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四度目は嫌な死属性魔術師  作者: デンスケ
第四章 ハートナー公爵領編
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九十四話 猿を堕とす半吸血鬼のお宅訪問

「アイラとチプラスと『狂犬』のベールケルトによりますとー、山を登ってー空を飛んでー湖に潜ってー」

 ヴァンダルーはアイラ達が情報を突き合わせて推測した道順を、適当に歌いながら湖の辺で準備体操をしていた。


 春に成ったと言ってもまだ三月。水泳には早い時期だ。そしてヴァンダルーは、あまり水泳が得意ではない。

「学校のプールで何とか五十メートル泳げるぐらいですからねー……今は潜水なら三十分以上可能だけど」

 オットセイやアシカ、ラッコはどれくらい水に潜ったままで泳げただろうか。そろそろ超えられたかな?


 どうでもいいかと考えるのを止めて、ヴァンダルーは「とー」と飛び込んだ。

「ギチギチギチギチッ!」

 途端後頭部から出て来たピートが岸に向かって頭を伸ばし、ヴァンダルーを引き戻してしまう。衝撃で「ほげっ」と妙な声を出しつつ、背中から着地する。


『陛下っ、大丈夫ですか!? 凄く変な声が出てましたよ!』

「た、多分? ピート、俺の中に居れば風呂と一緒で大丈夫ですから。あ、ちょ、止めてっ、根っこを伸ばして岸に根付かないで」

 水の中に潜るのを嫌がるピートや植物系魔物の抵抗を宥めるのに、暫し時間が流れた。共生とは中々大変だ。




 冷たい湖水の中を、ヴァンダルーはすいすいと歩いていた。

 手から出したイモータルエントの枝を器用に操って、湖底の土や岩を足場に進む。

『海水だったら嫌がられたでしょうけど。何時か海に潜る機会があるかもしれないし、今の内に対策考えておいた方が良いかな?』

 霊体の口でそんな事を呟きながら、湖底を進む。暗いが、ここでも【闇視】スキルのお蔭で視界に問題は無い。


 ただ泥や微生物で濁っていたら流石に【闇視】でも見えなくなるので、水が澄んでいて助かった。


『ん?』

 すると、前方に十数人の槍を携えた人影が現れた。だがよく見ると、確かに人型をしているが全身が鱗に覆われており、顔は人と魚を混ぜたような作りに成っている。

 水棲の亜人型魔物、ギルマンだ。


 同じ水棲の亜人型には、魚の胴体に人間の手足が生えた姿の、海のゴブリンと評されるサハギンが存在するが、ギルマンはそのサハギンよりもずっと高位の魔物だ。

 人間とは精神構造が異なるためコミュニケーションを取る事は難しいが知能自体は高く、貝殻や甲羅で武具を自作し、大きければ数百人規模の群れを作る。


 人種とは生存域があまり重ならないので知名度は低いが、漁村ではオーガよりも恐れられる。そして彼らを創りだした存在と『海の神』トリスタンの間には何か因縁があるのか、人魚を目にした時は狂戦士の様に暴れる事から『人魚の仇敵』と呼ばれている。


『グブブブ』

『ブッグキュブギュ』

 そしてギルマン達は、その魚のような目に分かる困惑を浮かべてヴァンダルーを遠巻きに見ていた。

 多分、「あれは何だ?」とか「手足から枝が生えているぞ」とか、そんな事を仲間と話しているのではないだろうか?


(困ったなー、この世界って魔物には日本語通じないんですよね。ギルマンの霊が居れば【可視化】で通訳させるけど、見かけないし)

 そう困っていたヴァンダルーだが、どうやらギルマン達はこの珍客を「正体不明だが、とりあえず始末しよう」と決めたらしい。【危険感知:死】で感知出来る殺気を向けながら、槍を構えて近付いてくる。


