二百四十話 戦神の死に様
投稿が遅くなってすいません。
フィトゥンが人として生きていたのは、今から約五万年前になる。人間なら、気が遠くなるような年月だが、神にとってはそう長い時間ではない……という事は無かった。
何故なら、フィトゥンは根っからの戦闘狂、それもスリルに飢えたバトルジャンキーだったからだ。
人間だった時の彼は力を求めた。力は必要だ。戦場では弱兵は、戦闘要員では無くただの肉壁、一山幾らの存在だ。戦いを楽しむ余裕も、スリルを覚える時間すら無く、ただ刈り取られる。
戦闘を楽しみ続けるには、生き抜けるだけの力が必要だ。騎兵を射殺す弓の腕、重装兵を翻弄する身のこなし、軽装兵を薙ぎ払う武術の腕、魔術師や冒険者、傭兵相手に生き延びる為にあらゆる力が必要だ。
折角傭兵になったのだから、これまで血反吐を吐くような訓練に耐えて来たのだから、一度だけでは割に合わない。何度でも、出来るだけ多くの戦場で、出来るだけ長く愉しみたい。
しかし、フィトゥンは力だけではなく、金は勿論、名声、酒、食い物、女、ありとあらゆるものを求めた。だが、求めた理由は戦いと、戦いで味わえる興奮と熱狂に身を浸す為だった。
装備を充実させるのに金が必要だ。彼が面白いと感じるような戦場で雇われるためには、名声が……実績が必要だ。
そして戦いの合間に楽しむ酒、食事、そして女も重要だ。死ぬスリルを楽しむには、生きていなければならない。充実した生命を感じるからこそ、死ぬ事に対して生々しいスリルを覚える事が出来るのだ。
雇われて殺し合い、宴で酒とご馳走を楽しみ、女を抱く。そして次の日には訓練を再開し、次の戦場を探す。その繰り返しだ。
だからフィトゥンは、自分はいつか戦場で死ぬだろうと思っていた。
だが、気がつくと何時の間にか自身の傭兵団を率いるまでになっており、暴れ回った結果、戦争が終わってしまった。
フィトゥンを雇い続けた国が泥沼の戦争に勝利し、大国に上り詰めた事で、群雄割拠の戦国時代の幕は降ろされたのだ。
慌てて次の戦場を探したが、困った事に残った小国同士の小競り合い程度では彼は満足できない。大国を裏切って敵につこうにも、大国にはフィトゥンより強い者が存在しない。
今は次の戦争を待つしかない。大国が割れ、新たな強敵が育つまでじっと耐えるのだ。
しかし、当時の生きる伝説であっても所詮は人種。驚異的な生命力で百と二十数年まで生きたが、フィトゥンは結局大国が割れる前に寿命を迎えた。
当時の人々は建国の立役者であり、戦場で勝利をもたらし続けた英雄の死を悼んだ。乱世が終わり、今の平和が在るのはあなたのお蔭だと。
その平和が乱れるのを誰よりも望んでいたのが、フィトゥンであると知らないままに。
だがその人々からの祈りもあって、死後フィトゥンは神の列に加わる事になった。戦場で死ねなかった無念を抱えていた彼にとって、それは願ってもない事だった。
神となり、まだ世界の闇で蠢く魔王軍残党や、バーンガイア大陸にある境界山脈の内側に潜むヴィダとそれに従う神々との戦いに身を投じる。
血湧き、肉踊る日々が戻って来る、しかも相手は人間だった時の彼では相手にならない邪悪な神々。これまでにない激しい戦いになるだろうと、彼は期待した。
だが、その期待は裏切られた。実際に彼を待っていたのは、世界を維持し、管理するために、世界に満ちる風属性の力を調整する仕事。そして自身を信じ、祈りを捧げる信者達を導き、かつて自分自身が神に至ったように、信者達を育てる事だった。
庭師が庭を整えるように世界を管理し、新兵を鍛える時よりもずっと緩く、そして迂遠に信者共を導く日々。
勿論、魔王軍の残党やヴィダに従う神々、狂い堕ちたと伝えられている『炎と破壊の戦神』ザンターク等の敵が存在している事は忘れていない。それらが動き出したなら、フィトゥンは他の戦神と共に英霊を率いて戦う事になっていた。
しかし、魔王軍残党の邪悪な神々は信者を動かして謀略を巡らすばかりで、自身が動く事は無かった。ヴィダ派の神々も、ザンタークも、境界山脈の内側や魔大陸に引き籠もり出て来る様子は無かった。
フィトゥン達は備えるだけで、実際に戦う機会には恵まれないまま退屈な仕事を続けるしかなかった。
それは名誉な事ではあるだろうし、神でなければ出来ない仕事なのは分かる。
だが、フィトゥンが求めた熱狂や興奮、スリルとは異なる役目だ。
自分より先に死んで他の神の御使いや英霊になっていた傭兵団のメンバーを集めて、信者を集めたり、戯れに加護を与えたり。
