二百二十七話 空気を読めない者達
彼は生前、自分に武術や魔術の才能があるとは考えた事も無い男だった。貴族に仕える使用人の両親の元に生まれ、自分も使用人として育った。子供の頃は命がけの冒険に挑む冒険者や、勇ましい騎士の物語に憧れた事もあるが、馬と馬車の扱い以外に取り柄が無い自分とは別の世界の話だと思っていた。
そして魔術の魔の字も知らないまま大人になり、結婚して娘が出来たが……アンデッド化した後、あるスキルを獲得した事で自分には才能は兎も角、適性はある事を知った。
そのスキルとは、【空間拡張】。荷台の外見の大きさは同じまま、内部の空間を拡大して乗せられる人や荷物を多くする事が出来ると言う効果を持つスキルだ。
その名称の通り、明らかに空間が関係している。だからもしかしたら、自分には空間属性の適性もあるのかもしれない。そう思った。
そして自己研鑽の一環として、空間属性魔術と更に時間属性魔術を習得する事に成功した。
『その私なら、この困難な目標も達成できるはず!』
ヴィダ神殿のズルワーンとリクレントの神像にカレーを奉納して神頼みも済ませたサムは、勢いよく大地を走り出した。
『必ずや、時と空間を駆ける馬車となり、坊ちゃんの乗機としての地位を取り戻しますぞぉっ!』
どうやらサムは空を駆けるだけでは飽き足らず、時空間を駆ける馬車を目指しているようだ。
グファドガーンやレギオンを超えるために。
サム本人としては自分のポジションが奪われたように感じていた。だが実際には、ヴァンダルーがモークシーの町に馬車の彼を連れて行ったら目立つのではないかと考えただけなのだが。
モークシーの町から引き揚げたら、今まで通りダンジョン攻略や旅の脚として活躍してもらうつもりである。
『今日こそ越えて見せますぞ! 時と空間の壁を!』
しかしそれを知らないサムは、今日も魔術に詳しい仲間からは「不可能に近い」と言われている目標達成を目指して、猛スピードで疾駆する。
周囲の仲間にサムを止める者は無く……逆に、続こうとする者が現れた。
『俺達も負けちゃいられねぇ! サムの旦那に続けぇ!』
『ですが、いきなり時空間は無理というもの。とりあえずは空を目指しましょう!』
『それなら、最も現実的な水中潜航を試すべきでは?』
『沈むだけなら何時でも出来る! 我々は幽霊船クワトロ号の死海四船長だぞ。目指すなら空と言う名の海にするべきだ!』
ヴァンダルーが四隻の難破船のパーツを繋ぎ合わせて作った、幽霊船クワトロ号とその四人のアンデッド船長である。
『ウオォォォォォォォ……!』
怨嗟の叫びに似た声をあげながらクワトロが、川を進む。
それを遠目に見ていた『氷神槍』のミハエルは、近い将来タロスヘイムの乗機系アンデッドは全て空を飛ぶだけでは無く、時空間を駆けるようになるのではないだろうかと思った。
まあ、時空間を駆けると言うのがどんなものなのか、彼には想像もできないが。
『ミハエル殿、もう一手頼みたい』
『……骨人、すまないが、君が切り落とした腕の縫合が終わるまで待ってくれないか』
そしてミハエル本人は骨人と実戦形式の模擬戦で訓練をしていた。ただ、訓練に熱が入ってしまい、内容がかなり過激になっていたが。
『ヂュオ、それは失敬。同胞たちが主の元で研鑽を積んでいると思うと、つい気がはやってしまいまして』
ちなみに、骨人の言う同胞とはマロル、ウルミ、スルガのネズミ三姉妹である。生前は同じネズミだった骨人は彼女達に仲間意識を持っていた。同時に、先輩として負けてはいられないとも思っている。
『それに、早くエンペラーでなくなりたい』
そして骨人はヴァンダルーへの不敬へあたるとして、スケルトンブレイドエンペラーから「エンペラー」の字を消す為にランクアップする事を目標にしていた。
12と言う高ランクの為、中々目標を達成できずにいたが。
『……この国は向上心の化け物しかいないのか』
