二百四話 いざ仮登録へ
再構築と崩壊を繰り返しながら、少しずつ組み立てられていく『自分』と、それを手伝ってくれている皆をヴァンダルーは楽しげに見つめていた。
何時の間にか人が増えた気がするけれど、今はそれを気にするより楽しさの方が勝っていた。
『ヴァン~、この黒くてネバネバの何かが取れないよ~』
ふと気がつくとパウヴィナ達がブロック……ヴァンダルーの欠片に混じった何かを発見したようだ。
『一部の欠片に、黒く粘り気が強い何かが混じっていまして……旦那様、これは何でしょうか?』
『あまり良いものじゃないのは分かるんだけど、微妙にヴァンダルー様っぽくないし』
ベルモンドやエレオノーラも困惑してその何かを見ている。ヴァンダルーが周囲の眼球や複眼で彼女達が指差す欠片を確認すると、そこには黒い筋のような物が入っていた。
上等な食肉に入ったサシのように、黒い何かが欠片に混じっているのが見える。それを確認した瞬間、ヴァンダルーは何故か嫌悪感を覚えた。
人間、誰しも自分の中に認めたくない一面を持っているものだが、そうした類のものとは違う気配を感じる。しかし何なのか思い出せない。
『は~い、アンコールですね』
思い出せなかったので、頭蓋骨のドームの中にいるカナコに踊ってもらった。彼女の足が動く度に、灰色の肉塊に溝が刻まれて、ヴァンダルーにとって程良い刺激になる。
『むっ、負けてはいられん!』
骨人がそれに触発されたのか目の前の欠片に切れ目を入れ始める。やや刺激が強いかもしれない。
だがそうしているうちに思い出した。あの黒い物は、ロドコルテにかけられた三つの呪いだと。
【前世経験値持越し不能】、【既存ジョブ不能】、【経験値自力取得不能】の三つの呪いをヴァンダルーはロドコルテにかけられている。
それらは今も効果を発揮しているが……今ではヴァンダルーの障害には殆どなっていなかった。
寧ろ、呪いのお蔭で魔力の量が増えている可能性もあるぐらいだ。
『それでどうするのじゃ、坊や? かなり骨じゃが、全てとってみるか?』
ザディリスに問われたヴァンダルーは迷った。ここで組み立て作業を中断して呪いを解く事にチャレンジするか、それとも無視して作業を続けるか、どちらにしようかと。
呪いの内【前世経験値持越し不能】は、『ラムダ』に転生して既に十年以上経っている今現在ではほぼ意味が無い。それに【既存ジョブ不能】も、新ジョブが幾つもある状態なので不自由はしていない。
【経験値自力取得不能】は唯一今も障害になっているが、【死霊魔術】や使い魔王等があるので多少気を付ければ問題無い。
そうした呪いを解くために、魂の再構築を止める価値があるのか。
そして止めたところで、呪いを解く事が出来るのか?