見込みのある者達を集め、創った『試練のダンジョン』で挑戦者の生き死にを眺めるぐらいしかない。
その間にフィトゥンを雇っていた大国は滅び、名前すら忘れられた。再び訪れた群雄割拠の戦乱の世に、戦争を楽しめる者達に嫉妬を覚え、しかし自分自身が降臨する訳にもいかずただ眺めているしかなかった。
そして気がつけば一万年、二万年と時は経ち、フィトゥンは人間だった時の記憶と、自身の欲望を忘れてその他大勢の神々の一員となっていた。
だが、ヴァンダルーが現れた事で、彼は自身の中に眠っていた欲望を思い出した。
そしてヴァンダルーは、想像以上に彼の欲望を叶えてくれた。尤も、叶えすぎているから問題なのだが。
殺し合いは好きだし、分の悪い戦いも嫌いじゃない。だが、いいように痛めつけられれば怒りを覚える。それにフィトゥンは負けたい訳ではないのだ。
今も、じりじりと全身を【貪血】によって変化したヴァンダルーの一部によって、体内から喰われる痛みに苦しんでいる。
回復魔術で肉体の傷は癒したが、自分自身の魂までは癒せない。その痛みには耐えるしか手は無いのだが……。
(痛み。そうだ、他の連中はどうなった?)
【自業の呪い】の効果でフィトゥンは自分だけでは無く、彼の命令で動いている配下の英霊達が他者に与えた痛みを感じる。だが、いつの間にか感じる痛みの数が随分減っていた。
透明な膜のように見える空間の壁によって隔てられているが、カナコ達と戦うゴードン・ボビー達の姿は見える。一人減っている上劣勢のようだが、持ち堪えているようだ。
だが、他の英霊達はどうなった?
(感じる痛みの数が減ったって事は、奴らが敵を傷つける事が減ったって事だ。やられたのか? 確かに、考えてみればまだ町が無事だ。門の外では戦いが続いているが、それだけだ。
チッ、にわか仕込みじゃ無理があったか)
戦力を確保するために、フィトゥンは配下の英霊達が受肉する即席の肉体を用意し、更に彼らが【英霊化】後も使える武具も用意した。
だが、約五万年前彼らが使っていた武具を、そのまま用意するのは流石に無理だった。彼らの武具の幾つかは神殿に祭られる等して保存されていたが、失われてしまったり、他の所有者の手にあったり、短い時間で手に入れる事が出来ない場合も多かった。
そのため、英霊達の防具の多くを自身の試練のダンジョンに出現する宝箱や宝物庫で見繕った。しかし、武器だけはそうはいかなかった。相手は、【魔王の欠片】をある意味魔王グドゥラニス以上に使いこなしている、ヴァンダルーである。
彼を殺すつもりなら、オリハルコン製の武器か【魔王の装具】が必要だ。
そこでフィトゥンは自身を奉じる神殿に属する聖職者に神託を与え、秘密裏に神殿の宝物庫を開け放った。そして幾つかの装備や、封印されていた【魔王の骨髄】の装具と、そして人間だった頃自身が使っていたオリハルコンのシミター型の装具を手に入れた。
どうしても足りない分は、神としての力を使ってオリハルコンを精製し、それでミスリルやアダマンタイト製の武器の表面にコーティングを施し、即席のオリハルコンの武具とした。
(それでも足りなかったか……だが、あれだけの痛みをヴァンダルーの配下に与えたのなら大戦果だ。奴の援軍が現れないのも、俺の部下との戦いで消耗したか、差し違えでもしたからだろう。
だが、俺の方にも援軍は無い。なら、仕方ないか。正直、あまり気分の良い手段じゃないが)
「さて、時間切れだ。今度は僕に協力してもらうぞ、アキラ」
そう、【シルフィード】のミサ・アンダーソンが燃え尽きた爆発で生じた煙にまだ視線を向けていたアキラに、声をかける。
「協力? ……空間の壁を破るか、【貪血】を消す程強力な電撃を、俺達を巻き込んで放つって話なら、好きにしろ。俺達は出直す」
「出直す、だと? お前、どう言うつもりだ、アキラ?」
オルビアに殴り飛ばされたムラカミが、呻きながら身を起こす。ミサが集めた【貪血】を、ヴァンダルーが【炎獄死】の燃料にして燃やし尽くしたため、アキラ同様に殆ど喰われていない。
まだ刺さっていたナイフを抜いて、気付け薬も兼ねて不味いポーションを飲み、身体を癒した事でまだ戦う事は出来る。魔力も【魔力超回復】の能力を持っているので、問題無い。
先程は、オルビアのようなゴーストを温存している事を予想していなかったので失敗したが、同じ轍は二度と踏まない。
そんな彼に対して、アキラは信じられないものを見る目を向けて言い返した。
「どう言うつもりだって、ミサが喰われたんだぞ!? 分からないのか、俺達は劣勢なんだよ! 覆せない程になっ! 一度退くべきだろ!
