百八十四話 蝕の恩恵を受けし者達の空に、勇者の願いが鳴り響く
『暗海の邪神』ギュバルゾーに率いられていた精鋭ギルマンの生き残り達は、神の消滅を目にして我先に逃げ出した。
騎乗している魔物に命じて、少しでも暗く深い場所へ潜って行く。仇を取ろうなんて、一瞬も考えない。
精鋭とは言っても、所詮はギルマン。彼等の多くはランク5から6で、しかも既に三分の二以上がヴァンダルー達の攻撃の余波で海の藻屑と散っていたので、無理も無い。
そしてヴァンダルー達もギュバルゾーの巨体の影に隠れていた雑魚を、海に潜ってまで追撃する気は無いようだ。このままでは二百以上のギルマンが野放しになり、海を往く船や各地の漁村や港湾都市を襲うかもしれない。
(逃げろっ! 逃げろ! 海上には恐ろしい化け物が……魔王がいる!)
しかし、その心配は無いようだ。ギルマン達の精神には、人間を襲う魔物としての本能を歪める程の恐怖が刻み込まれていたからだ。
ギルマン達はその後、光の届かない魔海の底から出る事は無かったと言う。そして深海に特化したギルマンの亜種に変異したと伝わっている。
ちなみにその頃人魚国の守護神『海の神』トリスタンは、神代の時代に自身が封印した宿敵が復活したのを気配で察した。
『今の状態では、神代の時代のように私が直接戦う事は出来ない……急いでヴァンダルーとグファドガーンに伝えなけれ……あれ?』
そして、数分と経たずに復活したはずのギュバルゾーの気配が消失したため呆然と立ち尽くす事になった。
『気配が……ギュバルゾーは【転移】は出来なかったはず……もしかしてラヴォヴィファードのようにヴァンダルーに喰われた……のか?』
クワトロ号は【虚砲】によって発生した大渦で揺れたが、離れていたのが幸いして目立った被害は無かった。
『ヒャッハ~っ! これであっしも世界初だぁ~!』
黒いスパークを纏ったランク10、シュバルツブリッツゴーストにランクアップしたキンバリーが狂喜乱舞する下で、船長達が指示を出していた。
『野郎共、ギルマンの邪神のデカい破片は姉御が回収済みだ! テメェ等は小さい欠片を拾い集めて来い!』
『了解しやした、船長!』
『鱗の一枚、ヒレの一欠片も見逃すな! どれも同じ量の白銀より貴重な素材だぞ!』
『了解です、船長!』
『商品は鮮度が命! 皇帝陛下が【鮮度維持】の術をかけてくださいますが、それまでに魚に食べられては大損害です!』
『肉片も全て集めて来い! 仕事が済んだら神のバーベキューを陛下が食わせてくれるぞ!』
『がってんだ、船長達!』
アンデッド船員たちは威勢良く返事をして、クワトロ号が出来る時に余った木の板をビート版代わりに抱え、海に飛び込んで行く。生前から泳ぎは達者で今は息継ぎの必要も無くなった彼等だが、骨だけなので油断すると沈んでしまう。
「結局、誰が船長なのだ?」
頭部や四肢など、主だったギュバルゾーの欠片を回収し、空間を歪めてタロスヘイムの倉庫に【転送】した姉御こと『迷宮の邪神』グファドガーンは首を傾げた。
憑代の外見がエルフの美少女に似ているため、船の縁に立っているだけで絵になるのだが、それに見惚れる目を持つ者は近くに居ない。虚ろな眼窩のアンデッドばかりである。
そして彼女に問われた船員に指示を出している、クワトロ号の元になった四隻の難破船の船長達は何故か四人一列に並び直してから答えた。
『俺が船長だ!』
『私が真の船長だ!』
『私が影の船長です!』
『そして俺が裏の船長!』
そしてポーズを決める。
『『『『四人揃って、死海四船長!』』』』
ビシっと名乗りを決めた四人は、何かを伺うようにグファドガーンを見つめる。
「なるほど。四人で誰が船長か決めかねていたのを、ヴァンダルーが『こうしてはどうか』と提案したのか」
『……あ、はい。そうです』
「その死海四船長というチーム名と、ポーズはヴァンダルーの指示か」
『よ、よくお分かりで』
「やはり……流石ヴァンダルー、素晴らしい」
