百二十四話 剣王の決意と栄光の猟犬、弧を描く唇
ノーブルオーク帝国への対処に、タロスヘイムの王であるヴァンダルーが参加する。
普通為政者は勿論、ある程度高い地位にある者が最前線に立つ事は避けるべきだ。しかし、ヴァンダルーの場合は事情が異なる。
第一に、【魔道誘引】スキルを持つヴァンダルーがその場に居ないと死者の霊から情報が収集できない可能性が高い。
アンデッド達は霊を見る事が出来る。しかし、視る事が出来るだけで霊から話を聞く事が出来るかは分からない。質問しても、相手の霊が答えないか、意味のある答えが返って来ない可能性が高い。
本来死者の霊は、多くの場合社交的でも無ければ他の死者に対して友好的な訳でもなく、また正直な訳でもないからだ。
第二に、ヴァンダルーは『ヴィダの御子』である。
ノーブルオーク帝国の主神であると推測される『堕肥の悪神』ムブブジェンゲが、今もヴィダに義理を感じているのなら彼が居る事で話し合いが成立する可能性が高まる。
そして第三に……間違いなくタロスヘイムの最大戦力だからである。
他にも諸々事情があるが、大きな理由はそんな所だ。
そしてヴァンダルーと共にノーブルオーク帝国に対処――外交に成るか戦争に成るかは兎も角――する部隊への選抜基準は、ノーブルオークの最低限であるランク6を倒せる戦闘力を持っている事だ。
帝国ではノーブルオークは支配者層であるが、戦いに成った場合それなりの数が出てくる可能性が高い。
それに、外交に成った場合でも強さは必須だ。
相手はザッカートによって魔王軍から寝返った悪神とその僕の子孫の国とは言え、魔物である事には変わりはない。そして魔物が重視するのは相手の容姿でも経済力でもなく、強さだ。
人間の国同士の外交でも軍事力は重要な要素だが、魔物の場合は最も重要視される。
つまり、円滑な話し合いをするために舐められてはいけないのだ。
例外はゴーバ達、オーカスで構成された黒牙騎士団である。
オークの胎児がヴァンダルーの死属性の魔力を浴びた事で誕生した新種であるオーカスは、一見すると黒いオークに見える。そのため、ノーブルオーク帝国に多数いるだろうオークに親近感を抱かせ、話し合いが上手く行くかもしれないと言う理由で決定した。
それにオーカスは基本ランク4で、基本がランク3のオークよりも総じて強い。更に黒牙騎士団のオーカス達はオーカステイマーかオーカスライダーにランクアップし、魔物に騎乗できるオーカスが所属する騎士団だ。
「騎士の誇りにかけて俺、頑張る」
団長に抜擢されたゴーバは、今では三メートルに迫る巨体に立派な牙を生やしたランク7、オーカスマスターテイマーである。
騎乗している魔物は、鶏に似たランク2のギーガ鳥から何年もコツコツかけて育成した巨大肉食鳥、ランク5のヒュージディアトリマ。鉤爪から頭部の鶏冠までの高さ五メートルの、殆ど恐竜にしか見えない鳥だ。
更に、他にも伝令に使える小型の鳥の魔物も数羽テイムしており、戦闘力以外も充実している。
ゴーバ以外の団員も全員ランク4の、重量級のオーカスを乗せて活動できるパワーを持つ魔物をテイムしている。団員数僅か十名とは言え、その戦闘力と機動力は百人の騎士に勝るとも劣らないだろう。
「ゴーバ団長、そのキシのホコリ、オレよく解らない」
「キングの言う事守る、騎士の誇り」
「俺、前からキングの言う事聞いたぞ」
「じゃあお前、誇り高い」
「ブフフフ♪ 俺嬉しい」
そんな事を話しながら、タロスヘイムの町でバーベキューに興じるゴーバ達黒牙騎士団の面々。チェザーレの発案でオーカスの中から機動力がある者として集められ、騎士団を結成した彼等だが、騎士道はあまり理解していないらしい。