つきあう身にもなって欲しい。そう思いながら、ミハエルは器用に片手で切断された利き腕の縫合を続けていた。
人口約三万人の交易都市であるモークシーの正門広場。そこは今日も活気に満ちていた。
多くの商人や旅人、冒険者が出入りする門に、それらを対象にした商売をする者達の客引きの声。だが彼女達が通ると、誰もがその視線を彼女達へ向けた。
彼女達を含めた一団が、冒険者ギルドの中に入り、彼女達二人だけが外に残されると益々その注目は高まった。
「母さんなら一緒に中に入れたんじゃないか?」
「馬鹿を言え。最初は誤魔化せても、後で問題になるに決まっているじゃろう。規則は守らなくてはダメじゃ」
冒険者ギルドの前に設けられたスペース……とは言っても、塗料で地面に線を描いただけで周囲の視線を遮る者は何も無い。そこに並んで立って、二人は母娘同士、やや声を抑えて会話を交わしていた。
「いや、その規則でテイマーが頭や肩に乗せたり、抱き上げたり出来る大きさの従魔は建物の中に連れて入っても良いそうだ。母さんならヴァンにおぶさるか、抱き上げて貰えば行けると思うぞ」
「ば、馬鹿を言うでないわ! バスディア、お前は母を晒し者にしたいのか!?」
顔を赤くし、器用にも小声で怒鳴ったザディリス……グールウィザードハイプリンセスで、最近まで魔大陸でカナコと共に魔法少女として説法に出ていたグールの女長老は、娘のバスディアに食って掛かった。
彼女の肉体は十代前半で成長を止めているので、こうして取り乱すと長老としての貫録は剥がれ落ち、可愛らしい少女にしか見えない。
一方叱責されたバスディア……彼女の娘で、グールアマゾネスナイトクイーンの彼女は、平気な顔でその豊かな胸を張った。
「もし私だったら、ヴァンに抱き上げて貰うぞ。母さんは体裁を気にしすぎる」
鍛えられた筋肉と女性的で豊かな曲線を同居させるバスディアは、二十代半ばから後半に見える外見だ。そのため、一見しただけでは二人の母子は親と子の立場を逆に認識する者も多い。
「むぅ、近頃の若い者はこれじゃから……」
実際にはバスディアは三十歳程で、そうブチブチと呟いているザディリスは約三百歳なのだが。外見が老けない種族なので、それを見分ける術は無いのだった。
グールはヴィダの新種族の一員だが、人間社会では昔からゾンビの上位種、つまり魔物であるアンデッドの一種とされ、そう扱われてきた。すなわち、人里で見つけたら即討伐である。
そのグールの二人が何故堂々と人間社会の、それも本来なら天敵である冒険者ギルドの前に何故いるのかというと、ヴァンダルーが立案した「人間社会にグールの正しい知識を広げるための作戦」の一環だった。
屋台で販売する成り行きは偶然だったが、グールの知識であるゴブゴブやコボルト肉の蒸し焼き。その認知度は一月もかからずモークシーの町だけでは無く、周辺の町村にも広まっている。
そのためグールは獣同然のアンデッドでは無く、知恵と文明を持った種族なのではないかという認識も広まりつつある。ゴブゴブについて教わったグールについて取材しようと、ヴァンダルーを訪ねてきた者もいたぐらいだ。
ただ「グールは魔物ではない」と訴える声が出る程では無い。それは人々が本物のグールを知らないからであるとヴァンダルー達は考えた。
人々は「グールは魔物だ」と教わるが、多くの者はグールを見ないまま一生を過ごす。それはグールが魔境の集落で暮らしているためで、グールと遭遇するのは冒険者か魔物狩りの任務を与えられた騎士や兵士ぐらいだからだ。
だから人々が本物のグールについて知れば、僅かずつでも状況は変わるかもしれない。……モークシーの町周辺のグールは既にタロスヘイムに移住したので、時間がかかっても問題は無いし。
そして相談した結果、グールであるザディリスとバスディアを「テイムした」という事にして町に連れ込む事にしたのである。
