百九十五話 ハイエナから搾り取り、吸血鬼達に供す
幌馬車の列がアジトに入って行き……それなりの範囲で奴隷狩りを主に活動していたこの犯罪者集団は終わりを迎えたのだった。
その辺りの山賊団と比べれば戦力は充実しており、並の冒険者パーティーぐらいなら返り討ちに出来ただろうが、アジトの内側に入れてしまったのはヴァンダルーだ。
彼の体内から出現したブラックゴブリンを主体にしたニンジャ部隊、上級冒険者に匹敵する仲間達の前には抵抗も出来なかった。
「ヴァンダルー、何もあなたが奴隷の中に紛れ込まなくても、最初からこうしてアジトを狙えば良かったんじゃないの?」
黒い肌に尖った耳、そして背中から伸びた透き通った二対の羽……ヴァンダルーの【装群術】で装備されるため【混沌】スキルで虫の羽を生やした【アイギス】のメリッサがそう尋ねる。
アジトの場所が分からないなら、判明するまで馬車を直接襲って何人もいる男達から情報を吐かせれば良かったのではないかと彼女は思っているのだ。
実際、それでもこの犯罪者集団は容易く壊滅させる事が出来ただろう。
「メリッサ、キングが奴隷に紛れ込んでも紛れ込まなくても、こいつ等始末する時間、変わらない」
ニンジャ部隊の隊長になった、ブラックゴブリン達の中で最初にニンジャになったブラガにそう言われると、メリッサも羽を畳みながら言い返した。
「待って、別に責めている訳じゃ無いわ。単に、何でって思っただけよ」
「まあ、メリッサの言う方法でも良かったのですが……【精神侵食】や寄生型使い魔王の練習を実地でやりたかったんですよ。それで、丁度失敗しても構わないこの連中で試していた訳です」
対象者に効果を及ぼしつつも、一見すると普段通りの人格を維持しているように見え、更に効果が解けても障害が残らない【精神侵食】の使い方は、人間社会に出た今重要である。
そして対象の脳の一部と神経を【魔王の副脳】と【魔王の神経】に入れ替えて創る、寄生型使い魔王の実戦&実地テストも重要だ。
試すだけなら生け捕りにした山賊等犯罪者や魔物をサンプルにして幾らでも出来るのだが……捕縛された犯罪者の精神状態は通常時とは異なるし、魔物の五感や注意力は人間のそれとは異なる。
だから実際に試してみるのはとても大事なのだ。
「あと、気がつかれず穏便にアジトに入り込んだ方が、取りこぼしも無く余計な被害も出さずに済むかなと」
「そう、そう言う事なら納得したわ」
「納得できるかぁぁっ! ふざけんじゃねぇ!」
丸く収まった会話に割って入ったダミ声は、髭に白が混じった禿頭のドワーフが出したものだった。
彼がこの犯罪者集団の頭、裏社会ではそれなりに名の知れた『ハイエナ』のゴゾロフである。
ハーフプレートアーマーを纏い、バトルアックスとスパイク付きの盾を構えたその姿はまるで歴戦の傭兵を思わせる。
その彼が額に青筋を立てて怒鳴り声を上げていた。
「暢気に雑談とはいい度胸じゃねぇか! 確かに手下はやられたが、俺や主だった連中は全員健在だぜ!」
そしてドワーフや人種の幹部、合計五人が集まって抵抗を続けていた。
「用心棒を一人手懐けたぐらいで良い気になってんじゃねぇぞ、ガキ共が! その黒いゴブリン共もすぐに皆殺しにして耳を削ぎ落してやる!」
そうただ一人剣と、他の犯罪者の死体から回収した盾を構えているギラバットも含めて威嚇するゴゾロフ。ただ、メリッサとブラガは彼等を眺めるだけで、ヴァンダルーに至っては視線も向けない。
それも当然で、ゴゾロフは主だった者達は無傷だと言っていたが、逆に言うとこの場にいる者達以外は全員ブラガ達ニンジャ部隊やメリッサ、ゲヘナビーに始末されている。
そしてゴゾロフ達が追い詰められているのはアジトの広間で、隠し通路の類は無い。逆転の可能性は、彼等の頭の中にしかない。
「な、舐めやがってぇっ! てめぇらっ! 裏切り者を始末して、あの舐めた女とガキを人質にとって逃げるぞ!」
「いや、別に舐めてはいませんけどね」
そう言いながら、ギラバット……【魔王の副脳】と【魔王の神経】で肉体を乗っ取った寄生型使い魔王を動かしているヴァンダルーの分身は、応えた。
そんな彼に向かって前衛でメイスとフレイルを構えるドワーフが二人、突撃して引き潰そうとし、弓を構えた人種の男は牽制したいのかブラガに狙いをつけ、もう一人の人種は何と呪文を詠唱している。山賊の同類にしては、戦力が充実しているようだ。
「うおおおおっ! 【岩砕】!」
「死ねェ、裏切り者ぉぉぉっ! 【重撃】!」
ただその挙動は使い魔王の眼から見ると、とても遅いものだった。
(D級冒険者ぐらいなのかな?)