ヴァンダルーは試しに組み立て終わっていた手を使って、適当な欠片を一つ切り開いてみた。そして断面をよく見ると、小さな黒い斑点のような物を見つけた。
『……これは、全てを取り除くのはとても無理ですね』
レビア王女が残念そうに肩を落とす。
黒い何かを全て取り除くには、ヴァンダルーの魂の欠片を全て細かく裁断でもして、一つ一つ確認しながら作業するしかない。だが、ヴァンダルーの欠片は子供の掌に乗るサイズから、ヴィガロが四本の腕をすべて使わないと抱えられない大きさまで、様々だ。
それが恐らく高層ビルと同じぐらいの体積分転がっているのである。何時の間にか人数が増えているが、それでも手が足りない。
『それに、幾ら坊主でも欠片を更に細かくバラバラにしたら悪影響が出るんじゃねぇか? 今だって多少は困ってんだろ』
ボークスの言う通りで、既に一度バラバラになったからと言ってその破片を更に細かくしても大丈夫とは限らない。
それに、何時までも手足に力が入らないのは困る。モークシーの町に潜入したのは、ムラカミやビルカインを誘きだす為でもあるのだから。
『じゃあ、欠片の表面にある分だけでも取っておくか? 多少はマシになるかもしれないぜ』
何時の間にかいたシュナイダーがそう提案した。黒い部分を全ては無理でも、ある程度取れば呪いの効果が軽くなる事は十分考えられる。
気休めではあるが、放っておくのも気持ちが悪い。
『分かった。じゃあ欠片の表面にある部分だけ取って集めるぞ、上手く剥せない時は近くの奴と協力しあえよ!』
シュナイダーがそう号令を出し、皆がそれに応じて……微妙に鈍い動きで動き出す。やはり夢だからか、意識の働きが鈍いようだ。
『おぉぉぉ~ん』
そうして集まった黒い呪いの塊をクノッヘンが運んでくる。
それを受け取ったヴァンダルーは、まさか誰かにくっつけるわけにはいかないので【魂喰らい】で砕く事にした。喰らわずに、砕いて消滅させるだけだ。
呪いの一部は、ヴァンダルーの手で容易く砕け散った。
ロドコルテは、自身の神域に戻った後すぐに『五色の刃』のメンバー、『灰刃』のエドガーの魂にかかりきりになっていた。
『……この作業にどれほどの意味があるのか?』
本来なら、ロドコルテは傷を負った魂の修繕……治療は行わない。意味がないからだ。
ロドコルテの手元に魂がある時点で、通常ならその魂が宿っていた肉体は死んでいる。つまり人生を既に終えている。
ならどれだけ傷ついていようと輪廻転生システムに乗せてそのまま来世に送ればいいだけの事だ。そうすれば魂の傷はほぼ治る。
人間に生まれ変われば健常な魂を持つ赤子と比べれば少々変わった行動や反応が増えるかもしれないが、それだけだ。数年も経てば魂の傷は完全に治り、新たな人生を歩むだろう。
人間以外に生まれ変わる場合は、そうした影響すら出ないはずだ。
だと言うのに何故エドガーの魂の修復をしているのかと言うと、『法命神』アルダに依頼されたからだ。彼が脱落すると、『五色の刃』の戦力が大きく落ちるので何とかして欲しいと。
『確かに、『五色の刃』はヴァンダルーを大きく追いつめた。今まで奴と戦った者達の中で、最も善戦した。それは認めよう』
少なくともこれまでロドコルテが送り込んだ転生者達……【グングニル】の海藤カナタや、【デスサイズ】の近衛宮司よりは、ずっと。
一連の戦いの記録を見たロドコルテも、彼らならヴァンダルーを倒せるかもしれないと言う可能性を感じる事が出来た。……万に一つ程度には。
あのダンジョンではヴァンダルーの力は大きく制限されていた。半減とまでは言わないが、三分の二に届いたか怪しいとロドコルテは見ていた。
しかも、途中で『記録の神』キュラトスが乱入しなければエドガーだけでは無くデライザ、そして肝心のハインツまで魂を喰われ消滅していたに違いない。
それにあのダンジョンは大きく破壊されてしまっていて、あれ以上ハインツ達が強くなれるかも不明だ。
『だと言うのに、チート能力も無いこの男を復帰させるために私の手を塞ぐとは……しかも治療の為以外には彼の魂に余計な事をするなと注文までつけるとは。
