二百三十九話 魔王の食卓
すみません、今回は短めになります。
「がぁ!? な、何だっ、これは!?」
草原にばらまかれたヴァンダルーの血と、切断した彼の肉片、そしてハジメ・フィトゥンの体中に付着した返り血が、紅い霧に変化した。
その瞬間、全身に激痛が走り、彼は思わず悲鳴をあげた。
「ぐあああああぁ!?」
そして直感する。これは【自業の呪い】の痛みと違う。彼が今までヴァンダルーから受けていた【神敵】や【神喰らい】、【魂喰らい】スキルの効果の乗った攻撃による痛みと同じだと。
今迄、ハジメ・フィトゥンはヴァンダルーからの攻撃が当たっても、「自分が死ぬ一秒前までにヴァンダルーを殺せれば、勝ちだ」と彼は被害を無視してきた。肉が抉れ、骨にひびが入り、内臓が多少潰れても、戦い続けられるなら構わないと捨て置いた。
それはフィトゥンが加護を与え鍛え、そして【神化】を発動させたハジメの肉体とフィトゥンの魂のポテンシャルが高かった事と、彼の戦闘における忍耐力が常識外れに高かったからだ。
(だがこれはヤバイ! このままだと……やられる!)
【貪血】によるダメージはそう彼に確信させた。
「情報にあった【貪血】か! 風向きから使わないだろうと思っていればこれだ! ミサっ、お前なら防げるな!?」
ムラカミがハジメから飛び退きながらそう声を荒げ、ミサに指示を出す。彼等は【貪血】について知っていた。だからこそ屋外で、しかも風がカナコ達の戦っている方向へ向かって流れている間は使わないだろうと予想していたのだ。
それを情報に無い空間属性のゴーストの【死霊魔術】で、屋外を強引に閉鎖空間にして使用するとは思わなかったのだ。
『だと思うけど、魔術で結界を張るのはダメなの?』
既に【シルフィード】で肉体を全て気体にしていたミサが、ムラカミとアキラの周りから紅い霧のような【貪血】を遠ざける。
貪欲な肉食性微生物も、空気は喰えない。そのため、この状態のミサは【貪血】に対しては無敵だ。
しかし、気体と化した身体で【貪血】からムラカミ達を守り続けるのは、激しい全身運動を続けるのと一緒なので、疲労が激しい。魔術で代用する事を提案するが、アキラは青い顔で首を横に振った。
「ダメだ、ヴァンダルーがすぐ【吸魔の結界】で解除する」
彼の数秒後の未来を正確に予知する【オーディン】は、アキラが数秒後に見る事になる光景を見るという能力だ。そのため視界外で起こる事は見えないが、対象を視界に納めている限り、数秒後に対象が何をして何が起こるのかほぼ確実に予知する事が出来る。
「ど、【貪血】だ、と?」
ムラカミ達と違い、ハジメ・フィトゥンはヴァンダルーと殺し合いをするために、アルダ勢力から距離を置いていた。そのため、ヴァンダルーがアルダの『試練のダンジョン』で使った【貪血】について何も知らなかった。
(あいつは、この【貪血】とやらを使う前に、風下にいる連中を巻き込まないよう状況を整えている。なら、【状態異常耐性】スキルやポーションで対応できる病毒程度で済むはずがねぇ!)
しかし、それがとてつもなく危険な術だという事は見抜けた。
(説明させている時間はねぇ! まずあの空間の壁をどうにか切り裂いて脱出を……)
「無駄だ! お前の試みは失敗する! ムラカミ、あんたもだ! あの空間の壁は、その程度じゃ破れない!」
数秒先の未来を見たアキラ・ハザマダが矢継ぎ早に指示を飛ばした。
彼の目には、ハジメ・フィトゥンとムラカミがそれぞれ空間の壁を破って脱出しようと試み、そして失敗する光景が映っていた。
彼の【オーディン】の未来予知能力の正確さをフィトゥンは知らないが、同じ転生者であるハジメとムラカミは知っている。それぞれ武技や魔術で空間属性のゴーストや、空間に出来た半透明な壁を攻撃しようとしたのを中止する。
「なら、どうすればいい!?」
「俺が教えて欲しいぐらいだ!」
ただ、【オーディン】は数秒先の未来を見るだけで、正しい答えをくれる訳ではない。失敗した未来が見えたとしても、どうすれば成功するのかは自力で考えるしかないのだ。
「あれは肉食の微生物だ、触れたら喰われる!」
「微生物? ……ああ、ハジメの知識にあるな。なら、こうするのが良さそうだ!」
そう言うとハジメ・フィトゥンは全身を貪られながら、驚異的な集中力で唱えた魔術を発動させた。
「【大雷爆球】!」
