二百二十一話 ここは魔王の『町』
孤児院のシスターセレネが、ほかのキャラクターと名前が殆ど同じだったので、修正します。
セレネ→セリス
ご迷惑をおかけします。
礼拝堂から外に飛び出した瞬間、モルトール達貴種吸血鬼はそれぞれ日光に対する防御策を発動させた。
風属性や水属性の魔術で自分の身体を覆う膜を張り、自分の身体に届く日光を弱める。完全に光を遮ると自分自身の視覚を風や水で物理的に遮る事になるため、これで限界だ。
「……冬じゃなくて日差しの強い夏に誘い出すべきだったでしょうか?」
『ご心配なさいますな、ご主人様! 我々の輝きならあの程度の対策、無いも同然です!』
「ところでヴァンダルーよ、先に彼らをどうにかするべきでは? 私の空間属性魔術で肉体は脱出してはどうでしょう?」
光属性のゴーストとなった、淡く輝いている『闘犬』のダロークが闘志を滾らせるが、グファドガーンは冷静にそう促した。
ビルカインに洗脳された孤児院の人々三十から四十人程が、今もヴァンダルーに何重にも抱きついている。その殆どが十歳未満の小さな子供である事と、彼らが一言も話さないお蔭で会話は可能だが。
しかし、身動きする事はほぼ不可能である。礼拝堂からここに移動する時も、ヴァンダルーが霊体で彼らを保護していなければ何人か骨折や脱臼したかもしれない。従属種吸血鬼だったセリスとベストラ、あとやはりただの人種では無さそうな院長は兎も角、マーシャ等の小さな子供は生命の危機だ。
「もうしばらくこのまま様子を見ようかと。奴が何か命令しても、これなら対処できますし。準備はもう済んでいますから」
ヴァンダルーがそう言い終わるのを待っていたかのように、礼拝堂の壁に空いた穴から、風属性の魔力を身体に纏ったビルカインが姿を現した。流石原種吸血鬼と言うべきか、彼の配下達は顔や手に光に焼かれた傷がまだ残っているのに、彼は既に完全に回復しているように見える。
元の美貌を取り戻した顔で、ビルカインは言った。
「『自殺しろ』!」
その途端、ヴァンダルーに抱きついていた孤児院の人々が、一斉に自殺を試みる。小さな子供は舌を噛み切ろうとし、セリスやベストラはそれまで意識していなかったはずの鉤爪を伸ばして自分の喉をかき切ろうとする。
「……ほら、こういう時です」
それに対してヴァンダルーは、霊体を【具現化】する事で彼らの自殺を防いだ。口内の歯や、鉤爪をゲル状にした霊体で包み、自分の身体を傷つける事が出来ないようにしたのだ。
「ん~っ! んん~っ!」
「はっ、ふぐっ!」
淡く発光する青白い具現化した霊体に動きを封じられたマッシュやセリス達は、それでもビルカインの命令を実行しようとする。他の孤児の頭部に頭突きをして頭蓋骨を骨折しようとしたり、具現化した霊体に顔を押し付けて窒息しようとしたり、その忠実さは尋常ではない。
しかしヴァンダルーの霊体は頭部も包み、幾ら頭突きをしても衝撃を殆ど吸収してしまう。窒息死しようとする者には、霊体を管状にして肺まで伸ばし人工呼吸を始める。
『【死亡遅延】の魔術でも良いのでは?』
『馬鹿者。【死亡遅延】では死ぬまでの時間が伸びるだけで、傷を負わない訳ではないのだぞ』
そう呟いたベールケルトを、チプラスが叱責する。
「やはり、そうなった以上その人形共は取引には使えないか。洗脳も、私から【魔王の影】を奪った後解けばいいとでも考えているのだろう?」
命令が不発に終わったビルカインは、チプラス達の余裕のある態度を見ても激高せず、静かにそう問いかけた。だが、冷静と言う訳では無かったらしい。
「だが忘れてはいないかな? ここは貧民街、全体から見れば外れの方でも約三万人が暮らす町の中だということを!」
そう叫ぶビルカインの左右の手に、それぞれ燃え盛る炎と、激しい稲光が出現し、それまで様子を見ていたモルトール達も素早く、しかも別々の方向に向かって魔術を放つ。
孤児院の外に向かって。
「【巨岩螺旋弾】!」
「【大火炎砲】!」
「【氷槍乱雨】!」
「【歪曲波】!」
ドリル状の岩や炎の帯が薄い孤児院の塀とその向こうに向かい、氷の槍が上空から雨あられと町に降り注ぐ。さらに空間が歪み、元に戻る時の反作用で破滅的な衝撃波が撒き散らされる。
「人質など幾らでも居るんだよぉっ! 【炎熱獣招来】! 【雷雨】!」
止めだと言うかのように、ビルカインが炎で作り出した獣を町に解き放ち、雷の雨を降らせる。
激しい爆音や衝突音が響き渡り、煙が上がる。
「はぁっはっはっはっはっは! 今ので、何人死んだかな!? 百人か? 二百人か? なに、気にする事は無いさ、この町には約三万人も下等生物がいるんだから!
