百七十八話 十月十日と各陣営の動き
ダルシアの霊が宿った骨片を飲み込んだ『生命体の根源』は、円筒形のケースの中で球体に変化すると静かに脈打ち続けた。
『人の赤子が生まれるのと同じ程の時間をかけて、御母堂は新たな肉体を得て復活する事でしょう』
「では、十カ月と少々ですか」
グファドガーンの言葉に、ヴァンダルーは感慨深げに頷いた。
ダルシアが殺されてから約十年。最初は彼女の霊体が持つ大体の目安である百年までを目標に頑張って来た。その後タロスヘイムのヴィダの蘇生装置に希望をかけて見たら壊されていて、中々大変だった。
しかし後十カ月と少々でダルシアが復活する。いや、生命体と言う意味では既に復活しているのだが。
勿論待ちきれない思いはある。肉体を取り戻した母とやりたい事、してあげたい事は幾らでもある。だが後十カ月少々なら待つべきだ。
対象の時間を加速させる【経年】や、【老化】の死属性魔術もある。だがそれを使う事でダルシアの新たな肉体にトラブルが起こる可能性を否定はできない。
「再会を十カ月早めるために、その後の長い時間を損なう訳にはいきません。
……時間と言えば、復活した母さんの寿命はどうなるんでしょうか?」
「私達みたいに限界が無くなってもおかしくないと思うわ」
ふとヴァンダルーの頭を過った疑問に推測で答えたのは、エレオノーラだった。
「『生命体の根源』は長命種のエルフにも適合したんでしょう? ダークエルフの魂に高ランクの魔物の素材にオリハルコン、その上女神の血……これで千年や二千年の筈ないもの」
「吸血鬼や我々魔人族等、寿命が無い種族は既に存在するので、不思議ではないかと」
エレオノーラに続いてイリスもそう推測する。どうやら既に二人の中では、ダルシアはダークエルフでは無く新たな種族として復活する事が決まっているようだ。
「そもそもヴァンダルー、お前なら望むだけ寿命を延ばせるだろう。ザディリスやタレアにしたように」
肉体の老化を吸い取り、若返らせる【若化】。当初は隠していたが、既に境界山脈内部では周知されている。……長く生きたいのならヴィダの新種族に変化した方が、いちいち若返るよりも確実だからである。
既に寿命が長い者達は、それほど寿命を延ばす事に拘らない。死んでも、魂は確実にヴァンダルーの元に行くだろうから、未練があればアンデッドになればいいだけだからだ。
そしてこの情報が境界山脈外に流れた場合の危険性は……アミッド帝国の場合はもう敵国なのは変わらないので別に変わらないという判断である。
「それはそうなのですが、【若化】の場合若返らせるだけで寿命の上限が変わる訳ではないですから。極端に短くなってしまったら大変ですし」
「そもそも、あれはあまりやらん方が良いと思うのじゃが」
「そうですわね、癖に成ったら困りますし」
【若化】経験者であるザディリスとタレアが、視線を逸らしながらそう呟く。行為自体は医療行為の筈なのだが。
『まあ、どんなに短くても数十年でどうこうって事は無いと思うよ? もし短いと思ったら、その時間を使って寿命を延ばす方法を探すなり、研究すれば良いじゃない。
きっとどうにかなるよ、絶対死者の復活よりも簡単だから』
ザンディアがそう主張すると、それもそうかとヴァンダルーは納得した。変かもしれないが、死者の復活よりも不老長寿の方が簡単な目標なのである、この世界では。
「そう言えば、この『ザッカートの試練』はどうなるのじゃ?」
常識では、ダンジョンは発生した後は永遠にそのままである。
だがここは『迷宮の邪神』グファドガーンが直接管理し、彼の力によって世界中に【転移】していた迷宮だ。他のダンジョンと同じとは限らない。
そう思ってザディリスが質問すると、グファドガーンはやはり今回で『ザッカートの試練』の管理を止めるらしい。通常のダンジョンなら彼が離れてもそのまま機能し続けるが、一部の試練……虚像の試練等精神に作用する物は、行われなくなるそうだ。
それにグファドガーンの化身等、一部の魔物は出現しなくなる。
以後は、ダークエルフ国内に存在するただのS級ダンジョンになるらしい。
『ですが再び私が直接管理すれば、以前と同様に機能します。
この工房は私がヴァンダルーの望む場所に転移させましょう。用意が出来ましたらご指示を』
そして指示を出すのは何時でもいいそうだ。
「じゃあ、王城の地下の工房につなげて貰えば良いかな。ところで、グファドガーン自身はこれからどうするのですか? 良ければ神殿に神像とか、建てます?」
『身に余る光栄です、我が主よ。しかしそれには及びません』
『迷宮の邪神』グファドガーンには、神殿が存在しない。彼が創り上げたダンジョンそのものが、その役割を担っているからだ。
迷宮の創造こそグファドガーンの神としての権能にして、信仰のシンボル。ダンジョンに脅かされる人々の怒りや恐怖、また日々の糧を得る者達の喜び、魔物を倒す事で強くなる充実感等が彼の力に成るのだ。
