閑話28 輪廻神が居ぬ間のオリジンで
『法命神』アルダは、当然だが感情より理性を優先する神だ。少なくとも、理と論を持って感情を制するべきだと考え、説いている神である。だがそれを常に実践できる訳ではない事も、自らの経験から知っていた。
しかしアルダが感情を抑えられなかったと、自覚している出来事は多くは無い。魔王グドゥラニスによって兄弟に等しい神々が倒され、消滅した時。ヴィダが自ら管理する輪廻転生システムを構築し、穢れた種族を産み出したと知った時。
『貴様……何を考えている!? この世界の支配者にでもなったつもりか!』
そして今、輪廻転生の神ロドコルテが自ら行った事も含めて、アルダが知らなかった数々の事実を暴露した時だ。
何度怒りのあまり怒鳴り声を上げたか分からない。そしてロドコルテが発言を終えた次の瞬間、一際大きな怒号を発していた。
神域全体を揺らす凄まじいアルダの怒りに、会談に出席している周囲の神々は思わず身体を強張らせた。
『支配者になったつもりは無い』
しかし怒りを向けられている張本人であるはずのロドコルテには、動揺した様子は無かった。
『ただ私が長年訴えていた事を無視し続ける君達に対して、不満があったのは事実だ』
『不満があったから、力を与えた異世界の住人達を、そしてかつてのザッカート……勇者達の魂の欠片から創った魂を持つヴァンダルーをこの世界に転生させたと言うのか!?』
『ヴァンダルーの件に関しては、確かに私の落ち度だった。彼がかつて勇者だった魂を持つ存在だと気がつくチャンスが幾度もありながら、それを無駄にした事は責められてしかるべきだろう。だが、それは本来問題にならなかったはずだ』
言葉の前半では詫びつつも、後半では自分に非は無いと主張する。その面の皮の厚さに、アルダも思わず怒りを忘れ絶句してしまった。
『問題に成らなかったはずだと!? 気でも触れたか!?』
『……現在の状況を理解しているなら、とても出てこない言葉だ』
代わりに反応したのが、『氷の神』ユペオンと『断罪の神』ニルタークだ。それぞれヴァンダルーに分霊や御使いを砕かれた神である。
二柱に追随して、他の神々もロドコルテの物言いに不満を露わにする。
現状、ヴァンダルーはアルダ達にとって無視できない脅威になっている。その力は人間としては凄まじいが、まだグドゥラニス程の力は持っていない。だが、社会的な危険性はグドゥラニスを超える。
生者と死者の境界を曖昧にし、ヴィダの新種族を次々に纏め、異世界の知識と技術を持って人々を惑わしている。
ヴァンダルーがやっている事は、客観的に見れば完全に悪とは言い切れないのかもしれない。しかしアルダが敷く秩序では、そしてアルダが目標とする世界を正しい状態に戻す……魔王グドゥラニスが現れる前の、魔物が存在しない清浄であり、正常な世界に戻す為には明らかな害悪だ。
何故なら魔物であるアンデッドは勿論、魔人族やスキュラ、吸血鬼等のランクを持つヴィダの新種族はその身に穢れた魔力を纏っている。そのため、それらの種族が大勢暮らす土地は徐々に汚染され、魔物が闊歩する魔境と化してしまうのだ。
今では巨人種や獣人種、ダークエルフ等ランクを持たないヴィダの新種族は、不安定で何が起こるか分からないヴィダ式輪廻転生システムを廃すれば存在を認められると分かったが、ランクを持つ新種族は決して認められない。
極少数なら生かしておき、ヴィダ式輪廻転生システムを廃した後その魂を御使い等に昇華させるなどして保つ、特例措置を取っても構わないが。
しかしロドコルテによるとヴァンダルーはその輪廻転生システムにまで干渉し、彼や魔王の輪廻転生システムから属している魂をヴィダのシステムに導いていると言う。
最早存在するだけでアルダ勢力の神々が信じる秩序を踏み躙っているに等しい。
『それが問題無いと言うのか!?』