死んでまたやり直しになるのは面倒だが、魂を砕かれるよりましだ。それが分からないのか? まさかそこの神の戦闘狂が感染したなんて言わないだろうな!?」
アキラにそう怒鳴られて、ムラカミも一考した。確かに、彼の言う通りだと。
ムラカミの想定よりもヴァンダルーが強くなりすぎていて、ミサを失った。戦い続ける事は出来るが、その結果勝つ事が出来るとは考え難い。
魂を砕かれる恐怖……それは本来神ではない人の身には、実感し辛いものだ。宗教を信じていない無神論者には、ただ死ぬのと変わらないように思えるかもしれない。
しかし、転生者であるムラカミ達にとって、魂を砕かれ、消滅する事こそ、真の意味での死だ。
無論、神域に戻ったところでムラカミ達が転生した時とは状況は変わっている。ロドコルテが逃げ帰って来た二人を役に立たないと断じ、能力を没収して記憶を消し、通常の死人同様に輪廻の輪に還してしまう可能性もある。
それでも魂は無事だが……神ならぬ人の身であるムラカミにとって、転生は出来ても記憶と人格を失い別の生物として生まれ変わるのは、消滅と大差ないように感じる。
しかし、ロドコルテに見限られる可能性を恐れて、このまま戦い続けたとしても勝ち目はあるのだろうか?
(分が悪くても賭けるしかないと思って挑んだが……空間を隔離して【貪血】を使われた時点で勝ち目は無かったか。漁夫の利を狙わず、最初からフィトゥンに同盟を持ちかけて情報を提供しておけば、まだ勝算があったかもな。
こうなったらアキラの言う通り一端退いて、『オリジン』で仲間に引き込めそうな奴が死んで、こっちに転生するのを待った方が良さそうだ)
「分かった……自害するぞ。今頃神域のロドコルテは大騒ぎしているだろうが、魂の回収は問題無いはずだ」
その返事を聞いたアキラが、納得してくれたかと安堵の息を吐く。
そして意識にある、やや硬いスイッチを押して自害する。苦しみは一瞬。心臓が止まり、一秒とかからず魂は肉体を離れるはずだ。
「【雷命掌握】!」
「がぁ!?」
「う゛ぎっ!?」
だが、その一瞬の間にムラカミとアキラは背後からハジメ・フィトゥンが放った強力な電撃によって貫かれた。
『うぉぉぉぉぉ……!』
電撃の余波を受けた空間の壁が消滅し、空間属性のゴースト達が追い散らされる。その結果にハジメ・フィトゥンは満足気な笑みを浮かべ、自害したはずのムラカミとアキラに語りかけた。
「どうだ、好きにしたぜぇ。電撃がどれくらい速いか、知らなかったのか? 僕がお前等を感電させるのに、一秒も必要無いんだよ!」
「ど、どういう、ことっ、だ!?」
二人が、ハジメ・フィトゥンを振り返る。彼等は困惑しながらも、ハジメ・フィトゥンに対して反撃しようとしていた。
しかし、身体は動かず、ムラカミの能力も彼の意思では発動しなかった。
「魂が肉体から離れる前に隙があったから、そこを突いてやったのさ! 電撃で無理矢理心臓を動かし、神の力で魂を肉体に封じ込めてやった!」
ハジメ・フィトゥンは、ムラカミとアキラがロドコルテに魂を回収されるまでの一瞬の隙を突き、二人を掌握した。【マリオネッター】の能力では、魂を封じ込める事は出来なかったが、『雷雲の神』であるフィトゥンの電撃なら可能だ。
本来なら死にかけている者を助ける為に、魂が身体から抜けないよう抑えつつ心肺を維持するための方法だが、今回は二人を手に入れるのに使った。
「な、何だっ、そんなに、俺達を、殺したかったの、か?」
そう尋ねるムラカミに、ハジメ・フィトゥンは嘲笑を浮かべる。
「それもあるが、違う! お前ら二人を操って、ヴァンダルーを殺すのにその能力を使うためだ!」
「っ! てめぇ! この、クソ……ガキ……が!」
「ははははっ! 何時まで先生気分なんだ? ……見下しやがって! 魂はこのまま肉体に閉じ込め、肉体をこのまま電流で操ってやる! 身体の内側に魂があるうちは、ロドコルテだって手出しが出来ないからなぁ!
