一話 三度目の始まり 四度目はいらない
《天宮博人は、『ラムダ』に転生しました!》
《天宮博人は、輪廻神ロドコルテによって呪われてしまった!》
そんな脳内アナウンスが聞こえた気がするが、良く覚えていない。そして、起きているとも眠っているとも言えない微睡みの中、徐々に意識が形を成してきた。
『ここは何処だ? 俺は今どういう状態なんだ? 生きてはいる様な気がするけど』
しかし、自分の状態については良く分からなかった。
目を開けても視界に入るのは闇ばかりで、手足は夢の中のように頼りなくてろくに動かない。
身体全体が温かい液体に浸かっていて、呼吸が出来ない。なのに、全く苦しさを覚えない。まるで魚にでもなったかのようだ。
『まさかとは思うけど、人間以外の生き物に生まれ変わったなんて事ないよな?』
ありうる話だ、なんたって呪われているのだから。人間なら何とかなるが、もし動物や魚だったら何をどうすれば良いやらさっぱりだ。
しかし、その予感は幸いな事に外れてくれたようだ。
『――♪』
声が聞こえる。鳴き声でも怒鳴り声でも無い、穏やかな歌声が。
妙な具合にくぐもっていて、歌詞を正確に聞き取る事は出来ない。しかし、込められた感情は察する事が出来た。
愛情。
『そうか、ここは子宮の中。俺は、今胎児なのか』
どうやら、神の呪いも転生先にまで影響はしなかったようだ。
転生する前に流し込まれたロドコルテの事情に含まれていた、ラムダ世界の断片的な知識によると剣と魔法の世界らしいので、エルフやドワーフと言った他種族かもしれないが、知的生物なら問題無しだ。
『でも、気のせいか歌声が日本語っぽいような……?』
そして、再び意識が途切れた。
次に意識が戻った時は、もう産まれた後だった。
「ヴァンダルーは何時も大人しいわね。助かるけど、たまには泣いても良いのよ?」
そう話しかけながら自分を抱く女性を、静かに見上げていた。
『……ヴァンダルーっていうのが、俺の新しい名前か。オリジンで付けられた認識番号よりもずっと良い。
そしてこの人が俺の三番目の実の母親か。この点でも、オリジンよりずっと良いな』
オリジンでは気が付いたら売られていたので、文句の無い出だしである。神の加護どころか呪いしかない事を考えれば、奇跡だと言っていいだろう。
『さて、俺はどういう境遇に生まれついたのだろう? とりあえず、母親はダークエルフのようだけど』
ヴァンダルーの目に映る母親の姿は、金色の髪に褐色の肌をした二十代前半ほどの女性だった。この人が母親なら将来自分のルックスにも期待が持てると思う程、顔立ちの整った美女だ。
ただ、耳の先端がピンと尖っていた。肌の黒いダークエルフという種族だろう事は、この世界に転生したばかりのヴァンダルーでも察しが付いた。
まあ、ただ日焼けしただけのエルフという可能性も捨てきれないが。
『まあ、それなら家が洞窟なのも納得できる、のか?』
そう、二人が居るのは洞窟のような家では無く、明らかに洞窟の中だった。
扉を付け、毛皮を敷物代わりに敷く等多少の工夫はされているが、あまり文明的では無い。ただ、地球で目にしたファンタジー物で出てくるエルフは、自然と一体に成った生活をしていたのでこれが普通なのかもしれない。
『まあ、それよりも問題なのは俺の身体だな』
自分の小さく脆い身体を包む、温かな母の腕。その艶やかでチョコレートを思わせる肌を見た後、自分の丸まっちく、頼りない手を見る。
その手は、まるでシルクのように白かった。
『何故色が違う? 耳は、尖っているようだけど』
母親はダークエルフなのに、自分の肌が白い。自分はダークエルフでは無いのだろうか? ダークエルフの生態は知らないが、生まれた時は肌が白く、大人になるにつれてダークエルフらしく黒くなるのだろうか?
それとも、この母は血のつながった母では無いのか?