……コンサートも、カナコがレギオンのレッスンにかかりきりになっているので暫くは無いそうだし。
ちなみに、家の地下室に居るタレアではなく二人を呼んできた理由は彼女の希少性からである。もしタレアが優れた武具職人であり、タロスヘイムの武具製作を支える一人であると敵に知られたら、執拗に狙われる事になる。
彼女一人を殺し、死体を持ち去るか完全に破壊する事が出来ればそれだけでタロスヘイムの戦力を低下させる事が可能なのだから。
勿論バスディア達も狙われない訳ではないので、それなりの備えはしてある。【御使い降魔】による連絡に、町中に張り巡らされたゴーストとグファドガーンの監視、そして物陰に潜んでいるマイルズ。
一見すると無防備に見えるが、ある意味ヴァンダルー以上の防衛網が張られている。
「しかし、奇妙な決まりだな。頭の上に乗せられるとか、抱き上げられるとかを判断基準にして、持ちこめる従魔の大きさを完全に決めないとは。
テイマーの種族や体格によって持ちこめる従魔の大きさが変わってしまうから、不公平ではないだろうか?」
ドワーフのような人種の大人の胸までしかない種族のテイマーと、特に大きい者は三メートルに届く巨人種のテイマーでは、規約の基準をクリアする従魔の大きさも変わるはずだ。
特にギザニアのような大型種のアラクネの場合、体長三メートルぐらいまでの魔物なら背負って運べそうだ。
だというのに何故と不思議がるバスディアに、ザディリスは杖を弄りながら自分なりの見解を答えた。
「多分、そこまで考えて決められた規則では無いだけじゃろう。小型の従魔は主に偵察などに使うもので、弱い魔物が多いからの。外に繋いでおくと、盗まれたり殺されたりするかもしれない。そう心配したテイマーの冒険者が訴えたかどうかして、テイマーが保持して監督できるなら持ちこんでも良いと言う規則になったのかもしれん」
そして一端言葉を切ってから、こう付け加えた。
「それに……幾らテイマーの体格が大きくても巨人種までじゃろうから、従魔も精々オオカミや山羊ぐらいじゃろう」
ヴィダの新種族に比較的寛容なオルバウム選王国でも、アラクネのような魔物の血を引くとされる種族の冒険者は認められていない。そのため冒険者ギルドの規則も、アラクネ等の種族の冒険者は居ない事が前提になっているのだ。そうザディリスは暗に言っているのである。
「なるほど。それもそうか……それはともかく、意外と何とかなるものだな、母さん」
「確かにそうじゃな」
ギルドの規則について話題に話していた彼女達だが、本気でギルドについて疑問に思っている訳ではない。様子を見ながら周囲の反応を伺うために、雑談をしていただけだ。
その二人に対する周囲の反応だが、様々だった。多くの人達は、ただ物珍しそうに好奇の視線を向けるだけだが、興味深そうに彼女達を見つめる冒険者風の者達や魔術師、彼女たち自身より持っている武具に視線を向ける職人らしいドワーフもいる。
中にはバスディアやザディリスの灰褐色の肌を舐めまわすように、好色そうな視線を向ける者もいるが……露骨に嫌悪や敵意を向けて来る者はいない。
「……私達はアンデッドの上位種とされているらしいから、多少の不安があったのだが……大丈夫そうだな」
「うむ。問答無用で襲い掛かってくる者もいるのではないかと思ったが、大体坊や達の言う通りじゃったな」
アンデッドはテイムできないのが常識となっているのに、その上位種とされているグールはテイムし、奴隷の首輪を嵌めて奴隷にする事も可能。何故そう思えるのか、疑問には感じないのか、一度テイマーか奴隷商人にじっくり話を聞いてみたいものだ。
『万が一襲い掛かってくる奴がいても、姉さん方なら素手で畳めるでしょうに』
安堵して頷き合う二人に、シュバルツブリッツゴーストのキンバリーがそう囁く。
「いや、装備はかなり落ちているから、ちょっと不安だったんだ」
