百二十話 軽い支配者と、蠢動
拙作を投稿し始めて、ちょうど一年となりました。これまで続けてこられたのも皆様のお陰です。ありがとうございます。
メイスを横薙ぎに振りぬいたカシムは、想像以上に軽い抵抗を残して吹っ飛んで行くヴァンダルーを呆然と見送る。
エレオノーラもバスディアもカチアも、思わずヴァンダルーがゴロゴロと転がって行くのを見送ってしまった。
「あー、驚いた」
そしてムクリと起き上がるヴァンダルー。
「お、驚いたって大丈夫なのか!?」
「ヴァンダルー様っ、背中打たなかった!?」
慌ててカシムとエレオノーラ、カチアが駆け寄る。しかしヴァンダルーは咳き込みもせずに、すぐに立ち上がった。
「特には問題無いです。ちょっと驚きましたけど」
ヴァンダルーは掠り傷一つ負っておらず、少し埃がついただけで鎧も盾も無傷だった。腕も痺れていないし、呼吸も苦しくない。
「まさか地面に転がされるとは思いませんでした。腕を上げましたね、カシム」
「えぇっ!? お、俺にヴァンダルーを吹き飛ばすような力が……!?」
「とてもそう見えないけれど。あなた、何かユニークスキルでも獲得したの?」
「だったら凄いけど、腕が上がったようには見えなかったけど」
まじまじとメイスを持つ自分の腕を見つめるカシムに、疑わしげな様子のエレオノーラとカチア。そこにそれまで黙っていたバスディアが口を開いた。
「カシムに特別力がある訳じゃない。勿論成長著しいとは思うが、ヴァンを一撃で吹き飛ばせたのは、単にヴァンが軽いからだ」
「「「軽い?」」」
「そう、軽いからだ」
聞き返す三人に、バスディアは説明を始めた。
まずヴァンダルーは、力が強い。鉤爪の一振りで鉄板を抉り、武技を使えば切り裂く事が出来る。しかし、まだ九歳に成っていない少年。しかも同じ年頃の少年と比べて、彼は明らかに小柄で痩せている。
それに力が強ければその分筋肉が付いて体重が増えるはずだが、ヴァンダルーの場合はほぼ全て【怪力】スキルにそれが回っているようだ。
そしてヴァンダルーが今身につけている冥銅製の液体金属鎧も、【魔王の甲羅】製盾も、動きやすいよう見かけよりずっと軽くできている。
「そしてカシムは、ヴァンの盾にメイスを当てるために上からではなく横から、それもやや下段に下げて腕を振った。そのせいでヴァンはあっさり飛んでしまったのだろう」
腕を胸の下で組んでそう結論付けるバスディア。カシムはまだ納得できないのか、「ちょっと待ってくれ」と声を出した。
「俺達は開拓村で何度かヴァンダルーから稽古を受けたけど、その時はヴァンダルーが軽いなんて思わなかったぞ」
「カシム、俺はその時盾を持っていませんでしたよ。カシム達の攻撃を受ける事もしませんでしたし」
「あ、確かに! でもフェスターの剣を鉤爪の峰で受け流してなかったか?」
「そう言えば……」
ハートナー公爵領の開拓村でカシムや、この場にはいないが前衛職のフェスターにヴァンダルーは稽古を付けていた。その時は盾どころか鎧も来ていなかった彼は、カシム達の攻撃を基本的に回避して捌いていた。
しかし、何度か鉤爪で剣を受け流していた。
「それは攻撃と込められた力を、ヴァンが受け流したからだ。それにその時ヴァンは足を止めずに動いていただろう?」
「なるほど。動いていればヴァンダルー様自身の力が攻撃に対抗するわけね」
「今回は足を止めて正面から、特に力が伝わりやすいメイスの攻撃を横方向から受けたから、ヴァンダルーが吹っ飛んじゃったのか」
続けたエレオノーラとカチアの言葉で、カシムもヴァンダルーもバスディアの説明になるほどと頷いた。
これまでヴァンダルーは、基本的に攻撃を受ける時は死属性魔術の結界や、ゴーレムの壁、防御力の高い仲間に防御を頼っていた。