【魔王の副脳】と【魔王の神経】、そしてヴァンダルーの分身のお蔭でギラバットの肉体の反応速度は格段に上昇している。
その五感を前に、力強いドワーフ二人の突撃は鈍重過ぎた。だが、上昇しているのは反応速度だけである。
(まともに受けると、ギラバットの肉体が耐えきれない)
「……【鉄壁】、【鉄体】」
武技を発動して防御力を高めると、腰を落としてフレイルとメイスの攻撃を盾で受け止め、鎧の硬い部分に当てて耐える。
「か、硬ぇ!?」
「ギラバットが【盾術】だと!? 貴様、何時の間に【盾術】を覚えた!?」
武技まで発動した一撃にギラバットが耐えた事と、それ以上に彼が使えないはずの【盾術】の武技を使った事に驚愕するドワーフ達。
一方、人種の男が放った矢はメリッサが張り巡らせていた不可視の結界、【アイギス】によって容易く防がれていた。一矢目を弾かれた後も諦めず、何処かに隙間があるはずだと二矢三矢と続けて放ったが、【アイギス】に隙間が無い事を確認しただけに終わった。
「私も別に努力しなかった訳じゃ無いのよ」
メリッサのバリヤーを張る能力【アイギス】は、最初は張った結界自体が発光するのを止められなかったし、自分を中心に展開する事しか出来なかった。その後の研鑽によって結界の発光を抑えてほぼ透明にする事に成功し、自分からある程度離れた場所に展開できるようになっていた。
勿論こうした情報は当時『ブレイバーズ』や『第八の導き』のメンバーにも伏せ、知っているのは前世で組んでいたムラカミとカナコ、そして腐れ縁のダグぐらいだった。
「前世では活かす間もなくプルートーの暴走した魔力で死んだけど」
「そう言う事もある」
「頭っ! ダメですっ、結界か何かに囲まれてギラバット以外に手を出せません!」
「馬鹿野郎! だったらギラバットを狙え!」
「【鉄体】なんて武技使ってる奴に、俺の弓矢が通じるはずないでしょう!?」
ゴゾロフ達が情けないやり取りをしている間に、使い魔王は剣を前衛のドワーフ二人組に対して振った。
「三段斬り」
「い、【岩壁】!」
その武技の名前を聞いた瞬間、ドワーフの一人は慌てて盾を上げて武技を発動した。
ギラバットは幹部ではなかった。しかし傭兵ギルドを追放された札付きで【盾術】こそ修めていなかったが、両手剣を振り回して何人もの敵を屠った攻撃主体の【剣術】スキルの使い手で組織では知られていた男だった。
その彼が発動した【三段斬り】をまともに受けたら、生命力に優れたドワーフでも鎧の上から斬り殺されてしまう。
だが寄生型使い魔王にされたギラバットは【三段斬り】の武技を発動する事はできなかった。口で「三段斬り」と言っただけで、その剣は速いだけで体重が乗っておらず、ドワーフが上げた盾に容易く弾かれてしまった。
「あ……」
いや、それだけでは無く剣が半ばから折れてしまった。
どうやらこれまで無理な力の入れ方をして振っていたのでガタが来ており、武技を発動し硬度を増した盾に叩きつけたのが止めになったらしい。
「よし、今だ! やれっ、魔術師崩れ!」
「【閃光】!」
呪文を唱えていた男が、光で目を潰す魔術を発動させた。同時に、気を取り直したドワーフ達だけでは無く、弓使いが残っている矢で狙い、ゴゾロフもバトルアックスを振り上げて襲い掛かってくる。
「むぅ……【螺旋打ち】、【シールドバッシュ】、【空拳】、【十連抜き手】」
視界を潰された使い魔王は、直前まで見えていた位置を狙って折れた剣を【投擲術】で投げ、気配を頼りに盾を鈍器として振るい、片手で拳型の衝撃波を放ち、更に連続の抜き手を放った。
悲鳴と肉が弾け骨の砕ける音が響いた後、使い魔王以外に辛うじて立っているのはゴゾロフだけだった。
「が、がは……? な、何だ、今の動きは……拳が、全く見えなかった……俺の斧が、飴細工みてぇに……」
柄だけになった斧を地面に落し、ゴゾロフは血を吐きながら震えていた。
彼が幹部として取り立てた者達は、荒くれ者を纏めるのに十分な技量の持ち主だった。特に同族でもあるドワーフ二人は、長い付き合いだ。冒険者とだって正面からやり合える実力があったはずだ。
