閑話31 尽きぬしがらみ
すみません! 日付を一日間違えて、今日はまだ28日だと思い込んでいました!
投稿が遅れたこと、ご心配をかけたこと、重ね重ね申し訳ありません。
注:今回、ややグロテスクです。
ランドルフは、とてもエルフらしい冒険者だ。武器は鋭い五感、卓越した【弓術】による射撃、素早さと繊細な技を活かした【剣術】、そして【精霊魔術】だ。
多くの人々がイメージするエルフの冒険者、そのままである。
「ブモオオオオオ!」
「ガアアアア!」
そんなエルフの冒険者と、猛牛以上の迫力で斧や棍棒を振り回すミノタウロスの相性は良くないのではないかと、多くの人は思うだろう。
矢は強靭な筋肉に阻まれて目や口の中、わきの下にでも当てない限り効果は無く、細身の剣では怪力で振るわれる武器を受け止める事はとても不可能。
そして多少の痛みでは怯みもしない凶暴性とタフネスによって、【精霊魔術】を繰り出してもいつかは間合いを詰められてしまう。
「……【千貫螺旋の矢】」
しかし、ランドルフが森の中でも使いやすい短弓の弦を引き絞って放った矢は、向かってくる先頭のミノタウロスの胸の中央を貫いた。
「――――!?」
高速で回転する矢は勢いを弱める事無く、そのまま後ろのミノタウロス達の右胸や左腕を穿ち、そして後方で指揮を執っていたミノタウロスコマンダーの胸甲と心臓を貫き、背後の木々に丸い穴を空けてやっと止った。
「すまん、加減を間違えた。何分、初めて使う弓だったから」
一度の攻撃で三分の二以上の仲間と指揮官を殺されたミノタウロスの生き残りが、唖然として動きを止める。ランドルフは細身の剣を抜くと、生き残りを手早く処理した。
細身の筈の剣はミノタウロスが慌てて構えた武器や、彼らの分厚く強靭な筋肉に守られた四肢を、まるで稲の穂でも刈るように容易く切断していった。
そしてミノタウロスの死体をアイテムボックス……時間の止まった亜空間の中に物品を収納する事が出来るマジックアイテムを使って、収納していく。
「本当にすまんな。傷つけるつもりはなかった。次からはもっと丁寧に戦う事にするよ」
そして自分が傷つけてしまった木々にもう一言詫びを入れてから、進んで行った。
ミノタウロスキングの群れが存在する大まかな場所は分かっているが、正確な情報は何一つなかった。
そのためランドルフは風の精霊に音を運んでもらい、ミノタウロスの大体の位置を確かめながら群の中心部へ進んだ。
大体のキングは群れの中央に居るからだ。これは【眷属強化】スキルの影響下にある魔物がキングを守るため、周囲に群れる傾向が強いからと、キングの支配力を維持するためだ。
【眷属強化】スキルの影響下にある魔物はキングの忠実な僕となるが、所詮は魔物。軍隊のように連携の取れた行動が出来ても、軍隊そのものになるわけではない。
何故なら魔物達は、群でしかないからだ。軍隊は拠点を分けて戦力を配置する事が出来るが、群れにはそれは不可能だ。
それにキング自身にも組織を作り維持するノウハウが無い。
「例外は、境界山脈内部に存在するらしいノーブルオーク帝国ぐらいだろうな。
そう言う意味では、俺にとってはランク4のゴブリンキングの群れも、ランク8のミノタウロスキングの群れも、変わらない訳だが……」
ランドルフは彼を止めようと現れるミノタウロスを討伐しては死体をアイテムボックスで回収しながら、まるでダンジョンのような洞窟を進んで行く。
「思ったよりミノタウロスの数が多いな。もう百以上倒したのにまだ出て来るとは……お前達のキングは邪神か悪神の加護でも持ってるのか?
