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四度目は嫌な死属性魔術師  作者: デンスケ
第十章 アルクレム公爵領編
264/515

二百十四話 信じる者は救われてしまう

 あの講演を聞いてから二日後、彼の姿は町の外にあった。

 思えば、モークシーの町から出たのは何年ぶりだったろうか? 厳密に言えば町を守る壁の補修手伝いの依頼を何度か受けたから、実際にはそれ程の年月は経っていないのかもしれない。


 しかし彼には十年ぶり以上に感じた。冬の冷たい風も心地良い。昨日から積もった雪を踏みしめる感触を味わう度に、あの頃を思い出させる。

 そして漂う血の臭いと、命を失った死体が転がっている光景がどうしようもない程愉快だった。


「そうだ、俺はまだやれるんだっ。終わってなんかねぇ、片腕でも、ゴブリンくらいやれるんだ! くく、はははッ!」

 左腕に持った肉厚の剣に付いた血を苦労して拭いながら、サイモンは笑みを零した。


 ここ最近、サイモンの懐はヴァンダルーからの使いの報酬で温かかった。彼から渡される魔物の討伐証明部位の数と質は、日が経つごとに上がったからだ。初日はランク1から2だけだったが、二回目にはランク4のコボルトジェネラルまで混じっていた。

 それだけで日雇い仕事一週間分の収入なのに、他にも袋の中にオークやゴブリンリーダー等ランク3の魔物も複数あった。


 彼が現役で、パーティーを組んでいた頃でもこれ程の数の魔物を一日で狩った事は無い。それは素直に凄いと思う。

 その彼の成果を冒険者ギルドに運ぶだけで、半分を受け取る事が出来る。たいした労力も無く、危険も冒さず、十分すぎる金が手に入る。幸運だと思う。

 しかし、サイモンにとって幸運なだけでは無かった。


 冒険者ギルドに出入りする度に、嫌な視線を向けられるのだ。

 これまでも日雇い仕事を受けるため、サイモンは冒険者ギルドに定期的に通っていた。その時隻腕の彼に向けられるのは、憐憫や嘲笑の視線だ。


 冒険者になって三年目の十代後半になった頃。やっとまともな装備を買い揃え、D級へ昇格するための試験に合格してこれからという時にサイモンは利き腕を肩から失った。

 その衝撃は大きかったが、彼もすぐに諦めた訳ではない。モークシーには腕の良い錬金術師も居たため、何とかマジックアイテムの義手が手に入らないかと、当時パーティーを組んでいた仲間と奔走したのだ。


 性能が良いマジックアイテムの義手があれば、日常生活を送るのに不自由が無いのは勿論、まだ冒険者として戦える。

 だがマジックアイテムの義手を購入するのに必要な金額は、性能が悪い物でもサイモンたちが想像していた金額の十倍以上が必要だった。


 当時まだD級冒険者になったばかりのサイモンには、まとまった額の貯蓄は無い。仲間全員の財産をかき集めても、頭金にも満たなかった。

 ギルドから借金しようにも、D級冒険者になったばかりのサイモン達に大金を貸せる訳も無い。


 それでも暫くは諦めずに奮闘した。左腕で剣を使えるように訓練をし、他の役割……盾職への転向や魔術の習得を試みた。

 だがそれらは上手く行かず、サイモンは足手まといになるとパーティーから抜けた。仲間達はその後モークシーから去り、そのまま名前も聞かないのでどうなったのか分からない。


 名を上げる前に死んだのか、別の公爵領でC級ぐらいに昇級して程々に活躍しているのか、冒険者を辞めて他の職に就いているのか。ギルドで聞けば教えてくれたかもしれない。しかしサイモンは調べようとはしなかった。


 この町に一人残ったサイモンは惰性で生きていた。最初の頃は他の冒険者のポーター……荷物持ちをしたり、生産系の職に就こうとしたり、真っ当な人間として生きて行けるよう努力していたと思う。

