百四十九話 沈黙する警鐘
歪な形の岩とマグマの池ばかりの、まるで地獄の様な場所で稲光と轟音が響き渡っていた。
ヴァンダルーに自らの司祭である『鱗王』と分霊を倒され、魔大陸に撤退する途中でS級冒険者シュナイダー率いるパーティー『暴虐の嵐』によって捕えられた『暴邪龍神』ルヴェズフォルは、目の前で繰り広げられる激戦に縮こまっていた。
『ひ、ヒィっ、こいつ等、化け物だ……!』
弱った今の彼では、余波を受けただけで身体が砕け散る。そんな魔術や武技の攻撃が繰り返される。
「微塵に砕けるがいい! 【波動爆雷】ぃ!」
全身が筋肉の塊で出来ているかのような原種吸血鬼、パンプアップしたゾルコドリオ……通称ゾッドの【筋術】の武技が炸裂する。
激しい電撃が、黒髪黒瞳の若い男を直撃した。
『がぁぁ!?』
超人の域に少々足を踏み入れた程度の力量では、一瞬で全身が黒焦げになってゾッドが叫んだ通り微塵に砕け散るだろう一撃を受けて、男が顔を苦痛に歪める。
だが、男は倒れない。よろめいたが、すぐに体勢を立て直す。
「ぬぅっ! 忌々しい程にタフな奴!」
「いや、あんたには言われたくないと思うけど?」
本当に忌々しげな様子で吐き捨てるゾッドに、女ドワーフのメルディンが半眼に成って言う。全くだと、モヒカン頭のダークエルフ、ドルトンも同意する。
「お二人とも、奴はまだ立っていますぞ! 何故先程から休んでばかりなのです!?」
くわっと目を見開いて叫ぶゾッドに、メルディンとドルトンの二人は揃って首を横に振った。
「あたし達、もう百回攻撃したから」
「俺も。って、言うか魔力がもうねぇよ。後ゾッド、お前もさっきので百回目だぞ」
「むっ、しまった。……私とした事が、数え間違えたか。致し方なし」
ドルトンから指摘されたゾッドは、男から視線を外して牙と筋肉を納める。
見る見るうちに細くなっていくゾッドの背に、男が声をかけた。
『良いのか? 確かに百回とは言ったが、別に二百回でも千回でも、俺は構わない』
その顔と声には若干の疲れがみえる。しかしゾッドの攻撃を百回も受けたらしいのに、まだまだ余裕があるように見えた。
「不要です。私は『百回攻撃する代わりに貴様をとりあえず認める』と、我が祖の名にかけて誓ったのです」
『そうか……』
「私はまだ一回残ってる! シュナは後五回ね!」
「ヘイヘイ、もうちょっと胸を貸して貰うぜ、大先輩さんよぉ!」
下がったゾッドに替わり、片手に瓢箪を下げたリサーナと相変わらず素手のシュナイダーが飛び出した。
リサーナは【堕酔の邪神】ヂュリザーナピぺ本来の姿に変化すると、瓢箪を呷って中身を口に含んだ。そして唇を窄めると、霧状にして男に対して噴き出した。
たちまち男の姿は、薄く桃色に染まった霧に飲み込まれた。
『うぐっ! これは……きくっ』
ぐにゃりと男の視界が歪み、岩で出来た地面がグニャグニャと揺れ、嗅覚も触覚も痺れたように麻痺する。リサーナの魔力で作られた酒と邪神である彼女の唾液が混じった毒霧を浴びた事で、五感が異常をきたしたのだ。
そして歪んだ視界に無数の靴の爪先が見えたが、男は呆けた顔つきのままだった。
「【無限突き】!」
爪先の主は、勿論シュナイダーだ。彼は何と、【槍術】の武技を蹴りで発動させたのだ。
顔面を含めた全身に槍の穂先と変わらない鋭さの蹴りを叩き込まれた男の身体は、堪らずに吹き飛ぶ。
シュナイダーはそれを追い駆け、更に武技を振るう。
「【瞬閃・極】! 【真山砕き】! 【大螺旋突き】!」
右手の手刀で【剣術】、左膝蹴りで【棍術】、左の抜き手で【薙刀術】の武技を発動させる。
『――――!』
斬撃、打撃、刺突を受けた男の身体から、血が飛沫を上げる。
だが容赦せずシュナイダーは大きく踵を振り上げた。
「百回目っ! 【神鉄両断】っ、くらいやがれぇ!」
【斧術】の上級武技を発動した踵落しが、男の脳天に振り下ろされる。男は、顔面から地面に激突し轟音を立てて減り込んだ。
本来なら、幾ら武術系スキルを高レベルで所持していても発動できる状況に無ければ、武技を発動する事は出来ない。つまり、武器を持っていなければ【格闘術】以外のスキルの武技は発動でき無い筈なのだ。
