2. 天使に屈した機械②
さて。目を見張るだけの数値には、されどデータ以上の意味はない。
身体の99.9パーセント以上が大破したわたしは、機能中枢の元となるパワーコアを外部に排出し、なんとか意識を保っているだけだ。
海原に浮かび、物を考える。
考えることしかできない。
他のあらゆる機能は、フェーズシスター本体から膨れ上がった爆光に紛れ、ようとして失われた。
逃げ延びたパワーコアの重さは、およそ20キログラム。
流線を描く漆黒の棺桶か、はたまたつるっとした座薬みたいな長方形のおかげで、わたしは正常に自我を保っている。
「……」
カッティアがぶるりと震えた。
彼女の残骸はわたしに、パワーコアの表面にくっついている。
言いたいことがあるのだろうか、とわたしは首をひねった。当然、中身がすっからかんのパワーコアは、身じろぎもせずに浮かんでいるだけだった。精神的な首の話だ。
カッティアは一言も喋らない。
喋れないからだ。
喋るかわりにクラゲじみた軟体を波打たせ、官能的な触感で意思を伝えてくる。
パワーコア内では、わたしが「何かに気付いた」際の認識をもたらすものとして、ささやかな電位の変化が生ずる。すると彼女は抜け目なく変化を読み取り、震えるのをやめる。
元最強の進化怪獣も、今となっては可愛い存在だ。
外部排出されたパワーコア(わたし)を追ったカッティアの肉片は、ぴとりとくっつき、最初は子供が嫌々をするみたいに暴れていたのだ。
彼女も身体のほとんどを失った。
それほどに熾烈な戦いだった。――あれは何年前の話? 機械と怪獣が運命共同体となり、海でぷかぷかやることになった発端は。
ええと。あれは、六年前のことだ。
世界中の人々が固唾をのみ、激闘を見守っていた。
世紀の大決戦、スーパーストップ・ジェネレーション。
最強の進化怪獣モルドロス・NX【カッティア】と、人類きっての決戦兵器『フェーズシスター』が雌雄を決する催しは、紛れもなく、両種族の存亡をかけた一大イベントだった。
世界の東から西まで、端の端までを巻き込んだ戦いに、しかし、人々の熱狂はなかった。
暗然と漂うのは怖れ、願い、また限界まで煮詰まった怒りだけ。
わたしはカッティアと戦った。
そして、海に浮かんでいる。
二人を構成していた大方は削り取られ、消えてしまった。
残った部分は寄り添って、ひたすら浮き沈みを繰り返している。
敵意は自然となくなった。元々言われるがままの戦いだったし、カッティアにしても、実は人一人殺したことがない子だ。
彼女は成長すれば手に負えなくなる、という予測の下に討伐された。
肩を持つわけではないが、人間が取るべき手段は他になかった。
カッティアは他の怪獣とは比べ物にならない、まさに最強の存在だったのだから。
客観的な現実として、卵からかえって間もないカッティアに、大ベテランのわたしがぶつけられた。
赤ちゃんの〝じたばた〟で、わたしは大破。
カッティアは一片の肉片になった。大きなクラゲに似た肉片で、わたしにとっては浮き輪に近い存在。
両者痛み分けでわたしの任務は完了した。
カッティアを恨んではいないけれど、無期限の休暇でひどく暇になってしまった。
朝、昼、晩と潮汐に流されて、浮かぶだけ。
ぷかぷか、ぷかぷかぷかと、
六年間。
次第に不安が増していく。
世界一小さな怪獣(肉片)の幼少期は、海に浮かんでいるだけの時間だ。人格、というか獣格の形成においては、およそふさわしくない環境に思える。
「……」カッティアは震え続ける。
この子の将来はどうなるのだろう?
流されるわたしたちの行く先には、いつだって当てがない。けれど、永遠に海をさまよい続けるわけでもない、そのはずだ。
いつかは陸地に逢着し、誰かが見つけてくれる。その時になればカッティアはどうなる。わたしの、すべきことは?
