二百三話 何もなかったかのような町で
投稿が遅れてすみません。
衛兵の、特に新米の仕事は大変だ。その中でも最も大変なのが、冬の季節に行う町の門番だとケストは思っていた。これに比べれば町のパトロールや喧嘩の仲裁、犯罪の捜査や夜道端で寝てしまった酔っぱらいの回収作業も楽な物だ。詰所の牢番や書類仕事なんて天国である。
何故なら門番は気が抜けないのだ。他の仕事で気を抜いている訳ではないが……特に緊張を強いられる。
町に出入りする大勢の人々のチェックを迅速に、しかし注意して行わなければならない。遅れれば並んでいる人達に嫌そうな顔をされ、冒険者の場合あからさまに舌打ちしてくる奴までいる。
何より辛いのが、寒さだ。一月だからまだマシだが、朝早くから門番をしているケストの身体は冷え切っていた。
(は、早く昼飯を食べに行きたい)
あの不可解な騒動のせいで遅れているが、もう少しで夕番の先輩達と交代の筈。彼はそれを心待ちにしながら仕事を続けていた。既に昼をやや過ぎた時間帯であるため町から出る冒険者も、入る商人も少ない時間帯で忙しくはない。
(だけど、動いてないと寒いんだよな~っ)
寒さを紛らわせようと小さく足踏みをするケストだが、すぐに先輩のアッガーから叱責を受けた。
「ケストっ、門の前でそわそわすんな! 衛兵だったら用の無い時は置物みたいにじっとして、周囲に気を配れ!」
そう言うアッガーは槍を片手に持ったままビシっと立ち、周囲や街道の向こうに視線を向けている。山賊から命からがら助かった少年に賄賂を要求し小銭を巻き上げ、「今夜の飲み代だ」と小さく笑うような先輩だが、こういう時はしっかりしている。
……ここが失態を隠しにくい場所だから、勤務態度が不真面目だと最悪首になってしまうからだが。
「お前は獣人だろ! 自前の毛皮で暖でも取ってろ、この猫ヤロウめ!」
しかも、当然のように種族的な侮辱を放ってくる。しかしこれも新人の宿命だと、ケストは口元に引き攣った笑みを浮かべ軽く抗議するだけで我慢した。
「先輩、俺は狼の獣人です。それに毛皮なんて耳と尻尾以外には手足に少ししかありませんよ」
「口答えするな、犬なら犬らしくしろ!」
……これも仕事、これも仕事、今の内だけ今の内だけ。脳内でその言葉を呪文のように繰り返して苛立ちを抑えるケスト。
そうして落ち着いた彼が視線を街道に戻すと、向こうから女が一人やって来るのが見えた。フード付の外套を羽織って、荷物を背負って俯き気味に歩いてくる。護衛を雇えない新人行商人にしては荷物が少なく、冒険者にしては武装していない。
そして町に着く時間帯が中途半端だ。怪しいと言えば、怪しい。
だが怪しくないと思えば、それまでだ。単に満足な装備を買えない新米冒険者が、寝坊したのもしれない。
「身分証を」
だからケストは普通に身分証の提示を求めた。
「すみません、持っていないんです」
思っていたより優しげで綺麗な声だが、それで気を抜くわけにはいかない。ケストは事務的な態度で説明を求めた。
「それはどう言う事ですか?」
「はい、実は――」
すると女は答える途中で目深に被っていたフードを降ろして顔を見せた。
冬の冷たい空気に不似合いな、褐色の肌と先端のとがった長い耳がケストの目に映った。女性は、ダークエルフだったのだ。それも、とても美人な。
「実は私、里から出て来たばかりなんです。だからどのギルドにも所属していなくて」
優しげな声に、穏やかな紫紺の瞳。艶やかな肌に、鼻腔をくすぐる甘い香り……。
「あの、衛兵さん?」
「っ! な、なるほど。それは仕方ないですね」
ケストははっとして我に返った。先輩のアッガーがいるのだ、折角アルダ融和派とヴィダ神殿のお蔭で獣人種の彼も衛兵に就職できるようになったのだ。美人に見惚れて評価を落としたくない。
