百五十話 人の力を舐めるなよ!
境界山脈内部の神々との謁見で手に入れた情報により、ヴァンダルーは念願だった母ダルシアの復活の目途が立った。
まだ具体的にどんな方法でダルシアを復活させる事が出来るのかまでは、分からない。分からないが、態々『時と術の魔神』リクレントや、『空間と創造の神』ズルワーンが神託で教えてくれた情報だ。信用度は高い。
それに伝説の勇者の遺産なのだから、確実だろう。
『ああっ、ありがとう。ヴァンダルーっ、』
それを知ったダルシアの喜びも大きかった。これまで彼女はヴァンダルーの死属性魔術の【可視化】や、彼との五感の共有などにより、通常の霊とは比べられないほど良い状態だった。だから生き返りたいという強い衝動は無かった。
だが、いざ本当に生き返れると色々と思うところがあるようだ。
『これでヴァンダルーにご飯を作ったり、服を繕ったり出来るのね!』
やはり母親としては自分の手で息子の世話をしたかったようだ。嬉しそうにそう言うダルシアを、感動の眼差しで見上げるヴァンダルー。
「母さん……」
『だから生き返ったら母さんに料理と裁縫を教えてね。どちらもヴァンダルーの方が上手だから』
「うん、任せて母さん」
他にも死属性の魔力によって霊の劣化はほぼ停止しているが、記憶が不自然に途切れる事があるのに不安を覚えない訳では無かった。
何よりも生き返る事で生者として息子と同じ時間を過ごせる。
そして自分が生き返ればこの先、ヴァンダルーが無茶な復讐を実行しようとして傷つく事や嘆く事が無くなるかもしれない。それにこれからは自分も力に成れる。
サムやリタ、サリア、パウヴィナ達からもダルシアの復活が可能になるという大ニュースは大いに喜ばれ、今タロスヘイムはちょっとしたお祭り騒ぎだ。
しかし、サウロン領がきな臭いままなので本当にお祭りを開催する訳にはいかない。
ゴブリン通信機で連絡を取り合い、クオーコ・ラグジュというアイゼン(から作られるシロップ)のファンである男爵の亡命については、直接出向いて面接するべきだろう。
ついでに、ノーブルオーク肉を差し入れて情報交換がてら「皆」で食事会でも催そう。
「……何があった?」
その準備を終えて意気揚々と、レギオンと共に【転移】したヴァンダルーが見たのは、傷つき倒れた『サウロン解放戦線』のメンバーや、死相が顔に浮かんでいるイリスだった。
愕然として思わずそう呟くが、すぐに聞くまでも無い事だと判断して、魔術を使用する。
「お前がヴァンダルーか。想像していたよりも小さいな。横の肉塊はアンデッド、か? 何にせよ【転移】とは驚いた。空間属性魔術まで使えるとは」
(何人か死亡している。けど、幸いまだ数分しか経っていないようだし、身体の損傷も修復できない程じゃない)
肉体から離れたばかりの霊を死属性の魔術で保護し、身体の方の修復と心肺蘇生を行う。細胞、特に脳細胞が死ぬのを遅らせて、心臓と肺を【霊体】の手で動かす。
『手伝うわ。ベルセルク、出番よ』
『グルルゥ!』
レギオンの表面に、肉色の熊が現れて倒れたまま動かない者達の近くに、自らを構成する肉塊を投げつける。レギオンから分離したベルセルクの肉塊は更に分裂を繰り返しながら不気味に蠢くと、それぞれが負傷者たちに這いより纏わりついて寄生していく。
「ほう、早速役立たずの死体を使ってアンデッド作りか? だが――」
「ブブブ、エルヴィーン、違うわ。確かにそう見えるかもしれないけど、どうやら治療するつもりみたいよ」
心肺蘇生と同時に、骨や内臓、神経等の損傷を生命活動が維持できる程度に修復。それが終わった身体に、持ち主の霊を入れて、蘇生は完了。
ベルセルクが蘇生した者にも肉を投げて寄生し、それを包帯や添え木の代わりにして応急処置をしながら強制的に避難させる。
「ボス、そいつ等は――」