同じ権能を持っていた『魔城の悪神』が封印されるなど、ダンジョンを創る事が出来る邪神悪神の数自体も減っているので、ダンジョンに対する人々の思念の多くはグファドガーンに注がれている。『ザッカートの試練』を創り世界中を【転移】で巡るようになってからは、特に。
実はグファドガーンは、『解放の悪神』ラヴォヴィファード同様神代の時代より力を付ける事に成功した神なのである。
それはともかく、神像の建立を断ったグファドガーンはこの後何処に身を置くつもりなのか。
『ですが、皆様と同じように御傍に侍る許可を頂きたく』
ヴァンダルーの近くだった。
『……どうします、坊ちゃん? 正直、こうしている今も微妙に圧力を感じるのですが』
ヴァンダルーの僕に加わったグファドガーンとしては至極当然の希望だったが、神が近くに存在するためには問題も多い。
実際、こうしている今もグファドガーンは物理的な圧力を周囲に与えている。サム達が平然としているのは、彼等が既にそれなり以上に強い事と、グファドガーン本人が存在感を極力消しているからだ。
だがそれでも普通の一般人なら金縛りにかかった様な状態になるか、失神しかねない。
「うーん、希望は分かりますが――」
『ご安心ください、ダンジョンの魔物の生成機能を利用して創り上げた人間と同じ姿の憑代を用意してあります。『ザッカートの試練』の後処理が終わったらそれに宿るつもりです』
「なるほど、それなら大丈夫ですね」
断ろうとしたヴァンダルーだったが、グファドガーンは次代のザッカートが見つかった後の事も周到に用意していたらしい。
『この姿も私本来の物ではありません。初代ザッカートに『せめて直視できる姿に成れ』と命じられ、当時の力で出来るだけ人間に近づけた物です』
『好奇心から聞きますが、本来の姿は?』
リタの質問に、グファドガーンは暫し黙考してから答えた。ラムダの言葉で説明するためにはどう言えば良いのか、すぐには思いつかなかったからだ。
『ザッカートによると、『正七面体や正十一面体で出来た色ガラスを、クモともサソリとも判断できない蟲の形に組み上げた物』に見えたそうです』
『せ、正七? 十一? 姉さん、どんな形だったっけ?』
『分からない。坊ちゃんは分かります?』
「……俺にも分かりませんし、この世界の物理法則でその図形は再現不可能なのではないでしょうか?」
今でこそ人型のゴーレムに似た姿をしているグファドガーンだが、ザッカートに会う前は直視するだけで人間の精神を傷つける様な異様な形状をしていたらしい。
『それで憑代ですが、現在は先代ザッカートの希望に沿う形状にしてあります。ですが今からでも多少の調整が可能です。』
「そのままで良いと思いますよ。俺は筋肉以外言わないですし、それならあなたが過ごしやすい形状がいいのではないかと」
『畏まりました』
後々、ヴァンダルーはこの時の判断を若干後悔する事に成るのだが、まだ少し先の話だった。
『そう言えば、【魔王の欠片】は如何しましょう。私も一つだけ封印しております。ダンジョンの攻略中にも使っていたご様子でしたが』
今でこそ神としては大神に準ずる力を持つグファドガーンだが、【魔王の欠片】を封印した当時はそれ程では無かった。そして、アルダ勢力との戦争の後『ヴィダの寝所』や複数のダンジョンを創り上げた後は百年前まで延々眠っていた。
そのため、所持している封印の数は最初に預かった一つだけだった。
「あ、下さい」
『畏まりました』
それは食事の後片付けも済んでどこかのんびりとした時間を過ごしていた時に、前触れも無く起きた。
「ん? 『試練の探索者』に込めた魔力が切れたのか?」
ハインツがふと見ると、『ザッカートの試練』が次に転移する場所を指し示すマジックアイテムの反応が停止していた。
一点を示し続けるはずの針が、壊れた時計のように『試練の探索者』を傾ける度にユラユラと揺れる。
「まあ、別に良いのじゃないか? もう『ザッカートの試練』が現れる場所は分かっているんだし」
エドガーが吹いていた口笛を止めてそう言う。確かに、既に次に『ザッカートの試練』が現れる場所は判明しているので、『試練の探索者』を常に動かしている意味は薄い。
しかし、その場所を確認する事が日課に成っているハインツは「そんなに魔力を必要とする訳じゃ無いから」と言って、『試練の探索者』に魔力を込めようとした。
だが、すぐに『試練の探索者』に組み込まれた魔晶石が魔力で満ち、それ以上魔力が入らない状態になってしまう。だと言うのに、針の反応は戻らない。
「どう言う事だ? 魔力はあるのに、動いていない?」
「壊れちゃったの?」
ハインツの様子がおかしい事に気がついた、彼等が保護しているダンピールの少女セレンが心配そうに声をかける。
「簡単に壊れるものではないはずですが……ハインツ、見せてください」