そう言うバスディアやザディリスの装備は、言葉通りにかなり格下のものだ。魔物の皮から作ったレザーアーマーやローブと、作り自体は良いが鉄製の斧とただの木製の杖である。
人目に触れる為、普段装備している武具は持ってこなかったのである。……もっとも、隠し持っているアイテムボックスの中に変身装具や杖が入っていて、いつでも取り出せるようになっているのだが。
「儂は魔術師じゃからそうでもないが、バスディアは防具がただの皮じゃから頼りないのじゃろ。普段着けている鎧と重さは変わらないのに、鋼と紙程も防御力に違いがでるからの。丸裸にでもなったようじゃろう?」
「それを言うなら母さんも、杖が気になって仕方ないようじゃないか。愛杖が無くて、丸腰になったように思えて不安なんだろう?」
『口喧嘩しているところ悪いんですけど、二人とも周囲の視線は、全く気にならないんで?』
「「いや、全く」」
小声で話す二人には、周囲から向けられる幾つもの視線は緊張や羞恥を誘う程のものではなかった。何せ、二人とも期間に差はあるが、ステージと化したクノッヘンの上で歌とダンスを観客に披露したのだ。視線に対する免疫は十分できている。
「それに、二日目だしな」
「昨日テイマーギルドで首輪を貰って来る時に坊やと一緒に行った時の方が、見られたものじゃ……ん?」
ふとザディリスは、自分達に向けられる熱い視線に気がつき、そちらに視線を向けた。すると視線の主は若い、まだ二十歳前後に見える女性だった。
武装はしておらず、簡素な装飾だがしっかりした生地の服を着て、何故か思いつめた表情をしてザディリスとバスディアを見つめている。
『殺気は感じませんが、注意を』
そうキンバリーが囁くのに合わせたようなタイミングで、女性が二人に向かって歩き出した。そして意を決した様子で口を開く。
「お願いします! 毒を吐いてください!」
「……変態か?」
「まだ若いじゃろうに……」
「あああっ! 言い間違えましたっ、すみません! 罵って欲しいのではなくて、毒を恵んで欲しいんです!」
公の場で罵るよう懇願されたのかと思った二人が困惑したり憐れんだりすると、女性は慌てて首を振って誤解を解こうとした。
「私は錬金術師で、ジェシーと申します。最近麻痺毒専用の解毒ポーションの研究を始めたのですが、その少し前からグールの毒が手に入らなくなってしまって……」
元々グールの素材は他の魔物の素材と比べて特別需要のある物ではなかったので、魔術師ギルドの備蓄も僅かだった。ジェシーの研究の為にはその備蓄を使い切っても足りなかったので、新たに手に入れようと探していた。
しかし、最近この辺りではグールの素材は爪から分泌される麻痺毒も含めて品薄になっていた。
そうなると遠く離れた場所から取り寄せるか、冒険者ギルドに依頼するかのどちらかだが、その為にはお金と時間がかかる。ギルドから出ている予算は潤沢とは言えないので、いっそ自腹を切るかそれとも父の伝手を頼るかと悩みながら歩いているところに、バスディアとザディリスの二人を見つけたのである。
「それでつい……先程は失礼しました」
「なるほど、そういう理由か。私こそ誤解してすまなかった」
「いえいえ、私が紛らわしい事を言ったせいです。すみませんでした」
「儂らの毒か。ふーむ、さて、どうするかの」
お互いに謝り合うジェシーとバスディアを余所に、ザディリスはやや悩んでいた。
ジェシーが話したグールの素材不足の原因は、ヴァンダルーがこの辺りの魔境に住んでいたグール達をタロスヘイムに誘ったのが原因である事は明らかだ。その事には、罪悪感は微塵も覚えていない。ジェシーは二人に事情を説明する際濁していたが、グールの素材を取るという事はグールを狩るのと同じ意味だからだ。