 そんな対応を取られたら、ヴァンダルーも悩む必要はない。

『水中戦って、気が乗らないんですけどね。レビア王女達に手伝ってもらえないし』

 そう言いながら、ヴァンダルーはカースウェポン化したクナイを投げ、水中に猛毒を撒いた。


『でもまあ、道案内の当てが出来たのは幸運でしたね』


 因みに、ギルマンのランクは3。ただ水中や船上で戦う事に成る場合が多いので、冒険者ギルドはランクを1多く考えて戦う様にと訴えている。




 ゾンビにしたギルマンに案内をさせ、ヴァンダルーは湖底の隠されていた水中洞窟を発見し、そこを一時間ほどかけて抜け、ざぱっと水面から顔を出した。

「あー、死ぬかと思った」

 息が苦しくなる度にゾンビにしたギルマンの喉に噛みつき、肺の中の空気を吸わなければ危なかった。


 ギルマン達には脇腹にエラがあるが、水上で活動するために肺も備えている。

 因みに、口と口で人工呼吸しなかったのはただの拘りである。ゾンビなのは兎も角、魚面の魔物がファーストキスの相手なのは、絶対嫌だ。


 音も無く水面から顔を出すギルマンゾンビに手伝わせて岸に上がったヴァンダルーの視界には、大きな地底湖とその辺に建つ一見上品に……しかしよく見ると悍ましい佇まいの屋敷が在った。


「おやおや、本当に死んでくださった方が助かったのですが。招いた覚えのないお客様」

 そのヴァンダルーを出迎えたのは、如何にも出来そうな執事といった印象の人物だった。中肉中背の、ラムダでは高価なモノクルが似合う中性的な美形だ。


「どうも、勝手にお邪魔して申し訳ありません。俺はヴァンダルーと申します」

「おや、やはり貴方様が例のダンピールでしたか。お噂はかねがね、私も是非一度お会いしたいと思っておりました。

 申し遅れました。私、当屋敷で執事長をしております『愚犬』のベルモンドと申します。本日はどのようなご用件で?」

 慇懃に一礼するベルモンドに、ヴァンダルーは答えた。


「はい。今日は貴方の職場を武力制圧しようと思いまして。これから実行しますが、宜しいですか? まあ、ダメと言われても日を改める事は出来ませんが」


「そうでしたか。それは丁度良い、私も貴方様を殺そうと思っていたのです、よっ!」

 穏やかな笑みから、牙を剥き出しにした狂笑に変えて、ベルモンドが細い指を動かす。その途端、ヴァンダルーの左右を守っていたギルマンゾンビがバラバラに成った。


 音も無く、鮮やかな切断面を晒しながら五体を十以上のパーツに切り分けられたギルマンが地底湖の岸部に転がる。

 ぽちゃんとギルマンゾンビの欠片が湖面に落ちる音を聞きながら、ベルモンドは微動だにしないヴァンダルーに落胆を覚えた。

「ふふ、何が起きたか分からないでしょう? 私はこう見えても数万年の時を生きていましてね、その成果ですよ。貴方にも堪能していただけると――」

「極細の金属の糸を、魔術と指先で操っている。魔術は……風属性かな。雷って、風属性の一部ですよね?」

「な、何と!?」


 まさか一瞬で自分の秘技を見抜かれるとは思わなかったベルモンドが、思わず狼狽する。だが、すぐに彼は指の一本一本を別々の生き物の様に奇怪にくねらせた。

「フッ、こんなにも簡単に見抜かれるとは意外でしたが、だから何だと言うのです? 既に貴方は私の糸の虜! 逃げる隙間は在りませんよ」

 ヴァンダルーの周囲を糸で包囲したベルモンドは、自身の必勝を確信して落ち着きを取り戻した。


 ここまで包囲網を完成させれば、ヴァンダルーが呪文を唱える前に始末できる。まだ残っているギルマンゾンビがこちらに回り込もうとしているが、接近されたところであの程度の雑魚、軽くあしらえる。

「さあっ、御両親の元にお逝きなさいっ!」

 僅かに指を曲げる。それだけの動作で、ヴァンダルーの首が落ちる。そのはずだったが……返って来たのは鈍い手応え。


 糸が、思い描いたように動かない!


