二百十一話 闇に蠢く者達と響く悲鳴
ヴァンダルー達が無事ヨゼフとアッガーの下らない企みを乗り越えた頃、歓楽街のスラムの間にある名も無い酒場にある男が飲み仲間……に見せかけた手下達と共に入店した。
「いらっしゃ~い……」
やる気の無さそうなウエイトレスに、見かけは強面だが腕っぷしは素人同然の用心棒、そして何故首にならないのか不思議なほど愛想が無い上におしゃべりなバーテンダー兼料理人。
客も発酵しすぎなのを水で割って誤魔化している安酒で満足するような連中ばかりだ。
「ご注文は? 悩んでいるなら今日はスラムカクテルをお勧めするぜ。他の店から恵んでもらった残り物の酒を混ぜ合わせたもんだが、今夜の配合は大当たりだ。極楽間違いなしだよ」
そんな店のバーテンが、陰気な口調でペラペラと話しかける。男はそんな無駄話に付き合わず、注文を口にした。
「特製の赤ワインと羊のチーズのセットを一つ、大盛りで。飲み仲間と分ける」
「……それは、切らしていましてね。白ワインと普通のチーズならあります」
「いや、赤ワインと羊のチーズだ」
「分かりました。奥の個室へどうぞ」
そして男達は案内された個室に入ると、そこは簡素なテーブルとイスが置かれているだけで窓一つない部屋だった。だが男の手下が壁に隠されたスイッチを押すと床に地下への階段が現れた。
「行くぞ」
「へい、『毒蛇』のエーキッド様」
男の名は『毒蛇』のエーキッド。アルクレム公爵領の裏社会では、『ハイエナ』のゴゾロフ同様に少しは知られた男だ。
そして彼は、ゴゾロフと同じように名も無き犯罪組織の下部組織のボスで、この地下への階段の先に在るのが組織の本部だ。……少なくともエーキッドはここが本部だと説明されているし、組織の首領や他の下部組織のボスと会ったのも、此処だ。
(俺が教えられているのが正しい情報とは限らないし、会ったボスが影武者では無く本人である確証はない。我ながら、よくここまで得体の知れない組織に身を置いているものだな)
そう自嘲しながらも、エーキッドは組織に対して不満は無かった。原材料の栽培と麻薬の精製、売買のルートに捜査の情報。組織が提供してくれるものは多い。
勿論エーキッドが上納している金額も大きいが……手元には十分な金が残る。
だから不満は無い。……ほんの少し前までは。
「ようこそ、『毒蛇』のエーキッド殿。首領はこの奥でお待ちです」
地下への階段を下り、通路を進むと一人の女がエーキッド達の前に現れた。最近首領が近くに置いている獣人種の女で、名はベル。新しい秘書兼愛人だろうと噂されている。だが護衛でもあるのだろうとエーキッドは見ていた。
豊満な胸や腰の形が分かる薄い布製でしかも深いスリットのあるイブニングドレス姿は、秘書では無く高級娼婦の類にしか見えない。
しかし肩にかからない程度に揃えられた髪や怜悧な瞳、そして隙のない立ち姿から自分と同じか、匹敵する腕利きだとエーキッドは彼女の実力を見抜いたつもりになっていた。
「ですが、その前に用件を伺ってもよろしいですか? 火急の要件としか聞いておりませんので」
密林猿系獣人種の特徴であるフサフサとした長い尻尾を襟巻のように首に巻いて、ベルが問いかける。
「勿論首領の貴重な時間を無駄にはしません。ですが、非常に重要な要件ですので……直接首領の耳に入れたいのです」
エーキッドは薄く微笑むと、そう言って答える事を拒否した。
「……分かりました、ほかならぬエーキッド殿がそう言うのでしたら。こちらです」
ベルは暫く黙りこんだ後溜め息をつき、諦めてエーキッド達に奥へ進むよう促した。手下達の視線が一人を除いて、彼女の白い背中と尻尾の下の歩く度に揺れる尻に張り付く。
だがエーキッドは先を進むベルに素早く近づくと、その尻尾を強引に掴んだ。まさか首領の秘書兼愛人である自分に対して、下部組織のボスがこんな真似をするとは思わず意表を突かれたのか、ベルに避ける素振りは無かった。
ただ彼女の肩がビクリと震えたのが、エーキッドには分かった。
