百六十二話 遙か以前の自分を眺める魔王ヴァンダルー
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
不定期な目覚めと眠りを繰り返していた『生命と愛の女神』ヴィダは、人としては大きすぎる気配が近づいた事で目を覚ました。
(この魔力は、気配は、ザッカート……あの子だ!)
かつて自らが選んだザッカートであり、アークでありソルダであり、ヒルウィロウだった魂が転生し、ここに来たのだ。
意識が覚醒すると同時に彼女の子等である新種族や信者達からヴァンダルーに関する情報を集める。
ロドコルテやアルダと異なり、彼に関する豊富な情報を手に入れたヴィダは喜びと罪悪感を同時に覚えた。それらに比べれば、身体に残る傷や打ち込まれた杭の痛みなど気にならない程、大きく深い感情だった。
(彼を、ここへ!)
その感情のまま、ヴィダはヴァンダルーを自身の神域に招いた。彼女の名が冠されたこの寝所は、『迷宮の邪神』グファドガーンが主に創り上げた特殊なダンジョン。山脈の外では、S級ダンジョンだと思われているらしい。
足を踏み入れた者を神域に招く事は、難しくは無かった。
(ああ……)
そして現れた魂の異形さに、ヴィダは思わず胸が痛くなった。
人型はしているが頭部や四肢の長さや大きさがチグハグで、目や口、耳の位置や数に至っては滅茶苦茶だ。しかもそこかしこに【魔王の欠片】が生え、絡まり合っている。
不器用な子供が創った粘土細工の人形に、狂った芸術家が名状しがたい細工を施した。そうたとえられても否定できない姿だ。
彼が異世界からこの世界に転生した時は、まだ人の形をしていた。異様な魔力に包まれ、酷く傷んでいたがまだ人の形をしていたのに。
ヴァンダルーの魂は元々魔王に砕かれた四人の勇者達の魂の欠片を、ロドコルテが一つの魂に纏めた物だ。だから以前から潜在的には魂の形が異なっていたのだろう。
それがこれ程表に出た原因の一端は、ヴィダにある。ヴァンダルーの魂をロドコルテのシステムから取り上げ、自らの子等の中に転生させた。その際、少しでも助けになるようにとザッカートの亡骸から彼の残留思念と、未だに流れ続ける彼女の血を……神の血を与えた。
そしてヴァンダルーはダンピールとして生を受け、これまで生きて来た。ヴィダが干渉した結果、本来生きるはずだった人生とは何もかも変わり、その過程で精神は狂い魂の形も異形に成り果ててしまった。
きっとこれからも普通の人生は歩めないだろう。
当人の意思を無視して生き方を変えてしまったという意味では、神の傲慢だろう。
だが同時に嬉しくもあった。
そのような状態であっても、彼は『お願い』を聞いてくれたのだから。
だから最初にするのは、謝罪では無い。
『まず、お礼を言わせて。私のお願いを聞いてくれて、ありがとう』
感謝を込めて手を伸ばすと、ヴァンダルーは暫く幾つもの目を瞬かせ首をぐるぐると回してから言葉を発した。
『……お願いとは?』
どうやら困惑していたらしい。魂の形はムブブジェンゲやゾゾガンテより余程邪神悪神の類らしいのに、そうした感情表現はとても分かりやすい。
そんな発見にヴィダは微笑を深くして、答えた。
『覚えていなくて当然だわ。あなたがこの世界に転生して来る時、お願いしたのよ。この世界を愛してほしい。空を、風を、大地を、緑を、動物を、人々を、愛してほしいと。
あなたはその通り、この世界を愛してくれた。本当にありがとう』
そう言われたヴァンダルーの困惑はより深くなった。お礼を言われて悪い気はしないのだが、何故そんな当たり前の事を願われるのか分からない。
生まれ育った土地や周囲の環境に親しみを覚え、周囲の人々に愛着を持つのは至極当たり前の事だ。
少なくとも、ヴァンダルーにとってはそうだった。
地球でもオリジンでも、世界そのものを呪った事は無かった。地球では伯父家族の元から離れて独り立ちすれば幸福に成れると思うぐらいには、オリジンでだって自分と同じ実験動物扱いされていた後の『第八の導き』を助けるぐらいには人々に期待し、親しんでいた。
このラムダでも同じだ。いや、地球で得られなかった力を振るう事が出来て、オリジンで得られなかった自由を得ているこの世界をより心地良く思うのは当然である。