「ん? お母さんと肌の色が違うのが不思議なの? ヴァンダルーは賢いね、もう気が付くなんて。
でも安心して。ヴァンダルーはお父さんに似ているだけで、ダルシア母さんの子だからね」
優しく微笑む母、ダルシアの言葉でヴァンダルーの疑問は解消した。自分は種族が異なる両親の間に生まれた混血児なのだと。
ダルシアが嘘をついている可能性もあるが、疑う気に成らなかった。
そんな事に時間と精神力を使うより、今はこの無償の愛情を疑わずに受けて、安らいでいたかった。
『それに……眠……い』
そして、ヴァンダルーはダルシアに寝かしつけられたのだった。
生後三か月の息子、ヴァンダルーは初めての育児を経験するダルシアにとって手間のかからない良い子だった。
「あ~」
お腹が空いたらそう声を上げながら自分のお腹をポンポンと叩いたり、ダルシアの胸を手で指したりして訴え、おむつの時は同じように声を上げながら腰を叩いてみせる。
「はーい、お母さんのおっぱいだよ~、ヴァンダルーは本当にお利口だね~」
乳房を露わにしてヴァンダルーを抱き上げ、母乳をやりながらダルシアは「本当に賢い子ね」と思っていた。
勿論、これが普通でない事は分っている。幾らなんでも賢すぎると。
しかし、彼女は自分の息子を気味悪がったりはしなかった。
『やっぱり、お父さん似……あの人に似たからかしら』
生後三か月の赤子に不自然な賢さも、父親の血故かと思ったからだ。
それに、最近妙な魔力をヴァンダルーから感じる事が多い事も、彼女がよりそう思う材料に成った。父親の種族はダルシア達ダークエルフよりも、種族単位で魔術に長けていたから。
『それより気になるのは、泣いたり笑ったりしない事だけど……お父さんが居ないから不安なのかしら?』
ダルシアが気に成ったのは、ヴァンダルーが赤ん坊らしく泣いたり、笑ったりしない事だった。
彼女の愛息はお腹が空いた時も擽った時も、人形のような無表情のままだった。最初は機嫌が悪いのかなと思ったが、そういう訳でも無いらしい。
それに、感情が未発達という訳でも無いようだ。ただ虚ろな表情のまま声も出さずに涙を流し続けているのを見た事がある。
その時は病気かとありったけの回復魔術をかけたが、実際はただ怖い夢を見て泣いていただけらしい。
「でも、一番気になるのはおっぱいをあげる時かな。お母さんのおっぱい、美味しくない?」
そしてダルシアが最も気にしている我が子の行動は、授乳の時乳首にすぐに吸い付かず、何故か視線を彷徨わせたまま暫く動かない事だった。
結局は飲むのだが……自分の母乳が悪いのかと不安になるダルシアだった。
母親の乳首に吸い付き、母乳を飲むという赤ん坊にとって必要不可欠な行動をしている最中のヴァンダルーは、気恥ずかしさと罪悪感に悩まされていた。
『赤ん坊も楽じゃないな』
自分の母親が若くて綺麗だったら、子供としては嬉しいし誇らしいだろう。しかし、その中身が前世とその前と合わせて約三十七年生きていた男だったら、内心はかなり複雑だ。
精神は大人に近いのに、身体が赤子だから変に意識してしまう。特に、地球で高校生をしていた時から異性に免疫が一切ない。そのため、ダルシアの乳首を吸う事に妙な照れを覚えずにいられない。
『他の連中はどうだったんだろうか? オリジンの時は記憶が戻ったのは生後十か月くらいだったけど』
他の転生者も、オリジンでは母親にオムツを替えてもらう生活に羞恥を覚えていたのだろうか?
『でも、何時までも母さんを不安がらせるのはいけない。早く慣れよう』
ヴァンダルーは、三人目の母親であるダルシアを早々に『自分の母親』だと、心から認識していた。そこに違和感は覚えない。何せ、三度目の人生にして初めて記憶に残る母の愛情だ。受け入れるなと言う方が無理だろう。
だから、最初は普通の赤ん坊らしく振舞おうと努力したのだが……無理だった。
中身の精神が十代後半なのに、赤ん坊の真似なんて出来るはずがない。それに、何故か泣いたり笑ったりする事が出来なかった。表情が全く動かないのだ。
表情筋が麻痺しているのかとも思ったが、口も瞼も普通に動く。だが、自然には動いてくれない。どうやら意識して動かさないと表情が変えられないらしい。
これも呪いのせいだろうか?