 しかし何時の頃からか酒の量が増え、住んでいる場所が表通りの安宿からスラム街の廃屋に移り、身だしなみにも最低限しか気にしないようになっていった。


 そして気がつくと昔使っていた剣や鎧は生活費の為に消え、すっかり「スラムに棲みついた落伍者」になっていた。

 彼が現役の冒険者達から憐れまれ、嘲笑されるのは無理も無い事だろう。


 そんなサイモンが大量の討伐証明部位を冒険者ギルドに持ち込んだのだ。目立たない訳がない。そのため冒険者ではないがテイマーで、屋台で使うための食材を自力で狩り集めているダンピールの少年に彼が雇われている事も、すぐに広まった。


 冒険者では無いヴァンダルーが食材とはいえ、素材を自力で集めてしまう事は冒険者ギルドから見ればあまり喜べない状況だ。

 事情を知らない依頼者が、「冒険者でもない子供が狩る事が出来る魔物の討伐に、何故こんな高い依頼料を払わなければならないのか」と言い出しかねない。


 そうでなくても、既得権益を侵されるのは面白くない。

 しかし当然だがヴァンダルーは冒険者ギルドに来ないので、その使いのサイモンにギルドからの不満が圧し掛かって来る。

 それとなく食材の調達を冒険者ギルドに依頼するか、冒険者登録をするようヴァンダルーに伝えろと言われた事もある。


 そして現役冒険者が彼に向ける視線は、嘲りから侮蔑へと変わった。上手くヴァンダルーに取り入り、利用して甘い汁を吸っていると思われているのだ。

 ……事実、甘い汁を吸っているので言い訳は出来ないが。


 だが嘲りも侮蔑もこの十年でサイモンはすっかり慣れていた。だからその場では不快に感じても、気にする事は無かったのだが……ダルシアの講演を聞いて思ってしまったのだ。

 生きてさえいれば、人はやり直せる。なら自分もあんな扱いを受けなくて済む、まともな冒険者としてやり直せるのではないだろうかと。


 気がつけばサイモンは金を持って酒場では無く、武器屋に向かっていた。そこで剣を一振り買って、二日鈍りきった身体を動かした。

 そして今日、町をヴァンダルーと鉢合わせしないようにタイミングを計って町を出て、魔境の外で一匹だけでうろついていたゴブリンを見つけては、狩っていた。


「へへっ、この分なら、一月もすれば……ランク2までは行ける。後は昔の勘を取り戻して、左腕でも戦えるようになれば……ランク3だって夢じゃねぇ」

 冒険者として稼ぎ、生活するためにはやはりランク3以上の魔物を狩れなければ苦しい。スラムで生活するにはランク2のまででも十分だが、この身体で危険な仕事を熟した結果が今までと変わらない生活では意味が無い。


 目標を見据え、それに近づいている事を実感して笑うサイモンだったが、額には汗が浮かび呼吸する度に肩が上下していた。


 長年の不摂生による体力の低下は、本人が思っているよりも深刻だったようだ。

 この世界にはステータスシステムが存在し、スキルがある。そしてスキルは、一度獲得すれば生涯に渡って有効だ。

 だがそれは、スキルの所有者自身の身体がどんな状態でもレベル通りの実力を発揮できるという事ではない。


 筋力が衰えれば剣を振るう速さや力が損なわれるし、勘が鈍れば剣捌きも鈍るのだ。

 しかしサイモンは自分の状態を顧みず、ゴブリンの耳を切り落とし、そして不器用ながらゴブリンの解体を始める。


「まさかゴブリンの肉を態々持って帰る事になるとは思わなかったぜ。へへっ、これであのガ……ヴァンダルーさんにも俺がパシリだけじゃないって見直させ――!?」

 はっとしたサイモンは、ゴブリンの死体から離れて剣を構えた。その視線の先には、狼の群れがいた。


「狼……クソ、血の臭いに誘われて来たのか」

 現れたのは、魔物ではない普通の狼である。魔境の外で活動していた狼達が、サイモンが解体している途中のゴブリンの死体に誘われて現れたのだ。


 数は十頭よりも少ない程度で、どの狼もやせ気味に見える。恐らく冬で十分な得物を取れてないのだろう。それでサイモンが倒した魔物のおこぼれに預かろうとしているのだ。

(分が悪い……ここは引くしかねぇ)