戦いが終わったら解放してやる。その時には神経細胞が焼き切れているだろうから、解放した途端死ぬだろうが。でも、構わないよなぁ? どの道死ぬつもりだったんだしな!
さあ、協力し合おうぜ、ムラカミ先生~っ!」
ハジメ・フィトゥンの電撃によって肉体の支配権を奪われる事に、ムラカミは恐怖した。このままヴァンダルーと戦えばどうなるか。負ければ魂を喰われ、勝っても苦痛のあまり正気を失っているかもしれない。
そもそも、ハジメ・フィトゥンがヴァンダルーに対して完勝できるはずもない。戦いの途中で肉の盾にされ、ついでに魂を喰われるのは想像に難くない。
だが、能力の発動すらハジメ・フィトゥンに握られてしまった彼にはもう何も出来なかった。
「クククッ、これで一心別体の仲間の出来上がりだ。本当は電流越しでも気分が悪いが、我慢してやる。さて……どこから来る?」
ハジメ・フィトゥンはまだ収まらない煙の向こうから、ヴァンダルーの足音がするのに気がついていた。煙に隠れて、こちらの出方を窺っているのだろう。
実際にはただ窺っているだけでは無く、ムラカミとアキラが自害しようとした時、【死亡遅延】の魔術を発動させていたのだが、【死属性耐性】があっても、死ぬまで短くても一分はかかる。その間に、もう一度【炎獄死】を唱え、爆殺して魂を喰らうつもりだった。
ハジメ・フィトゥンが動いたため、バックファイアで自分自身も焼きかねない手段に訴える必要は無くなったが。
「だが、煙を挟んで睨み合いをしている暇は無い」
【神化】スキルを発動させ、神としての力を振るっているハジメ・フィトゥンは限界を超えれば死ぬ。ハジメが転生者であり、神であるロドコルテの力によって創られた肉体を持っていてもだ。
「だから、僕から行くぞ! 【双飛雷刃】!」
【魔王の装具】である曲刀を交差させるように振るい、斬撃を飛ばす武技を放つ。……煙の向こう側では無く、遠くに見えるモークシーの町に向かって。
距離は一キロから二キロ程離れているが、その程度の距離は関係無い。この世界のA級冒険者は、全力を出せば小山を一つ割る事が出来るのだ。受肉した戦神であるハジメ・フィトゥンが、【魔王の装具】の武器を使って本気で斬撃を飛ばせば、ここからでもただの城壁を破壊する事は容易い。
「【鋼壁】、【鋼体】」
だが、その斬撃の前に煙の中から【飛行】で飛び出したヴァンダルーが、自ら身を晒した。両腕に【魔王の甲羅】を発動し、身体は引き続き液体金属の鎧と、【魔王の外骨格】で守り、ハジメ・フィトゥンの斬撃を受け止めた。
「止マレ!」
だがそれを読んでいたかのようにムラカミが叫び、ヴァンダルーの腕が固定される。
「【神雷付与】! 【双月飛斬乱舞】!」
そして動きのとれないヴァンダルーに向かって、ハジメ・フィトゥンが先程よりも激しい斬撃を連続で飛ばし始める。
今度は流石に耐えられず、甲羅や外骨格が切り裂かれ、その下の【皮膚】まで切り裂かれる。しかし、血が流れる事は無い。
ハジメ・フィトゥンが付与した電撃が、ヴァンダルーの傷口を焼いてしまうからだ。
「【貪血】対策のつもりですか。なら、町を攻撃しない方が良いと思いますけどね」
これまでの戦いでハジメ・フィトゥンが、モークシーの町を狙える位置にありながら攻撃しなかったのは、ヴァンダルーに対して町の人間達を人質にするためだ。
千数百人程度が死ぬ程度の、多少の被害を与えるのは構わない。だが、町の住人の過半数が死ぬような、それどころか町が壊滅するような大きな被害は、決して与えないようにしてきた。
何故なら、ヴァンダルーが町に見切りを付けたら……町に人質としての価値が無くなったらどうなるか。【貪血】を我が身で味わう前のハジメ・フィトゥンでも分かったからだ。