「分かっています。良く持ち堪えてくれました、マイルズ」
背後からマイルズの声がかけられるが、ヴァンダルーは彼を労いつつ、時間が無いので治療を続ける。
「いや、そうじゃなくてそいつ等は『邪砕――」
「お野菜?」
「……ごめんなさい、あとにするわね」
どうやら、今のヴァンダルーには細かい話を聞いている余裕は無いらしいと、マイルズが口を閉じた。
「おい、俺達を何時まで無視するつもりだ? 俺は『邪砕十五剣』の五剣、『五頭蛇』のエルヴィーン。態々お前みたいなガキに声をかけるために――」
「イリス、あなたの傷が治りません。ブラッドポーションは?」
【飛行】で空中に浮いているヴァンダルーに、じっと見られたまま放置されているエルヴィーンの額に青筋が浮かぶが、やはり彼は取り合わない。
ヴァンダルーの虚ろな瞳に映るエルヴィーンの顔が引きつる。
「ヴァンダルー殿、私の事は……構わずっ……」
『陛下……イリスは、その男の持つ聖剣……アーティファクトで、吸血鬼や魔王の欠片由来の力や、光属性や生命属性では、癒えない傷をつけられたのです』
イリスの罅割れた剣に宿る彼女の父、ジョージの霊が深刻な事態を告げる。
イリスは聖剣ネメシスベルによって深く傷つけられたため、霊体を伸ばして一体化しても、半吸血鬼であるヴァンダルーの【高速再生】スキルの効果はほとんど現れない。
呪いの類かと考え、解呪しようとするがそれも出来なかった。どうやらアイスエイジの氷とは違い、呪いでは無いようだ。
呪いとは異なる光属性の上位、若しくは亜種の神聖属性とでも評するべき力が聖剣に宿っているらしい。厄介な事だ。
そのため、ヴァンダルーは【死亡遅延】の魔術をイリスにかけた。傷を癒すのではなく、死亡するまでの時間を先延ばしにするだけの魔術だが、これは聖剣の力に阻害される事無く効果を上げた。
黒い霧のように見える魔力に包まれるイリスだが、顔色は白いままだ。瀕死の状態をただ維持しているだけなのだから当然だが。
「イリス、残念ですが俺でもその傷を治せません。多分、ジーナでも無理です。だからあとでアンデッドになるか、吸血鬼以外のヴィダの新種族に成るか選んでください」
「……分かりました。『姫騎士』は、他の者に……」
「分かるんじゃねぇよ。その小娘の首は貰うって言ってるだろうが」
エルヴィーンが苛立ちを紛らわすために振った鞭が空を裂く音を響かせ、レジスタンスのアジトだった瓦礫が砕ける。
そしてやっと注目が自分達に向いた事を確認して、『蟲軍』のベベケットがエルヴィーンに代わって交渉に入る。
「そろそろいいわね? ブブブ、私達はアミッド帝国の『邪砕十五剣』。ダンピールのヴァンダルー、皇帝陛下がお前に興味をお持ちだよ。
帝国に忠誠を誓い、その力で帝国の為に尽くすなら命は保証する。お前の手下もね。場合によっては、境界山脈の向こうの領土も黙認してやるし、帝国領内のグールも連れて行って構わない」
ベベケットが述べた条件はヴィダの新種族、特に吸血鬼とダンピールを激しく蔑視し迫害するアミッド帝国の皇帝が出したものとしては、破格の条件と言えるだろう。
少なくともマシュクザール以外の歴代皇帝ならヴァンダルーに交渉を持ちかけようとは考えない。
しかし、同時にマシュクザールは交渉が決裂する可能性が高いと考えていた。今までの調査で明らかに成ったヴァンダルーの行動から、彼に交渉が通じるだけの正気が残っているのか疑問があったからだ。
もし手に入れば、その力は有用極まりない。だが野放しにするには危険すぎる。既に、アミッド帝国を揺るがしかねない存在と化している。
だから、成功率は三割以下だろうと考えつつも交渉をヴァンダルーに持ち掛け、それを彼が蹴った場合確実に抹殺できるだろう戦力を派遣したのだ。
(賢く長いものに巻かれて生き延びるか、それとも井の中の暴君として潰されるか。どっちを選ぶ?)
