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四度目は嫌な死属性魔術師  作者: デンスケ
第六章 転生者騒動編
157/514

百二十七話 未だ山は動かず

 聞くに堪えない断末魔の絶叫。

 オリジンでは幾つもの修羅場を潜り抜けて来た転生者達は、それを何度も聞いた事があった。

 だが、それでも神域に響いた【デスサイズ】の近衛宮司の絶叫はその転生者達も思わず耳を抑え青ざめる程の悲惨さがあった。


『もう少し上手く行くかと思ったが、妥当な結果ではあったな』

 砕け散り、光の粒子と成って消えていく宮司を一瞥したロドコルテは、【千里眼】の天道達也に対して強制的に供給していた魔力を止める。

 途端天道はよろめき、彼が倒れる前に慌てて浅黄と赤城が支えた。


 そして、赤黒い血の涙を流すヴァンダルーの瞳が映っていた映像が途切れた。


『おい、宮司は……死んだ、のか?』

『な、何で? ここは神域っていう特別な場所だから、あいつのっ、ヴァンダルーは僕達に手出しできないはずじゃなかったのか!?』


 緊張の糸が切れたのか転生者達が、【マリオネッター】の乾初や【ヴィーナス】の土屋加奈子が特に大きく動揺し騒ぎ出す。


『も、もう終わりだっ! 僕はまた殺されるんだっ!』

『ね、ねえっ!? あたしは平気ですよねっ!? 殺されないよね!?』

『お、俺が知るか! お、おおーいっ! 俺は無関係だぞ!』

『落ち着けお前等っ! もう天道の【千里眼】は切れてる! 向こうもこっちを見られなくなってるはずだ!』

 大声で浅黄が怒鳴り、表面上の動揺を抑える。実際、消滅したのは近衛宮司ただ一人。天道が消耗しているのも、ロドコルテが強制的に魔力を流し込んで【千里眼】を使わせ続けた精神的なショックと疲労によるものだ。


『もう動けるかい?』

 【オラクル】の円藤硬弥に声をかけられた泉と亜乱は、大きく息を吐いた。

『ええ、もうロドコルテは何もしてないからね。ふぅ、胆が冷えたわ』

『それより、何のつもりか説明して貰えるよな!?』


『ん? システムのメンテナンスをしながらで良ければいいだろう』

 近衛宮司の魂が砕かれた事で若干のエラーが発生したため、輪廻転生システムのメンテナンスを始めたロドコルテは亜乱達に視線を向けないまま説明を始めた。


『どうやら、ヴァンダルーは目……視覚を介する、又は発動条件とする能力の効果をそのまま相手に跳ね返す特殊なスキルを獲得していたようだ。それによって【千里眼】を見つめ返す事で私の神域内部の様子を確認し、生物の体内の運動を止めるためには対象の顔を視認する必要のある【デスサイズ】の力を跳ね返して、近衛宮司を滅ぼしたのだろう』

 あの時原種吸血鬼の【破壊の魔眼】を跳ね返したのも、そのスキルの力だったかとロドコルテは一人納得する。


『ちょ、ちょっと待って! じゃあまさか、これから私達が『ラムダ』の人達の視覚を通じて彼を見るたびに、攻撃される可能性があるという事なの?』

『それにっ、俺は何で無事なんだ? いや、効果を跳ね返すってスキルなら何で宮司は死んだんだ? 今の俺達は魂だけで、心臓も肺も無いはずだろ?』


 続けざまに質問を飛ばしてくる泉と天道にも、ロドコルテは淀みなく答える。

『御使いである君達の視線に気がつく事は無いだろう。どうしても気に成るというのなら、人間の現在の視覚からでは無く、過去の記憶から見ればいい。

 今回ヴァンダルーが私の神域を見る事が出来たのは、神域内に存在する天道達也の【千里眼】の効果を跳ね返したからに過ぎない。【千里眼】は私が与えた力だが、あくまでも人間に使えるように加工した力でしかないからだ』


 こうなると、【千里眼】での情報収集は避けた方が良いだろうな。そう思いつつ、返答を再開する。


『次に心臓も肺も無い魂だけの近衛宮司が消滅した理由だが……君達に分かり易く説明すると、ヴァンダルーによって跳ね返されたダメージが彼の生命力、最大ヒットポイントを上回ったからだ。