爆発する火炎の玉の電撃バージョン。それを自分の足下に叩きつける。当然、その瞬間電撃が四方八方へと飛び散った。ムラカミはアキラが咄嗟に出していたハンドサインに従って身構えたが、彼等に向かいつつあった【貪血】は無防備なまま電撃を受けた。
微生物は、電撃に弱い。ハジメの知識からそれを読み取ったフィトゥンは、これで【貪血】を無力化したと思った。
実際、荒れ狂う電撃が消えた後、紅い霧は晴れその向こうのヴァンダルーが見えた。電撃に晒されたハジメ・フィトゥン自身の肉体からも、痛みは消えている。
「フっ……がぁぁ!? き、消えてねェだと!?」
だが、不敵に笑おうとした瞬間、再び全身に【貪血】に肉を、そして魂を削り喰われる激痛が襲う。さらに、地面から再度紅い霧が立ち昇り、ヴァンダルーとの間を遮った。
「だから無駄だって言っただろうが!」
『こ、この馬鹿神ィ!』
「……この【貪血】は、俺の一部を肉食性の微生物に変化させる術です。ですが、変化したとしても、俺である事は変わりません。
【魔術耐性】スキルを持つ俺の一部達が、その程度の攻撃魔術で全滅するとでも?」
そう、ヴァンダルーが制御できない肉食性の微生物に変化したとしても、【貪血】は彼の一部、極小の使い魔王のような存在である事に変わりは無い。そのため、ヴァンダルーが持つ【魔術耐性】スキルの効果の範囲内となる。
そして生き残った僅かな【貪血】は分裂し、増殖する。既に大量に飛び散っているヴァンダルーの血や肉片、ハジメ・フィトゥンを喰った栄養を使って。
彼の無駄な足掻きなど、【吸魔の結界】を使って魔術の発動を止めるまでも無い。
「ぐ、おぉぉっ! 【再生の春風】! テメェ等っ、どうにかしろ! さもなきゃ、今度こそ僕の力で薄汚い裏切り者の貴様等ごと殺菌してやる!」
堪らず回復魔術をかけて、ハジメ・フィトゥンがムラカミ達に殺気を向ける。いきなり実行せずに警告するだけまだ理性が残っているのかもしれないが、その目は血走り切羽詰まっているのが分かる。
「クソっ、俺達を脅してどうする!」
そのハジメ・フィトゥンにムラカミはそう返しながらも、打開策を探る。
実際、このまま何もしなければハジメ・フィトゥンよりは後になるだろうが、【貪血】で骨も残さず食い殺されて終わりだ。
(いっそ諦めて自害するか? 俺だけなら奴らの力でどうにかなるが……いや、この作戦で行けるか?)
思いついた作戦の成否をアキラに目で訊ね、彼が頷き返したのを見たムラカミは意を決し、走り出した。
「【超即応】、【限界突破】……ヴァンダルー! 勝負だ!」
武技を使い、スキルを発動させたムラカミは、ヴァンダルーに向かって叫び、注意を引きつける。そして目前に迫っていた紅い霧状の【貪血】に突っ込んだ。
ムラカミが自暴自棄になったのかと思ったヴァンダルーだが、急速に高まる死の気配と、【貪血】がムラカミを喰っていない事に気がついて動き出す。
「【鞭舌】、【螺旋射ち】、【死弾】」
舌を鞭のように伸ばし、手の中に生やしたナイフ状の【魔王の角】を投げ、【死弾】を放つ。
だが、紅い霧の中を突っ切って来るムラカミを捉えたと思われた舌の鞭と【魔王の角】は、何と、彼の身体をすり抜けてしまった。
「魔術か!」
そして【死弾】も同じように、ムラカミの身体を音も無く透過してしまった。
ヴァンダルーはそれを見て思い至る事があった。
「【グングニル】!」
かつて自分が魂を砕いた転生者、海藤カナタの選んだ対象を透過する能力、【グングニル】だ。ムラカミはヴァンダルーに向かって叫び、思わず声を出しているように装っているが、【グングニル】で透過する対象を、「ヴァンダルー」と「魔術」に指定しているのだ。
「っ!? 刺さるぞ!」
「【連続射ち】」
何故、ムラカミが【グングニル】を使う事が出来るのか。それを考える暇は無いと、ヴァンダルーは再び【魔王の角】と……【ゴーレム創成】スキルで、鉄製の投げナイフを無から創りだし、それに紛れ込ませて投げつける。
その一瞬前にアキラが警告を叫ぶが、ムラカミはそれを活かす事が出来なかった。
「ぐっ!」
【魔王】であるヴァンダルーは、【魔王の欠片】も既に彼自身の一部である。だから、ヴァンダルーを対象に指定する事で、舌と同様に【魔王の欠片】を【グングニル】で透過する事が出来る。
しかし、紛れ込ませた鉄のナイフはそうはいかない。狙い違わずムラカミの腹に刺さったが……急拵えの鈍くらだからか、傷が内臓まで達しなかったのか、彼は足を止めずに突っ込んでくる。