和気藹々とした様子で焼き肉のタレで味付けした肉や魚介類を楽しむゴーバ達を、街角の影から見る一人の男がいた。
「……」
顔に影を作った三メートルの巨体で禿頭の男は、暫くゴーバ達の様子を伺っていた。しかし、姿を現さず無言のまま踵を返すと、何処かに去って行った。
その半分だけの顔には焦りが滲んでいた。
今日も昨日と同じように、専用にあつらえられた訓練場で二百年前に死んだミルグ盾国の英雄、ゾンビ化したミハエルは訓練用の木人としての役割を果たしていた。
只管戦い、相手が自分に勝ち、肉体を破壊できるように指導するこの役割にも、ミハエルは慣れ始めていた。
痛みの感覚が生前とは異なるアンデッドだからという要因もあるが、訓練に来る者達の腕が磨かれ、高まって行く様子は、ミハエルに諦観からではなく心からの喜びを齎す。
何故ならそれは自分が役割を果たし、役立っているという充実感に繋がるからだ。
(だから、別にお前がまた来た事に文句は無いのだが……)
定められた台詞以外言葉を発する事が許されていないミハエルは、やや複雑な感情のこもった視線を現れた相手……『剣王』ボークスに向けた。
視線を受けたボークスは、気まずそうに禿頭を指で叩く。
『いや、まあ、そのだな……俺ぐらいに成ると、丁度良い相手ってのが、そう居なくてな』
(それは分からなくもないが)
ボークスは生前A級冒険者だった、ランク10のゾンビヒーロー。しかも、【導き:魔道】スキルで能力値が強化されていて、上位スキル【剣王術】に目覚めている。彼に丁度良い相手が、そうそう見つかるはずがない。
『手応えがあるのはB級ダンジョンのボスぐらいだが、それでも物足りねぇし、一回倒すと暫く出てこねぇ。なのに坊主は、今朝来週にはノーブルオークの帝国に連れて行く奴らを選ぶって言いやがる』
(それは、ずっとここに居る私への説明なのか? だとしても、私に話して良いのか? 一応国家事業だろうに)
何故かグチグチとした口調で話し続けるボークスに、突っ立ったまま内心でツッコミを入れるミハエル。
傍から見ると、人形に延々話しかけるアンデッドにしか見えないだろう。
『俺もランク10、今のタロスヘイムなら坊主を抜けば一番とは言わねェが、三本の指に入る。だから別に、置いて行かれるんじゃねえかと、不安な訳じゃねえ。……今回はベルモンドの嬢ちゃんは、不参加らしいし、な』
そう言いながら、ボークスは手に握った訓練用の黒曜鉄の剣を構えた。
『だがまあ、念のためって奴だ』
(結局不安なのではないか。それと以前ここに来た時、君は私を倒すのは一度だけだと言っていなかったか?)
『うるせぇ! テメェっ、目で語りやがって! 文句があるなら口で言いやがれ!』
『訓練を開始します』
『馬鹿にしてんのかっ!?』
(だから、私は自分の意思では口がきけないのだと……まあ、せいぜい私の代わりに強くなって、あの方の役に立ってくれ)
それなら文句は無い。そう思いながら、ミハエルは穂先を潰した訓練用の槍でボークスを迎え撃った。
因みに、ボークスはそれからの一週間毎日ミハエルの前に現れ訓練を繰り返したと言う。
長い雌伏の時だった。
彼女が生きていた時間と比べれば、僅か三年など一瞬にも等しい時間の筈だった。しかし、彼女は一日千秋の思いでこの時を待っていたのだ。
新たな主に与えられた新たな人生。肉体を再び与えられたあの時かけられた言葉を、彼女は忘れない。
「お前は、俺の物です」
(なんて甘美な言葉だろうか。私は前の主人から、この方に奪われたのだ。身も、そして心、魂さえも)
だが、待っていたのは冷遇の日々だった。
前の主人の元に仕えていた時に見聞きした情報を吐き出した後は、生前の彼女よりずっと若く、実力でも劣る小娘の下に配属された。