てっきり、転生者と同じチート能力をつけるよう要求してくるかと思ったのだが』
『……いや、アルダって神様の判断は正しいと思うぜ。あんたに余計な事をするなって釘を刺したのは大正解だし、他にもな』
亜乱がそう言いながら、ロドコルテに声をかける。彼の視線はエドガーの魂に注がれており、痛ましげな様子だ。
霊的な生命体である御使いに昇華した亜乱にとって、深く傷ついた魂は見ていて気分の良いものではないはず。
例えるなら、全身の九割以上の生皮を剥されたエドガーに、消滅したニルタークの英霊ルークの皮膚を移植して、更にエドガーの記録を元に整形手術を施す。そんな作業である。
しかし魂の修復作業に興味があるのか、亜乱が視線を逸らす様子は無い。
見られて困るものではないので、ロドコルテはそのまま訊ねた。
『他にも、とは?』
『俺達転生者に期待してない事さ。今まで送り込んだ奴はムラカミとその仲間を除けば、結局全員黒星だろ? だったら、アルダからすれば自分達が育てている中で最も強い手札は絶対に喪いたくないだろうよ』
言われてみれば、確かにその通りだ。先にあげた【グングニル】と【デスサイズ】は無残に敗北し、【ヴィーナス】と他二名は裏切った。【ノア】はバーンガイア大陸から逃げて棄権し、【超感覚】もそれに続こうとしている。
他の数人もまだ成果を出していない段階だ。
アルダからしてみれば実績の無い転生者達を信用できなくても無理は無い。
『まあ、そうなるとその重要な手札をあんたの手に預けるのが解せないんだが。他の神様でどうにか出来なかったのか? 加護を与えたり御使いを降臨させたり、魂を扱う事だってしているだろうに』
ロドコルテ以外の神々を知識でしか知らない亜乱には、そう思えるらしい。
確かに加護を与えるのも、【御使い降臨】スキルの発動に応えて一時的に御使いを降臨させるのも、魂に関わる行為と言えなくもない。
しかし、今ロドコルテが行っている行為とは次元が異なる。
『自分達で出来ると思うならアルダ達も私に頼まなかっただろう。それでも頼んだと言う事は、彼らは自分達では不可能だと考えたと言う事だ』
何せ廃人寸前のエドガーの魂を、エドガー本人になるべく近い形で修復しなければならないのだ。人格や記憶だけでは無く、彼が獲得したスキルを以前と同様に使えるようにしなくてはならない。
アルダの知る限り、そんな事が出来そうな神はロドコルテぐらいだった。
(ヴィダ派になら、あるいは存在するかもしれないが)
ロドコルテからすれば不愉快な想像だが、輪廻転生システムを扱っていると言う意味ではヴィダも魂の専門知識を持っていると言える。その彼女自身や、彼女の従属神達ならエドガーの魂を修復できるかもしれない。
最も、アルダにとってはロドコルテ以上にあり得ない依頼先になるだろうが。
『私としては、私に話しかける今のお前の行動の方が信じ難いが。やはり会議で決まった事や、『五色の刃』とヴァンダルーの戦いの事が気になるのか?』
『……当たり前だ』
『なるほど、それで他の二名が『五色の刃』の記録からヴァンダルーの情報を分析している間に、お前がこうして私から話を聞き出そうとしている訳か。【監察官】の方が適役では? 私が嘘をつかない保証は無いと思うが』
『泉だと、あんたが何も答えないかも知れない』
『……ふむ、確かに』
エドガーの治療をしながら、【監察官】の能力で見抜かれないよう嘘ではない範囲で返答しながら秘密を守る。ロドコルテにとっても面倒な行為だ。それよりは、質問を無視して一言も応えない方がずっと楽だろう。
だが会議……アルダ達との話し合いでは、亜乱達に隠す程の事は何も決まっていなかった。彼らも予想している範囲の事ばかりだったのだから。
『転生者に関しては、ヴァンダルーと戦う意思をどうしても示さない場合、記憶を消す。そして成人の肉体を与えてアルダ達の勢力下の神殿内に転生させるか、能力だけ回収して赤子として転生させる事になった』
