page5 一人の寂しさ
「俺には、夢がねェ」
その言葉を呟いた時、彼女は驚いた表情をした。
そして一瞬俯き、もう一度顔を上げた。
「そうなん・・・ですか。なんだか悪かった・・・ですね」
「いや、考えてないほうが悪ィんだ。・・・ところで、香坂は?」
自分のことなど別によかったので、今度は香坂のを聞いてみることにした。
香坂は少し口を閉じてから、ゆっくりと開いた。
「あたしは・・・小説が書きたいんです」
「小説?羅生門とかそーいうのか?」
「いえ、そういう難しいのじゃなくて・・・。"銀河鉄道の夜"とか、ファンタジーなものや恋愛ものを・・・」
最後のほうは聞き取りにくかったが、なんだ。銀河鉄道?
「銀河鉄道の・・・って何だ?」
「あっ、えと、その・・・。宮沢賢治の"銀河鉄道の夜"です。読んだこと・・・ないですか」
他にも"注文の多い料理店"とか沢山あるんですよ。と言われたが、すべて聞いた覚えのないものだった。
けれど、宮沢賢治なら聞いた覚えがあった。
うん、たぶん。
「そうか・・・小説家か・・・」
「いえ、あの、その。そういう大きなコトじゃなくて・・・」
「ん、そっか。まぁ、夢は大きくな」
えと、えと、という彼女の肩を、ポンポンと叩いてやった。
叩いた意味は自分でもわからなかった。
「・・・ありがとう」
彼女はニッコリと微笑んだ。
空を少し、眺める。
鳥が空を飛び、電線を揺らした。
「あのね・・・椿君・・・」
「あのさー、"椿君"ってなんかくすぐったいから、涼介でいいよ。涼介で」
なんとなく、だった。
そもそも"君"と付けられるのが嫌。
呼び捨ててくれたほうが幾分かすっきりする。
「えっ、そんな、あの・・・」
「別にいいから」
「あ・・・うん・・・。涼介・・・君。あのね・・・」
やっぱ、君がつくのね。
彼女は俺の名前を口にする。
その表情は、やけに赤かった。
「あたし・・・涼介君が・・・」
少し、言葉が詰まった。
その時を狙ってだったのか、屋上の扉が勢いよく開く。
それに反応して、二人とも一緒に身体を反応させた。
バガンと、重いはずの扉が開く。
「椿ッ!! ここにいたのね? 生徒会の書類が未提出だから、来なさい!!」
「はァ!? お前いきなり来て何を―――」
「いいから来な・・・っさい!」
現れたのは、七海だった。
彼女はいきなり俺の襟を掴むと、勢いよく引っ張る。
その衝撃で、尻餅をついた。
「あの・・・っ、菅原さん?」
「由紀。アンタ、こんな男に誑かされちゃダメよ」
それだけ言うと、彼女は俺を引っ張って屋上を出た。
「ちょっ、お前離せ!」
「・・・」
「離せっての!!」
何を叫んでも、彼女の反応はない。
「七海!」
「由紀と何、話してたの」
突然口を開いたかと思うと、意外なことを聞いてきた。
ん・・・むぅ。
「それは・・・」
「由紀の事、襲うなんて事考えてんじゃないでしょうね?」
「そんな事ねェって」
当たり前だ。
いくら三年になって、そーゆーコトに欲求持ったりしたとしても、そんなコトに走るよーな人間じゃねぇ。
いや、あんまし否定できんけど。
「別に、これといった話はしてねぇよ」
「・・・そう。ならいいわ。とりあえず、書類は出してよ」
そう言われて、書類を手渡された。
手渡したときの彼女の表情は、なぜか安堵の表情だった。
・・・なんでだ。
全く持って訳がわからなかった。
香坂、そういえば。
置いてきて大丈夫だったんだろうか。
夕焼けの空が映える。
時期が時期だけに、木枯らしが吹く。
寒いなぁ、と呟きながら歩いた。
自分の靴の音だけが、路に響く。
一歩、また一歩と。一人の足音しか聞こえない。
俺は一人だ。
このまま行けば、この先も。
別に。もう慣れたんだ。
二年前に、事故で親二人が死んでから。
何でだよって。何で俺の家族なんだよって。
必死に叫んでた日々があった。
けど、もう慣れた。
一人暮らしにも慣れた。
でも、知らないところで孤独さは身体を蝕んでいく。
「一人・・・かぁ」
一人暮らし、結婚せず。
生きていく自分を素晴らしく思う。
なんで?
寂しくはないのか。
結婚して、子供を授かる事が栄光みたいに。
子供の生まれてきたときの声がまるで歓喜の声に聞こえるかのように。
なんでだろうか。
ふと、道の脇に段ボールの中で蹲るネコを見つけた。
クロネコ。クロイネコ。
眼を見ると、ガラス玉のように綺麗な瞳だった。
「お前も・・・一人か」
俺がそう呟くと、ネコは
「にゃーん」と返してきた。
多分、そうなんだろう。
「俺も一人だ」
「にゃーん」
笑った。
ネコ相手に笑ってやった。
鳴き声が、妙に可愛く思える。
多少迷った。
数分後、俺はネコを抱えて歩き出した。
「にゃーん」
黒いシッポには、可愛らしいリボンが結んであった。
鳴き声が、響く。
オスかな。メスかな。
どちらにしても、俺はほんの少しだけ一人じゃなくなるみたいだ。
少しの間だけ、孤独から離れた。
それが本当に少しだったかは、覚えてない。
これは記憶のカケラだから。