『眠りの女神』ミルの神官であり、マジックアイテムの整備が出来る程度に【錬金術】スキルを習得しているエルフのダイアナがそう言って、『試練の探索者』の様子を調べていく。
マジックアイテムは基本的に通常の物品よりもずっと壊れにくい。物にもよるが、『試練の探索者』の場合身に着けたまま激しい戦闘を行っても、攻撃が直撃しない限りまず大丈夫なはずだった。
「魔晶石には傷一つなく、描かれた魔術陣にも異常無し。針と魔術陣の接触の問題かしら?」
だからダイアナも訝しげな様子だったが、何時も整備している時と同じように『試練の探索者』を調べ始めた。
「これは……何故? おかしい、どうして……まさか……」
だが次第に彼女の顔色は悪くなっていった。
「ダイアナ、どうしたの? 顔が真っ青だけど、『試練の探索者』に何か起こったの?」
女ドワーフの盾職、デライザが尋ねると愕然とした様子でダイアナは顔を上げて答えた。
「それが……正常です!」
「何だって!? ……って、縁起でもない冗談はやめてよ。ダイアナが冗談を言うのは珍しいけど」
冗談かと思ったデライザが苦笑いを浮かべるが、ダイアナの表情は演技とは思えない程強張っていた。
「私は冗談を言っている訳ではありません! 『試練の探索者』は今も正常に動いているのです!」
彼女の言葉の意味を、ハインツ達はすぐには理解できなかった。
いや、理解したくなかったのかもしれない。
何故なら次に『ザッカートの試練』が現れる場所を指し示す『試練の探索者』が、正常に機能していながら何も指し示さないという事は、次が無い事を意味するからだ。
「まさか……『ザッカートの試練』が攻略されたのか。ベルウッドの後継者が……ハインツ以外に決まったのか」
だが何時までも思考を放棄し続ける事は出来ず、エドガーが呆然とした様子で呟く。
それをきっかけに、『ザッカートの試練』はもうここに現れないという事実が、伝播していく。
「そんな、馬鹿なっ! ハインツ殿以上にベルウッドの後継者に相応しいものがいるはずがない!」
「神は、神は我等を見放したか!?」
過激派からハインツに説得されて融和派に転向した者達が頭を抱え、天を仰いで嘆く。
「い、一体何者が『ザッカートの試練』を攻略したのだ? オルバウム選王国内の者ならともかく、もしアミッド帝国の者なら……ベルウッドの後継者を旗頭に再びサウロン領を、それどころかオルバウム選王国全体に攻め込む可能性が!」
ハインツの支援者である貴族の使いが、危機感を露わにして爪を噛む。冷静さを保とうとして、自分達にとって最悪の未来を予想してしまい逆にパニックに陥りかけている。
「ハインツお兄ちゃん、皆……」
セレンはハインツ達を心配して声をかける。彼女としてはハインツ達が危険な目に合わないで済んだ事は嬉しいが、同時に彼等が『ザッカートの試練』を攻略するために長い時間をかけていた事も知っていた。
彼女がハインツ達に助けられた時にはもう亡くなっていたが、マルティーナと言う仲間の仇を取れなくなってしまった事も、分かっている。
だから動揺する彼等になんて言えば良いのか、咄嗟に分からなかった。
「……大丈夫だよ、セレン。別に死ぬわけでもなんでもないからね。獲物を横取りされる事なんて、冒険者をやっていれば時々ある事さ」
そんな中、最も早く我に返ったのは格闘士のジェニファーだった。彼女は未だ未練の滲んだ瞳で、『ザッカートの試練』が現れるはずだった谷の壁に視線を向けていたが、溜め息と共に瞼を閉じた。
「そうですね。支援して頂いた方々には申し訳ありませんが、依頼に失敗した訳でも犠牲者が出た訳でもありませんから」
終わってしまった事はしょうがないと、エルフのダイアナもジェニファーに同意する。確かに彼女の言う通りではある。しかし、『ザッカートの試練』に挑めなかった事で問題が全く無いわけではない。
デライザが苦虫を噛み潰したような顔をしてそれを指摘した。
「それはそうだけど……マルティーナの件はもうどうしようもないかもしれない。けど融和派とか、アルダ神殿とか、色々あるじゃないか。そっちはどうするのさ」
ハインツ達が『ザッカートの試練』に挑む理由には、冒険者としてダンジョンに挑む事やマルティーナの仇を取る事以外に、英雄神ベルウッドの後継者に成ってヴィダの新種族に寛容なアルダ融和派をアルダ信者の主流にするという目的があった。
ヴィダ信者が少なくないオルバウム選王国でも、魔物にルーツを持つヴィダの新種族への偏見や迫害は根強い。それを無くすために、セレンのようなダンピールが生きていく事が出来る世の中にするためにも。
そしてダンジョンの最奥で謁見が叶うかもしれない、『法命神』アルダやベルウッド本人にヴィダの新種族について尋ねる事も考えていた。
彼女達を邪悪としながら、何故融和派に転向した自分に加護を授けたのか。神々の真意を確かめたかった。
それが不可能になった事は、決して小さくない。