しかし、この人質作戦はあるものを信じられる事が大前提である。
「貴様が町のムシケラ共を、死ぬまで庇い続ける事に……殺す相手の良心に、正義感に、そして慈悲に期待しろって!?」
それは、ヴァンダルーが、我が身が危なくなっても町を庇い続ける事だ。それが信じられなければ、この作戦は成立しない。
魔王を討伐するために、魔王が弱者を庇い続ける事を信じる。
『五色の刃』のハインツ達には、とてもできないだろう。だが、フィトゥンは確信していた。ヴァンダルーが本当にギリギリまで町を守ろうとするだろうと。
戦場では、他人が下らないと思う動機で命を賭ける奴が山ほどいる。人間だったフィトゥン自身も、金で雇われ命を賭ける傭兵だった。
そうして命を賭ける理由に、愛や友情、正義と言った動機を持つ連中が存在し、彼等は本当に命を投げ打って戦った事を知っている。
だから『以前の』ハジメ・フィトゥンは、ヴァンダルーが自分にはとても理解できない、下らない理由で命を賭ける事を信じる事が出来た。
「とても無理だね! どうせ、本当に自分の身が危なくなったら見捨てるに決まっている! 町は他にもあるが、自分の命は一つだからな!」
だが、『今の』ハジメ・フィトゥンは信じられないようだ。だから【デスサイズ】で町を庇ったヴァンダルーの片腕に働く、全ての動きを停止し、空中に固定したのと同じ状態にする。そして、一気に勝負をかけようとした。
「なるほど」
ヴァンダルーはそう頷きながら、額と掌に開いた【魔王の眼球】を使って、ムラカミに向かって怪光線を放った。彼を消して、【デスサイズ】の能力を解除させるためだ。
本来の所有者の近衛宮司の時は、【深淵】で能力を跳ね返すだけで滅ぼせたが……肉体のあるムラカミに、それも腕に対して使われている力を跳ね返しても、彼の腕が動かなくなるだけで、効果は無い。
魔王の欠片を利用して放った怪光線は、魔術では無いので、ムラカミの本来の力である【クロノス】の影響も受けない。彼は回避できず、体に風穴を作って倒れるはずだった。
しかし、ムラカミは多少動作がぎこちなかったが、ヴァンダルーの怪光線を回避した。頭と鳩尾を狙っていたのを、予め読んでいたかのように。
アキラが予知して回避するよう指示した訳ではない。だが、未来が読めたとしか思えないタイミングだ。
「脳の生体電流を繋げて、思考を共有している?」
「気がついたか!」
ハジメ・フィトゥンは電流でムラカミとアキラの肉体だけでは無く、脳を乗っ取る事で彼らの能力と五感も乗っ取っていた。
今、【オーディン】のアキラの目はハジメ・フィトゥンの目に等しい。それを利用して未来を予知し、怪光線からムラカミを回避させたのだ。
「だが、まだまだ元気じゃないか。それじゃあ、大きく削るとしよう! 【轟雷神槍】!」
ハジメ・フィトゥンは斬撃を飛ばすのを止めると、今度は風属性の魔術を放った。神の放った槍に等しい雷が、轟音と共に放たれる……ゴードン・ボビー達と戦っているカナコ達に向かって。
「ちょっ!?」
「た、隊長!?」
カナコだけでは無く、魔術の規模的に巻き込まれるのが確実なゴードン・ボビーも引き攣った悲鳴をあげる。咄嗟にレギオンが盾になろうとするが、他の英霊達と戦っており間に合わない。
だが、魔術が彼女達に到達するよりも大分早く、軌道上にヴァンダルーが立ち塞がった。
「【吸魔の結界】、【魔鋼盾】」
【デスサイズ】で停止された腕を、自ら切断して駆けつけたヴァンダルーが結界を張る。雷は、死属性の魔力の壁にぶつかり、そこで魔力を吸われ消えるが――。
「させるか!」
だが、その結界にハジメ・フィトゥンが【魔王の装具】を振るって斬撃を飛ばし、結界を切り裂く。