 ヴァンダルーは意識してか無意識かは不明だが、心肺を止める効果では無く心肺を止める事で受けるダメージそのものを跳ね返したのだろう』


『さ、最大ヒットポイント?』

 あまりゲームの類はやらなかったのか、質問した天道を含む何人かが面食らった顔をした。

『『地球』や『オリジン』には無いけど『ラムダ』では現実に存在する概念だから、馬鹿にしないで聞いて』


『それは分かったけど……俺達は魂なんだよな? それがダメージを返されただけで砕け散るのは納得がいかないんだが』

 そう質問した浅黄は、精神や魂には肉体と違って不可侵な、より強靭なものであるというイメージを持っていた。しかしロドコルテに言わせると別の様だ。


『肉体が無い状態だから、魂に直接ダメージが入ったのだ。自覚が無いようだが、君達の状況は殻の無い貝に等しい。

 それでも私が多少守っていたのでヴァンダルー一人分のダメージなら耐えられていた。しかし、彼以外の者まで攻撃したのが致命的だったな』

 ヴァンダルー一人分なら【対敵】スキルの効果でダメージが増えていても耐えられたが、そこにザディリス達三人分のダメージが加えられた為耐えられなかったようだ。


 そう答え終わる頃には、メンテナンスも終わっていた。ロドコルテが対処に慣れた事だけでは無く、近衛宮司の魂を通常の輪廻転生から外しており、まだ転生先の候補はあっても決定はしていなかった事が幸いしたようだ。

 どちらの問題も解決したとロドコルテが視線を転生者達に戻すと、疑問が解けたはずの転生者や御使いの泉や亜乱までもが血の気が引き、強張った顔つきで彼を見ていた。


『つまりあなたは殻の無い貝類同然の宮司に、攻撃をさせた。しかも、途中でヴァンダルーの奴が反撃している事に気がついていたのに忠告も止めもしなかった、と?』

『その上、宮司を守護してたんだよな? だったら宮司の奴を助けられたんじゃないのか? 守護をより強固にするとか、庇うとかして。それをしなかったって事は……見殺しにしたのか?』


 お前が殺したも同然だと、責めるような様子の泉や浅黄にロドコルテは答えた。


『その通りだが、それがどうかしたのかね?』


『『『!?』』』

 事も無げに答えたロドコルテに対して、転生者達に戦慄が走った。


『あ、あんたっ! 僕達に簡単に減って欲しくないって言ってたじゃないか!』

 乾初が蒼白に成った顔で叫ぶが、ロドコルテとしては当然の事だ。

『そうだ。彼はその全存在と引き換えに、ヴァンダルーの力の一端を我々に教えてくれた』

 ロドコルテにとって転生者達は、何が何でも守るに値する存在では無い。彼等は目的を達成するために集めただけの存在であるから、目的の為に使うのが当然だ。更に、それぞれの有用性によっても異なるが中には「捨石として役立つなら構わない」程度の者もいる。


 今叫んでいる乾初や、近衛宮司の様に。

 彼の【マリオネッター】は強力だが、【デスサイズ】同様に死属性魔術を操るヴァンダルーとは相性が悪く、単独では刺客としてはあまり期待できない。

 そして世界を発展させるという本来の目的への有用性も、ほぼ無い。彼の知識程度なら、他のどの転生者でも代わりが出来るからだ。


 強い魔物を狩るだけでもそれなりに役には立つ。だが、その程度なら『ラムダ』の現地人に加護や能力を与えれば十分可能だ。それに、法命神アルダを初めとしたラムダの神々もその程度ならやっている。

 手間をかけた転生者が行う事としては、ロドコルテから見ると物足りない。


 そんな時に、【千里眼】に便乗する形だったが自分からヴァンダルーの抹殺に挑戦すると言い出したのだ。乗らない理由が無い。

 成功すれば儲けもの、万が一失敗してもヴァンダルーの力の一端を観測できる。

 そのつもりだったが……実際には万が一の成功率だったようだ。


 因みに、近衛宮司を助けようと思えば助けられたのも本当だ。何時でも止めさせる事も出来た。近衛宮司が魂だけの状態で【デスサイズ】が使えたのは、ロドコルテ自身の許可と魔力があったからなのだから。

