閑話37 ゆっくりと、しかし確実に動く世界情勢
バーンガイア大陸西部。アミッド帝国の支配が五百年程続く地の、辺境と呼ばれる場所。そこにダークエルフ達の隠れ里はあった。
ヴィダの新種族に対して苛烈な迫害を行うアミッド帝国だが、千年の寿命を持つダークエルフにとっては長い嵐のようなものだ。後百年か二百年、山野の奥深くから様子を見ていれば新しい国に代わるだろう。
住み慣れた森や山を捨てて大移動を行う程では無い。
しかし、ダークエルフ族はその大移動を行うべきか否か話し合うための会合を行っていた。脅威が迫ったからでは無く、移住する先に彼らが求めたものが存在するからだ。
「皆よ、改めて問いたい」
各里の長や知恵者が集まる会議場で、ディエリオン最長老が立ち上がってそう語りかけた。
最長老と言ってもダークエルフは不老だ。ディエリオンもその例外では無く、見た目は二十代半ば程の好青年に見える。だが、九百と数十年の時を生きた経験豊かな長老であり、穏やかな人柄で若い世代からも慕われている人物である事を、会議場に居る全員が知っている。
「昼飯は、まだだったろうか?」
だから、ディエリオンがそう言っても誰も怒りださなかった。
「大じいちゃん、もう食べたでしょう。もう夕方だし、同じ事を皆さんに聞くのは今日で五回目よ」
「ああ、そうだったか。これはまいった」
補佐……というより介護の為に付いて来ている曾孫にそう言われ、ディエリオンは頭に手を当てながら爽やかな笑みを浮かべる。
「まいったのはこっちだ。客人と英雄の前で呆けよってからに」
「全くだわい。儂等の話し合いが呆けているから長引いていると誤解されたらどうするのじゃ」
「仕方あるまい、ディエリオンも歳じゃからな。そもそも、最も歳をとった長だから最長老なのじゃが」
口々にそう言い合うダークエルフの長達。やはりディエリオン同様、二十代や十代後半に見える者達が殆どで、声も若い為、年寄りぶった若者たちの寄り合いのようだ。
その中で異彩を放つ一人、モヒカン頭にレザーファッションを決めたマッチョ体型のダークエルフ、ドルトンは仲間達に言った。
「な? 皆シュナイダーみたいだろ?」
「全くですな」
「ドワーフの男は髭のせいで皆中年に見えるってよくきいたけど、ダークエルフは更に凄いのね」
「まあ、シュナイダーで慣れているからそんなに違和感は覚えないけど」
口々にそう所感を口にする『暴虐の嵐』の面々。それに対してシュナイダーは顔を引き攣らせていた。
「お前等……俺もここにいるんだが」
「だから言ってんだよ」
「他人の振り見て我が身を直すって言うらしいし」
しかし、シュナイダーが日頃から年寄りぶった言動をしていたため、控えめな抗議は全く取り合ってもらえなかった。
シュナイダー達は、ドルトンやダルシアの生まれ故郷を含めたダークエルフの里に境界山脈内部への移住を勧めていた。しかし、群れごとに意思決定がバラバラだったグール等他のヴィダの新種族と異なり、ダークエルフ達は里同士の交流が維持されていた。そのため、意思決定に時間がかかったのだ。
常に冒険者に狩られる危険に晒されているグールや鬼人族、そして激しい迫害にあっている獣人種や巨人種と違い、ダークエルフ達は人間社会の手が及ばない地に隠れる事に成功していた。そのため、移住を急ぐ動機に欠けていた。
「そうか。儂もそろそろ齢だな……おや、曾孫や、何故二人に増えているのかね?」
「最長老、私は貴方の妻の双子の妹の娘です。つまり義理の姪です」
「顔つきと髪型が似ているだけよ、大じいちゃん」
会合の間も、何処かのんびりとした空気が漂っている。しかし、ダークエルフ達もただ呆けている訳ではなかった。
「では、改めて……皆よ、儂は最長老を引退する事をここに宣言する。長の座は娘婿に譲り、最長老は儂の次に年寄りのジーリジウスに――」
「俺は辞退する! ディエリオン、俺はあんたの一つ下だぞ。来年には飯を食ったか何度も確認して、皆に迷惑をかけるのがオチだからな」
「ふむ、ではジーリジウスの次に年寄りのリーデリア。どうじゃ?」
尋ねられたリーデリア長老……髪を逆立て耳に幾つもピアスをし、冬だと言うのに露出度の高い革製の服を着た女性は鼻を鳴らして顔を背けた。
「辞退させてもらうよ。あたしみたいな懐古主義の婆じゃ、頭が固すぎて最長老なんて無理さ。孫の嫁探し一つ満足に出来ないってのに」
ちなみに、バーンガイア大陸西部のダークエルフ達にとってパンクファッションは、一昔以上前に流行していた格好である。
