二百九話 突撃! お前が晩御飯!?
『時間はかかりましたがやり遂げましたな、坊ちゃん!』
『おぉぉぉぉぉん!』
『ヴァンダルー様っ、一段と素敵になったわよ!』
『串焼き屋もヴィダ信者を増やす足がかりも出来て、順風満帆ですね!』
『うおおおおんっ! 私のような者がこの一大事業に関わる事が出来、感激です!』
『おめでとう、ヴァンダルー。新しい姿を皆に見せてあげて』
皆の歓声を浴びながら、ヴァンダルーは立ち上がった。
その魂の姿は以前の形状……人体を構成する器官と【魔王の欠片】が数も位置も出鱈目に配置され、無理矢理人型に押し込まれたような姿よりもずっとすっきりしていた。
遠目に見ただけなら、巨大な鎧や毛皮を纏った戦士か魔術師に見えるだろう。だが注意深く見れば、鎧を着ているにしては細身過ぎる事が分かる。
そして近づけば、その異形さは隠しようがない。鎧に見えたのは硬質な外骨格や甲羅であり、装飾に見えたのは角や複眼。マントに見えるのは羽や皮膜で、二本の脚に見えたのは何本もの節足が束になっているだけ。
盾を構えているように見える左腕は、巨大な甲羅に外骨格から突き出た骨が絡み合ったもの。そして鉤爪が伸びた右手に握られている脳のような柄頭の杖は……よく見えれば無数の脳が神経を絡めあって纏まった球体と、それから伸ばした舌を握っているだけ。
そして頭部には牙の生えた口と、巨大な目と魔眼、そして髪と触角が生えている。
関節の隙間から見える体内は、押し込められた血管が脈打ち、内臓が蠢いていた。時々ぽろりと、眼球や不思議な色の液体が垂れている。
そして常に……鼓動や脳波のように魂の奥底から発生し、血液の如く循環する死属性の魔力。
『前よりは動きやすいので助かっています。皆、良い仕事をしてくれました』
『本人もそう言っているし、よく組み上げられたようでござるな』
『よし、完成を祝って皆で万歳三唱だ!』
『ばんざ~い!』
『『『ばんざーい』』』
そして魂の再構築に参加していた皆と、巨大ヴァンダルー。そして途中から組み立てに加わっていた無数の小さなヴァンダルー達は万歳三唱で完成を祝ったのだった。
ぱっと目覚めたヴァンダルーはまず自身のステータスを見て、魔力が完全に回復している事を確認した。
しかし彼は訝しげな様子で首を傾げる。
「どうしたの、ヴァンダルー? まだ具合が悪いなら、母さんの血を飲む?」
隣のベッドで眠っていたダルシアがそう尋ねた。
「いえ、そうではなくて……夢の中で魂の組み立てが終わったのなら、皆と混じって万歳をしていた無数の俺は何なのかと思って」
自身の魂の状態が理解できず考え込んだヴァンダルーだったが、一分もすると別に害はないのだから別にいいかと考え直したのだった。
同時刻、『眠りの女神』ミルとその神域で治療を受けているハインツは、遠くから響いて来た異様な咆哮を聞いていた。
『あの恐ろしい声は一体!?』
『私の神域にまで響く咆哮……眠りや夢に関係する魔王軍の残党? いえ、恐らく……ハインツ、あなた達を倒しキュラトス殿を喰らい、ヴィダと手を組んだあの魔王が復活の咆哮をあげたのでしょう』
『そんなっ、こんなにも早く! 彼は、やはり人間が越えてはいけない領域に存在しているのか……!』
咆哮は既に聞こえなくなっていたが、ハインツが覚えた戦慄は中々収まりそうになかった。
《【魔力増大】、【魔力回復速度上昇】、【生命力強化】、【業血】、【料理】、【具現化】、【超速思考】、【魔王】、【群体思考】、【群体操作】、【魂魄体】スキルのレベルが上がりました!》
《【能力値強化:君臨】スキルを獲得しました!》
《【同時発動】スキルが【同時多発動】スキルに、【魔術制御】スキルが【魔術精密制御】スキルに覚醒しました!》
お手、お代わり、伏せ、待て等の指示に従い、更に後ろ脚だけで立ち上がりヴァンダルーの言葉通りに歩いて見せるファングの姿を見て、テイマーギルドの職員は感嘆の声を上げた。
「素晴らしい。他のテイマーの師事を受けてもいない、その上初めて動物を飼った少年が、ほぼ野犬に等しいスラムの野良犬をたった一週間で躾けるとは!」
「……この子は賢いですからね」
褒められている筈なのに、あまり嬉しくないなとヴァンダルーは思った。それは彼自身がファングに芸を仕込み、躾を行う過程で苦労した事が全く無いからだろう。
