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第4話:【事後評価】

オークの死体は、もう冷え始めていた。

街道脇の背高い草は無惨に踏み荒らされ、馬車の轍と重なって不自然な溝を作っている。

土は深く抉れ、ぶちまけられた血は乾ききらず、湿った黒い染みとなって地面に広がっていた。鼻を突くのは、獣特有の脂臭さと、鉄錆のような血の匂いだ。

戦闘は終わっている。少なくとも、物理的には。



「やった……! ねえ、見て、アルバ君! 一匹も逃がさなかったよ!」



剣を肩に担いだリリアが、満面の笑みで振り返った。夕日に照らされた彼女の髪が、戦場の無惨な色調の中でそこだけ発光しているように見える。


彼女の呼吸はやや荒いが、肺の動きは安定している。歩様に乱れはなく、姿勢制御にも異常は見られない。返り血は浴びているが、そのほとんどは敵のものだ。


──単に、アドレナリンが出て興奮しているだけだ。


私はそう判断した。



「確認します。リリア殿、そのまま動かないでください」



短く告げて、私は彼女の背後に回った。

真っ先に、負傷の有無を視診する。

露出した腕や足に裂傷はない。

鎧の継ぎ目に視線を移す。衝撃で歪んでいないか、革帯が切れていないかを一つずつ指で触れて確認する。


彼女が、



「くすぐったいよ」



と、笑うのを無視して、私は事務的に点検を続けた。骨折の兆候も、筋肉の引きつりもない。


次に武器だ。

主武装である量産型で旧版の聖剣を手に取る。刃を透かしてみれば、微細な刃こぼれが二箇所。



「……角度三度、深さ零・五ミリ。許容範囲です。研磨で修復可能。予備への交換基準には達していません」


問題無し。

私は彼女の点検を終えると、視線を周囲の惨状へと移した。


転がっているオークは計五体。全て討伐済み。胸部の上下動はなく、瞳孔の反応も消失している。魔力反応の残滓も、既に大気中に溶け始めていた。


民間人の被害はゼロ。街道の通行阻害は軽度。放置された荷馬車が一台、死体が邪魔ですれ違い困難な状況だが、これも数分以内に解消可能だ。


私は腰の袋から、使い古したバインダーと羊皮紙の束を取り出した。

羽ペンにインクを浸し、簡易報告書に「事実」だけを書き込んでいく。


『発生時刻、十七時十五分。場所、エルム街道第三チェックポイント付近。敵性存在の種別、オーク偵察隊。数、五』


主観は入れない。感想も評価も後回しだ。必要なのは「後日、予算を申請する際に証拠となる再現可能な事実」だけである。



「ねえアルバ君、さっきの私の動き、どうだった!? あの三体目を斬った時なんて、自分でもびっくりするくらい体が軽くてさ!」


「誤差範囲です」



私は素材の仕分けを開始しながら即答した。

本音を言えば、私が盾役として前に出る必要が無かった事を心の中で安堵している。

とはいえ、私は知っている。仮に私が一度でもオークの棍棒をまともに受ければ、その瞬間に私の肋骨は粉砕され、治療費と労災申請の事務作業で一ヶ月が潰れるだろうという事を。


だから、後方で出来る事を全て行った。生存の為の最低限の義務だ。


オークの死体から牙を抜き取り、魔法触媒として使えそうな心臓を切り出す。

胃の奥が、じわりと熱を持つ。ストレスによる胃酸過多。私は無意識に懐へ手を伸ばし、陶器の小瓶を取り出した。

振ると、乾いた音がする。


──残り三回分。まだ大丈夫だ。いや、街に着くまでは持たせなければならない。



「……ねえ、アルバ君」



リリアが、先ほどまでの興奮を少し落ち着かせ、声のトーンを落として言った。



「やっぱり、さっきの戦いさ。なんか……私、いつもより楽だった気がするんだけど。オークが、なんて言うか、自分から隙を見せてくれたっていうか」


「錯覚です。敵の出力は一定でした」



私は手を止めずに答える。



「ただ、リリア殿が斬る前に、影縛りの魔法を投射しました。相手の魔法抵抗力を考慮し、二級魔法を五割で出力。完全拘束は魔力の無駄ですが、初動の零・二秒を殺せば、リリア殿の剣速なら必勝のタイミングが生まれます。それから、リリア殿が踏み込む直前の地点。地面の湿気を除去しました。氷結魔法の逆位相処理です。滑倒による関節捻挫リスクを四%から零・二%に低下させました」