元海賊や貴族、商人に冒険者から転身した死海四船長達は、始終無表情のままヴァンダルーへの陶酔を浮かべるグファドガーンによって、羞恥を味わわされるのだった。
一方、そのヴァンダルーは他のメンバーと一緒にプルートーの周りに集まっていた。
「日蝕を見た後、ランクアップしたと?」
「ええ。元々レベルは100に到達していたから、条件が揃えばランクアップできる状態だったの」
空中に浮いたまま受け答えするプルートーは、一見するとあの肉で出来たマネキンを球形に捏ねたような外見のレギオンとは全くの別人だ。
これまでも大きさや形は人間と同じに変わる事が出来たし、人格の内一つだけが分離して行動する事も可能だった。しかし、今のプルートーは人間そのものだ。顔も肌も、髪も揃っているように見える。
「今の種族は、ランク11のエクリプスレギオンよ。ランクアップして【形状変化】スキルのレベルが凄く上がって、【形状変身】というスキルに覚醒したお陰で、この姿になる事が出来たのよ。
カナコ達に確認したけれど、今の姿はオリジンで生きていた時そのままみたい」
「ええ、俺もオリジンでアンデッド化した後に見た事がありますが、髪の長さ以外は同じですね」
ヴァンダルーはオリジンでアンデッド化した後、自分と同じように実験動物として囚われていたプルートー達を助けている。
今の彼女は、その時の姿とほぼ同じだった。
『もう知り合ってから一年以上経つのに、顔を見るのは初めてなので新鮮ですね』
『ところで、その服はどうしたんですか?』
「これは服に見えるけど、形と色を変えた私達の一部よ。触ってみる?」
『あ、本当だ。しっとりしてますね! 布じゃなくて、布みたいに薄いお肉って感じです! あ……』
リタは遠慮なくプルートーのスカートの端を抓んで声を上げる。そしてふと首を傾げた。
『このスカートの中ってどうなっているんですか? もしかして見えない所は、元のままでしょうか?』
「……服は、オリジンで頻繁に着ていた物や、印象に特別残っている物を無意識に再現しているみたいだから、多分穿いていると思うわよ。自分でもまだ確認していないけど。
身体の一部を女の子に擬態させた魔物の類とは違うから、安心して。でも、確認はしないでね」
『分かりました!』
『リタっ! ちょっとこっちに来なさいっ。ごめんなさい、レギオンさん』
『娘が大変失礼をしました』
元気良く返事をしたリタを、サリアとサムが引きずって下げて行く。
「ところで、プルートー以外の人格はどんな状態なのですか? 眠っているとか?」
ヴァンダルーが話題を変えると、プルートーの口から低い男性の声で、「いいや、起きている」と言う言葉が発せられた。
ギョッとして驚く皆に構わず、プルートーの口からは異なる声が次々に飛び出した。
「ジャック達は普段と同じだよ。ね、瞳ちゃん」
「プルートーが見聞きしているのと、同じ物を私もジャックも見て聞いているわ」
「さっきまでは黙っていただけさ。何せ、口が一つしかないからね。変身している間は増やせないし」
「顔もプルートーだからな! 皆も混乱するだろうと思って気を使ったのだ!」
「後、肉体の主導権も今はプルートーにある。絶対では無いけれど」
レギオン達の言葉によると、今の彼女達はプルートーが主人格として肉体を操作しており、他の人格はそれを見守っているという状態であるらしい。
「じゃあ、プルートー以外の姿にもなれるの?」
「なれるわよ。ちょっと待ってね」
パウヴィナのリクエストに応えようと、プルートーは頷くと目を閉じる。
すると次の瞬間、プルートーの肉体がぐにょりと歪み、肉色の球体に戻る。そして再び歪み人型になると、今度は軍服に似たデザインの服に身を包んだ、長身の美女の姿に変化した。
銀色の髪を潮風に揺らした彼女は、腰の後ろで手を組んで豊かな胸を張って口を開いた。
「さあ! 私はだ~れだ!?」
『『『「「「ワルキューレ」」」』』』