逆にグールの素材を必要としているジェシーを恨む気持ちも無い。グールの側も倒した冒険者の死体を食料にしたり、捕まえた人間の女を同族に変化させたりしているので、非が無いわけではない。
少なくとも、無暗やたらに人間を憎む程では無い。
そして爪から分泌する麻痺毒は、ザディリスにとってはそれ程重要なものではない。汗や涎と同じで、大量に求められたら別だが、基本的には提供しても構わないものだ。
「しかし、今はやる訳にはいかんな」
「どうにかなりませんか? ほんの少しで良いんです。勿論、お礼はします!」
「いや、断ると言う訳では無くてな、儂等が勝手に決める訳にはいかないのじゃよ。儂等は従魔じゃからな」
縋りつくように頼み込んでくるジェシーにそう答えて、ザディリスは自分が嵌めている首輪を指差した。すると、彼女もはっとして「そ、そうでした!」と言った。
「すみません、私ったら……お二人のご主人に了解を取らないといけませんよね」
従魔は奴隷と同じで、主人の所有物である。そのため他者が勝手に従魔に何かするのは、罪に問われる事がある。毒の提供は、当然主人の同意が必要とされる。
どんなに従魔の知能が高くても、例外は無い。
「ジェシー、もしかして、そそっかしいとよく言われないか?」
「恥ずかしながら……でも、お二人と話しているとまるで人と話しているのと変わらなくて……つい」
頬を赤くしながら言ったジェシーの言葉に、バスディアとザディリスは口元を緩めた。
この分なら、グールのイメージアップも想像していたよりは上手く進むかもしれないと。ただ、同時にトラブルの影が近づいている事にも気がついて、どうしたものかなと苦笑いを浮かべた。
「じゃあ、ここで一緒にお二人のご主人を待っていても――」
「お嬢ちゃん。あんたがこのグール共のご主人様か」
「え、ちが……ひゃあ!?」
近づいてくる足音に気がつかなかったジェシーは、突然声をかけられて振り返ったら、そこに凶悪な人相をした大男がいる事に驚いて悲鳴をあげた。
額や頬に幾つもの傷跡がある、金属鎧の上に魔物の毛皮を使ったマントを羽織った大男は、そんなジェシーの態度に腹を立てるどころか気分が良さそうに口の端を釣り上げた。
明らかに暴力と恐怖を己の利益に繋げて来た者の態度だ。つまり、いわゆる堅気の人間では無い。
「だったら話が速い。そいつらを譲ってもらおうか……お嬢ちゃんみたいなヒヨッコ魔術師が前衛代わりに使うには、勿体ない上玉だからな。悪い話じゃないだろう?」
しかも圧力をかけて脅しながら、明らかに悪い話を持ちかける大男。さらに大男の取り巻きらしい、やはり人相の悪い男達がジェシーを生やしたてる。
「ゴードンの兄貴が笑っている内に頷いた方が、身の為だぜぇ! この辺りにも『剛腕』のゴードンの名は轟いてんだろう!?」
「何ならお嬢ちゃんもこっちにくるか? 俺達が朝まで相手してやるぜぇ……ヒヒヒ!」
髪を逆立てた男と魔物の頭蓋骨を加工した兜を被った男が言った、『剛腕』のゴードンと言う大男の名に、何事だと足を止めた人々の何人かがざわめく。
その何人かの口から洩れた情報によると、どうやらゴードンは別の交易都市で実力と、何よりも素行の悪さで名の知れた冒険者で、モークシーの町に今日初めてやって来たらしい。
等級はC級で、噂では素行さえ悪くなければとっくにB級へ上がれていただろう実力者らしい。ちなみに、『剛腕』は魔物の暴走が起きて冒険者と兵士総出で魔物の迎撃に出た際、大型の魔物を何十匹も退治した功績を称えられて名づけられたものだとか。
「冒険者にはゴロツキと変わらないのもいると聞いたが、あのゴードンと言うのは『いざという時役に立つゴロツキ』という困ったタイプのようじゃな」
「多少素行が悪くてもギリギリの一線は超えないし、緊急事態では戦力になるから思い切った処分が出来ないという事か。そんなに使えそうには見えないのだが」
「ふむ? ……お主の目から見て、どれくらいじゃ?」