……躊躇いなく「人を愛している」と言うには人を殺し過ぎている気がしないでもないが。だが一貫して出来るだけ人は殺さないようにしているから、ヴィダから見ると許容範囲内なのかもしれない。ヴァンダルーはそう思った。
(だけど、ラムダに転生する時……オリジンで元『仲間』に殺されてロドコルテに呪われた直後か。あの時の俺の精神状態から判断すると、世界を呪いそうに思えても無理はないかもしれない)
そう納得するヴァンダルーに、神であるが故に彼が何を考えているか分かるヴィダは『そうじゃないのよ』と告げた。
『ヴァンダルー、あなたは遥か昔に私が招いた勇者、ザッカートだったのよ。同時に、アークでありソルダであり、ヒルウィロウだったの』
『えっ?』
『彼等の魂は魔王グドゥラニスに砕かれてしまったけれど、ロドコルテが彼等の魂の欠片を纏めて一つの新たな魂を組み上げて、輪廻転生させたのよ。……私達が彼等を蘇生させる事が出来ないようにするために』
『……成るほど。少し腑に落ちました』
自分が以前は四人の勇者だった事を知らされたヴァンダルーは、困惑がより大きくなると同時に自分がこの世界に転生してからの、ヴィダやリクレント達神々の奇妙な行動の理由を理解する事が出来た。
タロスヘイムでアンデッドと化していたヌアザや、ザナルパドナの女王ドナネリスに(間接的だが)神託を下した。
特にヌアザに神託を下したのは約百年前だ。ヴァンダルーがオリジンどころか、地球で天宮博人として生を受ける前の事だ。
ヴァンダルーの存在を知り、行いを見て神託を下したとは絶対に考えられない時期だ。
それにオリジンで死んだ見沼瞳を含めた『第八の導き』をレギオンとして転生させ加護を与えた、リクレントとズルワーン。
どんな経緯でそうなったのか謎だったが、ヴァンダルーがザッカートやアークの生まれ変わりなら、ある程度納得できる。
『でも、俺には勇者だった時の記憶や力は無いですし、今も何かを思い出すような感覚は覚えないのですが』
今まで地球の天宮博人の前世より前の記憶を不意に思い出す事や、フラッシュバックを起こした事も無い。
オリジンで死属性魔術に目覚めた以前に、特殊な力や才能を自覚した事も無い。
女神から直接それを告げられた今でも、実感は無い。彼女の隣で王座に安置されている亡骸……ザッカートの物だろう骸骨に視線を向けても、同じだ。
ヴィダから言われたのでなければ、とても信じる気になれない話だった。
……あと、自分が境界山脈内部に間違った武士や忍者の知識が蔓延る原因になったヒルウィロウだったとは、若干信じがたい。
『それは、無理も無いわ。貴方の魂がザッカート達の欠片から創られたのは十万年以上前の事だし、私達がザッカートにあげた力は転生後に影響を与えるような性質のものでは無かったから。
ええっと、その辺りの説明はリクレントが上手いのだけど……』
『では、期待に応えよう』
前触れも無く新しい声が聞こえたと思うと、ヴィダの神域に三人の人物が現れた。老人と青年と少年、かと思えば何時の間にか三人の女性に姿を変える、一柱の神。
『リクレント! 魔王から受けた傷から回復したのね、心配したのよ。本当に久しぶり……今思えば、あの時の予知はあなたが教えてくれたのね。またあなたに会えて嬉しいわ』
『ヴィダ、我が姉にして妹よ、我々からすると君の方が心配だ……アルダも惨い事をする』
太い杭を四肢に打たれ、幾本もの刀剣が突き刺さったままのヴィダの姿をリクレントが痛ましげに見つめる。
それにヴィダは『確かに、今は私の方が満身創痍ね』と小さく苦笑いを浮かべた。
『でも、どうしてここに? ここは、確か結界が張ってあって山脈の外からは入れないはずだけれど』
ヴィダは大地を隆起させて境界山脈を創り上げた直後眠りについたので、その後の経緯には疎い。
しかし、不定期に眠りが浅くなるため今ではある程度の状況を把握できるようになっていた。
それによればアルダによる干渉から境界山脈内部を守るために、神が外部から直接降臨する事は勿論、御使いを派遣したり、人々に語りかけたりする事が出来ないよう結界が張られているはずだった。
そしてその結界の中心点が、この『ヴィダの寝所』だ。
いくら自分と同じ大神だとしても、その中でも最も術に秀でたリクレントであっても結界の中に入って来る事は出来ないはずだった。
