百九十四話 鼻歌を歌いながら選王国侵食開始
前話百九十三話の後半、ダルシアがジョブチェンジする際に【再生の魔眼】に関する説明を加筆致しました。本筋は変っていませんが、気になった方はよろしければごらんください。
お手間をおかけしてすみません。
輪廻転生の神ロドコルテは、『法命神』アルダからのメッセージに目を通して重苦しいため息をついた。
『当初の予定よりも、ずっと早く転生者の存在がばれたか』
ロドコルテは中々発展しない……彼の輪廻転生システムに属する人間が増えない『ラムダ』に業を煮やし、耳に挟んだジンクスを実行するため、『ラムダ』に百一人の転生者を送りつける事にした。
現在『ラムダ』世界の主神である『法命神』アルダに何の断りも無く、無断で。
勿論、アルダを頂点とする神々が異世界の知識や技術に関して反感を持っている事も知っていた。それでも実行したのは、実行さえしてしまえばどうにでもなると言う確信があったからだ。
『地球』で生まれ『オリジン』で経験を積んだ転生者達は、当然『ラムダ』で異世界の知識や技術を活用するだろう。農業や漁業、調理、服飾、経済……様々な分野で力を発揮するはずだ。
しかし、余程不自然に性急でなければ、そして大規模でなければアルダ達は中々気がつかないだろうとロドコルテは推測していた。
転生者達は『ラムダ』の両親の元で『ラムダ』の名を付けられ、人種やエルフ、ドワーフとして産まれてくる。そんな転生者が行う発明は、アルダ達から見れば『ラムダ』の人々が独自に発明させたものなのか、それとも異世界の知識と技術由来のものなのか見分けがつかないはずだからだ。
勿論火薬や蒸気機関等、明らかに『ラムダ』の人々が突然思いつくのは不自然な技術を転生者達が再現すれば目を付けられるだろうが、それは転生者達が転生してからずっと後の事になるとロドコルテは推測していた。
黒色火薬等の製法は、『地球』や『オリジン』の製法を試しても『ラムダ』では効果が無い。そのため長い試行錯誤が必要なはずで、しかも出来た黒色火薬で得られる爆発力は並の冒険者の武技や魔術に劣りかねない。
銃や爆弾を作るにしても、部品を全て一から作らなければならない。そのため多くの転生者は作る意義を失うだろうと推測していた。
蒸気機関にしても、発明したそれを活かすにはそれなりの資金と体制作りが必要になる。それを十分に整えるには、早くても成人してから数年が必要だろう。
そして、その頃には百一人の転生者はそれぞれ社会的な地位を持って足場を固めており、簡単には排除できない存在になっているはずだ。
それからアルダが気づいても、もう遅い。神託を下して信者を扇動しようにも、彼は神託を受け取る才能が欠如した教皇に困らされている。迂闊に動けば転生者だけでは無く、転生者達と少しでも関わった者は無差別に殺戮するよう、教皇が御触れを出しかねない。
そうなれば全てをなし崩しに事後承諾で処理できると踏んでいたのだ。
勿論『ラムダ』には危険な魔物や、既に存在している狂信的な集団がいる。しかし転生者達にはそうした脅威に対抗するために、『オリジン』で経験を積ませたのだ。
与えたチート能力と魔術の才能を使えば、『ラムダ』世界のB級冒険者程度の力は発揮できるはずだ。
例外として【物体創造】の力を与えたベイカーと言う転生者がいるが、それは直接彼に銃や火薬は暫く作らないようにと注意すれば良い事だ。
そして百年も経てば『ラムダ』世界の人口は増え、邪魔なヴィダの新種族は……都市部で暮らす獣人や巨人種、ダークエルフ等は兎も角、魔人族や吸血鬼等は退治されるなどして数を減らし、ロドコルテにとって良い結果になるだろうと予想していた。
『だが、実際にはヴァンダルーと言うイレギュラーが発生したのもそうだが、想定していたよりも転生者が『オリジン』で死亡するタイミングに大きなずれが生じてしまった。そしてヴァンダルーを始末するために成人の身体で送った転生者の内三名の裏切りによって、アルダに気がつかれてしまった。
まだ転生者の殆どは『ラムダ』に転生していないと言うのに』