「な、何故分かった!? この姿はヴァンダルーでも知らないはず!」
あまり話した事の無いオニワカを含めた全員に言い当てられたワルキューレが、驚愕によろめく。
「いや、姿はともかく声と口調がそのままですし」
『後、前からあなたは話す時よく胸を張っていましたし』
口々にそう指摘するヴァンダルーやサム。ワルキューレはレギオンの人格の中でも喋る方なので、覚えやすい彼女の特徴は知れ渡っているのだった。
「そうだったのか! ならば仕方がない、次だ!」
「え、まだやるの? 言っておくけど、僕は無理だからね。どんな姿になるか自分でも分からないんだし」
「私も遠慮させてもらうよ。私の元の姿は、ちょっとねぇ」
「グオゥ」
「分かった! シェイドとイザナミは辞退で、次は――」
「ベルセルクだったら、やっぱりわかると思いますよ。熊なのは彼だけですし。あと変身する姿の形状が精神的な要因で決まるのなら、俺の【精神侵食】スキルでどうにかできるかもしれません。試してみませんか?」
本来【精神侵食】は他者の精神を侵食し、洗脳するためのスキルだが、精神的な治療にも役立てる事が出来る。それを役立てようと提案したヴァンダルーだが、シェイドはワルキューレの口を通してこう言った。
「それは嬉しいけれど、先にジョブチェンジをしてきたらどうかな?」
『暗海の邪神』ギュバルゾーを、死霊魔術で倒した事によってヴァンダルーは大量の経験値を得ていた。
「そうですね、もう次に選ぶジョブは決めてありますし」
「ヴァンダルー、筋肉がつきそうなジョブでも出ているのか?」
「いえ、筋肉はあまりつかないかも知れませんが、もうすぐ他の人にも出るかもしれないジョブがあるので、先に就いておこうと思いまして」
オニワカにそう答えて、ヴァンダルーはサムの荷台に入り『ザッカートの試練』を攻略する時に設置したジョブチェンジ部屋に入った。
「さて、まだあるかな?」
《選択可能ジョブ 【霊闘士】 【鞭舌禍】 【怨狂士】 【死霊魔術師】 【魔砲士】 【冥王魔術師】 【神敵】 【堕武者】 【蟲忍】 【滅導士】 【付与片士】 【ダンジョンマスター】 【魔王】 【混導士】 【虚王魔術師】 【蝕呪士】 【弦術師】 【デーモンルーラー】(NEW!) 【創造主】(NEW!) 【デミウルゴス】(NEW!) 【ペイルライダー】(NEW!) 【タルタロス】(NEW!)》
水晶に触れたヴァンダルーは、脳内に表示されるメッセージに頷いた後首を傾げた。
「タルタロスはサリアとリタの種族名にもあるので分かりますが、なぜペイルライダー? 俺は【騎乗】スキルを持っていないし……【魔王の欠片】で変身するからかな?」
タルタロスは『地球』のギリシャ神話に関する話で聞き覚えがあった。【地球の冥神の加護】を持っているのでそれがジョブとして現れるのは納得できる。サリアとリタの主という意味でも。
だが何故ペイルライダーという名称のジョブが出現したのかは分からなかった。
……もし片仮名ではなく漢字で、【黙示録第四の騎士】と表示されていたら気がついただろうが。
「まあ、兎も角予定通り【魔砲士】を選択」
《【魔砲士】にジョブチェンジしました!》
《【投擲術】スキルのレベルが上がりました!》
《【魔砲発動時攻撃力強化】スキルを獲得しました!》
・名前:ヴァンダルー・ザッカート
・種族:ダンピール(ダークエルフ)
・年齢:10歳
・二つ名:【グールエンペラー】 【蝕帝】 【開拓地の守護者】 【ヴィダの御子】 【鱗帝】 【触帝】 【勇者】 【魔王】 【鬼帝】 【試練の攻略者】 【侵犯者】
・ジョブ:魔砲士
・レベル:0
・ジョブ履歴:死属性魔術師 ゴーレム錬成士 アンデッドテイマー 魂滅士 毒手使い 蟲使い 樹術士 魔導士 大敵 ゾンビメイカー ゴーレム創成師 屍鬼官 魔王使い 冥導士 迷宮創造者 創導士 冥医 病魔
・能力値
生命力:24,530(13,505UP!)