『前者に関しては予想していたが、後者は何でだ?』
『転生者毎に向き不向きがあるだろうとアルダ達が考えたからだ。幾ら記憶を消し、勇者として仕立て上げても、以前の性格が残る以上戦いに不向きな者は不向きなままであるらしい』
人格的な要素が完全に消えるまで記憶を消すと、その人物は言語や歩き方まで忘れて赤子同然の状態になってしまう。そのため転生者達を戦力に仕立て上げたいのなら、言語等基本的な知識は残したまま記憶だけを消す事になる。だが、そうすると転生者の性格も残ってしまう。
その残った性格が戦いを好まない性格や、自分に馴染みの無い宗教に不信感を覚える性格である場合、邪魔になる。
『転生した後神殿の者達に不信感を覚えて逃げ出したら、面倒な事になるそうだ。それぐらいならいっそ、与えた力を回収して他の者に与えた方が可能性は高いと言う事らしい』
『なるほど。いっそ、その方が良いかもな』
亜乱は『オリジン』でまだ生きている仲間達の事を想い、そう考えた。記憶を消され、力を取り上げられる。しかし、それは死んで生まれ変わるのなら当たり前の事だ。仲間達の中に三度目の人生が待っていると知っている者は、誰もいないのだし。
少なくとも、本人の意思に反してヴァンダルーに魂を喰われるかもしれない戦いを強制されるよりはずっと良いだろう。……特に、【エンジェル】の成美は知らないままでいた方が幸せである事があり過ぎる。
『転生者と言えば、『オリジン』で何かあったのか? お前達の思考に妙な偏りを感じるのだが?』
『何の事だ?』
エドガーの治療の合間に、亜乱達の記録をざっと見たロドコルテがそう言葉に出して尋ねたが、亜乱は平然としていた。
しかし亜乱を御使いに昇華させたロドコルテは、彼が動揺を隠しているのを見透かしていた。これはエドガーの治療が多少遅れても、亜乱達の記録を精査すべきかもしれないと言う考えが意識を過る。
だが、それとは別の理由ではロドコルテはエドガーの治療を止めた。自身の力の一部……極一部が消滅した事を感じ取ったからだ。
『……ヴァンダルーが私のかけた呪いをほんの一部だが砕いたのか? 無駄な事を』
ロドコルテがヴァンダルーの魂にかけた呪い。あれは既にロドコルテ本人にすら解けなくなっている、主にヴァンダルーのせいで。
『五色の刃』の記録から見たが、ヴァンダルーは他者の魂を砕くだけでは無く喰らう事で吸収している。そのせいで魂の形が大きく変貌してしまっている。
もうロドコルテ自身が消滅しても、呪いが解けるかは分からない。確実に解除するには、ヴァンダルーが自分自身の魂ごと消滅させるしかないだろう。
だがヴァンダルーが呪いの解除を試みたと言う事は……やはり魂を傷つけられ、自分で自分の魂を喰った程度ではすぐに回復してしまうようだ。
『あまり時間をかけている余裕は無いか』
『オリジン』の転生者達は、数年の内に動き出すだろう【アバロン】の六道聖によって前回よりも多くの数が死ぬ事になるだろうが……それを待ってはいられないかもしれない。
そうなると、今ロドコルテの手の中に在るエドガーは現在存在する対ヴァンダルー戦力としては貴重な存在になり得る。
『だが、このままでは復帰するまで時間がかかる。この英霊の破片も、使える部分はすべて使ってしまったし……仕方ないか』
『えっ? おい、何だ、それ!?』
ロドコルテは懐から魔王グドゥラニスの魂の欠片……その中でも名前を付けて分類する程ではない残留思念や記憶の断片を取り出し、それを使ってエドガーの治療を続けた。
『おい、今、見ただけで危険だって分かる色の粉を振りかけたよな!?』
『君が知らなくても良いものだ』
魔王の魂の欠片である事は変わりないが、元々廃人同然になるところを英霊の魂の欠片を移植なんて前代未聞の事を行っているのだ。多少の副作用は構わないだろう。
アルダが封印しているグドゥラニスの魂の欠片でも重要な部位……欠片同士を繋ぎ合わせグドゥラニスとして復活するのに必要な【魔王の核】と、欠片が宿主に寄生せずにグドゥラニスその物として活動するのに必要な【魔王の生命】と結びつくと危険かもしれない。