お前達が攫った女の数は、襲撃した村一つ分で三~四十人。騎士団の分隊一つ分で多くても十人少々。後は、数えていない冒険者から何人か……多くても百人って事は無いだろう?」
「ゴアアアアアアァ!」
ランドルフに問われたミノタウロスメイジは、答える様子も見せずに呪文を唱えて通路を炎で埋め尽くそうとする。しかし、術を発動した途端激しい風が吹き、発生した炎はランドルフではなく術者であるミノタウロスメイジ自身を焼く結果になった。
「ゴギャアアアアアアア!?」
「そうか、分かった。なら、やはり普通に孕ませて増えてる訳じゃないな。ゴブリンやコボルトの雌じゃ、こいつ等に耐えられるとは思えないし、ヴィダの新種族の集落でもあったのか? それともやはり邪神悪神が絡んでいるのか……面倒になって来たな」
消し炭になって倒れたミノタウロスメイジの死体は放置して、ランドルフは進んだ。自分を止めるためにミノタウロスが現れる方向へ、着実に進みながら。
そして最後の扉を守っていたミノタウロスジェネラルを倒したランドルフは、ドーム状の広い空間に出た。
床や天井にはびっしりと魔術陣が描かれており、空間の四隅では神官役らしいミノタウロスメイジがそれぞれ一心不乱に祈りを捧げている。
そして中央には他の同種よりも大柄で、異様な雰囲気を全身から放っているミノタウロスが祭壇を前に唸り声をあげている。
祭壇の上には錆びで赤黒く変色した金属製の小瓶と、女が横たわっていた。生きてはいるようだが、四肢が途中から切断されて逃げられないようにされている。あれがアルクレム公爵の妹である女騎士だと、話が早いのだが……何か様子が違う。
髪の色が聞いていた特徴と一致しない。しかも、獣の耳と尻尾があるように見える。
「……少し面倒な事態になったな。それはともかく、この儀式は自分の種でその女に、邪神か悪神の化身を孕ませるためのものか?」
ランドルフがそう儀式の目的を推測して問いかけると、祭壇の前で唸り声をあげているミノタウロスの尻尾の形状が、牛のものから先端が針のように尖った蟲の一部のように変化する。同時に、禍々しい気配が空間に充満する。
「やたらと数が多かった手下は、その魔王の欠片で増やしたのか。形状と効果から察すると……【魔王の卵管】ってところか? 攫った女に卵を植え付けて急激に増えたと。しかし雄しかいないミノタウロスのキングが、随分と変わった欠片を手に入れたもんだな」
「モ゛オ゛オオオオ!」
自らの異形を目にしても恐怖どころか動揺もしないランドルフに苛立ったのか、ミノタウロスキングが雄たけびをあげ、傍らのハルバードを掴んで彼に向かって駆け出した。
「【絶空閃】」
それに対してランドルフは剣を振るい、斬撃を飛ばす上位武技でミノタウロスキングを倒そうとした。だが、ミノタウロスキングは【魔王の卵管】に変化した尻尾の一振りで打ち消してしまった。
「モ゛オ゛ォォォ!」
そして、卵管からボコボコと半透明な卵を産み落とす。それは地面にぶつかると同時に孵り、急速に成長し産声をあげた。
「「「ブモオ゛ォォォ!」」」
そして【魔王の卵管】が無い事を除けば、自分そっくりなミノタウロスの群れを創り出した。
「増えるのに女が必要無いのか。いや、俺が踏み込むまで作っていなかった事を考えると、単生殖で出来るのは即製の分身みたいなものか。寿命は、数分から数時間と言うところだろうな」
そんなランドルフの考察を無視して、ミノタウロスキングのコピー達は彼に向かって殺到する。流石にハルバードや鎧は身に着けていないが、その拳や蹴りはエルフの細い身体には十分すぎる武器になるはずだった。
「【絶空百閃】」