だが一人は盾で殴られ白目を向いており、もう一人はゴゾロフが受けなかった分の抜き手を受けて血溜まりに沈んでいる。
背後の弓使いは胸板を折れた剣に貫かれて倒れており、魔術師崩れは肩を【空拳】でぐしゃぐしゃに破壊されて呻き声を上げている。
弓使いと抜き手を受けたドワーフ以外は生きてはいるようだが、これ以上はとても戦えそうもない。ゴゾロフも立ってはいるが、気力で持っているだけで今にも死にそうな気分だった。
だがそれを行った寄生型使い魔王もただでは済まなかった。
「ぷっ……メリッサ、もう大丈夫です。ありがとう」
胸には矢が刺さっており、盾は割れている。特にひどいのが素手の方の腕で、何処が肘なのか分からない程骨が折れ曲がっているうえに、指が全て無くなっていた。
しかし、恐ろしい事にその顔には何も浮かんでいなかった。口の中に溢れた血を無感動に吐き捨てる。
その使い魔王の言葉……ヴァンダルーの指示でメリッサが【アイギス】を解除したが、ゴゾロフにはもう何も出来なかった。
「俺自身のスキル、【盾術】や【投擲術】、【格闘術】等のアクティブスキルは問題無く使えるけれど、素体……ギラバットのスキルは使えない。それに、俺自身のパッシブスキルも効果を発揮できない」
そして、突然そう呟き出した使い魔王に、ゴゾロフは怪訝な顔をした。
「な、何を言っていやがる、ギラバット?」
だがその問いかけは無視され、その代わりのようにヴァンダルーが近づいてくる。
「まあ、当然ですよね。このギラバットの身体に俺の一部を寄生させて、乗っ取り操っているだけですから。ギラバットも生きてはいますが意識は別にありますし。
後、身体の反応速度は上がっても筋肉や骨格は素体のままなので反動に耐えられないみたいですね」
【十連抜き手】の結果役に立たなくなった右腕を見下ろし、溜め息をつく。
「キング、これ戦闘の役に立つのか?」
「立たないかもしれませんね。強い素体を使えば別かもしれませんが……そんな奴を態々探して【魔王の副脳】を寄生させる手間を払う価値は無いですし」
「最初から潜入用でしょ。カナコに演技の練習でも受けたらいいんじゃない?」
「実はもう習いました。……結果、俺は表情を作るのが絶望的に下手だと言う事が分かりました」
「……それは深刻ね」
「て、てめぇ等……何を話して……?」
突然自分を無視して会話を再開するヴァンダルー達に、ゴゾロフが困惑した様子で声をかける。もしかして殺されずに済むのかと、微かな希望を覚えたのかもしれない。
「ああ、これの実戦テストの結果を纏めていました。ハイエナのゴゾロフですね? あなたにはこれから取引ある奴隷商人の事を話してもらいます」
「……くく、話しても良いがあっちは正規の奴隷商人で貴族や商業ギルドの後ろ盾もある。違法奴隷を扱っている証拠も上手く消してやがる。俺から何を聞いても、捕まえる事は無理だぜ」
「いえ、捕まえません。忍び込んで洗脳して乗っ取ります。このように」
ヴァンダルーの声に合わせて、ギラバットの耳から無数の細い蟲のようなものが伸びた。
「ギラバットっ!?」
ゴゾロフが驚いて見つめる先で、ギラバットの耳から【魔王の神経】を足代わりに、細長く変形した【魔王の副脳】が這い出てきた。
「ア゛……かし……らぁ……たすけ……」
ギラバットはゴゾロフに助けを求める言葉を言いながら、朽木のように倒れて動かなくなった。
「ヴァンダルー、死んじゃったけど?」
「小脳の部分を【魔王の副脳】に入れ替えていましたからね。万が一捕まっても、誰にも助けられないように。寧ろ、よく最期に声が出せたなと思います」
「いっそ、頭の中身全部【副脳】にすればいいんじゃ?」
「それだと本人の生命活動が終わって、寄生している魔力の質が俺のものに変わってしまいますからね。別人だとばれる可能性があります」
そんな会話を聞きながら、重傷を負っているゴゾロフは何とか頭を働かせて目の前で起こった事を理解しようとしていた。
つまりギラバットは裏切ったのではなく、目の前のガキに頭の中を弄られて操られていたらしいが、何故そんな事を? いや、それより同じ事を今まで奴隷を売って来た奴隷商人にもするだと?