このままではロドコルテの力の元となる、彼の輪廻転生システムに属する『ラムダ』世界の人口が増えるどころか、ヴァンダルーが支配する帝国によって『ラムダ』はアンデッドと魔物、そしてヴィダの新種族が支配する世界に成りかねない。
『いや、それよりアルダの確認に対する返事はどうするんだよ? 大体三日ごとに一通来ているんだぞ!?』
『有耶無耶には出来そうにないけど……まさか、また鮫島や田中……サルアやジークを見捨てた時のように、アサギ達を売るの?』
『ムラカミ達なら、別に売っても私達は構わないのだけどね』
一定の間隔で送りつけられてくるアルダからの便りにプレッシャーを覚えている亜乱や泉、硬弥がそう尋ねてくる。
『なんなら、俺が使者として事情を説明しに行ってやろうか?』
『却下する。お前は『ラムダ』に着いたらそのまま遁走し、ヴァンダルーかアサギと直接連絡を取るつもりだろう?』
『……ちっ、ばれたか』
それが実際に可能かどうかは兎も角、亜乱がロドコルテの目が届ききらない神域の外で、何かしら出来ないか試そうとするのは明らかだった。
わざとらしく舌打ちをして見せる亜乱を見下ろしながら、ロドコルテは『だが、確かに使者を送る事も考えなければならないか』と胸中で呟いた。
ロドコルテがアルダに対して行ったのは、『地球』で例えるなら明確な職務規定違反であり、不正であり、管轄の一方的な侵害だ。当然「これも世界の為を想って」なんて言い訳は通用しない。
ロドコルテが転生者を送る前の『ラムダ』は確かに長期的に見れば衰退の一途を辿るだろうが、目に見える破滅が迫っている訳では無かった。
そこにアルダがこの世の害悪と過剰に恐れる火薬や蒸気機関を作る事が出来る転生者を百人も、それも勝手に送りつける必要性は無い。
だからロドコルテに出来る返事は正直に全てを告白し謝罪するか開き直るか、若しくは嘘をついて誤魔化すかだ。
だが、嘘をつくのはあまり意味が無い。……ロドコルテと協力関係にあるムラカミのグループは話を合わせると思うが、信頼及び信用がお互いに無いアサギやマオ、そしてムラカミから離れたカオル・ゴトウダは、自分が知っている事をそのまま話すはずだ。
アミッド帝国側では神託を受け取る素質のある少年教皇が誕生したが、オルバウム選王国側でもその動きがある。信者達の人事に介入するようになった今では、居場所を把握した転生者に話を聞く事は難しい事では無い。
『では今まで私が行って来た事とヴァンダルーが何者なのか、全ての事実をアルダ達に告げ、ヴァンダルーを倒す事に協力を要請するとしよう』
だからロドコルテは、正直に全てを話して開き直る事にした。断固として謝罪せずに。
『……そんな事が通ると思っているのか? 神々を怒らせれば、あなたの身も危なくなるのを忘れているのか?』
『円藤硬弥、君の言っている事は正しい。だが、間違っている。アルダ達は幾ら私に対して怒りを滾らせても、私には何もできない。その理由がある』
ロドコルテはラムダの人間や動物の輪廻転生を受け持っている。その彼を『ラムダ』から排除すると言う事は、『ラムダ』で輪廻転生が正しく行われなくなる事に直結する。
アルダ達がロドコルテの代わりをやろうとしても、ロドコルテは『ラムダ』が誕生した直後から輪廻転生を取り仕切ってきた。アルダ勢力の神々には彼の仕事を代行できるノウハウが一切無いのだ。
『ラムダ』の人間達は、魂が無いか前世の怨念を覚えたままの子供が誕生するようになり混乱に陥り、逆に魔王式やヴィダ式の輪廻転生システムで転生する魔物やヴィダの新種族は益々繁栄する事になる。
アルダとしては絶対に受け入れる事が出来ない事態だ。
そうした事を説明した後、ロドコルテはこう纏めた。
『アルダ達は私が『ラムダ』からシステムを切り離す事を恐れている。だから、私が開き直れば強く罰する事は出来ないはずだ。私はヴィダやリクレント、ズルワーンとは違い、『ラムダ』世界の神では無いため、逃げ出す事が可能だと言う事を彼は忘れていない。
……そうだ、リクレントとズルワーンがヴィダの味方であるらしい事も伝えておくか。味方だと考えていた大神がそうでないと知れば、その分アルダは私との協力に前向きになるだろう』