「カシムやフェスターよりは、確実に弱いな。私は冒険者ギルドの等級に詳しくは無いが……ランク5や6の魔物なら倒せそうではある。ヴィダの新種族相手だと、ランク4以下じゃなければ無理そうだが」
バスディアの目から見ると、ゴードンの雰囲気や存在感、立ち振る舞いから推測すると、彼はC級の中から上ぐらいの実力らしい。
B級へ上がっていたと言うのは、ただの噂でしかないようだ。
ヴィダの新種族である上に、ランク11のバスディアやザディリスにとっては、雑魚でしかない。普段の装備が無くても、あっさり倒す事が出来る相手である。
「ふ~む、それでどうする、母さん?」
「出来れば穏便に済ませたいところじゃな」
ただ、二人が直接ゴードンを死なない程度に殴り倒して退散させるのは、難しい状況である。
『今の二人はテイムされた従魔って扱いですからねぇ。向こうが先に手を出してこないと……殴り掛かるか武器でも構えない限り、傷つけたら主人って事になっているボスの責任になっちまいますからねぇ』
キンバリーの言ったように、従魔は人間社会では人では無くペットや家畜と同じように扱われる。
だから、多少言葉で絡まれたぐらいで、ゴードンを叩きのめしてはいけないのだ。赤子の手を捻るより簡単だとしても。
『まあ、ボスなら罰金ぐらい幾らでも払えるでしょうけど……』
「それこそ危なくなるまでは様子を見たいな。出来ればジェシーに期待したいところだが」
仲間内で囁き合いながら、人間のジェシーが穏便に場を収めてくれないかと期待する三人だが、それは難しいようだった。
「わっ、私は、テイマーじゃ……ち、父はギルドのマスターです! 人を呼びますよ!?」
どうやらジェシーは錬金術師でも、主に研究や薬品の調合を行うタイプで、荒事に免疫が無い一般人だったようだ。ゴードンからバスディア達を守ろうと立ちはだかっているが、声も膝も震えている。
「いい歳して親に泣きつくってのか、お嬢ちゃん。これは大人同士の話だぜ。きっちり、自分で決めてくれないと困っちまうなぁ?」
ゴードンが凄みながら、ジェシーに一歩近づく。どうやら彼は、ギルドのマスターの身内に対しても委縮しない反骨精神の持ち主のようだ。……ジェシーがテイマーではない事は、彼女の声が震えていて聞き取れなかったようだが。
「しかし納得が行ったぜ。ギルドのマスターの娘なら、グールウォーリアーとグールメイジをテイムしていてもおかしくねえ。どうせ親にねだって、腕利きの冒険者に生け捕りにさせて奴隷の首輪で従えたんだろう」
そして、しかも誤解を深めている。彼はバスディアをランク4のグールウォーリアー、ザディリスをランク5のグールメイジだと勘違いし、ジェシーが奴隷の首輪で従えているのだと思ったようだ。
ただバスディアとザディリスのランクを誤解したのは、ゴードンだけでは無い。町中は勿論、テイマーギルドのマスター、バッヘムでさえ誤解しているのだから。
この世界に存在する数多の魔物の種族とランクを、人々はどのような方法で見分けているのかと言うと、当然だが自分の知識を基に、魔物の特徴などの外見や行動、特殊能力等を観察して見分けるのだ。
【鑑定】の魔術も存在するが、その効果は自分の脳内から効率良く対象に対する情報を探しだして教えてくれるだけで、未知の知識を授けてくれる訳ではない。
翳せば魔物のランクが表示されるマジックアイテムは実在したらしいが……神代の時代、まだ魔物に関する知識を人間達が持っていなかった頃にリクレントが授けたとされる伝説のアーティファクトなので、ゴードンのような冒険者が持っている筈も無い。
そのため目の前のゴブリンの正体が、ゴブリンソルジャーだと見破れなかった一般人や、ゴブリンバーバリアンだと気がつかなかった新人兵士や新米冒険者が、痛い目を見る事が起こるのだ。