しかし、その可能性より復帰したエドガーの魂がヴァンダルーに喰われる危険性の方がずっと大きいので考慮する程ではないだろう。
『これで治療に必要な時間を短縮する事が出来る。お前達には、その間私の代わりにシステムの様子を見てもらう事になる』
『……分かったよ』
粉の正体について聞き出すのは不可能だと諦めたらしい亜乱は、そう返事をしてロドコルテから離れて行った。
その後ろ姿を見ずに、ロドコルテは考えていた。
(亜乱達三人は不忠実なりに役には立っている。私がアルダとの話し合いに向かう事が出来たのも、今エドガーの治療に専念できるのも、亜乱達がシステムの様子を見ているからだ。自我の無い御使いでは、こうはいかない。
今暫くは放置した方が良いだろう。少なくとも、『地球』や『オリジン』の様子を見ている限りは問題無いはずだ。ヴァンダルーは『ラムダ』にしかいないのだからな)
亜乱達の記録を見る事よりもエドガーの治療を優先したロドコルテだが、そのせいで彼は『オリジン』にヴァンダルーはいなくても、バンダーがいる事を知る機会を逃したのだった。
宿屋で目覚めたヴァンダルーは念のためにステータスを確認したが、やはり呪いはそのままだった。
しかし昨日よりもずっと手足の痺れが軽くなっており、身体を動かせる事を確認してほっと息を吐いた。
そしてダルシアと宿を出て、まず屋台を購入した。
「ヴァンダルー、本当に大丈夫なの?」
「問題ありませんよ、母さん」
ヴァンダルーはエレオノーラ達が潜入し牛耳っている犯罪組織の情報網で、去年屋台稼業を引退した老人を割り出し、彼から中古の屋台を買いとった。
「少し綺麗にすれば問題無く使えます」
口止め料を込めて相場の三倍の額を受け取ってホクホクしながら去っていった老人は、大切にこの屋台を使っていたようだ。掃除すれば、すぐに表通りに立てるだろう。
「そうじゃなくて、手足の痺れと魔力の事よ」
だがダルシアが心配しているのはヴァンダルーの手足に残った痺れと、完全には回復していない魔力についてだった。
「……まあ、串焼きはそんなに難しい料理じゃありませんから。魔力も半分ぐらいまでは回復していますし」
魂が再構築中であるためか、ヴァンダルーの魔力は半分程しか回復していなかった。
半分しか回復していない状態でも魔力は約三十五億もあるので、問題無いと言えば無いのだが、ダルシアの顔は心配そうだ。
「でも、もし戦いになったら危ないじゃない。……やっぱりベルモンドさんを呼んで、血を飲んだ方が良いんじゃない?」
声を潜めてダルシアはそう提案した。【供物】のユニークスキルを持つベルモンドの血は、魔力を急速に回復させる効果がある。普段なら彼女の血を飲めばすぐに全快するはずだ。
「だけど母さん、今ベルモンドは犯罪組織でボスの秘書兼愛人役をしていますから、今呼ぶのはちょっと……。それに、これは多分魂関連の問題でしょうから普通に血を吸っただけでは治らないかも知れません」
折角誰にも気がつかれずに犯罪組織を乗っ取ったのに、それを破綻させる危険を冒させた挙句意味がありませんでしたでは、あんまりだろう。
「そうね、魂に関する事だとどうなるか分からないものね。……そうだわっ、母さんの血を飲んでみるのはどうかしら? 母さん、これでもヴィダ様の化身だし、もしかしたら効果があるかもしれないわ! ヴェルド先生も、間違っても魔王軍残党の邪神悪神の復活を企む奴には血を渡すなよって言ってくれたから!」
流石『生命と愛の女神』の化身。その血にはある意味絶大な価値があるようだ。
「それに母さん、再生力には自信があるのよ。ヴァンダルーがお腹いっぱいになるまで血を飲んでも、すぐに元通りになるわ」
そしてダルシアは【超速再生】スキルを5レベルで持っているので、血液もすぐ治るようだ。
「……じゃあ、一度宿の部屋に戻ってから」
今は声を潜めているが、流石に屋外で吸血するのは拙い気がした。そのため屋台を掃除した後、一旦宿に戻ってからヴァンダルーはダルシアの血を吸血する事にした。