「首領のお気に入りか何か知らないが、良い気になるなよ。猿女が。首領が今まで何人の女を使い捨てて来たと思っている? お前も飽きたらその仲間入りだ。
今のうちに俺へ精々媚を売っておくんだな、そしたら下げ渡されても大事に使ってやる。この邪魔な尻尾は切り落とさせてもらうがなっ」
尻尾を引き抜くように力を入れてそう脅してから、エーキッドは手を放した。
「……こちらです」
対してベルは何事も無かったかのように案内を続けようとする。しかし、そのただでさえ白い顔から血の気が失せて青くなっている事をエーキッド達は見逃さなかった。
多少溜飲が下がったエーキッドは口元に再び薄笑いを浮かべると、それ以上はベルに手出しせずに案内を受け入れる。
そして程なくして、大きな扉の前に着いた。それまでの間、他の組織のメンバーには一人も会わなかった。
本部とは言ってもボスが常にいる訳では無く、またここに手入れが入る事はまず無いため大勢の見張りや戦力を置いておく必要がないからだ。
もしかしたらエーキッドが知らされていないだけで、何処かに金庫があって組織の会計係たちが事務仕事をしているのかもしれないが。
「……ベルです、『毒蛇』のエーキッド殿をご案内しました」
『入りなさい』
ベルが扉をノックすると、中から女の声で入るよう促される。
扉の向こう側は、広い会議室になっていた。しかし、部屋で待っていた人影は三人だけだ。
「エーキッド、火急の用件との事だが……随分と機嫌が良さそうだな」
白い髭を蓄えた、しかし服の上からでも分かるほど鍛え上げられた肉体を維持している老人が、玉座を思わせる椅子に腰かけている。この老人が首領である。
そしてその左右と後ろに立っている護衛の女達だ。
右の女は美人でベル程ではないが肉感的な体つきをしている。見た目の歳はベルや他の女達よりも確実に上だが、それを衰えと感じさせない艶がある。だが妙に存在感が薄く、生きている気配を感じさせない。
対して左の女は、キツそうな美貌の赤毛の美人で二十歳程。モンスターの皮を使っているらしい皮鎧を身に着け、長剣を腰に下げている。
そして二人揃って首にチョーカー……首輪を嵌めている。首領が何処かから調達してきた奴隷かもしれないと、エーキッドは思った。
そして首領の後ろに立って控えているのが、エルフの少女だ。女達の中では最も地味な雰囲気だが、容姿は整っており美少女で十分通じる。見るからにきつそうな赤毛の女や、何処かケバケバしい年増の女よりも、彼女の方が好みだと言う男も少なくないだろう。
ただ武装していないので護衛には見えず、格好も粗末な訳ではないが愛人らしくない。そして首輪も無い。もしかしたら、彼女はエルフの女に産ませた首領の隠し子ではないか。そんな噂が流れているのを、エーキッドは知っていた。
そう部屋にいる自分達以外の者達を素早く観察した彼は、それを首領に気取られない内に一礼した。
「はい、畏れながら……組織の運営と人事について確認したくて参りました」
「それが、火急の件か?」
「勿論です。私の麻薬ビジネスを拡大する計画に突然待ったをかけたのは何故です? 辺境の村を乗っ取って、村丸ごと麻薬の製造所にする計画……何処に不備があったのですか?」
エーキッドが練った計画では、行商人が年に一回か二回しか来ないような辺鄙な村を武力で乗っ取り、住人を奴隷にして麻薬の栽培と精製を行う拠点にする予定だった。勿論行商人は商業ギルドの方から手を回して、組織の息がかかった者に替え、行商に見せかけて麻薬の密売を行う。
上手く行けば、数年も経たずにアルクレム公爵領内に麻薬の一大生産地が出来るはずだったのである。
その計画を首領が急に待ったをかけた。取り締まりが厳しくなるとか、他の組織がちょっかいをかけて来ているとかなんとか言って、落ち着くまで様子を見るようにと。
エーキッドが持っている情報網では、取り締まりの強化やちょっかいをかけてくる他の組織に関する情報は無かったと言うのに。
「訳は話したはずだが、儂の指図が信用できないと?」