多少の融通なら効く。木の棒を剣や槍や薙刀に、石の斧を棍棒に、逆に棍棒を斧に見立てて武技を発動させる事も出来る。……最終的な威力や効果は下がるが。
だがシュナイダーは、彼の持つユニークスキル【武真】の効果により、己の肉体のみで発動させる事が可能だった。
この「自らの肉体こそが最強の武器」と言う言葉を体現するユニークスキルこそ、シュナイダーが『迅雷』の二つ名で呼ばれるようになった理由の一つだ。
普通の冒険者が依頼やダンジョンに合わせて装備を整えてから冒険に赴くのに対し、シュナイダーは着の身着のままで身軽にどんな過酷な冒険にも出発し、そしてすぐ成果を上げて帰ってくる。
それはシュナイダーが武具を一切必要としないからだった。
武を真に極めた者という大仰な名称が好みに合わなかったのか、彼自身はそれを親しい者にしか明かしていないのだが。
砕けた岩に埋もれて後頭部も見えなくなった男に向かって、シュナイダーは「ふぅ」と息を吐いた。
「あ~、しんどいぜ、全く。それで大先輩よ、少しは効いたか?」
『……少しどころか、大分効いたぜ』
脳天にシュナイダーの一撃を受けたはずの男の声が聞こえたかと思うと、砕けた岩に埋もれていた男が立ちあがった。
大分効いたと言う割に、もう毒霧の影響から回復した様子の男に「やっぱりか」とリサーナが肩を落とす。
『それで、どうする? 百回は終わったが、俺としては千回でも足りないと思っているが』
「止めとく。これ以上やっても疲れるだけだし……別にこれで許せって訳じゃ無いんでしょ、ファーマウン・ゴルド?」
男……『炎と破壊の戦神』ザンタークの勇者にして、英雄神、ファーマウン・ゴルドは『勿論だ』とリサーナに答えた。
『俺達のした事を考えれば、百回殴られた程度で許されるはずがないのは、俺でも分かる。ただ、俺がザンタークの親父の側で戦う事を認めてくれれば、今はそれで十分だ』
ファーマウン・ゴルドは十万年前、アルダによって寿命を延ばされた為まだ人間だった頃、勇者ベルウッドと共に『生命と愛の女神』ヴィダと戦った。
あの時は、彼もそれが正しいと信じていたからだ。
ザッカートの誘いに乗って味方に成ったからと言って、元魔王軍の神々を信頼する事はファーマウンには出来なかった。そのザッカートが亡くなった事で、何時魔王軍残党に再び寝返るか分からないからだ。
その元魔王軍の神々が自らの信者として魔物を新たに創り出す事を認めるヴィダも、信じられなかった。
そして、その邪悪な神々と交わって新たな種を次々に生み出したヴィダに彼は愕然とした。『太陽の巨人』タロスとの間に創った巨人種や、竜人、獣人種、ダークエルフ等はまだしも、スキュラやアラクネ等を産みだすのは正気の沙汰とは思えなかった。
まるでヴィダ自身が邪悪な神々の一柱と化し、魔物を次々に増やしているように見えた。
そして『魔塵の邪神』と『邪闇の悪神』と融合して生き延びたものの、正気を失い狂ってしまったザンタークを迎え入れ交わり、魔人族と鬼人族を産みだした事。
更に、最後は決裂に近い状態だったと言えど、同じ勇者だったザッカートをアンデッド化させて、しかもそれと交わり吸血鬼を産みだした事。
その二つのヴィダの行動を知ったファーマウンは、ヴィダが狂ってしまったと言うベルウッドの主張が正しいと確信した。
ファーマウンはザッカートが魔王軍の邪悪な神々に寝返り工作を仕掛けた頃から距離を取っていた。そのため、魔王が健在だった間は、寝返った『五悪龍神』フィディルグや『汚泥と触手の邪神』メレベベイル達と共に戦ったが、彼等を仲間だと思った事は無かった。
そんな邪悪な神々との間に産みだした種族が、魔王との戦いで荒れ果て滅びに瀕しているこの世界の復興に役立つとはとても思えなかった。
寧ろ、折角生き延びた少数の人間達にとって、将来脅威に成るのではないかと考えた。
そしてアルダとベルウッドの指揮の下ナインロードやアルダ陣営の神々と共に、当時ヴィダが自ら産みだした種族の都を築いていた大陸に攻撃を仕掛けた。
その時ファーマウンはザンタークと戦った。かつては「親父」と敬った、邪悪な神と融合した事で満足に言葉も紡げなくなった相手との戦いは、熾烈を極めた。