 だがそのまま続けさせればヴァンダルーを殺せるかもしれない可能性があったので、ロドコルテは止めなかった。


 守護に割く力をあれ以上に強くすると逆に宮司の人格や記憶が壊れる可能性が高かったが、身を挺して庇う事は出来た。その結果ダメージを代わりに受けても、恐らく人間で言えば小指を折られる程度で済んだだろう。致命傷には程遠い。


 しかし、近衛宮司に小指一本分の価値があるとロドコルテは思わなかった。自分が受けるダメージが本当にその程度で済む確証も無く、また魂一つ程度の消滅ならすぐに対処できるようになっていたためだ。

 転生者は残り九十五人も、そして魂は管理する世界全体で何百、何千兆……数え切れないほどあるのだから、システムの運用に問題無いならたった一つを惜しむ価値は無い。


『では、今手に入れた情報を元に引き続きどの選択肢を選ぶか考えて欲しい。ここで有効に使えるかは個人差があるだろうが、全員能力を使用可能にしておく。それも使って考えてほしい。魔力は自前の物を使ってもらうので、限りがあるだろうが』

 絶句している転生者と御使いをその場に残して、ロドコルテは作業と思索に戻った。


(尤も、今回の一件のお蔭でヴァンダルーを殺す以外の選択肢は取り辛く成っただろうが)

 今回の件は、彼にとって思いも寄らない幸運だった。【デスサイズ】の近衛宮司が行った攻撃により、ヴァンダルーが転生者達を敵だと認識した事は想像に難くないからだ。


(あのヴァンダルーの凶暴性ならば、【デスサイズ】一人の暴走とは考えまい。考えたとしても、止められなかった以上同罪と見なすはず。その事は私が告げずとも、転生者達は自力で気がつくはずだ)

 これで刺客以外の選択肢を選ぶ者は減る。特に、転生後裏切ってヴァンダルーの元に走る者は皆無だろう。


 そして、転生者が敵に回れば回るほど、後に『オリジン』から転生してくる転生者は、ヴァンダルーと敵対せざるをえなくなる。出来れば、その前にヴァンダルーには死んでほしいものだが。