「はい。それだけではありません。最近、随分と『ハイエナ』が大人しいそうではありませんか。他にもいくつか休んでいる下部組織があるようですね」
「……他の下部組織には、他の事情がある。いちいちお前に了解を得なくちゃならない理由でもあるのか?」
何処か平坦な口調の首領の横で、護衛の女達が剣呑な視線をエーキッドに向ける。特に年増の方の女は、それまでの存在感の薄さが嘘のようだ。
「それに……『飢狼』のマイケルと言うのは誰です? 表を任せたようですが、そんな男今まで聞いた事もありませんよ。
……聞いた話じゃ、そこのベルや左右の女共が最近は首領の代わりに指図しているそうじゃないですか。このままじゃ、とても以前と同じように信用しきれませんよ」
「エーキッド、勘違いするな。お前が儂を信用できるかは重要じゃない。儂がお前を信用するか否か。それがすべてだ」
そう、首領の言う通り犯罪組織とはそう言うものだ。しかし、エーキッドは首領のその一言を聞いて決心を固めた。
「そうですか……じゃあ、今日で手下を止めさせてもらいます! お前達、受けとれ!」
連れていた四人の手下達に向かって、エーキッドは手を掲げた。その指にはまっていた指輪が僅かに輝くと、突然剣や斧、短槍が現れる。
「アイテムボックス!?」
「エーキッド殿っ、裏切るつもりか!?」
ベル達の叫びを聞いて、エーキッドは胸が躍る気分だった。短い間に変わり過ぎたこの組織を、エーキッドはこれ以上信じる事が出来ない。出来ない以上、生き残るためには組織から離れるか、乗っ取るかだ。
そのために準備を整えた。腕利きを集め、首領の前にはあからさまに武装していたら立てないだろうから、武器を持ちこむためのマジックアイテムを購入した。
四人連れて来た手下の内三人は、麻薬に溺れるか借金で道を踏み外したC級冒険者や、それ相当の実力がある者達。
そして最後の一人は、元B級冒険者で依頼主を殺す等悪事がばれて賞金首になったが、今まで何人もの賞金稼ぎを返り討ちにしてきた『賞金稼ぎハンター』のアベルだ。
エーキッド自身も、それなりに腕に覚えがある。この場で組織を乗っ取る事は出来なくても、暫く行動不能になる程度のダメージは与えられるはず。
その隙に自分の麻薬売買組織は独立し、態勢を整えるのだ。
その野望の成就を約束する光景……首領の身体に手下達の武器が振り下ろされるのを見て、エーキッドは喝采を上げた。
「ハッハ~っ! 女共、降伏するなら命だけは助けてやるぞっ! そっちのベル共々飼って……あれ?」
だが手下達の内三人、C級冒険者相当の実力があるはずの武器は、実際には首領の身体を傷つけていなかった。
「な、何だ、こりゃっ!? 魔術の結界か!?」
「俺の必殺の【断鉄】が、全く通用しないだと!?」
何と首領と後ろのエルフの少女……メリッサを包むようにして、透明な結界が張られていたのだ。
「守り甲斐の無い首領よね」
「大きな傷を負うとライフデッド状態を維持できなくなるので、そう言わないでください」
そう暢気に会話するメリッサと『首領』。二人に向かって部下達は必死に攻撃を繰り返すが、全て彼女の【アイギス】に防がれていた。
そしてエーキッドの切り札であるアベルは……護衛の女二人の剣を同時に受けて、血を撒き散らしながら床に倒れたところだった。
「ちょっとっ、何であなたもこいつを狙うのよ!」
『一番強そうだからに決まっているでしょう。まあ、雑魚に違いはないけど』
「まあ、良いわ……【無限突き】!」
そして残りの三人も、赤毛の美女……エレオノーラの無数の突きを高速で放つ剣術の武技を受け、血飛沫を上げてこと切れた。
『あぁっ! 一人ぐらいは生かしておきなさいっ、【拷問】の腕が鈍ったらどうしてくれるの』
「この程度で鈍るならそれまでの腕と言う事よ。それに拷問が必要なのは、そこで突っ立っている男でしょう?」
『生意気な事を……まだ【剣術】のまま上位スキルに覚醒できていない分際で』
「くっ、痛いところを~っ! もう少しで何かが掴める気がするのよ!」