『これは私の本体では無い。鏡に映る虚像のような物だ。彼の国で我々を信仰する様になった事で、虚像を送りつける程度は可能になったのだ。
我々の意を汲んでくれた事、改めて礼を述べよう』
リクレントの虚像は、ヴァンダルーに向き直ると目を閉じ、小さく頭を下げた。それに応じてヴァンダルーも、ぐにゃりと姿を歪ませて頭を深く下げる。
『いえ、俺の元にレギオンを送り届けてくれたようでしたから』
『……あの形は不慮の事故のような物だった。だから、彼女達に詫びていたと伝えてほしい』
リクレントとズルワーンは、ヴァンダルーへの援助として異世界で彼を信奉するプルートー達『第八の導き』をラムダに転生させる事を考えついた。
本来ならオリジンで生きていた時と同じ別々の人として転生させるはずが、ロドコルテの妨害があったため結局あの集合体の姿になってしまっている。
『本人達はあまり気にしていない様子でしたけど』
しかしプルートー達本人はあまり深く気にしている様子は無かった。彼女達は意外と前向きな性格をしているようだ。……ただ常識とは異なる方向で前向きなため、オリジンでは「どうせ地獄のような未来しかないならやりたい事(復讐)をやって死のう」という常軌を逸した行動に走ったようだが。
『本人達が気にしていなくても、私にとっては遺憾な結果であるのに違いは無い』
『御免なさいね、リクレントは昔からこういう事を気にするタイプなの』
『曖昧に私の性質を解説するのは止めて、それよりもヴァンダルーの状態を診てはどうだ、我が妹よ。意識がはっきりしている今の内になら可能なはずだ、我が姉よ』
『はいはい。少し触れるわね』
温かな手が、ヴァンダルーの魂に触れる。それだけでヴィダは彼の魂の状態を診察出来るらしい。
『その間に、かつて勇者であり現世でも勇者であるヴァンダルーよ。君の疑問に私が答えよう。ザッカートやアークだった頃の力や記憶が今の汝に無いのは、無理からぬこと……当然の結果なのだ』
リクレント達神々は人々に加護や力を与えるが、魂は輪廻転生を繰り返している。そのため神々が与えた恩恵が来世にまで有効だった場合、大きな問題に成る。
前世で善人だった者が現世でも善人になるとは限らないからだ。悪人が生まれ変わっても悪人になるとは限らないように。
多くの場合神々は人の人格やこれまでの行いを見て相応しいと判断した者のみに、加護などの恩恵を与える。
しかし生まれ変わると評価基準である人格や行いがリセットされてしまうのだ。前世の記憶や人格をそのまま受け継ぐ転生者のような極々少数の例外以外。
前世では高潔な賢者だった人物が、現世では幼少期に経験した悲劇のせいで人格が歪み、下劣な暴君と化すなんて事も考えられる。
……そもそも、来世が人でない可能性も十分ある。前世は戦神の加護を受けた戦士だったが、現世では牛に生まれ変わる事もあるし、そうなったら屠畜の際死人が出る事になる。
それに生まれつき特定の神の加護等を持っていると、その生き方を縛る事になりかねない。
故に神々は加護を与える時『現世でのみ有効であり、生まれ変わると無効に成る』ようにするのだ。
ザッカートやアーク、ベルウッド達勇者に対しても同じように力を与えた。
『もっとも、加護を与えた者が命を終えた場合来世に転生する前に自らの元に招いて御使いや英霊、より優れた者なら従属神に昇華させる事が多いが。ベルウッドや、ファーマウン、ナインロードはアルダによってそれぞれ神と成ったようだ。
この場合は、与えられた力がそのまま有効となる』
『だけど、魂を砕かれたザッカート達はそうならなかったので無効になってしまったという事ですね?』
『その通りだ。記憶の方もその際消えてしまった』
『まあ、そうなんでしょうね。普通、記憶は来世に引き継げませんよね』
地球からの記憶を引き継いでいる今のヴァンダルーを含めた転生者達の状態が例外……異常なのである。
『汝の魂は通常の経緯とは違う理由で創られ、形も変わっている。故に、数回程度なら何かが残っていたかもしれない。しかし十万年前から既に何百回、何千回と輪廻転生を繰り返している。今ではもう何も残っていないだろう』