『まあ、表情の事は言葉が話せるようになったら母さんに相談するとして……諸々の問題もあるけどここ二か月で分ってきたことも多いな』
ダルシアもヴァンダルーが言葉を理解できるとまでは思っていないので、詳細に自分達の身の上や現状を説明はしてくれないが、二か月も一緒に生活していれば大体の事は分ってくる。
まず、どうやらダルシアの夫で自分の父親は酷く恐れられている種族の出身らしい事。そしてその混血であるヴァンダルーは、差別と迫害の対象であるらしい。
そのためダルシアは人里から離れた森の中に、精霊魔術でこの洞窟を掘って生活しているのだと。
道理で二か月たっても母親以外の人物を一切見かけないはずだ。
『そして、俺がある程度育ったらダークエルフの里に帰るつもりらしい事と、ここはバーンガイア大陸の北西にあるアミッド帝国の属国、ミルグ盾国である事か。
中々ハードな生まれだけど、まあ良いか。前世よりはずっと展望がある』
ダークエルフの里にさえ戻れれば何とかなるらしいので、とりあえずの目標はそのために力を付ける事だろう。
そのためにハイハイもまだ出来ないヴァンダルーが始めたのが、魔術の修行だ。
前世では自分の意思で使えるようになった、初歩的な死属性魔術。それがあれば母との逃避行の助けになるはずだ。そう思ったヴァンダルーだが、何故か魔術が上手く使えなかった。
『体が赤ん坊だからか? それともこれも呪いのせいか?』
そう首をかしげたが、使えないから諦めようという選択肢は無い。死属性魔術はチート能力や他の魔術への適性も何も無いヴァンダルーに与えられた、唯一の武器なのだから。
「私がヴァンダルーのステータスを見られれば良かったんだけど」
そんなダルシアの言葉を聞いたのは、ヴァンダルーが生後一か月と半月の頃だった。
『ステータス?』
まだ死属性魔術の発動が上手くできない中、せめて首が据わってハイハイぐらい出来るようにならないかと思っていたヴァンダルーは、母の言葉にそんなゲームじゃないんだからと思ったが……頭の中に自分のステータスが表示されて驚く事に成った。
・名前:ヴァンダルー
・種族:ダンピール(ダークエルフ)
・年齢:0歳
・二つ名:無し
・ジョブ:無し
・レベル:0
・ジョブ履歴:無し
・能力値
生命力:12
魔力 :100,000,000
力 :10
敏捷 :1
体力 :25
知力 :20
・パッシブスキル
怪力:1Lv
高速治癒:1Lv
・アクティブスキル
無し
・呪い
前世経験値持越し不能
既存ジョブ不能
経験値自力取得不能
『うわ、魔力の多さが半端じゃないな。それに、俺の父親は吸血鬼だったのか。後呪いが三つもあるって、あの神どれだけ俺に自殺させたいんだ』
確認できたステータスに、ヴァンダルーは何度も驚かされる事に成った。
まず種族だが、ダンピールとなっている。これは地球で得た知識がラムダでも当てはまるなら、吸血鬼との混血の事を表す筈だ。
なるほど、確かにこれは隠れ住まなければならないだろう。ラムダでの宗教がどんなものか知らないが、吸血鬼との間に生まれた混血児を歓迎してくれるとは思えない。
寧ろ、モンスターとして討伐されかねないのではないだろうか? 少なくとも、この辺りでは普通に命が危険なのだろう。
そして、これから先もダンピールであるという差別と偏見が降りかかってくる可能性は拭えない。思っていた以上に人生がハードモードだった。
次に魔力についてだ。表示された位置、それにMPの表示項目が無い事から、この魔力という項目がラムダ世界でのMPなのだろうが、その数字は一億。
能力値の平均は知らないが、これは幾らなんでも異常だろう。
これがロドコルテの言っていた、チート能力や幸運と運命を受け取れなかったので出来た『空枠』に宿った魔力だろうか? オリジンではステータス画面を見るような事は出来なかったので、『一流の魔術師の一万倍以上だ』と言う研究者たちの言葉からしか推測できなかったが、こうしてみると確かに凄い。
『まあ、今は無力な赤ん坊なんだけど』