しかも、その小娘はそれまで部下を持ったことが無く、碌な仕事も回って来ない。
そして彼女に与えられたのは、「拷問吏長」と言う名ばかりの地位。本来なら、拷問が得意な彼女にとっては天職に等しい役割なのだが……。
(このタロスヘイムの何処に、拷問の必要性があると言うのだ)
彼女の主人、ヴァンダルー。彼がいれば拷問の必要などない。捕虜の耳の穴や眼球に舌等から分泌した自白剤を盛れば、誰でも饒舌に語り出す。
もし自白剤が効かなければ、いっそ殺してしまっても構わない。霊と化した捕虜は、ヴァンダルーの為なら生前の主君でも仲間でも、喜んで差し出すだろうからだ。彼女同様に。
そのため捕虜がタロスヘイムの彼女の元まで連れて来られる事も、捕虜を拷問するために彼女が呼ばれる事も無い。
刑罰としての拷問も、必要ない。このタロスヘイムの犯罪率は、彼女の常識では信じられない程低い。不注意や過失によるものはあるが、悪意からルールを破る者が存在しないからだ。
国民の多くがヴァンダルーに魅了されているという理由以外にも、犯罪に走る理由が無いというのが大きい。国は発展途上であり、誰も盗みや詐欺、強盗を働かなくても、それなりに豊かに成れる。
それに犯罪を働こうとしても、町には監視を兼ねたゴーレムが配置されている事を誰もが知っている。
しかも、支配者であるヴァンダルーが頻繁に町を徘徊している。
そもそも、重い罪を犯してタロスヘイムでの居場所を無くしたら、生きていけない。境界山脈に囲まれ限られた手段でしか外界に辿り着けないからだ。
この状況で罪を犯すのは、ただの間抜けだろう。衝動的な喧嘩や、泥酔して絡む等が精々だ。
そのため数少ない犯罪者も口頭での注意、少額の補償、短い社会奉仕で済んでしまう。百叩きの刑すら、未だに執行された事がない。
そのため、彼女の毎日の仕事といえば空の地下牢を仲間と分担して掃除し、日誌に「異常無し」と記入する事ぐらいだった。
(だが、私は腐らなかった!)
彼女は有り余る時間を最大限有効活用した。生前の力を取り戻すためにダンジョンや周囲の魔境で己を鍛え直し、ランクアップを果たした。
そしてヴァンダルーが町を徘徊する時のパターンを分析し、彼に自分が努力している事、心を入れ替え他の国民とも良好な関係を構築している事をさり気なくアピール。
氷菓子を持ったまま走る子供がぶつかって来て服を汚した時も、その際おばちゃん呼ばわりされた時も、微笑みながら許した。
落し物は拾って落とし主に返したし、ゴミ掃除や草むしりも自主的に行った。
裏社会で高い地位に在った生前の彼女からは、考えられない行いだ。
同様の事を仲間達にもさせ、特に肉体美に優れた男性陣にはヴァンダルーが公衆浴場で入浴する際、その肉体をさり気なく見せて来るように指示した。
そして転機は去年訪れた。彼女の仲間……同類の数が飛躍的に増えたのだ。
(愚かなグーバモンのお蔭で、我々の数が増えた。質だけではなく、数だけでも戦力として通用する程に)
そして彼女の弛まぬ努力が評価され、今日という日がやって来たのだ。
「では、これより騎士叙勲を行います。アイラ、前に」
『はっ!』
三年前、マウビット将軍を利用しミルグ盾国軍を中心に編成された遠征軍に加わり、ヴァンダルーと裏切り者のエレオノーラを殺そうと企んだ、原種吸血鬼テーネシアの元側近、『テーネシアの猟犬』アイラ。
ヴァンパイアゾンビと化した彼女は、喜びのあまり駆け出しそうに成るのを堪えながら、ヴァンダルーの前に進み出ると、膝を突いた。
ヴァンダルーは騎士叙勲用に作った儀礼用の剣をチェザーレから受け取る。
(毎回思うのですが、ここまで儀礼に拘らなくてもいいのでは?)