なす術もなく手下達が全滅したのを目の当たりにしたエーキッドは、呆然と立ち尽くした。頭の中が事態の変化について行けず、思考が完全に止まっている。
何せ元B級冒険者の賞金首が一人と、C級冒険者相当が三人だ。それが苦戦する程度ならまだしも、時間稼ぎも出来ずに全滅するなんて、彼の想定には無い事態である。
「お暇なようですね。では、私がお相手致しましょう」
そのため、ベル……ベルモンドの尻尾がヘビのように自分の脚に巻きつくのを回避する事が出来なかった。
「なっ、この猿女がべっ!?」
ベルモンドは巻き取ったエーキッドを、尻尾の力だけで持ち上げて天井に叩きつけた。
そして数秒の間を置いて、今度は床に叩きつける。そして再び天井へと、エーキッドは何度も天井と床を往復させられた。
「かっ……かがっ!? ぐえっ!? ごっ!?」
見る見るうちにエーキッドは若き野心家で麻薬組織のボスから、瀕死の怪我人へと加工されていく。
「これは頂いておきますね」
そして顔の判別が難しくなった頃に、ベルモンドはやっとエーキッドの指から指輪を抜き取り、代わりに捻じ曲がった脚から尻尾を解き解放した。
尻尾を解かれ、ゴミを捨てるかのように放り出された彼を見て、メリッサは口元を引き攣らせ、アイラは逆に綻ばせる。
「これ、死んだんじゃないの? たしかこいつって、生け捕りにする予定だったはずだけど」
『メリッサ、こいつはまだ辛うじて生きている。D級冒険者ぐらいになると、この程度ならすぐには死なない。この世界の人間のタフさにまだ慣れていないようね』
アイラの言う通り、エーキッドの胸は弱々しいが上下していた。ポーションや魔術を使って治療すれば、まだ助かるだろう。
「……どうにも、普通の人間だと『地球』や『オリジン』の常識で考える癖が抜けないのよね。魔物やあなた達は平気なのだけど」
「メリッサはこっちに来てから対人戦をあまり経験していないから、仕方ないわよ。そのうち嫌でも慣れるわ。
それより、アイテムボックスっぽい指輪はどう?」
エレオノーラに問われたベルモンドは、エーキッドがしていた指輪を暫く見た後、首を横に振る。
「残念ながら、アイテムボックスの粗悪品です。出し入れできる荷物の量は、数人分の武器が限度でしょう。それでも高額ではありますが」
「……凶器を持ち込むのに丁度良いマジックアイテムとして、こいつが手に入れていたのかもしれないわね。不意打ちには効果的だったかも。
それより、随分荒っぽいやり方だったけどどうしたの?」
「ええ、あなたにしては執拗だったし。力加減はしていたようだけど……何かあったの?」
メリッサとエレオノーラに問われたベルモンドは、再び尻尾を襟巻のように首に巻きつけると微笑を浮かべた。
「いえ、特に何も」
その答えを聞いて、二人はエーキッドがベルモンドの逆鱗に触れてしまったのだろうと察した。
(多分、尻尾関係だわ)
(それ以外にないわね)
そうアイコンタクトして頷き合う二人の後ろ、『首領』の背後からモコモコした一つ目の生物……『首領』の口を操っていた使い魔王が出て来る。
『では、こいつは治療後尋問を行い、その後彼の組織を壊滅させるときに利用しましょう。皆、お疲れ様でした』
会議室の隠し扉から【魔王の欠片】の移植手術を施された組織の構成員……『ハイエナ』のゴゾロフを含めた怪人達が新たな同類を処置室へ連れて行く。
エーキッドはこれから法で裁かれる事だけは無いが、自分がしてきた悪事を永遠に後悔しながら存在し続ける事になるだろう。
「ところで旦那様……次はこの秘書兼愛人と言う設定は止めませんか? 何があったとは言いませんが」
ベルモンドの訴えに、使い魔王の瞳が遠くを見つめた。
『首領の女と言う事にしておいた方が、ちょっかいを出す人はいなくなるだろうと思ったのですが……実際は上手くいっていないみたいですね』
そしてエレオノーラやアイラ、メリッサに視線を向けると彼女達も頷いた。
「私は一回声をかけられたぐらいね。多分、『首領』の情報を探ろうとしたんじゃないかしら?」
『ふふ、私は五回よ。小娘とは女としての魅力が違うようね』