それを聞き終わった泉は、胡乱気な表情を止め納得したようにため息をついた。
『つまり隠蔽するのね。あなたがもう『ラムダ』の神として認知されていて、どんなに望んでも『ラムダ』から逃げ出す事は出来ないって事を』
ロドコルテの企みは、自分が『ラムダ』の神にされる前の状態でしか通用しないものだ。
彼が『ラムダ』から逃げ出せない……輪廻転生システムから『ラムダ』を切り離す事は絶対に出来ないなら、アルダはロドコルテに対して他の神々同様に罰を下す事が出来る。
輪廻転生システムの管理運行だけしか出来ないよう、それ以外の思考力や行動力を『法の杭』を打ちこんで封じるのは勿論、その間に自らの御使いや従属神に輪廻転生に関するノウハウを盗ませ、ロドコルテの権能を奪う事すら可能だ。
だが、ロドコルテが『ラムダ』の神になったとアルダは知らない。ロドコルテの存在が主に知られているのは、ヴィダ派が牛耳る境界山脈内部で、アルダ勢力の神々の目は届いていない。
ヴィダ派……ヴァンダルーも自分達が唾棄すべき存在として広めた事で、ロドコルテに及ぼした影響は知らないはずなので、密告しようがないと言う訳だ。
『話が早くて助かる。だが、念のために口止めさせてもらおう』
そして泉達の口を主神としての権能で封じて真実を話せないよう強制すると、ロドコルテは三人の前から姿を消し、彼自身も滅多に足を踏み入れない神域の奥底に向かった。
それを黙って見送った泉達は、背後から僅かに感じた気配を、ロドコルテへの不満に意識を集中する事で意図的に無視していた。
『オリジン』では一応対尋問用の訓練を受けた彼女達だ、意識を逸らして小さな物事をすぐ忘れる事ぐらい簡単だ。
『開き直っても、やはりただでは済まないだろう。百人の転生者に関しては、私自身が何をしても『ラムダ』に転生させる以外に無いよう仕掛けてあるからどうしようもないが……転生者達が火薬や蒸気機関を作らないよう見張り、今後二度とこのような事をしないと誓うぐらいが妥当か』
神が他の神に対して行う誓いは、呪いに等しい拘束力がある。神としての格自体はロドコルテがアルダを圧倒的に上回るが、これは『法命神』アルダの権能の分野だ。簡単には逆らえないだろう。
だがその程度なら構わない。ヴァンダルーをこのまま放置すれば自分の身が危なくなる、そんな事態にまで事は悪化している。
一度見捨てようとした『ラムダ』が発展するかどうかなど、今のロドコルテには些細な問題でしかない。
『問題はこれの提出を求められるか否かだが……恐らくアルダもそれは躊躇うだろう』
問題なのはここに封じられている、ヴァンダルーを倒す為の切り札になるかもしれない物を手元に残せるかどうかだ。
魔王グドゥラニスの『理性』、『感情』、『本能』、『記憶』、『力』の五つに裂かれた魂。
それはベルウッド達三人の勇者によって倒された後、他ならぬアルダによって押し付けられたものだった。
当時のロドコルテとしては、危険物でしかなかったため遠慮したかったが、『魔王が復活したらこの世界だけでは無く、更に異世界へ……お前が輪廻転生を司る他の世界へ侵略の手を伸ばすかもしれないぞ』と言われ協力せざるを得なかった。
あれから十万年以上、過剰なほどの封印を施しロドコルテ以外は近づく事が出来ない神域の奥底で保存してきた。
それをロドコルテはヴァンダルーに対する切り札に出来ないかと考えていたのだ。当然だが、グドゥラニスを復活させ、ヴァンダルーを倒すよう取引を持ちかけるような事はしない。……復活したグドゥラニスの魂に、彼自身が滅ぼされる危険を冒す訳にはいかないのだ。
いくら神としての格が高くても、ロドコルテは所詮輪廻転生の神。闘争は不得手だ。グドゥラニスにとってロドコルテは、図体が大きいだけで動きの鈍い木偶の坊のようなものなのだ。
『この魂の内、グドゥラニスの意思が含まれていない『記憶』と『力』を相性の良い転生者に埋め込めば……だがムラカミやアンダーソン、アキラには適合しないだろう。ヴァンダルーの例から考えれば、魔王グドゥラニスの魔力と近い質の持ち主なら、扱えるはずだが』