何故ならファングは一度指示した事は、一つの事を除いて直ぐ理解したからである。ヴァンダルーにとっては、本当にファングが賢いだけなのだ。
「ワン! ワン!」
だが、実際にはファングは特別な犬では無い。寧ろ、野良犬としては平均よりも下の部類だ。だから餌が取れず飢えてヴァンダルーが買った家の裏手に彷徨いついたのである。
しかしヴァンダルーの飼い犬になった時から、彼は導きの効果を受け、通常の犬の枠に収まらない程の能力値補正を受けていた。その影響で知能も高くなっていたのである。
「確かに犬も賢いようだが……もしかして、君がダンピールである事も関係しているのか? 吸血鬼の中には狼や蝙蝠に変身するだけでは無く、それらの動物を使い魔にして自由自在に操る力があると聞いたが」
「吸血鬼が狼や蝙蝠に変身できるのは本当みたいですが、後半は迷信らしいですよ。もしくは、単に人間だった頃テイマーだった吸血鬼がいるだけかもしれません」
「そうなのか……。いいだろう、合格だ。準組合員として認めよう」
テイマーギルドの職員はそう言うと、ヴァンダルーに登録証と首輪を一つ手渡した。
よく勘違いされるが、テイマーギルドは魔物を飼いならして使役するテイマーだけのギルドでは無い。魔物だけでは無く、人間以外の動物を何らかの手段で使役する全ての者に登録する資格が与えられる。
猿回しの猿使いや、笛でヘビを操るヘビ使い、牧羊犬と羊を巧みに操る羊飼いも、広い意味ではテイマーなのである。
尤も、そうした大道芸人の類や羊飼いが実際にテイマーギルドに登録する事は少ない。
登録は可能でも、使役しているのが従魔と呼び難い動物だけだと準組合員にしかなれないからだ。どれだけ経験豊かで腕の良い猛獣使いでも、ランク1の魔物に芸を仕込むのがやっとの若造よりもギルドでは下の立場なのだ。
そうした制度を昔から採用しているため、テイマーギルドではどうしても魔物を使役する者達が幅を利かせており、登録しても動物しか使役出来ない者には利益が殆ど無い。
例外的に、腕利きの御者や猟犬を躾けるのが上手い犬使い等がギルドに登録し、貴族や裕福な商人の元へと就職の斡旋を希望しているぐらいである。
「これで君は準組合員だが、魔物を扱う予定でもあるのか? 屋台の番犬にその犬を使うぐらいならテイマーギルドの登録は要らないし、ただ犬の扱いが上手いだけじゃ斡旋できる仕事は殆ど無いから登録する意味は無いと思うぞ」
「俺達が屋台をしている事をご存知でしたか。あまり目につく場所ではないと思いますが」
「そりゃあな。この国で二人目のダンピールに、ダークエルフの美人がやっている屋台だ。話題にならない方がおかしいだろう。
俺も嫁さんの機嫌を損ねる心配が無かったら、歓楽街に一度見に行きたかったぐらいだ」
屋台を開店して一週間が過ぎ、ヴァンダルーとダルシアは既に町の有名人になったようだ。……もうすぐダルシアが共同神殿で講演会を行う日なので、一週間後には近隣の村にまで知られる程有名になっているかもしれない。
そんな有名人にテイマーギルドの職員は不思議そうな顔で続ける。
「魔物を使役できる心当たりがないなら、登録するだけ損じゃないか? 守らなきゃならない規則が増えるだけだぞ」
ギルドの組合員はテイムした魔物や動物に関するいくつかのルールを守らなければならない。使役している魔物や動物が正当な理由無く他者に損害を与えた場合相応の賠償をしなければならない等、そうした常識的な規則なので、ヴァンダルーは不自由だとは思わないが。
「準組合員でも、登録しておけば身分証にはなりますし」
「身分証って、商業ギルドに仮登録しているなら必要無いだろうに……あ、確かに必要になるかもな。あいつに目を付けられていたのか。なるほど、道理で仮登録の未成年が歓楽街の裏路地なんて場所を割り当てられる訳だ」
どうやら職員の男は、商業ギルドのサブギルドマスターのヨゼフが、ヴァンダルーに嫌がらせをしている事を察したようだ。
「それで念のためにうちのギルドでも登録してくれたわけか。うちとしては都合が良いが、災難だったな。だが安心してくれ、幾らサブギルドマスターでも口実も無いのに問答無用でギルドを脱退させる事は出来ない。
それにもし辛くなったら商業ギルドを脱退して、いつでもテイマーギルドを頼ってくれ。私がテイマーとして手ほどきしてやるからな!」