だが決着がつく前にアルダとヴィダの戦いは終わっていた。勝ったのはファーマウン達だった。
ヴィダの新種族の都は跡形も無く破壊しつくされ、各種族の始祖の殆どが討伐された。死を冒涜されたザッカートは眠りにつき、邪悪な神々とヴィダの狂った思想を支持する神々の内多くが封印された。
ただ横やりを入れて来た魔王軍残党のせいでアルダ陣営の被害も小さく無く、結局ヴィダと幾つかの神々と新種族の逃亡を許してしまった。
苦い勝利のその後、ファーマウン達はアルダに伸ばしてもらった寿命が尽きるまで世界の復興に尽力した。
その結果は、完璧では無いが十分な物だったと今でも自負している。
全て集めても一つの町を維持できるかどうか程度しか生き残っていなかった人間、人種、ドワーフ、エルフを、数千年で数万人規模に増やしたのだから。
そしてナインロードが魔物をテイムする技術を広めてテイマーギルドを、ファーマウンが当時都市ごとに異なる組織だった狩猟採集を行うギルドを纏め、冒険者ギルドを創設した。
そして死後ファーマウンは、火属性の英雄神としてザンタークに代わって火属性の管理を任されるようになった。
その時までは疑問を持たなかった。
ファーマウンが神として地上を離れ世界の維持に忙殺されている間も人間達は増え続けた。しかし、それはある時点で止ってしまった。
多くの国が出来た結果、人間は人間同士で争うようになったからだ。
それ自体は仕方のない事かもしれない。ファーマウンが生まれた異世界『アース』でも起き、そして克服できなかった人類の負の側面だから。
しかし問題なのは魔王軍残党の邪悪な神々や、その支配下から抜け出しているとはいえ魔物が跋扈する魔境が幾つも存在するというのに、それを放置して人間同士で争っている事だ。
『地上から同じ目線で見ていたら、その場で足踏みを繰り返しているだけ……もしかしたら、ゆっくりとだが確実に前進しているように錯覚できたかもしれない。
だけど上、神域からは世界がよく見える。俺達は三歩進んで四歩下がっていたのさ』
少なくともファーマウンにはそうとしか見えなかった。
アルダを含めた神々は世界の維持管理に忙殺され、魔王と、そしてヴィダとの戦いで負ったダメージの回復にも苦労する始末。
逆に魔王軍残党は裏で蠢き、『悦命の邪神』ヒヒリュシュカカのように魔王が健在だった当時よりも力を蓄える神が存在した。
それでもベルウッドがいる間は「今は雌伏の時だ、苦しさに負けてこれまでの努力と犠牲を無にするか、輝かしい未来を手に出来るかどうかの岐路に僕達は立たされているんだ!」と言う言葉を信じていた。だが、そのベルウッドは『罪鎖の悪神』と相打ちに成って眠りについてしまった。
それからは自分の中の疑問を抑えられなくなり、ファーマウンは自分がどうするべきか考える様になり――。
「洗脳が解けたと」
『……面目次第も無い』
「耳触りのいい言葉に酔うのは分からなくもないが、流石に五万年以上も酔うなよ」
今迄ベルウッドは確かに常に先頭で自分達を牽引し続けてきたが、過去を顧みて深く考えてみると、彼には長期的な視野が欠けており、しかも『アース』で生活していた時の価値観や常識を無自覚に絶対視している節があった。
目の前の自然が汚されるから、蒸気機関の様な『アース』の技術をこの世界の人類に齎さず、独自に開発する事も禁じる。
不老不死、吸血鬼、邪悪な神々とその血を受け継いだヴィダの新種族は、無条件に悪。
そのため物事に対する対応が場当たり的で、選択は短期的には正しくても長期的には大失敗という事が多かった。
それを実行力や口の上手さで無自覚に誤魔化してきたのだ。彼の言葉に洗脳された者達の働きによってベルウッドの失敗は彼にとって大事に成らず、問題が起きても「敵」を糾弾する事で皆の目を逸らしてきた。
そうした性質の悪い扇動者に免疫が無かった『ラムダ』世界のアルダを含めた神々や人々は、すっかり心酔してしまったのだ。
「それで五万年前から他の火属性の従属神や英雄神を説得して、アルダ陣営を離れてやっていると?」
憮然とした表情を崩さないゾッドに、ファーマウンは苦笑いを浮かべた。