「牙は遠慮しないで深くまで刺すのよ。浅いと、すぐに傷口が塞がっちゃうから」
「はい、母さん」
ダルシアの首筋に、言われた通り深く牙で噛みつく。温かい血が口内に溢れて来て、ヴァンダルーはその味を感じた瞬間目を見張った。
濃厚で滋味豊か、それでいてすっと身体に染み入るように抵抗なく入って来る。すると、身体の奥底から力が湧いてくる。
「んっ……こうしていると、昔ヴァンダルーにお乳を上げていた頃の事を思い出すわね」
普段なら羞恥でヴァンダルーが悶えるような事を、ダルシアが囁く。しかしそれが意識に残らない程、彼の体内には力が漲っていた。
今朝目覚めてから手足に残っていた痺れが消えていく。
《【生命力強化】スキルを獲得しました!》
《【生命力強化】と【業血】スキルのレベルが上がりました!》
ダルシアの血の効果はそれだけにとどまらず、何と血を飲んだだけでスキルを獲得し、更にレベルが上がった。
一口飲んだだけでこれなのだから、邪神や悪神の封印の一つや二つ軽く解けそうだ。女神の化身の血、恐るべし。
「母さん、もう大丈夫です。これ以上飲むと、力が漲り過ぎてどうにかなりそうです」
牙を引き抜いてヴァンダルーがそう言い終る頃には、ダルシアの首筋の四つの傷は綺麗に塞がっていた。
「そう、じゃあ一休みしたら屋台を引いて商業ギルドまで行きましょうね」
「……今なら地平線の向こうまで屋台を引いて走れそうです。ただ、痺れは良くなったけれど魔力はまだ回復していないみたいです」
「やっぱり魂の方に原因があるみたいね。でも痺れには効いたし、効果はあるのかもしれないわ。
じゃあ、これから毎日一回母さんの血を飲みましょうね」
「……商業ギルドに仮登録したら、出来るだけ早く家を借りるか買うかしましょう」
最初に泊まった『ムクドリの宿』程ではないが、この宿も防音設備やセキュリティが厳重とは言い辛い。それに血を吸っている途中で宿の従業員が部屋を掃除に来たら面倒だ。
ヴァンダルーは親子のプライベートを守るため、予定を早める事を決めた。
商業ギルドは、町の入口近くにあった冒険者ギルドと違い町の中心部……領主であるモークシー伯爵の住まい兼政治の中枢である館の近くにあった。
平民が住む住宅街や商業区と、領主を筆頭にした貴族や高級官僚や成功した商人や冒険者等が住む高級住宅街の丁度境目なので、丁度良い立地なのだろう。
そこに向かうまでの間、ダルシアと屋台を引くヴァンダルーは町の人々の視線を大いに集めた。
「やっぱり、ダークエルフって目立つのかしら?」
「そうですね。見回してみても、エルフは何人か見かけましたけど、ダークエルフは一人もいませんし」
「でも私の【混沌】スキルだと肌を白くは出来ないのよね。……あ、もしかして耳を丸くすれば良かったのかしら」
正確にいえば、町の人々が注目しているのはダルシアだった。アルクレム公爵領の交易都市の一つであるこのモークシーでも、ダークエルフは珍しい存在だ。
そのダークエルフの美人が歩いているのだから、町の人々が思わず視線を向けてしまうのも無理は無い。
「……それでもあまり変わらなかったかも」
だがダルシアが耳を丸くして人種のように変装しても、バーンガイア大陸の北部に位置し雪のように白い肌の人々が多い中、褐色の肌をした美女は、やはり注目を集めてしまうだろう。
なお、町の人々にはヴァンダルーはダルシアが連れている使用人か何かに見えているらしく、一度視線を向けられた後は殆ど見られていなかった。やはり親子だと気がついている者は、誰もいない。
「明日から、フードを深くかぶって顔を隠した方が良いかしら?」
「まあ、目立つ事は悪い事じゃありませんよ。レーダーで俺の居場所が分かるムラカミはともかく、ビルカインは俺達がいると言う情報を掴まないと、気がつかないでしょうし」
作戦上、ヴァンダルー達はある程度目立たなければならないので、注目を集めるのは悪い事ばかりでは無い。
しかしダルシアが目立つと言う事はトラブルも起こり易くなると言う事でもあった。