 サイモンはそう判断して、狼を睨みつけたままゆっくりとゴブリンの死体から後ずさって離れる。


 狼は魔物ではないが、ランクに当てはめれば2であり、それが十頭弱。とても今のサイモンが追い払える相手ではない。

 ただ幸運な事に魔物では無いので、狼は人間を殺す事に拘らない。ゴブリンの死体をくれてやれば、戦わずに済むはずだ。


 そうサイモンは思ったが、狼たちは違う判断をしたらしい。ゆっくりと遠ざかろうとする彼を囲むように群れを展開させた。それを見たサイモンの顔が引きつった。

「こいつ等、俺を簡単に殺せると思ってやがるのか!」

 狼たちはゴブリンの死体だけでは無く、隻腕で疲労した様子のサイモンも獲物に定めていたのだ。


 サイモンの叫びにタイミングを合わせたかのように狼が牙を剥き、群れの中の一頭がまず彼を押し倒そうと襲い掛かる。

「く、クソっ、【即応】! 【一閃】!」

 何年振りかに発動させた武技で反応速度を上げ、最初に飛びかかって来た狼の頭に向かって剣を一閃させる。


「ぐぅっ!?」

 だが剣を振るった腕から痛みが走り、サイモンの攻撃は狼からずれてしまった。咄嗟に狼のタックルを回避しようとするが、足がもつれて転倒してしまう。


(な、何でだ!? 武技は発動したはずなのに!?)

 反応速度が上がった事で、サイモンの目には倒れた自分に圧し掛かろうとする狼の姿がはっきり見えた。

 サイモンが思った通り、武技は発動していた。だが衰え筋力が落ちていた腕が、剣を素早く【一閃】させる事に耐えられずに痛みを訴え、やはり衰えていた脚が武技で上げた反応速度に対応する事が出来ずにもつれてしまった。


(そんな!? 俺はこんな所で終わるのかよ!?)

 狼が自分を噛み殺す為に首に迫るのを見て、サイモンは叫び声をあげた。

「た――」

「ヂュ~っ!」


 低いネズミの鳴き声に似た鳴き声と同時に、サイモンに圧し掛かっていた狼が「ギャイン!?」と悲鳴をあげて吹き飛んだ。

 驚くサイモンの視界に映ったのは金属質な光沢を放つ長い尻尾と体毛を生やした巨大なネズミだった。


「な、魔物? だがネズミってまさか……」

「ヂュウゥゥゥ!」

「ギィィィィ!」

 サイモンが起き上がる前に、左右から熱気と冷気を感じた。次の瞬間、炎の弾で狼の一頭が焼かれ、冷気の弾で氷漬けにされた。


 そして燃え盛る炎を纏っているネズミと、逆に冷気を漂わせる液体を纏ったネズミが左右から現れる。

「三匹って事はやっぱり……」

「GUOoooooo!!」

 誰に助けられたのかサイモンが理解すると同時に、空気を震わせる恐ろしい咆哮が響いた。数を減らした狼の群れは、悲鳴をあげて逃げ出す。


「言い遅れましたが、助太刀しました」

 そして珍しい灰色の毛並みをしたヘルハウンドの背に乗ったヴァンダルーに声を掛けられて、サイモンは自分が助けられた事を確信し、安堵の溜め息を吐いた。




 ヴァンダルーがサイモンの危機に駆けつけられたのは、偶然であった。昨日はダルシアと狩りをしたので、今日はファング達のレベリングをみっちりするためいつもより早めに狩りに出かけ、そしてランクアップも達成したので帰る途中に、偶然通りかかったのだ。


「なるほど、それでゴブリン狩りを」

「ええ、年甲斐も無く熱くなっちまって……」

 事情を聞いたヴァンダルーは、疲労が抜けず座り込んでいるサイモンの腕に触れながら話を聞き出していた。


「恥ずかしい話、今でも足の震えが止まらなくて……情けねぇ」

「ブランク、相当長いのでしょう? なら無理もありませんよ。それに疲労もあるようですし」

「ええ……でも、こうして坊ちゃんと話しているだけでだんだん楽になって来ました。へへ、これじゃあどっちが年上か分かりゃしない……」


「だから、それは疲労が回復しているだけですって」

 ヴァンダルーは嘆くサイモンにそう言葉をかけた。実際、ヴァンダルーは【幽体離脱】で出した霊体を彼の腕から体内に侵入させ、霊体による診断とマッサージ、融合による治癒力の強化を行っていた。