『丁度ヴァンダルーの警戒心が緩んだ頃に、彼等の答えも出るだろう』




 一方、その頃ヴァンダルーは【魔王の墨袋】を発動して、タロスヘイムの王城の一番高い場所に在る屋根をペイントしていた。

「思ったより時間がかかりますねー」

 【装蟲術】で装備している蟲の羽でホバリングしながらの作業なので作業効率は悪くない。悪くないが、やはりヴァンダルーに対して屋根の面積が広すぎるようだ。


『ヴァン君、病み上がりなんだからさー。何ならアタシも手伝うし……教えてくれたらだけど』

 スキュラ生まれの水属性のゴーストであるオルビアは、ヴァンダルーが塗り終わった部分を見ながら若干自信なさそうに言った。

 そこは網膜に突き刺さる程刺激的な色遣いで、名状しがたい何かが描かれていた。


 一見しただけではただの抽象画だ。しかし、よく見ると配色を原色に入れ替えた風景画にも曲がりくねった線で人を表した人物画にも見える。

 そして見つめているだけで何故か安らぎを覚える。オルビアにはそんな絵に見えた。


「そうですね……【精神侵食】スキルが自分以外の人に作業を頼んでも効果を発揮するようなら、頼みます」

『【精神侵食】って、何なのこれ? アタシはてっきりヴァン君がファーストキスに浮かれて、奇行に走ってるんだと思ってたのに』

「うわぁ、酷い誤解ですね。後、ザディリスは人工呼吸してくれただけです」


 人工呼吸はキスに入らない。特に、金属の筒で肺に直接空気を送り込む方式の人工呼吸は。


「これは、【千里眼】対策です。視る者の精神をちょっと蝕みます」

 【デスサイズ】の近衛宮司の魂は砕いたので、今ロドコルテの手元にいる転生者では【千里眼】を通して攻撃する事は出来ないだろう。

 だが、攻撃は無くても敵の情報収集を放置しておく理由は無い。

 そのための精神攻撃用トラップである。


「まあ、神域からの【千里眼】が上から見下ろしてくると言う確証は無いんですけどね」

 神の視点からの【千里眼】で、昨夜も上から見下ろしていたようだったので、とりあえず上からだろうと思っただけだ。

 ……実は正解だったりする。


『そうなの? 確かに変わった絵だけど……アタシは嫌いじゃないけど』

 しかし、絵を見ているオルビアは絵のトラップとしての効果に疑問があるようだ。だがそれで成功なのである。

「ええ、【魔道誘引】や【導き:魔道】の効果を受けている人には効果が無いように描きましたから」


 絵の方も描いているのは王城の一番上の屋根なので、空から眺めない限り目に入る事は無い。しかし、タロスヘイムには空を飛ぶ者達が多い。

 オルビア達ゴーストやプテラノドンゾンビ、セメタリービーが王城の屋根を見るたびにポトポト落ちたら問題だ。


『じゃあ、町を囲む城壁の形を変えてるのも、【千里眼】対策?』

 ヴァンダルーが魔術で音を消しているので静かだが、肉体から出た霊体の分身ヴァンダルーが城壁の配置を、今までの円形から変えている。

 壁を付け足し、新しく見張り塔を建てている。


「はい。あっちは【ゴーレム錬成】でタロスヘイムを囲む城壁を巨大なストーンサークルに見立てて、【精神侵食】スキルの効果を持たせる試みです」

 絵だと塗料の【魔王の墨袋】が剥げると効果が無くなるが、建造物の配置や構造なら破壊されない限り効果は失われない。


 絵よりも更に上空から見ないと効果が発揮されないが、相手は神域から覗いてくる【千里眼】だ。問題無いだろう。

「でも、効果を絞るために必要な作業が増えて……とりあえず、残りはサウロン領から帰ってからにしましょうか」

『うんうん、それが良いよ』


 後日、それまで石材の色だけだったタロスヘイムの王城は芸術的に仕上げられ、外見上の特徴に乏しい城壁は前衛芸術風の外見に配置され直したという。




《【精神侵食】、【ゴーレム錬成】スキルのレベルが上がりました!》




 クオーコ・ラグジュ男爵は、難しい顔をしようと努力しているつもりなのだろう。

 実際、イリスは彼の努力を眉間の皺に見る事が出来た。……頬が興奮で赤く染まっていて、鼻がピクピクと動き、期待で口内に溢れる唾液を何度も飲んでいる様子だったので、努力は全く実っていなかったが。


「イリス・ベアハルト殿。私の立場も……分かって頂きたい。とても……とても難しい立場に、私は置かれているのだよ」

 やや四角い輪郭で、生え際が後退気味だが十分整った顔立ちと言えるクオーコの抑えられた声とギラギラと欲望を湛える瞳を向けられた彼女は、「勿論です」と頷いた。


「クオーコ殿の尽力と誠意は、我々『サウロン解放戦線』の皆が理解しています。貴方のような理解あるアミッド帝国貴族の協力を得られた事は、幸運以外の何物でもありません」

 クオーコ・ラグジュ男爵は、オルバウム選王国や今は無きサウロン公爵配下の貴族では無かった。サウロン公爵領を侵略し、今も占領しているアミッド帝国から派遣された貴族の一人である。


 ラグジュ男爵家は新興の家で、冒険者だったクオーコの祖父が功績を認められ、直系の血筋が途絶えていた男爵家の遠縁に当たる別の貴族家の養女を妻に娶る形で復活させた家だ。

 それだけに『迅雷』のシュナイダーという特異点的な例外を除き、未だに権威主義の強い帝国では「冒険者上がり風情の血筋」という悪評に本国では悩まされている。


 しかも祖父の代から続くラグジュ家の悪癖によって、軍閥系貴族でもないのにオルバウム選王国との最前線であり、未だ占領政策が安定しないこのサウロン領に一族ごと飛ばされてしまった。