そして反射的にアッガーの方に視線を向けると、思ったより近くに難しい顔をした彼がいた。しまった、また怒られると思うケストだったが――。
「なるほど。では、まずお名前を伺ってもよろしいですか?」
……杞憂だったようだ。あの顔は自分に怒っているのではなく、女性に向けて自分を良く見せようと顔つきを引き締めた(つもり)だったのだとケストは理解した。
「はい、私はダルシアと言います」
「なるほど、ダルシアさんですか。これまで幾つか町や村を通ったと思いますが、そこで身分証を手に入れようとしなかったのは何故ですか?」
「はい、それは――」
アッガーはケストを無視してダルシアに話しかけ続ける。少しでも長く彼女を引き止めたいのか、普段ならしない質問までしている。
(好かれたいなら逆効果だと思うけどなぁ。それに、視線が分かり易すぎる)
傍で見ているケストにも分かるほど、アッガーの視線はダルシアの美貌と豊かな胸の辺りを行ったり来たりしていた。
「それで、この町にはどんな御用で?」
「ええ、息子の様子を見に」
しかしその質問にダルシアが答えた途端、目に見えてアッガーの気分は盛り下がったようだ。
「そ、そうですか。息子さんが……」
「それより随分厳重なんですね。町で何かありましたか?」
アッガーの長い質問を、「厳重な警備体制」だと誤解したのか、それとも何かを感じ取ったのかダルシアがそう尋ねて来たが、肝心のアッガーは気分が盛り下がったため答えるつもりは無いようだ。
「事件と言う訳じゃないですが……町の合同神殿で祭られているアルダ様の神像が持っていた書物が突然砕け散り、アルダの司祭様が白目を向いて倒れてしまって」
「まぁ♪ ……それは大変ですね」
口元を手で隠して驚くダルシアの声が一瞬弾んでいるように聞こえたが、ケストは気のせいだろうと思った。
「ええ、幸い司祭様はすぐ意識を取り戻したそうですけど、大事を取って休んでいるそうです。先輩達は町の皆がパニックを起こさないように、落ち着かせて回っているんです」
実際には司祭はまだ気絶したままだ。しかも、倒れる前に「世界の終わりだぁぁぁ!」と絶叫していた。
そのため合同神殿内はパニックに陥り、それが町中に伝播する前に何とか他の聖職者が人々を落ち着かせ、衛兵隊の努力もあって何とか事態は沈静しつつある。
「そ、そう。それは本当に大変ですね」
「ええ。何年か前も『氷の神』ユペオンの神像が血涙を流した事があったんですけど……あの時も大変だったみたいです」
「ソウデスカ~」
「あ、すみません。長々と引き止めてしまって」
ダルシアの視線が泳ぎだしたのを、町にいるという息子が気になっているからだと解釈したケストは、そこで話を打ち切った。
「では、身分証が無い成人の通行税は十バウムになります」
「はい、分かりました」
ダルシアが懐から出した財布から出した十バウム貨をケスト――では無く、復活したアッガーが受け取った。
「確かに受け取りました。ようこそ、俺達のモークシーの町へ」
「え、ええ、どうも」
態々手を握って通行税を受け取ったアッガーに戸惑いながら、ダルシアは町に入って行った。
「先輩、幾らなんでもやり過ぎなんじゃないですか? 隊長にどやされても知りませんよ」
「喧しいっ、お前は黙って立ってろ。グフフ、考えてみりゃダークエルフは寿命が長いしな。その息子だってとっくに大人だろ。それに夫の事を口に出さなかったって事は……」
何か良からぬ事を考えているらしいアッガーに、ケストは溜め息をついた。直接連絡先を聞き出した訳でも脅した訳でもないので、彼が勤務時間外にダルシアを探しだしナンパする事は別に咎められるような事ではないのだが。
(幾らアッガー先輩でも、滅多な事はしないだろう。こんな人でも衛兵隊の一員なんだし)
そう思って視線を街道の向こうへ戻したケストは、ふと気がついた。
(そう言えば、この町にダークエルフっていたっけ?)