「甘い言葉を囁けば簡単に抱き込めそうに見えるのが魅力なら、確かにそうかもしれないわね」
『……小娘、今度実戦形式の剣術の稽古をつけてあげるわ。時間を空けておきなさい』
「ちょっと止めて。二人が実戦形式の稽古なんてしたら、この地下アジトが崩落するわ。
それと私は普段から『首領』の近くにいるから声を掛けられたり、いきなり肩や腰に手を回されたりすることは無かったわ。……ただ、何故か『首領』の隠し子だって噂が流れているようだけれど」
三人の言葉を聞いて、使い魔王……ヴァンダルーは「この作戦、次からは本当に止めた方がいいかもしれない」と思い直していた。
どうやら組織の結束が緩むと、下剋上を狙う男達の目に首領の女達はトロフィーか何かのように映るようだ。
『次に機会があったら、もっと慎重に考えましょう。まあ、下剋上もそろそろ終わりでしょうけれど』
「そうですね……そろそろ下部組織の幹部が居なくなりますから。残っているのは、『ドブネズミ』と『禿鷹』の二人です」
『ベルモンド、何なのその『ハイエナ』以上に嫌な響きの二つ名は。どんな連中なの?』
アイラが嫌そうに顔を顰める。ヴァンパイアゾンビだからか、死骸を食べる生き物に苦手意識があるのかもしれない。
「『ドブネズミ』は乞食の元締めで、独自の情報網を持っている老人です。モークシーの町では無く、根城は他の交易都市なので姿を現す事は無いでしょう。又、当人もたいした悪党ではありません。
『禿鷹』は、盗品を扱う闇市の元締めです。これも、モークシーの町には居ないのでここに現れる事は無いでしょう」
「端役が生き残ったと言う事かしら。ところで、この組織って何で幹部は動物の名前の二つ名を名乗っているのかしら」
「さあ。単に、多くの人に知られている動物の名前が二つ名として付きやすいだけかも知れません」
『……この辺りってどちらかと言うと北国ですけど、禿鷹っていましたっけ?』
この組織の下部組織には『ハイエナ』のゴゾロフのような人狩りや山賊行為を行う者達や、傭兵団、暗殺者の組織が存在していたが、今はもう無い。
ヴァンダルー達が潰したからである。
最初は情報を収集するだけにするつもりだったのだが、先程のエーキッドが企んだ村の乗っ取りのような悪事を企んでいたので、「これは流石に見逃せない」と手を引かせた。そして言う事を聞かないなら即座に潰し、エーキッドのように下剋上を狙う連中は返り討ちにした。
そして残ったのが、犯罪組織の下部組織としては穏当な部類の『ドブネズミ』と『禿鷹』だけという現状である。
「話は変わるけど、『毒蛇』の治療にブラッドポーションを使っていないわよね? 彼が冥系人種になって逃げ出したら面倒な事になるかも」
メリッサは同じ転生者のダグを含め、ヴァンダルーの一部を口にした人種達が新種族に変異するのを直接見ていた。彼女はそれと同じ事がエーキッドの身にも起きるのではないかと危惧したのだ。
『その心配はないわ。あなたが帰って来る前に捕まえた下部組織の連中の内、何人かで試したから。ヴァンダルー様の貴重な血を飲ませても、【魔王の欠片】を直接埋め込んでみても、新種族に変異する事は無かったわ。……怪人にはなったけれどね』
生きている人間に【魔王の欠片】製素材を移植した結果出来る、自我の無い肉人形『怪人』。ヴァンダルーの欠片を与えられたと言う意味ではダグやルチリアーノ達と同じではあるが、全く異なる存在だ。
犠牲者がそれに変化する際にあげる絶叫を思い出したのか、アイラの口元に喜悦が浮かんだ。
「ああ、『毒蛇』を連れて行った怪人はそれだったの。……じゃあ、大丈夫そうね。でも、ダグと『毒蛇』の何処が違うのかしら?」
「……麻薬売買で儲ける為なら何でもやる変態外道と同じ分類にするのは、止めてあげなさい。人格では無く種族や体質の事だと分かっていても、良い気分はしないと思いますよ」
考え込むメリッサに、ベルモンドがそっと忠告する。どうやら、彼女の中でエーキッドの評価は地の底にへばりついたまま固定されているようだ。