特に、ロドコルテの輪廻転生システムでは人間だけでは無く動植物に生まれ変わる場合も多い。幾ら何か名残が残っていても、獣や蟲では何もできないまま生を終える事になる。
もし転生先が人だったとしても、十万年前では四大文明が興るずっと前だ。
そうして十万年、数百数千の輪廻を繰り返してきたのだから名残すら摩耗して消えてしまっても無理は無い。
『理解できたか?』
『はい』
ロドコルテの輪廻転生システムに関しては口にしなかったが、リクレントの説明はヴァンダルーにとって十分理解できるものだった。
『全く実感はわきませんが』
記憶も力も無いので、「勇者の生まれ変わりだ」と言われても「そうなんですか」としか思えない。特に感情が沸き起こるような事も無く、かつて自分だったらしいザッカートの亡骸をヴァンダルーは眺めた。
やはりかつての自分自身、魂の約四分の一を構成する人物であると言う実感はわかない。
吸血鬼の始祖の父、自分にとって父である従属種吸血鬼ヴァレンの祖先だという認識はあるので、何も感じないわけではないのだが。
そうなると、また疑問が浮かんできた。
『力や記憶が無いのは分りましたが……では何故あなた方は俺に力を貸してくれたのですか?』
ヴァンダルーに勇者だった時の記憶も力も無いなら、今触れている手の主であるヴィダも、会話しているリクレントにとってもただの他人同然の筈だ。
今はダンピールであるし、ヴィダの信者で多くのヴィダの新種族を助けている。しかし彼女達がヴァンダルーを助け始めたのは、彼が地球で生まれるずっと前からの事だ。
成果もあげていない信者ですら無い異世界人を、何故神が助けるのか。
それを問うと、リクレントはやれやれと言うように首を横に振り、ヴィダは苦笑いを浮かべた。
『かつて自らが選び、招き、希望を託し、悲劇に散った友達の魂の欠片を受け継ぐ者に手を貸す事に、何の疑問があるだろうか』
『リクレントに言いたい事を殆ど取られてしまったけど、そう言う事よ。記憶や力の有無は、関係無いわ』
勇者達に対する、そして自分に対する二柱の神の深い想いにヴァンダルーの胸は震えた。
『我々、特にヴィダはロドコルテやアルダに対して思うところが無いわけでは無い。それが汝に手を貸す一因になっていないとは言えない』
『リクレント、そこは黙っていても良いところよ。確かにロドコルテは自己保身しか頭にないし、アルダは石頭の分からず屋だけど』
……これは、神々なりの照れ隠しなのだろうか?
『そう言えば、何でこの世界の輪廻転生をロドコルテが司っているのですか? あいつの名前はこの世界の神話に全く出て来ていないのに』
輪廻転生を司ると言う事は、この世界に何かしらの生命が誕生すると同時か、その前からロドコルテは存在する事になる。しかし神話に名前は残っていないし、輪廻転生を司る事になった経緯も記されていない。
その上、この世界の神々との関係も良好ではなさそうだ。
だと言うのに何故?
『遺憾だが、気がついたらそうなっていたからだ』
……理由も何も無かったらしい。
『本当に気がついたらあいつが司る事になっていたのよ。あいつ、私達より前に存在しているから……きっと、ディアクメルとアラザンがぶつかり合っていた時から目を付けていたんでしょうね』
このラムダ世界とヴィダ達神々の基になった、『黒き巨神』ディアクメルと『白き巨神』アラザンの戦い。ロドコルテはそれに気がつき、新しい世界が誕生する事を予想して目を付けていたのだろう。
『……確かに、地球の輪廻転生を司っている事から推測すれば、数十万年前どころじゃない太古から存在している事になりますね、あいつは』
ヴァンダルーはロドコルテの輪廻転生システムが動植物まで対象に含めている事を知らないが、人間だけに限っても十万年以上前から存在している。
その人間をクロマニョン人からか、それともアウストラロピテクスからか、もっと以前の猿からか、どの段階で定義するかにもよるが……ラムダ世界が誕生するよりも前である事に変わりは無さそうだ。
『グドゥラニスが現れる前は、極偶に遠くから口を出してくる以外何の不都合も感じなかったのだけど……まあ、あいつの事は置いて……診察終わったわ。ヴァンダルー、あなたの魂はとても奇妙だけど正常よ。魔王の欠片を幾ら取り込んでも大丈夫!』
『ヴィダ、我が姉よ、十全の状態でないのは分かっているが、言葉を惜しんではならない』