北にあるアルクレム公爵領の人種やドワーフは、白い肌をしている者の方が多い。ダークエルフがいれば目立つはずだが、ケストは聞いた事がなかった。
(いや、でも息子さんもダークエルフとは限らないか。他の種族との混血とか、養子とか……そう言えば、同じ瞳の色だったな)
ふと数時間前に門を通った隻眼の少年の無事な方の瞳も紫紺だった事を思い出したケストだったが、流石に関係無いかと考え直し、仕事に戻ったのだった。
肉の身体を持たない『法命神』アルダは、簡単に意識を失う事は無い。そのため、身体の内側から槍で貫かれるような激痛にも気絶する事は出来なかった。
『……むぅ……!』
自らの力を込めた特製のダンジョンの約三分の一を破壊されたアルダは、神威を砕かれた時よりも大きく深いダメージを受けていた。
だが以前分霊を砕かれた『氷の神』ユペオンの時よりは、地上に及ぼす影響を小さくする事は出来た。
受けた分のダメージも、数年以内に回復するだろう。元々ユペオンとは地力も、信仰している信者の数も段違いなのだから。
『……報告せよ』
『我が主アルダよ、やはり今は休まれた方が……』
『我等は神。数日休んだところで何も変わらん。故に、報告を。『五色の刃』はどうなっている?』
休息を取る事を促す神を振り払い、彼は報告を求めた。今は休憩などを取っている場合では無いのだ。
『『五色の刃』の内、ジェニファーとダイアナは『街』にて待機しています。二人の心身及び魂に傷はありません。すぐにでも戦線に復活する事が可能です。ただ……』
ヴァンダルーが【魂喰らい】を使わなかったため、二人は無事に『街』で復活していた。
『グールや魔人族共を討伐した事について悩んでいるようです。これまで通りに戦う事ができるかどうか』
ヴァンダルーによってグールがヴィダの新種族であることを知った二人は、キュラトスの消滅により再現された人々がいなくなった『街』で、これからどうするか議論を交わしているらしい。
ならダイアナは彼女が信仰する『眠りの女神』ミルが直接声をかけるべきなのかもしれない。彼女達はただの信者では無く、神々に選ばれた英雄なのだから。
『ハインツとデライザの魂は、我が神域で休ませています』
しかし彼女の手はハインツとデライザの面倒を見るために塞がっていた。二人はヴァンダルーから何度も【魂喰らい】スキルの効果が乗った攻撃を受け、魂に傷を負っていたからだ。
このままでも記憶や人格、そしてステータスに障害が残る程ではないが、突発的に意識が混濁し、手足が麻痺する等の症状が出るだろう。本来は数か月、大事を取って一年は休ませるべき状態だ。
『デライザは後数日も休ませれば問題無いでしょう』
しかし眠りを司るミルの神域に招かれての治療をうけているため、魂の傷も回復可能なら数倍から数十倍早く回復する事が出来る。
『しかし、ハインツの回復には数か月かかるでしょう。ヨシュアが守ったとはいえ、その後魂だけの状態でヴィダの化身の攻撃を受けましたから。
それに、精神的な傷も関係しているようです』
だがハインツの状態は良いとは言えなかった。やはりダルシアの一撃で受けたダメージは小さくなかったようだ。
しかしエドガーよりはずっと軽い状態だ。
『エドガーは……現在ロドコルテが処置をしています。消滅したルークの魂の欠片を使って、彼を治せないかと』
『断罪の神』ニルタークは感情を感じさせない声でそう報告した。
『五色の刃』の中で最も重傷を負っていたエドガーは、『街』に戻って本来の肉体に戻っても殆ど動く事が出来なかった。それどころか意識が混濁し、自分の名前も忘れかけていた。
そして彼に降臨していたニルタークの英霊ルークは、程なくして消滅してしまった。