「違い? 決まっているでしょう。ヴァンダルー様の導きを受けているかどうかよ。ヴァンダルー様に身も心も捧げた者だけが、新たなるステージに進む事が出来るのよ!」
考え込むメリッサにエレオノーラが興奮気味な様子でそう断言する。以前だったら、そんな精神論は信じない彼女だったが、「そうかも」と頷いた。
「この世界ではステータスが存在して、『導き』はそのステータスに影響を与えるのだから、精神論は精神だけの問題にとどまらない。変異するかどうかの結果に影響を与えてもおかしくないわ」
『メリッサの言う通りかもしれませんがその言い方は止めましょう、エレオノーラ。カルトっぽいです。
後、身と心までは捧げなくて良いですし』
メリッサは同意したが、ヴァンダルーはエレオノーラの説明に危険な響きを感じ取ったらしい。毛玉が小刻みに揺れている。
「まあ、ヴァンダルー様ったら相変わらず謙虚なんだから。
ところで、話は変わるけれどビルカインの息がかかっている組織はまだ動いていないのよね? ヴァンダルー様がダンピールである事を明かして約一週間。もう情報が届いていてもおかしくないはずだけど」
突然真剣な顔つきになったエレオノーラが、吸血鬼としての親であるビルカインの名前を出す。
『悦命の邪神』ヒヒリュシュカカを奉じる原種吸血鬼最後の一人であるビルカインは、現在バーンガイア大陸の吸血鬼組織を纏めている。その組織力はこのモークシーの町には及んでいなかったようだが、アルクレム公爵領内の他の町には彼の手先が居るはずだ。
人の行き来が激しい交易都市でヴァンダルーが正体を明らかにしたのだから、そろそろ彼の手先の耳に届いているはずだが……。
『今のところ、町に入った吸血鬼はいないようです。城壁の一部を勝手に監視用ゴーレムにし、町の周辺に監視用アンデッドを配置して警戒していますから。霊達も、怪しい者は領主の密偵やヨゼフの手先以外見つけていないようですし』
「まだ機能させている下部組織からの情報にも、それらしい者はいませんね。そもそもエレオノーラ、あの男の手口はこの中ではあなたが一番詳しいはずですよ」
『何か知らないの? あなた、奴のお気に入りだったんでしょう?』
ベルモンドとアイラに問い返されたエレオノーラは、「それはそうだけど」と言いながら苦笑いを浮かべた。
「お気に入りと言っても、別に組織内で大きな役割を果たしていた訳じゃないのよ。単にビルカインの直属ってだけ。部下もいなかったしね。
ベルモンドはともかく、アイラならこれぐらい知っているでしょう?」
『そう言われても……私が生きていた時は自分達以外の派閥の事情は中々探れなかったのよ。そもそも、私ぐらいの大幹部になるとビルカインのお気に入りは興味の対象ではなかったし』
この辺りが将来有望とされつつも一吸血鬼でしかなかったエレオノーラと、原種吸血鬼の腹心として二つ名を与えられたアイラの違いだろうか。
なお、ベルモンドは吸血鬼になってからの時間の殆どを、地底湖にあったテーネシアの隠れ家の管理人として過ごしていたので当然何も知らない。
『マイルズ達主だった吸血鬼が居なくなったグーバモンの組織を再編するのに、思った以上に手間取っているのかもしれませんね。
若しくは……実はもうビルカインの手の者が町に居るのかもしれません。吸血鬼では無く、悪事も働かず、そしてビルカインの手先である自覚も無い。そんな奴が』
ふと思いついた事をヴァンダルーがそのまま口にすると、メリッサが「なるほど」と頷いた。
「ある人が他の町に居る家族宛に町で起きた出来事を書いた手紙を出す。その何の変哲もない手紙を受け取る家族は吸血鬼の手先になっていて、知らずに情報を流してしまっていたとか、そうした手口ね。それなら情報網には引っかからないわ」
『……ビルカインが好みそうな手口だわ。あいつ、ナルシストの気があるようだったから、そうした頭が良さそうに見える搦め手が好みの筈よ』
『いや、ただの思いつきですよ?』