『事実、問題では無かったのだ。先ほど説明しただろう、私がヴァンダルーを『ラムダ』に転生させた時の状況は。本来なら彼は人種かエルフかドワーフ、又はそれらのハーフとして不遇な環境に生まれ、高い確率で記憶と人格を取り戻す前に死ぬはずだった。
だがヴァンダルーはダンピールとして生まれた。当時は何故か分からなかったが、今なら分かる。ヴィダやリクレント、ズルワーンが干渉したからだ』
ヴィダ、そしてロドコルテが暴露するまでまだ眠っていると思われていた大神二柱の名前にユペオンとニルタークの追求が止る。
『私はヴァンダルーに呪い以外の何も与えていない。であるのに本来よりもずっと早く記憶と人格を取戻し、グールを率いて境界山脈を越え、今まで生き残って来たのはヴィダ達の助けがあったからだ。そうとしか思えん』
ロドコルテの言葉に、神々は表面上無言のままだったが内心では納得していた。ヴァンダルーの置かれていた状況は、神々から見てそれ程過酷なものだったからだ。
そして証拠はないが、実際リクレントやズルワーンはヴァンダルーが転生する百年程前からヴァンダルーを助けるために動いており、彼等から神託を受け取ったヴィダやグファドガーンも動いていた。
ロドコルテの言葉には説得力があった。
ただそれを言っているロドコルテは、「もしそうだったらこの場でアルダ達を納得させるのに都合が良い」と考えた話を口にしているだけなのだが。ヴィダ達がどのタイミングから動き出していたのか、そして具体的にどれ程ヴァンダルーに力を貸したのか、彼は殆ど知らないのだから。
知っているのは、ヴァンダルーをダンピールとして転生させた事と、【ゲイザー】の見沼瞳と『第八の導き』のメンバーの魂を奪って彼のすぐ近くにレギオンとして転生させた事だけだ。
しかし、こじつけにはそれだけ知っていれば十分。
『私に責任が無いとは言わないが……『ラムダ』の神々諸君、特にアルダには監督責任があるのではないだろうか? 脅威を進んで招き入れたのは、君の兄弟たちなのだから』
その物言いに、アルダは内心で怒りが再び大きくなるのを覚えたが、同時にそれが不毛である事にも気がついた。
(ロドコルテに幾ら感情をぶつけても無駄だ。この冷静さの皮を被った傲慢な神には)
ロドコルテがアルダの怒りに対して動じないのは、それが直接自らに降りかかる事は無いと知っているからだ。輪廻転生という重要事項を司り、しかしこの世界に属していない神ロドコルテ。彼はその気になれば、いとも簡単にこの『ラムダ』から逃げる事が出来る。
もし運良く捕えて封印等罰を与える事が出来ても、彼の代わりに輪廻転生システムを管理できる神は『ラムダ』に存在しない。それどころか、ロドコルテが輪廻転生を司る他の世界の神々が、己の世界を維持するため彼を奪還しようと『ラムダ』に攻撃を仕掛けてくる可能性すらある。
そうアルダは考えていた。
実際には、ロドコルテはヴァンダルーが境界山脈内部でその存在を広めたため、『ラムダ』の神となってしまっている。だが、ロドコルテがそれを隠しているためアルダには知りようが無かった。
『……責任の一端があると認めるのなら、ヴァンダルーの討伐には協力するのだな?』
怒りを飲み込んでそう尋ねるアルダに、ユペオン達の驚きの視線が向けられる。
『勿論だ。転生者達に協力する様に働きかけよう』
『その転生者達にも、条件がある。異世界の知識と技術について我々が禁忌とする物をこの世界の人間達に伝える事は、禁止とさせてもらう』
『それで構わない。転生者達には私から言って聞かせよう』
本来排除すべき転生者を戦力として認めると、暗にアルダが口にした事でユペオン達の驚きはさらに大きくなった。
『アルダ、良いの? 確かに、彼等を排除する事は不可能だと思うけれど』
元勇者であり、風属性の英雄神ナインロードが尋ねると、アルダは『不本意だが』と言いながら頷いた。