その際、伸ばした霊体を繋いでそうチェザーレと内緒話をする。
(何を言われるのです、陛下。儀礼は重要です。行為自体に意味は無くても、やって見せる事が重要なのです)
(そうでしたね。儀礼は重要でした)
権威の演出や受ける者の名誉以外にも、このラムダで儀礼や儀式は実用的な意味があるのをヴァンダルーは思い出した。
実際、【準騎士】や【騎士】ジョブに就くには、【騎士見習い】の100レベルに到達する以外にも、騎士叙勲を受けなければならない。逆に言えば、騎士叙勲を受ければジョブに就く条件が満たされるのだから、実用的な意味があるという事だろう。
アイラはヴァンパイアゾンビなので、ジョブには就けない。しかし、将来ヴァンパイアゾンビナイト何て名前の種族にランクアップする可能性もあるので、無意味という訳でもない。
「アイラ、貴女に蝕王の名の下に騎士の位を与えます」
剣の腹をアイラの肩に置いて宣言すると、甘美な痺れが彼女の全身に走り、小さく身体を振るわせる。
『はっ! ありがたき幸せ!』
「同時に貴女をエレオノーラの下から、新設される闇夜騎士団の団長に抜擢します」
『おおっ……!』
それがアイラに与えられる、新しいポストだった。闇夜騎士団……ヴァンパイアゾンビで構成された高度な戦闘集団だ。
全員が生前貴種吸血鬼以上であったため自力で飛行し、鋼鉄を素手で引き裂く怪力を誇り、吸血鬼からゾンビに成ったために日光も銀も克服している。元上司のエレオノーラは彼女達に【日光耐性】スキルを獲得させようと考えていたが、実は必要なかったのだった。
吸血鬼がゾンビ化するケースが殆どなかった為、アイラ達本人もそれを知らなかったので仕方ない誤解だった。
ただ残念ながら魔術は生前程に操れない個体も多いが、通常の人間の騎士団と比べれば十分すぎる。
これからはそんな騎士団の長として、能力と技術を活かした仕事が出来るのだ!
アイラが身に纏うのは、彼女の身体のラインに合わせて作られた精緻な鎧だ。儀礼用ではなく、鍛冶師ダタラが仕上げ、ヴァンダルーが数々の死属性魔術を錬金術で付与したマジックアイテムである。
腰に下げた剣も同様だ。
今彼女は栄光に包まれている。だが、彼女にとってはまだ二つ足りなかった。
『陛下……お約束の物を頂きたく存じます』
「え? この場で?」
言葉を発しているのはヴァンダルーとアイラの二人だけだが、この場にはチェザーレは勿論エレオノーラや、闇夜騎士団のメンバーになるヴァンパイアゾンビ達等、大勢の目がある。
その前で渡す事に躊躇いを覚えて聞き返すヴァンダルーだったが、アイラはどろりとした光の無い瞳を見開いて聞き返した。
『ではっ、二人きりの時に御自ら渡して頂けると!?』
「あ、はい、この場で渡します」
他人の目がある方が良かったらしい。
ヴァンダルーはチェザーレから黒い首輪を受け取ると、それを見せながら宣言した。
「騎士団長就任と並び、普段の忠節と弛まぬ研鑽を称え、褒賞としてこのチョー――」
『陛下、首輪です』
「……首輪と、『蝕王の猟犬』の二つ名を与えます」
そしてアイラの死因である切断された首。それを繋げた際に出来た縫い目を隠すように首輪をつける。
『ああぁぁっ! 光栄です陛下っ!』
首輪と猟犬の称号。ヴァンダルーの「就任祝いに何か欲しい物あります?」と言う問いにアイラが欲したのが、この二つだった。
二つ名はまだタロスヘイムの規模ではヴァンダルーが宣言しただけで与えられないが、蝕王通信に乗せて宣伝すれば、多分数日で獲得できるのではないだろうか?
(ダメだったら、フィディルグやメレベベイルの所に行って報告してきましょう)
そう思っているヴァンダルーの前でアイラは愛おしげに首輪に指を這わしている。その喜びように、ヴァンダルーは彼女の腰から生えた尻尾が激しく左右に揺れている様子を幻視した気がした。
「私もまだ頂いていないのにっ!」
そんなアイラをエレオノーラが激しい嫉妬の眼差しで睨みつけ、小声で悔しがっていた。その鬼気迫る様子を目にしたら、歴戦の戦士も子犬の様に震え上がるだろう。
『……ふっ』
そして、その元上司のエレオノーラに対してアイラは得意気に鼻で笑って見せた。しかも、首輪を見せびらかすように顔を上げて。
ビキビキと大気に緊迫感が満ちる音をヴァンダルーは聞いた気がした。
しかし、エレオノーラも仮にも騎士叙勲の場でアイラを罵倒する事は出来なかったらしい。
(それに、罵る事が無いのも事実……!)