そう言って職員の男は胸を張って見せる。
しかし既に準組合員になったヴァンダルーは、体内に装備しているピートやキュールを出せば……もっと地味に済ませたいならタロスヘイムで飼育している魔ガモやカプリコーン、この前魔物に変異した実験動物のどれかを連れて来てもらえば、彼から手ほどきを受けなくてもテイマーとして認められるはずだ。
「ありがとうございます。その時が来たら頼らせてもらいます」
しかし純粋に男の善意が嬉しかったので、素直にそう頷いた。
「ああ、何か相談したい事があったら職員にギルドマスターのバッヘムに取り次ぐよう言ってくれ!」
……どうやら、ただの職員だとヴァンダルーが思っていた男は、テイマーギルドのマスターだったようだ。
多分、噂のダンピールがギルドに現れたので自ら担当になったのだろう。
「……くぅん」
「……はい、お願いします」
テイマー一本に絞るのは、絶対にやめよう。この気の良いギルドマスターよりも、実は高位の魔物をテイムしているヴァンダルーはそう決めたのだった。
ファングに支給された首輪を付けた後、ヴァンダルーは串焼きにする肉を仕入れるために肉屋に向かっていた。
『陛下、アイラさんは大丈夫ですか?』
『エレオノーラも、危なそうじゃない? 後ベルモンドも』
首輪を付けて誇らしげなファングを見ながら、レビア王女が心配そうに尋ねる。
現在犯罪組織に潜入しているアイラは、アンデッド化した後ヴァンダルーから『蝕帝の猟犬』の二つ名と首輪を貰うために三年も雌伏の時を過ごしたヴァンパイアゾンビだ。そしてエレオノーラとベルモンドも、ヴァンダルーから首輪を受け取るためには努力と献身を惜しまなかった吸血鬼である。
ただ幾ら彼女達でも、本物の犬であるファングに嫉妬する事は無い……とは言えなかった。
『フグググ! かつて『五犬衆』一の『名犬』と呼ばれたこのチプラスが、最早嵌める事は叶わない首輪を! この犬めが!』
チプラスが嫉妬に輝きながらファングを睨んでいるからだ。生前は彼も吸血鬼で、しかもアイラやベルモンドの同僚である。
「チプラス、悪口になっていませんけれど抑えて。アイラ達には家に遊びに来た時に話しておきましたから、表面上は大丈夫です」
『ボス、つまり本当は大丈夫ではないと?』
「折を見て家に呼んで、苦労をかけているお礼をしようと思います」
キンバリーに小声でそう答え、ヴァンダルーは(霊銀で首輪を作る事が出来れば、ゴーストでも嵌める事が出来るかな?)と考えつつ肉屋に入った。
肉屋と言ってもヴァンダルーが利用するのは、一般の客以外の事業者も利用する肉問屋だ。天井からフックで捌かれる前の肉が吊るされ、職人達が大きな包丁で肉塊を客の注文通りの形にする、生々しい光景が広がっている。
「すみません、串焼き用の肉をお願いします。ホーンラビットとジャイアントラット、後あったらギー鳥も」
同じ注文を繰り返して来たので、既に店の従業員とは顔見知りであり、これで十分通じるはずだった。不愛想な店長が「はいよ、適当に持って帰りな」と乾燥した木の葉や皮で包んだ肉を出し、それと引き換えにヴァンダルーは料金を支払う。
それだけの筈だった。
「……悪いが売り切れだ」
だがこの日店長は渋い顔と声でそう答えるだけで、肉を包もうとはしなかった。
「売り切れですか? では、そこに吊るされているジャイアントラットの肉は?」
「そ、それは……別の客の予約が入っている。お前さんには売れねぇ!」
「ならそっちのホーンラビットの腿肉は?」
「こ、これは半人前が捌いて傷つけちまった肉だ! とても客には出せねぇ!」
「じゃあ、そっちの猪の肉を頼めますか?」
「あ、あれは昨日の売れ残りだ! 悪くなっちまってるから渡す事は出来ねぇ!」
「ではクセが強くて好みが別れますが、そこの熊肉をください」
「あれは……って、なんでお前みたいなガキが肉の見分けを付けられるんだ!?」
そう聞き返されたヴァンダルーは平然と答えた。
「そんな事を言われても、分かるから分かるとしか」
新しい環境で、手に入る材料と限られた経費で最大限美味しい物を作ろうとしたのが良かったのだろう、最近ヴァンダルーの【料理】スキルのレベルは、8に上がっていた。一流店のメインシェフも余裕で務まる腕前だ。