それとも、やはり気になるかな? 二週間も滞在して商売をして関わって来た町の人々が死ぬのは!? それが嫌だったら――」
何も知らない無関係な人間達を殺戮した事に、喜悦を抑えられず高笑いをあげていたビルカインはヴァンダルーに視線を戻して、絶句した。
「ふぅ。普段表情豊かな人達が、無表情で迫って来るのってちょっと怖いですよね」
「ヴァンダルー、残念ながら私にはその気持ちを推し量るのは困難です」
『お二人とも無表情なのに……』
彼らが平然としていた。
ヴァンダルーはセリス達をゲル状に具現化させた霊体に包んだまま一人抜け出し、まだ何とか自害しようと蠢いている彼女達を、「なんだかレギオンにちょっと似ていますね」と緊張感の欠片も無い様子で話している。
「き、貴様等! ビルカイン様の言葉を聞いているのか!? 町の人間には興味が無いのか!?」
「……良いのかな、そんな態度を取って。私がこの町で君達が何をしていたのか、知らないとでも思っているのか?
貴様の家も、歓楽街も、テイマーギルドや冒険者ギルド、共同神殿、獣人の衛兵がいる街の門も、貴様等がお茶会を楽しんだ領主の館でも、此処から狙う事も出来るんだぞ!?」
モルトールに続いて激高したビルカインがそう叫ぶ。実際、原種吸血鬼であるビルカインが本気で魔術を放てば、このモークシーの町は壊滅する。彼でなくても、モルトール達四人の腹心の内一人だけでも同じ事だ。
この町の冒険者ギルドにはC級以上の冒険者が何人もおり、またモークシー伯爵家が抱える騎士達も精鋭が揃っている。
だがそれでも上位の貴種吸血鬼にとっては有象無象でしかない。時間帯が昼だから多少苦労するだろうが、小さな障害でしかない。
「対して貴様はどうだ? 町の中で貴様は全力を出す事は出来ないだろう!? 私達を倒しても、街が一面焼け野原になっていましたでは意味が無いからな!
余りの不自由さに、同情申し上げるよ。お人好しの魔王殿! ハーッハハハハハハ……ハ?」
分かったら私の話を聞け。そう続けようとしたビルカインだったが、その前に聞こえるはずのものが全く聞こえない事に気がついた。
声が全く聞こえないのだ。
スラム街の孤児院から攻撃魔術が連続で放たれたのだ。逃げ惑う人々の助けを求める悲鳴や、混乱してパニックに陥った者達があげる怒声が全く聞こえてこない。
まさか適当に放った攻撃魔術で、近隣住人が一人残さず即死した訳でもないだろうに。
「ビ、ビルカイン様っ! 孤児院の塀が!」
配下の上ずった声が指す塀に視線を巡らせてみれば、城壁にも穴を空けるはずの【巨岩螺旋弾】が直撃した個所には、何の損傷も無かった。地面が多少荒れている以外の変化は何も無く、塀が立ち続けている。
反対側の、【大火炎砲】を受けたはずの塀も周辺がススで黒く汚れているだけだった。
「ば、馬鹿な! そんな馬鹿な……!」
「……俺達の家や、テイマーギルドや冒険者ギルド、街の門に、領主の館でしたね。狙えると思うのなら、試してみたらどうです?」
顔面を蒼白にして、狼狽えるビルカインにヴァンダルーがそう言いながら迫ると、ビルカインは上空に向かって飛び上がった。
そして空から見る事で、自分達が今何処に居るのか否定しようの無い真実を思い知らされた。
眼下に広がる町並みは、一見した限りではモークシーの町そのものだ。街の門も、大通りも、各種ギルドや領主の館も、本物の町と同じ位置に、同じ大きさ、そして似たような色の屋根をして存在している。通りを歩く人影だってある。
だがよく見れば、建物は全て色のついた土や石で出来ており、本物の建造物に施されているはずの装飾が無くなってはいないか。
町を行き来する人影は、全て石や金属で出来たゴーレムではないか。