つまり死属性の魔力を持つ存在か、逆に死属性の魔力に対抗し制御できる力を持つ存在なら魔王の魂の欠片も扱えるはずだ。『理性』や『感情』、そして『本能』も危険だが、グドゥラニスの意思が含まれない『記憶』と『力』なら、魔王の肉体の欠片同様に使えるはずだ。
しかしムラカミ達三人のグループにはそのどちらも無い。与えてもすぐ暴走させてしまうだろう。
【メイジマッシャー】のアサギなら、属性を持つ魔力を打ち消す力を与えた彼なら可能性はあるが……まあ、無理だろう。ムラカミよりも長く耐えるだろうが、結局は暴走させてしまうに違いない。
『やはりムラカミ達には、こちらを渡す事にするか。魔王の魂よりもずっと落ちるが……扱いきれない力を与えても仕方あるまい』
ロドコルテが魔王の魂の欠片の代わりに視線を向けたのは、歪なオーブだった。一度砕け散ったオーブの破片を集めて、無理矢理くっつけたような代物である。
それが大小二つ、ロドコルテの前に浮かんでいる。
『多少以前の持ち主の魂の破片が混じっているかもしれないが、彼の自我の強さなら抑え込む事は可能だろう。それに結局使うかどうかは、彼の責任だ』
そしてオーブを手に取ったロドコルテは、アルダに対して返事を認めるために再び神域の中央に戻った。
『時と術の魔神』リクレントは、老人と青年と少年の三つの姿で仮に創った神域に座し、自らの信者達を『視て』いた。
その様子はとても珍妙で、老人は気難しげに顔を歪め、青年は苦笑いをして、少年は嬉しそうに笑顔を浮かべている。
『信者達の様子は、どれくらい珍妙なのかね?』
そこに四つの頭部を持つ獅子の姿をした神、『空間と創造の神』ズルワーンが現れてそう尋ねる。するとリクレントは眉を顰めて答えた。
『珍妙な事等何も無い。我が信者達は、良く我の言葉を聞いている』
『では、アルダ神殿と距離を置き、ヴィダの新種族や真のヴィダ信者と協力するようにと言う我々の言葉を了解してくれたのか?』
アルダ勢力の神々が活発に動きだし、急造の英雄達を創り出そうとしている事をリクレントとズルワーンは当然気がついていた。それが勢いを取り戻しつつあるヴィダ派、そして旗頭であるヴァンダルーを倒す為である事にも。
そのため彼等は自身の信者達にアルダ神殿とは距離を置き、ヴィダ派と連携を取るようにと働きかけていたのである。
神託を受け取る事が出来る信者の数は少ないが、そうした者達は他の信者を指導する立場に在る事が多いので、不可能ではないはずだった。
『レギオンを除く十人余りに働きかけ、神託を受け取った信者達のその後の動向を見守って来たが……彼等の返答を言葉にするなら、『即答は出来ない。検討させてもらう』と言う事だった』
『……リクレント、その返事の色はあまり良くないのではないかな?』
『その通りだ、兄弟よ』
リクレントの神託を受け取った者達は程度の差はあっても驚き、とりあえず口を閉じて神託の意味を吟味し、そして情報収集や分析をするために動きだした。
自分が受け取った神託が正しいのか……神の判断は正しく、また従う価値のある物なのか疑いながら。
そんな神の言葉を疑う信者達がリクレントには堪らなく愛おしく、また誇らしかった。
『我は善を説かず、悪を示さない。時と術を司る大神。故に、我を奉じる者は全て探究者であり学徒である。
彼等にとって我は導き手であり先達であると同時に、研究対象である。そのように見なくてはならない。研究対象の行動を観察し、疑念を持ち、それを納得が行くまで調べ尽くしてこそ、人は神に至る事が出来る』
『また嬉しそうに……君は少し被虐趣味の気があるのではないか? まあ、君の信者は大体が魔術師ギルドの研究者や学者、隠遁した賢者なんかだから、ヴィダの信者と連携を取っても大きな力にはならないかも知れないけれど』
神としての口調を崩して嘆息するズルワーンに、リクレントは問い返した。
『なら、そう言う汝の愛しい信者達はどうなのだ?』
『聞きたい? なら聞くがいい、我が信者達のうち同じくレギオンを除いた神託を受け取る事が出来そうな者全員に神託を投げて来た。後はまだ見ていないから知らない!』