『そうは言っても、たいした事は出来てないけどな。境界山脈の内側のゼルクスの兄貴達に謝りに行ったが、入れてもらえなかったし、今はこうしてザンタークの親父の所に出入りしているが……それまで何回殴られたか覚えてない』
『戯けが、当たり前だ』
『殺されなかっただけでも感謝しろ』
そう言って会話に入って来たのは、鬼人族や魔人族の始祖、そしてザンタークが邪悪な神々と融合した後も付き従った彼の従属神達だ。
魔大陸で己とヴィダの子である鬼人族と魔人族を守護しながら傷を癒すザンタークの前に現れたファーマウンは、言い訳をせずに『すまない、俺が間違っていた!』と土下座した。
その後頭部に、ザンタークの従属神や鬼人族や魔人族は必殺の一撃を叩き込んだ。情けも躊躇いも無く、怨敵を抹殺する絶好の機会を逃すものかと、攻撃を繰り返したのだ。
それを微妙に止めたのが、ザンタークだった。
自らも邪神悪神と融合して戦線から離れるまでベルウッドの主張が正しいと考えていた事、何より自分が選んだ勇者であるファーマウンを導けず過ちを正せなかった自分にも責任がある。だから一人百発までにしろ。そう従属神達を説得したのだ。
結果、ファーマウンはザンタークの従属神とその一族全員に百回ずつ攻撃されて、やっと戦力として受け入れられたのだった。
「しかし、何でアルダはあんたを放っておく? あいつ等から見りゃあ、あんたは立派な裏切り者だろ? ザンタークと一緒になんたらって悪神と戦ったんだから」
元勇者の英雄神を倒して封印するような余力が無かったとしても、神託を下してファーマウンを裏切り者であると人間達に教え、信仰する事を禁止すると宣言するぐらいやりそうなのにと、ドルトンが胡乱気な視線を向ける。
『それはな、俺が今も火属性の管理をやっているからだよ。俺と俺に着いて来てくれる従属神を排除したら、いよいよ世界がヤバイから、排除したくてもできない』
既に余裕の無いアルダ陣営は、ファーマウンの様な大物は裏切り者であっても簡単に排除できないのだった。
アルダ陣営にはファーマウンについて行かず残った火属性の神もいるが、彼等だけではファーマウンの替わりは務まらない。
そこまで分かっていて、ファーマウンはアルダ陣営から堂々と離れたのだ。
『その時ナインロードも誘ったけど、あの時は『やり直すにはもうすべてが遅すぎる』って言われてな……。
それは兎も角、依頼は受けてくれるのか?』
ザンタークに倣って百回でファーマウンを許す……認める事を了承し、一撃目を繰り出す前にシュナイダー達は彼からある依頼を持ちかけられていた。
「ヴァンダルーへの仲介か。まあ、やるしかないよな」
この魔大陸に来た理由、『時と術の魔神』リクレントからリサーナが受けた神託。その意図は、邪悪な神二柱と融合した事で精神が変容し、連絡が取れなくなったザンタークへの連絡を頼みたかったらしい。
それはもう終わったのだが、次は魔大陸からまだ動けないザンタークと、そして境界山脈の結界に入れないファーマウンの事を、ヴァンダルーに伝えに行かなくてはならない。
境界山脈内部がどうなっているのかまでは流石のシュナイダーも知らないが、ファーマウンは五万年前と同様現在も敵として認識されている事が確実だからだ。
「なら、まぁやってみるよ。尤も、俺もまだ会った事が無いが。それにバーンガイア大陸に戻ってから色々と準備しなきゃならねぇから、一年や二年はかかると思うが」
境界山脈を越えて、シュナイダーがヴァンダルーと合流する。アミッド帝国と、そして原種吸血鬼ビルカインにとって悪夢そのものだ。
その気配を感じ取られたら、全力で妨害してくるだろう。シュナイダーが秘密裏に保護しているヴィダの新種族の集落を警告代わりに襲撃して、身動きを取れなくしようとするぐらいは確実にする。
「こんな事なら『邪砕十五剣』、しっかり潰しとけばよかったな」
「いやいや、彼等もしたたかですからな。私達が潰そうとしても捕まらなかったでしょう」
「秘密部隊だからね。常に散らばっているから、頑張って追い詰めても一人倒せるかどうかだし。あいつらを倒す時は、向こうから仕掛けて来た時に返り討ちにするしかないんじゃない?」