どんなにMPがあっても、魔術が使えないなら意味は無い。これは死属性魔術の習得し直しを急がなくてはならないだろう。
『後は、力は単純に力だろうし、敏捷もそのままだろう。体力はスタミナで、知力は単純に頭の良さじゃなさそうだな。
多分、魔術の習得や効果、同時発動や詠唱破棄に関わる能力値だろう。もしかしたら、精神力にも関係するかも』
そう推測してみると、他の能力値よりも敏捷が特に低いのにも納得だ。生後一か月半、首がまだ据わっていないため、ハイハイどころか自力で寝返りも打てない赤ん坊の動きが素早い訳がない。
逆に、それを考えれば他の能力値は赤ん坊でレベル0なのを考慮すると、魔力程じゃないが高い水準にあるのだろう。
流石ダンピールという事か。
次にスキル。これはヴァンダルーのゲーム知識で、パッシブが普段から意識しなくても効果が発揮されるスキルで、アクティブは使わない限り発揮されないスキルだと目星が付いた。
『怪力と高速治癒、か。これもダンピールだから習得出来たスキルなんだろうな。ゲームでいう所の、種族特性という奴か。
しかし、やっぱり死属性魔術のスキルが無いな』
赤ん坊らしく殆ど何も無いスキル欄だが、ヴァンダルーは地球とオリジン、合計で約三十七年の人生を生きた人物だ。他にも何かスキルが、特に前世で初歩までは自力で習得した死属性魔術のスキルがあっていいはずだ。
それが無いのは、その次の欄にある三つの呪いのせいだろう。
『前世経験値持越し不能の呪い、これのせいだろうな。これで前世とその前の経験をスキルとして持ちこせない訳か。
他の二つも、ろくなものじゃなさそうだな。きっと、ジョブを取得するのとレベルを上げる時に、大きな障害になるはず』
何せ、自分に自殺を促すためにロドコルテが寄越した呪いだ。きっと厄介極まりない物なのだろうと、ヴァンダルーは溜め息をついた。
『でも、大人しく死んでやるという選択肢はない。そうである以上は、まず生き延びるための力を付けないと。
早速今日も死属性魔術の習得を目指して……あ……ダメだ……ねむ……』
生後一か月半のヴァンダルーは、赤ん坊らしく睡魔に敗北したのだった。
結果、一度習得に至った経験があるのに死属性魔術の習得まで想像以上の時間がかかった。
《【死属性魔術】スキルを獲得しました!》
鳴り響く脳内アナウンス。
生後三か月、やっと首が据わり始めた頃にヴァンダルーはようやく死属性魔術を習得する事に成功した。
『魔力をなんとか術の形にしようとして失敗する事約二か月。努力が実ったか』
とは言っても、まだ使えるのは範囲内の微生物を消滅させる『殺菌』と、その虫バージョンの『殺虫』。後触れた魔力を吸収する結界を張る『吸魔の結界』等々、目に見える効果が無い物ばかりだ。
ダルシア母さんに魔術が使える事をアピールしたいが、それは難しい。目の前で彼女の魔術を『吸収』して見せればインパクトも強いだろうが、ヴァンダルーの見える範囲で精霊魔術を使う様子が無いのだ。
煮炊きに使う火を起こすのに、火種を精霊魔術で作るぐらいはしているのだろうが……。
『ようやくお座りが出来るようになったこの体では、部屋の中も十分に見回せない』
やれやれ、どっこいしょと息を吐きながらベッドの上でお座りをしている彼を、その母が「なんだかお爺さんっぽいね」と笑っているのだが、それは気にしない。
『ただ、外に出してくれるようになったのはありがたい。いい加減暇で死にそうだった』
生後三か月になったお蔭か、ダルシアは晴れの日にはヴァンダルーを抱いて外に出る様になっていた。
それはヴァンダルーの成長の過程で外に出て刺激を与えた方が良いという判断と、そろそろ食料の備蓄が心もとないので外で採集を行う必要があるという理由だった。
ただ最初に外に出る時、ダルシアは異常なほど慎重だったのをヴァンダルーは覚えている。
ダルシアは洞窟の扉をほんの少し開けて、隙間から漏れ出てくる細い日光にヴァンダルーの指先を軽く触れさせることから始めたのだから。
「良かったっ! 吸血鬼の弱点を受け継いでないっ!」