「よう、姉ちゃん。俺達と付き合わねぇか?」
「丁度仕事が終わったばかりでよ、酌でもして一緒に祝ってくれよ」
そう言いながら、ダルシアの前を塞ぐようにして二人組の大男が現れた。腰に武器を下げたままなので、冒険者か傭兵だろう。
彼らはダルシアの太腿より太い腕と、金が詰まっているらしい布袋を見せつけながらニヤニヤと笑っている。
「ごめんなさい、私達は忙しいの。一緒に祝ってくれる人が欲しいなら、他を探して」
それに対してダルシアは温和そうな笑みを維持しながら、しかしきっぱりと断った。男達の正面に立ったままで。
「おいおい、つれねぇ事言うなよ」
そう言いながら男の一人がニタリと笑いながら、ダルシアの腕を掴もうとする。もう一人は彼女の胸元に視線を張りつかせ、鼻の下を伸ばしている。
「そうそう、俺達はこれでも傭兵ギルドじゃ名の知れた――い、忙しいところ引きとめて悪かったっ。俺達はこれで失礼させてもらうぜ!」
「ど、どうした? これから良いところじゃ……」
「いいから来いってんだよ! じゃ、じゃあお邪魔しました~!」
しかし腕を掴もうとしていた男は突然それを止めると、慌てて相棒の腕を掴んで逃げるように去っていった。
男に腕を掴まれたら骨が折れない程度に掴み返してやろうと思っていたダルシアは、目を瞬かせてその後ろ姿を見送った後、ヴァンダルーを振り返って首を傾げた。
「ヴァンダルー、今何かしたの?」
「俺はまだ何も。皆も同じですよ」
「……追いかけて、肥料?」
「アイゼン、追いかけちゃいけません」
そう会話しつつも、二人も周囲で見ていた人々も何故あの二人組が逃げ出したのか分からなかった。二人は「まあ、別にどうでもいいか」と考えるのを止めて商業ギルドにそのまま向かい、周囲の人々はあのダークエルフの美女は元冒険者か何かで、それに気がついた男が相棒を連れて逃げ出したのだろうと勝手に推測し、納得していた。
実際には、相棒を連れて逃げ出した男は【直感】スキルを5レベルで持っており、その勘の良さで戦場を生き延びてきた男だった。その【直感】がダルシアに手を伸ばした瞬間「こいつに手を出すとヤバイ!」と警鐘を鳴らし、男はそれに従って逃げ出したのである。
美女から逃げ出すと言う情けない姿を数十人に見られたが、表通りで美女に腕を捻り上げられるか、ヴァンダルーに何かされるよりはずっと良い判断だった。
商業ギルドは一見すると役所のような外観をしていた。
「てっきりもっと派手かと思っていました」
「商業ギルドでは直接商売をするわけじゃないから、これで良いのよ」
『出入りするのは一般の客では無く、商人やその従業員、そして税関係の官僚ばかりですからな』
そう言いながら屋台を止めてギルドに入ると、既に昼近い時間である事もあって、内部には殆ど人はいなかった。
この分なら仮登録も早く終わるだろう。しかし商業ギルドの事は冒険者ギルド以上に分からないため、何か起こりはしないかと不安が拭えない。
そんなヴァンダルーは、この日の為に頼りになるアドバイザーを準備していた。
原種吸血鬼テーネシアの腹心である『五犬衆』の一人、ベルモンドとアイラの元同僚である吸血鬼……のゴースト、『名犬』のチプラスである。
ハインツによって討ち取られた彼だが、人間社会に潜入し十年もハートナー公爵領の商業ギルドでサブギルドマスターを務めていた前歴を持っている。その経験と知識が今役立つ時だ。
『何、仮登録でトラブルが起こる事は滅多にありません。自信を持って、後ろめたいことなど何もありませんと言う態度で受付嬢に受け答えすれば大丈夫です』
チプラスは好々爺然とした、輝くような笑顔でそう保証する。恰幅の良い体格が貫録と頼もしさを演出し、ヴァンダルーの不安を払しょくした。
『まぁ……あのハインツめに真っ二つにされて殺されたせいで若干生前の記憶に不安があるのですが』
若干不安がぶり返して来た気がする。そう思いながらヴァンダルーは受付嬢がいるカウンターに向かった。