だがランドルフは再び、そしてより速く剣を振るった。放たれた無数の斬撃が、コピー達に断末魔の悲鳴をあげる間も与えずに屠っていく。
折角産み出したコピー達が一瞬で全滅するのを目にしたミノタウロスキングは、ランドルフが格上の相手だと認識を改めた。ハルバードを振り上げて雄叫びをあげる。
「グモ゛オォォォン! ……っ!?」
だが、何も起こらない。愕然とした様子のミノタウロスキングが振り返って祭壇を見るが――。
「【風神槍招来】」
その隙だらけの胴を、ランドルフが唱えた風属性の【精霊魔術】で作られた槍が貫いた。
「モ゛オ゛ォォォ!?」
だがミノタウロスキングは倒れず、激痛と怒りで満たされた濁った悲鳴をあげると傷口が塞がり始める。
【魔王の欠片】を取り込んだ影響でミノタウロスには本来ない【高速再生】スキルを獲得したのか、それとも悲鳴が治癒魔術の呪文だったのか。
だが、当然ランドルフは傷が治りきる前に止めを刺そうと剣を振るうが、【武技】によって飛ばされた斬撃は以前のように鞭のようにしなる【魔王の卵管】によって防がれてしまう。
ニヤリと、ミノタウロスキングが嘲笑を浮かべる。さっきのように動揺さえしなければ、ランドルフを相手取る事は容易いと言っているかのように。
それを見て、ランドルフは息を吐いた。
「確かに、生憎この剣はミスリル製で【魔王の欠片】と正面から打ち合えるオリハルコンじゃない。だが……【風気残影】」
大気を歪め、風で作った質量のある残像を残す魔術を発動させたランドルフは、ミノタウロスキングに向かって素早く間合いを詰める。
「っ!?」
そのスピードはあまりに早く、迎え撃とうとミノタウロスキングが振るった【魔王の卵管】とハルバードが貫き、両断したのは全て残像だった。
「【雷光三連突き】」
懐に入り込んだランドルフは、雷光のような速さと激しさの三連突きをミノタウロスキングの鳩尾、心臓、そして首に向かって放った。
「だが、【魔王の欠片】と打ち合わず急所を破壊すれば良いだけの話だ」
信じられないと言った顔つきのまま、ミノタウロスキングが倒れる。今度は、傷を再生させる事は無かった。
「ランクは魔王の欠片の分を考えると10ぐらいか。群の数も考えると、A級冒険者が十人はいないと、儀式を止められなかったかもしれないな」
そう言いながら、ランドルフは死んだミノタウロスキングの身体から這いだそうとした【魔王の卵管】を、念のために常備している封印用のマジックアイテムで封じ、もう一つの古い封印の【魔王の欠片】も回収する。
そして、キングが死んだ事にも気がつかず、儀式を維持するために祈り続けている四匹のミノタウロスメイジを短弓で射殺する。
「もっとも、肝心の神に何故か見放されていたようだから、儀式に成功したかどうか分からんが。御使いか分霊かは知らないが、それぐらい降ろしてやれば良いだろうに。
それなら俺も多少は楽しめた……かもしれないな」
そうランドルフは、名も知らぬミノタウロス達に奉られていた神に文句を言った。ミノタウロスキングは、あの時【御使い降臨】かその上位スキルを発動していた。だが、それに神が応えなかったのだ。
「しかし、何故こいつ等は見限られた? どうせ邪神悪神だろうから、こいつ等の邪な祈りに応えない理由は無いはずだ。勝ち目が無いと見抜いていたとしても、御使いを遣わす程度たいした労力ではないだろうに」
そうランドルフは首を傾げるが、その頃ミノタウロス達が奉じていた悪神……『悪角牛神』ラングルボザは深い安堵の溜め息を吐いていた。
『無事儀式は失敗したか、あのかぼちゃ頭の間抜けめ。我の神託を無視するから、こうなるのだ』
ラングルボザは牛に似た姿をした悪神で、それが縁で魔物の中でもミノタウロス達に目をかけていた。