「何っ!? これは……そうかっ、貴方も私と同じ【糸使い】かっ!」

 ベルモンドの糸が、ヴァンダルーから伸びた糸状の物に絡みつかれていた。

「いえ、そのジョブにはありません。でも、糸状の物を操る事は出来ます」

 ベルモンドの極細の金属糸は、ヴァンダルーから伸びた髪の毛と、舌と爪から生成される粘着質な糸に残らず絡め取られている。


 ヴァンダルーの【操糸術】レベルはベルモンドに比べてずっと低いが、自分の周りに張り巡らせるだけで良かったので、絡め取るのは簡単だった。


「……ダンピールはそんな事が出来る種族なのですか?」

「いや、他のダンピールの人知らないので」

 正確にはハインツが保護している名も知らぬダンピールの少女なら見た事があるが、見た事があるだけなので彼女が糸を吐けるかどうかは知らない。多分、出来ないとは思うが。


 ベルモンドは、委細は異なるが自分と同じ糸を操るダンピールに挑戦的な笑みを向けた。

「なるほど、ではこれは吸血鬼とダンピールでは無く、糸使いと糸使いの戦い……まさか、同じ糸を使う敵と戦う機会に恵まれるとは思いもよりませんでした。ヒヒリュシュカカ様には心から感謝しておきましょう。

 さあ、互いに死力を尽くして戦おうではありませんか! 勝利の栄光を掴むために!」


 どうやら、ベルモンドの中の妙なスイッチが入ってしまったらしい。まるで親友と語らっているかのように、瞳には無邪気な輝きがある。

 そんな瞳でヴァンダルーを好敵手の様に扱って宣言すると同時に、音を立ててベルモンドの靴が内側から裂けた。

「さぁっ! お客様、私の二十の指から放たれる糸に持ち堪えられますかな!?」

 何とベルモンドの足の指は、まるで猿の様に一本一本が長くなっていた。


 それを器用にくねらせて糸を操るベルモンドには先程覚えた落胆は残っておらず、その胸は高鳴るばかりだった。

 好敵手の登場か、それとも何か予感しているのか。何にせよ、目の前の存在が自分に何かを与えてくれる事を疑わなかった。


 ベルモンドが放った糸がヴァンダルーの糸に次々に絡め取られる。だが、ベルモンドの糸はヴァンダルーの糸を潜り抜け、切断しながら徐々に迫って行く。

「どうなさいました? 守りだけでは勝てませんよ!」

「そうですね」

『ではそろそろ反撃に転じましょう』

「っ!?」


 離れたところから聞こえた声に、ベルモンドは驚愕して視線をそちらに向けた。

 すると、ベルモンドから見て左のやや離れた場所にギルマンゾンビが集まっていた。まさかギルマンゾンビが喋ったのかと思っていると、彼らの鱗だらけの身体から次々にヴァンダルーが生えて来た。

「えっ? なっ? お、お客様、御兄弟ですか?」

 するりするりとギルマンゾンビ達から出て来るヴァンダルーの姿に困惑したベルモンドが、自分と攻防を繰り広げている方のヴァンダルーに尋ねる。


「いえ、どれもこれも俺自身です。貴方と戦っているのは、【遠隔操作】スキルで動かしている、俺の肉体」

『こっちは、【幽体離脱】して分裂した後ギルマンゾンビと一体化していた、霊体の俺です』

『では、攻撃に転じますねー』

 そう言いながら、霊体のヴァンダルー達はギルマンゾンビが背中に括り付けていた長い筒状の何かをベルモンドに向ける。


「肉体と霊体ですと!? い、いやいやお待ちくださいお客様っ、それはおかしいっ、それでは肉体を……本体を囮にして私を欺いたと仰るのですか!?」

「まあ、本体と言えば本体でしょうか」

「私の糸を絡め取りきれず、切り刻まれたらとは考えなかったので? 事実、後一分もあれば私は貴方の五体をバラバラに出来るのですが」


「五体をバラバラにされた程度なら、三分以内に繋ぎ直せば俺は死にません」

「……貴種吸血鬼でも、そこまでされたら死ぬのですが?」

「後、こんな方法もあります」

 するりとヴァンダルーの首筋からワームの頭が生えた。その頭に唯一ある口が開き、中からどろりとした液体が溢れ出す。


 その液体は……冥銅はヴァンダルーの身体を覆うと鎧の形に成った。ゴーレム化した冥銅をダタラが鎧に鍛え上げた物だ。

 更に、周囲の自分の糸とベルモンドの糸を撒き込んで【吸魔の結界】と【停撃の結界】を張る。


 次々に、そして易々と防御を固めるヴァンダルーにベルモンドは唖然とした。しかも、結界はベルモンドの糸を巻き込んでいるので糸がほとんど動かない。

「失礼を承知でお尋ねしますが……お客様は化け物か怪物ではございませんか?」

 糸を操ろうと指を動かす度に、逆に糸が食い込んで指から血が飛沫を上げる。こうなったら両手足を切断して逃げるしかないが、そのための呪文を唱える代わりにベルモンドはそうヴァンダルーに尋ねた。