「……え、あの時、地面が光ったのって、それだったの?」


「ええ。回避動作を数センチ減らすだけで、リリア殿の集中力の消耗は劇的に抑えられます。これは『工程管理』の一環です。主戦力が疲弊すれば、明日の移動予定が破綻しますから」


「……命が懸かってる場面で、そんな書類仕事みたいなこと考えてたの?」


「命が懸かっているからこそ、計算が必要です。リリア殿、勇者の命はあなた一人のものではありません。国家の予算と期待という名の『資産』なんです。減価償却を早めないでください」



リリアは呆れたように口を半開きにしていたが、やがて小さく笑った。



「アルバ君はさ……戦ってるっていうより、戦場をお掃除してるみたいだね」


「掃除なしに、健全な業務は回りません」



私はオークの残骸を山積みにし、焼却の準備に入った。



「リリア殿、火炎魔法を。出力は『弱』。キャンプファイアではなく、都市の焼却炉をイメージしてください。火柱を上げれば、その煙は遠くからでも視認され、不要な注目を集めます。……それから、死体処理を急ぐ理由がもう一つあります」


「え? もう倒したのに?」


「だからです。魔物が全滅している街道は、安全が確認されたという合図になります。魔物という捕食者がいなくなった空白地に、人間の中でも悪質な存在……盗賊が湧くんです。死体を残せば、そこは彼らにとって格好の狩場になります」



リリアは一瞬、きょとんとした。

その後、眉を顰めて、少しだけ寂しそうに口を開く。



「……なんか、嫌な世界だね。頑張って倒して、安全にしたのに」


「ええ。ですから、後処理という『事務』が必要なんです。感情で治安は維持できません。……さあ、焼却を」


「……はい」



リリアが放った炎が、オークの残骸を包む。

派手さはない。煙も最小限。街道の視界を遮らず、かつ後続の馬車に『異常なし』と思わせる、理想的な処理だ。





オレンジ色の炎が、夕闇に沈みかける街道を静かに照らしていた。

焼け落ちた魔物の死骸から立ち上る臭気を避けるように、私は少し風上に立ち、懐から胃薬を取り出す。


残り、二粒。


白く、無機質な錠剤。

前世の頃から、私の人生はこの小さな結晶に支えられてきた。

リリアはこれを『痛みを取り除く魔法の薬』だと思っているようだが、それは違う。

これは命綱ではない。

自分の精神が、世間様に対してどれだけ摩耗しているかを知る為の、残酷な計測器だ。

薬を飲んでも痛みが引かない時、それは私が『自己』を失い、単なる『組織の歯車』に成り下がった合図となる。

 