そのため完全に未知の食材なら兎も角、調理した経験のある肉の外見や僅かに残る血の匂いで見分ける事は、彼にとって難しい事では無かった。
「……今うちにある肉はそう珍しいもんじゃないが、分かるのか。お前」
そうした事を部分的に察したのか、肉屋の店主は顔を複雑に歪めた。だがヴァンダルーの注文に応える意思はないらしい。
「悪いが、お前にうちの肉を売る事は出来ねぇ。この店が町唯一の肉屋だったら強がりも言えるが、この町にはうち以外にも肉屋がある。とても逆らえない。
そういう訳だ。お前みたいなガキに大人がやって良い事じゃないが……」
そう言って頭を下げる店主。
その頭部を数秒見つめたヴァンダルーは、頭を下げ返した。
「分かりました。無理を言って失礼しました」
そして何も抗議せず、大人しく店から出て行く。その背に店主が慌てて声をかけた。
「他の肉屋に行ってもきっと無駄だ! もしかしたら魚屋にも話が回っているかもしれない。だが、冒険者ギルドで直接話を付けられれば、何とかなるかもしれない。
うちも、狩人以外には冒険者ギルドから肉を仕入れているからな」
「なるほど。ありがとうございます」
そして店を出たヴァンダルーは、外で待たせていたファングの頭を撫でると、冒険者ギルドへ歩を向けた。
『陛下、どう言う事ですか?』
「多分、ヨゼフが嫌がらせを一段階強めたのでしょう。俺に対して食材を売らないよう、各問屋に圧力をかけたのです」
『ええっ!? それって悪い事じゃないんですか!?』
『ヴァン君っ、衛兵っ! 衛兵に通報しよう! 面倒ならアタシが溺死させるし!』
驚くレビア王女と激高するオルビア。それを抑えるようにキンバリーが『いや、通報は無駄だと思いますぜ』と発言した。
『あの商業ギルドのサブギルドマスター、こういう事には慣れてるに違いねぇ。証拠になりそうな書類の類は最初から作ってないに決まってますぜ。
さっきの肉屋の親父のところへも、使いをやってボスに肉を売らないように口で遠まわしに脅しただけでしょう』
『そうしておけば、いざ追及された時もしらばっくれる事が出来る。私もよく使った手口です』
『チプラスさん……』
『そういう訳ですのでヴァンダルー様! ヨゼフを始末する方向で行きましょう! 奴が嫌がらせにめげない我々に業を煮やし、屋台を営業できない状態にして審査を失格にさせようとしている事は明白です!』
「まあ、俺も一応『多分』と付けましたけど、ヨゼフとその手先の仕業で確定だとは思いますが……」
ヴァンダルーもチプラスの主張に頷いた。状況証拠しかないが、現在この町で食材を扱う問屋に圧力をかける事が可能で、だが冒険者ギルドには圧力をかけられない人物と言えば、ヨゼフぐらいだろう。
「でも、今からヨゼフを闇に葬ってもすぐに食材が買える訳じゃありませんし……殺してアイラに【変幻】して入れ替わって貰うのも、後々辻褄を合わせるのが面倒ですからね。
ヨゼフに何かあった時、捜査側に一番疑われるのは怪しいダンピールである俺でしょうし」
自分の怪しさを理解しているヴァンダルーは、だからヨゼフは放置し続けると言った。
「ヨゼフに何かあるのは、俺達が表向きは町を後にしてからの方が望ましいですから」
『……そういう事ならば。何、冒険者ギルドで食材が手に入れば問題ありませんからな。多少高くなるかもしれませんが、そこは前もってマイルズに串焼きを大量購入するための金を渡しておけばいいだけの話ですし』
『そうだね、今の内だけだって思えば……』
『逆に哀れに思えるってもんでさぁ……キヒヒヒ!』
「皆、殺気は抑えてくださいね。ファングが緊張しています。冒険者の人達に気がつかれても面倒です」
そう話しながら辿りついた冒険者ギルドの前で、再びファングを待たせる。テイムした生物は基本的にギルドに連れて入れない規則なのである。
「くぅん」
まだ人間嫌いが抜けていないファングが不満そうに鳴くが、こればかりは仕方ない。
「オルビア、ファングについていてあげてください」
『は~い! ほら、アタシが一緒だから安心しなよ』
姿を消したまま、しかし声は聞こえるようにファングの耳元で囁くオルビア。彼女にファングを任せて、ヴァンダルーはギルドの中に入った。