『惜しむなって言われても……うーん、まあ貴方の魂と同化している【魔王の欠片】なのだけど、完全にあなたの一部になっているの』
ヴァンダルーの魂から生えている【魔王の欠片】を指でつつきながらヴィダはそう言う。
『魂と同化しているとは自覚していませんでした』
『それでね、もしこの先あなたが死ぬような事があってもあなたと同化した【魔王の欠片】はもう本来の【魔王の欠片】では無いから、暴走する事は無いと思うわ。
魔王グドゥラニスの欠片から、魔王ヴァンダルーの欠片に変質している、って感じかしら』
ヴァンダルーの小さな驚きを流してヴィダが続けた説明によって、更に驚きが大きくなって行く。
どうやらヴァンダルーは欠片を取り込む毎に、封印されているグドゥラニスから身体の一部を奪っていたらしい。
『だから魔王の欠片を全て取り込めば、魔王グドゥラニスは復活するどころか肉体を完全に喪失する事になるわ』
『成るほど、では頑張って集めますね』
【魔王の欠片】を集めれば力が手に入り、物品の作成に使える素材が増え、魔王復活の芽も摘む事が出来る。一石三鳥である。
女神にまで『魔王』の呼称を使われた事が、微妙に引っかかるが。……もう開き直ろうか。
『ええ、よろしくね』
同時にそれはヴァンダルーに力が集まる事になるが、ヴィダ達にとって不都合では無い。
寧ろ望ましい展開だ。
『私達も協力するから。……って言っても、私はこんなだから何もできないと思うけれど。ロドコルテの呪いも解けそうにないし。
リクレントはどうにかできない?』
『不可能だ。本来の力と位を取り戻しても……輪廻転生の合間に運命や祝福、呪いを与えるのはロドコルテの権能だ。私にそれを解く権能は無い。
ヴァンダルー、汝自身にも不可能だろう。【魔王の欠片】同様に、呪いは汝の魂と同化している』
リクレントの説明によると、ロドコルテの呪いもヴァンダルーの魂に同化してしまっているらしい。
何とも嫌な情報に顔を顰めるが、神でも解けないのなら仕方ないだろう。
『じゃあ、貴方の創ったジョブとスキルシステムで力を貸してあげられない? 未発見のジョブを増やすとか』
『それをしてもらえたら助かりますけど……無理そうですね』
リクレントの複数の顔が全て顰められているのを見て、ヴァンダルーはそう言った。
『我が妹よ、私は魔王グドゥラニスの軍と魔物との戦いに際して、ズルワーンから知恵を得て人々を強化するジョブやスキルシステムを創り上げた。
同時にシステムの管理を補佐させるために御使いからジョブ、スキル、ステータスの担当者を選び、従属神へと昇華させた』
魔力で作り上げた人格の無い御使いを神にして、それに管理させているらしい。地球の文明で例えると人工知能や、サーバーに当たるのかもしれない。
『しかし、魔王にシステムを利用されてしまった。魔物はジョブの代わりにランクを手に入れ、スキルの恩恵を受ける様になり、ランクアップを行う事で魔王やその配下の神々の力を消費する事無く独自に上位の存在に至る事が可能に成ってしまった。
私はその失敗を繰り返さないために、システムを隔離する事にした』
『隔離と言いますと?』
『担当者達に全権を預けた後、ズルワーンの協力を得て彼等を別の空間に隔離した。同時に、私を含めたあらゆる存在の意思を受け付けず、何が起ころうと粛々とシステムの運営と維持を行えと命令した』
中々極端な手段を取ったようだ。ヴィダも聞いていなかったのか、目を丸くしている。
『何もそこまでしなくても……』
『グドゥラニスとの戦いで私が正気を失う可能性を無視できなかった。当時すでに魔王軍に降る神々もいたのだ、私がそうならないとは限らない。
それに私が『巨人神』ゼーノ達のようにグドゥラニスに敗れた後、奴にシステムを乗っ取られたら勇者を含めた全ての人々がジョブやスキルの恩恵を失い、魔物のみが恩恵を受け続ける事態に陥る可能性もゼロでは無かった』
魔王グドゥラニスはリクレントにそれ程の危機感を覚えさせる存在だったらしい。単純な強さだけでは無く、術者としても規格外の存在だったのだろう。
『その後、魔王との戦いであなたもズルワーンも眠りについたのですよね。では、今もシステムは隔離されたままなのですか?』