 避けようの無い敗北に鼓動は激しくなり、頬は紅潮し、瞳が震え視界が滲む。


「当方は一応人間のつもりなので、そう言われるのは甚だ遺憾です」

 そう答えながら、霊体のヴァンダルーは筒に銀の弾を装填……しようとして別の弾に変えた。

 筒……内側に弾丸を回転させるために螺旋状の溝を掘った銃身に鉄の弾丸を装填し、少し角度を調整して【念動】で打ち出す。


「ファイエル」

 淡々とした声とは裏腹に、轟音と共に弾丸が発射された。


「くっ……ふしゃあっ!」

 ベルモンドは何と先が二股に分かれた舌を伸ばし、それで糸を操りヴァンダルーが撃ち出した、ラムダ初の銃弾を逸らそうとした。

 しかし鉄の銃弾は糸を弾き飛ばし、ベルモンドの胴体に命中した。




『【砲術】スキルを獲得しました』


 どうやら、ラムダでは銃を使うスキルは【銃術】ではなく【砲術】と評されるらしい。


 地底湖の遥か向こう側の壁に鉄製の弾丸が激突し、壁が一部崩落するのを見ると、銃ではなく砲扱いなのも納得ではあるが。

 それに、ヴァンダルーが【念動】銃の命中力と威力を高めるために作ったこの銃身は、名前の通り銃身だけで、引き金もマガジンも無いので、銃とは評し難いだろう。


 だがヴァンダルーは銃身を使用した【念動】銃の威力を認めつつも、地下では必要な時以外使わない様にしようと心に決めた。

「ところで話せます? オリハルコンや銀じゃなくてただの鉄製の弾丸を使いましたし、狙いもずらしたので死にはしないはずですけど」


「かっ……へひゅっ……お、お見苦しい姿を、お見せして……申し訳……」

 ヴァンダルーは無残な姿で転がったまま、しかし慇懃な口調を崩そうとしないベルモンドを見下ろしていた。

 右の脇腹から胸にかけて大きく抉れ、臓物や骨の欠片が血に混じってあちこちに飛び散っている。更に、撃たれた後吹き飛ばされ地面に何度か転がったせいで、ベルモンドが操る鋭い糸がベルモンド自身の肉体を傷付けていた。

 手足に指は残っておらず、舌もズタズタだ。


 しかし、見苦しいとベルモンドが評しているのはそれ等ではないようだ。偽装の為のマジックアイテムであるモノクルが砕けた事で露わに成った、自分の姿の事だ。

 破れた衣服から、酷い火傷の痕や引き攣った傷跡が幾つも見える。端正な顔も半分程火傷で覆われており、片方の瞳も白濁している。


 そして耳の形が変わっていた。


「女性だったとは驚きました。後、元々は獣人種だったんですね。吸血鬼って、他のヴィダの新種族からでも成れるのですか?」

「……森猿系獣人種と呼ばれる種族出身でございます。尤も、純粋な獣人ではなく、先祖にラミアの血が混じっていたようですが。この舌と、後今は分り難くなっていますが、失明した方の瞳の形がラミアの物です。