 そんなクオーコだが、レジスタンスである『サウロン解放戦線』に協力するのは別に帝国に叛意を抱いているからでは無い。


 彼等の一族に脈々と続く悪癖。それが理由だった。


「未だ正式に騎士叙勲も受けられぬ身ですが、必ずやラグジュ男爵家の存続は選王国政府に約束させてみせます。私の身命にかけても」

「いやいや、勿論イリス殿達を疑っている訳では無い。本来なら秘密である正体を私に教えてくれたのも、信頼の印だと思っているとも」


 「だが」と、クオーコは続けた。

「信頼と絆は、誠意ある交流の繰り返しによって培われる。そうですな?」

「……勿論、分かっております」

 イリスは目を伏せると手をベルト――に付けられたホルダーに保持された、陶器製の小瓶に伸ばし、それをテーブルに置いた。


 通常ならそこはポーション等を納めて置く場所なのだが、小瓶の中身は当然ポーションでは無い。

「おおっ、これだ、これっ!」

 もう堪えられないと、飢えた獣の様にクオーコが小瓶に手を伸ばしてそのままコルク栓を抜き、中身を手に垂らす。


 ぽたぽたと垂れる粘液質な濃い琥珀色の液体に、彼は感嘆の声を上げた。

「おおっ、この色っ、この香りっ、辛抱堪らん!」

 そしてなんと、その液体を舌で舐め取った! 普通なら貴族家の当主が口にする前に毒見役がまず毒見するのだが、クオーコは【毒耐性】スキルを高レベルで持っているため、躊躇いが無い。


 そして舌を蕩かすような甘みと鼻腔を満たす豊かな香ばしさのあまり、クオーコは陶酔を露わにする。もう口の端から涎が垂れているのも気にしない。

「素晴らしい……エントの樹液から精製されるエントシロップは幾度も口にしてきたが、これは正に別格。濃厚な甘みに滑らかな喉越し、そして芳醇な香り。正に、天上の甘露っ!」


「……気に入っていただけたようですね」

 若干呆れながら、イリスは帝国では家を傾けるほどの美食家で知られたラグジュ男爵家当主を見つめた。

 クオーコの祖父が冒険者に成ったのは、「美味い物が食いたい!」と言う実にシンプルな動機だった。そして、その食欲と美食に対する情熱は法衣男爵と成ってからも子々孫々衰えず、クオーコの代で遂に借金を繰り返すまでになった。


 普通なら領地も無く役職にもついていないラグジュ男爵家のような弱小貴族が借金漬けになったら、再び取り潰しになる。しかし、クオーコは祖父程ではないが武勇に優れ、しかも腕利きの私兵団を抱えているうえ、冒険者達とも密接な付き合いがある。


 一見すると頭の硬そうな官僚貴族のような印象のクオーコは、実際には相手の地位に拘らない気さくさがあり、権力闘争に一切関わりが無く美食にしか興味が無い為陰謀とは無縁の人物である。

 そのため私兵団の仕事は魔境やダンジョンで美味い魔物や産物を獲って来る事や、遠方への食材の買い出し。冒険者への依頼も食材の調達ばかり。


 一生を捧げると苦労するが、一時期雇われる分には気安い雇い主。それがクオーコなのだ。

 そのため、借金の免除と引き換えに私兵団と共にサウロン領に一族ごと赴任させられたのである。


 その美食の為なら国も捨てる男爵をヴァンダルーから供給される援助物資で誑し込む事に成功したのは、確かに幸運だった。

(毎回このやり取りをするだけで、それなりに情報が手に入るのだから。少し、疲れるが)


「このシロップを詰めた瓶を部下に持たせてあります。我々から男爵への、感謝の印です」


「ああ、イリス殿、相変わらず貴殿がもたらす食材は素晴らしい。だが、一体何処でこれほどの物を? このシロップはエントの上位種であるトレントから採れる物よりも更に上質だ。だがグレートトレントの物とは、香りが異なる。『サウロン解放戦線』では、新種か変異種のエント系魔物をテイムしているのか?」

 だがクオーコもただの美食馬鹿ではない。イリス達『サウロン解放戦線』がこのエントシロップ……実際には、スクーグクローのアイゼンの樹液(血液)を精製した物……を供給できることに疑問を持っているようだ。


「申し訳ありませんが男爵、まだ我々の絆はその秘密を共有できる程深くは無いかと」

(この男爵は、タロスヘイムへ移住できるなら喜んで帝国に反旗を翻しそうだが……私が勝手に決める事では無いからな)