バスディア達の場合もそうだ。グールアマゾネスやグールウィザードの存在は、書物に記されているが……バーンガイア大陸では見かけないため、今では魔術師ギルドの書庫で希少な書物の中に記されているのみである。
外見的な特徴である身体の文様は、刺青や染料で描いたペインティングにも見える。額の宝珠に似た第三の目は、そのまま装飾品か何かだと思われているのだろう。
なのでグールに関して調べ尽くし、グール博士と呼ばれる程の知識量の持ち主でなければバスディアとザディリスの正体を、看破する事は不可能だ。
もし町に来たのが四本腕のグールタイラント系になったヴィガロだったら、すぐ尋常なグールではないと気がつかれただろうが。
テイマーギルドでも従魔の身体に触れ、体毛や体液を採取して錬金術師に分析させるような精密検査はしないので、バッヘムも頭を抱えながら「絶対何かおかしいが、グールウォーリアーとグールメイジである事を否定する証拠が無い!」と呻いていた。
だからゴードンにバスディア達の正体を見抜けるはずないのだ。
しかし、武術の達人である事はふとした仕草から見抜かれるかもしれないので、今までは大人しく立ち尽くしていたのだが――。
(ジェシーをこれ以上怖がらせるのは、事情があっても流石に悪いな。ヴァンには後で謝ろう)
そうバスディアが動き出そうとした時、それまで彼女達と同じようにジェシーに期待して様子を見ていた男が現れた。
「ちょっと良いかしら?」
「何だ、テメェ?」
現れたマイルズ……『飢狼』のマイケルに、ゴードンが思わず身構え、ジェシーの顔色が蒼白になる。
「その二人のご主人様の関係者よ。そういう訳だから……鎖骨を圧し折られたくなければ消え失せてくれない?」
二メートル近い鍛え上げられた肉体に、野性的だが整った顔立ち。そして何故か紅が引かれた唇。その異様さと迫力に呑まれかけたゴードンとその取り巻き達。完全に飲まれて、半ば気絶しているジェシー。
「なるほど……このお嬢ちゃんのおもりって訳か。何処の誰だか知らねぇが、横から出てきてこの俺を脅そうとはいい度胸だぜ」
当然だが、今日初めてモークシーの町に入ったゴードンたちは、『飢狼』のマイケルの事を知らなかった。……知っていても、チンピラの大将ごときと侮った可能性が高いが。
「ちょっとあんた、何か勘違いしてない?」
「こうなったらシンプルに行こうぜ。決闘だ! そのグール共を賭けて俺と男らしく素手で勝負しやがれ、カマ野郎!」
何処か得意気にそう宣言するゴードン。最初から金等の代価を支払わず、バスディアとザディリスを手に入れる事が狙いだった彼としては、この『飢狼』のマイケルが登場する展開は都合が良かったのだろう。
「……まあ、別に私は困らないから良いけど」
そして『飢狼』のマイケルこと、マイルズにも都合の良い展開だ。彼がゴードンをただ殴り倒したのでは暴力事件だが、決闘なら衛兵も手出しして来ないだろうからだ。
アルクレム公爵領の法律では決闘に関する取り決めは無く、ただの慣習に過ぎない。「決闘だ!」と一方が主張しても強盗や殺人として立件される事件も多い。
だが、冒険者や傭兵同士の決闘の場合は死人が出ておらず、また条件が余程悪質でない限り見逃される事が多い。特に限りなくチンピラに近い冒険者のゴードンと、最近やや堅気に近づいている『飢狼』では、心情的に『飢狼』に味方する衛兵も多いと推測される。
「決闘だっ! 決闘だぞ!」
「さぁ、モークシーのスラムと歓楽街の『飢狼』のマイケル対、C級冒険者、『剛腕』のゴードンの決闘だ! 賭けた、賭けた!」
そして決闘が始まる事を叫んで、邪魔が入らないように野次馬の壁を作るゴードンの取り巻き二人。更に頼んでもいないのに賭けの胴元を始める者が現れ、集まった野次馬に商品を売る屋台の店主達。衛兵達は苦い顔をしたが、騒ぎを止めようとはしない。
「頑張れ、『マイケル』。私達の為に争って来てくれ」
「それが仕事だからいいんだけどね!」