エレオノーラはアイラがヴァンダルーに取り入るために、様々な努力をして見せた事を卑怯だとは思わない。それはただの処世術だからだ。
実際、ヴァンダルー自身もアイラの諸々の工夫を、分かった上で評価している。工作や媚び、つまり頭で考えてタロスヘイムの人種やブラックゴブリン等の国民と共存できるなら、問題無いと考えるからだ。
元敵という出自も、エレオノーラ自身もヴァンダルーを殺す為に送り込まれた刺客だったため彼女が言える事ではない。
それにと、アイラを改めて見てエレオノーラは歯軋りをした。
(以前なら年増なりなんなり言えたのだけど、今は負け犬の遠吠えにしかならないわ)
そうエレオノーラが認めるほど、今のアイラは輝いて見えた。
身体のラインに合わせて作られた鎧は、生前身につけていた鎧と違いアイラの逞しさと女性的で豊かな曲線を共存させたスタイルを隠すどころかより主張し、二十歳程の外見年齢のエレオノーラには出せない艶を放っている。
それでいて肌は小皺どころか、きめ細やかで張りがある。ゾンビ化させる時から、ヴァンダルーが手を抜かず処理を施したからという理由もあるだろうが……。
約三万年の年月を生きた、三十代半ば程の外見年齢をしていたはずのアイラ。彼女はゾンビ化した今、明らかに生前よりも若返っていた。
(私は、ヴァンダルー様の犬に成れるなら成りたいけれど、負け犬に成りたい訳じゃない!)
「ヴァンダルー様、私は訓練があるからこの場は失礼するわ」
鬼気は隠せていなかったが、そう一方的に宣言して身を翻す。その背をヴァンダルーは「行ってらっしゃい」と見送った。
『私が言うのもなんですが、宜しいのですか?』
「大丈夫でしょう。エレオノーラは(地球の)俺よりも努力家です」
『陛下よりも努力家? あの小娘、過労死するのでは?』
「それより、闇夜騎士団に早速任務です。アイラ達には沼沢地南端の骨人達と合流後、哨戒活動を頼みます」
『お任せください、陛下』
アイラはヴァンダルーの前に、今度は片膝ではなく両膝を突くと、そのまま顔を彼のサンダルを履いた足の甲に近づけ――。
「あ、手にしてください」
『そんなっ! 私の服従と隷属の誓いを受け取ってくださらないとっ!?』
『アイラ殿、ここは騎士叙勲の場なので、服従と隷属ではなく、忠誠を表す手の指にして頂きたい』
結局アイラの冷たいが柔らかい唇を指に受けて、ヴァンダルーは彼女達闇夜騎士団を送り出したのだった。
『ところで陛下、私も喉を切り裂かれて死んだので、何か首に巻こうと思うのですが。クルトが痛ましげな顔をする事があるので』
「チェザーレ、首輪をしたらクルトがもっと痛ましい……可哀そうなものを見る目を向けて来ると思いますよ」
そう返しつつ、ヴァンダルーはふと嫌な予感を覚えた。
一部の者達の間で、自分から首輪を受け取る事が流行するのではないかという、そんな予感を。
まるで呪う様に灼熱の光で自らを焼く太陽の輝き。彼はお気に入りのルージュを引いた唇を釣り上げた。
「もっとよ……もっと私を焼きなさぁい……あ゛ぁぁ……そう、深く、深く焼くのよぉっ」
全身から白煙を上げるマイルズ・ルージュは、生存本能が上げる警報と激痛を味わいながらも、壮絶な笑みを浮かべていた。
元原種吸血鬼グーバモンの配下の貴種吸血鬼だった彼は、ユニークスキル【警鐘】を所有している。危険を察知すると、彼にだけ聞こえる鐘の音が響くというスキルだ。
だが、今マイルズの耳には鐘の音は聞こえなかった。
聞こえるのは、自分が高みに近づく足音のみだ。
だが、喉の渇きだけは我慢できない。マイルズは焼け爛れた手を伸ばし、ジョッキを口元に運ぶ。
濃い血の色をした液体……ヴァンダルーの【魔王の血】発動時の血液をベースに、【魔王の角】や【魔王の甲羅】の粉末、そして各種薬草や魔石を加えたブラッドポーションを、喉を鳴らして飲み下す。
途端に全身の痛みが引き、火傷の再生が始まる。しかし、吸血鬼である以上日光を浴び続ける限り、マイルズの身体は焼け続ける――筈だった。
「あぁぁぁ……うおおおおお!」
天を仰いだマイルズが一際大きな叫びを上げた瞬間、彼の全身から上がる白煙が止まった。見る見る内に、火傷が治癒していく。
そして眩い日光に身を晒しながら、傷一つ無い肌と逞しい肉体美を保つマイルズの姿があった。
元々野性味があった顔で、太い笑みを浮かべる。
「素晴らしいわ……なんていう快感と征服感なの! 全身に力が漲り、まるで万能無敵の存在にでも成ったようだわ! 人種から貴種吸血鬼に成った瞬間に覚えた物を、圧倒的に上回るこの感動!
