二百十九話 人形達の家
レビューありがとうございました! 巨人種ゾンビやオーカスやアヌビスの出番は……いずれ書けたら良いなと思います(汗
伯爵家で行われる個人的なお茶会への招待状。それを家に持ってきた騎士も、以前裏路地で保護を打診してきた時とは違って賓客に対するような恭しい態度だった。
そのためヴァンダルー達は大いに困惑した。もしかしたら伯爵は、お茶会にヴァンダルーとダルシアを招いた隙に、家に残っているユリアーナと、彼女の正体を知るナターニャを暗殺するつもりではないか。そんな邪推すらした。
だが手紙には極めて個人的なお茶会であり、別宅で行う旨が記され、お仲間と気楽に足を運んでいただければ幸いですと書かれていた。
「ユリアーナの事もあるだろうけれど、多分、アッガーやヨゼフ関係の事を話したいんじゃないの? ほら、密偵にアッガー達を【転移】させるところを見られたじゃない」
相談するために呼んだエレオノーラは、手紙を見た後そう推測した。
その推測に、その場にいた皆が納得する。一名を除いて。
「馬鹿な……証拠は何一つ残さなかったはず。更に、奴らを始末したのは折よくヴァンダルーが門で衛兵と話している時だった。アリバイまであるというのに、何故伯爵はヴァンダルーと結びつけるのだ?」
目を見開き、肩や口元を小刻みに震わせグファドガーンは驚きを露わにしていた。ヴァンダルー以外の対象に彼女が此処まで感情を表す事は、初めてかもしれない。
「まさか、伯爵は神託で神々の指示を受けているのでは!? いや、原種吸血鬼の手先である可能性も――」
「グファドガーン、そんな大したものじゃないと思うわ。ただ説明がつかないし、訳も分からないけど、あの連中とヴァンダ……ヴァン様の関係から考えれば、怪しいから結びつけたってだけよ」
「何と!?」
「真実を言い当てているとはいえ、失礼な話ですよね」
欠片ほどの理論も無く、怪しいから決めつけた。そんな伯爵に対してグファドガーンは絶句し、ベルモンドの尻尾に巻きつかれて宙吊りになっているヴァンダルーも、彼女に頷いた。
「何と……己の知識だけで物事を推し量ろうとせず、理解が及ばない事柄もヴァンダルーの意思によるものだと畏怖するとは。アイザック・モークシー伯爵、あの者は既にヴァンダルーの偉大さを理解しつつあるということか」
だが、グファドガーンが驚いた理由は違っていたらしい、彼女の中の伯爵の印象が、「新たなヴァンダルー教徒」へと変わっていく。
「いや、それは分からないけど……ああ、ダメだわ。もう耳に届いてないわ、あれ」
『私、グファドガーンさんと話していると神託で人が神様の意図を理解するのがどれだけ難しいのか、分かる気がします』
『……グファドガーンは、かなり分かり易い部類よ。生前ヒヒリュシュカカの神託を受けた事が一度だけあるけれど、正体不明な魔物の鳴き声にしか思えなかったもの。その時は使命に失敗してテーネシアに百年間ただ何もしないで立ち続けるって罰を下されて、散々だったわ』
「話が逸れています」
遠い目をするアイラに注意しながら、ベルモンドがお茶を淹れる。
「……ところでベルモンド、両手が動かせないとブラッシングが出来ないのですが。それとも舐めて毛づくろいをしましょうか?」
「旦那様、お茶を淹れている最中に手元が狂ったら大変なので、止めてもらうために腕ごと巻き取っているのですよ。それと、舌は絶対やめてください。
どうぞ、ダルシア様」
微笑ましい主従の様子に目を細めながら、ダルシアはカップを受け取った。
「ありがとう、ベルモンドさん。でも、確かに少し変ね。伯爵にとっては、ヴァンダルーだけじゃなくて私も十分正体不明の何かの筈なのに。特にあの人達の失踪に関しては、その頃私は共同神殿の休憩室でポーラ司祭達とお話ししていたから、アリバイも怪しいのだけど」
数日前の講演から、ヴィダの女性司祭であるポーラがダルシアに心酔している事を調べるのは難しくはないはずだ。邪推すれば、ポーラならダルシアが望むままにアリバイの偽証をしかねないと思うはずだが。
「オレは新参者だけど……やっぱり師匠の方を疑うと思うよ。だって、ダルシアさんより師匠の方が、何て言うか怪しいし」