 クオーコはイリスの返答に苦笑いを浮かべると、懐から取り出した紙に書かれた暗号文を彼女に見せた。

「淑女に秘密を明かせと迫るのはマナーが悪かったか。これが占領軍の輜重隊のルートだ。何時も通り、この場で覚えて行きたまえ」

 こうして占領軍の情報はシロップの代価として売られるのだった。




「そのクオーコって男爵、ルチリアーノと通じるものがありますね。優先する物が違うだけで」

 カレーをじっくりコトコト煮込みながら、『サウロン解放戦線』のスポンサーであるヴァンダルーはクオーコ・ラグジュ男爵をそう評した。


「はあ、陛下の直弟子の方ですか。私は彼をあまり知らないので何とも言えませんが……そんなに変な……凄い方なのですか?」

 横でサラダにするための葉野菜を刻みながら、イリスがやや困惑した様子で聞く。


 内通者との取引を終えたイリスは、援助物資を持ってきたヴァンダルー達とアジトで合流し、お互いに情報を交換。この後の予定をざっと話し合い、そのまま「じゃあ遅めの昼ご飯を食べましょう」という事に成ったのだ。


 昼ご飯は重要である。一杯のカレーだけで、ハッジ達アーマーテイマー部隊の士気を保つ事が出来るのだから。

「凄いというか……既に変人の域です」

「では、確かに男爵とは気が合うかもしれませんね」

「確かに、それなりに食にも興味があるようでしたからね。じゃあ、そろそろ配りますか」


 イリス達が見ている前でヴァンダルーの身体から霊体が抜け出て、次々に分裂していく。無数のヴァンダルーが木の皿にカレーライスを盛り、並べた席に配膳していく光景は圧巻である。……深夜には見たくない光景だが。

「多分、ブラウニーが本当にいるなら、きっとボスみたいな妖精よね」

 サラダの盛り付けを手伝うマイルズがそう評すほど、ヴァンダルーの手並みは優れている。


 家人が寝ている間に家事を手伝ってくれる妖精ブラウニー。基本的にはレプラコーン等と同じ迷信、童話扱いの存在だが、流石にヴァンダルーと似たような存在ではないだろう。


『俺だったらミルク一杯では働きませんよ』

 そんな労働条件で働くのは御免だという意味で言い返すヴァンダルー。

「確かに、陛下はミルク一杯も受け取っていませんね」

 だが、イリスは逆の意味で受け取ったようだ。


「確かに、欲が無さすぎですぜ」

「そうそう、何でサウロン領を征服しないんですかい?」

 それにデビスやハッジが頷く。


『えっ? そっちの意味ですか? 後、イリス達は俺の部下でも無いのですから陛下と呼ばなくて良いですよ。ヴァンダルーさんと呼んでください』

 流石にいきなり呼び捨てにされたら傷つくので、さん付けを希望するヴァンダルー。しかし、イリス以下この場にいる全レジスタンスに「とんでもない!」と拒否された。


『……じゃあ、呼び捨てでいいです』

「何故そうなる!? あなたは自分がどれ程の事をしているか分かっているのか!?」

『資金と物資と戦力の援助と、美味しいカレー作り』

 タロスヘイムでほぼ作り終えた状態のカレーを、【鮮度維持】で保存しておいたので一晩煮込んだ熟カレー。サウロン領でこれを食べられるのは、イリス達だけだ。


「それは本当にありがとうございます。ですが、改めて考えて欲しい。陛下が援助した資金と物資、そして戦力の価値を!」

『いや、解っていない訳では無いのですけどね』


 『サウロン解放戦線』にヴァンダルーは過剰なまでの援助を行っている。現在サウロン領で流通しているアミッドは無いが、金銀宝石類による資金援助。ハッジ達元偽レジスタンスをダンジョンで鍛え抜き、偽装済みの冥銅製リビングアーマーを人数分与え、更にランク9の深淵種吸血鬼マイルズを派遣する戦力援助。

 他にも通常の鉄や黒曜鉄製とは言え上質な武具に、カレー等の食料、生活必需品の物資援助。クオーコを籠絡できたのも、これのお蔭だ。


 それらの総額を市場価格で換算すると総額幾らになるのか……レジスタンス組織に対する援助としてはあまりに過剰だ。それを占領軍が知れば、『サウロン解放戦線』の実態はヴァンダルーの私兵団であると確信するだろう。