(やり辛い)
距離を置いて戦おうとしたカナタと違い、ムラカミは接近戦を挑んできた。ヴァンダルーと魔術を透過する対象に指定しているので、彼は主な武器としている魔術や【格闘術】や【魔王の欠片】を使って迎撃する事が出来ない。
ムラカミもこのままではヴァンダルーにダメージを与えられないので、タイミングを見て解除するつもりだろう。
(武器か魔術を透過させたタイミングで能力を解除して、俺の体内から破壊する……それで俺に大ダメージを負わせて【貪血】か、空間の隔離のどちらかが解除されるのを期待している訳ですか)
【超速思考】スキルでそんな事を考えながら、ヴァンダルーは背中に保持していたギュバルゾーの杖を掴んだ。そして間合いに入ったムラカミに向かって、大きく振るう。
その動きは素早く、込められた力は巨人の一撃にも匹敵する。
「止まれ!」
だが、ムラカミはギュバルゾーの杖の一撃を、やはり過去にヴァンダルーに魂を砕かれた近衛宮司の【デスサイズ】の能力で彼の腕の動きごと止めてしまう。
「っ!?」
ムラカミが【グングニル】を持っていた以上【デスサイズ】も持っている可能性はヴァンダルーも気がついていた。しかし、ヴァンダルーは【デスサイズ】で心臓や肺の動きを止められた事はあったが、【デスサイズ】が名称とは違い、幅広い物体の運動を停止させる能力だと気がついていなかった。
カナコ達は知ってはいたが、既に魂を砕かれて消滅した転生者の力についてヴァンダルーは詳しく聞き出そうとしなかったし、カナコ達も説明しようと思わなかったのだ。
だから杖を振り上げたまま、降ろせなくなり、驚くヴァンダルーに向かってムラカミが口の片端を釣り上げるのも無理はなかっただろう。
「かかったにゃ、が!?」
だが、突然地面に膝を突いた。
「かかったのは、お前です」
「ど、毒っ? 何故、とうきゃ、れき……!?」
立ち上がろうとしても、身体に力が入らない。そんなムラカミに、ヴァンダルーは告げた。
「舌から分泌した猛毒を、息に乗せて吹きかけました」
【猛毒分泌】スキルで生態として分泌した、生半可な【毒耐性】スキルでは効果の無い超猛毒。それなら汗や涙と同じで、「ヴァンダルーが分泌した物」であって、「ヴァンダルー自身」ではない。
そしてヴァンダルーの横に、暗い色の水で出来た異形の下半身を持つ美女。
『そういう事、さ!』
現れた水属性のゴースト、オルビアの下半身の触腕が、身動きが出来ないムラカミを薙ぎ払う。【死霊魔術】では無く、オルビアがただ【実体化】して殴っただけなので、やはり【グングニル】の対象である魔術にはあたらない。
勿論、どちらも【クロノス】で発動を遅らせる事も出来ない。
彼女の姿は物見の塔からも見えているだろうが……質問されたら適当にでっち上げて、誤魔化そうとヴァンダルーは思った。
「見えなかった。クソっ、もう俺の能力を見抜いて、肉眼で見えにくい手で攻撃を!」
「あれは水属性の……温存していたのか!」
それぞれ驚きの声をあげるアキラとハジメ・フィトゥン。
ヴァンダルーはその反応から、アキラが見たのはムラカミが笑うところまでだったようだと、【オーディン】で見る事が出来る未来の範囲にも見当をつける。
そしてオルビアに殴り飛ばされたムラカミは、壊れた人形のように【貪血】の範囲内に墜落する。意識か魔力が途切れたのか、制限時間のようなものがあるのか、【グングニル】と【デスサイズ】が途切れた。
このままならムラカミは毒で動く事も出来ないまま、【貪血】で食い殺されてしまうだろう。再び【グングニル】を使えば、それを防げるが……不可能だ。
『チッ、仕方ない! アキラ、暫く自力でどうにかして!』
それを知っているミサが、気体と化した身体で風を作り、ムラカミに襲い掛かろうとしていた【貪血】を巻き込んで、一か所に纏めてしまう。
『輪廻転生の神』ロドコルテは、カナタや近衛宮司の砕かれた魂から自身が与えた【グングニル】や【デスサイズ】の能力を回収した。しかし、魂に付与する形で与えたそれらの能力もヴァンダルーによって砕かれていた。
ロドコルテは砕かれた破片を繋ぎ合わせて、再び能力として使えるようにして、最もヴァンダルーを殺す事に意欲的な転生者、ムラカミに新たな加護の一部として与えた。