ドルトンやゾッド、メルディンが『邪砕十五剣』について口々に言う。
『とにかく、頼めるなら有りがたい。……後、もう一つ伝言を頼まれて欲しい』
「何? 百回あんたを殴って良いって事?」
リサーナが尋ねると、ファーマウンは首を横に振った。
『百回殴るのは、悪いが後にしてくれと伝えて欲しい。……あいつ、魂や御使いを『砕ける』からな』
冒険者ギルドが今までした事も含めて、ヴァンダルーから良い印象を持たれていない自覚のある彼は、流石に百回も魂を砕く攻撃に身を晒す勇気は無かったようだ。
『……あの、我もついて行かなきゃ駄目か?』
それを我が身で味わったルヴェズフォルは、いっそこの場で封印された方がマシなのではないか? そう思っていた。
「おう、封印するのが面倒だからついてこい」
『我、終わった……』
そう思ったルヴェズフォルだったが、彼を拾う神がいた。
『いや、まだ説教が足りぬから置いていってくれぬか。妾がしっかり管理するゆえ』
竜人の片親、ティアマトである。ルヴェズフォルにとっては裏切った元同族の中でも上位の存在であり、彼にとってはゾッドやリサーナ同様あまり話したい相手ではないが、この時ばかりは感謝した。
「そうか? まあ、あんたなら万が一こいつが元の力を取り戻しても大丈夫か」
『うむ、そのヴァンダルーがここに来たら、その時改めて引き渡そう』
『……我、やはり終わった』
事態は急展開したが、最初はマイルズにとって順調に進んでいた。
始まりは、彼が派遣されたレジスタンス組織『サウロン解放戦線』にとって重要な内通者、クオーコ・ラグジュ男爵の亡命だ。
オルバウム選王国とのパイプが細くて不安定な『サウロン解放戦線』としては、仮にも貴族であるクオーコとその家族や家臣の亡命は、少人数とはいえ簡単に請け負えられる案件では無い。
しかしゴブリン等の魔物の霊と干し首を材料に使用した死属性魔術の通信機でヴァンダルーやチェザーレに連絡をとったところ、本人の意思次第だがタロスヘイムに来てもらう事になった。
まだ本人に確認していないが、クオーコの性格なら彼一人でもシロップの生産者がいるタロスヘイムに移住する事を希望するだろう。そして、亡命が認められるか分からないオルバウム選王国に送るよりもイリス達も安心できる。
ただ、その為に通信機に込められた魔力がほぼ底を突いてしまったのは誤算だった。死属性の魔力は作成者のヴァンダルーかレギオンでなければ通信機に供給する事が出来ないため、通信機は今ただの干し首だ。
思えば、これが失策だったかもしれない。
次に、秘密裏に脱出した彼の家族を受け入れ、その後極少数の家臣と抜け出して来たクオーコと合流した。その際、クオーコから『邪砕十五剣』が動いている事を知らされた。
クオーコも本来ならもっと早く知らせたかったのだが、既に下部組織の『柄』がサウロン領内に入っており、下手に動けなかったのだ。
幸いまだ時間があったので、組織のリーダーであるイリス・ベアハルトは組織のメンバーを元スキュラ自治区に在るアジトの、更に後方に集めた。
リーダーのイリス個人の実力も以前より数段高まり、ハッジ達リビングアーマーを纏った【アーマーテイマー】で構成された精鋭部隊、協力を取り付けたサウロン領のグール達。そしてマイルズもいるため、『サウロン解放戦線』の戦力は充実している。
しかし、全員がA級冒険者並の猛者揃いの『邪砕十五剣』を相手にするのは心許ない。
そのため、ヴァンダルーが設置したモノリスやストーンサークル等によって『サウロン解放戦線』のメンバーが案内に着いて居なければ侵入困難な迷路と化している元スキュラ族自治区に立て籠もる事にしたのだ。
既に魔道に導かれているイリス達には、モノリス等の効果がどんなものかいまいち分からなかった。しかし、それらを見た敵が何故か次々に正気を失う事、そして設置物自体が実はゴーレムであるため、侵入者用のトラップとして大いに有効である事は認めていた。
因みに、クオーコやその家族を保護する時は万が一にも発狂されたら困るので、目隠しをしてもらった。