 本来ならサイモンに受け入れる意思があるか、逆に意識不明でなければ霊体を侵入させる事は出来ない。だが今の彼は精神的に落ち込んでおり、抵抗する気力が全く無いのでこっそり治療する事が可能だった。

(腕は筋を痛めただけ、後は掠り傷。内臓は長年の不摂生のせい。脳は……むぅ)

「ところでそっちのファングと、たしかマロル、ウルミ、スルガでしたっけ。随分姿が変わってますが、ランクアップですかい?」


 ヴァンダルーの霊体に体内から癒されると同時に頭の中まで探られているとは知らないサイモンが、ファング達に視線を向ける。

 視線を向けられたファングはヴァンダルーの横にお座りの姿勢で待機し、マロル達は狼の内臓を貪り食っている。


「ウォン」

 ブラックドッグだったファングは、ランク4のヘルハウンドにランクアップしていた。身体の大きさは牛程になったが、毛の色が変わっていない。

 ヘルハウンドは冒険者達の間ではよく知られた魔物で、炎の息と犬とは思えない獰猛さと凶暴さで有名だ。そのため、腕利きのテイマーでもテイムするのは難しいとされている。


 だが犬からランクアップを繰り返してヘルハウンドになったファングには凶暴さは無いように見えた。……咆哮をあげていた時は、正体を察していたサイモンでも思わず竦みあがるほど恐ろしかったが。

 今彼の足が震えている理由のいくらかは、ファングのせいかもしれない。


 だがブラックドッグからヘルハウンドにランクアップしたファングよりも、マロル達に起こった変化は劇的だった。昨日まで彼女達は、三匹ともランク3のマーダーラットだった。

 鋭い前歯で人間を捕食する貪欲な魔物で、ネズミ系で知られている種族では最強とされる魔物だったのだが……今のマロル達は明らかにマーダーラットではない。


「「「チュゥウゥン☆」」」

 話題が自分達に向いていると気がついた三匹は、狼の内臓を貪るのを止めてサイモンに向かってあざとい鳴き声をあげて見せた。

 口元が血で真っ赤だが。


「はい、それぞれファングと同じランク4にランクアップしました。マロルは火鼠、ウルミは濡れ鼠、そしてスルガは鉄鼠(てっそ)らしいです」

 種族が変わったマロル達は、それぞれの毛皮を名前通りに変化させた。マロルは炎を、ウルミは液体や冷気を纏い、スルガは毛皮その物を金属に匹敵する硬さに変える事が可能なようになった。


 元がただのネズミとは思えない変異っぷりだ。

「聞いた事がありますか?」

「いや……知りやせん。この辺りには居ないのか……もしかしたら新種なんじゃ!? だったらテイマーギルドや冒険者ギルドに報告すれば賞金が手に入りますぜ!」


 そうサイモンが言うところを見ると、恐らくマロル達は新種のようだ。濡れ鼠は兎も角、火鼠と鉄鼠は『地球』の昔話等で妖怪の一種として聞いた事があったので、そうではないかと思っていたのだが。

(そうなると、マロル達が今の種族にランクアップした原因は俺か。『地球』に行って、知識を手に入れたからかな?

 だとすると、もしファングが双子だったら今頃ヘルハウンドでは無く狛犬に変異していたかもしれませんね)


 そんな事を想像している間に、サイモンの腕の治療は終わり、ヴァンダルーは彼から手を離した。

「もうそろそろ大丈夫だと思います。立てますか?」

「ええ、何とか……いや、面倒をかけてすみませんでした。礼と言ってはなんですが、そこのゴブリンとこれを」

 ふらりと立ち上がったサイモンは、自分が倒したゴブリンの死体を指差し、更に剣を鞘に納めてからそれをヴァンダルーに差し出した。


「安物ですが、今持ち合わせが無いもんで……まだ殆ど使ってないから、武器屋なら幾らかで買い取ってもらえると思います」

「良いのですか? 冒険者としてやり直すのでは?」

「ええ、自分の身の程ってものが分かりやした。俺には、この生き方は向いてなかったんでしょう……やり直すにしても、他の生き方でやってみます」


 サイモンは狼に殺されかけた事で、すっかり心が折れていた。ダルシアの講演を聞いて奮い立ったが、その息子に命を助けられたのはきっと運命なのだ。自分は冒険者と言う職業に向いていないと言う、女神の思し召しなのだと、思い込もうとしていた。