「そ、そんな事が、許されるとでも思ってんのか? 乗っ取るだと? 奴等に手を出したら、お前の方がどうにかされちまうぜ」
彼等は商売敵に成り得る新興勢力を殊更嫌う。それを潰す為なら、普段から争っている組織同士でもある程度の協力体制も組むほどだ。
彼等の後ろ盾になっている権力者たちからも、暗殺者を送り込まれる可能性が高い。それでただ殺されるだけならまだましで、ゴゾロフでさえ震え上がるような惨い殺し方をする、殺し屋と言うより見せしめ屋と呼んだ方が良い連中もいる。
ゴゾロフ自身は『ハイエナ』なんて呼ばれていても、所詮末端だ。真の黒幕と言える彼等から見れば、替えの効く蜥蜴の尻尾でしかない。潰したところで動く事は無いが、自分達の商売に直接手を出そうとするなら容赦はしないだろう。
「テメェがどれだけイカレタガキだとしても、絶対に無理……いや、もしかしたら……いけんのか?」
だが無理だと言いかけて、ゴゾロフは思い直した。
目の前で起こされた異常な現象の数々を思い返し、もしかしてヴァンダルー達なら裏社会の権力構造をひっくり返せるかもしれないと思ったのだ。
そのゴゾロフの直感は正しい。ただ、その次を決定的に読み間違えている。
「ヒヒ、分かった、良いだろう、俺が知ってる事は全部話す。お前が……いや、あんたが今日から俺達のボスだ。へへへっ、俺達は役に立つぜ。だから、傷の手当てを……」
「いや、用があるのは情報だけで、あなた達自身は要りません。尋問が終わるまで【死亡遅延】はかけますけど、治療は無しです。さあ、この目を見なさい」
しかしヴァンダルーはゴゾロフの顔に掌を向けながら近づいて行く。そこには【魔王の眼球】があり、【魔王の発光器官】の効果で怪しく明滅している。
「そ、そんなっ!? 待てっ、待ってくれっ! 何でそんな所に目があるんだ!? やめろっ、止めてくれっ! こっちに来ないでくれぇぇぇ!」
悲鳴を上げて逃げようとするゴゾロフだったが、実は既に致命傷を負っていた。ヴァンダルーの魔術によって死ぬ事こそ無いものの、そんな体では碌に動く事は出来ない。
そして【精神侵食】スキルを使った尋問により、彼は全ての情報を吐き出した後に始末されてしまった。
「てっきり、降伏した相手には寛大なんだと思っていたけど……それに、組織を乗っ取るなら手足も必要じゃないの?」
「場合に寄ります。手足は必要ですが、末端の荒くれ者は必要ありません。戦力としては論外ですし、俺は犯罪組織の情報網が欲しいだけで、犯罪をしたい訳じゃ無いですからね」
オルバウム選王国で諜報活動とそれに必要な拠点が欲しいヴァンダルーにとって、略奪や人身売買でしか稼げない連中を抱えるのはリスクでしかない。
手足もこれから乗っ取る組織の人員をそのまま洗脳するなり、アンデッド化させ訓練すれば良いのでゴゾロフ達は必要が無いのだ。
「キング、大体いつもこうだぞ。おかしいか?」
山賊を魔物と同じ獲物の一種として認識しているブラガに訪ねられたメリッサは、この世界の常識を思い返してから首を横に振った。
「おかしくは無いわね。私も冒険者をしている時に山賊の討伐はした事があるし、降伏されても役人に突き出すまで安全に連れて行く事に不安があるなら無視して殺せってギルドで教えているから」
『ラムダ』では人権と言う概念が無い。だから当然、『地球』や『オリジン』では常識である「犯罪者の人権も保護されるべきだ」という認識は、一切通用しない。
犯罪奴隷なんて制度がある時点で当然だが。
「でもアサギと……雨宮は怒りそうね。あいつ等なら、『どんな世界でも守られるべきルールがあるべきだ。そして僕達異世界から来た者は、この世界の人々とは別の視点を持たなくてはならない』って、この世界でも言いそうだわ」
どうやら【メイジマッシャー】のアサギと雨宮寛人は、『オリジン』でそう仲間達に訴えていたらしい。ヴァンダルーは雨宮と話したことがないので殆ど知らないが、アサギに関しては確かに言いそうだと思った。
一年以上前に会った時も、そんな様子だったし。
「今まで数え切れない程の人達を不当に捕まえ売り払って来た、殺せば報奨金が貰えて、役人に突き出しても縛り首か犯罪奴隷にされるしかない連中なのに。
犯罪奴隷には鉱山労働や使い捨ての奴隷兵士以外の用途として、魔術師ギルドでの魔術や薬の実験台や、テイマーギルドで飼いならした魔物の繁殖用に利用される事もあるのに」
だと言うのに何故? とヴァンダルーは首を傾げた。
「同じ転生者のヴァンダルーがするのが許せないんじゃないの?