しかし、まだタロスヘイムに染まりきっていないナターニャから見ると、そう感じるようだ。
「なるほど。確かに、母さんは御使いを降臨させただけで、ファング達をテイムし、屋台を経営しているのも俺ですからね。年齢を考えればそれでも母さんの方を怪しむかもしれませんが……俺はダンピールですからね。見た目の年齢が当てにならない」
十歳少々に見える、実際にまだ十一歳のヴァンダルーだが、ダンピールは吸血鬼では無い方の親の種族と同じペースで成長する。ダークエルフの場合、思春期の頃から成長するペースが急激に落ちる。伯爵側の立場で考えれば、ヴァンダルーの外見でも実際には二十歳前後である可能性を疑っても、無理は無い。
『じゃあ、伯爵さんは単に坊ちゃんを怪しむ以上に恐れていて、それで直接意図を聞くためにお茶会と言う名目で呼び出そうとしている事になりますね。
どうします? 領主様からの招待なら、『平民』に断る自由は無いと思いますけど……』
そう言ってサリアが指す手紙の文面には、「ヴァンダルーとダルシア、そしてお仲間」と、招待する対象が曖昧になっていた。
『どう言うつもりなんでしょうね、この『お仲間』って?』
素直に考えればサリアやグファドガーン等、全員が含まれる事になる。しかし、実際には彼女達がモークシーの町に居る事はヴァンダルー達以外誰も知らないはずだ。
「私達がヴァン様と通じている事は、気がついていないはずよ。ここへの出入りもグファドガーンの【転移】を使っているし」
『そもそも私達の事に伯爵が気づけるのなら、私達が乗っ取った犯罪組織に対してもっと早く手を打っていたでしょうね』
そしてエレオノーラやアイラ、ベルモンドに関しても気がついてないはずだ。
『私達も気がつかれていないはずですよ。ナターニャさん達が来る前に一度、木戸を開けて中に密偵の人達が侵入してきた時は、事前に家ゴーレムが気づいていたので壁に掛けられた鎧の演技をしましたし』
『霊体を消して、じっとしていただけですけどね。地下室に向かうようなら、捕縛するつもりでしたけど、そのまま帰りましたし。何故か凄い目で見られましたけど』
実は密偵達が一度侵入していたのだが、流石に領主の密偵を消すのは後々面倒だと思ったので、見られて拙い物がある地下室に入らなければ、見張るだけにとどめる予定になっていた。
幸い、侵入は一度だけで密偵を生け捕りにした後、ヴァンダルーが廃人にしてしまう危険を冒しながら記憶を消して洗脳するという事態にはなっていない。
「そうよね、そうなのよね……」
『ダルシア様、どうかしました?』
「いいえ、何でも無いの。本当に何でも無いから」
そう言いつつも、ダルシアは顔を手で隠して俯いてしまう。
(密偵の人、リタとサリアの事を絶対私が着る鎧だと思ったわよね……)
その事に気がついてしまい、精神的にダメージを受けたようだ。ダルシアと同じ事を察したベルモンドが、そっと彼女に紅茶のお代わりを差し出す。
「ありがとう、話を続けましょう」
まさか伯爵もお茶会でその事に言及はしないだろうと自分を慰めて、ダルシアが顔を上げた。
「つまりこの手紙の言う仲間と言うのは、ナターニャさんとユリアーナさん、そしてサイモンの事でしょうね。孤児院の子供達やポーラ司祭を含んでしまうと、個人的なお茶会の規模に納まらないでしょうし」
「仲間って濁したのは、ユリアーナの名前を直接出したくなかったからでしょうか?」
「なら、そもそも招待しなければ良かったのでは?」
『家に四肢が無い年頃の娘、しかも一人は深い事情付きなのだけ残させて、お茶会の間に何かするつもりだと勘ぐられないように、一応招待したんじゃないの? 実際、外にファング達を護衛に残しても不用心なのは事実よ』
アイラが言う通り、碌に動けない体だと思われている年頃の娘が二人だけで留守番していると知られれば、恐ろしい番犬がいると聞いても、「気がつかれずに家の中に入ってしまえばこっちのものだ」と考える泥棒の一人や二人出て来るかもしれない。
勿論泥棒くらい、リタとサリアなら軽く屠れる。ナターニャも自力で動けるようになっているので自衛できるし、タレアが偶然出くわしたとしても、今の彼女にとってただの泥棒を捻り殺す事は容易い。