 勿論「他の生き方」に心当たりは無い。過去にそうしてやり直そうとして、失敗したのが今の彼なのだから。

 せめて生産系ジョブに就ければ違ったのだろうが……今のサイモンのジョブは【剣士】でレベルは10。次のジョブチェンジまで90もレベルを上げなければならない。

 その上、サイモンは成長の壁にぶつかりレベルが上がり難くなっていた。


 昔の仲間達もせめてジョブチェンジが出来るようになるまではと彼を助けようとしたが、戦闘以外では経験値を殆ど稼げない上に、壁にぶつかってレベルの上がりが亀の歩みより遅いと言う二重苦に耐えられず、サイモンの方から身を引いていた。


「せめて、俺に坊ちゃんみたいにテイマーの才能があれば利き腕が無くても何とかなったのかもしれませんが……こればかりは仕方ねぇ。すみませんが、暫くでいいのでまたパシリにでも使ってやってください」

「いえ、やり直したいなら手を貸しますよ。人生を変えようと思う程母さんの講演に感じ入ってくれたのですし」

 しかしヴァンダルーは彼から剣を受け取ろうとはしなかった。


「えっ? もしかして俺にテイマーとしての手ほどきを!?」

「いえ、それは教えたくても教えられない類のものなので無理です。俺が手伝うのは、あなたが利き腕を取り戻す事についてです」

「俺の腕を!? そ、そっちの方が驚きですが……腕の良い錬金術師に知り合いでも?」


 実はヴァンダルー自身も『腕の良い錬金術師』なのだが、それを置いておいてサイモンへヴァンダルーは話しかけた。

「全てはあなたの努力とやる気次第です。ですが、それさえあれば最高の腕が手に入ると約束しましょう」

 ヴァンダルーにはサイモンに腕を取り戻させる、心当たりがあった。それは勇者ザッカートが創り出した『ラムダ』版万能細胞、『生命体の根源』の使用……では無い。


 あれを使えばサイモンは確かに腕を再生する事が出来る。しかし彼の場合は腕を失ってから時間が経ちすぎていた。脳が右腕を動かしていた事をすっかり忘れてしまい、必要な細胞が無くなっているか、残っていても腕を動かす事以外の機能を果たしている。

 これでは利き腕を取り戻しても、サイモンが腕を動かすには長いリハビリが必要になる。日常生活ならまだしも、戦闘で通用する器用さと筋力を取り戻すのは、何十年かかっても難しいかもしれない。


 ベルモンドの尻尾の時は脳まで回復させることができたが……それは彼女が高い再生力を持つ吸血鬼だったからだ。人種のサイモンの脳に同じことをするのは難しい。


 だからサイモンには、義手を動かす事が出来る最高の秘訣を教えるつもりだ。

「特別な才能や素質は必要ありません、必要なのはただただ結果が出るまで俺の言葉を信じてついて来る事だけです。ただ、後で人から気味悪がられ、好奇の視線を向けられる事になると思います」


 あまり具体的ではないヴァンダルーの説明を、サイモンは真剣に聞いていた。彼はヴァンダルーの事をあまり知らないし、長く言葉を交わしたのも今日が初めてだ。しかしファング達を見れば彼が色々と規格外の存在である事には察しが付くし、何より彼に人生をやり直す決意を抱かせたダルシアの息子だ。