冒険者ギルドは、昼近くになっていたので空いていた。それでも町で噂になっているヴァンダルーを知っている者は多いのか、依頼が張り出されているボードを眺めている冒険者や、カウンターの奥にいる職員が好奇心の浮かんだ目を向けた。
だがその知名度のお蔭で、幸運にも機嫌の悪いゴーストを漂わせているヴァンダルーに絡む冒険者はいなかった。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。御用件をお願いします」
「すみません、食肉を買いたいのですが余っている肉はありませんか?」
ヴァンダルーは適当な受付嬢に用件を告げながら、身分証である商業ギルドの仮登録証を見せた。
「すみません、食肉は今の時間はちょっと……」
しかし、受付嬢から良い返事を聞く事は出来なかった。まさかヨゼフの圧力かと思ったヴァンダルー達だったが……ただ時間帯の問題だったようだ。
冒険者ギルドが取引する食肉は、当然だが冒険者が狩って来る物だ。そして冒険者の多くは朝に依頼を受け、日が沈む前に町に戻ってくる。そのため、問屋が肉を仕入れるのは夕方からなのだ。今は昼前で、早すぎる。
朝方戻ってくる冒険者もいるが、そうした者達が納めた食肉を買うには今は遅すぎた。
食肉は生物なので、悪くならない内に問屋や料理店に引き取ってもらおうと冒険者ギルドは努力しており、その結果纏まった食肉の在庫は残っていなかったのだ。
「では、討伐証明部位の買い取りは可能ですか?」
ヴァンダルーは普通の食肉は諦め、冒険者ギルドが冒険者から魔物を討伐した証明として買い取る、討伐証明部位は手に入らないかと考えた。
討伐証明部位の殆どは、魔物の耳や尻尾の先端等食材や錬金術の素材にならない部位だ。しかしスラムの屋台等ではゴブリンやコボルトの耳や、ジャイアントラットの尻尾等を刻んで団子にした物を料理して出している事からも、買取りが可能だ。
冒険者ギルドでは焼却処分に必要な手間と燃料代の節約になり、慈善事業にもなるのでただ同然で売っているそうだ。
ヴァンダルーは以前、冒険者ギルドは集めた耳から魔物の種族をどう見分けているのか、そして買い取った耳をどうしているのかと疑問に思っていたが、その答えの一例がこれだ。
「すみません。それも……引き取り先が決まっているので」
しかしそれも先約があるらしい。ただ同然の討伐証明部位と言っても、無限にある訳ではない。しかしスラムの屋台ではそれが無いと商売が出来ない。そのため、前もって引き取り先は決まっていて、その日入った討伐証明部位を均等に分ける仕組みになっているそうだ。
「ええと……依頼を出されますか? 運が良ければ、数時間で食材が手に入ると思いますが」
「有りがたい申し出ですが、それは難しいでしょう」
ギルドの中には殆ど冒険者はいない。依頼を出しても、今からたいした儲けにならないジャイアントラットやホーンラビットの肉を大急ぎで持ってきてくれるような冒険者はいないだろう。
破格の報酬を提示すれば可能だろうが……経費として帳簿に付けなければならないので、春の審査で拙い事になる。
「分かりました。また機会があったらその時はお願いします」
ヴァンダルーは一礼してカウンターから離れ、「またのご利用をお待ちしています」と言う声を背に受けながら冒険者ギルドを出た。
『どうします? 今日の屋台はお休みする事にして、夕方改めて食材を買いに来ますか?』
『それとも、いっそ方針を変えてテイマーギルドにしておきますか? 商業ギルドと違って、あのギルドマスターは好意的なようですし』
「いえ……なんだかここで諦めたらヨゼフに負けたようで気分が悪い。俺や母さん、皆で始めた屋台稼業をこの程度の嫌がらせで躓かせる訳にはいきません。
食材は、力づくでも取りに行きましょう」
その日ケストは町の門で番をしながら、先程覚えた嫌な予感を忘れられずにいた。
朝番で交代した先輩衛兵のアッガーが、妙に機嫌が良かったのだ。しかも、「これで、あと少しであの女が手に入る」とか不穏な事を囁いていたのを聞いてしまったのだ。
(先輩が言うあの女って、まさかヴァンダルーの母親だったダルシアさんじゃないだろうな? 幾ら先輩でも、『飢狼』なんて大物が眼を付けている人にちょっかいを出すとは思えないけど……。いや、そもそも先輩なんかより、その『飢狼』のマイケルに目を付けられているダルシアさんと、ヴァンダルーは本当に大丈夫なのか!?