魔力 :3,919,413,508+(1,959,706,754) (合計452,612,151UP!)
力 :2,334(177UP!)
敏捷 :2,107(300UP!)
体力 :3,009(460UP!)
知力 :5,581(679UP!)
・パッシブスキル
怪力:9Lv(UP!)
高速再生:6Lv(UP!)
冥王魔術:4Lv(UP!)
状態異常耐性:10Lv
魔術耐性:8Lv(UP!)
闇視
冥魔創道誘引:5Lv
詠唱破棄:7Lv
導き:冥魔創道:6Lv
魔力自動回復:10Lv
従属強化:9Lv
毒分泌(爪牙舌):9Lv
敏捷強化:5Lv
身体伸縮(舌):7Lv
無手時攻撃力強化:大
身体強化(髪爪舌牙):8Lv
糸精製:6Lv
魔力増大:5Lv
魔力回復速度上昇:5Lv(UP!)
魔砲発動時攻撃力強化:小(NEW!)
・アクティブスキル
業血:4Lv
限界超越:4Lv(UP!)
ゴーレム創成:4Lv
虚王魔術:2Lv(UP!)
魔術制御:8Lv
霊体:10Lv
料理:7Lv
錬金術:10Lv
格闘術:9Lv
同時発動:9Lv(UP!)
遠隔操作:10Lv
手術:8Lv
実体化:8Lv
連携:8Lv
高速思考:10Lv
指揮:9Lv
操糸術:6Lv
投擲術:7Lv(UP!)
叫喚:5Lv
死霊魔術:8Lv(UP!)
砲術:9Lv
鎧術:4Lv
盾術:4Lv
装群術:4Lv
欠片限界突破:4Lv(UP!)
・ユニークスキル
神喰らい:4Lv(UP!)
異貌魂魄
精神侵食:8Lv
迷宮創造:1Lv
魔王融合:10Lv
深淵:5Lv
神敵
魂喰らい:4Lv(UP!)
ヴィダの加護
地球の冥神の加護
群体思考:1Lv
・魔王の欠片
血、角、吸盤、墨袋、甲羅、臭腺、発光器官、脂肪、顎、眼球、口吻、体毛、外骨格、節足、触角、鉤爪
・呪い
前世経験値持越し不能
既存ジョブ不能
経験値自力取得不能
最近カナコ達に火縄銃の性能テストを頼んだし、今は火薬から花火の作成を試している。それが無くてもムラカミ等他の転生者もいるので、銃砲に類する武器を扱う者がヴァンダルー以外にも増え、その者達が【魔砲士】ジョブに就く事もあるかもしれない。
すると、【既存ジョブ不能】の呪いを受けているヴァンダルーは【魔砲士】ジョブに就けなくなる可能性があるので、次のジョブチェンジでは【魔砲士】になろうと決めていたのだ。
「他にも沢山ジョブはありますけど、まあ一応」
就いてみた感触は、まだ分からない。【砲術】スキルは上がらず、何故か【投擲術】のレベルが上がったのが不思議だが、【魔砲発動時攻撃力強化】と言う、恐らくこの世界で初めて出現したスキルも獲得した。
恐らく、普通の銃や大砲を使っている時では無く、【魔王の欠片】で砲身と弾丸を作って魔術で撃ち出す攻撃を指して魔砲発動時と評しているのだろう。
「もしかして普通の銃砲を使っているだけだと【魔砲士】にはなれない? だとすると急いで選ぶ必要は無かった?」
そこまで考えたヴァンダルーの脳裏にその可能性が浮かんだ。しかし、ジョブチェンジして初めて分かった事だ。結果論で判断を評価する事は無いと自分に言い聞かせて、ジョブチェンジ部屋を出るのだった。
こうしてクワトロ号は大陸南部を囲む魔海を越え、ザンタークが待つ魔大陸へと向かってオールを漕ぎ出した。ヴァンダルー達は一通りレギオンの「私は誰だ」クイズや、シェイドとイザナミの整形治療(?)で目的地に着くまでの時間を過ごした。