そして町の外に見えるはずの森や草原が、全て乾いた荒野になっているのは何故か。
「馬鹿なっ、そんな……町そっくりに創られたダンジョンだと!? そんな物を創れるのか!?」
「グファドガーンによると、『今まで創る理由が無かっただけで、出来ない訳ではありません』という事らしいですよ」
狼狽していたビルカインは、すぐ近くで聞こえたヴァンダルーの声にはっとして振り返ろうとした。
「【大旋風脚】」
だが黒い異形の姿……【魂格滅闘術】と【具現化】で魂を纏ったヴァンダルーの回し蹴りを受け身体がくの字に、しかも曲がってはいけない向きに曲がってしまう。
「がっぁぁぁぁぁぁ……!」
そしてそのまま、偽高級住宅街がある方向に蹴り飛ばされていった。
蹴り飛ばされ流れ星のように落ちて行くビルカインの姿に、モルトール達は悲鳴をあげた。
「ビルカイン様!?」
「お、お助け申し上げろ!」
慌てて空中に飛びあがろうとした彼らだったが、それは出来なかった。
それまで地下や建物の影に隠れていたヴァンダルーの仲間達が現れたからだ。
「最近フラストレーションが堪まってるのよ、ちょっと八つ当たりされなさい!」
「キシャアアアアア!」
自分達と同じく空を飛ぶマイルズや、空を覆う程巨大なピートの出現に、モルトール達が憔悴も露わに動きを止める。
「貴様等に構っている暇は無い!」
「精々家畜の番でもしているが良い!」
そしてマイルズやピートでは無く、まだヴァンダルーの霊体に拘束されているセリスやマッシュ達に向かって魔術を放つ。
岩の弾丸や氷の槍、風の刃が降り注ぎ……全て空間に空いた穴に吸いこまれる。
「貴様等に言われなくても、私が守っている」
そしてグファドガーンによって、貴種吸血鬼達の前に出現した空間の穴から、岩の弾丸や氷の槍が彼ら自身に跳ね返されてしまった。
「うおおおっ!?」
まさか、自分の放った魔術が空間を捻じ曲げて返されるとは思わなかったモルトール達は、動揺して思わず回避に専念してしまう。吸血鬼の高い再生力を信じ、魔術を無視すればまだビルカインを追えたかも知れなかったが、もう無理だ。
ピートの角から放たれる【轟雷】や、チプラス達が放つ光線、ダンジョンの建造物の中から放たれる矢によって同僚達が落される中、モルトールは自分の意思で逃亡を断念した。
「我こそはビルカイン様の腹心筆頭、モルトール! チンピラ共の大将風情がどうやって力を得たかは知らんが、返り討ちにしてくれる!」
追っ手の『飢狼』のマイケルを空中で倒し、他の追手が墜落した同僚達と戦っている間に、ビルカインの元に一人駆けつけようと企んだのである。
「誰がチンピラ共の大将よ! まさかあんた達、まだワタシの正体に気がついてない訳!? この『接吻』のマイルズに!」
「何ぃ!? 貴様、本当にグーバモン配下の一人だったマイルズか!?」
お互いに驚きながら、マイルズとモルトールが空中でぶつかり合う。鋭い鉤爪で打ち合い、火属性魔術と土属性魔術が衝突する。
互いの血が飛び散るが、モルトールの顔には笑みが浮かんでいた。
「ビルカイン様の推測が正しかった訳か。だが、それならば私は運が良い! 貴様が何故日の光を克服できたのかは分からんが、高々数百年しか生きていない小僧ごとき、一捻りにしてくれる!」
モルトールはビルカインの血によって吸血鬼になり、六万年の年月を生きて来た貴種吸血鬼だ。彼は今存在している邪神派の貴種吸血鬼達の誰よりも、古くから存在している。
そのランクは12で、ジョブも幾つも経験している。彼の実力なら、確かにグーバモン配下の幹部だったマイルズ程度は一捻りだろう。
「そうね、あんた比較的運がいいわよ。 ……【獣化】!」
だがヴァンダルーの配下であるマイルズは全身に力を漲らせ、肉体を変化させる。