十五剣、『蟲軍』のベベケット。無数の蟲を使役する【バグテイマー】で在る彼女は、優秀な密偵だが、それ以上に数の暴力に特化した存在だ。
「言い忘れたけれど、その『解放の姫騎士』と後ろで呆けたままの裏切り者は駄目よ。私達が来た表向きの任務を果たした証明の為に二人の首が必要だから。姫騎士の方はどうしてもって言うなら、他のそれらしい女の首を代わりに貰えれば構わないけど」
無数の蟲を体中に仕込んでいるベベケットは、例えるなら数え切れない程大量の兵を抱えた将軍だ。その蟲を使い、今まで幾つもの魔物の暴走を殲滅してきた。
その力でヴァンダルーが支配する、無数のアンデッドを殲滅する事を期待されて彼女はここに派遣されている。
(尤も、今は妙な肉塊だけのようだけれど、私に油断はない)
「さあ、答えを聞かせてもらいましょうか?」
「煩い」
一方、ヴァンダルーはベベケットの言葉を聞いてはいたが検討はしていなかった。
マシュクザールが出した彼等にとって破格の条件は、ヴァンダルーにとってどんなゴミよりも価値の無いものだ。
何より今のヴァンダルーは怒りと自己嫌悪を抑えるので忙しい。自分がもっと真剣に考え、備えていれば……この事態を防げただろうにと。
「……正直に言えば、俺はサウロン領に何の思い入れも有りません。イリス達を援助しているのも、将来オルバウム選王国と繋がりを持てればという、打算ありきでした。イリスやハッジ達の第一印象も、そんな良くなかったですし」
「だったら、我が帝国が選王国の代わりに――」
「だから、殺す」
怒りと殺意を込めて、ヴァンダルーは両手合わせて十本の指で【死弾】を放ち、ベベケット達を狙う。
付き合い始めた理由が打算ありきで、第一印象も良くない。けど何度も同じ釜の飯を食べ、交流し、同じ時間を過ごしてきた。ボスと呼ばれて慕われ、カレーを美味しそうに食べてくれた。
そんなイリスやハッジ達を傷つけた連中に殺意を向ける事に、ヴァンダルーは微塵の躊躇いも覚えなかった。
「だから言っただろう! 交渉は失敗すると!」
「元から成功するとは思っちゃいない! 偉そうにするんじゃねえ!」
黒い握りこぶし大の【死弾】を、『邪砕十五剣』の面々はそれぞれ回避し、聖剣や鞭で弾き、砕く。
「そう、残念ね。なら死にかけのレジスタンスと一緒に、私の蟲の餌にお成りなさい!」
ベベケットのローブの袖や裾が広がり、そこから低い羽音を響かせて黒い無数の影が飛び出して来る。彼女が操る蟲だ。
一匹一匹は大きくても掌を超える事は無い程度の、魔物としては小型な蟲ばかり。ランクも殆どの蟲がセメタリービーよりも低い。
特殊な毒を持つ蠅や、魔術としか思えない不可思議な攻撃が可能な蛾、鋼鉄も溶かす酸を吐く甲虫等、凶悪な特徴を持つ多種多様の蟲。
経験豊かな冒険者や極めて強力な魔物なら一種類、いや数種類まで対応できるかもしれない。しかし、数十種類の蟲が多種多様に群れているため、その特徴に対応しきれる冒険者は存在しないだろう。
殺到する蟲に為す術も無く、【死弾】を撃つ事も出来なくなったらしいヴァンダルーも同様だと確信して、ベベケットは奇妙な高笑いを上げた。
「ブブブブブ! あなた程度の傑物は今まで何人もいたのよ! でもねっ、大国と言う強大な力の前には屈するか潰されるかのどちらかしかない! 恨むなら自分の愚かさを――」
無数の蟲に覆われて見えなくなったヴァンダルーに、「終わったな」とリッケルトは息を吐いた。予想通り交渉は失敗したが、結局勝つのは『邪砕十五剣』、そしてアミッド帝国だと。
「ひやあああっ!? 待てっ、待てぇ!」
だが、ベベケットの奇妙だが勝利に高揚した口調が、一転して驚愕と危機感に満ちた悲鳴に変わった瞬間、そんな諦観混じりの安堵は吹き飛んだ。
「ベベケット!?」
驚いて名を呼ぶリッケルトに構う様子も無いのか、ベベケットは身を捩りながら悲鳴を上げる。
「待って! 待ちなさいっ、行くな! 私から離れるなぁ! 離れないでおくれぇぇ!」