それでこの群れのキングにも加護を与えていたのだが……境界山脈に向かう途中だった魔王の欠片の宿主を殺して【魔王の卵管】を吸収。しかも封印された状態のまま手に入れた二個目の欠片を使って、ラングルボザを降臨させるための肉体を作ろうとし始めた。
ラングルボザが何度『止めろ』、『大人しくしろ』と神託を下しても、耳を貸そうともせずに。
冗談ではない。今の地上に降りるなんて、破滅願望の持ち主でなければどんな邪神悪神だって御免だ。
今までにない程『法命神』アルダの勢力が活発的に動き、更に地上ではそのアルダが『新たなる魔王』と恐れるヴァンダルーが存在している。
そう、人間だけでは無く神々の魂すら喰らう化け物が。
ついさっき僕共を倒してくれたランドルフもその戦闘能力は高く、S級冒険者の名に相応しい超人の中の超人、神と戦える存在だ。
しかしヴァンダルーはランドルフとは別の種類で危険すぎるのだ。
既に『解放の悪神』や『魔書の悪神』等、幾柱もの邪神悪神が喰われ、アルダの腹心である『記録の神』も奴の胃袋の中だ。
その仲間入りをするのは御免である。
だからラングルボザはミノタウロスキングが【御使い降臨】を発動した時、それに応えなかったのだ。万が一にも、ランドルフに彼が勝たないように。
『この冒険者に奴が倒されても、儂は全く傷を受けない。後は、我が神域に閉じこもりそのまま地上の状況が変わるまで、何万年でも眠り続けるのみ。目覚める事無き死に等しい眠りかもしれぬが……苦しみ悶えながら喰い殺されるよりはマシだ』
そしてラングルボザはランドルフに構わず、そのまま意識を地上から背けた。
そんな事情があるとは知らないランドルフは暫く思考を続けたが、やがて「神には神の事情があるんだろう」と考える事を放棄する事にした。
「神を信じる、依存した者の末路は人間も魔物も変わらないと言う事か。それよりも残りの仕事だが、この娘は……」
ランドルフが祭壇に寝かされている娘を見ると、彼女は虚ろな瞳で虚空を眺め続けていた。腕は肘の、脚は膝の上辺りで切断されている。切断面は、血が止まる程度には治療されていた。
それは切断された手足が見つかっても、元通り接合する事が出来ないと言う事でもあったが……それよりもランドルフは彼女の顔を見て驚いた。
「やはりユリアーナ・アルクレムとは別人か」
もし生きていたら楽にしてやり、ミノタウロスには捕まらず戦いの中で果てた事にして欲しい。そう腹違いの兄であるアルクレム公爵から頼まれた女騎士の特徴を、ランドルフは簡単にだが聞いていた。
それとは髪と瞳の色と顔立ち。そして何よりも、種族が違う。
ユリアーナ・アルクレムは金色の髪に青い瞳の、凛々しさと高貴さを併せ持つ美貌の人種の美少女と美女の間に在るような年頃だ。
しかし、祭壇の上に寝かされているのは金色と言うより黄色という感じの髪に、意思が強そうな太い眉をした勝気そうな顔つきをしている。野性味が強いが、凛々しさが無いとは言えない、美人の部類ではあるだろう。
だが頭には三角形の猫科動物の耳が、そして腰からは豹柄の尻尾が生えている。
明らかに獣人である。山猫系か豹系かは、ランドルフには見分けられないが。
「まいった……怪しげな儀式をしているようだから、姫君は生贄か何かに使うためにキングの近くにいるだろうと思い込んでいた」
神の化身を孕むための生贄は、物語なら高貴な生まれの姫君の役だが……ミノタウロス達にとってはその限りでは無いのだろう。
もしかしたら本当に戦いの中で果てたか、生け捕りにされてもミノタウロス達の繁殖行為に耐えきれず既に死んでしまったのかもしれない。
冒険者としての信用や名誉に関心が無いランドルフとしては、そういう事にしてこのまま帰っても構わないのだが――。