「ウオォォォォン!」
狼男の姿に変化したマイルズは、空中を蹴ってモルトールに襲い掛かった。彼はマイルズが【獣化】した事に驚きつつも、魔術で岩の盾を作り出して彼の攻撃を防ごうとする。
「【透爪撃】!」
だがマイルズが繰り出した武技によって、岩の盾は無傷のままモルトールの腕は切り裂かれる。
「そんな馬鹿な!?」
「こっちも【限界超越】に【魔闘術】まで使ってんのよ。これぐらい出来ないなら、あんたを追う訳ないでしょう!」
「うおおおおおおお!?」
切断された腕の再生は既に始まっており、数分で元通り生えて来る。まだ致命傷には程遠い。
しかし、手早く捻り殺すと言う当初の目論みは達成不可能だろう。焦燥が込められた叫びをあげるモルトールに対して、マイルズは冷静に彼を始末しにかかった。
マイルズが言ったように、モルトールはまだ運が良い方だと言えるだろう。戦いは一対一で、相手もまだ常識的だ。
『う~ん、もう少しで何か掴める気がするんですけど……』
『姉さん、もう倒しちゃいましょうよ! 私、最近何も殺していないから溜まってるんです!』
『そんなもったいない。リタ、折角殺しても問題の無い強敵なんだから、ちゃんとスキルの練習台にしないと――』
「強敵だと言うのなら、練習台にするなぁ!」
人種出身の女吸血鬼は、そう激高しながら脇腹に突き刺さった矢を強引に引き抜いた。彼女が放つ殺気だけで常人なら失禁しながら意識を失ってもおかしくは無いのだが、サリアとリタは気にした様子も無い。緊張感の無い口調で、まるで相談しながら買い物を楽しんでいるような雰囲気すら漂わせている。
(だと言うのに何なの、こいつ等は!? 常に鋭い殺気を放ち、私にビルカイン様の元へ逃げる隙を与えない。しかも、実際に強い!)
女吸血鬼が激高しつつも、サリアとリタとの間合いを詰められないでいるのはそんな理由からだった。
(他の連中の所にも手練れがいるのか? だとしたら、ますますこのままでは――!)
『主人の元に帰らないと、置いてきぼりにされるかもしれないから焦っているんですか?』
「なっ!?」
リタに図星を突かれた女吸血鬼は、思わず顔を引き攣らせた。
『あ、当たっちゃいました? あなた達がビルカインの所に戻ろうとするから、そうなのかもしれないなと思ったんですけど』
「……それが分かったところで、何だと言うの? 袋の鼠だと私を侮るなら、痛い目を見るわよ」
『いえ、そういう訳じゃありませんが……叩き直さないといけないなと思いまして!』
地面が爆発したような音が響き、ハルバードを構えたサリアが女吸血鬼に迫る。虚ろな瞳からでも分かるほど怒りを湛えて。
「【限界超越】! 【歪の鏡】!」
女吸血鬼はそれに対してスキルを発動させ、空間を歪めて光を屈折させ姿を隠す魔術を発動させる。
これで二人の視覚を欺き、反撃に転じるつもりだったのだろう。
『【一閃惨殺】!』
だが、生物とは異なる【特殊五感】の持ち主であるサリアの視覚を欺く事は出来なかった。袈裟懸けに胴を切り裂かれた女吸血鬼の顔に、恐怖が浮かぶ。
だが続くリタの言葉で、恐怖が再び怒りに変わった。
『あなたには、仕える存在の心得……メイドの心得が足りません!』
「だ、誰が使用人だぁ!? 【空間歪曲】!」
町に放った時よりも大分小規模だが、空間を爆発させた女吸血鬼がそれまで鞘に納めていた剣を抜いて叫ぶ。
「我こそはビルカイン様の腹心が一人、何万年もの間夜を生きぬいて来た――ヒィ!?」
リタはそう名乗りを上げようとする女吸血鬼に対して、【百烈螺旋突き】を放つ。名乗りを途中で止め、引き攣った悲鳴をあげる女吸血鬼はリタのグレイブを防ぎきれず、再び血が飛び散った。
『いいえ、あなたは私達がメイドにします! 寧ろメイド以外になれません!』