ただ、あまり泥棒に来られるのは面倒だ。変な噂が流れても困る。
「とりあえず、皆で行きましょうか。サイモンには一応声をかけて、ナターニャは義肢を見せるいい機会になるでしょう。ユリアーナは……まあ、残していくと危ないですからね。伯爵が望んでいなくても、功を焦った密偵が来るかもしれませんし、伯爵が知らないアルクレム公爵の手の者が町に居ないとも限りませんし」
「え、ユリアーナも? この状態でいいのかい? それにオレ、貴族のお茶会のマナーなんて知らないぞ?」
「大丈夫、俺もちょっとしか知りません」
「……それで良いのかよ、皇帝陛下」
「イリスから、オルバウム選王国式のマナーをもっと詳しく習っておくべきでした」
遠い目をしながら、元サウロン公爵領のベアハルト騎士爵家の一人娘で、現在魔人国の王ゴドウィンの一人娘でもあるイリスの事を思い浮かべるヴァンダルー。
尤も、彼女も貴族とはほぼ名ばかりの騎士爵家の出身だったので、あまり社交界のマナーには詳しくなかったのだが。
「まあ、伯爵さんも知らない事を前提で呼んだのだろうから、大丈夫よ。だから個人的なお茶会なのでしょうし」
「エレオノーラが知っているのはアミッド帝国式で、私が知っているのは一万年程昔の亡国のマナーですからね。伯爵やその周囲の者が洞察力に優れていたら、些細な違いに気がついて無用な誤解が生じるかもしれません。
代わりに、チプラスに聞いてみてはどうです? 彼が潜入していたのはオルバウム選王国の商業ギルド等でしたが、力のある商人は貴族のパーティーにも呼ばれますから」
「なるほど。じゃあ早速――」
「ですが旦那様、その前に一つ確認しておきたい事が。彼女が作っている物は何なのでしょうか?」
チプラスを呼ぼうとしたヴァンダルーを止めて、ベルモンドが尋ねたのはタレアの工房にかけられている製作中の作品だった。
ナターニャやサイモン用の義肢以外にも、ごてごてとした装飾のついた鞘に収まっている剣や、やはり装飾過多な斧、そして手袋や鎖や首輪が置かれていた。
「あら、これですの? もちろんあなた達用の変身杖……と言うか、変身装具ですわよ」
それまで相談に加わらず作業に集中していたタレアがあっさりと答えた事で、ベルモンドの疑問は消滅したのだった。
「旦那様……変身杖は遠慮申し上げたでしょうに……!」
「はい、なので杖以外の形状にしてみました。大丈夫ですよ、変身した後も魔法少女ではないジャンルの形状になるようにしますから」
「今だけは旦那様の『大丈夫』で安心する事が出来ません。……ですがっ、しかしっ!」
「そうね、剣の形で、しかもこうして手作りしているところを見せられると――」
『ヴァンダルー様手作りの、新しい首輪に鎖……! それを受け取らないなんて、考えられないわ!』
魔法少女、特に少女の部分に抵抗がある三人だったが、ヴァンダルーの僕として剣等の装備品や首輪の形状で作られると拒否する事の方に抵抗を覚えるようだ。
「計算通り」
別にヴァンダルーは仲間を全員魔法少女にしようなんて、思ってはいない。ただただ、より優れた装備品を使ってほしいだけなのだ。
「でもっ、色々忙しいし、ビルカインや転生者の誘き出しも兼ねた作戦中に作らなくても!」
「まあまあ、エレオノーラも遠慮せずに。俺の呼び方が『ヴァンダルー様』から『ヴァン様』に変わった記念ということで」
「記念って、使い魔王を通じて前から知っている筈でしょ!?」
「直接言われると、聞こえ方とか色々違うものがあるのです。
バスディアの斧以外は完成までもう一工程必要なので、ちょっと付き合ってください。フィッティングを済ませておきたいので」
「それよりも、伯爵のお茶会に備えて付け焼き刃でもマナーを学んでおくべきではないでしょうか!? 明日は午後から孤児院にも行くのでしょう!?」
「ベルモンド、大丈夫です。同時進行ですませますから。俺はチプラスからマナーを学びます」
『俺達はこっちでフィッティングです。ベルモンドはこの長手袋と首輪を』