今この時! 私、マイルズ・ルージュは真の吸血鬼足りえたのだと確信したわ!」
最近発売されたブーメランパンツ一枚のまま、紅い瞳を爛々と輝かせるマイルズ。その彼に様子を見ていたベルモンドが声をかける。
「どうやら終わったようですね。マイルズ、旦那さまからの祝いの品です」
彼女が指すのは、銀製のトレイの上に乗せられた銀のペンダント。死属性の魔力が込められたマジックアイテムだが、銀は日光と並んで吸血鬼の弱点だ。
傷つけられれば勿論、肌に触れただけでも焼け爛れる。吸血鬼に銀製のアクセサリーを贈るという事は、敵対宣言と同じ意味を持つ。
「まぁっ、嬉しい♪」
しかしマイルズは銀のペンダントを躊躇わず受け取ると、すぐに首に付けてしまった。
だが、マイルズの太い首と厚い胸板を飾る銀のネックレスは、彼を焼く事はない。
「どぅ、お姉さま? 私の身分を偽装するためのシルバーアクセサリー」
「とてもお似合いですよ。ですが、お姉さまは止めて頂けませんか?」
「あら、どうして? 同じ深淵種の吸血鬼じゃないの」
肉体を焼かれながら繰り返しブラッドポーションを飲み続けたマイルズは、貴種吸血鬼から深淵種吸血鬼に変化していた。
ステータスでも確認済みで、姿形に変化はないが、明らかに貴種吸血鬼だった頃とは生態が異なっている。
「素晴らしいわね……ランクやレベルに変化は無いけれど能力値の上昇、そして日光と銀という弱点の克服。今まで私達吸血鬼が人種に変わり世界の表舞台に立てなかった要因の内二つを、綺麗に消してしまうなんて。
私達深淵種吸血鬼が増えれば、人間と吸血鬼のパワーバランスを入れ替える事も可能だわ」
盛り上がるマイルズにベルモンドは落ち着いた口調で釘を刺した。
「ブラッドポーションの生産には、それなりの手間がかかります。何より、原材料の半分以上が旦那様なのです。簡単に増産できる物ではありませんよ」
吸血鬼が深淵種に変化するために必要不可欠なブラッドポーションは、現在ヴァンダルー本人やザディリスを含めたタロスヘイム在住の錬金術師数名によって作られている。
十億を超える魔力を持つヴァンダルーは、必要なだけ【魔王の欠片】を発動させて材料を生産できる。しかし、流石に地球の清涼飲料水のような大規模大量生産が可能なほどではないらしい。
……飲むだけで骨折どころか、切断された四肢が繋がるポーションの生産量としては、現時点でも常識を超え過ぎているのだが。ヴァンダルーがブラッドポーションの生産量を限界まで上げ、それを安価に各国に供給したら、世の錬金術師達は大きな収入を失う事だろう。
釘を刺されたマイルズもブラッドポーションの生産工程と材料の事は知っているので、すぐ引き下がった。
「分っているわよ。将来的な話よ、将来的な。それに、深淵種に成るのも楽じゃないしね。ただブラッドポーションを飲み続ければ良いって訳じゃないのは、自分の身で味わったわ」
深淵種吸血鬼に成るには、ブラッドポーションを飲みその効果を発揮させる事……つまり傷が癒える事が必要だった。
ただ吸血鬼は元々【高速再生】スキルを持つ種族だ。多少の切り傷では、数秒で治ってしまう。
ベルモンドの様に全身の皮膚やその下の組織を移植するような大手術を受ける最中に飲むか、それとも吸血鬼の【高速再生】スキルの効果が発揮されない、日光と銀によるダメージを受け続けた状態でブラッドポーションを飲むのが効果的だ。
エレオノーラの様に普段からヴァンダルーの血を飲み続けていれば、ふとした拍子に変化する事もある。しかし、そのためには変化するまでに時間と血とブラッドポーションが大量に必要に成るのだ。
「自分で志願しておいて言うのもなんだけど、結構な拷問よ、あれ。私は痛みに強いタフガイだったから良いけど、普通の吸血鬼なら途中で失神するわね」
「私の手術の方も、同じ事をすれば通常の吸血鬼は耐えられないでしょう」