でもあそこで屋台を開く以上、『飢狼』と関わらずにはいられないだろうし……ああ、俺は無力だ)
ケストは顔では勤務に集中しつつも、内心では懊悩していた。
「……ケスト、耳と尻尾をどうにかしろ」
「えっ!? あ、すみません!」
だが心の乱れが耳と尻尾に出ていたらしい。注意を受け、慌てて耳をぴんっと伸ばす。
「まあ、今は人通りが無いからいい……とは言え何人かは通るか」
アッガーとは違い真面目な先輩に言われてケストが振り向くと、そこには手押し車を引いた少年……懊悩の理由の一つであるヴァンダルーと、見た事のある犬が一頭いた。
「こんにちは」
「ヴぁ、ヴァンダルー君!? ど、どうした? 何かあったのか!?」
「落ち着け、勤務中だ! ……町を出るのかい?」
まさか嫌がらせに耐えかねて町を出るのかと慌てたケストを抑えて、先輩衛兵がヴァンダルーに尋ねる。
「はい、ちょっと仕入れに行こうと思いまして」
そう聞いたケストが改めて荷車の荷台を見ると、そこには荷物の類は何も無く空だった。
「ああ、屋台の仕入れか。そうか、てっきり……いや、何でもないんだ。あまり街道から離れた場所にはいかないようにな。それと普通の草原や林でもゴブリンや弱い魔物が出る事があるから、注意して。幾ら頼りになる番犬がいるからって、油断するなよ」
「っ!? ワンワンワン!」
ファングの鳴き声を「任せておけ」と言う意味だと解釈したケストは、彼の頭を撫でて「ご主人様をしっかり守るんだぞ」と話しかけた。
「ケスト、知り合いなのは分かるが送り出す前に身分証を確認しろ。
身分証を」
ヴァンダルーが差し出した二つの身分証を見て、先輩衛兵は少し驚いたように眉を上げた。
「商業ギルドの仮登録証だけじゃなく、テイマーギルドの準組合員証もあるじゃないか。短い期間で良く飼いならしたもんだ。
テイマーギルドの組合員は正規でも準でも通行税は五バウム免除される。だから未成年の場合はタダだ。
日が沈む前には戻って来るんだぞ」
「はい、ありがとうございます」
身分証を返してもらったヴァンダルーは軽く頭を下げると、空の荷車を引いて町を出て行った。それを見送ってから先輩衛兵はケストに尋ねた。
「ところで仕入れって……何を仕入れるんだ?」
「タレに使う香草だと思いますよ。珍しい風味で……多分、何処かで採取して来るつもりなんでしょう」
「なるほど。噂のダークエルフ秘伝のタレって奴か。俺も一度買いに行ってみようかな」
ヴァンダルーが仕入れようとしているのは、タレに使う香草だと思い込んでいるケストの説明に、先輩衛兵も納得して頷いたのだった。
しかし一方ヴァンダルーは、そのまま町を出て草原では無く最も近い魔境に向かっていた。
交易都市であるモークシーには、大規模な農業地帯は無い。そのため食料の多くを交易、そして狩猟採集で賄っている。
魔境での狩りもその一部だ。と言うか、複数の魔境が近い場所に、その産物を得るためにモークシーの町が作られたのだ。
「さて……あまり町から離れる訳にもいかないので、この湖と森の魔境にしましょうか。後で町の周辺の監視体制を見直さないと」
そう言いながらヴァンダルーはファングの首輪を緩め、そして彼に向かって手を差し出した。
「……?」
「ではファング、そろそろ実験は終了です。約一週間、人間社会で俺と生活を共にしてもそれだけでは動物は魔物に変化しない事がお蔭で分かりました。なので……そろそろ次の実験です」
はっはっと舌を出したまま呼吸するファングの前で、ヴァンダルーは鉤爪を伸ばし、それで自分の腕を傷つけた。