「わた、私っ、ふ、二人をあんな獣達に……!」
「ジェシーは儂等の為に争わんで良い! 落ち着けっ、冷静になるのじゃっ!」
「そうだ、ジェシーっ。『飢狼』と言ってもあいつは良い方の獣だから!」
マイルズを決闘に送り出しつつも、パニックに陥ってふらふらしているジェシーは引き止める二人。
「おおっと、三つ巴の戦いからジェシー嬢が早くも脱落か!?」
そんな事を言って囃し立てる賭けの胴元を睨むマイルズに、恐ろしい展開が待っていた。
「じゃあ、代わりに俺が入りましょうか」
「頑張ってください!」
するっと野次馬の壁を抜けて来たヴァンダルーが、ユリアーナを降ろして決闘に加わろうとしているのだ。
「ちょおぉっ!?」
「何だ、このガキは? 薄気味悪い……そうかっ、てめぇがこの町に居るって噂のダンピールか! ゴブリン食いの悪食らしいが、何で邪魔をする!?」
「微妙に俺に関する噂が間違っている気がしますね。それは兎も角、俺が彼女達をテイムしているテイマーだからです」
「何だとっ!? ち、だったとしても構うもんかよ。アルダ融和派なんざ、知った事か! 化け物との混血のクセに女グールを侍らしやがってっ、気に食わねェ!」
そう言って唾を地面に吐くゴードン。構わずシャドウボクシングを始めるヴァンダルー。
「頑張れ~、ヴァン!」
「とりあえずナターニャよ、坊やに持ち金を賭けておけ」
応援したり、ヴァンダルーに続いてギルドから出てきたナターニャに賭けの指示を出すグール母娘。
「ちょっと待ちなさい!」
そして顔色を変えて悲鳴をあげるマイルズ。何故ならこの決闘、何故か三つ巴という事になっているのだ。このままでは彼はヴァンダルーと戦う事になってしまう。
別に胴元の男につきあってやる理由は無いのだが……ヴァンダルーの場合、ゴードンを捻った後気まぐれを起こして「まあ、折角ですし。実戦形式の稽古だと思って」とマイルズとそのまま決闘を続けかねない。
そうなると、十歳少々の子供に公衆の面前で良い勝負をする『飢狼』と言う光景が誕生してしまう。まだ完全に堅気ではないし、警備会社的な仕事を始めたばかりのマイルズにとって、大変外聞が悪い。
「サイモンっ! あんた私に借りがあったわよね! あんたが代わりに出なさい!」
そして目についたサイモンを、咄嗟に決闘に駆り出す。
「ええっ!? 俺ですかい!? マイケルの旦那っ、流石に二つ名持ちのC級冒険者に素手なんて……あ、やれそうっすね。
素手でも義手は外さなくて良いんでしょう!?」
突然の事に最初は及び腰だったサイモンだが、自分の義手が鉄で出来ている事を思い出したため、義手を付けたままでいいかと確認する。
「ふんっ、腕の無い半端野郎め。何だったら後ろの獣人種の姉ちゃんと一緒に出るか!? 半分同士で丁度一人分だ!」
ゴードンの挑発に、笑い声をあげる彼の取り巻き達。
サイモンはそうした嘲りに慣れているので、動揺もせず「じゃあ、遠慮無く」と義手を付けたまま前に出る。
「あっはっはっはっは、面白い事言うよなぁ、半分同士か、思わず笑っちまったよ。……オレも出る!」
「ええぇっ!?」
「ナターニャさんっ、誇りの為に戦うあなたは立派です!」
「ユリアーナの御嬢さん、止めてくだせぇ!」
だが激怒したナターニャが乱入し、三つ巴どころか四つ巴の決闘が始まってしまったのだった。
そして始まった決闘を上空で眺めている者がいた。
それはヴァンダルーやマイルズでも、霊やゴーレムでも、そしてグファドガーンでも発見する事は出来ない存在……空気だった。
(……あいつら、何やってんの。もしかして、私達を誘き出す為のカモフラージュのつもり?)
全身を無色透明無臭の気体に変化させた【シルフィード】のミサ・アンダーソンは、事態をただ観察していた。ヴァンダルーを直接見ないようにしながら。
12月2日に228話を投稿する予定です。