何度かそれらに頼らず、訓練でゴブリン等の魔物相手に肉弾戦を挑んだ事があるが、その時ヴァンダルーは活発に動き回っていたし、受けた攻撃の多くは槍や剣で、当たってもその場で肉を貫かれたり斬られたりするだけで、身体を吹き飛ばす程では無かった。
大きく薙ぎ払われたのは、ノーブルオークのブゴガンの剣を故意に受けた時ぐらいだ。
「なるほどな~。ヴァンダルーはまだ小さいから、同じ子供かゴブリンでもなければ、攻撃しようとしたら前蹴り以外は大体上から振り下ろす事に成るだろうから、そう同じ事は起きないと思うけど」
上段からの攻撃なら、盾で受けても地面に踏ん張れば耐えられる。
だが下から掬い上げる様な攻撃だったら、盾で受けても体勢を崩しやすくなるだろう。
まあ、訓練以外でヴァンダルーが魔術を使わず仲間から離れて肉弾戦をする局面は、そうそう無い筈だが。
「しかし、俺が軽いとは……今まで気がつきませんでした」
「そうだな……でも、思い返すとヴァンダルーって色々な人に持ち上げられてないか? この前もボークスのおっさんに猫みたいに抓み上げられてたし」
カシムが言う様に、ヴァンダルーはとても気軽に、色々な人に持ち上げられている。ボークスに、妹的存在のノーブルオークハーフのパウヴィナ、今一緒にいるバスディアとエレオノーラも、ヴァンダルーを抱き上げたり脇に抱えたりしている。
「確かにそうですけど、皆【怪力】スキル持ちで、俺より大きいので」
なので自分が軽いのではなく皆の力が強いか、大人だからだと無意識に思っていたらしい。
「とりあえず、横殴りの攻撃は慣れるまで控えて、上段からの攻撃に切り替えよう。ヴァンも、体勢を崩さないよう気を付けろ。盾で受け止めるのではなく、盾の丸みを使ってそらすように工夫するとか。
魔術も使えない一対一での戦いなんてそうないと思うが、とりあえず慣れておけ」
「はーい」
こうして九歳の誕生日までの間、ヴァンダルーは毎日カシムやエレオノーラ、バスディアの攻撃を受け続けたのだった。
何度か宙を舞いながら。
そして帰りは何故かカチアに持ち上げられて運ばれるのだった。
「自分で歩けますが?」
「良いのよっ、気がついたら私だけ持ち上げた事無かったから、この機会に済ませておくの!」
《【盾術】、【鎧術】スキルを獲得しました!》
しかしヴァンダルーも一国の王である。一日中訓練をしている訳ではない。
他にも書類仕事を分裂して捌いたり、ザンディアとジーナの調整やリハビリ、ブラックゴブリンニンジャの訓練に加わったり、ドラゴンゾンビ化した元『鱗王』のリオーと、その乗り手である骨人と一緒に沼沢地をパトロールしたりと、忙しく動き回っている。
「王様って、意外と自由な時間ありますよね」
『それは陛下だからです。私など毎日働き詰めで……新設された闇夜騎士団や黒牛騎士団、竜鱗騎士団の訓練が……クフフフッ』
「陛下、この疲れ知らずのアンデッドに一言言ってくれませんか。あなたの弟は生身の人間だと」
手や頭が欲しくなれば幾らでも霊体を分裂させて増やすヴァンダルーは、たった一人で数十人の事務官集団に相当する。だからこそ、まだ小国規模だが一国の統治者が豊富な自由時間を確保できるのである。
チェザーレも生前から優秀な従軍事務官としての素質を発揮していたが、アンデッド化した事で肉体的な疲労を感じなくなった。しかも、将軍らしい仕事をしている時は驚異的な集中力を発揮して取り組む事が出来る。
そして、それに付き合わされるクルトは……堅実な仕事ぶりが評価されていた指揮官だが、睡眠や食事が普通に必要な人間である。
彼も軍人なのでそれなりの無理は出来るが、連日連夜常に無理をしたまま仕事が出来る訳がない。
訓練される騎士団や兵団の方はアンデッドか魔物なので、長時間の業務にクルトより耐えられてしまうのだが。
「クルト、チェザーレは仕事に成ると直ぐ忘れるので、自主的に休まないとダメですよー」
「そうは言うが陛下、上司が働いている時に部下が休むとは、中々言い出しにくいぞ」