そう言えば父親は吸血鬼だったと、歓声を上げて喜ぶダルシアを見て思い出すヴァンダルーだった。あまり父親に似すぎると日光も浴びる事が出来ないとは、ダンピールというのはつくづく厄介な生まれだ。
「じゃあ、これからお母さんと外に出ようね」
そう言ってダルシアに連れ出された外は、ヴァンダルーが言葉を無くすほど(最初からしゃべれないが)感動的だった。
『おお……世界が……自然が……広い!』
洞窟の外は森になっていて。空気が良く澄んでいた。
太陽は明るく、空は抜ける様に青く、雲は純白で、木々は青々と茂っていた。
なんでも無い森の風景なのだろうが、前世のオリジンでは雨宮寛人達にトドメを刺される直前まで狭い飼育部屋に二十年閉じ込められていたのだから、ヴァンダルーの目には全てが美しく輝いて映った。
「ふふ、お外が気に入ったみたいだね」
無表情なのは相変わらずだったが、周囲の風景を夢中で見つめる息子が喜んでいるのを理解したダルシアは、散歩ついでに採集を行った。
勿論、弓や精霊魔術で獣を狩る様な危険な事はしない。食べられる野草や木の実、茸を幾つか採集し、獣を取るための罠を幾つか仕掛けたくらいだ。
そうして手に入れた物は殆どダルシアの口に入り、そして極一部がヴァンダルーの離乳食になるのだった。
『複雑な気分だ』
一日一回、スプーン一杯分程の量だが若くて美人なダークエルフの母に「あーんして」と食べさせてもらえる。しかし、その分授乳の回数と量が減る。
この先生き残るために、ダンピールにとっての危険地帯からダークエルフの里に向かうための旅に出るためには乳離れが必要とは言え、成長とは何とも悩ましい物だ。
因みに、味は離乳食より母乳の方が美味い。
《【死属性魔術】スキルが2Lvになりました!》
《新たに【状態異常耐性】、【魔術耐性】、【闇視】、【吸血】スキルを獲得しました!》
ヴァンダルーが生後五か月になると、ダルシアは息子を置いて数時間家を空けて森で採集を行うようになった。
「後少ししたら、母さんの生まれ故郷に行こうね。そのための準備をするから、寂しくても我慢してね」
そう言って家を出て獣を狩り、こっそり村に行って流れの冒険者だと偽って生活必需品を手に入れているのだと言う。長い時は半日帰らない時もあったが、生き延びるためには必要な事なので仕方がない。
赤ん坊を残して半日も留守にするなんてと、地球なら文句も言われるだろうがヴァンダルー本人は不満には思っていなかった。何故なら、全ては自分を守るためなのだから。
周囲の助けも無くたった一人で赤ん坊を育てる。しかも、吸血鬼との混血なんて厄介な子供を。
今まで父親の姿を見ていない事から考えると、吸血鬼のコミュニティの助けも無いのだろう。人間が吸血鬼との混血児を忌避するのと同じか、それ以上に吸血鬼の側も忌避し、迫害の対象としているという事は良くある。人権という価値観が浸透しているはずの日本でだって、外国人とのハーフに対する差別意識が存在するのだ。このラムダで異種族同士の混血なら当然だろう。
『そうなると父親の顔を見る事は出来そうにないな』
多分、生きてはいないだろうから。
以上の事を考えると、情を排除して合理的に考えるならダルシアはヴァンダルーを見捨てた方がずっと賢く、楽に生きられる。
その方が身軽だし、負担も少ない。暫く経ってほとぼりが冷めたら、何食わぬ顔で生活すればいいのだ。子供が欲しければ、他の国に行くなり、ダークエルフの里に帰るなりして、それから新しい男でも見つければ十分なのだから。
それなのに危険を冒してまで息子を見捨てないのは、ヴァンダルーの父親を、そして彼自身をダルシアが愛しているからだろう。
『陳腐だけど、愛されているって幸せだな』
その幸せを糧に、ヴァンダルーは努力を継続していた。
起きている時間は魔術の修行、手足を動かして体力作り、それと発声練習を行った。その結果、死属性魔術のスキルレベルが上昇し、ダルシアの目に効果が見える術を使えるようになった。
「凄いっ、まだ赤ちゃんなのに魔術が使えるなんてっ! ヴァンダルーは天才だねっ♪」
そう技術の向上を喜ばれる事の、褒められる事の、何と嬉しい事だろう。