 いい加減な事は言わないだろうという確信があった。


「……元々あんた達親子に会わなけりゃあ、今でも日雇い仕事で何とか食いつなぐだけの死んだような人生だったんだ。

 このサイモン、つまらねぇ命ですがお預けします」


 そう、サイモンが言い終わると同時に彼の中で大きな変化が生じた。

 身体から重さが消えたように軽く思え、頭はすっきりと冴えて全身には力が漲っているのを感じる。

「お、おおっ!? こいつは……あんたについて行くと決めた途端、生まれ変わったような感じだ! 今なら狼だって逆に跳ね飛ばしてやれそうですぜ!」

 立ち上がってその場で飛び跳ねるサイモン。彼はこの瞬間、ヴァンダルーに導かれたのである。


 一昨日ダルシアの講演を聞いて感銘を受けたサイモンだが、その時点ではまだヴァンダルーの導きの対象外であった。

 何故なら、ダルシアが神殿で説いたのはヴァンダルーの人生観や価値観ではなく、境界山脈内で教えられている『生命と愛の女神』ヴィダの教えだからだ。


 ただヴィダを信仰しているだけでは、ヴァンダルーの冥魔創道へ導かれた事にはならないのだ。今のサイモンのようにヴァンダルーについて行くと決意するか、アンデッドのように強く惹かれない限り。

 ……なので、ゴブゴブやコボルトの蒸し焼きについて教えた屋台の店主達は既に導かれていたりする。


「きっと気力が充実したのでしょう。この分なら明日からの修行もがんばれそうですね」

 そしてヴァンダルーはサイモンに、導かれて身体能力が上がった事に驚いていた店主達と同じような言葉をかけて誤魔化すのだった。


「勿論! でも、明日からなんですかい?」

「ええ、必要な物を用意しなければなりませんし……今夜の分の仕込みがありますから」

 しかし屋台の営業も疎かにしないヴァンダルーだった。




 ヴァンダルー達はサイモンを助けるために、獲物を乗せた荷車をその場に置いて駆けつけていた。そのため、町に帰る前に取りに戻る事になった。

 サイモンは他の魔物に荒らされているのではないかと心配したが、大丈夫そうだ。


「何か魔術でも使ったのか……底が知れないお人だよなぁ」

「ワン」

 ヴァンダルー達を待つサイモンが、自分の護衛を命じられたファングに話しかける。

 実際には魔術を使ったのではなく、チプラスに荷車の見張りに残ってもらっただけなのを知っているファングだが、詳しく話はしない。……ランクアップしても人間の言葉が話せるようになった訳ではないので。


 ちなみに、人間嫌いのファングだが自分と同じようにヴァンダルーに導かれた存在に対しては親近感や仲間意識を覚える為、敵意や過剰な警戒心は覚えないようだ。

 ファング自身はそれを、サイモンが外見はそのままに人間ではない別の存在になったからだと解釈していた。


「数日でヘルハウンドになったお前程じゃないが、俺も生き方を変えられるって気がしてきたぜ」

「ワンっ」

 そしてファングにとってサイモンは初めてできた後輩なので、対応は柔らかかった。「その意気だ、後輩」と言うかのように鳴いて励ます。


 だが穏やかな時間は不意にかけられた声によって終わった。

「ヘルハウンドをテイムしているのか。どうやら、腕利きのテイマーらしいな」

 前触れも無く聞こえた声に、ファングが素早く立ち上がりサイモンを庇う。その様子に声の主……ランドルフは感心したように頷いた。


 命令された訳でもないのに主人を庇い、しかし襲い掛かっては来ない。獰猛さと凶暴さで知られるヘルハウンドをよくここまで仕込んだものだと。

 そう、彼はサイモンをテイマーだと勘違いしたのだ。


「い、いや、別に俺は――」

 突然現れた冒険者らしい人種の男に戸惑うサイモンが動揺しながら答える前に、ランドルフは一方的に用件を述べた。

「悪いが、一つ依頼をしたい。この二人を冒険者ギルドまで届けて欲しい」

 そしてランドルフは風属性魔術で浮かせていたナターニャとユリアーナを、自分の背後から前に出してサイモンに見せる。


「なっ!? こいつは酷ぇ……っ」

 布で身体を包まれているが、二人に四肢が無い事は一目見れば分かった。特にユリアーナの方は、サイモンとファングを前にしても、虚ろな眼差しを向けるだけで反応らしい反応が全く無い。


「だったら冒険者ギルドより治癒魔術師の施術院の方が……いや、神殿の方がいいか!?」

「待ってっ、落ち着いてくれ! 傷は大丈夫だからっ、冒険者ギルドまでオレ達を連れて行って欲しいんだ! オレはナターニャで、こっちはユリア……そう、ユリアさんって言うんだ。実は――」