『汝の言う通り、転生者を排除するのは不可能だ。ロドコルテ自身も止める事が出来ないのなら、尚更』
転生者が転生する際、その場所と親についてロドコルテから聞き出す事は簡単だ。しかし、その後どうやって排除しろと言うのか。
エイリークと言う素質ある少年をアルダ大神殿の教皇に据える事には成功した。彼になら神託で細かい指示を与えても逃さず理解できるはずだ。しかし、だからと言って赤子の抹殺指令を何度も出す訳にはいかない。
転生者達は全員ロドコルテの加護と【幸運】、そして【運命】を与えられている。転生の前に微調整は出来るが、基本的に取り上げる事は出来ない。
そのため、転生者達は多くの場合幼少期の間に死ぬ可能性の低い経済的に裕福な両親の元に産まれてくる。つまり、成功した商人や冒険者、貴族、そして王族である。そんな家に生まれた子供を簡単に殺せるはずがない。
実際、既に転生させた転生者の内三人は王侯貴族の両親の元に転生したらしい。
『アルダよ、人間達に排除すべき者達が異世界からの転生者である事を伝えてはいかがですか? 既に異世界の知識と技術が禁忌である事を、我々の信者なら知っているはず。それでも苦渋を強いる事になりますが、最終的には受け入れてくれるのでは?』
『『眠りの女神』ミルよ、平時にアミッド帝国のような我々を信じる強固な基盤の在る国なら、それは可能だったやもしれぬ。だが、今は不可能だ』
神託でエイリークなどに転生者について説明する事は可能だ。だが、それを人々に伝える過程で納得しない者が一定の割合で出る事は避けられない。
今のアミッド帝国なら、そうした納得しない者達をマシュクザール皇帝が若い教皇への抵抗勢力に仕立て上げるだろう。あの皇帝なら「若い教皇は未熟さからアルダの神意を誤って解釈している」と、上手く人々を扇動するはずだ。
そしてオルバウム選王国のような国の場合は、単純にアルダ教以外の信者が抵抗勢力になる。
『確かに、そう言った面倒な事をするよりも、戦力として仲間に引き入れた方が良さそうだ』
『岩の巨人』ゴーンの言葉に、多くの神々が同感だと頷いた。
『理解してもらえたようで何よりだ』
そう言うロドコルテが、転生者達に大人の身体とヴァンダルーと同様の呪いをかけ、予め指示を与えて配置した神官戦士や騎士が取り囲んでいる地点に転生させれば、アルダ達は彼等を始末できるかもしれない。
それにはアルダ達も気がついている。
しかし、ロドコルテがそこまで協力するか疑わしかった。それにチート能力自体は取り上げられないので、やはり万が一逃げられる可能性があり、その場合第二のヴァンダルーと化すかもしれない。
そんな面倒な危険を冒すぐらいなら、最初から戦力として取り込むべきだ。それがアルダ達の認識だった。
『では既に転生している転生者について説明しておこう』
神々の話し合いはロドコルテのペースで、それからも暫く続いたのだった。
ただロドコルテは、そのせいでオリジンに異変が起こっている事に気がつくのがだいぶ遅れてしまった。その分亜乱達三人の御使い達がエラーを告げるシステムの対応に追われる事になった。
彼は定期的にカウンセリングを受けていた。度重なる過酷な、そして危険な任務。特に記憶に新しい『第八の導き事件』では、十年以上の付き合いだった同僚を何人も喪った。
彼の精神は追い詰められ、自殺をほのめかすようになっていた。カウンセラーが入院を勧める程、状態は悪くなって行った。
「ジョゼフさん、今日は調子が良さそうですね」
しかしこの日カウンセラーの前に現れたジョゼフ・スミスはとても落ち着いていて、まるで全てのストレスから解放されているかのように見えた。
「ええ、このところ睡眠薬無しでもぐっすり眠れるんですよ」