痛みに対する耐久力が高い(そう自分では思っている)二人は、やれやれと他の吸血鬼の体たらくを嘆く。
「そう言えば、あの娘は? やっぱりレベリング?」
「ええ。【日光耐性】スキルが日焼け止めにしか役立たなくなった事を若干残念に思いながら、ランク10を目指すそうです」
「頑張るわねぇ、若さの違いかしら。ああ、美味しい」
ジョッキに残った数滴のブラッドポーションを舐め取ると、マイルズは「じゃあ、私は浴場に行って汗を流して来るわ」と着替えを手に取った。
「明日にはヴァンダルー様とサウロン領に行って、イリスちゃん達と合流だもの」
マイルズはノーブルオーク帝国へは行かず、転生者達に対する備えとして『サウロン解放戦線』と合流する事が決まっていた。
その際、吸血鬼である事をイリス達の支援者や敵であるアミッド帝国の占領軍にバレないように、深淵種化を急いだのだ。
青白い肌に真紅の瞳、そして長い犬歯(牙)をしていても、日光の元に身を晒した銀のネックレスをしている男を吸血鬼だとは誰も思わないだろう。
勿論、偽装以外にも深淵種のデータを集める目的もあったが、それはついでである。
「ヴァンダルー様の中に入って運ばれるのだから、身ぎれいにしておかないとね」
そして深淵種の特徴の一つに、ヴァンダルーの【装蟲術】や【装植術】スキルで装備できるようになり、その際も不快感を覚えないというものがあった。
そのため、【迷宮建築】スキルでダンジョン間移動を行うヴァンダルーの中に入って移動する予定であった。
「……身ぎれいにする前に、服を着るのが先だと思いますが」
ベルモンドの言葉は、ブーメランパンツ一丁で着替えを手に持ったまま去っていくマイルズには、届かなかったようだ。
・名前:アイラ
・ランク:9
・年齢:約三万歳
・二つ名:【蝕王の猟犬】(NEW!)
・種族:ヴァンパイアカウントゾンビ(ブロークン)
・レベル:85
・パッシブスキル
闇視
状態異常耐性:10Lv
怪力:9Lv
高速再生:5Lv
精神汚染:7Lv
殺戮回復:7Lv
直感:5Lv
能力値強化:忠誠:ヴァンダルー:6Lv
・アクティブスキル
業血:1Lv
水属性魔術:5Lv
火属性魔術:5Lv
無属性魔術:1Lv
魔術制御:5Lv
剣術:10Lv
鎧術:9Lv
限界突破:8Lv
高速飛行:5Lv
追跡:8Lv
拷問:5Lv
指揮:3Lv
家事:2Lv
・ユニークスキル
変幻:7Lv
ゾンビ化した『テーネシアの猟犬』アイラ。
本来はランク10だったが、ゾンビ化後ランク5まで下がり、その後ダンジョンでの戦闘訓練を経てランク9まで力を取り戻している。
ただまだ本来の実力は発揮できていない。因みに、種族名の(ブロークン)とはヴァンダルーとルチリアーノが「アンデッド化後、生前よりも弱い状態にある者」を指して研究ノートに記載していたら、条件に該当するアンデッドのステータスに何時の間にか表示されるようになった。
更に、まだ先だろうと思われていた二つ名も既に獲得している。これはヴァンダルーが自覚している以上に、【導き:魔道】の影響下にある存在に対する発言力が増しているため。
生前よりも弱くなっているはずだが、【吸血】が【業血】に変化し、【状態異常耐性】や【精神汚染】、【限界突破】のレベルが上昇する等生前とは違う方向に強くなっている。
また、【指揮】と【家事】スキルを獲得した。
装備品のデザインがやや艶めかしいが、これはヴァンダルーが持つ「悪の女幹部」のイメージが採用されているためである。理由は、「似合いそうだったから」だ。
・二つ名解説:蝕王の猟犬
主人である蝕王が獲物、若しくは敵と定める存在を追跡、探索する際有利な補正を受ける。
更に蝕王の命令や指示で戦う時、全ての能力値と攻撃力、防御力にプラス補正を受ける事が出来る。
7月29日に125話を、8月1日に126話を、8月5日に127話を投稿する予定です。