「後半は関係ねぇだろ、婆ちゃん!」
「五月蠅いね、ドルトン! 何時までも独り身でフラフラしやがって!」
更に、リーデリアはドルトンの祖母だった。
「仲間を見習って、身を固めたらどうなんだい! 同じフラフラでも、もう一人の方と違って種だけ撒く訳じゃないからまだいいけど!」
「長老が揃っている前で、俺の結婚事情を騒がないでくれ! 後五十年は誰とも結婚する気は無いって言っただろ!」
「ああ、確かに五十年前そう言ってたね! 覚えてるさ!」
「……シュナイダー、言われてるわよ」
「いや、一応、親としての責任は……面目次第も無い」
あらぬ方向に飛び火したが、ディエリオンが「続きは会合の後にしてくれ」と言った事で、祖母と孫の交流は中止となった。
「我等ダークエルフの英雄ドルトンの嫁探しは後回しにするとして、最長老はいっそこの中では若手のダンガルに任せようと思うが、どうじゃ?」
「私ですか?」
指名されたダンガルと呼ばれたダークエルフの男性は、驚いた様子でディエリオンを見つめ返した。
「私はまだ九百代になったばかりですし、タロスヘイムの皇帝は私の曾孫のダルシアの息子です。公平な判断が出来るとは思えませんが」
彼はダルシアの曽祖父に当たり、彼女が産まれた里の長だった。そうした理由で辞退しようとしたが、ディエリオンは爽やかに微笑んでそれを引き止めた。
「ダンガルよ、完全に公平な判断をする事は、この場に居る誰であっても不可能だ。相手は我等が母たるヴィダを復活させ、ヴィダに愛された少年で、勇者ザッカートを継ぐ者なのだから。その威光、そして成し遂げた偉業は、我々が伏して讃えるには十分すぎる」
ヴァンダルーが成した『生命と愛の女神』ヴィダの復活。これはダークエルフ達にとって悲願だった。
隠れ住む事でそれなりに安定した生活を送る事に成功したダークエルフ達でも、何時か復活した女神と共に歴史の表舞台に立ちたいと、アルダの威光を笠に着て過ごしやすい土地を独占し大陸を支配する人種達に目に物見せてやりたいと言う思いは、常にあった。
長い歴史の中には、実際にダークエルフが表舞台に立った事が幾度かある。大陸西部に大国が存在しなかった時期に、小国をダークエルフが征服し、国を名乗った事も。だが、どの国も数百年しか持たず再び山野の奥深くへ戻る事の繰り返し。
一歩前に踏み出しては、元に戻ってきた。そんな時に女神が復活し、ヴィダ派の国が建国されたと言う。これに奮い立たない者はいない。
実際には、里での利権や地位に固執する者も何人かはいたが……多くの者が移住を希望している以上、諦めるしかないと判断したようだ。
「まあ、アンデッドや一部の魔物も平等に民として扱われると聞いて、流石に二の足を踏んだが」
「うむ、人を無暗に襲わない理性的なアンデッドと魔物達。実際に目で見るまではとても信じられなかったからのぅ」
「それに、カオスエルフ化か……同じエルフでも大きな違いがあるようだしね。こればっかりは孫の言葉でもすぐには理解できないさ」
ただすぐに決断しなかったのはそうした理由があったかららしい。のんびりしているように見える長老達だが、自分達の判断に里の未来がかかっている事を自覚していない者はいない。
それまでテイムを除けば例外中の例外だった魔物や、アンデッドとの共存。そして最近ではカオスエルフへ種族が変化する可能性。それらを考慮して決断しなければならない。
「だが、納得できるだけの材料はもうある。どう判断するか考える時期は終わったのだ、ダンガル。後は、新たな最長老がそれを言葉にして表すだけだ」
大陸西部のダークエルフ達にとって、最長老の地位は人間社会の国王のような絶対的な権威を持つ事を意味しない。
長同士の会合で意見を纏める、議長のような役割だ。だからこそ人生経験や、優れた人格が必要とされる。
「……分かりました。謹んでお受けします、ディエリオン前最長老。
我々ダークエルフは、来たる戦いに参じるために境界山脈内部への移住を行う。しかし、全員では無い。任を帯びた者は里に残り、もしもの時の為の避難所として里を維持するものとする」
移住を希望するダークエルフ達は、安住の地を求めるよりも、戦力として加わるためと言う認識の者が多かった。
実際、『法命神』アルダと従う神々に狙われている境界山脈内部よりも、今暮らしている隠れ里の方が安全かもしれないのだ。
だから移住は行うが、もしもの時の避難所として隠れ里も維持し続ける。それが長たちの決定であった。