ジョゼフ……前世の名を墨田城、城のように大きく立派な男に成れと名づけられた、ムラカミとは別のクラスを受け持っていた教師だった。そして現世では【ドルイド】のコードネームを持つ『ブレイバーズ』の一員である。
元々彼は温和で、他人を傷つける事が出来ない気の優しい男だった。『ブレイバーズ』に参加した時も、神から与えられた力で災害救助や農業支援等をして、人々の助けになればと言う使命感からだった。
だが、人を殺す覚悟を決めていた訳では無かった。
繊細な彼の精神は、【ゲイザー】の見沼瞳程では無いにしろ傷つき、追い詰められていた。自分が殺したテロリストや、守れなかった人々から責め立てられる悪夢や幻聴、幻覚に怯え、強い睡眠薬無しでは眠れない程になっていた……はずだった。
「それは良い兆候ですね。何か気分を変えるような事がありましたか?」
「ええ、夢を見ました。とても巨大な何かから、その身体の一部を受け取る夢を。訳が分かりませんよね? でも、その何かを受け取ったお蔭で、私はとても楽になったのです」
そう答えて微笑むジョゼフは、「悪夢は見なくなったけど、あの夢ならもう一度見てみたいな」と続けた。
「もう一度夢で会えれば、私も一緒に行ける気がするのですよ。何処か、安穏と過ごせそうな暗い場所に」
「それは……もう少し詳しく聞いても良いですか?」
ジョゼフの言葉に不穏な気配を感じたカウンセラーに尋ねられ、彼は覚えている限りの夢の詳細と、最近の現実での出来事を説明しなくてはならなくなった。
彼以外にも、『夢で形容しがたい何かから、何かを貰う夢を見た』とカウンセラーや医師に話す人々が数十名、世界各国に現れる事になる。
この現象を心理学的に分析し研究しようとする者も現れたが、その努力が実る事は無かったと言う。
【アバロン】の六道聖は、腹心の一人である秘書から妙な報告を受けていた。
「精神的に追い詰められていた『ブレイバーズ』数名と『第八の導き』信者達、そして実験体達が同じ夢を同時期に見た?」
聞き返された秘書の女性も困惑しているのか、迷いの浮かんだ顔で報告を続ける。
「はい。夢の内容に差異はありますが、概ね『何処か分からない場所で、巨大な名状しがたい存在から身体の一部を分け与えられる』というものでした。受け取った部位の多くは目や口、中には血を飲んだだけの場合もあるようです」
「それは……偶然とは言い難いが、だとしたら何が起きている?」
秘書が報告した夢は、普通なら悪夢と形容される部類のものだ。それもかなり珍しい内容で、そうそう見る事は無いだろう。
それが同時期に……六道聖が日頃から注意を払っている者達の何十人かが見るとは、奇妙に思える。思えるのだが、具体的に何が起きているのか彼には分からなかった。
『アンデッド』が転生者天宮博人である事に気がついた六道だが、流石にその天宮博人が異世界からやって来て、夢に現れたのだと直感する事は無かった。
「夢を見た者達は精神的に安定し、特に【ドルイド】は不眠症が完治したとカウンセラーに話しています。実験体達も肉体的には変化有りませんが、精神的にはとても落ち着いた状態にあります」
実験体とは、六道聖が秘密裏に進めている死属性魔術の研究に使っている実験動物……違法な手段で手に入れた、表向きには殺したように偽装したテロリストや、死刑囚、そしてホームレスやストリートチルドレン等だ。
各国の協力者から伝手を通じて手に入れた貴重な人体実験のサンプルであるため簡単に減っては困るから、そして間違っても『第八の導き』の時のように何時の間にか死属性魔術を身に付ける事が無いように、彼等の状態は常にモニタリングしていた。
流石に夢の内容まではモニタリングできないが、同じ時期に目覚めた後、彼等が精神的に落ち着いている事は観測する事が出来る。
「実験体の魔力の分析は済んだのか?」
「はい。こちらに纏めてあります」