「だが、攻略者が出た事自体は喜ばしい事だ。もう『ザッカートの試練』に挑んで命を落とす者はいない。『ザッカートの試練』を攻略してベルウッドの後継者になった英雄が過激派で、私達がやろうとした事の逆の事を企んでいるなら困るが……それもいずれわかるだろう」
世界で最も有名なダンジョンである『ザッカートの試練』を攻略した者達だ。例えこのバーンガイア大陸外で攻略されたにしても、すぐ噂が広まるだろう。
一度攻略を試みたハインツだから分かるが、『ザッカートの試練』は無名の冒険者や騎士がどうにか出来るダンジョンでは無い。どんな奇跡が起きても、A級冒険者以上でなければ不可能だ。
そうした既に国家的な名声を得ている者達が攻略した以上、その成果はすぐに広まるだろう。『真なる』ランドルフのように目立つのを嫌うなら、そもそも『ザッカートの試練』に挑まないはずだし。
「まあ、そうだな。ここで騒いでいても何の解決にもならない事は確かだ。悪いな、動揺しちまって。
おい、お前等! 俺が言うのもなんだが落ち着け! ここで騒いでも時間の無駄だぞ! とりあえず撤収準備始めるぞーっ!」
順に回って最後に我に返ったエドガーが、まだ混乱している者達に率先して声をかけて落ち着かせていく。
「心配させてすまなかった、セレン。とりあえず、一度町に戻ろう。後の事は、それから考えよう」
「うん!」
セレンがハインツの言葉に元気良く頷き、手を繋いで歩き出そうとしたその時だ。空から光の柱が降って来た。
「【御使い降臨】!?」
「いや、違うぞ! 光の柱が降りた場所には誰も……あれはダンジョンの入り口か!? まさか……『ザッカートの試練』!?」
光の柱は、何と『ザッカートの試練』が現れるはずだった谷の壁に降りた。そして光の中に、神殿を連想させる白い石造りの扉が出現した。
「おい、ハインツっ!?」
「いや、『ザッカートの試練』ではない」
ハインツは『試練の探索者』を一応みた後、首を横に振った。
「針はさっきまでと同じで動いていない。それに、あの入口は『ザッカートの試練』とは形も色も違うし、看板も無い」
「リフォームした……って訳じゃないか」
一度『ザッカートの試練』を見ているハインツの言葉を、一度は『ザッカートの試練』が現れたのかと沸き立った人々は否定できなかった。
通常、ダンジョンは発生した後に階層が増える事以外は大きく変化しない。精々内部の迷路の構造が変わるだけだ。
ダンジョンの入り口も、一度発生した後形状や色が変化したなんて話はまず聞かない。『ザッカートの試練』では例外的に看板が出現したが、それぐらいだ。
だからたった今出現したダンジョンは、『ザッカートの試練』ではない。
「だが、だったらあのダンジョンは何なんだ? 【御使い降臨】の効果のような演出で発生するダンジョンなんて、聞いた事が無いぞ。
ダンジョンが発生する瞬間を見たって記録は殆ど無いが……ダンジョンは普通、魔力によって穢れた土地から発生するんじゃなかったのか?」
エドガーがそう言いつつも、ダンジョンの入り口に向かって歩いて行く。戸惑ってはいるが、正体不明の何かに近づくのは、斥候職である自分の役目だという自負の為だ。
「扉の表面に古代文字が彫ってある……これはたしか……」
古代文字とは、魔王グドゥラニスが出現する前にこの世界で使われていた言語だ。今では日常的に使う者は存在せず、太古の遺跡で稀に発見される程度だ。
しかしエドガーやハインツは『ザッカートの試練』で役立つかもしれないと古代語の読み書きを、ある程度魔術師ギルドに保管された資料とその管理者から習っていた。
「たしか……『ベルウッドの後継者に成らんとする者のみ、挑むべし』だと!?」
そのエドガーが読み解いた文面は、驚くべき内容だった。
『ザッカートの試練』では無いのに、このダンジョンはベルウッドの後継者を選ぶための物だというのだから。
しかし、なら挑まない訳にはいかない。
再び周囲の者達がざわめくが、ハインツは静かに息を吐くと、セレンの髪を撫でた。
「ハインツお兄ちゃん?」
「悪いな、セレン。私達が町に帰るのは、お預けになった。
ベルボトロ、私達が留守の間セレンを頼んだぞ」
「ああ、任せとけ」
ハインツ達が『ザッカートの試練』に潜っている間、セレンの護衛と世話をする手はずだった信頼できる冒険者仲間がそう言って胸を叩いて見せた。
「ハインツお兄ちゃん……行ってらっしゃい! みんな無事で帰って来てね!」
仲間達を新たなダンジョンに向かって行くハインツは、少女の声援に「ああ、約束だ!」と言って答えると、扉の向こうに消えて行った。
黒焦げになって死んでいるサンダードラゴンを前に、一人の青年に変わりつつある年頃の少年が歓喜に震えていた。
「くっ、ククク、この僕が……この世界でも恐れられる竜種を、それも電撃に対して高い耐性を持つサンダードラゴンを、銃も爆弾もミサイルも使わずに剣と魔術、そして自分の肉体のみで倒した!