「ふぅ、やっとか。まあ、これでも普通に考えれば速い方なんだが、あのクソ皇帝が帝位にある内に一段落ついて助かったぜ」
「そうね。マシュクザールは無意味な……と言うか、リターンの無いヴィダの新種族狩りはしなかったから、その点は安心できたのよね」
現アミッド帝国皇帝マシュクザールも、それまでの皇帝同様にヴィダの新種族に対する迫害を行っている。しかし、彼の場合「帝国を纏め、民の不満を逸らす為」と言う実利を決して見失わなかった。
そのため、帝国領との間に険しい山や森を挟んだダークエルフ達の隠れ里を探し出し、軍を差し向けて狩りだそうとするような真似はしなかった。
軍に犠牲を出してまで行ったところで、統治し難い土地が増えるだけだからだ。捕えたダークエルフを奴隷として売りさばいても、莫大な軍費を賄える程の利益が出るとは思えない。
「だが、次の皇帝はアルダ神殿の影響力を強く受けた奴だろうからな。魔王と戦う前に、まずは国内の反抗勢力を一掃するのだ、と言い出すかもしれない」
「シュナイダー殿、問題は軍だけではありませんぞ。アルダ達が選んだ英雄と呼ばれる若者達が、単身、若しくは数人規模で里を襲撃する可能性があるかと。私としては、理解しがたいのですが」
ゾッドが危惧するのは、軍よりも身軽で平均的な騎士よりもはるかに強力な、神々の加護を受けた英雄達による襲撃だ。人間社会に関わらず生きているヴィダの新種族の隠れ里を態々襲撃する事に意味があるのか、彼は理解できない。しかし、アルダ信者は度々そうした事を繰り返してきた。
そして神殿は実行した者達を罰するのではなく、神の使徒として正しい行いだと賞賛してきたのだ。
時代と国によって狙うヴィダの新種族は多少変わるし、多くの場合対象にされるのは魔人族や鬼人族、スキュラ等ランクを持つ種族でダークエルフでは無い。しかし、英雄達の背後には神々が直接張り付いているので何をするか分からない。
「今はまだダンジョンでのレベリングや、『悦命の邪神』を奉じていた吸血鬼組織の残党狩り、暴走した【魔王の欠片】の再封印等にかかりきりのようですが」
「そうだな。ドルトン、里に残すのは腕利きだけにして、里の周りにも普段以上に厳重に罠や警戒網を張り巡らせるように言ってくれ。
後、ヴァンダルーから各里の分の通信機を頼んでおくか」
こうして多少の不安を残しつつも、ダークエルフの移住計画は動き出す事になった。
アルクレム公爵領の交易都市、モークシーにダンピールがいる。それが数々の噂と共にオルバウム選王国中に広まりつつあるにつれて、ヴァンダルーに関して知る者達の耳にも入るようになった。
選王国に潜ませている密偵からその情報をいち早く得た皇帝マシュクザールは、嬉々としてその情報を握り潰した。
アルダ神殿や自分を帝位から追い落とそうとしている貴族達に、情報が伝わるのが一秒でも遅くなるように。
大きな意味は無いし、もしかしたら全くの無駄かもしれない。しかし、素直に教えてやるよりはマシだと考えて。
その後起きた『雷雲の神』フィトゥンの神像が次々に自壊する事件を聞いて、民を落ち着かせるための演説を考えながら、口元に笑みを浮かべたと言う。
だが現ハートナー公爵のルーカスは、その噂を聞いた瞬間時が止まったかのように凍りついた。
何故なら彼は約五年前に起きた自領での事件に、ダンピールが関わっていた事を知っているからだ。冒険者ギルドで、書類にヴァンダルーと名を記したダンピールが。
「まさか、あれだけの事を我がハートナー公爵領でしておいて、そんな堂々と!? 今度はいったい何を考えて……また何か企んでいるのか?」
普段は冷静で厳めしい顔つきを崩さない彼が、青ざめて狼狽えている。それを見かねた家臣の一人がこう尋ねた。
「公爵閣下、ヴァンダルーなるダンピールには税を支払わず町から抜け出した罪があります。それを口実に噂の元になったダンピールめを呼び出し、尋問いたしましょうか?」
ダンピールは希少な種族で、オルバウム選王国の英雄である『蒼炎剣』のハインツが保護している少女と同じ種族だ。だが、逆に言えばそれだけである。
貴族の家臣でもなんでもない一介の串焼き屋台の店主程度、ハートナー公爵家の威光があればどうとでもできる。そう信じ切っての提案である。
「ば、馬鹿な事を言うな! この城まで傾いたら……いや、崩壊したらどうする!?」
だが、主君であるルーカスはハートナー公爵家の威光をそこまで過信していなかった。声を上ずらせるルーカスに、家臣の一人が困惑した様子で尋ねる。
「閣下、城が傾いた件はダンピールではなく、カナタと言う賊の仕業だったはずですが……?」