ところで、奴隷にされていた人たちはどうするの? 私達の時みたいにまず居住用ダンジョンで導かれるまで生活させるにしても、あなたはこれから忙しくなるんでしょ?」
「とりあえず、本人達の希望次第ですね。特に一緒の馬車だった人達には借りがありますし、悪いようにはしないと誓いましたし」
「借り? 助けたんだから、貸しじゃないのか、キング?」
「俺の実験のせいで怖い目に遭わせましたから、借りです。特に、あの兄妹には」
日光を浴びながらこの赤黒い、見るからに毒っぽいポーションを飲むだけで太陽を克服し、力が手に入る。
そう聞いた時は、「幾らなんでもそんな馬鹿な事がある訳が無い」と思った。日光とは彼等原種吸血鬼にとっては致命的ではないが、やはり克服不可能な弱点だったからだ。
いや、正確には克服した原種吸血鬼もいる。彼等の中で最も強靭で頑健な肉体を誇ったゾルコドリオ、今ではゾッドと名乗っている兄弟は原種吸血鬼になった後も、昼間から活発に動き回っていた。
屋外で日光に焼かれながら田畑を耕し、野山を開墾し、建築工事を行っていた。そのため、何時の間にか【日光耐性】スキルを獲得したのだ。
それを知った彼を含めた他の原種吸血鬼達も日光を克服しようとしたが……彼を含めた全員が挫折した。致命的でないにしても日光に身体を焼かれる痛みは不快で、それに何年耐えてもスキルが獲得できなかったからだ。
その【日光耐性】スキルを数時間から数日、長くても十日程で獲得できると言うのだ。幾らなんでも信じられない。
しかし、十万年ぶりに再会したゾルコドリオが「騙されたと思って試してごらんなさい。病み付きになりますぞ」と笑顔でサムズアップしながら保証したし、ヴァンダルーの勧めだったので試してみる事にしたのだ。
「漲るぅぅぅぅっ!」
結果、彼は真っ昼間から上半身裸で歓声を上げていた。叫んで、手に持ったブラッドポーションの残りを呷る。白い喉を鳴らし、口の端から溢れた液体を紅い舌で舐め取る。
瞳は炯々と輝き、白い牙が逞しく伸びている。もし常人が見れば恐ろしい、しかし妖しげな美しさを漂わせるその姿に動けなくなっていただろう。
「ははははっ! なったっ、この我もゾルコドリオと同じ深淵種……深淵原種になったぞ! 力が無限に湧いてくるのを感じる! どうだ、新しい我の強くも美しい姿は!?」
「エルペル様、ワタシこんな口調だけど同性が好きって訳じゃ無いの。それにちょっと幼すぎるし、ぶっちゃけ強いって言うより、可愛い?」
「……そうか」
原種吸血鬼グーバモンの元から寝返ってヴァンダルーの配下になった貴種吸血鬼、マイルズ・ルージュに評価された彼、原種吸血鬼エルペルは力なく項垂れた。
しかし、十代半ばの声も高くて線の細い美少年の外見の彼が幾ら力んでポーズをとっても、威厳は無い。
「義理の姪のダルシアにも子供扱いされるし……良いんだ、我なんて貧弱な坊やがお似合いさ」
そしてそう座り込んで、適当な小石を指でつまんでは砕いてイジケ始める。それをマイルズは平然と眺めている。貴種吸血鬼にとって神に等しい原種吸血鬼に対する態度では無い。
「……小石を指の力だけで砕く貧弱な坊やはいないと思うけど」
お代わりブラッドポーションを満載したワゴンを押してきたエレオノーラはそう小さくフォローするが、マイルズが「いいのよ」と言って取り合わない。
「エルペル様は調子に乗りやすいから厳しめな方が丁度良いのよ」
「……『ヴィダの寝所』の貴種吸血鬼達に怒られても知らないわよ」
十万年前から『ヴィダの寝所』内部で原種吸血鬼に仕えてきた貴種吸血鬼達は、彼女やマイルズと言った邪神派出身の貴種吸血鬼とは異なり、彼等を心の底から尊敬し、敬愛している。ぞんざいに扱えば当然彼等の怒りを買う事になるだろう。
「その『ヴィダの寝所』の貴種吸血鬼達から言われたのよ。エルペル様は子供っぽいからって」
しかし、その貴種吸血鬼達もエルペルには手を焼いていたらしい。敬愛している故の親しみからも知れないが。
「そうなの? なんて言うか……原種吸血鬼の方々が普通の人みたいだと調子が狂うわね。ビルカインみたいに振る舞ってほしい訳じゃ無いけど」