自分の魂の欠片をエドガーの治療に使えるなら使えと言い残して。
その遺言を尊重して、魂の専門家であるロドコルテに治療を依頼した。……かなり渋られたが、『協力すると言ったはずだが?』とアルダがねじ込む事でやっと治療を約束した。
ただ元通りになるかはロドコルテ自身にも分からず、時間がどれだけかかるかもやってみないと不明。
これで『五色の刃』全員が活動を再開できるのは、何時になるか分からなくなってしまった。エドガー以外の四人だけなら数か月で可能だが――肝心のダンジョンが、それもこれから彼らが挑戦するはずだった六十六階層から先が半壊している。
そして無事な階層でもダンジョンを管理していた『記録の神』キュラトスが消滅した事により、ハインツ達の前に試練として立ちはだかるコピーが創れない状態だ。現状は罠も宝箱も無いダンジョンであり、長大なだけの散歩コースと化している。
これではハインツ達を今以上に強くする事は出来ない。
今回の戦いで、今のヴァンダルーなら状況さえ整えばある程度戦う事が出来ると……その状況が整う事を期待するのは間違っている事も、分かっている。
『アルダよ、ハインツ達の修行をここで打ち切り、数か月後に聖戦を行うべきでは? それなら奴はまだモークシーの町に留まっているやもしれませぬ』
『そうです。我々が育てている英雄達を集結させ、回復したハインツ達をその先頭に立たせれば勝機はある筈』
そう若い神々が訴えるが、アルダが答える前にニルタークが『黙れ』と言って立ち上がった。
『……下策で我等の主を煩わせるな』
『げ、下策!?』
『ニルターク殿、如何にあなたと言えどその言い方はあんまりではありませんか!』
『ご自身の英霊が消滅したからと言って、我々に当たるのは止めて頂きたい!』
口々に言い返す若い神々に対し、ニルタークは怒りよりも呆れを浮かべた。
『ならば問う、『晴天の神』アルカムよ。その聖戦で我々はどれ程の戦力を集められるのだ? オルバウム選王国のアルクレム公爵領、モークシーの町に』
『無論、数か月もあれば全ての戦力を集める事が可能です。全ての英雄達の力を結集させ、各神殿の戦力も導入できるでしょう。ハインツを立てれば、己が敬虔なヴィダ信者と思い込んでいる者達やヴィダの新種族、それに普段は神殿に寄りつかぬ冒険者達も戦列に加わるでしょう』
そう述べるアルカムに、ニルタークはこれ見よがしに溜め息をついた。
『それが不可能だと何故分からん? 汝も神の一柱なら、理解できるはずだが』
アルダ勢力の神々がヴァンダルーを倒す為に育てている英雄達。彼等の多くはただの衛兵や騎士見習い、新人冒険者や魔術師の弟子等だったが、加護を与え鍛えた事で成長しつつある。
彼らを集めれば確かに戦力には成るだろう。しかし、彼ら全員がオルバウム選王国内にいる訳では無い。半分程がアミッド帝国の勢力圏に今もいる。
その帝国の勢力圏にいる英雄達が、敵国のオルバウム選王国の町に集結する。どう考えても国境があるサウロン公爵領で、武力によって止められるだろう。
そして密入国させる手もあるが……数か月の間に英雄本人だけで数十人。その仲間を含めると数百人だ。幾ら何でも多すぎる。
『まさかグファドガーンのように【転移】させれば良い、等と世迷言を言い出すまいな? 空間属性の神々の長ズルワーンはヴィダ派である事が判明している。属性の管理に集中している彼らに助力を得る事は出来ないし、出来たとしても求めるべきでは無い。……せっかく育てた英雄達が、何処に飛ばされるか分かったものではない』
『では、我々の信者から空間属性の神に至った者の力を頼れば問題ないはず!』
残っている空間属性の神々に『世界の維持管理を磐石な体制に近づけるために』と、アルダ達は資格のある信者を空間属性の神々に加えていた。