秘書から差し出されたレポートを見ると、実験体の属性の適性には変化が無く、また魔力の量も夢を見る前と変わっていないようだ。
「この夢の件については各国の諜報組織も気がつくかと。『第八の導き』信者達が、SNSやブログ、個人サイト等で広めているので。『アンデッド』が我々の夢の中に現れたのだと、俗に言う祭状態です」
「……彼等は自分達がテロリストを崇拝する危険団体として、各国の諜報機関にマークされているという自覚は無いのか?」
『第八の導き』信者とは、壊滅した『第八の導き』、特にプルートーを崇める集団だ。とは言え、犯罪組織では無い。
主にプルートーやバーバヤガーを崇める彼等は、普段は大人しい。精々死属性の研究を全面的に禁止する条約に加わるよう、デモ行進するぐらいで大人しい集団として認知されていた。
「……心理学の専門家に彼等が見た夢について分析させよう。死属性に関係があるかもしれない。
『第八の導き』は、『アンデッド』……天宮博人から死属性の魔力を与えられた可能性が高い。それと夢の内容に共通点があるように思える」
「畏まりました」
「それと、三日後の大統領のパーティーだが『私』が出る事にしよう」
「『彼女』では無く、ですか?」
「そうだ。あまり表舞台に出ていないと、表向きの自分を演じる時に支障が出る。幾ら彼女が変幻自在だと言っても、私はそうもいかないからね」
まるで選挙活動中の政治家のように、『六道聖』は聴衆とカメラが見つめるステージの上で演説を行っていた。
「確かに我々『ブレイバーズ』は間違いを犯しました。我々の判断が遅れたために、力が及ばなかったために、絶望に沈んだ人々は、数え切れません!
ですが、だからこそ我々は歩みを止める訳にはいかないのです。国際秩序を乱すテロリスト、終わらない自然災害、それらと戦うために我々『ブレイバーズ』を今一度信じてください!」
拍手が上がり、「頑張れよ」、「応援してるわ」等の激励の言葉が『六道聖』に掛けられる。
『ブレイバーズ』の人々からの信用は、『第八の導き』事件で一度は堕ちた。しかし、合衆国の国防総省がプルートーの溜め込んだ死の暴走で壊滅状態に陥ったのを雨宮寛人が解決したのを機に持ち直した。
『第八の導き』のメンバーの遺体を回収して死属性の研究を再開しようとしていた合衆国政府への不信、『ブレイバーズ』がいなければ国防総省は未だに黒い霧に包まれていただろうと言う現実が、そのまま彼等の信用に繋がった結果だ。
【ブレイバー】雨宮寛人の活躍の結果ではあるが、同時に合衆国の失策と多くの犠牲のお蔭とも言える。そのため『六道聖』はこうして『ブレイバーズ』の組織を維持するために、チャリティー等のイベントや講演会、各国高官や大企業が開くパーティーへの出席等を熟していた。
(まあ、そのお蔭だけでは無いけれど)
演説を見守る【シャーマン】の守屋幸助は、そう胸の内で笑った。
『第八の導き事件』では失態を犯した『ブレイバーズ』だが、彼等を糾弾する声は結果的には上がらなかった。
合衆国が『ブレイバーズ』以上の失態を犯したからという理由もあるが、国際社会は『ブレイバーズ』の解散を望んでいないのだ。
未だに原理を解明できていない謎の能力を持つ彼等を一つの組織に纏め、各国がそれなりのルールを守れば利用する事が出来る状況は、非常にやりやすいのだ。
演説を終えた『六道聖』が、ステージから降りて守屋の所に戻ってきた。
「お疲れ様です、『六道』さん。次は欧州連合の魔術大学で一日講師の為、移動になります。車へ」
「分かっているよ。だが、飛行機の席はビジネスにしてくれないか?」
「すみません、庶民派である事をアピールする方針なので。その代わりプレミアムエコノミーで、窓際の席を取ってあります」
「……防弾防魔術仕様のリムジンで空港まで移動して、プレミアムなエコノミーか。庶民派とは何なのか、分からなくなるな」