「確かにその通りだが……当時の事件はダンピールが目撃された時期と合い過ぎている。全てにダンピールが関与していたとは言い難いが、それを否定する証拠も何一つ無いはずだぞ」
「それはそうですが、しかし――」
「ニアーキの町で、新たなダンジョンの出現と暴走、当時魔術師ギルドの長だった人物達の集団自首出頭。奴隷鉱山の崩壊。極めつけは、開拓村の処分を言い渡した赤狼騎士団の失踪だ。その全てにダンピールが直接関与した証拠も、目撃証言も無い。そうだな?」
「それは、そうですが……」
「なら、城が傾いた原因もあの者にあっても不思議はない。正体不明の存在は、最大限警戒するべきだ。『ハートナー六槍士』達にも、絶対に関わるなと伝えよ。
それと、弟の行動にも目を光らせておけ。奴がダンピールを利用して手酷くやられるのは勝手だが、こっちまで巻き込まれたら堪ったものではない」
ルーカスはハートナー公爵位を継いだ事で動かせるようになった公爵家お抱えの精鋭部隊、そしてかつて後継者の座を争った腹違いの弟、ベルトンがヴァンダルーに勝手に接触しないよう命じる。
『ハートナー六槍士』はルーカスに忠誠を誓う精鋭達だが、アミッド帝国の『邪砕十五剣』と比べるとその力は大分落ちる。流石に約五年前に動かしていた赤狼騎士団よりも戦力としては数段上だが、それでもルーカスの直感は「彼らでは力不足だ」と告げていた。
そして公爵の座を兄に譲り、忠実な家臣となったはずのベルトンが、実は腹に一物隠している事をルーカスは既に見抜いている。下手な策を考えてヴァンダルーにちょっかいをかけたら、目も当てられない。
「では、密偵を送り込むに留めましょうか? なにかおかしな動きを……特にハートナー公爵領に近づくような事があれば、ただちに報告するようにと命じて、監視させましょう」
「……それならばいいだろう。頼んだぞ」
後日、モークシーの町で起きたダンジョンの暴走事件を知ったルーカスは、やはり一連の事件にはあのダンピールが関与していたのだと、確信を深めたと言う。
一方、サウロン公爵位を継いだルデル・サウロンは逆にヴァンダルー……と言うよりも、彼の母親であるダルシアをサウロン領に招けないかと考えていた。
「やはり、あの噂は本当だったようです。十万年ぶりに現れたヴィダの御使いを降臨させた、聖女。彼女が我がサウロン公爵領のヴィダ神殿を訪問すれば、民も活気づきましょう」
そう述べる家臣に、ルデルは「そうだな」と頷いた。
アミッド帝国との戦争の矢面に立ち、そしてほんの数年前に領土を取り戻したばかりのサウロン公爵領には、伝統的にヴィダを信仰する者が多い。
アミッド帝国が『法命神』アルダを頂点とした神々を国教として奉じているため、十万年前にアルダと決別したヴィダを奉じていると言う理由だが、民には熱心な信者も多い。
ヴィダの御使いを降臨させたダルシアがヴィダの大神殿を訪れれば、沈み気味なサウロン公爵領の空気も久しぶりに明るくなるだろう。
(相変わらず旧スキュラ自治区の攻略は進まず、アミッド帝国に対しても華々しい戦果は一つも上げていない。このままでは人心は私から遠ざかるばかりか)
旧スキュラ自治区は相変わらずヴァンダルーの支配下にあった。最近では冒険者だけでは無く、傭兵ギルドも仕事を受けつけなくなり、いっそ放置してしまおうかとルデルも悩んでいる有様だ。
そして皇帝と神殿の二大勢力がぶつかり合っているはずのアミッド帝国だが、軍は権力闘争何て知らんと言わんばかりに国境を守っている。
領土を回復し、軍の再編成も終わっていないサウロン公爵領の状況では、とても戦果を挙げられる状態ではない。
だからこそ、『聖女』ダルシアの存在は民を活気づけるだろう。
「しかし、他の公爵領で名を上げた者を強引に招くのは問題があるかと。アルクレム公爵も良い顔はしないでしょうし」
だが、別の家臣がそう述べる。別に他の公爵領で名を上げた者を招く事や、家臣として迎える事を禁止する法は無い。しかし、暗黙の掟として避けるようになっていた。
「確かに。強引な手を打てば、アルクレム公爵は勿論、聖女殿本人の不興を買ってしまう。まずは、アルクレム公爵、そしてモークシー伯爵に根回しをしてからにしよう」
「畏まりました」
実はその聖女の息子が自分の治世を脅かしている最大の要因であるとは知らないまま、ルデルは彼女を招くための策を講じるのだった。
3月8日にキャラクター紹介を投稿する予定です。……もしかすると上下に分かれるかもしれません。