『……やはり神託を下した後は放置か』
今度は逆にリクレントがため息をつき、ズルワーンが四つの頭で「ワハハ」と笑う。
『神が何から何まで面倒を見てくれると思うような可愛い人間が、態々我を信仰するはずがない。我の言葉なんて精々参考意見程度だ。
その後どう動くのかは各々次第。手が空いたらちゃんと見守るけれど、選択の責任はまず本人達が負わなくてはね。人間は人形では無いのだし』
元々トリックスター……リクレント以上に善悪に無頓着で、過去の既成概念や伝統を破壊し混沌をもたらす事を己の役割とするズルワーンは、己の信者達に対しても距離を空けている。愛しく想っていない訳ではないが、自分の性質上、あまり信者との距離を詰め過ぎると人間達の日常を掻き乱す事になると知っているのだ。
『お互い様ではないか。汝の信者達も多数派にはなりえない故、すぐにヴィダ派と連携を取らなくても大勢に影響は無いだろうが……信者達の事は置くとして、ロドコルテの動向は?』
『分かったとも。どうやら、近々アルダに全てを話して協力体制を取ろうとしているようだ。我々がヴィダの味方をしている事も、手土産にタレ込むつもりらしい』
ここ暫くズルワーンは、空間を捻じ曲げてロドコルテの神域を覗けないか試していた。この試みは最初失敗を前提にしたものだった。実際、気配を隠しきれずロドコルテの御使いにばれてしまったのだから。
だがロドコルテは自身の御使いからも人望が無いのか、彼女達はこちらが何も言っていないにも関わらず覗き見に協力してくれている。
ロドコルテが周囲に気を配っていれば、それでもズルワーンの覗き見に気付いただろうが……彼は『ラムダ』が誕生する遥か以前から、どの世界にも属さずたった一柱で存在し続けた神だ。そんな彼に周囲へ気を配り注意を行き渡らせろと言うのは、無理難題に等しい。
『では、奴が隠している情報……奴が『ラムダ』の神となった事をアルダに教えるか?』
『それはどうだろう。我々がヴィダの味方なのは事実。アルダが我々の言葉を信じるか確証が持てないし……教えても今のアルダにロドコルテを罰する余力があるとも思えない』
『確かに……例のダンジョンを創り上げるのにも大分力を使っている。アルダなら、一旦ロドコルテと手を組みヴァンダルー達を倒し、その後に奴を罰しようとするだろう。では、教える意味は無いか』
リクレント達から見ると正気を失っているとしか思えないアルダだが、彼なりに『ラムダ』世界の存続を優先している事だけは信じられる。だからヴァンダルーを倒す事に力を注いでいる今の状況で、ロドコルテと彼の権能にまで手を出すような事はしないだろう。
……彼にとって、ロドコルテよりもヴァンダルーの方がこの世界に害を与える存在に見えているのだろう。
『ではとりあえず魔大陸に身を寄せよう。境界山脈の結界の中に入ると、汝はロドコルテの神域を覗く事が出来なくなる故に』
『仕方ない。だが、ただ逃げるのも癪なので少し悪巧みを仕掛けておこう。その後はヴァンダルーに加護を与えて決別の意思を表すとしよう。……侵略者である魔王が倒れたと言うのに、我々は兄弟姉妹同士で何をやっているのだろうね?』
《【魔王の鰭】、【魔王の毒腺】、【魔王の胃】、【魔王の骨】、【魔王の外骨格】、【魔王の皮膚】、【魔王の宝珠】、【魔王の魔眼】、【魔王の神経】、【魔王の被膜】、【魔王の羽】が合流しました!》
《【魔王の外骨格】が既に合流している外骨格に統合されました!》
《【糸精製】、【魔力回復速度上昇】、【魔術制御】、【超速思考】、【鎧術】、【盾術】、【魔王】スキルのレベルが上がりました!》
《【魔王の魔眼】スキルを獲得しました!》
《【毒分泌(爪牙舌)】が【猛毒分泌(爪牙舌)】に、【怪力】が【剛力】スキルに覚醒しました!》
年が変わって一月。冬の寒い空気の中、街道から外れて進む幌馬車の列があった。
「今度の狩りは大量だぜ。これでもう今年の冬は楽に越せるな」
「一昨年は英雄様のせいで散々だったからな。妙な連中に同業者が襲われて皆殺しにされる噂も流れるし、本当に散々だったぜ」