『オリジン』で生きていた時から死体に憑依する精神生命体だったシェイドや、全身に腫瘍があり顔も分からなかったイザナミは、【形状変身】スキルを使ってもやはり普通の姿にはなれなかった。
イザナミは生前と同じ姿で、シェイドに至ってはスキルが発動している筈なのに肉だけで出来た人型の姿のままだった。
それをヴァンダルーは【精神侵食】スキルで二人の生前の、『オリジン』の科学者に改造される前の姿の記憶だけを、嫌な事や哀しい事は全て忘れたまま呼び起こそうと試みた。
結果、イザナミはすんなりと成功したが、シェイドは何と赤子の時に改造されたらしく自分の姿に関する記憶そのものが殆ど無いことが分かった。
「じゃあ、憑依した中で最も印象深い身体を自分の姿にしますか?」
『それだと【オラクル】の円藤硬弥になりそうだから、ちょっとやだな~。じゃあ、イメージした姿を自分の物だと認識するように出来ないかな?』
「それは、多分可能だと思います」
『じゃあ、こういう姿にしてもらえると便利だと思うんだ』
そしてシェイドはヴァンダルーによって、希望通りの姿になった。
年の頃はシェイドの精神年齢に合わせた十代前半の、中性的な雰囲気で少女とも少年ともつかない。顔立ちその物は整っているが、それよりも特徴らしい特徴が無いので「整っている」としか言いようがない。いわゆる、平均的な顔立ちだ。
モブ顔とも言う。
「この姿だと変装も楽そうだしね。変装する必要がこの先あるかは分からないけど、変装に便利な姿が一つぐらいあっても損は無いだろうしね」
精神生命体であった時間が長かったため、肉体を持つ事で食事や睡眠を体験する事に興味はあっても、その肉体の姿そのものには拘りが無いシェイドらしい選択だった。
そして二月になり三月が近づいてきた頃、クワトロ号から魔大陸の異様が見えるようになった。
「【転移】でタロスヘイムと行き来しながら進む事約一カ月と半。思ったより早かったですね」
海国カラハッドの港から出航した『暴虐の嵐』の船よりも、大分早くクワトロ号は魔大陸に辿りついた。
やはり略式とはいえ海図がある事と、船をリオーが牽引しクワトロ号本体も常にオールを漕いでいる事が大きいのだろう。
『そう言うオーナーは、遅かったじゃねえか』
「今日はちょっと書類が多かったので」
元海賊の船長にそう答えるヴァンダルー。日帰りで通っている彼は、当然タロスヘイムの皇帝としての職務も行っている。
「しかし魔大陸……随分奇妙な場所ですね」
「大陸全土とその周囲の海域が全て魔境だからね。普通だったら逆に変だろう、師匠」
境界山脈と並んで人跡未踏の地と呼ばれる魔大陸を見たいと、今朝の【転移】で付いて来たルチリアーノが、興奮した様子でメモを取っている。
彼等の目の前には、遠くから眺めただけでも違和感のあまり眩暈を覚える光景が広がっていた。
クワトロ号から見て右側には流氷が広がる氷の海で、正面は毒々しい紫の海、そして左側はグツグツと煮えたぎる灼熱の海になっている。
その向こうの大陸も、サンドワームやサンドウォームが泳ぐ砂浜や、七色の草が不自然に蠢く草原、常に葉が燃えている樹が茂る火炎の森等だ。
異なる魔境がモザイクのように並ぶ境界山脈内部でも、ここまで変化に富んではいない。まるでダンジョンから内部の階層を取り出したかのようだ。
「同じ人類未踏の地でも、境界山脈の内側よりずっと危険な気がします。この魔大陸を調査しようと思ったら、普通の人なら命が幾つあっても足らないでしょう」