「気持ちは分かるわ。私も別に戸惑ってない訳じゃ無いのよ……グーバモンみたいに振る舞ってほしい訳じゃ無いけどね」
マイルズとエレオノーラの視線の先では、半裸の原種吸血鬼約二十人が煙を噴きながら日光浴をしている。彼等はエルペルのように深淵原種になろうとしているのだ。
最低でもランク13の原種吸血鬼が約二十人。これだけで英霊が降臨するような奇跡が起こらない限り、アミッド帝国でもオルバウム選王国でも滅ぼす事が出来る大戦力だ。
「ヒィック! お代わりぃ~」
「ああああぁ! 焼かれるのが痛くてブラッドポーションを飲むのが気持ち良くて癖になるぅぅぅ!」
「この血こそ正に至高! 黒き血の皇帝のお恵みだ!」
「黒血帝ばんざーい! 我らの皇子、我らの子にばんざーい!」
まるで、ただの酔っぱらいの集団のようだが。
「おめぇ達が戸惑うのは分かる。だけど、オラ達からすると、スカしたビルカイン坊やグーバモンのギョロ目爺ぃ、身体ばっかり育って中身はお転婆だったテーネシアがそんな風になってる方がぁ、ショックでなぁ」
そう声をかけて来たのはドワーフから原種吸血鬼になったドラガンと言う男だった。既に深淵原種となっており、ちびちびと瓶に残ったブラッドポーションの残りを飲んでいる。
「昔はあいつ等も、まあ良い奴でなぁ。悪い所が無かった訳じゃなかったけんど……癇癪を起して同族を殺すような連中じゃあ、無かった」
ドラガン達にとっては、ビルカイン達邪神派の原種吸血鬼も十万年前に共に戦った戦友だ。ヴィダを奉じていた当時の彼等は、欠点はあっても邪悪では無くどちらかと言えば善良な人物だったのだろう。
「スカした坊や……ビルカインが」
「ギョロメ爺なのは、まあ知ってたけど」
だが、こうして聞いてもとても同一人物とは思えないエレオノーラやマイルズだった。
「エレオノーラ、話し込んでいないでブラッドポーションを配りに行きなさい」
そこに空の瓶を乗せたワゴンを押してきたベルモンドと、妙な使い魔王がやって来る。
一見すると奇妙な兜を被り、胸甲に大きなオーブの装飾を施した板金鎧を着た騎士の様だが、よく見れば明らかに異形だ。
板金鎧に見えるのは滑らかな【外骨格】で、胸甲のオーブは【宝珠】。そして奇妙な兜は、透明なカプセルでそれだけは【魔王の欠片】では無い。だが、その中に浮かぶ灰色の肉塊は【魔王の副脳】を無数に連ねた物だ。
他にも【眼球】や【血】、【脂肪】や【胃】等の欠片を使い、出来るだけ長時間の活動が可能なように工夫されている。
【遠隔操作】の上位スキル、【群体操作】スキルにも効果を発揮できる距離に限界がある。ヴァンダルーがオルバウム選王国に居る間も、その限界を超えてタロスヘイムで使い魔王を動かしていられるのは、この特別製使い魔王……疑似本体型使い魔王のお蔭である。
「思っていたより消費量が多いですね。備蓄分までたっぷり作ったつもりでしたが……保存してある材料で足りるでしょうか」
使い魔王を動かすヴァンダルーの分身がそう言いながら頭部を揺らし、とぷんと音を立てた。【錬金術】スキルでブラッドポーション等を作る事を専門にした使い魔王もいるのだが、重要な材料である血と死属性の魔力を新たに精製する事は出来ない。
魔力を作り出す事が出来る欠片は、【魔王の宝珠】だけだ。この器官はザディリスの第三の目のように魔力の発動や制御の補助以外にも、魔力を新たに精製する事が可能なのだ。
ただ本体であるヴァンダルーから離すと魔力を精製する効率が下がるので、万能ではない。しかし「脳を持ち、魔力を精製する事が出来る」と言う条件を揃える事で、彼はこの使い魔王を疑似的な本体として運用する事に成功していた。
分裂した訳ではなくあくまでも疑似的な本体なので、記憶も人格もヴァンダルーの物だ。『地球』の通信技術に例えると、基地局を新しく設置したような感じになるだろうか。
「工房のルチリアーノやデーモン達は、備蓄用の材料で十分だろうと言っていました。ああ、でももし足りなくなったら少しでもヴァンダルー様本体にお会いできるかもっ」
「……気持ちは分かりますが、だからと言って過剰にブラッドポーションを渡さないように。さあ、配って来なさい」