「それは流石に哀れか。とりあえず、この娘から話を聞こう」
ランドルフはアイテムボックスから布を出すと、娘の身体に被せた。そして変装用のマジックアイテムを発動し、目を覚まさない娘に、【解毒】の魔術をかける。
すると、虚ろだった娘の瞳に徐々に光が戻り、顔つきもはっきりしてきた。
「ぁ……あれ? オレは……あっ……あああああああっ!?」
「気が付いたついでに、痛みまで戻ったか。待ってろ、今治してやる」
目覚めてすぐ悲鳴をあげ始めた少女に、ランドルフは彼女から話を聞くため四肢の傷を痛みが無くなる程度に治そうとした。
「ま、待てっ! 待ってくれっ! このまま治したらっ、治したらくっ付かなくなるっ! オレの腕、オレの腕は……ヒィっ!? 足っ!? 足もっ……!?」
だが少女はそれを拒否しようとした。四肢を切断されても、切断面を正しく合わせた状態で四級以上のポーションややや高度な治癒魔術を施せば繋げる事が可能で、何か月、若しくは何年かかかるが、元通り動かす事が出来るようになる可能性がある。
それを知っているからだろう。
「無駄だ、もう傷の切断面は簡単にだが塞がれている。手足が何処にいったのかも分からない。多分、ミノタウロスの胃袋の中だろう。
諦めろ」
「そんな……うあああああっ! 畜生っ! あいつ等っ、よくもオレをっ! オレを囮にしたあいつ等、絶対に許さない!」
これは傷を癒しても、話を聞くまでしばらく時間がかかるなと、ランドルフは溜息をついた。
彼女があげる悲鳴と怒声から推測すると、彼女は冒険者で最近あるパーティーに加わったらしい。暫くは何事も無かったようだが、運悪くミノタウロスキングの縄張りに入ってしまい、複数のミノタウロスに追われる事になった。
しかしこのままでは逃げ切れないと理解した仲間達の一人が、何と彼女の脚にナイフを投擲。彼女は堪らず転倒し、仲間達は……仲間だと思っていた者達は「悪いな」と言い捨てて彼女を残して走り去っていった。
彼女はなおも抵抗しようとしたがミノタウロスが振るった斧で構えていた両腕を切断され、そこで意識を失った。
「それで気が付いたらミノタウロスの巣で、オレ以外にも何人か女が捕まってて、その内の一人がまだ話せて、自分は公爵家の者だから、必ず助けが来る。だから諦めるなって……でもミノタウロスに妙な薬を飲まされて……その時はまだ脚は二本とも揃ってたのに……こんな……嘘だ……こんなの……」
「おい、俺はラルフ。依頼でここのミノタウロスキングの討伐と、ある女を助けに来た」
「えっ……?」
「俺は、ラルフだ。お前の名前は?」
ランドルフはこういう時の為に決めてある簡単な偽名を繰り返し名乗って、獣人の少女に訪ねた。
「お、オレはナターニャ」
「そうか、ナターニャ。俺は公爵から依頼を受けてその女を助けに来た。その女が何処にいるか分かるか?」
そう伝えると、ナターニャは暫く考えた後答えた。
「臭いを辿れば、多分」
その答えを聞いたランドルフは、マントで包んだナターニャを抱きかかえるようにして血の跡だけが残るミノタウロスの巣を彼女が指し示す方向に向かって進んだ。
そして程なくミノタウロスが女達を監禁していた部屋に辿りついた。中には幾つもの人骨が転がっていて、監禁部屋と言うより処刑部屋と言った様子だったが。
恐らく、死んだり使えなくなった女はこの部屋でそのまま食い殺していたのだろう。
そしてユリアーナ・アルクレムは、まだ生きていた。
「そんな……」
呼吸も鼓動もしている。ナターニャ同様四肢が切断されているが、それは元からだろう。ある程度の実力を持つ者を安全に監禁するためには、鉄の枷を嵌めるだけでは不十分だ。四肢を切断し、両目を潰し、声帯を裂かなければいけない。