「そうだな。人間社会では人類未踏と言われていても、境界山脈の内側では俺達や、そして民が暮らしているからな」
境界山脈内部の魔境でも危険な魔物が無数に出現するが、その環境だけなら大した危険は無い。それなりに準備しておけば、快適とは言わないが旅をする事が出来る。
しかしこの魔大陸では、『ザッカートの試練』の階層と同じくらい個々の魔境ごとの環境が異なる。しかも、ダンジョンの階段のような安全地帯は恐らく存在しない。
「よく始祖様達が此処で暮らしていられるな。後、この魔大陸でザンターク達を見つけたシュナイダーと言う冒険者……余程の筋肉の持ち主に違いない」
「ええ、まだ直に会った事があるのはメンバーの一人のドルトンだけですが、素晴らしい筋肉の持ち主でした」
「ヴァンダルーが言うなら、外見と実用性の両方を兼ね揃えた良い筋肉の持ち主なんだな。だけどそれよりも気になるのは伝説の原種吸血鬼ゾルコドリオ様だな。……もし会ったら、俺の分も手形を貰ってくれないか?」
「勿論です。早く会いたいですね、ゾルコドリオ様」
十万年前の段階で既に全身の筋肉を鎧だけでは無く武器、更に発電器官として活用する【筋術】を会得していた原種吸血鬼ゾルコドリオこと、ゾッドは境界山脈内部ではある意味伝説の人物だった。
特に筋肉崇拝者であるヴァンダルーやオニワカにとっては、スーパースターである。
「いや、筋肉だけでこの魔大陸に辿りつき生還した訳では無いと思うのだが……グファドガーン、この大陸について何か知っているかね?」
ルチリアーノに問われたグファドガーンは、暫く考え込んだ後口を開いた。
「現在に至る正確な経緯は私の知識にはありません。しかし、推測で良ければ」
「それで十分助かる」
「この魔大陸は魔王グドゥラニスが、拠点とした大陸の次に侵略しようと目論んだ大陸だったと思います。そのため、この世界の神々と魔王軍がぶつかり合う戦場になり……その結果、降り注いだ神々や邪神悪神の血肉が混ざり合い濃密な魔力に汚染されたのが、現在に至る最も大きい原因だと思われます」
他にも、魔王との戦いが終わった後、この大陸を浄化する余裕は無いとアルダやヴィダが放置しなければならなかった事、それによって『解放の悪神』ラヴォヴィファードのような魔王軍残党が巣くった事、邪神や悪神と融合したザンタークが隠遁していた事さえ、この大陸の魔境化を推し進めた要因だろうとグファドガーンは推測していた。
尤も、この魔大陸の魔境が大陸からはみ出して近海の海域まで汚染した程度で済んでいるのも、ザンタークが隠遁し、連れて来たヴィダの新種族達が魔物を間引いていたからだろうが。
『ヴァンダルー、カナコ達のセッティングが終わったみたいよ』
レギオンのプルートーがまだトリップしているヴァンダルーにそう声をかける。因みに、彼女達の姿は何時もの肉塊に戻っていた。
【形状変身】スキルの発動と維持には魔力などのコストはかからないのだが、長時間使用するとストレスを感じるためだ。堅苦しい服を着ている様な感覚になり、疲れるそうだ。
それに……肉塊の形状に慣れ過ぎて、人間らしい歩き方等を忘れてしまったらしい。
「セッティングと言っても、そんなたいした物じゃ無いんですけどね」
「ダグが花火の玉を持って構えるだけだものね」
レギオンの向こうでは、カナコやメリッサからやや離れた甲板で砲丸程の大きさの玉……彼女達が製作した花火を構えているダグの姿が在った。