 自分よりも深刻な状態の二人の姿に気が動転しているサイモンに、ナターニャが慌てて事情を話し始める。

 ランドルフはそれを黙って見守っていた。ナターニャにはユリアーナの事を、ミノタウロスの群れに襲われて捕えられた先で出会った女で、『ユリア』と言う名前しか知らない事にするように言ってあった。


 ミノタウロスキングに関しての処理はアルクレム公爵家と都の冒険者ギルドのマスターが行うのでモークシーの町のギルドに報告する必要はない。

 このまま彼女達が、ただの不幸なミノタウロスの犠牲者になってサイモンが依頼を受けるのを見届けたら、そのまま消えるつもりだった。


 だがナターニャの話が終わる前に、ランドルフは背中に氷を差しこまれたかのような寒気を覚えた。

(これは……魔王の欠片が反応している!?)

 はっとして懐のオリハルコンの小瓶……【魔王の欠片】の封印を確認すると、小刻みに振動していた。寄生する宿主も無く、封印されている欠片が何かに反応しているのだ。


 『法命神』がまた日蝕でも起こしたかと空を見上げるが、その様子は無い。

(だったら何だ!? 最近宿主を乗っ取った【魔王の欠片】が境界山脈の方向に向かう事件が起きているのは知っているが……ここはアルクレム公爵領だぞ!? 封印された欠片が反応する程境界山脈に近くはないはずだ!

 いや、原因を考えている暇は無いか)


 ランドルフが施したばかりの【魔王の卵管】の封印は持ち堪えられそうだが、ミノタウロスキングが儀式に使おうとしていた古い方の【魔王の欠片】の封印は、このままだと解けてしまうかもしれない。

 封印が解ければ、欠片は宿主としてヘルハウンドやサイモン、そしてナターニャやユリアーナを狙う可能性がある。


「おいっ、これが依頼料だ。こっちはこの二人への餞別。頼んだぞ!」

 ランドルフはサイモンにミノタウロスから採取した魔石を一つ、ナターニャ達への餞別にミノタウロスメイジの魔石を幾つか渡すと、すぐに風属性魔術の【飛翔】で空に飛んで行ってしまった。


「待ってくれっ! いきなりどうし……ああ、行っちまった。どうしたんだい、あの旦那は?」

「……さあ、どうしたんだろう?」

 サイモンと地面に降ろされたナターニャはランドルフが飛んで行った方向を見上げ、呆然と彼を見送る。その傍らで、ファングが静かに安堵していた。


 彼はランドルフが圧倒的強者である事を感じ取っていたのだ。そのため暢気な後輩に注意する事も思いつかない程、精神的に疲労していた。

「まあ、あんた達を冒険者ギルドに運ぶのはいいが、ちょっと待ってくれ。こいつのご主人様で、俺の……なんだろうな? ボス、先生、師匠……そう、修行をつけてもらうんだから師匠だよな。

 師匠が来るから」


「師匠? こいつはあんたがテイムしている訳じゃないのか?」

「ああ、もうすぐ――お、あれだ!」

 そしてランドルフと入れ替わりになるように、それぞれ別の荷車を引いたヴァンダルーとマロル達が戻ってきた。


「おや? 何かあったみたいですね。事情を聞いても良いですか?」

「はい、師匠! 実はついさっき見覚えのない冒険者がこの二人を連れて現れて――」

「なるほど。ナターニャさんとユリアーナさんですね」

「な、何で名前を!?」

 ナターニャが自分は勿論、誰も言っていないはずのユリアーナの名前までヴァンダルーが口にした事に驚愕の表情を浮かべる。


(俺としては、戻って来たら弟子が増えていた事の方が驚きなのですが)