それを考えれば四肢だけで済んでいるのは、ミノタウロス達の処置がまだ甘かったと言う事だろう。
しかし、ユリアーナはすっかり壊れていた。ナターニャとランドルフが姿を現しても、虚ろな瞳で虚空を眺め、半開きになった口の端から唾液を垂らすだけで、反応らしい反応は一切見せない。
ランドルフは念のためにとナターニャにもかけた【解毒】の生命属性魔術をかけてやるが、ユリアーナが正気を取り戻す事は無かった。
「オレが連れて行かれるまでは、やつれてたけど意識があったのに。オレに諦めるなって……自分はまだ【御使い降臨】は使えないけど、神様が必ず助けてくれるって!」
「その後何があったかは、大体察しがつくな」
恐らく、あのミノタウロスキングが儀式に使うナターニャ以外に残っていた女の体内に、【魔王の卵管】で大量の卵を産みつけたのだろう。
それでユリアーナ以外の女は耐えられずに死に、彼女自身も精神が崩壊してしまったのだろう。
(寧ろ、今までよく保ったと思うが)
手足を切り落とされて産む機械にされ、他の女が次々に死んではミノタウロスに食い殺されるのを目にしていたのだ。その状況で捕まってから約一カ月も正気を保ち続けたのは、驚嘆に値する。
ナターニャは信じられないらしいが、ランドルフにはそう思えた。
「それはともかく、早速『助ける』とするか」
「ああ、頼むよっ。公爵家から何か凄いポーションとか、預かって――え?」
ランドルフはナターニャを地面に降ろすと、剣を抜いた。
「な、何で剣を……ま、待てよっ! あんたの言っていた『助ける』って意味は……!?」
「それで正解だ。お前も冒険者なら分かっているだろう」
オークやゴブリン、そしてミノタウロスの討伐依頼では、捕まっている女を見つける事がある。その女が自力で動けるなら町まで連れて帰るが……四肢を無くし精神も壊れているような場合はどうするのか。
どうしようもないので、来世では幸せになる事を祈って楽にしてやるのだ。
「そんなっ、その人は公爵家の人で、騎士なんだぞっ! 冒険者じゃない!」
「その公爵家からの依頼だからな。まあ、多少五体が不満足でも生きて行けるようなら見逃してやろうと思わなくもなかったが」
先祖に世話になったから、その借りを帳消しにするのと大金を報酬に依頼を受けた。
しかし、万が一ユリアーナが正気を保っていて死にたくないと主張したら……彼女が死んでいても、彼女がミノタウロスに汚されたと知っている彼女の部下がそう主張したら、ランドルフはアルクレム公爵との契約を破るつもりだった。
彼は主観では冒険者を引退している。だからと言って、殺し屋に転職したつもりはないからだ。
ただこの場合は、寧ろ殺してやるのが慈悲だろう。
「手足も無い廃人が、家族も無く一人で生きていける訳も無いからな」
『地球』ならランドルフの言葉は非人間的だと非難されるだろう。しかしこの人権という概念が未発達な世界では、「致し方ない」と納得される判断だ。
アルクレム公爵家がユリアーナを助けるつもりだったら、その財力でどうにでもなっただろうが……。
「お前も後で苦しまないよう送ってやるから、安心しろ」
「お、オレも殺すのか!? い、嫌だっ! 折角助かったのにっ、まだ死にたくないっ!」
「……俺は親切のつもりで言ったんだが」
悲痛な悲鳴をあげるナターニャを見下ろしながら、ランドルフは呆れた様子で溜め息をついた。
「考えても見ろ、冒険者が戦えない身体になってどうやって食っていくつもりだ? ギルドに十分な預金でもあるのか? それとも世話をしてくれる程、お前の家族は裕福なのか?」