『エレオノーラはこの剣と首輪です。剣は手に持っても、腰に下げても大丈夫です』
『アイラは首輪と鎖ですよ。新しいのに変えましょうね~』
たちまち四人に増えるヴァンダルー。マナーを教わる際所作を身に付けるには肉体があった方が良いので、霊体の分身がベルモンド達の装具を調整するために残った。
それに逆らう事が出来ず、身に着けて行くベルモンド達。……アイラはもう「堕ちた」顔をしていたが。
それを見ていたナターニャは顔を青くして、ダルシアに話しかけた。
「あのさ、ダルシアさん。もしかして、オレもそのうち首輪とか着けないといけないのかな?」
獣人種にとって首輪は師弟の関係にはとても納まらない、主従に関する重い意味がある。更に男女の場合は特殊な意味まで含まれる。だから聞いたのだがダルシアは苦笑いを浮かべて、「不安に思わなくても平気よ」と答えた。
「最近はヴァンダルーも慣れてしまったけど、首輪はアイラさん達が欲しがった結果で、進んで人に勧めているわけではないから。それに、あなたの場合は変身するのに義肢があれば十分なはずよ」
「えっ!? この義肢って変形するのか!?」
首輪は別につけなくて良いと知って安堵したナターニャだが、続くダルシアの言葉に驚いて自分の義肢を確かめる。
「その義肢はまだ変形しませんわ。でも、今作っている義肢は変形しますわよ。私とヴァンダルー様の合作……楽しみに待っていなさい」
ホホホと笑うタレアに、ナターニャは頬を引き攣らせた。今はただの金属製の義肢を動かすだけで疲れている自分が、そんな高度な義肢を使いこなす事が出来るのだろうかと。
(修行の時も思ったけど、オレ達に対する師匠の期待が大きすぎないか!? サイモンがB級以上を目指すって言ってたけど、A級相当の実力がないと無理だ!)
そう内心で絶叫するナターニャだったが、ダルシアが彼女の手を取って言った言葉が更に彼女を追い詰める。
「さあ、私達はチプラスさんからマナーを教えて貰わないと。付け焼き刃だけど無いよりずっとマシよ、きっと」
当然だが、ナターニャに貴族のまどろっこしくて実用性に欠ける……つまり上品なマナーの心得は存在しない。しかもそれを、義肢を操作しながら覚えなければならない。
「ぜ、絶対修行より難しいじゃないか、それ!」
この日、ナターニャは五つのカップの取手を折り、七枚の皿を割る事になったが……その度にヴァンダルーの【ゴーレム創成】や、ダルシアの【再生の魔眼】が直してしまうので、チプラスのマナー講習は夜まで滞りなく続くのだった。
翌日、ヴァンダルーの家の前にモークシー伯爵家の家紋が描かれた馬車が迎えに来て、ヴァンダルーとダルシア、そしてナターニャとユリアーナを乗せて行った。
ちなみに、昨日の内にサイモンにも伯爵家からの招待について話したのだが、自分の名前が無い事を理由に断った。
「絶対無理ですって。俺みたいな人相の悪いスラム暮らしの男に、お貴族様のお茶会何て! ヘマやらかして領主様を怒らせるのが関の山だ」
そう言って残るサイモンをナターニャは「裏切り者~っ」と睨んでいた。今頃、彼はファング達と共に自主練習に励んでいる筈である。
そして内装は豪華だが、乗り心地はサムよりも格段に劣る馬車に乗り、やって来た伯爵家の屋敷の離れで細やかなお茶会が開かれた。
招待客はやはりヴァンダルー達だけで、もてなす側もアイザック・モークシー伯爵本人と、その使用人が数人だけ。彼の妻や子供達の姿は無い。
彼には妻が三人と、子供が何人かいるはずなのだが。
「本日は急なお招きに応じてもらい、感謝する。ダルシア・ザッカート、及びヴァンダルー・ザッカート、ナターニャ、そして――」
アイザックは貴族と平民と言う関係にしては丁寧にダルシアとヴァンダルーへ挨拶を交わす。ヴァンダルーがザッカート姓を名乗ったので、ダルシアもそうだろうと推測したようだ。
そしてナターニャの隣でゆったりとした椅子に背中を預ける様に座っているユリアーナに視線を移し、目に困惑を浮かべる。
「ユリア……殿で宜しいのかな?」
アイザックは当然だが、アルクレム公爵家の一員であり騎士として活躍していたユリアーナと面識があった。年に一度、夜会で短い挨拶を交わすかどうか程度の知人未満の面識だったが。