「その噂は初耳だな。妙な連中ってのは?」
「ああ、噂じゃアジトを突然全裸の若い連中に襲撃されて身ぐるみ剥がされるらしい」
「……はぁっ!? 何だそりゃ? 素っ裸だぁ? そんなん、簡単に返り討ちに出来るだろうが。それとも全員色っぽい美女で襲われた連中は鼻の下を伸ばしている間に皆やられちまうのか?」
「それだったら俺も見てみたいが、女もいるが男もいるらしい。噂じゃ素っ裸でも全員魔術の達人で、俺が話を聞いた知り合いの知り合いは運良く逃げ延びたが、他の奴らは皆殺しにされたらしい」
「……そりゃあ、妙な魔物が人間に擬態してるか、お前の知り合いの知り合いが大ほら吹きなんじゃねぇか?」
「だが実際それで潰された山賊団は幾つかあるらしいぜ。全裸だったりボロ布を巻いただけだったり、色々変わるらしいが。そんな奴らには狙われたくないよな。
ただでさえ去年は魔物に襲われて、折角仕入れた商品を囮にして逃げ出さなきゃならなかった事もあったんだからな」
その列の中ほどで、幌馬車の御者や周囲で護衛をしている男達が口々に去年までの愚痴を垂れていた。しかし彼等に悲壮感は無く、もうすぐ懐が温かくなると知っているから口も緩んでいるようだ。
「お前等も安心しな、大事な商品だ。奴隷商人の旦那に買ってもらうまでは、ちゃんと飯も出してやるからよ。ヒヒヒっ」
一方、逆に馬車の中の商品……奴隷達の間には虚無感が漂っていた。
男達は非合法な手段で奴隷を集める事を生業にしている犯罪者だ。スラム街で女子供を浚い、「仕事の口がある」と騙して連れて行くのはまだ穏当な方で、時には村を襲い蓄えと生き残った村人の全てを奪って行く事もある。
幌馬車の中にいるのも、一人を除いて非合法な手段で集められた奴隷達だ。
非合法に取引される奴隷の将来は、殆どの場合暗い。使い捨てられる労働力を必要とする鉱山や農園経営者、非合法な人体実験を行いたい魔術師、表沙汰に出来ない欲望の捌け口を探す者等が主な買い手になるからだ。
合法的に取引される奴隷なら、鉱山送りにでもされなければまだ救いはあるし、運が良ければ自分を買い直して解放される可能性もある。
だが違法奴隷はそうした救いや権利は無い。彼等が解放されるのは、死んだ時だけだ。
それを知っているか、察しているのだろう。馬車に乗せられた奴隷達……殆どが女子供だが、彼女達の瞳には気力の欠片も無かった。
「ん――――」
その奴隷達の中に、片方の目にボロ布を巻きオッドアイを隠したヴァンダルーが紛れ込んで、小さく鼻歌を歌っていた。それでも白い髪と屍蠟のように白い肌は悪目立ちするのだが、【冥王魔術】の【死角】を使って気配を限りなく殺しているので男達は勿論、彼の隣や向かい側に座っている奴隷達も一人増えている事に気がついていないし、鼻歌も聞こえている筈なのに気にしていない。
年が明けるまでの間に『ヴィダの寝所』で眠っていた原種吸血鬼達が守っていた欠片を獲得し、タロスへイムで使い魔王が活動し続けられる仕組みを整える等の準備をしてきたヴァンダルー。彼はこんな所で何をしているのか。
それは、オルバウム選王国で活動するための下準備の為だ。
何故今更オルバウム選王国で活動する必要があるのかと言うと、アルダ勢力の動きが派手になっている事が関係している。
ヴィダ派との対決姿勢を強め、実行しようとするアルダ勢力の企みがこのまま進めば、必ずオルバウム選王国内で過激な活動に出るだろう。
例えば、境界山脈の内側にいるヴィダを、人々を惑わす偽の女神、邪神悪神の類だと騙って人々を扇動するとか、ヴァンダルーが導く事が出来るヴィダの新種族の中でも魔物にルーツを持つ種を迫害し、選王国内の集落を襲撃するとか。
残念な事に【御使い降臨】は邪神悪神の信者でも使えるし、神託は第三者にはそれが本当に神託なのか、それともただ「神託を受けた」と世迷言を口にしているだけなのかは分からない。
オルバウム選王国で信頼されている為政者や著名人がそう言えば、ヴィダ信者が何を言っても多くの人はそうなのかもしれないと思うのではないだろうか?