ハァーハッハッハ! 越えたぞ、僕は前世の僕を圧倒的に超越したぞ!」
高揚感を堪えきれずに高笑いを上げる少年。その良く言えば野性的に逆立った髪に、細いが引き締まった肉体。だが、顔つきそのものは何処か貧弱そうな印象を与える。
戦士としての訓練を受けている途中の根暗な少年。そんな感じだ。
「今なら勝てる! 『第八の導き』にも、僕を裏切った村上先生……いや、ムラカミのクズ野郎だって殺せる! このハジメ・イヌイ様の力があれば!」
少年の、少年の身体で笑うのはかつて異世界『オリジン』で【マリオネッター】の乾初と呼ばれていた男だった。
彼は一年と数ヶ月前に大人の身体で『ラムダ』に転生し、その後『雷雲の神』フィトゥンの加護を受け、ロドコルテでは無くかの神の指示を聞いて活動していた。
ジョブチェンジの時だけギルドを利用し、それ以外はフィトゥンが指示した場所にいた山賊や海賊から略奪し、未発見のダンジョンで魔物を狩り、宝箱や宝物庫で装備を調えた。
お蔭でハジメはいまや、F級冒険者でありながらA級冒険者のトップクラス相当の実力を誇っている。
普通ならそこに至るまでに山賊か魔物に返り討ちに遭うし、そもそもそんな都合良く山賊や未発見のダンジョンを見つけられるはずがない。それらが奇跡的な幸運で叶ったとして、成長の壁に三回は……凡人なら十回以上ぶつかる。
それが可能だったのは、ハジメが既に『オリジン』である程度の実力を身に付けていた事。そして何よりロドコルテとフィトゥン、二柱の神の加護によって成長が底上げされているからだった。
「ふふ、戦神様々だ。フィトゥンの加護は、僕と相性がいい」
そう言いながら首から下げたペンダント……フィトゥンの分霊が宿る宝石に触れる。
「……アルダがやっと動き出したのか」
ペンダントに宿った分霊から流れ込んでくる情報に、ハジメは唇の端を吊り上げた。
元々ダンジョン造り専門の神でもないのに、邪神悪神の真似事とはご苦労な事だ。どうやら大神としての力と法を司る事で得ている「罰する」権能、そして神として人間に「試練を与える」権能を、お得意の解釈とやらをこねくり回して無理を通したのだろう。
その甲斐があったかは『五色の刃』がどれ程成長するかにかかっているが、ハジメはそれには興味が無かった。
重要なのは、そのためにアルダが力を大分削っているはずだと言う事だ。
「これでもう『法命神』アルダはもう地上に降臨して戦う事は出来ない! 再び力を蓄えるまでに千年はかかる……これからはもっと自由に動けるってもんだ!