ランドルフが尋ねる度に、ナターニャの顔色が青くなっていく。しかし、それでも諦めて楽になるつもりはないらしい。
「じゃあ、頼むよっ、あんたが助けてくれよ! ラルフって名前は聞いた事無いけど、あんなに居たミノタウロスを一人で全部退治できる程強くて、公爵家とも知り合いならあんたA級だろ!?」
はっとした様子で、良い事を思いついたかのように顔を輝かせたナターニャ。しかしそれに対するランドルフの反応は薄い。
「いい推理だが、だったらどうした?」
「A級冒険者なら稼いでるだろっ!? 金を貸してくれっ、オレとその人が暫く生きていけるだけで良いっ。娼婦でも何でもやって必ず返すからっ!」
「娼婦か。その生き方だと数年後に『今死んでおけばよかった』と後悔しながら死ぬことになるぞ」
今のナターニャでも娼館に勤めればとりあえず食って行けるだろうし、世話もしてもらえるだろう。元冒険者の娼婦は普通の娼婦よりも体が丈夫で、人気が出ることも多い。
しかし、より悲惨な人生が待ち受けている場合も多い。
特に彼女の状態だと客の中心は特殊な性癖の持ち主になる。余程運が良くなければ毎日死ぬまで慰み者にされるか、やはり特殊な趣味の金持ちに奴隷として飼われるが関の山だ。
戦えない体になり娼婦に身を堕とした元女冒険者が、後に成功した現役時代の仲間に身請けされ、幸せに暮らしました。という夢物語の類のいくつかが実話であることをランドルフは知っている。しかし、ナターニャにそれが期待できる知り合いがいるとは思えない。
「そ、それでも生きていれば、もしかしたら……!」
「諦めが悪いな。確かに、俺も未来が見えるわけじゃない。可能性が完全に無いとは言わない」
「それならっ!」
「……だが悪いな。しがらみをこれ以上抱え込むつもりはない」
ランドルフ程の実力と財力があれば、大抵の事は可能だ。アルクレム公爵家を滅ぼす事も、何百何千と言う孤児を貧困から救って高度な教育を施す事も、何なら一から国を興す事も出来なくはないだろう。
ナターニャとユリアーナを助ける事も可能だ。
優秀な錬金術師に義手と義足を作らせて人並みに動けるようにして、ユリアーナには別の名前を名乗らせて生活の面倒を見る事は、やろうと思えば出来る事だ。
だが、それでは切りが無い事をランドルフは知っている。どの村、どの町、どの国にも困っている者はいる。手を差し伸ばさなければ死んでしまうような者が幾らでも、何時でも転がっているのだ。
そんな縁も何も無い他人を助けるために手を差し伸ばす行為は、確かに尊いだろう。やっている奴が存在するなら、彼も尊敬を惜しまないだろう。
しかし自分が実行するつもりはない。ただでさえ過去のしがらみのせいで、冒険者を引退出来ていないと言うのに。
「そんな……」
ナターニャの瞳が曇るのを見ずに、ランドルフは剣を今度こそ振り上げた。
「そういう事だ。恨むなら、自分の見る目の無さを恨んでくれ。形だけは、ズルワーンに来世の幸福を祈っておいてやる」
ランドルフは、実を言うと無信仰だ。昔は神々に祈りを捧げ、御使いをその身に降臨させた事もある。しかし、冒険者を引退すると決めた時に神々に祈りを捧げるのも止めた。
だが、この神々が実在する『ラムダ』では無信仰者はそれだけで変人、変わり者扱いをされる。
そのためランドルフは決まった戒律が無いズルワーンを信仰していると、口では答えるようにしていた。
「だったら、せめて頼むよ……オレを囮にした奴らは『炎の刃』ってパーティーだ。冒険者ギルドに、あんたから通報して欲しい。死にたくないって泣き叫ぶ女を殺すんだ、それぐらい頼んでもいいだろ」
だがその言葉でランドルフの腕は止まった。