 ヴィダの新種族も吸血鬼に成る事は、不可能ではありません。ただ九割の確率で失敗する上に、副作用で命を落とす可能性があるだけです。

 しかし、何故私が女だと分かったのですか? ご覧の通り、女らしい箇所は全て焼かれるか切り落とされているはずですが」


「傷口から内臓が見えていますから」

「なるほど……これは失念しておりました」

 苦笑いを浮かべて、実は女性だったベルモンドは「それで、止めは刺さないのですか?」と尋ねた。


「お客様ほどではありませんが、私も伯爵位を持つ貴種吸血鬼。この程度なら回復します。元通りに動くかは分かりませんが、半日もあれば辛うじて歩ける程度には。

 それに、こうしておしゃべりに興じている今も、魔術を唱えようと思えば出来ない訳ではありません」


「でも唱えようとしていませんよね。それどころか、もう反撃する気も無い。それに、【死属性魅了】のスキルが効いていますね?」

 既に【危険感知:死】にまったく反応しないベルモンドにそう問い返すと、彼女は驚いたような顔をした後、納得したように息を吐いた。


「なるほど、魅了系のスキルですか。ですが、私はお客様に魅了されたというよりも、お客様を殺せば何かが変わる、殺せなくても殺してくれると、そんな心情に突き動かされているのですが?」

「あー、そういう方向に効いたんですね」

 魅了とは言っても、誰もが文字通りの意味で好意的に成る訳ではない。病んでいたり狂っていたりする場合は、ベルモンドの様な反応を示すのだろう。


 つまり、ヤンデレ。

 考えてみれば、以前倒したセルクレントやアイラは吸血鬼なのにエレオノーラと違い友好的には成らなかった。それも単純に【死属性魅了】をレジストしたのではなく、屈折した形で効果を発揮したのかもしれない。

 セルクレントの魂は砕いたので、タロスヘイムに戻ったらアイラに改めて話を聞いてみよう。


 これからは気を付けよう。


「それで、まさか私に寝返れなどとは言わないでしょうね?」

「寝返れ」

「……言うのですか」

「言うのですよ」


 呆れたような顔のベルモンドに、ヴァンダルーは続けた。

「別に貴女は俺を殺そうとしただけですし、俺は貴女に恨みは無いですし、糸使いについて教えて欲しいので。

 後、現在執事募集中です」

「……私は極悪人ですが?」


「んー、でも後ろに何も憑いていませんし。もしかして、ここの番人を長年やっていて表に出てないとかではないですか」

「……正解です、お客様」

 ベルモンドはヴァンダルーには数万年を生きていると言ったが、実際には吸血鬼に成ってから一万年程しか生きていない。


 彼女は一万年前、産まれた部族をその身に現れた祖先の血による異形を咎められて追放された。そして、彷徨いやっと辿り着いた人里で、魔物扱いされて暴行を受けたのだ。

 そして死に瀕していた彼女を、ヒヒリュシュカカを奉じる邪神派吸血鬼が拾った。


「私の主人は丁度、この屋敷の番をさせる従順な手下を探していたようでして。これでも万が一の時逃げ込むための避難所兼作品の保管庫だから、裏切るような者には任せられない。

 それで、私の様に半死半生の者を見つけては助けて吸血鬼に仕立てたのですよ」


「その割には、あまり忠誠心があるようには見えませんが」

「ふふ、一万年も生きていると色々あるのでございますよ。特に、こんな体では。吸血鬼に成る前の傷痕は、治せないのでね」

 最初の数年は、主人に恩を返すため必死に努力した。同じような境遇の仲間達と切磋琢磨した。

 そして実力が認められ、いよいよ吸血鬼の一員となった数十年は徐々に減っていく仲間達に涙を流しつつも、彼らの分も恩返しをしようと、がむしゃらに腕を磨いた。


 そしてこの屋敷の番を任せられて数百年。だんだん、自分は利用されているだけなのではないかと考えるようになってきた。

 吸血鬼に成って千年目、主人から偽装用のマジックアイテムであるモノクルを投げ渡された。「この屋敷で醜い姿を晒すんじゃないよ」と言う言葉と共に。


 そして一万年目。何もかもが虚しくなった。戯れで覚えた技を振るう機会も滅多に無く、あってもすぐに終わってしまう。いっそ逃げ出そうかと思っても、逃げた後何かしたいのかと考えると答えは見つからず。