だからユリアーナの顔をアイザックは知っていた。その記憶によれば、椅子に座っているのは明らかにユリアーナ・アルクレムだ。切断された四肢と膨らんだ腹を包む、ゆったりとしたドレス姿を見なければ疑う要素は無い。
しかしその顔つきは虚ろで、アイザックが声をかけても視線を向ける様子もない。
冒険者ギルドのギルドマスター、ベラードからの報告には、「かなり危ういが言葉を交わす事が出来る」とあったのだが。
「申し訳ありません、領主様。彼女の状態はとても不安定でして、今は会話するのも難しいかと」
だが、ヴァンダルーがアイザックにそう答えると、納得して頷いた。
アイザックは人の精神について深い知識がある訳ではないが、ユリアーナの状態を考えればそんな症状があらわれても無理は無いと思ったのだ。
「なるほど。そのような状態なのに無理に招待してすまなかった」
「いえ、お気遣いありがとうございます」
実際には、既にユリアーナの魂は彼女の体内に産み付けられた卵の一つに疑似転生しているのだが。
「彼女の事はともかく……本日お招きに預かったのはどのようなご用件でしょうか?」
「……うむ。非公式の場で済まないが、我が領に仕える衛兵と、家から出た身とは言え叔父がしでかした事に、遅まきながら謝罪をしたい」
そう言い、普通の平民なら驚くべき事にアイザックはヴァンダルー達に向かって頭を下げた。
実際、ナターニャと給仕をしている使用人たちは彼が頭を下げた事に驚いている。ヴァンダルーも、多少だが驚いていた。
(確か、普通の貴族は平民に頭を下げる事は滅多にないはず。それなのに頭を下げたということは……静かにしているつもりだったけれど、相当プレッシャーをかけてしまったか。
生え際が後退しているのは、俺のせいではないと思うけど)
そうヴァンダルーが考えている間に、アイザックはアッガーを重罪人として手配した事、そしてヨゼフは厳しい取調べの後、モークシー伯爵領から追放される事になるだろうと説明した。
「商業ギルドは勿論、我が伯爵領と隣接する領にあれの居場所は無い。何処かのスラムに隠れ住むか、町を出てそのまま他の公爵領へ移り住むか……楽な余生は過ごせないだろう」
大体はヴァンダルーが推測した通りで、ヨゼフは弁解の機会も与えられないままアッガー達を唆した罪……誘拐を企てた黒幕として処罰されるそうだ。
それを聞くと哀れだなと思うが、情報によると商人を志す数多くの若者にヴァンダルー達にしたのと同じような嫌がらせをしたり、若い頃は立場の弱い女性を脅して愛人として囲ったりしていたそうだ。
本来なら領主から組合員を庇うべきギルドが動かないのも、そうした事情があるらしい。
『商業ギルドからすれば、ヨゼフは伯爵家から押し付けられた厄介者という感覚でしょう。今回の事は、伯爵家の問題だと考えているのかもしれませんな』
チプラスが念話でそう言うが、それがギルドの本音かもしれない。
「それで、今後は嫌がらせの類は無くなると思うが――」
「はい、今後も今まで通り、母と共に商売に励もうと思います」
ヴァンダルーがアイザックの言葉を遮るようにしてそう言いきった。今まで通り……つまり、あの歓楽街の裏路地で、問屋を通さず自分で食材を狩り、屋台を経営していくという宣言である。
別に、ヴァンダルーは問屋に対して恨みがある訳ではない。単に、今更普通に商売するのは彼らにとって都合が悪いというだけだ。
あの裏路地から移動して表通りの、それこそ各種ギルドの支部がある一等地に屋台の営業場所を移すと言われても……傘下に加わった他の屋台は連れて行けない。それに、表通りの屋台の横にヘルハウンドのファングを待機させたら苦情が殺到するだろう。
それに他の屋台との軋轢が新たに生じるかもしれない。
食材についても同じだ。
今屋台で出している肉は、ランク3のオークやヒュージギーガ鳥、それ以上に高い肉だ。それを安い値段で串焼きにしている。ソースも今では香草、ワインベース、胡桃の三種類。
それが可能なのはヴァンダルー達が食材を独自に入手し、加工しているからだ。もし問屋を通して仕入れたら、販売価格は三倍以上に跳ね上がってしまうだろう。