(特に、ハインツ辺りが言えば効果は大きそうですしね)
去年の残暑の頃にヴァンダルーの夢に出て来たハインツは融和派だそうだが、ヴァンダルーは彼を信用していなかった。現在進行形で挑んでいるらしいアルダの試練とやらから出て来たら、「主の御意思のままに」としか言わない人形になっている可能性もあると思っている。
アルダの試練らしいダンジョンを襲撃……ダンジョンの外から入り口に向かって【虚砲】を連打してハインツ達を一方的に殺せないか試してみたいと思うが、その試みはアルダ勢力の神々が死力を振り絞って妨害してくるだろうから危険だと話し合った結果、却下された。
ギュバルゾーと同等の神が一柱降臨してくるだけなら、ヴァンダルーは倒す自信がある。しかし、一柱では無く複数降臨して来たら、その上で油断も無く連携してきたらと考えると、流石に自信は無い。
一柱や二柱は倒せるかもしれないが、三柱以上は難しいだろう。仲間を連れて総力戦を仕掛けても、敵の神々や英霊が消滅する覚悟で次々と降臨してきたら結局は同じだ。
それに、ハインツ以外にも敵はいる。去年からアルダ勢力が始めた急造の英雄作りはオルバウム選王国でも行われている。元々の信者の数が違うのでアミッド帝国側よりも人数は少ないが、その分注目されているようだ。
ハインツよりも知名度はずっと落ちるが、もし彼に何かあれば急造の英雄の中の一人を旗頭にする可能性がある。
勿論オルバウム選王国側のヴィダ信者は反発するだろうし、この国のアルダ信者はヴィダの新種族に対して穏健な融和派が多いはずなのだが……あまり信用できないと言うのがヴァンダルーを含めた、タロスヘイムの主要人物達の感想だった。
代替わりのせいでタロスヘイムから逃げてきたレビア王女達に濡れ衣を着せて処刑し、ボークスの娘ゴーファ達を奴隷鉱山に送って二百年強制労働させたハートナー公爵家。
ヴィダ信者の筈なのに、二代目以降スキュラ種族を自治区に押し込め隔離政策を行ったサウロン公爵家。
そしてヴィダ信者なのにスキュラ種族を利用するためにオルビア達スキュラを何人も手に掛けた、レジスタンスのレイモンドとリックのパリス兄弟。
そうした実例があるためだ。残念な事に、信者として間違っている者ほど神との繋がりは弱い。そのため神託は届かないのである。
それに他の十の公爵領の公爵が為政者としては善良でも、それがアルダ勢力と距離を置きヴィダ派に対して穏健である事には繋がらない。
領地領民のため大勢に従い、少数のヴィダの新種族を弾圧する事を選ぶ為政者もいるだろう。
こんな状況でもしムラカミやアサギ等の転生者や、邪神派の原種吸血鬼ビルカインが直接及び間接的にヴィダのネガティブキャンペーンを繰り広げたら、本当に目障りな事になる。
特にビルカインは幾つもの犯罪組織を束ねているので、大規模な活動が可能だ。
そうした事に対応するためにも、ヴァンダルー達は境界山脈の外に出る事にしたのだ。
情報を手に入れるための諜報活動の拠点を手に入れ、ヴィダ派の信者やヴィダの新種族の味方を作って勢力を築き上げ、オルバウム選王国に対する政治的、社会的な力を獲得し人々に広く訴えなければならないのである。
その過程で山脈から出て来たヴァンダルーを狙ってムラカミ達が誘きだされたら殺し、ビルカインの尻尾を掴んで始末する。ムラカミ達は転生して時間が経っているから考えが変わっているかもしれないので、その場合はアルダ勢力に関わらない事を誓わせて(洗脳して)解放する予定だが。
(そうした活動をするためには、まず犯罪組織に入り込み……乗っ取らないといけませんしね)
ヴァンダルー達は、一から諜報活動をするのは面倒なので既存の犯罪組織を乗っ取る事にした。彼が奴隷に混じっているのはその一環である。
とりあえず、今までは順調だっ……た。
「おい、お前等! 何時からそんなにおしゃべりになりやがった!? 油断するにも程があるぞ!」
そう怒鳴りながら、男達の中でも特に大柄で顔に向こう傷がある人物が列の先頭側からやって来たのだ。
「ぎ、ギラバットさんっ、す、すいやせんっ!」