(速やかにカッティアを始末する)
信頼に値する正当な判断だ。
しかし、好んで信じたくはない。
(嫌だ。この子を殺したくない)
真っ赤な嘘だ。……いや、いや真実だ。
わたしは、クラゲのようなカッティアがいてくれることに幸福を覚えながら――この子がいないと、わたしは沈んでしまうのだし――人類最大の脅威を消し炭にできなかったことを悔いていた。
論理的な判断と思い込みは、互いに薄っぺらな背中をくっつけ合いながら存在する。
カッティアを殺せないのが、とても歯がゆくて、
カッティアが生きていてくれて、この上なく嬉しい。
どちらも間違っている。
が、どちらも真実には違いない。
わたしは盲目的に、また毅然として、矛盾には気がつかない。
気づいてしまえば全てが終わりになってしまう。そうなれば、きっとわたしは、まともではいられない。
であれば。まともな思考でまともな帰結に至り、尚もまともで居続けたいと願うのなら。それについては、一切考えないこと。
(陸に上がったら何をしようか)
わたしは思考を脇道に逸らした。
たとえば意識データを小型の機体に移して、スポーツをやるのもいい。
それとも何かの芸術をやろうか。
初のロボ職人として、手に職を持つのも面白そうだ。
カッティアは学校に入れてあげよう。最強の怪獣は宿題を出され、悲鳴を上げるのだ。
(……笑える)
なんでもできる。と、わたしは楽観的に考えられる。
なぜならわたしは、どうせ何もできやしないのだから。機械は人の指示がなければ動けない。そういうものだ。
「……」執拗に蠢くカッティア。
珍しい。まさか、宿題は嫌だと訴えているわけでもないだろうに。
すると、出し抜けに意識に隙間が空いた。急にふっと気が遠くなったわけではなく、空白の切っ先を、ぐさりと突き入れられた感じ。
瞬間的な意識の混濁が終わると、果たして――世界が色づいた。
見える。
光をたたえた色彩の世界が、わたしの前に現れる。光の密集が形を作り、色の濃淡で世界の輪郭を浮き彫りにする。
空を見上げると、色とりどりの風船が浮かんでいた。それが星のかわりになって、夜空にけばけばしい色彩を置いている。
風船には「さんちゃん☆LOVE!」の文字。しなった糸が束ねられ、海面に向かって伸びていた。
(……!)
それは六年ぶりに、わたしが眼を取り戻した瞬間だった。
「……」
わたしの上で緑色の軟体が打ち震えた。
カッティアがやったのだ。この子が見ているものが、わたしのシステム上にダウンロードされ、映像として展開されている。
「なんだこれ」と、近くで浮かんでいた少年。
シュノーケルに、望遠機能付きの水中ゴーグルをつけた少年は、なぜ風船を持って海に浮かんでいるのか。
本来ないはずの目線が動き、少年が見ていた方向へと向く。そして。
わたしの思考は停止した。
砂浜のほど近く。水上に張り出す形でステージが設けられている。スポットライトから伸びた光の筋が夜空を裂き、各自で集まり、離れ、ぐるりと巡回する。
そこに集まった客たちによる精神的な熱波が、わたしを襲った。
驚いた。生命の波動がこもった熱は、スーパーストップ・ジェネレーションでは起こり得なかった。むしろ、つゆとも感じられなかったものだ。
狂気的で、爆発的な、熱の塊。
人々の欲動のほとばしりを受け止めるのは、あろうことか、たった一人の人間だった。
水上ステージで軽やかに躍り、歌う少女――後で知ったことだが、彼女の名は黒住燦冷という――は、きらびやかな衣装で身を包んでいて、わたしは電撃的に、あるいは霊感的と言ってもいいが、とにかく突き抜けるような速さでさとった。
(天使だ!)
やにわに心が躍った。
天使。存在しないはずの存在を前にして、いいしれない気分になる。
多分、憧れたのだと思う。
尊敬の念と無償の愛が、論理回路でうず巻いた。同時に、わたしという機械が放った感動も、彼らの熱波の中に組み込まれる。
隣で浮かぶ人間の少年も『天使』を見ていた。
と、後に師匠と呼ぶことになる少年に、カッティアが腕を伸ばした。少年は無視。わたしもカッティアに構っている余裕はない。
決めた。決戦兵器から、怪獣から。
長いブランクを経て、転職するのだ。
ねえカッティア。陸に上がったら、わたしたちも『天使』になろう。