叫ぶ間もベベケットからは無数の蟲が飛び立ち、ヴァンダルーに向かっていく。はっと、エルヴィーンが目を見開いた。
「あのガキ、蟲に食われていない!?」
ヴァンダルーに纏わりついたベベケットの蟲は、彼の肌に強力な顎で噛みつく事も、毒針を突き刺す事もしていなかった。ただただ彼の肌や髪に張り付き……音も無く飲み込まれて行く。
そして全ての蟲を体内に装備したヴァンダルーは、ケロリとしていた。
「【蟲使い】としては、俺の方が上だったみたいですね」
実際には【魔王の臭腺】を使用して蟲を誘うフェロモンの類を出していたが、それも含めて【蟲使い】の腕だろう。
自分に懐いた蟲達を傷つけないようにと【死弾】を撃つのを中断したヴァンダルーがそう告げるのと同時に、ベベケットは地面に転がった。
「かひゅっ……けひっ、けっへっ……」
ローブから転がり出たのは、身体のあちこちが大きく欠損した老婆だった。
ベベケットは自分の肉体の一部を魔物に餌として与え、自分自身の肉体を巣だと誤認させる事で蟲を使役していた。そのため肉体の生命維持も蟲に頼っていたのだ。
その頼りの蟲が全てヴァンダルーに魅了され、奪われた今『蟲軍』のベベケットは瀕死の老婆でしかない。
「ぶっ!?」
だが、その息の根は即座に停められた。彼女の後頭部を砕いた男に、リッケルトは勿論ヴァンダルー達も視線を向けた。
「え、エルヴィーンっ! 何故……!?」
鞭を一振りしてベベケットの血や肉片を飛ばしたエルヴィーンは、事も無げに答えた。
「経験値を渡さないためだ。あのままベベケットを死なせたら、どれだけの量の経験値があいつに行くと思っている? だったら、仲間の俺が貰ってやるのがせめてもの弔いだろうが」
「それは、そうかもしれないが……」
ヴァンダルーが【経験値自力取得不能】の呪いを受けているのを知らなかったとはいえ、エルヴィーンの非情さに思わずリッケルトは言葉を失った。
そしてヴァンダルーも敵に経験値を渡さないために瀕死の仲間に止めを刺すという行動に驚いて、ほんの一瞬動きを止めて硬直した。
そしてその首から上だけが、前触れも無く胴体から飛んだ。
「えっ?」
「ぼ、ボス!?」
間の抜けた声を出したイリスやハッジ達は、首を切断されたヴァンダルーと、それを成した黒づくめの男の姿を見た。
ヴァンダルーの首を刎ねた男は『邪砕十五剣』の一人、十一剣『王殺し』のスレイガー。彼は稀代の暗殺者だった。
纏った者の気配を消すマント型のアーティファクト『夜神の外套』を装備し、【忍び足】の上位スキル【絶在】を習得したスレイガーは、今までもキングの名を持つ魔物や反乱分子の首魁を数え切れないほど暗殺してきた。
敵が多い時はトップ、指揮官を狙うのが常套手段だ。その戦法は、キングの名を持つ魔物が支配する群れを相手にする時に特に有効だ。
群れを構成している魔物は、キング系の魔物が持つ【眷属強化】スキルの効果で強化されている。だがスキルの所有者であるキングを倒せば、その効果は失われる。更に絶対的な統率者を失った魔物は容易く混乱し、バラバラに行動する烏合の衆と化す。
それ故スレイガーは頭を一撃で暗殺する事に特化し、その技で様々なキングの首を獲り、『王殺し』の名と十一剣の席を手に入れるに至ったのだ。
ベベケットが数の暴力担当とすれば、スレイガーはヴァンダルーの僕をすり抜けて一撃で暗殺する事が今回の任務での仕事だった。
それ故、今までずっと気配を消して隠れ潜んでいたのだ。
くるくると空中を舞うヴァンダルーの首。胴体から噴水の如く大量の血が噴き出し、スレイガーの外套に付着する。その光景にエルヴィーンは彼の死を確信した。らしくも無い事だが、黒づくめのスレイガーが輝いて見え――
「ぎっ、ぎああああっ!?」
だが、エルヴィーンの確信は、突然顔を片手で押さえたスレイガーが悲鳴を上げ、体勢を崩して地面に背中から落下した事で崩れ去った。