確かに、ナターニャを殺すのならそれぐらいはするのが筋かも知れない。だが、それには冒険者ギルドを訪れ、ナターニャを見捨てるどころか、意図的に傷つけ囮にした事を説明する必要がある。
当然、何故そんな事を知っているのかとギルドに説明したうえで。
(ミノタウロスキングの群れに囚われていた女冒険者から聞きました……そんなお前は何者だって話になるな。そうなると公爵の依頼の事は黙って俺の正体を明かすか? 身分も明かさず説明もしない場合は……通報しても調査されない可能性が高いから、そうするしかないわけだが。
いや、そもそも俺の正体がばれた時点で、アルクレム公爵からの依頼で動いた事は察しがつくだろう。俺は昔世話になった奴か、その子孫の依頼しか受けていないからな。すると、ユリアーナの件と結びついて考える奴も……)
真実が世間にばれた場合、最悪アルクレム公爵は『真なる』ランドルフを使って公爵家にとって邪魔になった妹を殺したと言うレッテルを張られかねない。
ランドルフとしても、公爵に雇われた殺し屋呼ばわりは困る。これから同じような依頼が他の公爵家から殺到したらと思うだけで、死にたくなる。
ならナターニャの頼みを受け入れず、ただ二人を殺していけばいい。
(考えてみれば、ナターニャはユリアーナの事を公爵家の者だと知っている。だったら、ユリアーナが討ち死にした事にするには、彼女を殺す以外に道は無いわけだ)
だから依頼を優先するなら殺すしかない。ユリアーナが部下共々ミノタウロスに生け捕りにされ、しかしランドルフが助ける前にユリアーナだけ死に、部下だけが生きていた場合と同じだ。
そして、ナターニャは死にたくないと言っている。
「仕方ないか」
ため息を吐いて、ランドルフは剣を振るった。ナターニャがきつく目を瞑った。だが血が飛び散る音がしないので、暫くしてから困惑した様子で目を開いた。
ランドルフはユリアーナの長い金髪を肩にかからない長さに適当に斬り、公爵家の家紋が彫られたペンダントの鎖を千切って、懐に入れた。そして他に指輪などが無いかを確認してから、目を瞬かせているナターニャに告げる。
「助けはしない。助けはしないが、とりあえずここから一番近い町……には公爵家の連中がいそうだな。だから二番目に近い交易都市、モークシーの町の冒険者ギルドまでは運んでやる。後は娼婦になるなり、こいつの腹の中のミノタウロスの子供をテイマーギルドに売るなり、奴隷になるなりして生きていけ」
ユリアーナの体内に産み付けられたミノタウロスの卵は、ランドルフが【魔王の卵管】を封印した事で成長のスピードが落ちていた。それでも通常のミノタウロスよりは速いし、卵が幾つ入っているか分からないが、町に着くまでの間に生まれる事は無いだろう。
テイマーギルドも何匹もミノタウロスをテイムは出来ないだろうが、ランク5の魔物の産まれたばかりの子供だ。一匹一万バウム以上で買い取ってくれるだろう。
「み、見逃してくれるのか!?」
「……単に放り捨てるだけだ。それとこいつはお前とは別口で捕まった旅人か冒険者の女だ。少しでも長生きしたいなら、そう言う事にしておけ」
「わ、分かった!」
ランドルフはそう言いながらアイテムボックスから再び布を出してユリアーナの身体を包んだ。
「じゃあ、一旦魔境の外まで【転移】する。その後、モークシーの町まで送って、適当な冒険者にお前等を任せる。後は俺は知らない。以上だ。
後は精々、俺とは違うお人好しに出会うよう祈れ」
「ああ、それで十分……わっ!?」
ナターニャが言い終るのを待たずに、ランドルフはあらかじめ決められた場所に【転移】する事が出来るマジックアイテムを起動して、三人でミノタウロスの巣から去ったのだった。
次話は、10月3日に投稿する予定です。……出来るだけ早く!