「……そうかもしれませんね」
ヴァンダルーの場合は忙しく動いていると言っても、全て遊興を兼ねているので誰も気兼ねしない。だがチェザーレの場合は完全に業務なので、直属の部下であるクルトが気兼ねするのも無理はないかもしれない。
「有給休暇制度を実施しないといけませんね」
労働環境のブラック化に注意していたが、まだまだ甘かったかもしれない。これからは生きている人が管理職に就く事も増えて来るだろう。管理職の労働環境も整えなければ。
そう決意するヴァンダルーにチェザーレが言った。
『畏まりました。では早速陛下の考える有給休暇制度についてご説明ください、そしてそれを書類にし、検討し、管理部署の決定――』
「陛下、仕事が増えたのだが」
「あれー?」
やや本末転倒だったが、有給休暇制度がよりしっかりと管理される様になればクルトの労働環境も改善するはずなので、後少しの辛抱だろう。
そして何時も通り仕事と訓練の合間の時間でヴァンダルーはB級ダンジョン『鱗王の巣』で手に入れた銀塊や金塊を材料に、新しい魔導金属の精製の生成を試していた。
「上手く行きませんねー」
「消えちゃうねー」
「どう言う事じゃろうな?」
「分かりませんわね」
銀や金を手に入れたのは既に去年の事だが、鉄や銅に死属性の魔力を浸して作る死鉄や冥銅と違い、銀や金を材料にした魔導金属は未だに成功していなかった。
何故か魔力をある程度浸すと、金銀が消えてしまうからだ。
「全く無いね。何処に消えちゃったのかな?」
パウヴィナがペタペタと大きな手で銀塊があったはずの場所に触れるが、そこには床しかない。
バスディアの母親でグールウィザードのザディリスと、職能班班長のグールハイアーティザンのタレアが、それぞれ魔術師と職人としての目で見ても、銀塊が何故消えるのか分からなかった。
「消える前に魔力を止めると、ただの銀や金のまま。だから、消えるのが魔導金属としての変化なのだと思いますけど」
「消える魔導金属って、あるの?」
「そもそも魔導金属って、そんなに種類は有りませんからね」
神々のみが精製できるオリハルコン。精製法が限られたドワーフにしか伝えられていない、柔軟で修復機能を持つダマスカス鋼、そして魔導金属として有名なツートップ、ミスリルとアダマンタイト。腕のいい鍛冶師なら作る事が出来る黒曜鉄。
一般的な魔導金属は以上である。他にも特定の属性の魔力の影響を特に強く受けた魔導金属が存在するが、希少故に一般的にはあまり知られていない。
そもそも魔導金属は通常の金属や鉱物が魔力に浸される環境に置かれ、長い時が経つと生成される物だ。既存の魔導金属を材料に創った合金である黒曜鉄と、作る方法があるとされるダマスカス鋼以外そうそう新しく作れる物ではない。
常識はずれの魔力と、【経年】の魔術で対象の無生物の時間を加速できるヴァンダルーだからこそできる事なのだ。
「しかし、銀と金では消え方に違いがあるのじゃろう? 銀はパッと消えるが、金は目を離した間に何時の間にか消えているとか」
「そうなのですよ。最初は誰か動かしたのかなと思ったのですけど……」
まさか金塊が自力で逃げる筈も無いので、誰かが持ちだしたのかなと思ったが、特にそんな様子も無いので行方不明のままになっていた。
「ピギピギ」
突然ヴァンダルーが背中を預けている白い物体が鳴いた。
「ん? クイン、何か知っているのですか?」
何と白い物体は、むっちり艶々に成長したセメタリービーの女王蜂の幼虫、命名クインだった。
彼女は女王蜂の幼虫らしく基本的に動かない。普段はヴァンダルーに装備されているが、時々こうして出て来るのだった。
「ピギィ、キキキ、ピピギギギ」
「ふむふむ」
「……坊やは何故クインの言葉が分かるのじゃろう? この前は大百足のピートとも会話しておったし」
「そもそも、あれは言葉なのですの? 私、どの『ピギー』も同じように聞こえるのですけど」