幸い、ヴァンダルーが近日中に来る事は分っている。だからそれまで籠城して持ちこたえる事は難しくない。
そしてヴァンダルーがやって来たら事情を話し、ほとぼりが冷めるまで組織を引くか、それとも派遣された『邪砕十五剣』と戦うか、決断を仰ぐ事に成るはずだった。
「……正直甘く見ていたわ」
自分の血で紅く染まった唇を自嘲気味に歪めて、マイルズはモノリスやストーンサークルを破壊して突破してきた三人の襲撃者を睨みつけた。
「おいおい、俺達のセリフを取るなよ、吸血鬼」
切れ長の目をした、長身のエルフの男。五剣、『五頭蛇』のエルヴィーンが、マイルズの鋼の様な肉体を抉った鞭を見せつける様に撓らせて、言った。
「ユニークスキルかマジックアイテムの効果かは兎も角、まさか昼間も動き回れる貴種吸血鬼なんて変わり種がいるとは思わなかった。……まさかこいつがダンピールの父親か?」
「それについては報告したはずだけど? ブブブ……私の蟲が信じられないと? あと、父親では無いらしいわね。ボスって呼んでいるから」
フード付のローブを着て頭から爪先まで隠している、怪しげで年齢性別不明の人物、十五剣『蟲軍』のベベケットが、不満を露わにする。
しかしエルヴィーンは「当たり前だ」と哂いながら言った。
「お前じゃなきゃ扱えない蟲をどうして俺が信じられる? 寧ろ報告を聞いた時は、遂に脳みそを蟲に食われたか思ったぜ」
「ブブッ……!」
険悪な雰囲気に成る二人に、三人の中で唯一騎士らしい格好の男が割って入った。
「エルヴィーン殿、ベベケット殿、本題に入ったらどうだ?」
オリハルコン製のアーティファクトの聖剣を下げた三剣、『光速剣』のリッケルト・アミッド公爵はそう言いながら、マイルズの周りの者達を目で指した。
「あまりのんびりしていると、その吸血鬼は兎も角。他は何人か話が出来なくなるぞ」
マイルズの周囲は、惨憺たる光景が広がっていた。
ハッジ達は武器を杖代わりにする等して何とか立っている状態で、中には倒れたまま動かない者も少なくない。その中にはイリスの父、ジョージ・ベアハルトに恩義を感じてレジスタンスに参加した元傭兵、デビスの姿もあった。
そしてリッケルト達の背後では、少なくないレジスタンスやグール達が倒れ伏していた。一応手加減されたのか、まだ息がある者が多いが、中には見ただけでは生死が分からない者も居る。
「彼女達は話せなくても、問題は無いと思うが」
リッケルトが視線を向けたのは、クオーコと彼の背後で夥しい血を流して立ち上がれない『解放の姫騎士』イリスだった。
「その本題とやらが、私の身一つで見逃してくれると言うのなら、かはっ……」
「イリス殿、体力の無駄だろう。奴らにとって我々の首を持ち帰る事は、決定事項の様だよ」
あのシロップは諦めなければならないかなと思いながら、クオーコが片手に剣を構え、もう片方の手でイリスに戦闘中に渡されていたブラッドポーションをかける。
しかし、イリスの傷は殆ど治らなかった。
「無駄だ、我が聖剣ネメシスベルはあらゆる邪悪を許さん。光と生命の属性魔術による治癒を阻害し、対魔王の欠片そして対吸血鬼……吸血鬼の不死性を無効にする効果を持つアーティファクト。この聖剣で受けた傷は、その見るからに危険なポーションでは治せない」
逆にいうとそれ以外は凄く硬くて切れ味が良いだけの聖剣で、ベルウッド由来の品であるという伝説があるため権威付けの意味でマシュクザールからリッケルトに貸与されたものなのだが、今回の任務では存外役に立っていた。
今も【魔王の欠片】と半吸血鬼であるヴァンダルーの血液から製造されたブラッドポーションは、ネメシスベルで付けられたイリスの傷に効果を殆ど発揮していない。
「これは……占領軍から抜け出す時、軍需品のポーションを持ってくるべきだったか」
「いまさら言っても仕方ないわよ、クオーコちゃん。それよりも、本題って何かしら?」
危険を知らせるユニークスキル【警鐘】の効果で自分にだけ聞こえる鐘の音の大きさを確認しながら、マイルズが三人の中で主導権を握っているらしいエルヴィーンに聞き返した。
「ああ、簡単な事だ。お前等の黒幕……ヴァンダルーって言ったな。そいつに、ごっこ遊びを止めて帝国に降れって話を持ってきた」