 ならいっそ死のうかとも思うが、死ぬ気にもなれず。


 ふと気がつくと数年経っていた。そんな摩耗した心理状態で過ごしていたある日、現れたのがヴァンダルーだった。


「じゃあ俺に寝返っても良くないですか?」

 ヴァンダルーはベルモンドがタロスヘイムの事に関わっていないらしい事に満足すると、そう言った。

 彼もベルモンドがただの被害者だと思っている訳ではない。一万年の間に幾人も殺し、幾つも罪を重ねただろう。

 だが、それらはヴァンダルーにとってどうでも良い事である。


「正直、善悪なんてあやふやなもの、どうでも良いんですよ。国や文化、時代であっさり変わる程度の物です。そもそも、俺は大多数の人にとっては悪人らしいですから。

 自分と関係無い社会と場所の善悪なんて知りません」

 ヴァンダルーは、絶対的な善が存在するとは考えられない。悪と言う概念があるから、善が存在する。そう考える彼にとって、善悪の基準はあやふやな物だ。


 実際、地球でもオリジンでも善は彼を助けなかった。

 勿論自分の経験だけで全てを決めつけるのは視野狭窄だとも思うが、ラムダではこれで今まで上手くいっているのだし、別に良いだろうと考えている。


「……お客様を殺そうとした件については?」

「俺が勝ったので、ノーカンです」

 殺し合いの場合は、勝った方が敗者に権利を持つとヴァンダルーは単純に考えていた。

 魔物の場合は素材と魔石を剥ぐし、山賊の場合は殺すか血を吸う。

 戦争でも敵兵を殺せば手柄、捕虜にすれば報奨金も割増になる。


 ならベルモンドに勝ったヴァンダルーが彼女を勧誘するのも自由だろう。

「それに極論を言えば、生きたまま俺に寝返るか、死んだ後寝返るかの違いだけですよ。ただ、死ぬと記憶や人格が崩れたり大きく変わったりするので、生きたまま寝返ってくれた方が助かります」