「それは老化のせいじゃろう」
「なんですって!? ザディリスっ、貴方の方が私より三十くらい年上ですのよ!」
実際には二人とも、それぞれ外見と同じ十代半ばと十代後半の肉体年齢に【若化】されているのだが。
「クインもピートも頭が良いから、鳴き声と顔の角度とか触角の動きも組み合わせると、大雑把だけど何が言いたいのか分かるって言ってたよ」
不毛な言い争いに発展しかけている二人にパウヴィナがそう教えると同時に、ヴァンダルーはクインが何を伝えたいのか分かったらしい。
「ラピエサージュが何か集めていた?」
一同が視線を向けると、普段はパウヴィナと一緒にいる事が多いラピエサージュはヴァンダルーの工房の隅で、何かごそごそと探しているようだ。
『う゛ぅぅっ』
そして何か見つけたのか、嬉しそうに声を出し、それを抓み上げ――。
「ラピっ、ちょっと待ってっ、食べる前にそれ見せて!」
金色に輝く何かを食べようとしたラピエサージュを、パウヴィナが慌てて止める。
止められたラピエサージュは大きな手の中の小さな金色の物体と、パウヴィナを交互に見て、いった。
『……はんぶん、こ』
「ありがとうっ!」
「……いや、そう言う事ではないのではないかの?」
そうツッコミを入れるザディリスの視ている前で、ラピエサージュは金色の物体を指で抓んで半分に割いた。
それを受け取ったパウヴィナが半分に成った物体を皆に見せる。
「……金?」
「見かけは、金ですわね」
物体の色は、古来より人々を魅了してきた黄金の輝き。しかし、物体は何故か小刻みにぷるぷる震えながらパウヴィナの掌の上を這い回っている。
金色のアメーバ、ラムダ風に表現すると金色のスライムのようだ。
「見た目とは違って硬い感触。しかも金属の冷たさで、見た目より重い。これは、黄金かの?」
そしてザディリスが触ってみると、物体は金属的な冷たさと、重さを併せ持っていた。
「これ、もしかして死属性の魔力で変化した黄金でしょうか?」
ザディリスの指の間で蠢いている物体をつつきながらヴァンダルーがそう推測する。
ヴァンダルー自身「そんな馬鹿な」と思いつつ、【生命感知】の術で調べると、物体から生命反応があった。
どうやら、これはただ蠢いているだけではなく生きているらしい。
生きている金属なんて存在するのだろうか? そう思うヴァンダルーだったが、タレアは「あり得る事ですわ」と言った。
「魔導金属の中には魂が宿っているとされる金属が伝えられていますわ。魂鋼と言うのですが、それで武具を打つと知性を持つ武具が作れるのだとか」
「諸説あるようじゃがの。元から宿っているのか、武具にした瞬間に宿るのか。
それにほれ、坊やが前に魂を砕いたオリハルコンの槍、アイスエイジ。あれも生きている金属と言えるじゃろう?」
どうやら、魔導金属が生きていてもおかしくはないらしい。
『あ゛むっ』
むっちゃむっちゃ、ごくん。
『おい゛ぃしい゛ぃ……』
その生きている魔導金属の半分を、たった今ラピエサージュが食べてしまった。どうやら、美味しいらしい。
「その生きている魔導金属って、食べられます?」
「普通は食べられるはずがないのじゃがな。ドラゴンが飲み込んだと言う話もあるらしいが……」
「凄いですわっ、ヴァン様っ! 世界で初めて食べられる金属を作るなんてっ! ……どう凄いのか、分かりませんけど」
「元が金塊だもんね」
食べられる美味しい金属の発明。確かに、世界初だろう。しかし、「それで?」と聞かれると困る。
これが土や石なら、大発明だ。栄養があるなら、世界中から飢えを根絶できるかもしれない。
しかし、材料が金塊である。
ただ食べられるだけなら、態々価値の高い黄金を食べようとする者はいないだろう。余程の金持ちなら食べるかもしれないが。
どんなに美味しくても、とても需要は限定的なのではないだろうか?