『そうだ。ズルワーン共々こうして目覚めてはいるが……我々が味方ではない事を知ったら、アルダがどんな行動をとるか分からない。今の我が兄にして弟は、以前の彼を知る私には正気を保っているのか疑わしく思える。
……その点では、君も随分思い切った決断を下したようだが』
リクレント達が眠っている間に、アルダ達と決別して独自に輪廻転生システムを組んで新種族を産みだしたヴィダは、エヘヘと女神らしくない笑いで誤魔化そうとする。
リクレントは三つの姿で深々とため息をつくと、説明を再開した。
『力及ばず倒れ、世界の再建を二柱に任せる事になってしまった我々にも責任はあるのだろう。
それはさておき、システムに関しては事前に拡張性を持たせるなど私が不在の状態が続いても問題は無いように調整を加えてあった。余程のイレギュラーが起きなければ問題は起きないだろうと。
そして余程のイレギュラーが起きた』
『イレギュラー?』
『最たるものは、人間のジョブと魔物のランクを両方持つ新種族の誕生』
ヴィダが新種族を産みだした時、リクレントは既に眠りについた後だ。当然だが、事前に相談の類を受けた事は無い。
ヴィダが、すっと視線を逸らした。
しかしリクレントもそれを咎めるつもりはないらしい。
『だが、それだけなら十分対応できる。しかしイレギュラーは一つでは無かった。
私の十万年を越える不在、神ではなく人間が人間を治める政治形態への変化、人間を奴隷とする制度、そして人間同士の大規模な殺し合い……今の世界の状況、眠る前の私にとって全てがイレギュラーだ』
『まあ、それは確かに。数万年や数千年ごとに目が少し覚める度に、私も驚いたもの』
ヴィダやリクレントを含めた神々は、魔王が異世界から侵略戦争を仕掛けて来る前は直接人々を治めていた。そして、魔王との戦争やその後に起きたアルダとの戦争によって眠りについたのだ。
決して、『これからは人間の時代だ』とか『人が人を導く時が来たのだ』と思って地上を離れた訳では無い。
『そして現在では私が想定していなかった数々のジョブやスキルが誕生した。騎士や兵士、奴隷……実際には殆ど違いは無いが、国や地方によっては別の名称で表記されるジョブやスキルも存在する。騎士に相当する身分の者が護民官と呼ばれる国では、【騎士】では無く【護民官】という名称のジョブにしか就けないなどだ。
現在システムがどのように運営されているのか、私でも推測しか出来ない』
そのためヴァンダルーの為に未発見のジョブや、有用なスキルを設定する事は出来ないそうだ。
因みに、口にはしなかったがヴァンダルーを含めた転生者をロドコルテが送り込んで来る事もイレギュラーな事態である。
そのロドコルテは魂の専門家であるために、システムを完全に理解してはいないが利用して転生者にスキルを授け、存在しない車や航空機の運転、銃の扱い等の技術を他のスキルに変化させる事が出来る。それはリクレントにとって屈辱的な事だった。
だがその感情を意識の外に追いやってから、リクレントは続ける。
『結果的にはこれで良かったのだろう。アルダがシステムを操作できるようになっていたら、汝を含めた我が姉にして妹の子等は全員ジョブとスキルの恩恵を失っていた可能性もあるのだから。その時は私も彼女と同じように杭を打たれ、対抗する手段も無くなっていただろう』
『それは恐ろしい可能性ですね……ところでヴィダの身体に打たれている杭や剣は、ダメージを受けている事を表すイメージ的な象徴では無く、アルダの呪いか何かなのですか?』
ヴィダの四肢に打たれた杭や背に刺さっている剣は、神域に入った事でイメージを視覚化した事によるものだと思っていたヴァンダルーだが、リクレントの言い方から推測すると違うらしい。
『この杭は『法の杭』よ。アルダは光属性と同時に法の神、神々を罰する役割も負っているの。これは間違いを犯した神を罰するための神威なのよ。……不本意だけど。
剣の方は、ベルウッドが使った神を傷つけるためのアーティファクトよ』
お蔭で力の回復が遅くなっているのと、ヴィダは溜息をついた。
ヴァンダルーは暫く考えた後、『同化しているのでなければ、いけるかもしれない』と彼女に打たれた杭の一本に手を伸ばした。
『失礼します』
そして驚くヴィダに構わず手を伸ばすと、杭に歪んだ手で触れた。