そして食材を自分で狩って手に入れるついでに町の外でサイモンやナターニャ、ファング達の訓練をしているのだ。街の外に出にくくなるのは歓迎できない。
「ふむ、そうか……最近は傘下の屋台も増えているそうだが、そのせいか?」
「それもあります」
最初は同じ裏路地で営業している屋台だけだったのだが、今では他の裏路地で営業していた屋台の店主や、スラムで営業している酒場の店主もヴァンダルーの傘下に入りたいと集まっていた。
彼らは別の場所で、最初にヴァンダルーの傘下に入った屋台が売っていたのと同じような商品を、同じような値段で売っていた。
だがある裏路地で、それまでと同じ値段のまま美味いゴブリン肉のスープやコボルト肉のサンドイッチが食べられると噂が立ち、客足が激減してしまったのだ。
それも当然である。モークシーは街と言っても、『地球』の大都市のように広大ではない。人口は約三万人で、歓楽街とスラム街はその一部にすぎないのだ。
距離が離れていても歩いて十数分程度であり、同じ値段で美味い物が食べられるのなら、足を延ばしてヴァンダルーの傘下の屋台に買いに来る客が多かったのだ。
そうして困った屋台や店の経営者達は、ゴブゴブやコボルト肉の秘密を探ろうと悪巧みをする事無く、ヴィダの聖印であるハートマークを掲げてヴァンダルーの傘下に入る事を選んだ。
これは、歓楽街の顔役である『飢狼』のマイケルに睨まれたくないという理由が大きい。彼は少額のショバ代を払えば見回りの用心棒を派遣してくれると言う、今までの搾取しかしなかったチンピラとは異なる存在だ。そのお蔭で食い逃げや泥棒、強盗の被害に遭う割合が激減し、裏路地の治安は明らかに向上している。
その彼の庇護下から外されたら、これまで用心棒によって追い払われていた無法者が殺到するのではないか。それを恐れたのだ。
それに派遣されてくる用心棒の評判も悪くない。『飢狼』の手下であるチンピラ達の行儀や身だしなみが、何故か日に日に向上しているからだ。
これはマイケル……マイルズが、手下達が馬鹿な事をしてヴァンダルーを怒らせるような事が無いようにと、躾を厳しくしたからである。
結果的に歓楽街とスラムでの『飢狼』の存在感は増しており、そんな『飢狼』の影響下から出る事にヴァンダルーは魅力を感じなかった。
「つまり……今のままの方が全て順調だから、今まで通りの方が良いということか。分かった、商業ギルドの方へは儂が話を通しておこう」
「感謝致します、領主様」
本当に助かるので心から感謝して頭を下げるヴァンダルー。その後頭部に、再びアイザックの声がかかった。
「それで、傘下の屋台の幾つかで販売しているゴブゴブについてだが――何時、いや、何処のグールから製法を聞き出したのだ? この町の周辺の魔境に住むグールか……もしかしてハートナー公爵領や、サウロン公爵領のグール、かね?」
この質問にヴァンダルーは頭を下げたままの姿勢で数秒硬直した。その後頭部を見つめるアイザックは、胃が痛くなりそうな緊張を覚えている。
グール。それは数年前まではただの人型の魔物の一種だった。しかし近年起きている選王国内での大事件の影には、グールのある痕跡が残っている事にアイザックは気がついた。
きっかけはただの偶然だ。ベラードから、ユリアーナやミノタウロスに関する報告を受けた席で、最近グールの素材や魔石が急に取れなくなったと聞いた。
ベラードはそれを、ミノタウロスが母体にするためにグールの集落を襲ったせいだと推測していた。だがアイザックは違和感を覚え、そして思い出したのだ。
ハートナー公爵領やサウロン公爵領で不可解な事件が起きた後、グールが大規模な討伐が行われた訳でもないのに、姿を消している事を。
(グールが姿を消した事には、誰も注目しておらん、ハートナー公爵の城が傾き、スキュラ自治区が謎のアンデッドの集団に占拠された大事件の影に隠れているし、どの公爵家も調査しようとはしていない。
グールの素材は他の魔物の素材で代替が可能だからな。だが……不自然に姿を消しているのは事実だ。
それにこの者が関わっているのではないか?)