「……なんですって?」
エルヴィーンが語った本題に、マイルズは胡乱気な顔をして聞き返した。思わず、聞き間違えたかと耳に手を添える。
「聞こえなかったか? そこの裏切り者がもう喋っただろうが、俺達は『邪砕十五剣』。帝国の配下に降るなら、命は助けてやるって皇帝陛下直々の提案をヴァンダルーってダンピールに伝えに来たんだよ。
っで、ヴァンダルーは何処にいる? それともまだ来てないのか?」
エルヴィーン達は今もイリスに寄生しているベベケットの蟲によって、ヴァンダルーが今日来る予定である事までは知っていた。しかし、今日の何時来るのかは「飯時前に来る」としか分らなかった。
そのため先手を取り、有利な状態で話を進める……決裂した場合も確実に始末するために、やや早めに襲撃を開始した。その時もダンピールが混じっていないか注意していたし、十一剣『王殺し』のスレイガーと『柄』が警戒しつつ待機している。
だが出て来る事も無く、逃げた様子も無いので、まだ来ていないのだと判断して尋ねたのだが、尋ねられたマイルズや、クオーコを除いた意識のある者達は、イリスすら驚きに目を見開いた。
(こいつ等、これで交渉するつもりだったの!?)
問答無用で強襲を仕掛けて来て、重傷者多数。死者も出ているかもしれない。しかも、最低限イリスとクオーコは殺すと宣言。
これで話し合おうとは、理解不能だ。
(いや、それほどおかしくは無いわね)
しかし、マイルズはすぐエルヴィーン達、そして彼等を差し向けて来たアミッド帝国の皇帝マシュクザールが何を考えているのか察して、驚きから立ち直った。
「なるほど……グールやアンデッドを使って力を振り回して危ない王様ごっこをしている『ガキ』を、自分達で有効利用してやろうって事ね」
何の事は無い、マシュクザール達はヴァンダルーを完全に誤解しているのだ。特に、その人格を。
ヴァンダルーが主に境界山脈の向こう側に居るため調べられなかったという理由もあるが、今まで彼が起こしてきた事件の概要と、被った被害等を、体制側から分析した結果、彼を特殊な力を振り回す子供だと判断したのだろう。
だから 交渉とは名ばかりの脅しに屈すると考えたのだ。
マイルズはオルバウム選王国側の裏社会で活動していたのでそれ程詳しくないが、現アミッド帝国皇帝マシュクザールは、今までの歴史上に登場した為政者の中では賢い部類に入るだろう。
だが、やはり物の見方は偏る。複雑怪奇な王侯貴族の社会で生き抜き帝位についた彼に、ダンピールとして生まれたヴァンダルーの身になって考え本当の意味で理解する事は不可能だ。
(そう言うワタシも、ちょっと前まで『人間如き』って言ってた側だし、どんなに賢い奴でもボスが前世以前の記憶を持ったまま異世界から転生してきたなんて、直に会わなければ分からないし信じられないだろうから、笑えないけどね)
「そうとも。吸血鬼が何でダンピールをボスと呼んでいるのか不可解だが……っで、奴は何時来る? 来ないなら、奴がどうやって境界山脈を出入りしているのか話してもらおうか」
やはりマシュクザール、そしてエルヴィーン達はヴァンダルーの性格を完全に読み間違えているようだ。
「そうねぇ、出来ればもう少し待ってくれないかしら?」
だがそれで犠牲者を増やす訳にはいかないと、マイルズは時間を稼ごうとする。
「そうか、ならもう少し待ってやる」
そして意外な事に、エルヴィーンは待つ構えを取った。
「おい、リッキー坊や。その間に裏切り者と姫騎士の首を獲っておけ。もしどさくさに紛れて逃げられるか、自害した後死体を隠滅するようなマジックアイテムでも使われたら厄介だ。
それが終わったらお前は首を持って一足先に帰んな」
しかし、大人しく待つつもりは無いようだ。
坊や呼ばわりされたリッケルトはうんざりした様子で、しかし「分かった」と聖剣をイリスとクオーコに向ける。
表向きの任務でしかない『解放の姫騎士』の討伐と、ついででしかない内通者の始末。しかし、表に出来る成果が無ければ『邪砕十五剣』が出動しながら、世間の目から見ると失敗したという事に成ってしまう。