『坊ちゃんには、ちゃんとアンデッド化の約束を取り付けてありますから諦めなさい!』
正気か貴様等!? そう叫ぼうとした女吸血鬼だったが、上半身と分離して間合いを詰めていたリタの下半身による膝蹴りをまともに受けて内臓を潰され、腕を分離したサリアのハルバードによって肩がずれる程深く胴体を切り裂かれ、それどころではなくなってしまった。
死とその後の再就職(アンデッド化)が決まっている女吸血鬼も不幸だったが、四人いたビルカインの腹心の中で最も不幸だったのはエルフ出身の貴種吸血鬼だっただろう。
「がはっ!?」
細い身体をピートの角で貫かれた吸血鬼が、口から大量の血を吐き出す。
「キシャアアアアア!」
だがピートは容赦なく【轟雷】を放つ。吸血鬼の絶叫が響き、肉が焼ける臭いが漂う。
「む、むむっ……ムシケラがぁ!」
エルフらしい繊細な美貌を修羅の如く歪めた吸血鬼は、何と鉤爪で自分の両脇腹を切断した。そして胴体の大穴と繋げて自ら上半身と下半身に分かれてピートの角から何とか逃れる。
普通なら自殺行為でしかないが、吸血鬼は空を飛んで空中に留まりながら懐に忍ばせたアイテムポーチから新鮮な生き血が入ったボトルを取り出し、それを一気に飲む。
「かはぁっ! 戻れっ!」
そして【業血】スキルで活性化した【高速再生】スキルで上半身と接合するため、【遠隔操作】スキルで下半身を呼び寄せる。
このエルフ出身の吸血鬼は、ビルカインの腹心の中でも多芸である事で知られていた。尤も、ヴァンダルーの仲間達と比べるとその多芸もくすんで見えなくなってしまうが。
(何なのだ、こいつ等は!? ぐぅ……早くビルカイン様の元に戻らねば。此処がダンジョンの中なら脱出するにはビルカイン様の影に縋るしかない!)
憔悴を滲ませた吸血鬼が戻って来た下半身を繋げようと急ぐが、彼が操作しているはずの下半身は突如身を翻し、強烈な蹴りを放ってきた。
「な、何だと!? これは、私の下半身では無い!?」
『ブグルルルル!』
そう、それは吸血鬼の下半身に擬態し、魔術で飛行しているかのように見せていたセイタンブラッドミミックスライムのキュールだった。
なら本物の下半身は何処だと、キュールの蹴りを掻い潜りながら探した吸血鬼は愕然とした。
「探し物は、これかい?」
緑色の肌をした植物の葉で出来た服を着た女、アイゼンが片手に掴んでいる枯れ技のような物。それは彼女に精気を吸い尽くされた吸血鬼の下半身だった。
キュールを【念動】で運ぶついでに、養分を摂取したようだ。
「お、おのれっ! だがこの程度で貴種吸血鬼の中でも上位に位置する私が死ぬと――」
啖呵を切ろうとした吸血鬼の声を、大量の羽音が遮った。ダンジョンに無数にある、モークシーの町の建造物を模して作られた建物の中から、蜂と女性を混ぜたような魔物……ゲヘナビーの兵隊蜂達が次々に現れ飛び上がったのだ。
その数は軽く百を超える。
「整列! 前衛構え! 後衛は魔術で援護! ……突撃!」
ゲヘナアブソリュートクイーンビーのクインの指揮に従って、兵隊蜂達の前衛が槍を構え、後衛が呪文を唱える。
「ま、待てっ、こ、降伏だっ、降伏するっ、ビルカインの組織について知っている事は全て話すっ、や、止めろ、止めてくれえええええ!」
吸血鬼の姿は、ヴァンダルーの導きや【従属強化】スキル、クインの【群蜂指揮】スキル、そして本人達の【能力値強化】スキルによって強化された、ゲヘナビーの軍勢の前に文字通り半身を失った吸血鬼はなす術も無く蹂躙されたのだった。
「あいつ、何か言ってなかった?」
「さぁ? 聞こえなかったねぇ」
話も聞いてもらえず一方的に蹂躙されたエルフ出身の吸血鬼と比べれば、彼はまだ幸いだろう。