「じゃあ、とりあえず食べてみていい?」
「そうですね、とりあえず食べてみましょう」
「ぴぎー」
「いや、食べられて味が良くても、身体に悪くないとは限らないと思うのじゃが」
「【消毒】を使って貰えば、身体に悪い部分は消えるから大丈夫ですわ」
その後、皆で分けて食べてみると美味しかった。味は甘いとも苦いとも言えず、辛くも酸っぱくも無いが、何か美味い気がする。未知のアミノ酸でも含まれているのかもしれない。
「あ、食べると経験値が入る気がする」
「すご~いっ、丁度レベルが上がったよ!」
「これは……本当に凄いですわっ!」
そして何故か微々たる量だが経験値が入った。やはり生きているからだろうか?
「それで坊や、この金の霊は見えるかの?」
「いえ、無いみたいです」
しかし生きているのに霊は出て来なかった。
とりあえずこの生きている金を、生金と命名したのだった。
因みに、銀の行方はラピエサージュも知らないらしく、まだ不明のままである。
夜の沼沢地の外延部を、恐ろしげな集団が進んでいた。
『GROoo……』
先頭を進むのは、巨大なワニに似た、ドラゴンゾンビと化した元『鱗王』リオーの背に乗る、鎧姿のスケルトン、骨人。
「ブルルルッ」
「グルルゥッ」
それに続くのはゾンビ化したミルグ盾国軍の黒牛騎士団員で構成される、新生黒牛騎士団と、それから別れて新設された竜鱗騎士団だ。
彼等は沼沢地でも【悪路走行】スキルによって問題無く走る事が出来る、魔物化した馬である魔馬に乗っていた。
しかし、今は魔馬がランクアップして別の魔物と成っている。
黒牛騎士団員が乗っているのは、ランク4の猛毒を帯びた角を持つ雑食性の凶暴な馬型の魔物、バイコーン。魔馬よりも一回り大きく、そして見た目以上の筋力と耐久力を持ち、ヒグマすら獲物にしてしまう凶暴な魔物だ。
竜鱗騎士団が駆るのは、紅く炯々と輝く瞳を持つ黒馬。同じくランク4だが、【空中走行】スキルを獲得したナイトメアホースだ。体格や筋力は魔馬と同じだが、空を走る事が出来る為機動力が大幅に上昇している。
どちらも珍しく、元が馬だと言うのに群れを作らない魔物だ。そのため騎士団の乗騎として運用している国は存在しない。
『異常無し。外から魔物がやって来た様子も無いか……』
『骨人殿、魔物は基本的に生息に適さない場所には、余程飢えるか外敵に追い込まれでもしない限り来ないものです』
残念そうに呟く骨人に、黒牛騎士団のゾンビナイトがそう答える。
『だが訓練を兼ねているとは言え、ただ見回っているだけでは退屈だ。今日等、何も斬っていないのだぞ』
ヴァンダルーの元サウロン公爵領への遠征に同行した骨人だが、帰った後はリオーの背に乗って沼沢地を警備する仕事に戻っていた。
しかし、警備する必要性を疑う程沼沢地は平和そのものだった。元々リザードマンが幅を利かせていた場所なので、リザードマン以外に危険な魔物がほぼ存在しないのだ。そして外部からは、先程ゾンビナイトが説明した様に滅多に魔物は侵入してこない。
一歩城壁の外に出ればランク3以上の魔物がうろうろしているタロスヘイムの都市の方が、余程危険だ。
そのため骨人は延々乗馬ならぬ乗屍竜して過ごす日々である。このままでは腕が鈍ってしまう。
だがその原因は、自分の尻の下にあった。
『骨人殿、ではリオーから降りてはどうだ?』
『然り。リオーのような高ランクのアンデッドが定期的に姿を現す場所に、好き好んで近づく魔物が居るはずがないからな』
『ゴブリンだとて、その巨体を見れば逃げ出すだろう』
それは他の魔物がリオーの姿や臭いに怯えて逃げるからだった。
リオーは生前ランク10のグレートマッドドラゴン。ゾンビ化した事で大分弱体化したが、それでもB級ダンジョンの『鱗王の巣』に潜り、ランク8まで力を取り戻している。