「ふんっ、分かっているわよ。貴重なヴァンダルー様の血を無駄にする訳がないわ」
正直に報告しながらも、誘惑に駆られた様子のエレオノーラだったが、ベルモンドに釘を刺されると、そう言ってワゴンを押してお代わりを求める原種吸血鬼達の元に向かった。疑似本体型使い魔王を名残惜しげに何度も振り返りながらだが。
「皆の中で使い魔王ってどう言う立ち位置なんでしょうか?」
そのエレオノーラの様子に気になった疑似本体型使い魔王が呟く。使い魔王の中身は、全てヴァンダルーである。別人格でも、無数のペルソナの具現でも、疑似人格でも無い。全てがヴァンダルーだ。
遠く離れたオルバウム選王国でギラバットの肉体を操作している寄生型使い魔王も、ヴィガロやボークス達と魔大陸で魔物退治をしている使い魔王も、そう呟く疑似本体型使い魔王も、例外無くヴァンダルーである。
「全てが旦那様だという事は私もエレオノーラも分かっていますが、やはり本体の旦那様の方に魅力を感じるのです。旦那様も、ダルシア様や……エレオノーラに触れるのなら本体の方が嬉しいでしょう?」
それもそうかと疑似本体型使い魔王も頷こうとした。
「そこで自分の名前を入れられないのが、あなたの性格よね」
「うむうむ、テーネシアの奴は人種の頃から体つきは良いのに色気と可愛げが無くてな。こういう初心で不器用な所の一つもあれば、原種吸血鬼になる前に浮いた話の一つや二つあったろうに」
その前にマイルズとドラガンが割り込んでベルモンドの注意を奪う。
「余計な御世話です。ドラガン様も、深淵原種になったのなら服を着替えてください」
「そう言えばボス、ワタシやアイラもだけど、あのエレオノーラも諜報活動には役立つはずよ。特に犯罪組織の運営なら、ワタシとっても得意なんだけど♪」
ベルモンドの氷のような視線にも動じず、マイルズはそう自分を売り込んだ。元グーバモンの配下の中でも幹部級だった彼は、単純な戦闘能力以上に実は組織運営のノウハウで周囲に一目置かれていた男だった。……彼等は知らないが、組織の再編で苦労していたビルカインも「もし彼等がいれば」と思い浮かべた名前の一つが、マイルズ・ルージュである。
「今はまだ糸を辿りながら、不要な根と枝を剪定している所ですからね」
犯罪組織は乗っ取るが、その後犯罪で儲ける必要は無い。組織の維持費は全てヴァンダルーが出資するからだ。
そのため『ハイエナ』のゴゾロフのような連中を処分しながら情報を辿っている間は、マイルズ達のノウハウは活かしようがないのだ。
「それに、原種吸血鬼の皆が落ち着くまで世話をして欲しいですし」
「……本音はそっちね。まったく、『ヴィダの寝所』で務めていた貴種吸血鬼達が倒れてなければ、ワタシ達は最初に説明するだけでよかったのに」
本来ドラガンやまだ落ち込んでいるエルペルの世話をしていた貴種吸血鬼達は、『ヴィダの寝所』に残っている者達を除いて全員グロッキー状態で倒れていた。
ドラガン達よりも先に深淵種になろうとして、日光に焼かれる痛みに耐えきれず失敗したのである。
「まあ、ワタシの部下達も成功するまで何か月かかかったのもいるから、仕方ないとは言えば仕方ないけど」
「すまんな。原種吸血鬼だ、貴種吸血鬼だと言われているが、我々は境界山脈外の者達が考えているよりずっと弱いのだ」
立ち直ったらしいエルペルが、マイルズにそう答える。
「ずっと弱いっちゅうのは言い過ぎだが、オラ達が強くないのは事実だ。なんせ原種吸血鬼になった頃はもう魔王との戦争の後で、互角以上の相手と命のやり取りをしたのはアルダやベルウッドの野郎との戦いぐらいだ。
その後はずっと【魔王の欠片】を封印しながら結界を張って、偶に……数百年から数千年に一度自分達よりずっと弱い魔物を間引く程度。どうしても勘は鈍るし、技は錆びる」
境界山脈の内部は、十万年前から最近までずっと平和だった。そしてここにある最高難易度のダンジョンはA級で、ダンジョンボスもランク12だ。ランク13以上の原種吸血鬼達が本気で戦うに値するような脅威は、無かったのである。