血が飛沫を上げ、地面に滴る。
「アンデッドの交配実験で生まれた個体ではない、普通の動物も俺の一部で変異するのかの実験です」
ファングは眼の前で血に濡れているヴァンダルーの腕の匂いを暫く嗅いだ後、ペロペロと舌で血を舐め取り始めた。
そして血を舐め取り終えると、ファングからミヂミヂと体が軋むような音が響き始めた。
「ウォォォォォォン!」
一回りも二回りも、物理的に大きく成長したファングが雄々しく雄叫びをあげる。緩めたはずの首輪は、彼の首にぴったり嵌っていた。
それを確認して満足気に頷いたヴァンダルーは、ファングを労うように撫で、そして魔境の奥を指示した。
「無事変異もしたようですし、これからレベリングを兼ねて狩りに行きましょうか」
「ウォン!」
大型犬並の大きさになったファングは、誇らしげに鳴くと、高揚感に身を任せて駆けだしたのだった。
「あ、ちょっと待って」
「ウォン! ガルルルル!」
茂みから突然襲い掛かって来たファングに、その魔物……ジャイアントホーンラビットは角を振りかざして迎え撃った。
ジャイアントホーンラビットは、ランク1のホーンラビットがランクアップした魔物で、ホーンラビットをそのまま大型犬並に大きくしたような姿をしている。
ランクアップの際に草食性から雑食性に変化したが、もっぱら虫や小動物、そしてランクアップ前同様に植物を食べる臆病な魔物である。
しかし頭部の角は鋭く硬い。突かれれば致命傷になりかねない。
ジャイアントホーンラビットは身を守るため、自分と同じくらいの大きさのファングに向かってその角を振るった。
「ギャインっ!?」
横っ面を角で殴られ、思わず怯むファング。苦し紛れの攻撃があっさり当たった事に驚いたジャイアントホーンラビットだったが、この好機を逃さず敵を無力化するべく頭を低くし【突撃】を仕掛けようとした。
逞しい後ろ足の筋肉に力が漲る。
「【舌鋒】」
その頭部が、駆けつけたヴァンダルーの【格闘術】の武技……伸ばした舌による鋭い一撃によって貫かれ、ジャイアントホーンラビットは絶命した。
「クウゥン、クウゥン」
「ダメでしょう、ファング。俺達は皆の晩御飯、串焼きの材料にするための狩りをしに来たのに、お前が魔物のご飯になってどうします」
「魔物と戦った経験も無いのに、飛び出して」
「ダメだよぉ、調子に乗っちゃぁ」
「キチキチキチ」
「クゥン……」
危ないところを助けられたファングは、ヴァンダルーと彼からずるりと姿を現した先輩達の説教を受けて耳をだらりと垂らした。
「力が漲るのは分かる。だけど、幾ら力があっても経験が無くては勝てない。戦闘の経験を、妾以外を見習ってこれから積みなさい」
「クインは自分じゃ戦わないからねぇ……頑張るんだよ」
『ぷぐるるるっ』
「クイン、アイゼン、キュールが血抜きをしておいてくれたので、俺は解体にかかります。あ、ファング。途中でおいて来た荷車を取って来てください」
しかしいつまでも叱っている時間は無いので、反省したようだし早速仕事にかかるヴァンダルー達。
「ウォン!」
ランク2の魔犬に変異したファングの犬生は、まだ始まったばかりである。
・名前:ファング
・ランク:2
・種族:魔犬
・レベル:0
・パッシブスキル
暗視
怪力:1Lv
気配感知:1Lv
直感:1Lv
自己強化:導き:1Lv
・アクティブスキル
忍び足:1Lv
・ユニークスキル
ヴァ■■■■の加護
9月13日に210話を投稿する予定です。