「ぐああああっ!? め、目がっ……俺に、俺に何をしたぁっ!」
地面に落ちたスレイガーが、片手で顔を押さえたまま苦しみ悶える。
一方ヴァンダルーは【幽体離脱】した霊体で、レギオンから受け取った自分の頭部を胴体にくっつけていた。
『あー、驚いた。あ、ハッジもうちょっと下がって。チクチクしますよ』
ヴァンダルーはスレイガーが隠れている事に気がつかなかったが、【危険感知:死】の魔術で首が狙われている事を寸前で感知した。しかし、彼はスレイガーのスピードに対応する事が出来なかった。
そこでヴァンダルーは逃げる事を諦めた。そしてスレイガーに首を切断された瞬間に【魔王の体毛】、【魔王の発光器官】を発動したのだ。ただ、防御では無く攻撃の為に。
そして首が切断された瞬間、【魔王の体毛】を空中に飛ばしたのだ。
地球の大型の蜘蛛、タランチュラの仲間は危険を感じると足で身体に生えた細かい毛、刺激毛を飛ばして身を守る。ヴァンダルーはそれと同じ事を、極細の【魔王の体毛】を飛ばす事で再現したのだ。
タランチュラの刺激毛なら、肌に受けても腫れて痛みや痒みに苦しむ程度ですむ。しかし、【魔王の体毛】で顔を、そして目を傷つけられたスレイガーが感じている激痛は、いったいどれほどか。少なくとも、チクチクなんてレベルでは無い。
「く、首を刎ねられて何故生きている!? 吸血鬼でも死ぬのに、ダンピールの貴様が何故!?」
顔に恐怖すら浮かべて叫ぶリッケルトに、首を繋げ終えたヴァンダルーは答えた。
「それは、俺が首を刎ねられても死なないからです」
不真面目な答えを適当に返したヴァンダルーは、絶句するリッケルトからスレイガーに注意を戻した。
「ぐっ!」
スレイガーは激痛を強引に無視して立ち上がると、何と地面を蹴って何メートルも飛び上がった。そして、そのまま木々の枝を足場に森の中に消えようとする。刺激毛で視覚を封じられていると思えない動きだ。
スレイガーはヴァンダルー達から離れれば、『夜神の外套』と【絶在】スキルの効果で再び姿を消す事が出来る。それを狙ったのだろう。
だが、実は頼りの夜神の外套にはヴァンダルーが血に混ぜて飛ばした【魔王の発光器官】の青白く輝く液体や、発動したままの【魔王の臭腺】で作った匂いの元がべったりと付着しており、その効果は失われていたのだが。
「追ってください、アイラ」
『畏まりました!』
しかもヴァンダルーから、ヴァンパイアゾンビのアイラ率いる闇夜騎士団の面々が出現する。
『者共、私に付いて来い! ヴァンダルー様の猟犬たる真価を示す時だ!』
『ヴオオオオオオオ! 匂いと光を追え!』
『アイラ団長に続け!』
最大の強みである隠形を封じられたスレイガーが、アイラ達空を飛行するヴァンパイアゾンビ達に追跡され生き延びられる可能性は限りなく低い。
「馬鹿な……十五剣が、瞬く間に二人も……」
「手下の数が多くて、本人も強いだと? 滅茶苦茶だ」
驚愕に喘ぐリッケルトと、連携する間もなく仲間を二人喪って冷や汗を浮かべるエルヴィーン。
驚いているのはイリスやハッジ、そして意識を取り戻したグールやレジスタンスのメンバーも同じだった。自分達が手も足も出なかった強敵が、ヴァンダルーが来た途端逆に数を減らしている。
ヴァンダルーが原種吸血鬼グーバモンと戦い倒すところを見ているイリスだったが、それでも『邪砕十五剣』の四人の内二人を苦も無く倒した事に驚かずにはいられなかった。
因みにイリスの後ろに居るクオーコは、驚愕の連続に対応できず、先程から立ち尽くしたまま呆然としている。今はレギオンを眺めながら「良い肉質だ」等と呟き、現実逃避しているようだ。
「……まあ、こうなると思ったわ」
先程から【警鐘】が一回も響かないため、マイルズはもうヴァンダルーがいる限り、危険は無いと判断していた。
つまり、『邪砕十五剣』の三人……実際は四人だったが、それはヴァンダルーにとって強敵ではあっても、脅威では無い。そういう事だ。