当初は言葉通りの目的で、数が大幅に減った空間属性の神を補うためだったが、この局面になった以上利用しない手はない。
『戯けるな、圧倒的に数が足りない。一度や二度ならまだしも、彼らに地上で連続して力を使えというのか? そんな事をさせれば消滅してしまうぞ』
ただ、その数は圧倒的に少なかった。
『う……!?』
アルカムはニルタークに言われて初めて地上の現実問題に気がついたのか、短く呻き声を漏らして視線を逸らす。
ちなみに、人間達の魔術師に頼るのは論外である。他人を、それも長距離の【転移】が可能な空間属性魔術師は、ほぼ全員国や有力貴族、そして規模の大きな神殿に抱えられている。
彼らに協力を求めるとそれぞれの組織に情報が伝わり、間違いなく大事になってしまう。
下手をすればアミッド帝国とオルバウム選王国の大戦争に発展する。最悪、帝国の英雄達と選王国の英雄達がお互いに殺し合う事になってしまうのだ。
何せ建国以来血で血を洗う敵国同士。お互いを憎む理由は何処にでも……神殿にすら転がっている。
本来ならそうした二国の垣根をアミッド帝国のアルダ大神殿の新教皇エイリーク、そして修行を終えベルウッドの後継者となったハインツ、両者を橋渡しにして乗り越え魔王討伐の為に人類が一つになる。そんな目論見があったのだが……。
『それに、数か月程度ではヴァンダルーを倒す戦力は集まらん』
エドガーの抜けた穴以外にも、ハインツは英霊ヨシュアを喪った。そのため【英霊降臨】スキルを使用しても御使いしか呼べない状態だ。
勿論アルダにはヨシュア以外にも何柱もの英霊が存在する。しかし、ヨシュアがいなくなったから代わりの英霊をと言う訳にはいかない。
生前人間だった英霊には人格があるため、御使いと違い相性という物が存在する。相性の良い英霊でなければ、身体に降ろす事が出来ないのだ。
そしてハインツに最も相性の良い英霊が、ヨシュアだったのである。
『ですから、その低下した分の戦力を英雄達が――』
『低下した分を英雄達が補ったとしても、不利な状況から解き放たれ本来の力を取り戻し、戦力を集める事が出来るようになったヴァンダルーの前には意味が無い』
『不利な状況ですと? あの時ハインツ達は不意の襲撃を受けたのでは?』
ニルタークの言葉に疑問を呈する神に、『眠りの女神』ミルが代わりに答えた。
『逆です。確かにハインツ達にとってもあの戦いは予期せぬものでしたが、記録を見る限りヴァンダルーにとってもそれは同じだったのでしょう。
精巧に再現されていても偽物の肉体を魂の具現化で補わなければならず、周囲には自分以外配下のいない状況……グファドガーンとあの『ヴィダの化身』の介入こそありましたが、彼は戦いの間ずっと不利な状況にあったのです』
ミルの説明に、アルカムを含めた若い神々の顔色が悪くなる。なら数か月後、無数の配下を揃えて待ち構えているだろうヴァンダルーの戦力は、どれ程に膨れ上がっているのかと。
『ニルターク、ミル、そこまでにせよ』
それまで黙って神々の会話を聞いていたアルダが口を開いた。
『アルカムよ、汝らが焦る気持ちも分かる。ヴァンダルーは、戦闘能力以外の全ての点で魔王グドゥラニスを越えている。神々の魂を喰らったのを見て、焦らずにはいられなかったのだろう』
穏やかなアルダの声に、アルカム達若い神々が落ち着きを取り戻し、『申し訳ありませんでした』と一礼する。
彼等にとって魂を消滅させる存在を見るのはヴァンダルーが初めてだ。不滅の存在となったはずの自分達神を滅ぼしうる敵がいる事に動揺し、焦ってしまったのだ。
実際ただ砕く事しか出来ず、それも魂一つ砕くのに数秒から数十秒の時間が必要だったグドゥラニスとヴァンダルーは違う。