私は最後の一錠を残し、苦味と共に唾液で飲み込んだ。

この苦味だけが、私がまだ『人間』として思考を放棄していないことの証明だった。



「……さて。行きましょうか。リリア殿」


「ねえ、アルバ君」



燃え盛るオークの死体の向こうで、リリアが屈託なく声をかけてくる。

血と煤で汚れた外套のまま、それでも彼女は楽しそうだった。


「私たち、今日一緒に戦ったよね。ちゃんと。

だったらさ……もう、パーティーって呼んでいいんじゃない?」


「呼称は重要ですが、過度な装飾は不要です」


「またそういう言い方! せっかくなんだから、格好いい名前つけようよ!」



私は一瞬考え、焚き火の火勢と彼女の剣の手入れを同時に確認してから答えた。



「では、『特殊事案対策ユニット』。短く、機能が明確で、報告書に転用しやすい」


「夢がなさすぎるよ! それ、絶対書類の見出しじゃん!」


「ええ。署名する立場としては理想的です」


「署名……?」


「仮に今後、活動報告、経費精算、損耗申請、事故報告が発生するとして、名称が長いほど、私の人生から削り取られる時間が増える」



リリアは一瞬きょとんとし、それから噴き出した。



「もう! 本当に変な人!でも……なんか、安心する」



彼女はそう言って、剣を鞘に収めた。自分がどれほど管理された環境に置かれているかを、まだ理解していない顔だった。


だが、この『理解していない安心感』こそが、彼女の剣を鈍らせない。

私はそれを、監督官として評価していた。





やがて、辺境都市エルムの城門が見えてくる。

日が傾き、街道は帰還する商人や旅人で膨れ上がっていた。


荷車の軋む音。

家畜の鳴き声。

呼び込みの怒鳴り声と、苛立った舌打ち。


夕刻。入市のピーク帯だ。


──にもかかわらず、列が進まない。


馬車と馬車の間隔は不自然に詰まり、前方では何度も同じ場所で流れが止まっている。

人々の視線が城門に吸い寄せられ、ざわめきが低く澱んでいた。


私は地竜艇の速度を落とすようにリリアに指示を出し、数台前の馬車へと視線を走らせた。


門番と商人のやり取りが、どうにもおかしい。



「……リリア殿。少し待ちます」


「え? うん。どうしたの?」


「検収のフローが標準から逸脱しています」



荷台の布を握りしめたまま、城門を振り仰いだ。。



「そんな名目、聞いたことがない! 通行税は布告通りだろ!」


「うるせえな。これは『治安維持特別付加金』だ。嫌なら引き返せ」



門番は嘲るように笑い、

次の商人からは、言葉も交わさず金貨を受け取って脇へ通した。



「……ひどいよ。あれ、脅しじゃない?」



リリアが小さく言い、剣の柄に手を添えた。

私はその手を上から重ね、自重を促す。



「暴力では解決しません」


「でも!」


「あれは個人の不正ではなく、構造化された手抜きです。余りにも大っぴらに行っているにしては咎めが無いのがその証拠でしょう」



 私は淡々と続ける。



「問題は、これが長期的に街を腐らせる事です。正規の流通、価格、信用……全てが歪む」


「……よく分かんないけど、嫌な感じなのは分かる」


「ええ。正しい反応です」



ようやく私たちの番が来た。



「おい。入市税と安全保証金だ。金貨一枚」



通常の入市税の十倍。平均的な行商人の一日分の利益が吹き飛ぶ額に眉を顰める。明らかに何かがおかしい。

私は懐から証書を取り出し、静かに差し出す。




「王国布告第十四号。勇者候補および監督官の入市は免税です」



門番の目が、証書からリリアの背負う聖剣へと移った瞬間──

その表情が、恐怖ではなく、期待に変わった。



「……勇者、か?」



態度が豹変する。



「いやあ! 歓迎しますよ! 街の皆も待ってたんです!どうぞどうぞ!勇者様ー!勇者様の御通りだ!!」



歓声と共に門が開く。

凱旋門のような白さではない。

長年の煤と油に染まった、黒鉄の門。

地獄の入口のように、重々しく口を開いた。


門をくぐった瞬間、空気が変わった。


湿った熱気。

酒と香辛料と汗の匂いが混じった、重たい空気が肌にまとわりつく。

通りの両脇では、客引きが声を張り上げ、商人が値を叫び、笑い声が途切れなく続いている。


笑っている。

だが、誰も足を止めない。



「……払わなくてよくなったね?」


「ええ。最悪の理由で」



地竜艇に乗ったまま横切った酒場。

夕暮れ時とはいえ、余りにも騒がしい。

掲示板は、何度も上貼りされた紙で膨れ上がり、『勇者』の二文字だけが、どの張り紙にも踊っていた。



『勇者基金・出資者募集!』

『勝利は約束されている!』



パン屋の価格表を見て、私は小さく息を吐いた。



「物価が、王都の二倍です」


「えっ!? じゃあケーキ……」


「論外です」



リリアはしょんぼりしたが、すぐに首を傾げた。



「でもさ。こんなに高かったら、みんな困らない?」


「困っていません。──正確には、『困っていることを忘れさせる金』が流れ込んでいます」



私は、群衆の熱気を眺めながら言った。



「勇者の到来は、この街にとって希望ではありません。信用不安を一時的に隠蔽する、劇薬です」


「……つまり?」


「あなたは今、この街で最も価値のある『期待値』です」



胃が、強く疼いた。

私は最後の一包を握りしめる。



「宿の前に、商業登記所へ向かいます。

 この街の帳簿を見なければ、明日、私たちは──」


「一文無し?」


「いえ、『逃げ場のない当事者』になります」



勇者の剣と、凡人の帳簿。

それが、初めて同じ敵を見据えた夜だった。

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