ハハハハハハ! アルダの駒がダンジョンに籠っている間にこのフィトゥンの使徒、ハジメ・イヌイ様がヴァンダルーの首を刎ねて……いや、刎ねただけでは死なないんだったな。全身の細胞が炭化するまで焼いてやるぜ!」
狂戦士の如く高笑いを浮かべるハジメの精神の内で、フィトゥンの分霊は苦笑いを浮かべていた。
『俺が原因だとは分かっているが、調子に乗り過ぎだ。これだから若い奴は』
分霊を宿らせたペンダントを通じて助言や情報を与える。そうハジメを騙して、フィトゥンは徐々にハジメの精神に入り込み、洗脳し同化しつつあった。
神が人間にそんな事をすれば、耐えきれずに精神か肉体、若しくはその両方が崩壊する。しかしハジメは元々ロドコルテによって神の力を与えられた魂、精神を持つ。そして肉体は、ロドコルテが神の力で作り上げた物だ。
これ程憑代に適した存在は無い。
『くくく、既に同化は四割以上。後一年もすれば、こいつ自身が俺の分霊……化身となる。アルダ、あんたはその間大事な駒を磨いていな』
一方その頃境界山脈を挟んだ大陸の西側の、ある古びた屋敷では頬杖をついたアミッド帝国のS級冒険者……と言う身分を隠れ蓑に、ヴィダの信者としてヴィダの新種族達の保護活動をしている『迅雷』のシュナイダーが座っていた。
彼は不機嫌そうな眼差しで、向かいに腰かけた人物を睨みつけていった。
「よくまあ俺の前に顔を出せたもんだな。しかも、こんな人気の無い場所で。なんで殺されないと思うんだ?」
歴戦の猛者でも失禁しかねない眼光に貫かれた人物は、平静を保った様子で肩を竦めた。
「君なら余をここで殺す事はしないと踏んだのでな。さて、単刀直入に用件を述べよう。
余の息子を護衛……いや、監禁して利用してくれまいか? 余の遺言状と息子の身分を示す短剣を持って」
向かいに座った人物……アミッド帝国皇帝マシュクザール・フォン・ベルウッド・アミッドはそう依頼した。
ザッカートの工房をタロスヘイムの地下にあるヴァンダルーの工房に繋げて固定し、氷像や石像にした探索者達の死体を回収した後、ヴァンダルー達は憑代に宿ったグファドガーンと共にダークエルフ国に帰還した。
彼等の帰還を待ちわびていたダークエルフ王のギザンや、ヴィダの寝所から派遣された貴種吸血鬼達、そして民達は歓声を上げた。
「これで百年の苦行も終わる!」
「仕事が減るぞー!」
毎年『ザッカートの試練』に挑んだ挑戦者達の選抜や、敗退時の治療を担当していたギザン達ダークエルフ達の喜びようは凄かった。
憑代に宿ったグファドガーンが目の前に居たのがシュールだったが。ギザン達はグファドガーンに気がつかなかったし、グファドガーンの方も無反応だったけれど。
それから一週間連続で境界山脈内部の国々全てで祝いの席となった。ヴァンダルーは一時間ごとにカプセルの中で育つダルシアの元に戻ったが、ダークエルフ国は大騒ぎだった。
『ザッカートの試練』はあのままダークエルフ国に設置され、ただのS級ダンジョンとして境界山脈内部の猛者を鍛える事に貢献する事になった。中層の厳しい環境等は同じだが、ややこしい試練が停止されダンジョンボスがグファドガーンの化身からランク13の高位のデーモンやオリハルコンスタチューに変化した。
敵が弱くなった事に魔人王ゴドウィンが不満そうだったが、あれはグファドガーンが直接管理していないと出せないと説明され、渋々納得していた。
入り口と攻略済みの各階層に転移出来るダンジョンカードも導入されたため、最終的な攻略難易度は大分下がったが、これからも大陸南部の戦士達のレベリングとダークエルフ国の観光資源として活躍してくれるだろう。
《【魔王の鉤爪】を獲得しました!》
《【侵犯者】の二つ名を獲得しました!》
《【病魔】にジョブチェンジしました!》
《【高速再生】、【詠唱破棄】、【従属強化】、【指揮】、【砲術】、【装群術】、【魔王融合】スキルのレベルが上がりました!》
《【並列思考】が【群体思考】スキルに覚醒しました!》
そしてヴァンダルーは色々あって、最終的に疲れていた。宴の後に先延ばしにしていたジョブチェンジをして、連れ帰った数千匹の高位デーモンが暮らす為のダンジョンを創って、巨大ヴァンダルー像を建立しようとするヴィダ神殿の神官長ヌアザを止めて――。
オオオオォォォ……
『ボス、第三班戻りましたぜぇ~。ところでどれがボスですかね?』
赤黒い小柄な人型……変形して分裂したキュールを見渡して、ゴースト達のレベリングから帰って来たキンバリーが首を傾げる。
グファドガーンの所から連れ帰ったゴースト達は弱かったので、班に分けてキンバリーやオルビアがレベリングをさせているのだ。
『あ、そこで珍妙な踊りを踊っているのがボスだ!』
明らかに骨格を無視した動きで蠢いていた一体をキンバリーが指差すと、中から【魔王の血】を使ってキュールの仮装をしていたヴァンダルーが正体を現した。
「……何故見つかったのでしょう? ストレッチ代わりに、骨格を無視した動きに挑戦していたのに」
『そりゃあ、近くに控えているグファドガーンの視線を追えばすぐ分かりますぜ』
そう言ってキンバリーが指差したのは、銀色の髪に金色の瞳をしたエルフの少女だった。
年の頃はザディリスと同じくらいで、神秘的な印象の美少女である。
「申し訳ありません、ヴァンダルーよ。つい目で追ってしまいました」
だが、グファドガーンである。