『ヴァンダルーが今更この程度の連中に勝てないはず無いもの』
『ところで、残り二人に成ってしまったがこいつ等は結局何者なのだ!?』
『アミッド帝国の秘密部隊らしいよ。まあ、ヴァンダルーの敵じゃないけど』
『敵じゃないの? じゃあ、殺しちゃ拙いの?』
『そう言う意味じゃないわ、ジャック』
『……ちょっとチクチクする』
レギオン達も、プルートを含め誰も危機感を抱いていなかった。心肺を強制停止されても死ななかったヴァンダルーが、首を刎ねられたくらいで死ぬはずがないと思っていたからだ。
思っていたが、不愉快でない訳が無い。レギオンを形成する『第八の導き』のメンバーにとって、ヴァンダルーは友人であると同時に信仰対象なのだから。
『ヴァンダルー、私達も暗殺者の追跡に加わっても?』
「いえ、それよりもあっちの人の相手をお願いします。レギオンなら勝てます」
『分かりました!』
しかし、結局はヴァンダルーの意思が優先されるため、レギオンは逃走中のスレイガーではなくリッケルトに対して向き直った。
レギオンの異形が迫って来る事で我に返ったのか、聖剣を構え直すリッケルトにエルヴィーンが指示を出した。
「リッキー坊や、テメェはさっさと逃げろ!」
炎を帯びた鞭がレギオンを牽制する。背中から新たな鞭を取り出し、両手で魔力を帯びた鞭を振るうエルヴィーンに、レギオンも一旦下がる。
「何故!? 私のネメシスベルが役立つはずだ!?」
お飾りである事に対するコンプレックスを刺激されて、リッケルトが反射的に怒鳴るが、エルヴィーンは冷静に吐き捨てた。
「てめえには公爵って表での立場があるだろうが。ここは俺に任せて引け」
リッケルトは帝位継承権を持つ現皇帝の甥だ。それに三剣『光速剣』はプロパガンダ用のお飾りだが、だからこそ簡単に死なせるわけにはいかない。……エルヴィーンやベベケット、スレイガーとは違って。
「くっ……分かったっ」
『見逃すわけが無いでしょう?』
それを理解し、悔しげだが指示通りに撤退しようとしたリッケルトだったが、【サイズ変更】スキルで巨大化したレギオンが迫る。
「うおっ!?」
レギオンのスピード自体はリッケルトにとって脅威ではないが、巨石の如き体積は脅威だった。
柱の如き肉の触手を振り回しながら迫るレギオンを無視して逃げる事は出来ない。
「ちぃっ! 手間のかかる!」
咄嗟に両手で握った鞭を振りリッケルトの撤退を援護しようとしたエルヴィーンが、魔術で炎を纏わせた鞭を振って牽制する。
『おっと、火は嫌いなのに』
「お前はこっちです」
レギオンの動きを一旦は鈍らせたエルヴィーンだったが、ヴァンダルーが【魔王の角】を放ったことで中断しなければならなかった。
「それが【魔王の欠片】か。ガキが、欠片を一つや二つ振り回せば強くなったと勘違いするなよ!」
魔王の欠片に対抗し、封印するための装備を所持しているエルヴィーンに動揺は無い。……既に【魔王の臭腺】、【魔王の体毛】や【魔王の発光器官】でベベケットやスレイガーを撃退したのだが、彼はあれが欠片だったとは気がつかなかったらしい。
「これまで【魔王の欠片】で自分は強くなったと勘違いする愚か者が何人いたと思う!? その愚か者がどうなったか、俺がお前に教えてやる。
人の力を舐めるなよ、ガキが!」
そうオリハルコンを使用した対魔王の欠片用の鞭を持つエルヴィーンは、ヴァンダルーの胸から新たに生えた黒い穂先のような角にそれを叩きつけようとした。
『それは、君には難しいだろう』
だが、オリハルコンの鞭はヴァンダルーの胸から出現した生前ミルグ盾国の英雄だったゾンビ、『氷神槍』のミハエルの槍捌きによって、弾き返されてしまった。
「まあ、努力したいなら構わないわよ」
『食前の運動には丁度良いだろうしなぁ』
『エルフって美味しいんでしょうか?』
『あの人は不味そうですよ、姉さん』