雷の槍の残りを受けて、ヴァンダルーが仰け反りハジメ・フィトゥンの身体に激痛が走る。これは彼の【魔術耐性】を抜けて、臓腑が焼けるような大きなダメージを与えたと彼は確信した。
そう、臓腑が焼けるような……。
「ぐぎゃああああああっ!? な、何で……!?」
臓腑が焼かれ、胸を貫かれ、凍てつかされ、耐えがたい圧力に押し潰される。魂が軋むような激痛に耐えかねて、ハジメ・フィトゥンは思わず地面に膝を突いた。
ヴァンダルーと同じ痛みを味わう覚悟は出来ていたが、明らかに違う痛みまである。それは、いったい何故なのか。アキラの目でも予知は出来なかったと言うのに。
顔を上げ、痛みに涙が滲む目でヴァンダルーを見るとその背後の空間が不自然に揺れていた。
『戦神殿、私が創った蜃気楼はお気に召したようでなにより』
ヴァンダルーが雷で貫かれ、ハジメ・フィトゥンの注意がそれに逸れた間に、光属性のゴーストであるチプラスが創り上げた蜃気楼が消える。
その向こうではヴァンダルーに庇われたカナコ達が、魔術を放ってゴードン・ボビー達を攻撃している姿が……いや、あれは違う。カナコ達の魔術では無い。
『今まで大人しくしていた分、燃やします!』
『今度はこっちの相手さ!』
『援軍大感謝ァァァ!』
『ハッハァ! 光あれぃ!』
ヴァンダルーの魔力を与えられたレビア王女やオルビア、ダローク達がキンバリーと共に、【死霊魔術】で攻撃しているのだ。
「援軍はありがたいが、外聞に拘り過ぎじゃないか?」
「まあまあ、ポーズを頼まれたら応えないといけません!」
「どうせ物見の塔からは見えないと思うけどね」
カナコ達も自前で魔術を唱えているが、遠目にはレビア王女達も含めて彼女達の術に見える事だろう。ちなみに、レギオンだけは本当に英霊を一人踏み潰している。
「ボビー……役立たず共が! だが、何故、奴等が倒されても痛みを感じる!? 奴らが消滅したのは、僕の魔術のせいじゃない!」
【自業の呪い】は、自分が他者に与えた痛みが自分に返ってくる呪いのはずだ。だというのに、何故?
「ボビーはともかく、寄り代に使ったゴードンや『炎の刃』の人達はお前の部下では無く、ただ肉体を奪われた被害者です。
その被害者の痛みが、【自業の呪い】によって加害者に返って来るのは道理だと思いますが?」
「じゃあ、今までの痛みは……クソ、道理で誰も援軍に来ないはずだぜ」
フィトゥンが今まで部下の戦果だと思っていた痛みは、部下の寄り代に使った肉体が傷つけられた痛みが混じっていたのだ。
しかもボビー達は死霊魔術で倒されたので、魂をヴァンダルーに喰われている。彼らの長であるフィトゥンにも、痛みは届いていた。
「だが……いい気になるな! 僕はまだ戦える、痛みは、ただの痛みだ。死ぬ訳じゃない。
ククク、裏切り者の尻軽共に、イカレた狂信者の成れの果てを戦いに加えても、何も変わらないぜ。寧ろ、【マリオネッター】の的が増えただけだ!」
ヴァンダルーはその異常な力で【マリオネッター】に対して対抗策を打つ事が出来た。しかし、カナコ達にその真似は出来ない。カナコ達も転生者ではあるが、ロドコルテを裏切っている彼女達が、まだ他の転生者の能力から守られているのか、ヴァンダルーには分からないはずだ。
レギオンには神経も脳も無いが、筋肉は電気に反応する。
もしカナコ達やレギオンを操る事が出来たら、その能力を乗っ取る事が出来たら、戦況はひっくり返せる。
まだまだ戦いは……殺し合いは終わらない。
「さあ、続き……ぐあああああっ!?」
しかし、ハジメ・フィトゥンは再び膝から崩れ落ちた。魂が歪むような痛みに、とても立っていられず、操っているムラカミとアキラの肉体も、奇妙な痙攣を始める。
(馬鹿な! もうボビー達は消滅したはずだ! なのに、何故痛みが!?)
