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いつも最後で選ばれなかった俺が初めて誰かから選ばれた話  作者: 陽花紫


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4/4

俺は選ぶ(完)

 家に帰るまでのことは、あまりよく覚えていなかった。


 電車に乗ったところまでは、覚えている。

 吊り革を持って、窓の外を眺めていたことを。

 それでも何を考えていたのかは、よくわからない。


 頭の中には、いくつもの言葉が浮かんでは消えていた。

 カイトの声に、シュンの声。


 そして、いつかのあの夜の言葉。


「今は、リョウのほうが大事だ」


 初めて、選ばれた夜だった。

 あのときの胸の温かさを、俺はまだ覚えている。

 誰かが迷わず自分を選んでくれること。

 それは思っていたよりずっと甘くて、思っていたよりずっと怖いものだった。


 荷物を置いて、いつものように、また外に出る。

 ふらふらと歩いて、シュンの部屋の前まで来たときに、少しだけ足が止まった。


 鍵は、持っている。

 それでも、なぜかドアを開けるのに躊躇した。

 深呼吸を一つして、鍵を回す。

 ドアを開けると、部屋の灯りがついていた。

「おー、おかえり」

 シュンがソファから、顔を上げた。

 テレビの光が、部屋の壁に揺れていた。

「遅かったな」

 それは、いつもの声だった。

 穏やかで、少し眠そうで。


 その声を耳に入れた瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。


「ただいま。ごめん、遅くなって……」

「いや、俺も今帰ってきたところ」


 シュンもまた、赤い顔をしていた。


「シャワー、浴びた?」

「まだ」

「先、いいよ」

「悪いな……」


 そうキスをして、シュンは浴室に消えていく。


 カイトのことは、まだ言えなかった。


 テレビでは、バラエティ番組が流れていた。

 誰かの笑い声が、やけに遠く聞こえていた。


 しばらくした後、シャワーを終えたシュンが出てきた。


「今日さ……。なんか、あったか?」


 酔いがさめたのか、ひどく落ち着いた声でそう言った。


「なんで?」

「……なんか、考え事してるみたいだから……」


 やっぱり、シュンは俺のことをよく見ていた。

 その優しさは、本物だったのかもしれない。


 ――でも、それでも……。


「シュン」

 名前を呼ぶと、シュンが振り向く。

 まるで、俺からの言葉を待っているかのように。

「なに」

 俺は、少しだけ迷った。

 それでも、覚悟を決めてこう尋ねた。

「シュンってさ……」

「うん」

「俺の、どこが好き?」

 シュンは少しだけ、驚いたような顔をしていた。

 それから笑って、いつものようにこう言った。


「守ってやりたくなるところ」


 その言葉は、あまりにも自然だった。

 何の迷いもなく、疑いもなく。

 まるで、それが当然の答えであるかのように。


 その瞬間、何かが腑に落ちた。


 ――やっぱり、そうだ。


 と。

 妙に、納得がいった。


 責めるような、気持ちはなかった。

 シュンは嘘をついていない。ただ、正直なだけだった。

 でもそれは、俺がずっと欲しかった答えではなかったんだ。


「で、なんだよ?急に」


 俺は少しだけ笑って、こう言った。


「……今日、告白されたんだ」

 シュンの表情が、変わっていく。

「……誰に」

「会社の、後輩」

 シュンは、黙ってしまう。

 空気が少し、重くなる。

「どういうことだよ」

「……そのままだよ。好きだって、告白された」


 しばらく、沈黙が続いていく。

 テレビの音だけが、遠くで静かに流れていた。


 それから、シュンが唇を開く。


「断ったのか?」


 その言い方は、どこか確信しているようでもあった。

 俺が断ると、当然のように思っているような口振りだった。

「うん?……まだ」

 そう言うと、シュンの眉が動いた。

「は?」

 シュンが一歩、近づいた。

 その怒りを隠そうともせずに、強く俺を抱きしめた。

「リョウ……、俺がいるだろ?」

 ひどく、低い声だった。


 その言葉を聞いたとき、胸がわずかに波立った。

 以前の俺なら、それで終わっていたと思う。

 その一言で安心して、シュンが選んでくれている事実に甘んじていたのかもしれない。


 それでも、今日は違っていた。

「……うん、いるね」

 俺は小さく、頷いた。

「じゃあ、何を悩んでるんだ?」

 苛立ちを隠しもしないその言葉に、俺はゆっくりと言葉を選ぶ。

「俺は……ずっと……。選ばれるのを、待ってたんだ……だからシュンに選ばれたとき、嬉しかった」

 シュンは何も言わず、ただ静かに俺のことを見つめていた。

「でも、今日……。やっと、わかったんだ」

 ひどく静かな声で、俺は言う。

「俺は、選ばれなくても……生きていけるんだって……」

 その瞬間、シュンの顔がわずかに歪んだ。

「何、言ってんだよ……。……意味わかんねえ……」

 俺はそっと、立ち上がる。

 その腕から逃れるかのように。


「シュン……」

「なんだよ……」


 その目には、怒りと戸惑いが混ざっていた。

 俺は拳を握って、こう言った。


「俺、もう……選ばれなくてもいいんだ……。俺が、自分を選ぶから」


 長い長い、沈黙が落ちていく。

 シュンは、何も言わなかった。

 ただ俺のことだけを見つめて。

 怒っているのか、悲しんでいるのか。それは俺には、よくわからなかった。


 一つだけ息を吐いて、気付けば俺は、玄関に向かっていた。

 靴を履いて、ドアノブに手をかける。

 後ろから、かかるような声はなかった。


 ドアを開けると、夜の空気が、静かに流れ込んできた。

 外に出ると、空は少しだけ明るかった。

 遠くで、動き出した電車の音が聞こえた。

 ポケットに入れていたスマホが、わずかに震えた。


『返事は急ぎませんので』


 カイトからの、メッセージだった。

 俺はしばらく、画面を見ていた。

 そして、迷うことなく返事を打つ。


『ごめん。今は、誰とも付き合うつもりはないから』


 送信ボタンを押して、俺はしっかりとした足取りで歩き出す。


 胸の奥が、少しだけ軽くなっていくような気がしていた。

 寂しさがないと言えば、それは嘘になる。


 ――それでも、これでいい……。


 生まれて初めて、俺は自分で自分を選ぶことができたのだから。


 それは、勝ち負けでもない。

 煩わしいようなことも、何もない。


 今はただ、自分の気持を大事にしようと思えていた。


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