エレオノーラ、ボークス、それにリビングメイドアーマーのサリアとリタが出現する。
「何だと!?」
スレイガーを追って行ったヴァンパイアゾンビ以外にも、まだこんなに手下を隠していたのかと驚くエルヴィーンに、「皆で」肉を食べる予定だったヴァンダルーから新たに出現した森林猿系獣人種出身の深淵種吸血鬼、ベルモンドが告げる。
「それではお客様、旦那様相手にその『人の力』とやらを存分にお示しください。結果は決まりきっていますので気にせず、心行くままに」
言い終わったベルモンドが一礼するのに合わせて、ヴァンダルーは猛然とエルヴィーンに襲い掛かった。
・名前:ベベケット
・種族:人種
・年齢:75
・二つ名:【蟲軍】 【邪砕十五剣】
・ジョブ:バグマスターテイマー
・レベル:89
・ジョブ履歴:見習い養蜂家、養蜂家、調教師、調香師、テイマー、バグテイマー
・パッシブスキル
精神汚染:3Lv
病毒耐性:4Lv
気配感知:2Lv
従属強化:10Lv
・アクティブスキル
家事:4Lv
養蜂:5Lv
調香:7Lv
調教:10Lv
指揮:5Lv
忍び足:4Lv
・ユニークスキル
蟲身
元々は細々と養蜂を営む一般人だったが、蜜蜂を扱う内に蟲を操る特異な才能を開花させる。その才を天が与えた特別な力だと信じ、のめり込んでいった。
生産系ジョブに就き、独自の調教法や香りを使い、蟲を操る技を高めるうちにアミッド帝国の情報網によって目を付けられ、スカウトを受ける。
その後テイマー系のジョブに就き更に蟲を操る術を高め、『蟲軍』の二つ名を与えられ『邪砕十五剣』に抜擢されるまでになる。
一芸に秀でたタイプで、数は多いが一体一体は強くないザコを一掃する時にその真価を発揮する。
蟲を寄生させた相手の位置や、周囲の音を探る等諜報活動にも有用な人物。ただ、本来は『柄』で十分調査できるのであまり出番は無かった。
蟲をより操る為でもあるが、老齢による肉体的衰えを自分自身に寄生させた蟲に生命活動を補助させる事で補っている。ただ、それが仇となって蟲を全てヴァンダルーに奪われ、無力化されてしまった。
・名前:スレイガー
・種族:ハーフエルフ(人種)
・年齢:57
・二つ名:【王殺し】 【邪砕十五剣】
・ジョブ:マスターアサシン
・レベル:90
・ジョブ履歴:見習い盗賊、盗賊、追跡者、トレジャーハンター、暗殺者、短剣使い、魔剣使い、刎頸執行者
・パッシブスキル
暗視
敏捷強化:10Lv
非金属鎧装備時敏捷強化:大
短剣装備時攻撃力強化:大
直感:6Lv
気配感知:9Lv
状態異常耐性:4Lv
・アクティブスキル
刎頸術:2Lv
投擲術:9Lv
弓術:6Lv
格闘術:6Lv
絶在:5Lv
暗殺術:10Lv
罠:8Lv
開錠:7Lv
限界超越:1Lv
魔剣限界突破:10Lv
・ユニークスキル
王殺し
下部組織の『柄』からその腕を認められて『邪砕十五剣』に抜擢された人物。【短剣術】の上位スキルである【刎頸術】(首を刎ねる事に特化した、短剣を使用した武術系スキル)を所有する等、正面から戦っても強力な暗殺者。
ただその真価は、不意を突いて行われる一撃必殺の暗殺時に発揮される。
【絶在】スキルや隠形専用のアーティファクト『夜神の外套』の効果が発揮している時、彼を発見する事は至難の業で、隠形の業は現在レギオンの一部を構成している『第八の導き』のゴーストに匹敵する。
ユニークスキル【王殺し】により、種族名や二つ名に王の名を持つ存在に対する攻撃に高い補正を得る為、今までゴブリンキングやコボルトキング等の魔物が発生し、冒険者ギルドが討伐をしくじる度に彼が派遣されて来た。
ただ首を落としても死なない存在の暗殺を命じられた時点で、彼の命運は尽きていたのだった。
拙作「四度目は嫌な死属性魔術師」の発売日が12月15日に決定しました!
もし書店で見かけましたら手にとって頂けると幸いです。
11月5日に151話を、9日に152話を投稿する予定です。




