無いだろうと自分を落ち着かせる。


「見ての通り、俺の馬車は使えなくなっちまった。それで、無事な商品をあんた達の馬車に乗せて町まで運んでくれないか? 謝礼は商品を売った金の三分の一、いや半分でどうだ?」

 元々全て諦めるつもりだった『商品』だ。それに表向きの商品と実際の『商品』は異なる。表向きの方の半額程度は、男にとって痛くもかゆくもなかった。


「馬は、まだ元気みたいですけど?」

 そう言ってカナコは、まだ混乱して嘶き続けている馬を指差す。その馬に、サムの荷台から降りたダルシアとヴァンダルーが近づいて行く。


「いや、でも脚が折られていて、しかも病気だからここから町まではとても――」

 そう男が説明しているのを聞きながら、ダルシアは暴れている馬の脚を見た。そこは確かに折れて曲がっていた。

「この程度なら、折れて時間も経っていないし簡単ね」

 しかし、【再生の魔眼】を発動してほんの数秒で治してしまった。


「病気は、もう治しましたよ」

 そしてヴァンダルーによって、馬の病気はいつの間にか完治していた。

「治癒魔術が使えるのか! ありがたい。残った商品を馬に乗せ変えれば、町まで行けそうだ」

「その商品というのが、これですね?」

 ヴァンダルーは、喜ぶ男に向けて割れた陶器の壺の欠片を掴んで見せた。男が馬車で運んでいた『商品』は、塩を入れた壺だったのだ。


「ああ、そうだ。東隣りのアーサッバ公爵領の塩だ。アーサッバには小さいが港があってな。そこで海水から作られる塩は岩塩とは微妙に味が違うらしくって、この辺りなら高く売れるんじゃないかと思って運んで来たんだよ!」

 あらかじめ用意してあった台詞を口にする男に、ヴァンダルーは続けて尋ねた。


「そうなのですか? 俺の舌にはこの辺りの岩塩と同じ味にしか感じませんが。それに、この壺は陶器に似ていますが違いますね。舐めると麻薬の味がしますし」

「はっはっは、そうかい? そうか……ひぃっ!」

 モークシーの町に麻薬を運び、売りさばこうと企んでいた男はヴァンダルーに背を向けると、カナコの脇をすり抜けダルシアが降りたため、空になっていた馬車の御者台に飛び乗った。


 そしてそのまま逃げ出そうとするが……その馬車はただの馬車では無い。

『飛んで火に入る春間近のムシケラですな』

 背後に出現したサムの霊体によって、男は抵抗する間もなく締め落されて白目を剥いた。


『坊ちゃん、この男、如何いたしましょう? 麻薬を運んでいた以上この男も嗜んでいた可能性がありますので、食材にはお勧めできませんが、森の肥やしにでもいたしますか?』

「縛り上げて、事情を説明する手紙と証拠品と一緒に、ファングに届けてもらいましょう。お使いよろしくお願いします」

「ウォン!」


「それより、麻薬なんて舐めて平気なんですか?」

「俺は【状態異常無効】ですから。それよりも、彼の置き土産を受け取りましょう」

 そうカナコに答えたヴァンダルーは、骨折と病気を治療されたため、立ち上がったが、失った体力はそのままなので動けないでいる馬に向き直った。


 メーネとファングの瞳に憐れみが宿り、マロル達がチュウチュウとはしゃぐなか、馬を撫でて落ち着かせようと、ヴァンダルーは手を伸ばした。

「ヒヒン!?」

 それに対して、馬は反射的に蹴りを繰り出していた。硬い蹄が、ヴァンダルーを打つ。


「師匠っ!?」

 狒々の魔石と討伐部位をはぎ取っていたナターニャが、思わず声をあげる。

「む? お手と勘違いしましたか?」

 しかし、ヴァンダルーは痛みを感じていなかった。自分が伸ばした手を、「お手」の合図だと馬が勘違いしたのかと、誤解までしている。


 メーネと、そしてファングの瞳に馬に対する親近感が浮かび、憐れみが深くなった。

「思ったより人懐っこいですね。お手」

「ヒヒィン!?」

 ばしんと再度蹄で蹴られるが、ビクともしないヴァンダルー。馬の混乱が、恐怖に変わっていく。


「たしか、もう一頭馬が欲しいって言っていたが、あの馬を持って行く気なのか?」

『私の霊体の馬ですと、瞳は紅く、呼吸はしていない。更に、触れられると体温も無いのがばれますから。車体の大きさを考えますと、メーネが魔物化して馬力が上がった事を考慮しても後一頭は欲しいところですな。

 【サイズ変更】で車体を小さくする事も出来ますが……』

 ダグにサムが改めて何故馬が必要なのかを説明する。そうしている内に、馬はヴァンダルーに屈したらしい。まだ懐いてはいない、屈しているだけだ。


「この子の名前はどうするの、ヴァンダルー?」

「蹄だからフーフ……だと夫婦に聞き間違えそうですね。ホーフにしましょう」

 やはり『オリジン』の言葉で蹄を意味する言葉を名づけた。ヴァンダルーは、何故か急に『お手』をしなくなったホーフの顔を撫でたのだった。




 ホーフが加わり、ファングがお使いから帰って来るのを待って動き出した一行は簡単にダンジョンの入り口を発見した。

 マウンテンジャイアントを含めた魔物の群れが町に向かった痕跡は、馬車が通れるほどの道を森の中に作っていたのだ。


「これがフィトゥンの『試練の迷宮』の入り口……簡素ですね」

 森の中にさえなければ、大きな洞窟としか見えなかったそれに、ヴァンダルーはそう所感を呟く。

「『ザッカートの試練』みたいに、看板がある訳じゃないのね」


『ヴァンダルー、そしてダルシア殿、あの看板はダンジョンの趣旨を間違えて挑んでくる攻略者があまりに多いので建てた物です。

 神々が管理するダンジョンは、元々選ばれた者しか入る事が出来ないようにするそうなので、看板を設置する意味が無いのでしょう』


 姿が見えないだけで、常にヴァンダルーの背後にいるグファドガーンがそう説明する。

「とりあえず、中に入りましょうか。ダンジョン初攻略の名誉を手に入れ、カナコ達をC級に昇格してもらい、更にダンジョンの管理を乗っ取り、ヴィダ派のものとするのです」


「おー! D級だと箔がつきませんからね。冒険者で芽が出ないから、踊り子や吟遊詩人の真似事をしてるって陰口も囁かれますし」

「師匠、カナコの姉さん達はともかく、俺らはまだC級には相応しくないって昇級を辞退したばかりなんですが……」


 そう言い合いながら、躊躇いなくダンジョンの中に入って行く一行。彼等にとってB級相当だろうと思われるこのダンジョンは、ヴァンダルーといる限り脅威を覚える場所ではない。

 例外はメーネとホーフの二頭ぐらいのものである。


『メーネもホーフも心配はいりませんぞ。いざとなったら、お前達ごと亜空間に潜るか、お前達を荷台に引っ張り込んで私が自力で動きますので。ハハハハハ!』

 楽しげな馬車の声に励まされても不安を隠せない二頭だったが、止まる事は許されずダンジョンの中に消えていったのだった。

4月13日に250話を投稿する予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