 チェザーレの様にアンデッド化した後の方が輝く場合もあるが、あれはレアケースである。


「それで、どうします?」

『陛下の方に着いた方が良いわよ』

『私達もこうして陛下に憑いてるし、ゴーストなのに美味しい物が食べられるのよ。ですよね、レビア様』

『はい。貴女が陛下の力に成ってくれれば心強いです。お願いできませんか?』


 【死霊魔術】の出番が無かったため暇だったらしいレビア王女達、ブレイズゴーストが姿を現すと、ベルモンドはどちらにしてもこのお客様からは逃れられないらしいと諦めた。

「畏まりました、お客様。ですが、条件が二つございます。

 一つはお客様がご主人様……テーネシア様を倒す事。もう一つは、私の身体を元に戻す事です」


 ヴァンダルーがテーネシアに殺されれば寝返る甲斐もないし、今のベルモンドの状態では糸使いについて教え執事として働く事も出来ない。


「分かりました」

 普通ならS級冒険者でも簡単には頷けない条件に、ヴァンダルーはあっさり頷いた。

「とりあえず、内臓と骨を集めて繋ぎますね。レビア王女、皆、火を抑えてください。ベルモンドのモツが焼けそうです」

『ああ、ごめんなさい! 今離れますねっ』


「お客様……人の内臓をモツと言うのはどうかと」

 判断を早まったかもしれない。そう思いつつも、ベルモンドは彼に期待するのを止められないでいた。




「ぐあああああっ! て、テーネシア様、バンザァァァァァイ!」

 地球の特撮物なら爆発して果てそうな断末魔の声を上げつつ、侯爵位を持つ貴種吸血鬼、ダロークが心臓を女戦士の拳に貫かれて倒れた。

 彼は数万年の時を生きた、テーネシアの側近の中でも彼女に次ぐ武威を持つと称えられ【テーネシアの闘犬】の二つ名で闇の世界に知られた男だったのだが。


「ふんっ。幾ら身体を霧にしようが、我が【輝拳術】の前には無力だ」

 白く輝くマジックアイテムの手甲でダロークを倒したジェニファーは、仲間と共に最後に残った親玉を睨みつけた。

 原種吸血鬼、テーネシア。彼女は腹心の最期に舌打ちすると、何時もの娼婦を思わせる格好のままジェニファー達を睨み返した。


「やれやれ、やってくれたね。あたしの【五犬衆】も、一人を残して全滅……アイラ以外の三匹を始末するとは、ちょいとあんた達を舐めていたよ」

 周囲には建造物の残骸や木々が転がっている。ここは彼女の拠点の一つで、中々洒落た屋敷だったのだが……戦いの余波で周囲の森ごと荒野に成りかけていた。


「しかし派手にやるね。伝説の勇者ベルウッドは、花一つ踏み折るのにも心を痛めたもんだが、あんた等は違うのかい?」

 以前よりも月と星が良く見える様にされた拠点を見回して言うテーネシアに、ハインツは答えた。


「人里離れた魔物しか居ない森を守るために、貴様等を滅ぼす事を躊躇う事こそ罪だ。

 この森が水源地だったら、私も考えたが」

 異世界の知識を忌避していたベルウッドだったが、自然環境に関する知識だけは積極的に広め、残していた。森が水を貯える事もその一つだ。


「チっ、【闇を切り裂く者】らしい事を言ってくれるじゃないか。だが、あんた達の口上は聞き飽きた! 続きはあたしのアンデッドに成ってから歌うんだね!」

 物理的な圧力すら伴う殺気を放ちながら、テーネシアは内心では苛立ち、やや焦っていた。


(ビルカインとグーバモンは何をしてるんだい!? 何故さっさと来ないっ、このままじゃ、あの切り札を使わざるを得なくなるじゃないかっ!)

 その心の乱れを見抜いたように、『眠りの女神』ミルの神官であるダイアナが追加の付与魔術を唱えようとする。


「させるかいっ! カァ!」

「こっちのセリフだよっ、【大挑発】!」

 奇声を上げて右目に移植した【石化の魔眼】を発動させようとしたテーネシアだったが、その敵意をデライザが【盾術】の武技で強引に自分へ向ける。


 途端嫌な音を立ててデライザの手足の先端から石化が始まる。だが、テーネシアは彼女から視線をすぐに外した。

「くっ!」

 何時の間にか忍び寄っていたエドガーが、死角から彼女を狙ったのだ。光属性の魔術が付与されたミスリルの短剣が、テーネシアの急所を狙う。


 それを鉤爪で防ぎ、そのままエドガーを裂こうとすれば、何と彼の姿は霞のように消えてしまった。

「っ!? 【分身】か!」

「良く分かったな。大抵の奴は、魔術と間違えるんだが」

 【鎧術】の高等武技、残像を利用した分身を作りながらエドガーが短剣を振るう。ほとんどが幻だとしても、もし見逃した攻撃が本物ならと思うと、無視できない。


「合わせろ! 【輝剣一閃】!」

「【輝拳連打】!」

 そこにハインツの魔剣とジェニファーの魔拳が襲い掛かる。流石にテーネシアも全てを捌く事は出来ず、身体に幾筋もの傷を負う。


 どれも彼女の生命力から見れば掠り傷だ。しかし、対吸血鬼に特化したハインツ達の攻撃は、掠り傷でもテーネシアに大きな痛みを与え、驚異的な再生能力も大きく減退させ、それ以上に彼女の集中力を乱す。

「……群れるな餓鬼共が! 【風刃乱舞】!」

 苛立ちを抑えられず、自分の周囲に無数の風の刃を乱射するテーネシア。これでハインツ達は一旦下がらなければならなくなり、彼女はその隙に態勢を立て直す事が出来るはずだった。


「女神の導きにより魔力よ、安らかなれ。【魔睡波動】」

 だが、ダイアナが唱えていた魔術により、テーネシアの魔術の威力が大幅に削られる。ハインツ達が装備しているドラゴンの素材や魔導金属をふんだんに使った防具の対魔防御力で弾かれてしまう程度に。


 そして逆に隙を作ったテーネシアに、ハインツ達の攻撃の勢いが増す。

(こいつ等……自分より強い相手と戦う事に慣れている!)

 盾職のデライザが敵の敵意を引き受け、エドガーがフォローし、ジェニファーが手数、ハインツが高攻撃力の一撃で攻め、ダイアナが魔術で全体を援護する。

 その連携が高度に行われるのだ。そしてテーネシアは彼ら相手に力が発揮しきれずにいた。一人ではハインツ達の連携に対応しきれず。どうしても大技を決められない。


 そして苛立ちや焦りを抑えられず、思わず放つ単調な攻撃はデライザとダイアナに防がれるか力を削がれてしまう。


「このあたしがっ、勇者共との戦争からも生き延びたこのテーネシア様がっ、青臭いガキ共相手にっ!」

 荒れ狂うテーネシア。確かに、彼女は強い。並のドラゴンなら羽虫同然に潰せる程の力を持つ、生態系の頂点に君臨出来る生物だ。

 しかし、だからこそテーネシアは十万年前よりも弱くなっていた。


 十万年の間奪った命は数知れず。しかしそれは殆ど一方的な虐殺で、互角に戦える相手との戦いは数えるほど。そして、ここ数万年は無数の手下の上に君臨する暴君としてしか存在していない。

