3. 怪獣少女
ちょうど、〝さんちゃん〟のライブDVDを見ている時だった。
西暦2134年。
五月三日の午前九時十四分。姉がチャーターした小型ジェット機に乗り、モニカはその地に『上陸』する。
空港から送迎車に乗り替えて、名前の他は何も知らない町へ。
兎津町の朝風は清涼で、少しだけ潮の香りが混じっていた。肌をなでる生暖かな湿り気に、ぴくんと鼻先が動く。
新たな生活に思いをはせると、いやが上にも気分が高揚してくる。
姉が政府に働きかけてくれたおかげで、待望してやまなかった青春が始まるのだ。
(ああっ、なんて優秀なお姉ちゃん!)
彼女が何者かというと、まあ、平たく言えばロボットだ。詳しく説明すると異次元に突入する勢いで話が壮大になるので、ここでは割愛する。
この瞬間に注目すべきは、モニカが十六歳の乙女であって、
小千鳥高等学校に編入する手続きが整っていて、
たった今、1‐Aクラスの扉の前で高校デビューの瞬間に浮足立ち、スカート丈の再確認中ということだ。
今日は歴史的な一日になるだろう。
自身にとっても、1‐Aのクラスメートたちにとっても。
なぜならば、教室に降臨するのはモニカという禁断の果実。
元アイドル直伝の萌え力は、果肉から滴る露のようにこぼれ、たちまち彼らを魅了する。そうして、クラスメートは無力な子羊と化すのだ。
彼らはメェ、メェと鳴くばかりである。
と、思うモニカであった。
(友達、できるかなぁ……)
人並みに不安も感じていた。
「桜機さん、どうぞ。入ってきて」
「ごくり」
石像の真似をして固まっていても仕方がない。動かなくては。
担当の教員に手招きされ、おずおずと教室に入った。途端に新人歓迎と言わんばかりに――ただし夜露死苦!と同じようなノリで――視線の集中砲火を浴びる。
教壇の横に立ち、促されるままにチョークを取り、
『桜機モニカ』
と黒板に名前を書いた。
「カタカナ? 帰国子女かな?」「留学生?」「てか字汚な」「かわいいー」「うわ、きらきらネームじゃん」
ひそひそ声が聞こえてしまっているのはいかがなものか。
「わたしは日本生まれですよー」
モニカはへどもどしながら言った。
好奇の視線に背を向け、もう一度チョークを走らせる。
紹介すべき名前は桜機モニカ、だけではなかった。それとは別に、正式な〝名称〟がもう一つある。
人間にとっては、こちらの方が親しみやすいはずだ。
「え、桜機さん……?」
教師の顔が引きつる。
モニカは書いた。
『――モルドロス・NX【カッティア】』
「頭文字をとって、モ、ニ、カ、なんです! れっきとした日本海域生まれですよ! えっと、えへへ、人間にボコられたのは赤ちゃん時のことですから、仕返しにきたわけじゃありませーん」
弾けるような笑顔で言えば、温かな笑い声が、
(……あれれ?)
右へ左へと視線をさまよわせ、黒、金、桃、青、緑色の……やけにカラフルな髪――(※一般には、怪獣が人の染色体にもたらした弊害だと言われている。人々はクソ喰らえ怪獣め! と思った)――を見渡し、ぴたりと眼が合った。
視線が重なったのは、線の細い顔立ちの少女だった。
超ド級の美少女というほどでもないせいか、整った目鼻立ちが特徴のなさにもつながり、印象が乏しく感じられる。
形の良い眉がひそめられ、切れ長の双眸が細まった。
その隙間に据えられた瞳から、何らかの、澱んだ感情の棘とでもいうべき眼力が、一直線に放射されていた。
睨まれた。
目は口ほどにものを言い、「お前のユーモアを必ずしも好意的には受け取っていないぞ」と明朗に訴えている。
「み、皆さぁん、ここは笑うとこですよー? 面白くありませんでした……? あははー、はいっ! こんなギャグセンス欠乏症のわたしですが、どうか仲良くしてくださーい!」
丁寧におじぎしてみせたが、相変わらず反応は芳しくなかった。
まさかとは思うが、いやまさか、まさかまさか。初っ端から失敗したのではないだろうか?
モニカの高校デビューと、そして華々しい人間界デビューは、二つとも。
おかしい。何かがおかしい。
モニカは黙然と足を組んで顎を摘まみ、〝結構本気で考えている〟ふりをする。
ゆるやかに足組みを直した。
一時限目の数学の授業も終わり、中休みである。
小休憩を満喫するクラスメートの笑い声が、四方八方から――まるで四面楚歌みたいに――モニカをさいなんでいる。
さいなむだけで、笑い声だか嗤い声なのか判然としないものは、干渉してこない。視線は痛いほど感じるのに、誰も話しかけてはこなかった。
(どうして? 転校生ってもっとこう、ちやほやされてなんぼってとこ、あるじゃん?)
相手が怪獣の場合は例外なのか。
これだから人間というやつは。
「くそ」
独りでシャープペンを転がしていても楽しいわけがない。
モニカは、ぼっちだ。
(※一般には、この世にぼっちが生まれるのは、怪獣が人の染色体にもたらした弊害だと言われている。人々はクソ喰らえ怪獣め! と思った)
「はあー……」
駄目だ。悲しい上に寂しい。
ならばチェスをやろう。
ふざけているわけではない。
暇にならないようにと、折り畳み式のチェス盤を師匠――育ての親の敬称のようなもの――が持たせてくれたのだ。コツをつかめば一人で遊べる上に、意外と知られていないものの、永遠に遊べるやり込みゲームだった。
これで怪獣にも知性があると知ってもらえればもっけの幸い。
誰かが喋りかけてきてくれるかもしれない。クラスにチェスマニアがいれば、可能性は二倍になる。
淡い希望を抱きつつ、モニカは駒を並べた。