「すみません、仮登録をしたいのですが」
「畏まりました。ですが、書類に記入するのは事業主本人でなければならないと決まっているので……」
「はい、俺が事業主です」
「え? あちらのダークエルフの女性ではなく、君が事業主? 冗談じゃなくて?」
「はい、本当に俺が事業主です」
『そう、ここは押し切るのです!』
商業ギルドで登録するのは事業主だけで、従業員は登録しなくても構わない。だから登録するのはヴァンダルーだけで、ダルシアは串焼き屋台の従業員と言う事にする予定だった。
「……では書類に記入をお願いします」
ギルドの受付嬢はヴァンダルーが事業主であるという主張に納得しがたい様子だったが、未成年が商売をしてはいけないと言う法律はアルクレム公爵領には無い。
彼女には聞こえないチプラスの助言を実行するヴァンダルーに、仕方なくと言った様子で書類とペンを差し出した。
「代筆は必要ですか?」
「いえ、大丈夫です」
ヴァンダルーはそれに名前と年齢、種族、それに事業の内容を記入していく。
「仮登録期間の三か月間事業を継続出来なかった場合、登録を抹消しますので気を付けてください」
「店は一日も欠かさず毎日開かないとダメでしょうか?」
「いえ、定休日はご自由に。しかし、三か月後に帳簿を提出して貰いますので、それで事業継続には無理があると判断された場合も、登録を抹消させていただきます」
具体的な審査基準は言われなかったが……生活が出来る程度稼いでいるなら構わないと言う事だろう。
書き終えた書類を受け取った受付嬢は、記入された内容を確かめながら説明を補足していく。
「屋台ですか。屋台を行う場所はギルドで決めますので、少々お待ちください」
「自由には決められないんですね」
「はい、昔屋台同士の場所とりで諍いが起きたそうで、それからこの町では屋台の場所は商業ギルドで指定することになっています。後は……ダンピール?」
「あ、はい。この通り俺はダンピールです」
そう言いながらヴァンダルーは、付けたまま忘れていた眼帯代わりの布を外して、紫紺と紅のオッドアイを受付嬢に向けた。
「これは……牙と鉤爪の方も見せてもらえますか?」
「はい」
驚いた様子の受付嬢に、牙と鉤爪を見せる。
「な、なるほど。確かにダンピールですね……初めて見た」
オルバウム選王国で今公的に存在するダンピールは『五色の刃』が保護していたセレン一人で、多くの人がダンピールを見るのは初めてだった。この受付嬢も例外では無い。
「ダンピールだと、何か問題がありますか?」
『その調子です』
まさかハートナー公爵領の冒険者ギルドの時のような展開かと、思わず身構えるヴァンダルーとチプラス。しかし受付嬢は「いえ、そう言う訳ではありません」と首を横に振った。
「では、少々お待ちください」
そう言って受付嬢は書類を持って事務所の奥に下がっていった。屋台を開いていい場所を決めに行くのだろう。
「ヴァンダルー、大丈夫みたいね」
「そうですね」
『儂の言ったとおりでしょう』
一度乗っ取った犯罪組織に商業ギルドの規則を調べさせた後だったが、不安はあった。しかし問題無く手続きが終わりそうなので、二人はほっと安堵した。
しかし中々受付嬢が戻って来ない。
「……思ったより屋台が多くて、空いている場所が少ないのかしら?」
「アルダ信者の屋台店主の隣にならないようにとか、気を使ってくれているのかもしれません」
『……嫌な予感がしてきましたぞ』
そう言いながら待っている三人の前に先程の受付嬢を後ろに連れた、恰幅の良い髭を生やした壮年の男がやって来ていった。
「ようこそ、商業ギルドへ。私、当ギルドのサブギルドマスターを務めるヨゼフと申します。少々お話がありますので、事業主様はどうぞ執務室までおいでください」
ヨゼフの言葉を聞いて、ヴァンダルーは思った。【危険感知:死】に反応は無いが、この壮年の男からは嫌な予感がすると。
誰もが【直感】スキルを持っている訳では無い。例えば、このヨゼフのように。
8月24日に205話を投稿する予定です。