 命の危機を覚えない悠久の日々は確実にテーネシアの勘を鈍らせ、鋭かった精神力と技を摩耗させ緩ませてしまった。


 そんなテーネシアにハインツ達の高度な連携を破る地力は残っていない。だが、こんな時のために彼女達は原種吸血鬼三人による合議制を維持していたのだが――。

(くっ、ビルカインもグーバモンもあたしを見捨てる気か!)

 だが、頼みの綱の援軍も現れない。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」

 浅くない傷を受けたテーネシアが濁った絶叫を上げる。ハインツ達は、このまま行けば勝てると確信しつつも、油断なく攻撃を重ねる。

 そんな彼らに、テーネシアは牙を剥き出しにした狂笑を向けた。


「あたしを追い詰めた事を後悔して死ねっ! 【魔王の角】発動!」

 その瞬間、テーネシアの身体の至る所から生じた角にハインツ達は裂かれた。




・名前:ベルモンド

・年齢:約一万歳(吸血鬼化当時18歳)

・二つ名:【テーネシアの愚犬】

・ランク:10

・種族:ヴァンパイアカウント(貴種吸血鬼伯爵 密林猿系獣人種)

・レベル:7

・ジョブ:ストリングマスター

・ジョブレベル:7

・ジョブ履歴:狩人見習い、見習い盗賊、盗賊、暗殺者、使用人、糸使い



・パッシブスキル

闇視

怪力:3Lv

高速再生:5Lv

状態異常耐性:6Lv

自己強化:隷属:10Lv

魔力回復:ダメージ:10Lv

気配感知:7Lv

直感:3Lv

精神汚染:7Lv


・アクティブスキル

吸血:7Lv

弓術:1Lv

投擲術:1Lv

短剣術:9Lv

風属性魔術:2Lv

無属性魔術:1Lv

魔術制御:1Lv

高速飛行:1Lv

忍び足:8Lv

罠:5Lv

解体:3Lv

限界超越:1Lv

家事:10Lv

操糸術:7Lv


・ユニークスキル

供物




 テーネシアの側近である『五犬衆』の中である意味最も重要な役目を与えられた、最も弱い人物。他の五犬衆のメンバーからは、「番犬の様な奴」と嘲笑される事もしばしば。

 一万年の人生の九割以上を、時たまテーネシアが来る時以外は決められた言動を繰り返すか、すすり泣きや喘ぐような悲鳴、金切り声を上げるだけのアンデッドしか居ない屋敷の番人(と、もう一つの役目を)していたため、精神状態は廃人手前で、自己破壊願望に憑りつかれている。


 ただ、そのお蔭で他の吸血鬼から距離があり、その点では正常と言える。


 本来は密林で暮らす森猿系獣人種の女性で、先祖に混じっていたラミアの血が部分的に出ている。

 ただ吸血鬼化前に受けた激しい暴行により、体中に傷や火傷の痕が残っている。片目もその際失明し、本来生えている長い尻尾も切り落とされている。


 片目の失明とテーネシアの「最終的に逆らわないならそれで良い」と言ういい加減な育成方針により、実際に『五犬衆』最弱。マジックアイテムもモノクル以外装備していない。


 また吸血鬼は魔術の才能に補正が掛からないため、折角貴種吸血鬼に成っても獣人種だった生まれのせいで魔術が下手なままだった。そのため糸を操る補助程度にしか魔術を使わない。

 ただ、【短剣術】も使って戦えばもっと強かったのだが……趣味を優先する趣味人である。


 地味に家事マスターで、特に掃除は数年単位で記憶が飛ぶような精神状態でもそつなくこなす。

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95話を3月31日に、96話を4月3日に、閑話7を7日に投稿予定です。

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