何故グファドガーンは憑代として、百年かけて神秘的な容姿のエルフの美少女を創り上げたのか。それは、ザッカートの希望……と言うか愚痴や冗談を、グファドガーンが勘違いして解釈した結果だった。
ザッカートがまだ生きている頃、彼は様々な活躍を戦場以外で行っていたが何も常に働いていた訳では無い。時には同じ生産系勇者達や、親しくなった『ラムダ』の人間と酒を飲むような事もあった。
そこで毎日工房で働いている自分と、戦場で命をかけて戦ってはいるが人々の声援を受け、何よりも複数の美しい女性に囲まれるベルウッドを比べて愚痴を漏らした事があった。
曰く、「俺だってエルフとか、美少女と仲良くなりたい」と。
更に他の日、常に……二十四時間フルタイムでついてくるグファドガーンに、「流石に寝ている時まで近くで佇むのは止めて」と訴えた。流石に怖いからと。
どうすれば怖くなくなりますかと問うグファドガーンに、ザッカートは冗談交じりに「お前が可愛い娘だったら良かったんだけど」と答えた。
その結果雌雄同体の種族から神に至ったグファドガーンは、「ザッカートが好む、エルフの女の子供の姿の憑代を創れば問題無い」と考えたのだ。
何故子供なのかというと、グファドガーンの認識では美少女→美しい少女→美しい女性の子供であり、「可愛い女の娘」を、「かわいいこ」、つまり「可愛い子供」と解釈したからだ。
決してザッカートが変態だったからではない。
本人としてはもう少し幼くしたかったらしいが、憑代の機能上の理由でこの大きさに落ち着いたらしい。
因みに、純粋な強さはダンジョンボスだった力の化身より数段落ちる、それでもランクは13だそうだ。
(今は俺の年齢上平気だけど、将来……大人になってからもこの姿のまま二十四時間フルタイムでついて来るのかな?)
それに気がついた時は、思わず目が遠くなったヴァンダルーだった。とりあえずベルウッドが悪い事にしておこう。
『それは兎も角ボス、何だか疲れているのに暇そうっすね?』
「ええ……栽培専用のダンジョンを創ってから酒ヤシの生産は順調ですし、【病魔】で俺の血液を変化させて作った特殊な病源の有効利用も進んでいます。『ザッカートの試練』にあったビーチの階層をモデルに、娯楽施設用ダンジョンの構想も進めています」
タロスヘイムに戻ってからまだ半月。『ザッカートの試練』を出て一か月経たずに、酒ヤシの栽培の目途を立て、【病魔】で獲得した自身の細胞を病原体に変化させるジョブ効果を使って、作物に害を与える病気の菌やカビに感染し死滅させるウィルスを創りだして散布している。勿論、品種改良にも利用中だ。
【並列思考】の上位スキルらしい【群体思考】のお蔭でバクテリアやウィルスサイズに変化しても、ヴァンダルーの一部として完全ではないが意思を統一し、【遠隔操作】で操る事が出来る。
字面は酷いがとても有用なジョブである。
新しく出現したジョブ……【デーモンルーラー】や【創造主】 【デミウルゴス】も多分有用なジョブなのだろう。……悪魔の支配者はやはり【デーモンテイマー】ジョブが既に魔人族によって発見されているから出現したのだろうか? だけど【デミウルゴス】って何ぞ?
(後、二つ名の『侵犯者』とは何だろう? そう呼ばれた覚えは無いのだけど……いや、そう言えばズルワーンに『境界の侵犯者』とか『善悪の境界を侵犯する汝』とか呼ばれたけれど、それかな? しかし何故今更? まああれから更に国境を侵犯したし、善い事も悪い事もしているけど)
まさか神話のトリックスター的な意味があるとは、気がつかないヴァンダルーだった。
それはともかくと思考を今話している事に戻す。
「『ザッカートの試練』から持ち帰った米の原種も、生態を調べている最中ですし、ゴーストのレベリングとランクアップはキンバリー達が頑張ってくれていますしね。でも、残った身体の方をどうしようかと……霊が本人のものじゃないと、英雄アンデッドに成りませんからね」
霊が他人のものでは、精々身体能力が他よりも数段優れているだけのゾンビにしかならないのだ。
だがただのゾンビにするのも継接ぎ仲間が増える事を期待しているラピエサージュやヤマタに悪いので、アイディアが思いつくまでマルティーナの死体も含め、持ち帰った全ての死体にまだ手を付けていない。
「申し訳ありません、ザッカートよ」
「ああ、いえいえ、別に責めている訳じゃないんですよ。気にしないでください」
『いっそ、ルチリアーノの奴に任せて見ちゃどうです。あいつもそろそろ齢でしょう? 嫁さん的な意味で』
「キンバリー、私は黙っていただけでずっとここにいるのだがね? いや、任せてもらえるなら張り切ってみるが。嫁かどうかはともかく」
とりあえず石像と氷像のままの死体達を眺めながら、ヴァンダルーは呟いた。
「……そろそろ魔大陸に向かう準備を始めたいのですが、『暴虐の嵐』の人達に場所を聞かないと遭難しかねないんですよね」
レギオンの【転移】で戻れるとは言え、迷った挙句別の大陸や島に着いても困るのだが。
「出来れば、母さんが復活する前に魔大陸のザンタークやファーマウンに会っておきたいのだけど」
ヴァンダルーが視線を向ける先では、カプセルの中の『生命体の根源』……ダルシアが液体の中で漂っていた。
・名前:ヴァンダルー・ザッカート
・種族:ダンピール(ダークエルフ)
・年齢:10歳
・二つ名:【グールエンペラー】 【蝕帝】 【開拓地の守護者】 【ヴィダの御子】 【鱗帝】 【触帝】 【勇者】 【魔王】 【鬼帝】 【試練の攻略者】(NEW!) 【侵犯者】(NEW!)