『待って、この杭を抜くのはあなたでも無理よ!』
『はい、ネメシスベルと同じ……仮に神聖属性と呼んでいますが、それだったら俺では杭やアーティファクトの効果は消せません。
しかし、杭やアーティファクト本体を『砕く』事は出来るはず。オリハルコン製でも、ここは神域ですし』
物質が意味を持たない神域なら、杭やアーティファクトが何で出来ていても【魂砕き】を使えば砕けるはずだ。
実際、魔力をかなり使ったが杭はヴァンダルーが握るとそれだけで砕けて光の粒子となって消えた。
『嘘っ!? 抜くどころか砕いた!?』
『……なるほど。杭やアーティファクトは神を対象とする事に特化した力だ。神では無いヴァンダルーになら、容易く砕く事が出来ると言う事か。流石、アークであった者』
『いや、容易くないですよ。かなり魔力が減りますよ』
『『大神の神威を人が魔力を使うだけで砕くのだから、十分容易い範疇だ(よ)』』
言われてみればそうかもしれない。そう思いつつ、ポキポキと杭やアーティファクトを砕いて光の粒子にしていくヴァンダルー。一つ砕くごとに、アルダやベルウッドを呪いながら。
そうして半分程砕いた時、ヴァンダルーはふと遠くから何かが走って来ているのに気がついた。巨大な四脚獣のように見えるが、シルエットが妙だ。
頭部が四つあるように見える。
『あれは、ズルワーンか』
『えっ? あれ虚像じゃないわよね。何で結界を越えてここに入って来られたのかしら? ここ、グファドガーンが創ったS級ダンジョンだって外では言われるくらい堅牢な場所なのだけど』
『結界ごと空間を超えたのだろう』
『空間と創造の神』ズルワーンは猛スピードで走って近づいて来たかと思ったら、マイペースに杭や剣を折り続けているヴァンダルーに向かって『受け取れぃっ!』と四つある口の一つで何かを投げつけた。
それは光る玉のような物で、ヴァンダルーに触れるとそのまま彼の中に音も無く入って行った。
そしてズルワーンはそのまま転倒して横倒しになると、疲れ切った様子で四つ全ての口から舌を垂らして動かなくなった。
『疲れた……寝る……』
『ズルワーンっ! 久しぶりに会えたのは嬉しいけれど、本当に寝ないで! ここ私の神域だから!』
『ズルワーン、神としてそれは如何なものか』
『あのー、何を賜ったのか聞いても良いですか?』
続けて声をかけられたズルワーンは、『やれやれ』と言いながら起き上がると、欠伸をしてから佇まいを正した。
『ヴァンダルー、境界の侵犯者である汝に【地球の冥神の加護】を与える』
『……冥?』
『うむ、冥。死後の世界に関係する神や、地獄の悪魔、鬼、怪談の類、そう言った存在の加護。交渉するのにとても疲れたから、嫌な顔をしないで受け取って。頼むから』
不吉な存在の加護を受け取ったと聞いて、「要らない」と思ったのが伝わったのか、ズルワーンがそう続けた。
『だって、頑として汝に加護を与えたくないって神格も多くて……纏まるまで待っていたら後百年ぐらいかかりそうだったし』
『はぁ……』
何故地球で死んでから約三十年経つ今になって地球の神が、自分に加護を与えるのか。さっぱり分からない。寧ろ、地球にも本当に神が存在したのかと若干驚いているぐらいだ。
しかし、それを説明する気はズルワーンには無いらしい。
まあ、加護なら受け取って悪い事は無いだろうとヴァンダルーも気にしない事にした。
そして最後の剣を砕く。その瞬間、ヴィダから流れ続けていた血が止まった。
『ありがとう、ヴァンダルー。我が子よ。今すぐ元通りとはいかないけれど、これからはあなたのお蔭で力を取り戻す事が出来るわ。
でも、今日はもうお別れみたい』
そう言われてヴァンダルーはふと自分の腕を見ると、何時の間にかくたりと地面に垂れていた。どうやら、魂だけの状態で魔力を使い過ぎたらしい。
徐々に感覚が薄らいでいく。
だが既に、十分な収穫があった。ヴィダと謁見し、リクレントとズルワーンが味方だと言う確証を得た。神々から話を聞き、何故か地球の冥神の加護も賜った。
だが、もう一つ聞いておきたい。
『最後に聞きたいのですが、俺はあなた達神々から見て道を踏み違えてはいませんか?』