そう六道聖らしく苦笑いを浮かべた『六道聖』は、そのままリムジンに乗り込んだ。
そして、腰を下ろした途端人形のような無表情になる。
「空港までの時間は?」
「一時間程になります」
「そうか……ならその間にメンテナンスをしておくか」
本物の六道聖の部下である守屋幸助は、運転手とそう言葉を交わすとバイザー付のヘルメットのような物をクーラーボックスから取り出した。
「技術班には、さっさとこれを小型化してほしいもんだ」
そしてそれを人形のようになった『六道聖』……【メタモル】の獅方院真理に被せる。
「そのヘルメットだけで洗脳を維持できるんですか?」
「ああ、被ると魔術が自動で発動して、同時に薬剤も注射される高度で高価なマジックアイテムだ。ジャンボジェットは無理だが、中型飛行機ぐらいだったら楽に買える代物だ」
そんな会話は、真理にはもう聞こえていない。ヘルメットが外部の音を遮断しているからだ。そしてすぐ精神に働きかける魔術を発動し、薬剤が注射される。
彼女を六道聖にとって都合の良い人形、身代わりで居続けさせるためのメンテナンスが始まる。
視界も黒いバイザーに遮られ、開いたままの瞳に映るのは黒い闇だけだ。
『お前は誰だ?』
「っ!?」
そのはずだが、闇の中に誰かの顔が映った。紫紺と紅のオッドアイと口だけしか見えない、白い顔が。
「どうしました? 今動いたような……」
「薬剤の注入が始まったんだろう。何時もの事だ。それより運転に集中しろ」
守屋と運転手の会話は、真理の耳に入らなかった。
『お前は誰だ?』
耳に入るのは、白い人影の言葉だけ。
(私は……【アバロン】の六道聖)
真理は口に出さず、そう答えていた。しかし白い人影は顔を横に振る。
『それはお前じゃない』
(お前は……私か?)
『俺は、お前じゃない』
(じゃあ、私は……誰なの?)
ヘルメットに仕掛けられている魔術が発動し、薬剤が注入される。しかし、真理はそれに対して反応を見せる事は無かった。
『俺は、その答えを知らない。お前は、誰だ?』
じっと自分を見つめる眼差しに、答えなくてはいけないと真理は答えを探すが……まだ答えは出なかった。
『お前は誰だ?』
この時から白い顔が窓ガラスやブラックコーヒー、瞼の裏に映り、真理に問いかけて来るようになった。
一歳の半ばを過ぎた冥は元気に育っていた。
殆ど泣かない物静かな子で、それが逆に少し心配だった雨宮成美も安心していた。ただやはり一人遊びの方が好きの様だが。
「う~♪」
今はクレヨンで画用紙に何かを描いていた。いや、単に白い画用紙がクレヨンの色に染まるのが楽しいだけかもしれない。
「冥、何だ、これ?」
長男の博がその画用紙を見て、不思議そうに聞いた。
「何を描いたの? お母さんに見せて……これは、もしかしてお父さん?」
画用紙に描かれた、黒い人らしい物を父である雨宮寛人を描いたのかと思った成美だったが、冥はぷるぷると首を振った。
「ううん、ばんだー」
「ぱ、パンダ?」
「ばんだー」
「変なの。冥、パンダには黒だけじゃなくて白い所もあるんだぞ」
「ばんだー、ばんだーっ!」
「博、冥にはそう見えるのよ。ばんだーさん、黒い所もあるものね」
喧嘩に発展しそうだった博と冥を成美が割って入って宥める。その様子を見下ろしながら、ヴァンダルーが自分の一部から作った小型のヴァンダルー……バンダーは溜息をついていた。
(パンダじゃないんだけど。
まさかめー君が、プルートーが助けた雨宮寛人と成瀬成美……雨宮成美の子供だったとは。確かに気にはなっていたけど、偶然とは恐ろしい)
そう思いながら、これからどうしようかと考える。
(本体との繋がりはほぼ切れているから、記憶の共有が出来ない。それに俺はめー君から一定の距離以上離れられない。これは、俺の今の本体がめー君だからか?