「そんな事無いわ、ヴァンダルー様。改めて考えると、鉱山に売られた奴隷だった私をどうやって見つけたのか分からないのよ。適当に集められた訳じゃなかったし。
だから人間の手先が人を集められそうな色々な場所に紛れ込んでいるはずだわ」
エレオノーラの推測が正しければ、ビルカインは既にヴァンダルーがモークシーの町に居る事を知っている。そしてその上で何かを企んでいるはずだ。
その企みがヴァンダルーから逃げ隠れして生き延びる事だったら、この誘きだし作戦は失敗だが……機会を伺って攻撃してくるつもりだとしたら――
『やはり、もっと町の警戒網を厳重にしないと。皆も、注意してください』
「はい、ヴァンダルー様!」
「……ああ、忘れていました。あのヨゼフやアッガーについてはどうします?」
『それどころではないので、放置で。商業ギルドのサブギルドマスターに今以上の嫌がらせが出来るか分かりませんが、やり過ぎるようなら領主が何か手を打つでしょう』
モークシーの町から離れた何処かの闇で、ビルカインは報告書を読んでいた。
「良い兆候だ」
彼はエレオノーラ達の推測通り、ヴァンダルーがモークシーの町に来ている事を知っていた。他にも『飢狼』のマイケルの正体を、報告された容姿からグーバモン派の配下だったマイルズだと見破り、ダルシアと名乗るダークエルフを連れている事も。
疑問は尽きなかったが。
「マイルズを手懐けたのはともかく……彼は何故日の光を浴びても平気なんだ? 前、『邪砕十五剣』との戦いでは短時間だから魔術やマジックアイテムで説明できるが、今は昼間から町の裏通りをうろついている。まさかヴァレンと同じ【日光耐性】スキルを獲得していたのか?
それに彼の母親の名前を名乗る女ダークエルフ。何者だ? 母親の死体は火炙りにされて灰になったはずだからアンデッドではないだろうし……母親の故郷で、親類から良く似たダークエルフでも連れ出したのか? だとしたら、いったい何のために?」
十万年以上生きている原種吸血鬼であるビルカインの知識をもってしても、まさかヴァンダルーがマイルズを深淵貴種に変異させていたとは、発想出来なかった。
しかしもう一方の謎には見当がついた。
「いや、彼女は母親本人か。境界山脈の何処かにザッカートの遺産が保管されているとしたら、『生命体の根源』が残されているかもしれない。それを使って蘇生させたのか……」
ヴィダとアルダの戦いが始まる前は、ビルカインもヴィダ信者の原種吸血鬼の一人だった。そのため、ある程度境界山脈内部に何があるのか想像する事が出来る。
「となると、やはりヴァンダルーと事を構えるのは正解では無いな。やはり、もう少し様子を見よう」
「何もしなくてよろしいのですか? 手先の者を使うなり、新たに操っている人間を送り込むなりして、計画を進めては?」
腹心の一人、ドワーフ出身の貴種吸血鬼であるモルトールが進言するが、ビルカインはそれに対して「何もしない事が肝要なのさ」と答えた。
「モークシーに彼が現れたのは偶然だが、何処で当たりを引いても良いように仕込んでおいたからね。後は何もしなくても僕の可愛い人形はヴァンダルーにすり寄って行く。自然に、下心無く、純粋に。
今までの調査で分かっているじゃないか、ヴァンダルーはお人好しだと。なら、彼は私が何もしなくても人形を思いやり、助け、例え真実に気が付いたとしても見捨てられない程親しくなるだろう」
ビルカインはそう言って、笑いながらワイングラスを手に取った。
「その時だよ、僕達が手を出すのはね」
そしてグラスに注がれた紅い液体を呷った。
そしてアイザック・モークシー伯爵は夜遅く、執務室で聞いた密偵達からの報告に頭を抱えて悲鳴をあげた。
「何を考えているんだ、あのクソ叔父は!?
衛兵の方には直属の上司から厳重注意! 逆らうようなら他の町に飛ばしてやる! 叔父貴の方には手紙を書く! 手紙は直接渡して、奴が読んだ事を確認し、読む事を拒否するか、万が一読まずに破り捨てたら不敬罪でも何でもでっち上げてしょっ引いて来い!」
9月21日に212話を投稿する予定です。