「とりあえず、残りの話は道中で聞きましょうか」

「分かった、話せる事は何でも話すよ。でも、この人はユリアだ。ユリアーナって名前は、出さないでくれ。頼むよ、助けると思って」

 ヴァンダルーにそう頼み込むナターニャ。それに対して彼は頷いた。


「はい、勿論助けますよ。……なるほど、それは大変でしたね」

 しかしヴァンダルーが主に見ているのはナターニャでは無く、ユリアーナの周囲に漂っている騎士や村娘だったらしい霊達だった。


『ユリアーナ隊長と、隊長が殺されないよう説得してくれたこの娘を助けてくれ』

『オ願イ、助ケテ。ケテ、ケテ、テテテテ……』

『アア、神様……神様、助ケテ……』


「大丈夫、大丈夫、安心してください」

 霊達と、ナターニャにヴァンダルーはそう言って繰り返し頷きかける。元々サイモンを助ける予定だったのだ。一人が十数人から数十人に増えるだけだ。







・名前:サイモン

・種族:人種

・年齢:27

・二つ名:無し

・ジョブ:剣士

・レベル:10

・ジョブ履歴:見習い戦士、戦士



・パッシブスキル

筋力強化:2Lv

気配感知:1Lv

飢餓・病毒耐性:2Lv

精神耐性:2Lv


・アクティブスキル

剣術:3Lv

鎧術:2Lv

限界突破:3Lv

連携:2Lv

解体:1Lv

家事:1Lv




 隻腕の元冒険者、サイモン。スキル自体はD級冒険者としては平均的だが、長年の不摂生のせいで体力が落ち、勘が鈍っている。そのため武技を発動しても正常な効果を発揮できないでいる。

 スラムで何年も暮らしていた為、【飢餓・病毒耐性】を、そして腕を喪った事で冒険者の道を諦めた事と先の見えない生活への絶望感から、【精神耐性】スキルを獲得している。


 【精神汚染】スキルでは無い事が、彼は根が善人で前向きな人物である事を示している。




・名前:ナターニャ

・種族:山猫系獣人種

・年齢:17

・二つ名:無し

・ジョブ:格闘士

・レベル:27

・ジョブ履歴:見習い戦士、戦士



・パッシブスキル

暗視

身体強化:鉤爪:2Lv(喪失!)

敏捷強化:3Lv

気配感知:3Lv


・アクティブスキル

投擲術:1Lv

忍び足:2Lv

格闘術:3Lv

鎧術:2Lv

限界突破:3Lv

解体:1Lv

罠:1Lv


・状態異常

四肢欠損




 山猫系獣人種の女冒険者。等級はD。今までソロで活動していた為【連携】スキル等を身につけていないが、代わりに斥候職のスキルも獲得している。

 ただ両手足が無い為、スキルの多くを使えない状態にある。このままの状態で長く時間が過ぎると、脳が委縮して敏捷強化などのスキルは失われてしまうかもしれない。


 ちなみに、彼女に四肢欠損の状態異常が出ているのにサイモンに隻腕の状態異常が表示されない理由は、サイモンが腕を喪ってから時間が経ちすぎており、腕が無い状態が正常であると認識されているためである。




・名前:ユリアーナ・アルクレム

・種族:人種

・年齢:20

・二つ名:【アルクレムの姫騎士】

・ジョブ:上級騎士

・レベル:34

・ジョブ履歴:騎士見習い、準騎士、騎士



・パッシブスキル

能力値強化:指揮下:3Lv

能力値強化:騎乗:3Lv

槍装備時攻撃力強化:中

金属鎧装備時防御力強化:中


・アクティブスキル

槍術:5Lv

鎧術:4Lv

盾術:4Lv

騎乗:3Lv

連携:3Lv

礼儀作法:3Lv

指揮:2Lv


・状態異常

四肢欠損

寄生:卵

精神崩壊




 現アルクレム公爵の末の妹。既に継承権は放棄しているが、れっきとした公爵家の一員である。

 騎士団に所属し、一部隊の指揮を任されている。その実力は冒険者ギルドの等級に当てはめるとC級に至っており、将来を嘱望されていた。


 ただ現在はナターニャ同様に全ての四肢を欠損しており、更に【魔王の卵管】によって子宮内には幾つものミノタウロスキングの卵を植え付けられている。

 その際のショックにより精神が崩壊状態であるため、もし身体を元通り治す事が出来ても以前の彼女に戻るかどうかは分からない。

10月7日に215話を投稿する予定です。

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― 新着の感想 ―
[一言] サイモン意外と若いな ランドルフが助けただけで面倒見ずにポーイした人たちをなんの躊躇いもなく受け入れて助けるヴァンダルーはもはや聖人のようだ
[一言] 読み返してると新たな感想がでてくる サイモンの元仲間はどうしてるのかね? 英雄候補になってるとおもしろそうだな
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