「貴様等にはっ、吸血鬼の誇りは無いのか!? 己の主人を殺した相手の僕になり下がるなど、恥を知れ!」
ビルカインの腹心の最後の一人、一見すると老紳士に見える貴種吸血鬼が杖を構え、魔術を放ちながらそう罵倒する。
『何? 俺がハジを知らないだと?』
痩せ型で神経質そうな美青年に見える、ベールケルトが聞き返した。生前は普通の吸血鬼よりも更に青白い顔色をして、目の下には病人のような隈が常についていた男だったが、今はただただ白く見える。
だが生前の面影がある顔つきは一瞬で変化した。
『この俺を馬鹿にするな! ハジくらい知っているぅっ! ハジとは、真ん中の反対の事だああああああ!』
目と口を大きく開き、そこから絶叫と共に怪光線を放った。吸血鬼は素早く【光属性魔術】で作った闇を盾にしてそれを防ぐ。
「くっ、生前は狂っていても馬鹿ではなかったはずだが……!」
テーネシアの腹心、『五犬衆』。彼らと親しい訳では無かったが、生前何度も顔を合わせた事がある老吸血鬼は苦い物を口に含んだように顔を歪めた。
(ゴーストとは言え、生前の本人その物ではないということか。確かに、慣れれば強さはそれ程でもないが)
生前のベールケルトは吸血鬼伯爵でランクは10。幾つものジョブを経験しており、ランク11の吸血鬼侯爵である老吸血鬼でも、戦えば楽には勝てない相手だった。
だが今はそれ程では無い。確かに吸血鬼にとって弱点である光属性の攻撃をして来る事は厄介だ。だが明らかにその力は弱体化している。
冷静に対処できれば、倒せない敵ではない。
『我々を恥知らず呼ばわりとはいい度胸だ!』
そう確信した老吸血鬼が反撃に転じる前に、今度は『闘犬』のダロークが迫る。彼は手に光属性の魔力で作った剣を構え、ベールケルトの光線を防ぎ続けるため動きが取れない老吸血鬼に襲い掛かった。
『光の力を見せてくれる! 【光剣】!』
「こちらは生前と同じで、突撃しか能の無い愚か者か! 【雷槍】!」
左手で闇の盾を維持しながら、右手に持った杖の先に風属性魔術で雷の穂先を創り出し迎え撃つ。
『受けろっ、【八つ裂き――』
「技は生前と同じか。だが、遅い! 哀れになるほどなっ」
技を放とうとしたダロークの胴体を、老吸血鬼の雷の槍が貫く。その瞬間、何の手応えも残さずダロークの姿は掻き消えた。
「ぎゃあああああああ!?」
だが、同時に老吸血鬼は背中を焼けるような激痛を受けて絶叫をあげた。彼の背後にはなんと、槍で貫かれたはずのダロークの姿があった。
「ば、馬鹿な、何故私の後ろに!? 貴様のスピードでは……」
『貴様が見えていたのは、私が光を屈折させて【投影】した虚像だ! 光の力を侮ったようだな!』
背後から攻撃するのが光の力か!? そう言いたかった老吸血鬼だが、彼はダロークに注意を向け過ぎた。
『フヒハヘハファハハ! 曲げるぅっ! 光は俺! 俺が光! ウオレェ光線っ!』
それまでただ愚直に闇の盾を攻撃し続けていたベールケルトが、光線を曲げて放ったのだ。盾を掻い潜った光線を、老吸血鬼は避ける事も出来ずに撃たれる。
「ぐあああああっ! 【光線】の魔術が曲がるだとぉぉぉ……!」
身体に纏っていた日光対策の魔術のお蔭で多少ダメージが和らげられたが、堪らず落下する老吸血鬼。だがやはり数万年を生きた貴種吸血鬼、地面に激突する前に体勢を立て直し、最早戦い方に拘っている余裕は無いと、杖を構える。
こうなれば距離を取り、広範囲を対象にした魔術を連打して倒す。だがその老吸血鬼の上空に、今度はチプラスが現れた。
『ベールケルトもダロークも、術や武術など一部を除いて生前の記憶を殆ど忘れておる。儂自身も、ランク1のウィスプからここまでやり直さねばならなかった。だからこそ、この光の力に目覚めたのだ!