『町の方に向かって、俺の仲間に倒され、グファドガーンやサムが集めて来てくれた英霊の魂ですよ』
そう言いながら現れたのは、ヴァンダルーだった。ぼんやりと半ば透けた姿で、飴玉でも舐めているように頬を少し膨らませている。
「な、分身か!?」
驚くハジメ・フィトゥンに二人のヴァンダルーは交互に答える。
『いえ、煙の中で【幽体離脱】しまして。今までお前が傷つけていたのが、肉体だけの俺』
「そして、今現れたのが、魂だけの俺です」
『「つまり、どちらも本体です」』
まあ、肉体を動かすには【群体操作】スキルを使用しているので、より正確に言うのなら魂の方が本体なのだろうが。
それはともかく、煙の中で二人に分かれたヴァンダルーの魂の方は、サムの荷台に入り、彼が持ってきてくれた英霊達の魂を口に含み、ついでにジョブチェンジも済ませて来た。
神によりダメージを与える為に、【神滅者】にしようかとも思ったが、今のハジメ・フィトゥンは受肉しているため純粋な神では無い。なので、より対象が広そうな【神敵】にした。他にも新しくジョブが増えていたが、考察は次の機会にしよう。
スキルの上昇も、後で思い返そう。
『肉体の方の俺がいれば、ほぼ防げるはずだと確信がありましたからね。では、殺し合いを続けましょうか』
そう言いながら、何かを咀嚼するヴァンダルー。
「ぎ、ギヤアアアアアア!?」
その瞬間、ハジメ・フィトゥンに更なる激痛が走る。その痛みと、喪失感、そして先程ヴァンダルーが言った言葉が彼に何が起きているのかを悟らせる。
(こ、こいつ、喰っているのか!? 俺の目の前で、俺の英霊の魂を!?)
人情味が薄いフィトゥンでも、思わず言葉を失う行為だった。だが、フィトゥンも彼の英霊達もここへは、ヴァンダルーと殺し合うために来ている。
自分が喰われ、消滅するかもしれない。それを最初から覚悟して……寧ろ、そうでなくては意味が無いと思ってここにきているのだ。
(立ち上がり、痛みに耐えて奴の首を取れ。肉体の方じゃない、魂の方だ! 【魔王の装具】なら、魂は砕けなくても深い傷を付けられるはず! 魂の傷は魔術やスキルでも癒せない、大チャンスだ!
奴が、油断して、悦に入っている内に――)
立ち上がったハジメ・フィトゥンは口を開いた。
「い、嫌だ……」
顔色を蒼白にして、唇を震わせてか細い声を出しながら、ヴァンダルーに向かってでは無く、森に向かって足を向ける。
(な、何だ!? おい、待てっ、どう言う事だ!?)
「嫌だっ、死にたくない! 魂を砕かれるなんて真っ平だ! 僕は……僕は嫌だぁぁぁ!」
(か、身体が、ハジメの身体が俺の言う事を聞かない!?)
悲鳴をあげながらハジメ・フィトゥンが、ヴァンダルーから逃げるために走り出す。いや、既に彼はハジメ・フィトゥンとは呼べない状態にあった。
(止まれぇ! そんな馬鹿みたいな真似を、無理矢理徴兵されてきた、臆病な民兵みたいな真似をするな! そんなんで、逃げ切れる相手じゃない!
最後まで戦え! どうせ、お前の肉体は崩壊するんだぞ!?)
『雷雲の神』フィトゥンは、ハジメの肉体の中に存在している。しかし、肉体の主導権を握ってはいない。
「五月蠅い、黙れぇ! もうお前なんかの言う事を聞くか! 何が僕を英雄に、勇者にしてやるだ! 言う事を聞いた結果、あいつを倒して英雄になるどころか、ボロボロじゃないか!」
肉体の主導権は、ハジメに戻っていた。受肉させた英霊達と違い、ハジメは廃人にはされておらず、フィトゥンの魂に飲み込まれるような形で一体化していた。
そしてハジメの肉体やスキル、能力をフィトゥンが自分のものとして操っていたのだ。
だが、ヴァンダルーとの戦闘で何度も魂を傷つけられ、【自業の呪い】による痛みで精神力を削られたフィトゥンは、ハジメの魂を抑えて主導権を握り続ける事が出来なくなったのだ。
フィトゥンに唆され人が変わったようになっていたハジメだが、今は元の臆病さが戻ってきている。無防備な背中を晒し、しかし電流での支配は維持したままムラカミとアキラを引き連れ逃げようとする。
「当然、逃がす訳には行きませんよねぇ。裏切り者の尻軽って言ってたの、聞こえましたし」
「そうね……ヴァンダルー、蜃気楼でお願い」
『はいはい。よろしく、ダローク』
だが、当然追手がかかる。ハジメの目の前に、突然カナコが出現する。
「ひぃぃぃい!? 寄るなっ、近づくな、クソ女ぁぁぁ!」
(幻だ! 足を止めるな!)