アイザックのその考えは、暴論未満の妄想である。思いついてからわずか数日で、詳しい調査もまだしていない。裏付けも何も無い、直感的にそう思っただけという代物だ。
だと言うのにそれをヴァンダルーに匂わせて尋ねたのは、そうしなければならないと感じたからだ。ハートナー公爵領やサウロン公爵領で起こったような大事件が、もしモークシーの街で起きたら……アルクレム公爵領全体は耐えられても、街は耐えられるか分からないのだから。
なので出来るだけ友好的な空気を演出し、話の分かる領主として、彼に尋ねて引き出そうとしているのだ。
「いえ、領主様がおっしゃった土地のグールから教わった知識ではありません」
そして顔を上げたヴァンダルーはアイザックに対してそう答えた。
「そうか。近年、グールがいなくなった土地では大きな禍に襲われているようだが……最近、この街の周辺からもグールの姿が消えていてな。何かの前触れだろうか?」
「そうでしたか。冒険者ではないので、魔物の生息数については少々疎くて……しかし、禍が起こるとも限らないのではないでしょうか」
「……もし、街に大きな事件が起きたら、解決に力を貸してくれるか?」
「私は一介の商売人に過ぎず、最近では『屋台王』、『天才テイマー』と呼ばれてはいますが、若輩の身。英雄豪傑には遠く及びません。しかし、街の人々の為なら微力を尽くしましょう」
「その言葉を信じても良いのだな?」
「領主様は勿論、このモークシーの町と人々は私と母に大変良くしてくださいました。暮らし始めて一カ月と経っていませんが、愛着を覚えつつありますので」
「そうか、それは何よりだ……!」
ヴァンダルーの言葉を聞くと、アイザックはそう言い終るや否や崩れるように椅子に腰かけた。何時の間にか背中は冷や汗で湿っており、喉はからからに乾いている。
だが欲しかったもの……言質を引き出せたという確信が、緊張を安堵に変える。
ヴァンダルーの後ろではダルシアとナターニャも、緊張感から解放されて安堵の溜め息をついていた。
だがヴァンダルー本人は普通だった。
(何故か、伯爵の俺に対する印象が、実際の俺から大きく乖離しているのを感じる)
グールについて質問された事自体は驚いたが、そこから続く会話は、ヴァンダルーにとっては駆け引きでは無くただ「嘘ではないが真実でも無いだけの、日常会話」だった。
ゴブゴブやコボルト肉の蒸し焼きについて教わったグールは、ミルグ盾国の魔境に住んでいたザディリスやバスディア、ヴィガロ達だ。オルバウム選王国のグールからでは無い。
魔物の生息数についても詳しくはないし、今のところモークシーの町は勿論アルクレム公爵領全体に何かしようとは考えていない。
町に愛着を覚え始めているのも本当だ。
アイザックに対しては密偵達がアッガーを逮捕しようとする際に、誘拐を未然に防ぐのではなく孤児院に入ってから逮捕しようとした事に若干不快感を持っていたが、一日時間が空いて頭が冷えたのと、実際に話した事でそれは消えていた。
(この人は話せる貴族だ。これからも友好的な関係を維持していきたい)
アイザックが考えるよりもずっと、ヴァンダルーはチョロい性格をしているのである。
伯爵家でのお茶会はその後もヴァンダルーにとっては何事も無く進んだ。
ナターニャの義肢についても話題になったが、実験的な試みをしていると話すとアイザックはそれ以上質問しようとはしなかった。
その後はヴァンダルーよりもダルシアの方にアイザックは話しかけていた。彼女のヴィダの信仰について聞きたかったようだ。
その間ヴァンダルーとナターニャは出されたお茶とお菓子を楽しんだのだが……『地球』のそれと比べると、とても個性的だった。
伯爵家の牧場で朝搾られたばかりの牛乳を使用したミルクティーは良かったのだが……柔らかいパンの上に強烈な酸味のフレッシュチーズを乗せ、更に激甘なシロップをたっぷりかけた菓子は、慣れるのに時間が必要だろう。