 それ程の援助をしておいて対等な関係を維持しようとするヴァンダルーの方針の方が奇妙なのだ。


 イリスが今は亡きサウロン公爵の遺児か、公爵家の親類に当たるなら将来サウロン領が再びオルバウム選王国に戻った後の事を考えているのだと、納得も出来る。しかし、残念ながらイリスのベアハルト家は武名で名を馳せていたが、ただの騎士爵家。オルバウム選王国では、世襲可能な貴族の最下位だ。

 『サウロン解放戦線』がどんなに活躍し、イリスがどれ程高く評価されたとしても、彼女が新サウロン公爵に成る事は無い。


 サウロン公爵家の継承権を持つ正統な子息子女が、他の公爵領に脱出しているのだから。

「陛下、私の将来に期待しているのであれば、残念だがそれに応える事は出来ない。私がもし仮に占領軍大将の首級を上げたとしても、誰か婿養子を宛がわれてベアハルト家が男爵に昇爵される程度が精々だろう」

「いやお嬢、それぐらいの手柄を上げたら、その婿養子はサウロン公爵家の遠縁か何かで、ベアハルト家は最低でも伯爵ぐらいには成れると思いますぜ?」

 デビスが思わず口を挟む程度に、イリスも自己評価が低いようだ。


「しかし、俺も奇妙だと思っています。なんで陛下はサウロン領を武力制圧しないんで? 心配している【迅雷】のシュナイダーは敵じゃねぇって分かったんでしょう」

 ハッジが言う様に、スキュラの神であるメレベベイルからの情報でアミッド帝国のS級冒険者シュナイダーは、実際はヴィダの新種族の味方だと分かった。


 分かったが、ヴァンダルーは相変わらず方針を変えていない。


「それはですね、まず『迅雷』のシュナイダーがヴィダの新種族の味方であっても、俺の味方で在るとは限らないから。

 次に、俺が民衆に支持されるとは考えにくいから。

 そして地政学的にサウロン領を俺が占領して統治を続けるのは難しいからです」


 肉体に戻ったヴァンダルーは、『迅雷』のシュナイダーと実際会って話をするまでは敵に回る可能性が無いと判断するのは危険だと述べた。

 メレベベイルからシュナイダーが実はヴィダの信者で、アミッド帝国側のスキュラを含むヴィダの新種族の多くの部族を助けている事は分かった。だが、ヴァンダルーのしている事がそうして助けたヴィダの新種族達にとって不利益に成ると判断すれば、敵に回るかもしれない。


 仲間だという確信が持てないのだ。


 次に民衆から支持されるかは、説明するまでも無いだろう。知名度も無く、普通なら禁忌の筈のアンデッドを大勢使役するヴァンダルーは、勇者よりもそれに討伐される悪役側にしか見えないだろう。

 それに、タロスヘイムと同じ豊かな食生活や、軽い所得税を導入するつもりだが、それも既得権益を握っている有力者にとっては喧嘩を売りつけるのと同じだ。


 次に地政学的な理由だが……オルバウム選王国とアミッド帝国に挟まれているサウロン領を、第三国であるタロスヘイムが占領すると東西の大国に挟まれてしまう。

 タロスヘイムからの行き来も、境界山脈があるので簡単には出来ない。ヴァンダルーがダンジョンからダンジョンへ【迷宮建築】スキルで瞬間移動し、飛行できるクノッヘンや空を走れるサムが空路で行き来しても、人も物も十分な量を運べるとは思えない。


「ままならないものねぇ。いっそ、境界山脈の山を一部丸ごとゴーレムにして、地形を変えちゃうってのはどう?」

 マイルズが冗談半分にそう言うと、ヴァンダルーは目を瞬かせた後視線を山脈がある方向に向けた。

 その場にいた全員が「まさか出来るのか!?」と息を飲んで見守るなか、ヴァンダルーは静かに口を開いた。


「いや、流石に無理でしょう。まだ」


「で、ですよね~」

 ハッジやデビスがそう息を吐く中、イリスとマイルズは食欲を誘うカレーの香りも忘れて戦慄した。

「まだって……何時か出来るように成るのか」

「自分で言っておいてなんだけど、否定できないのが恐ろしいわね」

8月6日に128話、9日に129話、13日に130話を投稿する予定です。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ロドコルテの一番の失敗って結果的に転生者の中で最も自分の目的(ラムダの発展)に近いことを行ってるし、これからも他の転生者が絶対に追い付けない位にリードしてるのがヴァンダルーなのに自分で…
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