めー君以外には俺が見えないし、俺が触れようと思わなければ触れられない。
まあ、当初の予定通り――【殺虫】)
ぽとりと、部屋の中に入り込んでいた蚊がバンダーの魔術によって落ちた。
「……あれ? 気のせいかしら、今何処かで魔術が使われたような……」
きょろきょろと周囲を見回す成美を無視して、バンダーは思考を再開する。
(魔術は使える。死属性の魔力は感知されにくいから、彼女の近くに居ても【殺虫】や【殺菌】くらいなら気づかれないだろう。
他のスキルも使えるかもしれない……【実体化】スキルが使える事は、もう確認したけれど)
冥が起きた直後、ベビーベッドの横に立っていたバンダーは、自身の置かれた状況を理解するために幾つかの事を試した。
ヴァンダルーとの交信は不能。記憶の共有は不能。自身の今のステータスの確認、『ラムダ』でないためか失敗。
そして自分に実体が無い事に気がついた後、鏡に映るか確かめ、そして【実体化】スキルを試してみた。
すると、あっさりと全身を実体化させる事が出来た。……その途端今の自分の姿が鏡に映ったので、慌てて解いたけれど。
『いくら夢の中だからって。ヴァンダルーももう少し器用に捏ねられなかったのでしょうか』
そう嘆くバンダーの姿は、一見すれば人間に見える。
顔に目が四つあり、耳がある位置まで裂けた大きな口の不気味な仮面を付けた、頭が小さい黒い毛皮のコートを着た白髪の人間に。
だが仮面は素顔で、コートに見えるのは外側に体毛が生えた皮膜だ。その内側は複数の骨や外骨格で出来た腕や身体を支える節足、そして外骨格や甲羅が出鱈目にくっ付いている胴体がある。
どう見ても悪魔の類である。雨宮夫妻や博君は勿論、他の人間にも出来るだけ姿は見せたくない。問答無用で攻撃されかねない。
(と言うか、博ってなんですか……もしかして俺の前世の名前を意識して子供に付けたとかでしょうか。ああ、関わりたくない)
既に恨みも『地球』で抱いた微かな憧れも無いが、流石に円満な家庭を見せつけられ続けるのは苦痛だ。
しかしバンダーは冥から一定以上……五十メートル程しか離れる事が出来ない。まさか幼い冥を両親から引き剥す訳にもいかないため、彼が耐えるしかないのだ。
『……仕方ない。後は自分の身体の強度や身体能力、攻撃的な死属性魔術や無属性魔術が使えるかどうか試したいですが、今は流石に無理でしょうね。まあ、魔力は感覚ではヴァンダルーの数十分の一程なので、十億必要な【虚砲】が撃てないのは分かりますが』
現実逃避をしながらぶつぶつ呟いていると、「奥様ーっ! お洗濯が終わりましたよー!」と外から女性の声がした。どうやら、雨宮夫妻はハウスキーパー兼ベビーシッターを雇っているようだ。
任務で両親が同時に家を空ける事があるためだろう。バンダーはまだ見ていないが、ボディーガードらしい人物の気配も家の中にはある。
「ありがとう、昼ごはんまで休んでちょうだい。……変ね、やっぱり気のせいかしら?」
「お、俺じゃないよっ! 勝手に魔術を使わないって約束したんだから!」
「ばんだー」
(めー君、それは黙っていて)
こうして夫妻に断りも無く、雨宮家に何かが増えたのだった。
7月11日に、199話を投稿する予定です。