まあ、他のスキルを幾つか覚えたのは努力では無く成長の結果だったようだが。
状態異常耐性、毒や病気、睡眠不足や飢餓、魔術などによって与えられる諸々の不調や致命的な状態に対する耐性スキルは、吸血鬼の父親の影響。
魔術耐性、攻撃魔術から受けるダメージの緩和等の良くない影響への耐性スキルは、ダークエルフの種族特性でダルシア母さんも持っていた。
闇視は父母両方からの特性で、星一つない闇夜でも昼間のように見る事が出来る。
そして吸血は言うまでもない。他の歯よりも異常に速く生えてきた犬歯……牙が上下とも生えそろった時に習得していたスキルだ。
「やっぱり生えてきたのね。ヴァンダルー、本当はしない方が良いのかもしれないけど……」
息子に牙が生えた事に気が付いたダルシアは、そういうと狩で捕まえた兎の首をナイフで落した。そして滴り落ちる血を木で作った皿に溜めて、言った。
「はい、飲んでみて」
『母さん、正気ですか?』
口元に持ってこられた皿から臭う鉄臭さに、ヴァンダルーは半眼になってダルシアを見た。
ソースの材料に血を使ったり、マムシやスッポンの血を酒で割って飲んだりする事は地球でもあった。そう知識では知っているが……乳幼児に獣の血を飲ませるのは、育児に悪いのではないだろうか? そう思うが、彼女は気を変えるつもりはないらしい。
『まあ、試すか』
きっと不味いだろう。そう思いながら舌を伸ばすようにして兎の血を少し飲む。しかし、意外な事に不味いとは思わなかった。
『あれ? 飲める。鉄の匂いは感じるけど、それほど臭くは無い……寧ろ美味い?』
酒で割った訳でも香辛料で臭みを抑えた訳でも無いのに、兎の血はヴァンダルーにとって母乳のように飲みやすく感じた。
驚いていると、ダルシアが伸びてきた髪を撫でながら教えてくれた。
「ヴァンダルーはお父さんと同じで、血を飲む事が出来るの。でも、血を必ず飲まないといけない訳じゃないから、お腹が空いてもお母さんが居ない時だけ飲む様にしてね」
なるほど、やはり半分は吸血鬼だという事か。そしてダンピールが忌避される訳だ。
でも、今は離乳食の種類が増えた程度に考えておこう。
そして生後半年を迎え、ヴァンダルーがハイハイが出来るようになった頃。その日、ダルシアはヴァンダルーに留守番を任せて、近くの町まで遠出に出ていた。
『母さんは俺の赤ん坊にしては不自然な頭の良さを、肯定的に解釈しているから助かる』
魔術が使える事も含めて、ダルシアはヴァンダルーの不自然さを全て「凄い」と喜んでくれるが、それ以上疑ったり戸惑ったりはしなかった。
「やっぱりダンピールって凄いのね」
そう言っていたから、ヴァンダルーの異常さは全てダンピールだからだと思っているのだろう。変に詮索しないでくれるのは、とてもありがたい。
だって、説明しようにも生後半年の赤ん坊に会話能力は無いからだ。発声練習は続けているが、まだしっかりとした言葉にならないのがもどかしい。
それさえなければ、事情を話したいのに。
『ロドコルテの事とか、前世の事とか、雨宮寛人の事とか』
ヴァンダルーが地球で目にしたライトノベルや漫画では、異世界から転生してきた等の事情は秘密にする事が多かった。しかし、彼はその定石を破るべきだと考えていた。少なくともダルシアには、それも出来るだけ早く話すべきだと。
だって、彼女は自分の母親なのだから。
『普通の転生とか異世界トリップなら俺も話さないって選択肢を考える。でも、俺の場合は違う。これから百人の俺と同じ異世界からの転生者が、それもチート能力持ちがやって来る』
雨宮寛人達、オリジンで自分を探そうともせず、見捨てて殺した連中。奴らもオリジンで死んだら、このラムダに転生するはずだ。
それが何時になるかは分からない。ヴァンダルーが前世で死んだ時奴らは二十歳前後に見えた。だから奴らが死ぬまで、事故にでも遭わない限り五十年以上かかるだろう。だがオリジンとラムダ、異なる世界に流れる時間が同じ速さだとは限らない。
もしかしたら、ラムダで一日が流れる間にオリジンでは一年が過ぎているかもしれないからだ。