受けよ、【大氷獣推参】!』
生前得意としていた水属性魔術の中でも上位の術で作り出した氷の巨獣が老魔術師に襲い掛かる。
「くっ、【大刃乱風】」
唱えていた風属性魔術をそのまま氷の巨獣に向けて放つ老吸血鬼。二つの魔術がぶつかり合い、対消滅するかと思われた。
だがぶつかり合う前に、氷の巨獣が激しく輝いた。
『かかったな、この間抜けがぁ!』
次の瞬間、老吸血鬼の胸の中心に穴が出来ていた。チプラスが氷の巨獣を作り出したのは攻撃の為では無く、光を収束させるためのレンズとして使うためだった事に気がつくと同時に、彼の意識は闇に落ちた。
背骨を圧し折られた勢いで吹き飛ばされたビルカインは、まだ意識を保っていた。原種吸血鬼である彼にとって、脊髄の損傷程度は致命傷にはならない。
「ぐっ、……おおぁっ!」
強引にくの字に曲がった身体を正しい角度に戻し、地面に叩きつけられる前に空中で制止する。
そして荒く呼吸を繰り返しながら、素早く建物の陰に隠れた。ヒステリーを起こしそうになる自分を懸命に説き伏せ、態勢の立て直しと状況の把握に努める。
だが好転する材料は殆ど無い。
グファドガーンの目も掻い潜った移動手段……【魔王の影】を使用した影から影へと移動が可能か試したが、やはり無理なようだった。
「グファドガーンが手を打ったか、此処がダンジョンだからか……どちらにしても影を寄生させた家畜共の影に移動して外に逃げるのは無理か」
恐らく孤児院の礼拝堂全体をグファドガーンの【門】で覆ったのだろう。扉や窓、壁の何処から出てもこのダンジョンに繋がっていたはずだ。
だとすれば、脱出するのは至難の業だが不可能ではない。
(街に居るゴーレム共は、このダンジョンで出現する魔物だとすれば、このダンジョンも通常のダンジョンと同じ法則で成り立っているはず。外と繋がる出入り口は必ずある。そこから脱出し、外に出て影で移動すれば逃げる事が出来るはず――)
『休憩か熟考かは知りませんが、余裕ですね』
ヴァンダルーの声に我に返ったビルカインが視線を上げる前に、彼が姿を隠していた建物の壁が粘土のように形を変え、ヘビのように彼の四肢に巻きついた。
「しまった!」
慌てて拘束を解こうとするが、彼の手足に巻きついたのはただの石や木材ではない。ダンジョンの床や壁と同じ物質で出来た建造物の一部である。原種吸血鬼の怪力でも絶対に砕けない。
『では、行きますよ、グドゥラニス』
魔物解説:ウィスプ ルチリアーノ著
外見は師匠が使う【鬼火】の魔術と瓜二つ。異世界では人魂とも呼ばれているらしい存在だ。
ランクは1のゴースト系の魔物で、強い怨念や未練等が無く、生前の記憶や人格が殆ど残っていないが、輪廻の輪に還り損ねた魂が汚染された魔力と結びついてアンデッド化する存在だ。
そのため、とても弱い。ぶつかっても害は無く、精々人気のない場所で見かけたら不気味なくらいだ。不安定な存在故に、退治しなくても数時間から数日で勝手に消滅してしまう。当然取れる素材も無い。冒険者ギルドでも、魔物としてよりアンデッドが多い場所の目印として認識されている。
師匠が作る場合は、対象の霊の損傷があまりにも激しい場合はゴーストでは無くウィスプになってしまうようだ。
ただ根気強くレベルを上げ、ランクアップさせれば生前の記憶や人格を思い出す事もあるようだ。
11月4日に222話を投稿する予定です。
チプラス達のステータスを掲載する予定でしたが、その前に力尽きました(汗