ランク8なら骨人もランクアップしたため同じなのだが、やはり見た目の迫力が違う。骨人の外見は鎧を着たスケルトンだが、リオーの巨体とワニに似た外見は見るからに迫力がある。
それにヴァンダルーの魔術によって腐敗は停止しているが、嗅覚の鋭い魔物は僅かな臭いを嗅ぎ取ってドラゴンゾンビの存在を察知する。
結果、リオーが通る場所から魔物の姿は消えてしまうのだ。……大鯰やジャイアントフロッグ等、ランク1の魔物は平気な顔をしてうろついているが、それはリオーが自分達最下級の魔物は視界に入っても気にしないと、本能的に判断しているからだ。
凶暴なオーガの周りからゴブリンは逃げるが、蟻は逃げないのと同じである。
『ぢゅぅっ、しかし折角主から賜ったリオーから降りるのは……』
しかし骨人はリオーから降りる事に渋い顔……は変わらないが、声を出した。
骨人にとってリオーは、ヴァンダルーから貰った念願のドラゴンゾンビである。時間を見つけては鱗や牙を磨いてやって、大切にしている愛騎だ。
『GROoo』
尤も、リオーの方は常に何処かぼんやりした目をしていて、骨人の愛情が通じているか不明だが。
『それに主の領土を、退屈を紛らわせるために危険にさらすような事は……』
『ならば辛抱してくだされ。見回りが終われば、休暇でしょう。ダンジョンで存分に腕を振るわれれば宜しい』
『ぢゅうぅ……』
渋々骨人は黙り、見回りに集中する。締まらないやり取りが終わると、途端にバイコーンやナイトメアホースの蹄や鼻息の音だけになった。
しかし、不意にバイコーン達が興奮したように牙を噛みあわせ始めた。
『これは血の臭い!』
『近くで魔物が争ったか?』
魔物が争う事は珍しくない。しかし、血の臭いが何時までも残っているのは珍しい。飛び散った血や肉片も魔境に存在する蟲や、低級の魔物が根こそぎ啜り、食ってしまうからだ。
そして霊を見る事が出来るアンデッドである骨人達の目には、オークの霊が映っていた。すぐに形を崩し、輪廻の環に戻ったのか消えてしまったが。
『オークがこんな沼沢地の近くに? 初めてだ』
『ヂュウ、霊は消えたが何か残っているかもしれない。周辺を探せ』
そして周辺を探し回ったが、オークの死体は何者かに回収されており、見つかったのは折れた剣の欠片や、僅かに残っていたオークの物らしい肉片。そして、南に続く巨大な蟲の足跡だった。
『南で何かが起こっている? ヂュォ……主に報告しなければ』
誰もいなくなったヴァンダルーの工房の一画に設置されている、円形のプール状の容器。
その中に満ちる肉色の液体から、無秩序に腕や足、頭のような器官が伸びては崩れを繰り返している。
ヴァンダルーがダルシアを復活させようと、不完全な蘇生装置を動かした結果出来てしまった謎の蠢く肉塊だ。
何故か生命が宿っているが、霊も魂も宿っていない謎の存在である。
最初はルチリアーノが新たな生命の誕生かもしれないと熱心に観察していたが、蠢く以上の変化が見られず今はパウヴィナ達年少組やヴァンダルーが餌の死肉を与えているだけだった。
しかしその時不意に、肉塊から手が伸びた。
『――』
初めて意思があるような動きを見せた肉塊は、腕をそのままプールの外まで伸ばす。そして、床に在る何かを掴んだ。
すると手の中に銀色に輝く何かが姿を現した。その銀色の何か……ヴァンダルーの死属性の魔力で未知の魔導金属に変化した銀塊を掴んだ肉塊は、腕を引き戻すと銀塊を自らの中に埋めた。
そして、一層激しく煮立ったお湯のように蠢き……動かなくなった。
7月4日に閑話15その頃のハインツ 5日に閑話16 前哨戦 8日に閑話17 連鎖 を問うこする予定です。
暫くの間オリジンの閑話が続きます。宜しければお付き合いください。