そこまでではないだろうが、絶対に奴らはこのラムダに転生してくる。それを防ぐ手段は、ロドコルテ本人だって持っていない。
『問題は、奴らが転生する前にロドコルテの奴が何を言うかだな。俺は、あいつの前で奴らを殺すって叫んでいた。だから俺が死ぬ前に奴らが転生する事に成ったら、奴らに警告くらいは出すだろう』
なんたって、ロドコルテの目的は奴らによってこの世界を発展させる事だ。その前に殺されたら困るのだから、絶対にヴァンダルーの事を教えるはずだ。
すると奴らにとってヴァンダルーは脅威だと警戒される。一応前世の前世は平和な日本育ちの日本人だから、まず話し合おうとかオリジンでの事を謝罪しようとか、そういう穏便な警戒なら良い。
だが、こっちを見つけ次第殺して脅威を排除しようとする奴がいないとは言えない。オリジンで自分が想像を絶する悲惨な人生を終えた様に、奴らに何があるか分からないからだ。
例え正義の味方らしい事をしていても、凶悪なテロリストや犯罪組織を相手にしていた期間が長ければ、どうなるか分からない。
そう、正義の味方。これが拙い。
『死ぬまでの間だけど、確かあいつらはアンデッドが発生したと言う知らせを受けて、俺を殺しに来たはずだ。なら、チート能力を活かして国際的に活躍する正義の味方とか、そういう事をしているんだろう。アメコミヒーローみたいに』
そして自分は吸血鬼との混血児、ダンピール。
奴らが日本人らしい平和主義や博愛主義、人権尊重の精神を発揮してくれれば問題は無い。しかし、このラムダ世界の、それもアンチ吸血鬼、アンチダンピールの価値観にかぶれたらそれだけで危険だ。
チート能力者が最大百人も敵になるなんて、堪ったものじゃない。
それに巻き込まれるのが、ダルシアだ。何も知らないままだと危険だし、理不尽すぎる。だからこそ、ヴァンダルーは自分の事情を話さなければならないと考えていた。
『それを理由に母さんが離れるなら、それも仕方ない』
たった半年の付き合いだが、ダルシアはヴァンダルーにとって初めての記憶に残る母親だ。こんなに自分を慈しんでくれた人は、今までいない。
『まあ、出来たら離れたくないけど』
そのためなら、奴等への復讐も……まあ、今更許したり和解したりする事は不可能だが、距離を置くぐらいで許してやろう。
それほどまでに、ヴァンダルーはダルシアに入れ込んでいた。生まれ変わってから妙に頭がすっきりしている事も関係しているが、母親の為なら復讐を諦めても良いと思っていた。
これからある程度成長したら、ダルシアに全てを打ち明けよう。それからは地球やオリジンで手に入れた知識と死属性魔術を使って、それなりに豊かに暮らせれば十分幸せだろう。
後はチート能力持ちの連中がこの世界のために頑張るのを眺めていれば、それで良い。
そう思いながらハイハイをして、体力作りを続けるヴァンダルーだったが、ふと空腹を覚えた。
『血でも飲むか』
籠からダルシアが生け捕りにした野兎を一羽、掴み上げる。生後半年でも、流石怪力スキルもちのダンピールという事か、思った以上に簡単だ。
そして抵抗する兎に『殺菌』や『殺虫』をかけて衛生状態を良くしてから、噛みつく。
『血も美味いけど、やっぱり母さんの母乳の方が美味いな』
痙攣する野兎の血を容赦無く吸って空腹を癒しながら、ヴァンダルーは母の胸を恋しがっていた。
その日、戻ってくるはずの時間になってもダルシアは帰らなかった。
・名前:ヴァンダルー
・種族:ダンピール(ダークエルフ)
・年齢:半年
・二つ名:無し
・ジョブ:無し
・レベル:0
・ジョブ履歴:無し
・能力値
生命力:18
魔力 :100,000,600
力 :27
敏捷 :2
体力 :33
知力 :25
・パッシブスキル
怪力:1Lv
高速治癒:1Lv
死属性魔術:2Lv(NEW)
状態異常耐性:1Lv(NEW)
魔術耐性:1Lv(NEW)
闇視(NEW)
・アクティブスキル
吸血:1Lv(NEW)
・呪い
前世経験値持越し不能
既存ジョブ不能
経験値自力取得不能