攻撃すると同時に魂を傷つける事が可能で、そのまま滅ぼす事が出来る。あの【界穿滅虚砲】なら、人間なら一度に何百人でも魂を喰らう事が出来るだろう。
『今は、ハインツ達を癒し、キュラトスが残したダンジョンで彼らをベルウッドの後継者に相応しい……ヴァンダルーとの戦いで中心戦力となる存在に育てなければならない』
『記録の神』キュラトスが残した彼が記した記録のコピー。それを彼の代わりに他の神が使えば残っているダンジョンの階層で、再びコピーを創り出す事が可能だ。ただ、キュラトス程精巧には出来ないが。
彼の配下だった御使いを総動員しても、キュラトスの抜けた穴を塞ぐ事は出来ない。
『不安は残るだろうが、それまでの間は彼等が時間を稼ぐだろう。……ロドコルテの転生者や、この場にも居ないフィトゥンがな』
ヴァンダルーは夢で、大量のブロックに囲まれた状態でどうしたものかと首を傾げていた。
これを組み立てなければならないのは、分かる。しかしどう組み立てたらいいのかが分からない。
『まあ、分からないなら考えながら作りましょうか。でも、まずはブロックを組み立てるために、手を組み立てないといけませんね』
がちゃがちゃぐじゅぐじゅと組み立てる。大きい手、小さい手、指の多い手、長い手、用途によって使い分けるために、沢山の手を作る。
『次に、目を……いや、脳を組み立てましょう。目はその後で』
どうやって組み立てるか考える脳が必要だ。だから適当なブロックで脳を組み立てていく。丸、三角、四角、脳は多い方が良いだろうから、幾つも作っていく。
そうして必要だと思う部位を、必要だと思う数だけ組み立てていく。そしてヴァンダルーが気づくと、良く分からない事になっていた。
『これは目だったかな? それとも足? いや、心臓だったかも……いや、きっと背骨だ。そうに違いない。でも自信が無いですね』
組み立てた部位が何だったのか分からなくなってしまったのだ。このまま部位を組み合わせて自分を作るのは間違いではないだろうか?
『ヴァンダルー、何が正解で何が間違いだなんてことは誰にも分からないの。だから、あなたの思うままの形になって良いのよ』
ふと優しい声が聞こえたと思って周囲を見回すと、今まで気がつかなかったが沢山の仲間達がいた。
骨人やクノッヘンが組み立てた部位を、サムの荷台に乗せている。
ザディリスやバスディアが部位を組み立て、タレアが作り直している。ルチリアーノはせっかく作った部位をバラバラにしてしまうが、イリスがそれを回収して捏ね回してお団子を作ってくれた。
ジーナは別々の部位をくっつけようとして力を入れ過ぎて潰してしまい、ザンディアはその破片を集めて混ぜ始めた。
エレオノーラやベルモンド、アイラが自主的にヴァンダルーを組み立て始め、それにパウヴィナが転んで壊してしまう。
レビア王女がブロックを焼いて焦げ目を付け、オルビアがドロドロに溶かし、クインが蜂の巣状に組み立て、アイゼンがお食べとヴァンダルーに食べさせようとし、カナコがヴァンダルーの上に立って歌を歌い始めた。
他にも皆思い思いにブロックを組み立てている。
とてもとても、楽しい。
「……ここは何処でしょう?」
目覚めたヴァンダルーが見たのは、綺麗な天井だった。部屋も、『ムクドリの宿』の大部屋より狭いが上等な物になっている気がする。
そして後頭部が温かい。
「おはよう、ヴァンダルー」
「母さん?」
ヴァンダルーは、ダルシアに膝枕されていたのだった。
「ここは『小春日和亭』よ。『ムクドリの宿』は大部屋だったから引き払ってきて、個室をとったの。高級宿と安宿の中間ぐらいの宿ね」
「それよりも、母さんが何故モークシーの町に? それに肌の色がちょっと薄くなっていますよ。俺をグファドガーンと一緒に助けに来てくれた事は、覚えていますけど」