「多分、新鮮な牛乳を使ったフレッシュチーズと、砂糖を大量に使ったシロップを使うのが伯爵家の富を表すのでしょうね。それが伝統として残っていると」
お茶会から帰ったヴァンダルーは、そう分析しながら孤児院に向かっていた。
何でも明日、ヴィダに感謝し春が早く来るように祈るための祝祭を行うので、その準備を手伝ってほしいそうだ。去年まではやらなかったのだが、これもヴァンダルー達が行った寄付の影響である。
『ヴァンダルー様、別に手伝わなくても良いのでは? あのマッシュや他の子供達に誘われただけで、屋台の準備もあるでしょうに』
チプラスはそう言うが、ヴァンダルーは準備に参加するのに乗り気だった。
「チプラス、確かにそうですが……俺は『同世代の友達とイベントの準備をする』と言うシチュエーションが大好きです」
『地球』での学校行事はほぼ苦行でしかなかったが、『ラムダ』では違う。そのためヴァンダルーは行事には準備から関わる事を好んでいた。
「それに、大した手間ではないですから。霊体の分身や使い魔王を使えない分面倒ですが、孤児院の礼拝堂を飾りつけるだけです」
飾りの量も多くはないし、子供達も手伝うので、すぐ終わるだろう。
そう言いながらヴァンダルーが孤児院に着くと……違和感と妙な気配を覚えた。周囲に、見覚えの無い霊が漂っている。昨日まで孤児院の周りには……このモークシーの町には存在しなかったはずの霊達だ。
それがヴァンダルーに対して、言葉にならない声で危険を訴えている。
「……侵入者は?」
配置してあるアンデッドやゴーレム等使い魔の記憶を探るが、孤児院に外から入った者はいない。
血の臭いは勿論、悲鳴もしないが……それにしては霊達が騒いでいる。
「お、来たな! 早く入れよ、ヴァンダルー! 皆待ってるぜ!」
その時、マッシュが孤児院の門の内側からヴァンダルーを見つけて声をかけてきた。マッシュの様子は昨日までと何の違いも無い。だが、その声に応えてはならないと霊達が彼を止めようとする。
「……分かりました。大丈夫、備えた通りにやりましょう」
だが、ヴァンダルーは霊達にもそう声をかけてから、マッシュが招くままに孤児院の中に入った。
孤児院の礼拝堂の中は、明日の祝祭に備えた準備は全くされておらず、代わりに院長やセリスやベストラ達シスター、そして孤児院の子供達の内半分程が整列している。
「いらっしゃい、ヴァンダルーさん」
「よく来てくれたわね、助かるわ」
「お兄ちゃん、あたしのブライアンが新しい芸を覚えたんだよ!」
彼女達は昨日までと同じ様子でヴァンダルーに笑いかける。ヴァンダルーの横に立ったままのマッシュも、笑顔を浮かべている。
そしてヴァンダルーが見覚えの無い紅い瞳をした四人と、見覚えのある男が待ち構えていた。
「ようこそ、ヴァンダルー・ザッカート。私の人形達の家へ」
そう爽やかな笑みを浮かべるビルカインに、ヴァンダルーは応えた。
「……用件は何ですか?」
まず、マッシュやシスターセリスがどんな状態にあるのか、聞き出さなければならない。
○二つ名解説:聖女
それらしい行いや偉業を達成したり、権威のある神殿から認められたりした者が獲得する二つ名。類似する二つ名に、聖人、聖者、聖少女、聖母等がある。
獲得すると同じ神やそれに近しい神々を信仰する者に対してカリスマ性を発揮し、また布教等の宗教活動を行う際に有利な修正を受ける事が出来る。
また、【御使い降臨】や【能力値強化:信仰】等のスキルを獲得しやすくなる。
通常、既に【聖人】や【聖母】の二つ名を獲得している者が、改めてこの二つ名を獲得する事は無い。
ダルシアの場合は境界山脈内部及び魔大陸と、オルバウム選王国の間に交流が無く情報の行き来がない。そのため彼女を【聖母】と認識する者達と、【聖女】と認識する者達が同時に、尚且つ別々に存在した結果である。
10月27日に220話を投稿する予定です。
二百十六話のタレアのステータスを若干修正しました。ご迷惑をおかけします。