ギラバットと呼ばれた男に怒鳴られると、まるで正気に返ったかのように男達はしゃっきりとして、怯えと緊張感に顔を強張らせる。
「酒にでも酔ってんのか? ヘマしやがったらお前等も鉱山に叩き売る――っ!? 何だ、この妙な音は!?」
ギラバットは男達を叱責している途中で突然顔を顰めると、周囲を見回し幌の中を覗き込んだ。そしてヴァンダルーが歌っている鼻歌に気がついた。
彼は傭兵崩れで、不幸な事に【精神耐性】スキルを3レベルで持っていたのだった。
(練習は失敗した……流石に効果を緩めながらだと、力も弱くなるのか。後々影響が残らないように【精神侵食】スキルを使うのは難しい)
鼻歌を止めたヴァンダルーは内心そうため息をつくが、【精神侵食】スキルに抵抗した反動なのか、怒りがより駆り立てられた様子のギラバットが音の源を探して幌の中を覗き込む。
「ごほっ、ごほっ!」
そこで奴隷の一人、幼い少女がタイミング悪くせき込んでしまった。ギラバットは血走った眼で少女を睨みつけた。
「てめぇか……!」
「ま、待ってください! 妹は体が弱くて……!」
「体が弱い!? じゃあ売れねぇな! その歳じゃ娼婦としても使えねぇ、鉱山でも長くはもたねぇし、此処で楽にしてやれば、静かにもなって一石二鳥ってもんだぜ!」
少女の兄らしい少年が庇おうとするが、荷台に乗り込んできたギラバットは構わずせき込んでいる少女に向かって手を伸ばす。両手に木製の枷を嵌められたまま少年が立ちはだかろうとするが、容易く突き飛ばされてしまった。
「テメェには妹の心配なんかしてる余裕は無いんだよ! 鉱山に送られないよう精々いみょぎぇっ?」
少年に怒鳴りながら少女の胸ぐらを掴み上げたギラバッドの怒鳴り声が、途中で奇声に変わった。
彼の片方の耳には、ぬらぬらとした黒く細い管が突き刺さっている。
「っ!?」
驚愕に硬直した少年や他の奴隷達が管を視線で辿ると、それはヴァンダルーの舌に繋がっていた。
「……とりあえず神経と副脳だけでいいでしょう」
舌を伸ばして半ばから先を【魔王の口吻】に変化させているのに、不思議と明瞭にそう言うと、管が盛り上り何かがギラバットの中に注入されていく。
「おっ、げっ、や゛め゛で……ぐ、あ、あ゛、あ゛、ぁ……ぇすぉ、テスト、テスト、俺はギラバットです、じゃない、だぜ……かな?」
するとギラバットは全身から冷や汗を拭きださせながら小刻みに震え出し、涙と涎を流しながら懇願を始め……突然無表情になると静かに話しだした。
ヴァンダルーの口吻が耳から引き抜かれると、そこから僅かに垂れた赤と灰色が混じった液体を袖で拭い、女の子を丁重に降ろして座らせる。
「ギラバットさんっ! どうしたんですか!?」
「何でもねえ! さっさと仕事に戻れ!」
そして何処か棒読みに聞こえる声で外の男達を怒鳴りつけながら、荷台から降りて行った。
「い、今のは……?」
「あ、あんた一体……? いや、何時からいたんだ?」
呆然とする妹をヴァンダルーから庇ったまま問いかける少年や、唖然としている奴隷達にヴァンダルーは言った。
「すみません、皆さんを悪いようにはしないと誓うので暫く辛抱して、静かにしていてください。とは言っても無理でしょうから、眠っていてください」
幌馬車の中に甘い香りが充満し……ヴァンダルーが【猛毒分泌(爪牙舌)】で分泌し、気化させた催眠薬の影響を受けて、彼等は眠りに落ちたのだった。
「これでギラバット……寄生型使い魔王の操作に集中できる。動かすだけなら兎も角、成り代わるのは短時間でも難しそうですからね。主に、俺の演技力のせいで」
6月21日に、195話を投稿する予定です。
一二三書房様でサーガフォレスト創刊2周年フェアが開催中です! 拙作「四度目は嫌な死属性魔術師」も創刊2周年記念SSペーパー特典で参加しております。
配布店舗等詳細は、一二三書房公式ホームページでご確認ください。
5月15日に「四度目は嫌な死属性魔術師」の2巻が発売しました! もし見かけましたら手にとって頂けると幸いです。