・ジョブ:病魔
・レベル:0
・ジョブ履歴:死属性魔術師、ゴーレム錬成士、アンデッドテイマー、魂滅士、毒手使い、蟲使い、樹術士、魔導士、大敵、ゾンビメイカー、ゴーレム創成師、屍鬼官、魔王使い、冥導士、迷宮創造者、創導士、冥医
・能力値
生命力:11,325
魔力 :3,617,672,074+(1,808,836,014)
力 :2,157
敏捷 :1,807
体力 :2,549
知力 :4,902
・パッシブスキル
怪力:8Lv
高速再生:5L(UP!)
冥王魔術:3Lv
状態異常耐性:10Lv
魔術耐性:7Lv
闇視
冥魔創道誘引:5Lv
詠唱破棄:7Lv(UP!)
導き:冥魔創道:6Lv
魔力自動回復:10Lv
従属強化:9Lv(UP!)
毒分泌(爪牙舌):9Lv
敏捷強化:5Lv
身体伸縮(舌):7Lv
無手時攻撃力強化:大
身体強化(髪爪舌牙):8Lv
糸精製:6Lv
魔力増大:5Lv
魔力回復速度上昇:4Lv
・アクティブスキル
業血:4Lv
限界超越:3Lv
ゴーレム創成:4Lv
虚王魔術:1Lv
魔術制御:8Lv
霊体:10Lv
料理:7Lv
錬金術:10Lv
格闘術:9Lv
同時発動:8Lv
遠隔操作:10Lv
手術:8Lv
実体化:8Lv
連携:8Lv
高速思考:10Lv
指揮:9Lv(UP!)
操糸術:6Lv
投擲術:6Lv
叫喚:5Lv
死霊魔術:7Lv
砲術:9Lv(UP!)
鎧術:4Lv
盾術:4Lv
装群術:4Lv(UP!)
欠片限界突破:3Lv
・ユニークスキル
神喰らい:3Lv
異貌魂魄
精神侵食:8Lv
迷宮創造:1Lv
魔王融合:10Lv(UP!)
深淵:5Lv
神敵
魂喰らい:3Lv
ヴィダの加護
地球の冥神の加護
群体思考:1Lv(並列思考から覚醒!)
・魔王の欠片
血、角、吸盤、墨袋、甲羅、臭腺、発光器官、脂肪、顎、眼球、口吻、体毛、外骨格、節足、触角、鉤爪(NEW!)
・呪い
前世経験値持越し不能
既存ジョブ不能
経験値自力取得不能
・ジョブ解説:冥医
医療行為全般に関するジョブ。その効果は通常の生物にも有効だが、その真価は一度死んだ事がある存在を対象にした時に発揮される。アンデッドの改造手術や緊急蘇生措置等では、余程困難な挑戦をするか第三者からの妨害があるか、最初から不可能な行為でない限りまず失敗しない。
また、対象を死に近づける行為……暗殺や拷問にも僅かながら補正がある。
本来は戦闘系ジョブよりも生産系ジョブとしての側面が強いのだが、アンデッドの創造が生産系ジョブとして分類される事を阻んだのか、一応戦闘系ジョブの端くれである。
ただ能力値の伸びは低い。
・スキル解説:肉体強化&身体強化
共に肉体の一部を強化するパッシブスキル。
【肉体強化】は対象になる部位の強度や、発揮できる筋力を単純に高める。【身体強化】もそれは同じだが、眼球なら視力も良くなる等器官としての機能も高める効果がある。
ただその分強度や筋力の強化率は【身体強化】よりも【肉体強化】の方が高い。
3月17日に閑話を投稿する予定です、