それによってムラカミは【クロノス】以外にも【グングニル】と【デスサイズ】、三つの能力を持つ転生者となった。
しかし、所詮は破片をツギハギして修復した能力だ。元通りとはいかない。【グングニル】と【デスサイズ】には本来なかった、一度能力を解くと同じ対象を暫くの間指定できないと言う弱点が出来てしまった。
「【シルフィード】……あの時の臭いは、お前か」
以前嗅いだ臭いの正体は、やはり【シルフィード】を使ったミサだったのかと思いながら、ヴァンダルーは【貪血】を自身の血で増やしながら呟く。
『臭い? 臭いは魔術で消しているはずだけれど……』
「ええ、無臭でしたよ。ですが、町や自然の中での『無臭』は逆に変に感じますので」
街中や自然の中など、臭いは幾らでもある。それが全くしない空気を感じたら、逆に印象に残る。ヴァンダルーがミサに気がついたのは、そうした理由だ。
『なるほどね……参考にさせてもらうわ。でも、この【貪血】を幾ら増やしても無駄よ。私には効かない。
アキラ、今のうちにこいつを――』
「ミサっ、自害しろ!」
『なっ!?』
唐突に自害しろとアキラに言われたミサが驚く。彼女達三人は、ヴァンダルーに殺され魂を喰われないよう、いざと言う時はすぐ自害できるよう、ロドコルテに自分の意志だけで死ぬ事ができる仕掛けを施されていた。
それを指しているのだと理解したミサは、慌ててその仕掛けを起動しようとする。……だが、ロドコルテも、そしてミサにとっても誤算だったが、生物である人間は即座に死ぬ意志を固められるようには出来ていないし、彼女は死ぬ事に対する本能的な抵抗を克服できていなかった。
「【炎獄死】」
『―っ!!!!』
「ぎゃぁぁあああ!?」
だから、彼女が自害する前にヴァンダルーが魔術を発動させた。有機物、ヴァンダルーの肉片から発生した【貪血】を燃料にして、炎が一気に爆発し、ミサの悲鳴を掻き消して燃え盛る。
……爆炎で炙られたのか、巻き添えで身体に付いた【貪血】が爆発したのか、ハジメ・フィトゥンの悲鳴も聞こえた気がしたが、
因果な事に、【シルフィード】のミサは前世と同じ炎で死ぬ事となった。
「クソっ、ミサが喰われた! 先生よっ、毒はもう抜けたはずだ! 早く起きろっ」
【炎獄死】の煙の向こうから、アキラの声が聞こえる。どうやらムラカミは戦線に復帰するようだ。
「【貪血】には、【シルフィード】の場所を特定する狙いもありましたからね。さて……もう一度【貪血】を唱えるのは……悪手か」
ハジメ・フィトゥンは何か対抗手段があるらしい。
ムラカミとアキラがそれに巻き込まれて倒れるのは……また転生して来そうだから面倒だが、それは最悪諦めても構わない。
危険なのは、フィトゥンの対抗手段が、神としての全力による周囲への被害を無視した無差別攻撃だった場合。空間の壁を破って近くに居るカナコ達や森の中に居るマイルズ、そしてモークシーの町まで巻き込む可能性がある。
【シルフィード】をもう喰った以上、その危険を冒すのは躊躇われる。
ただ、このままハジメ・フィトゥンの時間切れを待っていても、奴の性格を考えると自滅する前に何かしでかしそうで危険だ。どうにかしなければならないのだが――。
(そう言えば、【シルフィード】を喰ったのに、魂の気配の数が変わっていない。美味そうな魂が一つと、そうでもない魂が三つ。そして薄いのが二つ。薄い二つはムラカミと【オーディン】に降臨している御使いだとして……)
ヴァンダルーは、ある可能性を思いついた。それが正しければ、ハジメ・フィトゥンを倒す事が出来る。
そして、ハジメ・フィトゥンがイシスとカナコを見た時トラウマを抑えこもうとしていたのを思い出すと、その可能性は小さくは無さそうだ。
しかし、その為にはまだハジメ・フィトゥンの精神力を削る手段が必要になる。
『坊ちゃん、その前にデリバリーをお届けに参りましたぞ』
その手段を探すヴァンダルーの元に、デリバリーが届いた。
「助かりました。では、それまでの時間を稼ぐために分かれましょう。じゃあ、行ってきます」
『行ってらっしゃい』
二人に分かれたヴァンダルーは、一人はデリバリーを受け取るために残り、もう一人は煙の向こうに居るハジメ・フィトゥン達に向かって駆け出した。
2月4日に240話を投稿する予定です。
1月20日に「四度目は嫌な死属性魔術師」の3巻が発売しました! もし見かけましたら手にとって頂けると幸いです。