やはり極偶に同族同士やゴドウィンのような強者と模擬戦をする事があったが、彼等がより強くなるために十分な時間だったとは言い難い。
「ドラガンの言う通りだ。まあ、ヴィダ様の神域で新しい魔術を考案する事ぐらいはあったし、貴種達はダンジョンでそれなりに鍛えていたはずだが。
そう言う訳だからヴァンダルー、マイルズ、ベルモンド、我達にランク以上の強さは求めないでくれ。我々に失望する事になるぞ!」
「いや、ランク13の時点で十分強いですからね」
「でもアルダ達にぎゃふんと言わせたいから、これから頑張るぞ! だから本格的な戦いになったら期待してくれ!」
「……どっちなんですか」
「何なら、見てくれだけで選んでみっか? ほれ、あっちで悶えてるジゼルは魔王との戦争前からドワーフの中じゃ大人っぽい美人だと人種の男共から人気じゃったし、ドワーフだから筋肉もあるぞ。
今エレオノーラの嬢ちゃんに抱きついて絡んでるフェディリカは、素面の時は書類仕事も出来る頭の良いエルフ出身の娘でな。まあ、素面の時が殆ど無いのが珠のヒビ割れだがな」
「ドラガン、それなら何故ボルトゥーナおば……姉さんを薦めてやらない!? 可哀そうではないか!」
「いやあのゴリラを薦められる方が可哀相だろ、お転婆とか男勝りとか、そんな枠に入らんし」
「聞こえてるぞ、ごらぁ! 御子をからかってんじゃないよ! 二人ともまた舌を引き抜かれたいか!?」
オーガーと見紛うばかりに大柄な女原種吸血鬼が煙を噴きながら走って来ると、ドラガンとエルペルの頭を鷲掴みにしてそのまま戻って行った。
そしてしばらく経った後、口から血飛沫を上げながらのた打ち回るドラガンとエルペルの姿があった。どうやら、本当に引き抜かれたらしい。フェディリカがその光景を見て笑い出し、その隙にエレオノーラは脱出に成功したようだ。
「……またすぐに生えて来るからって、容赦ないわね」
「それよりも、何故皆旦那様に女性を紹介したがるのでしょうか。原種吸血鬼にはもう必要無いはずでしょうに」
「彼等の場合は、からかい半分でしょう。もしくは癖みたいなものかもしれません。目覚めて『ヴィダの寝所』から出た際に、他の国から式典への出席や、結婚や婚約を祝福するよう頼まれる事が多かったらしいですし」
本気で狙っているなら既に顔見知りになっているダルシアを通じて何か言って来るはずだから、ヴァンダルーは本気では無いと判断していた。
尚、そのダルシアは魔大陸で芸能活動……士気高揚のために訪問中である。レギオンとカナコやザディリスと、ザンディアと一緒に。
疑似本体型使い魔王は彼女達に思いを馳せようとして、ふと「あっ」と声を出した。
「どうしました?」
「いえ、地下工房でルチリアーノがブラッドポーションの瓶を落して……零れた中身に実験で生まれた小動物が殺到して舐め出し、次々に魔物に変化したみたいで」
他の使い魔王が見ている状況を説明すると、マイルズやベルモンドの顔が強張った。
「実験で生まれた小動物と言うと、生金や霊銀を移植したアンデッド同士の子や生物のハーフですね。確か、百匹以上いたと記憶にありますが」
「……それって大変なんじゃない。あの男、生きてるの?」
「魔物に変化したと言っても、それほど強くない魔物ですし、ルチリアーノに関心が無いようなので大丈夫です。ただ……使い魔王にとても懐いているだけで」
「「懐いている?」」
声を揃えて聞き返して来る二人に、疑似本体型使い魔王はビックラットやホーンラビットに囲まれている地下工房の使い魔王の状況を確認して、「はい、懐かれています」と頷いた。
《【黒血帝】、【龍帝】の二つ名を獲得しました!》
「……ついさっき叫ばれていた『黒血帝』は兎も角、何故『龍帝』が? 魔大陸で何かあったかな」
6月25日に、196話を投稿する予定です。
一二三書房様でサーガフォレスト創刊2周年フェアが開催中です! 拙作「四度目は嫌な死属性魔術師」も創刊2周年記念SSペーパー特典で参加しております。
配布店舗等詳細は、一二三書房公式ホームページでご確認ください。
5月15日に「四度目は嫌な死属性魔術師」の2巻が発売しました! もし見かけましたら手にとって頂けると幸いです。