「お前等な……見た目より難しいんだぞ、これ。俺はヴァンダルーじゃないんだからな」
「分かってますよ。それで、どうします? もうすぐ日も暮れると思うので、暗くなるまで待ちますか?」
「おいっ! それ俺に準備させる前に確認するところじゃないか!?」
「いいじゃないですか。若いのに、中々良い広背筋をしていますし」
「それ何の理由になるんだ!?」
ヴァンダルーとオニワカに「見所がある」と広背筋を見つめられたダグが、思わず叫び返す。彼の引き締まった柔軟な肉体美は、筋肉崇拝者達に認められたようだ。
「見られたくないなら、ちゃんと服を着れば良いのに」
「まあ、南の海上なので氷の海の魔境にでも入らない限り、暑いのは分からなくもないですけど」
口々に半裸に近い格好をしているダグの自業自得だと言うメリッサとカナコも、かなりの薄着である。
ただ何時までもダグの筋肉を鑑賞している訳にもいかないと、ヴァンダルーは空を見上げた後「いえ、今打ち上げましょう」と言った。
「燃え盛る森がありますし、暗くなってもそんなに目立たないかも知れません。大きな音がすれば、多分気がついてくれるでしょう」
「分かった。じゃあ、早速行くぜ! 【ヘカトンケイル】!」
ダグは魔術で花火の導火線に火をつけると、真上に向かって投げるのと同時に、【ヘカトンケイル】を発動して更に高く、真っ直ぐ打ち上げる。
そして数秒後、上空五百メートル程に達した花火が爆発して音と赤い火花を撒き散らす。
「これが花火……ザッカートの願いがまた一つ現実になった。見事だダグ、カナコ、メリッサ」
「正確には、ちょっと違うけどなっ」
感極まった様子で無表情のまま涙を流すグファドガーンに、ダグは肩の調子を整えながらそう言った。彼等は爆発すると火花を撒き散らす花火を作る事には成功したのだが……打ち上げ用の火薬を上手く仕込む事はまだできないでいた。
打ち上がらずに、地上で爆発してしまうのである。つまり、正確には「ただ綺麗に爆発するだけの爆弾」だ。カナコ達も一応花火の構造はテレビ番組等で何度か見ているし、軍で爆弾の作り方と解体の仕方もざっと学んでいる。
ただ本当にざっと学んだだけだ。実際に爆弾を作った経験は無かった。
『第八の導き』に合流した後に使った武器弾薬類は軍の横流し品や、略奪した既製品だったし、そもそも爆破は生命活動を停止した有機物を燃焼爆発させる事が出来る力を持つ、バーバヤガーの担当だったのでカナコ達は行っていなかった。
もしかしたら、『地球』と『オリジン』の知識を混合して『ラムダ』で花火を作っているため、何らかの不具合が発生しているだけかもしれない。
ただ原因はともかく、今の段階では上手く作る事が出来ず打ち上げをダグの念動力【ヘカトンケイル】に頼っているのだった。
「とりあえず、これで合図になったか? ダメだったら次は代わってくれ。真上に真っ直ぐ、しかも高く投げるのは、結構疲れるんだ」
『ヂュオォ、そう言えば、大きな音ならリオーに吠えさせるというのは?』
「良いアイディアだと思うがね、骨人。それだとただの魔物の咆哮だと思われて、無視されるかもしれんよ」
「まあ、暫く様子を見て何も無ければもう一度やってみましょう。それでもダメなら、多少魔物を呼び寄せるかもしれませんが、【魔王の発光器官】で夜空にサインでもしましょう」
魔大陸に居るはずのザンターク達に自分達の存在を知らせるための合図について話していると、次第に空が暗くなって行く。