ヴァンダルーはラムダに転生してから、多くの人を殺してきた。それを後悔してはいないし、罪悪感も覚えていない。赤子の頃に考えた、「出来るだけ人を殺さない」、「出来るだけ人を助ける」の方針に則って生きて来たと自負がある。
方針に従ってミルグ盾国の遠征軍を皆殺しにして、ハートナー公爵領やサウロン公爵領で災いを振りまいたのだ。「出来るだけ人を助ける」ためにその障害を排除する。しかし「出来るだけ人を殺さない」ように殺す数を少なくして。
聖人君子になろうなどとは思っていない。仲間や自国民を守るためなら、敵国の軍人が幾ら死のうが知った事では無い。敵の屍々の上で平穏を得る事に抵抗感は無い。それで敵国民に恨まれるのは当然なので仕方ないから、備える。
勿論話し合いで済むならそうするが、その気が毛頭無い連中に優しく諭してやるつもりはない。
それを厭うのなら、さっさとロドコルテに勧められた通り自害している。
だがそれが普通の価値観では無い事は自覚しているので、尋ねてみた。
否と答えられても、自分と仲間達の終わりに直結するので絶対に変わる事は出来ないが。しかし微調整ぐらいは可能だ。そう思って発した問いに、三柱の大神は『今更か』と笑って答えた。
『生者と死者、善悪の境界を侵犯する汝に祝福を。構わんから、やっちまえ』
ズルワーンは創造の神であると同時に、その際発生する破壊の神でもある。アルダの定めた秩序とロドコルテが定めた輪廻転生の破壊の先にある新たな創造は、彼の歓迎するところだ。
彼自身が境界の侵犯者、トリックスターである以上その思考は善悪の外にある。
『是非も無し。もとより、私は善悪を論じる神格に在らず。現在が神治ではなく人治の時代だと言うのなら、善悪は人同士で決めるべきだろう』
リクレントは時間属性と術の神だ。人は何時か死ぬもの。故に、命に関してこの神は基本的にドライな考え方をする。
『それに、汝が使う新しい術は興味深い。制御もされている。なら不死者を創る事に何の不都合も無いだろう』
同時に術の神であるため、新しい術や開発や知識の研鑽を評価する。ヴァンダルーが創り、もしくはテイムするアンデッドは制御されているので、咎める理由がリクレントには存在しないのだ。
『我が子ヴァンダルー……私の我儘を聞いてくれたあなたに、感謝する事は在っても咎める事は無いわ。好きにしなさい。少なくとも、あなたの道は私から見て間違っていないわ』
そして『生命と愛の女神』ヴィダから見て、ヴァンダルーは好ましい存在であった。
彼女は愛を司る。故に現在の信者達の間では勘違いもされるが……彼女が博愛の精神を説いた事は一度も無かった。争いを厭う事も、傷つけあう事が悪い事だとも唱えない。隣人を無理に愛する事は無いと教えた事はあるが。
生命とは競争であり、生きるために他の生命を食べる事は当然で、日常的に行われている。
また愛する対象を守るための戦いは、決して悪では無い。
そもそも、もし彼女が博愛や正しい生命を尊ぶならアルダ達から離れて新種族を産みだし、ザッカートの亡骸をアンデッド化させて交わったりはしない。
『最後にこれを持って行きなさい。あなたの母、我が子ダルシアの復活にきっと役立つから』
ヴィダは流れ出た自らの血を手で集めると、それを球体の形に固めてヴァンダルーに手渡した。
『あと、この寝所を良く見て回るのよ。ここは私の寝所と呼ばれているけど、創ったグファドガーンにとってはザッカートの霊廟だから! 彼は第一使徒を自称するぐらいザッカートの事が大好きだったから、きっと『ザッカートの試練』を攻略するためのヒントも――』
『ヴィダ、彼はもう身体に帰ったようだけど』
『何度か礼を言おうとしていたが、その度に君が話しだすからタイミングが掴めなかったようだな』
『あっ! まだ言いたい事があったのに~っ!』
昨年12月15日、拙作「四度目は嫌な死属性魔術師」の書籍版が発売いたしました。書店で見かけた際は目を止めていただけたら幸いです。
ネット小説大賞のホームページでキャラクターラフやカバーイラスト等も公開されていますので、よければご覧ください。
申し訳ありませんが年末で忙しかったので、まだ次の話が書けていない状態です。次回の更新をお休みさせていただき、次話は1月12日の更新とさせてください。
感想で祝辞を頂いてから気がつきました! 閑話等も入れて、200達成したぞー!