「覚えてるの!? す、すごいわね、あんな状態だったのに……」
「変身杖を発動させて、魔法少女の格好のままで」
「それは忘れて~っ! ステージの上では良いけど、それ以外の場所では恥ずかしいのよ。グファドガーンさんがいきなり来て、ヴァンダルーを迎えに行く事になったから着替える暇が無かったし……ああ、あの人たちにも見られたのよね……記憶が飛んでいると良いんだけど」
頭を抱えて悶え、何かぶつぶつと呟いているダルシアの膝に頭を乗せたまま、彼女を見上げたヴァンダルーは、大体の事情を察した。
ダルシアはダンジョンからヴァンダルーの魂を連れ帰った後、彼の世話をするためにモークシーの町まで来てくれたのだろう。ただのダークエルフに見えるように【混沌】スキルで皮膚の色を変化させて。
町に居るはずのベルモンドやエレオノーラ達は犯罪組織を掌握している立場の為、ヴァンダルーと直接接触して町の人達にそこを見られたらと危惧したのだろう。
グファドガーンの姿まで見えないのは……気を使って親子水入らずにしてくれたのかもしれない。
「ありがとう、母さん。グファドガーンも。皆にも心配を掛けました」
体内から温かい返事が聞こえる。ダルシアも温かい手で、ヴァンダルーの髪を撫でた。
「身体は大丈夫? ステータスに異常はない?」
「身体は……凄く怠いですが、問題無いと思います。ステータスは……魔力の回復するペースが遅いですね。魂がバラバラになって、更に自分で自分を食べるような真似をしたからでしょうか?」
「そうね。でもヴィダ様がそうした副作用もあるけど、長くても一週間もすれば元に戻るって言っていたから大丈夫よ」
「そうですか……じゃあ、商業ギルドに行くのは明日にしましょう」
魔力の量は大体半分まで回復している。これなら普通に活動するのに支障は無い。約一週間で元に戻るなら、動き出して良いだろう。
まさか寝たままムラカミやビルカインが誘きだされるのを待つ訳にはいかないし。
「そう、じゃあ明日一緒に行きましょうね。母さん商業ギルドって初めてだから、ちょっとワクワクしちゃう」
「……え、母さんも来るんですか?」
「ええ、勿論。そのために町の表門から入ったんだもの」
どうやら、ダルシアはただヴァンダルーの世話をするために来た訳ではないらしい。
「説法は良いんですか?」
「カナちゃんが新しくメンバーを加えるから暫くは大丈夫みたい」
どうやらカナコは、ダルシア不在の状況を利用して、「ダルシアさんとヴァンダルーの為にも!」と新メンバー候補達を説得するつもりらしい。
「それにこの町は良い街ね。ダークエルフだからって買い物を拒否されないし、宿の店員さんや衛兵さんも良くしてくれたし、裏路地から嫌な目つきで睨まれたりしないし」
どうやらダルシアが冒険者として活動していたアミッド帝国側では、そうした迫害がまかり通っているらしい。
……今からでも皇帝がいる城やアルダ大神殿を砲撃しようかと、ヴァンダルーはふと思った。
「まあ、ちょっと困った人もいたけど……一人だけだし」
それを聞いたヴァンダルーは、根拠は無いが賄賂を要求してきた方の衛兵アッガーの事を反射的に思い出した。
……今からでもクインの子供達の為の肉団子か、アイゼンの肥料にしてこようか。
(……いやいや、母さんは綺麗だからその程度の事でいちいち人を殺していたら、大量殺人を犯してしまう)
「どうかしたの?」
「何でも無いです。それじゃあ、明日から一緒に串焼き屋台を頑張りましょう」
「そうね。ふふ、楽しみだわ」
こうして誰にも気付かれずに魔王に侵食される町、モークシーの日は暮れていく。
7月31日に閑話29 元奴隷達の決意 を投稿する予定です。