そして太陽が沈み、月がうっすらと見えるようになり、もう一度花火を上げようかと考え始めた頃、突然火炎樹の森の一部が割れた。
そして大地と燃え盛る森の間から現れたのは、古風な鎧を身に着け弓を携えた女の巨人であった。
・ジョブ解説:病魔
病を扱う事に長けたというよりも、体内で病原菌を生成し、ジョブに就いた者自身が病原菌に変化しうるものが就く事が出来るジョブ。ただし、病原菌やウィルスの存在を知らなければ就く事は出来ない。
能力値としては力が上がり難いが、生命力と知力と体力が上がりやすい。【遠隔操作】スキルのレベルが上がり易く、ジョブに就いた時点で既にレベルが高い状態だと上位スキルに覚醒する場合もある。
・名前:レギオン
・年齢:1
・二つ名:【聖肉婦】
・ランク:11
・種族:エクリプスレギオン
・レベル:0
・ジョブ:魔塊士
・ジョブレベル:21
・ジョブ履歴:見習い魔術師、魔術師、見習い戦士、戦士、肉弾士、巨肉弾士、無属性魔術師、操肉士、盗賊、暗殺者、暗闘士
・パッシブスキル
精神汚染:7Lv
複合魂
魔術耐性:5Lv(UP!)
特殊五感
物理攻撃耐性:8Lv(UP!)
形状変身:1Lv(形状変化から覚醒!)
超速再生:8Lv
怪力:8Lv
魔力増大:4Lv(UP!)
生命力増大:1Lv(生命力強化から覚醒!)
能力値強化:食肉:7Lv(UP!)
炎雷耐性:4Lv
・アクティブスキル
限定的死属性魔術:10Lv
サイズ変更:8Lv(UP!)
指揮:4Lv
手術:7Lv
格闘術:8Lv
短剣術:6Lv(UP!)
融合:2Lv
突撃:9Lv(UP!)
詠唱破棄:4Lv
並列思考:10Lv(UP!)
遠隔操作:8Lv(UP!)
無属性魔術:6Lv(UP!)
魔術制御:6Lv(UP!)
限界突破:5Lv(UP!)
高速走行:6Lv
再生力強化:食肉:6Lv
投擲術:4Lv(UP!)
料理:1Lv
鍵開け:3Lv(UP!)
暗殺術:3Lv(UP!)
暗闘術:2Lv(UP!)
忍び足:2Lv
罠:2Lv(UP!)
魔闘術:2Lv(NEW!)
・ユニークスキル
オリジンの神の加護
ズルワーンの加護
リクレントの加護
ゲイザー:5Lv
侵食融合:1Lv
■■■ダ■ーの加護
・種族解説:エクリプスレギオン ルチリアーノ著
日蝕を見た事がきっかけになってランクアップしたレギオン。外見の変化は巨大になった事ぐらいだが、最も大きな変化は【形状変身】スキルを獲得した事で、前世の姿に変身する事が出来るようになった事だろう。……だから強くなったということはないが、町への潜入や、敵の油断を誘う事が可能になったはずだ。
今は人格の一つを選んで変身する事しか出来ないが、スキルレベルが上がれば【遠隔操作】スキルと併用して複数の人格が前世の姿に成る事も可能だと思われる。
ただ現段階でも一部だけ変身する等の応用は可能らしい。
ちなみに、他の生物に擬態する魔物はミミックスライム等が知られている。
魔塊士のジョブは、恐らく魔術師系のジョブだと思われるが……名称を見る限り、肉塊のような肉体を持つ人間しか就く事が出来ないジョブだと思われる。
生命力や力、体力が上がり難い傾向に魔術師系ジョブはあるが、魔塊士はその例外の様で生命力や体力も上がりやすいようだ。
5月8日に185話を投稿する予定です。
5月15日に「四度目は嫌な死属性魔術師」の2巻が発売予定です。もし見かけたら手にとって頂けると幸いです。