そのため、表向きの広告塔であるリッケルトがイリスと、そしてクオーコの首を持って帰る事は決定事項だった。
「っ! クオーコ殿、私が時間を稼ぐ。だから――」
「時間を稼ぐのはワタシの仕事よ」
重傷を負っていながら自分が身の安全を保障したクオーコを庇おうとするイリスを、更にマイルズがリッケルトの前に立ちはだかる事で庇った。
「……何のつもりだ? 退け、私の聖剣の前では貴様の不死性も意味を成さないぞ」
「そうだっ、マイルズ殿。ヴァンダルー殿から預かった貴方が私を庇う事は無い!」
「何でそこで同じ意見なのよ」
前後でリッケルトとイリスに退く様に言われたマイルズは、ますます激しくなる【警鐘】の音に眉をしかめた後、肉食獣のように牙を剥き出しにして笑った。
「ワタシはボスからあんたの力に成るようにって言われてここに来たのよ? そのあんた見捨ててどうするのよ! 寧ろ、見捨てて生き延びた後ボスに何言われるかって考えたら、死ぬより怖いわ!」
何せ死んだからと言って終わりでは無いのだ。あの上司の部下である以上、死ぬ瞬間まで死後の心配をしなければならない。
「確かに……」
「きっと、怒りはしないだろうが……」
「……死んだ後、地獄が天国に思える扱きが待ってるな」
「死後、だけにって?」
半死半生のハッジ達が、気力を振り絞って立ち上がる。彼等が纏うリビングアーマーも、『おおぉんっ!』と罅割れ欠けた状態で唸り声を上げた。
その様子を見たリッケルトは嫌な胸騒ぎを覚えた。
「その女は後半時も持たずに死ぬぞ。それでも庇うのか?」
そう事実を指摘するが、マイルズ達はだからどうしたと彼を睨み返すだけで揺るぎもしない。
「仕方ない、クオーコ殿は逃げてくれ。私は……リビングアーマーにでもしてもらおう。剣の父と、鎧の娘なら似合いだ」
イリスが血が足りず白い顔をしたまま微笑むのを見て、リッケルトの胸騒ぎは確信に変わった。
「エルヴィーン、ダンピールとの交渉は確実に失敗する。賭けてもいい」
「その時は始末するだけだ。お前がやらないなら、俺がやるぞ、首から上は傷つけないようにしてやるから、切り落とせ。
後お前等、まさか俺が何時までも甘い顔をして殺さないと思っているなら――」
「あ、終わったわ」
苛立った様子のエルヴィーンの言葉を、あっけらかんしたマイルズの声が遮った。
「ブブ、何? 諦めたの?」
交渉をエルヴィーンに任せていたベベケットが戸惑って聞き返すと、耳障りな鐘の音が止ってすっきりした様子のマイルズが言った。
「いやね、あんた達が終わったって言ったのよ。ねぇ、ボス?」
そのマイルズの言葉が何を意味するのかベベケット達が理解する前に、彼等の頭上に一切の前触れも無く大きな影が出現した。
レギオンと一緒にタロスヘイムから【転移】して現れたヴァンダルーは、こちらを見上げるベベケットやエルヴィーンの姿を瞳に映した。
そして彼の身体から爆発的な勢いで黒い魔力が溢れ出て、イリス達を包んだ。
・二つ名解説:勇者
異世界から来た者(召喚、偶然による転移、転生問わず)が神々と、大勢の人々(十万人以上)に認められる事で獲得できる二つ名。
かつて異世界『アース』から神々に招かれたザッカートやベルウッドが獲得したが、彼等は最初から神に招かれた存在であり、ラムダに降り立った時から人々に「神が召喚した勇者」として認め称えられた事ですぐ習得した二つ名である。
効果は、装備しているアーティファクトや所持しているユニークスキルの効果の上昇、上位スキルへの覚醒に必要な難易度の緩和等、既に勇者として相応しい存在でなければ意味が無い効果ばかり。
因みに、『迅雷』のシュナイダーや『蒼炎剣』のハインツ等、この世界で生まれ育った存在は幾ら神々と人々に認められても、この二つ名を獲得する事は出来ない。
異世界から前世以前の記憶を持ち転生してきたヴァンダルーの場合は、フィディルグやメレベベイルだけでは条件を満たせなかったが、境界山脈内部の神々と人々に認められた事で獲得する事が出来た。
主人公の台詞がなくなってしまいました(汗
11月1日に150話、11月5日に151話を投稿する予定です。