トラウマを刺激されたハジメは、フィトゥンの声を無視して反射的に足を止め、ムラカミに【デスサイズ】でカナコの動きを止めさせ、魔王の装具を突き出す。
しかし、眼の前に現れたそれは【死霊魔術】による幻だった。【デスサイズ】も、幻は止める事は出来ない。
(だから言っただろうが!)
動揺して動きを止めたハジメの背後で、何かが爆発したような音がして、温かい液体が彼の身体にかかる。
「ヒィ!?」
振り返った彼が見たのは、胸からヴァンダルーの腕を生やしたアキラの姿だった。
「俺はお前に恨みは無いが……厄介なんだ。付く方を間違えたと思って、諦めろ」
ダグが、先程ヴァンダルーが切断した腕を、【ヘカトンケイル】で操って飛び道具として使用したのである。当然、アキラの魂は喰われている。
そして、アキラの血と肉片を浴びて赤く染まったハジメが思わず尻餅を突く。その前に、サムが出現した。
『ハッハァ! あなたには潰れたカエルのような死に様が、きっとお似合いですぞぉ!』
サムは度重なる修行の結果、微妙にだがその目的を達成していた。彼は、通常空間と、通常空間とは異なる位相の異空間を自由に走行する事が出来るようになったのだ。
だから、実際には突然ハジメの前に現れたのではなく、異空間を走り、ハジメの前で通常空間に戻ったというのが正確な事実である。
だが、ハジメにとっては突然現れた事に変わりは無い。
「ひ! と、止めろ!」
(テメェが避けろ!)
反射的にムラカミに、【デスサイズ】でサムを止めさせるハジメ。
『今です! 突撃ぃっ!』
『お前の魂も坊ちゃんのご飯です!』
止まった反動を利用して、荷台にいたサリアとリタが飛び出して来る。彼女達もサムと同じように【デスサイズ】で動きを止めようとするが……止まらない。
二人はリビングアーマーだ。腕を止められれば腕を置いて、頭を止められれば頭を置いて、バラバラになりながら止まらずムラカミに襲い掛かる。
武器も止められたが……ランク12の二人の拳と蹴りはそれだけで凶器足りえる。
「ごびゅっ!」
ムラカミは二人に殴られ、アキラと同じようにダグが操るヴァンダルーの腕に魂を喰われて倒れた。
『では、退避!』
そしてサムが娘達を再び荷台に収納し、異空間を走り去る。
助かったのか。ハジメがそう思った時、背後から声がかかった。
『あなたで、最後ね?』
『グルルゥ』
驚いて振り返った先に居たのは、胸に穴が空いたアキラと……彼の死体を半ば包むようにして寄生しているベルセルク、そして肉の一部を変化させて顔を創ったイシス。そして、ヴァンダルーだった。
「あ、ああああああっ!?」
『前世の縁もあるから、止めは私が差しましょうか。何か、言い残す事はある?』
「ま、待ってくれっ、食わないでくれっ!」
(止めろっ、見苦しい真似を……俺は、俺はこんな最期を迎えたくて殺し合いをしていた訳じゃねぇ!)
「誤解だっ! 僕はこの、フィトゥンって神に騙されて、操られていただけなんだ! 僕の意思じゃない、本当だ、信じてくれ!」
ヴァンダルーは、フィトゥンの支配から自由になったハジメに対して、無感動に答えた。
「それは嘘でしょう。途中からでも、抵抗しようと思えば、抵抗できたはずですよ。それに、少なくとも『俺』から『僕』になった後の行動は、あなたの影響の方が大きかったはずです」
「っ!?」
言い当てられたハジメが、顔を引き攣らせる。ヴァンダルーはそれを眺めながら、ベルセルクに【殺傷力強化】の術をかけ、アキラの死体の手に、ハジメが落とした魔王の装具を握らせ、【猛毒】の術をかける。
「記憶もしっかりあるようですね」
「ま、待ってくれっ、僕は悪く――」
「悪いから魂を喰う訳ではありません。また殺しに来られると迷惑だから、邪魔だから、喰う。それだけです」
『もう良いみたいよ』
ベルセルクに操られたアキラの腕が、振り下ろされる。恐怖のあまり腰が抜けていて、無防備だったハジメの首は若干の抵抗を示しただけで、切断された。
こうして、『雷雲の神』フィトゥン最後の戦いは、ハジメ・フィトゥンの無様な命乞いと、斬首によって終わったのだった。
2月8日に241話を投稿する予定です。……もしかしたら各敵陣営の様子を書いた閑話になるかもしれません。
1月20日に四度目は嫌な死属性魔術師の3巻が発売されました! 書店などで見かけた際は、手にとっていただけたら幸いです。