第3話:【陳情対応】
風情のある朝ではなかった。
我々の朝は、魔導時計のアラーム音によって強制的に開始される。極めて不快で事務的なリズム。好意的に受け取るならば、シンプルと評せば良いのだろうか。
「……ん、あと、五分……」
隣のテントから漏れ聞こえるリリアの寝言を、私は無慈悲に無視した。
手早く身支度を整え、昨晩のうちに羊皮紙へ書き出しておいた『辺境派遣業務・工程管理表』を手に、彼女のテントの幕を跳ね上げる。
「リリア殿、起床時間です。予定より三分遅延しています。この遅れは午後の移動速度に影響し、結果として夕食の献立から一品減ることになりますが」
「ふえっ!? 食べる! 食べるから起こさないで……じゃなくて、今起きる!」
食事という名の人質を取れば、勇者候補の起動は早い。
地竜ゴンザレスに荷台を連結し、私は御者台の隅で昨日の支出を計算しながら、午前中の旅程を順調に消化していった。……筈だった。
「……アルバ君、あそこの村、なんか変じゃない?」
リリアが指差したのは、街道沿いの『カポック村』。本来なら水と食料を補給して素通りする予定だった場所だが、村の入り口に差し掛かった瞬間、私は嫌な予感に胃を掴まれた。
村の空気は淀み、ひび割れた水路と手入れの届かない畑が放置されている。そして、リリアの聖剣を見た村人たちが、飢えた獣のような目で一斉に立ち上がった。
「助けてくれ! 勇者様! 領主様が、税が……!」
殺到する村人。
リリアは、
「私がやっつけてあげる!」
と、鼻息を荒くして剣の柄に手をかける。
私は慌ててその肩を掴み、小声で告げた。
「リリア殿、止まりなさい。私の工程表では、本日の予定に『陳情対応』は含まれていません。一時間遅れれば、今夜の風呂は無しです」
「そんなの知らないよ! 風呂よりご飯より、勇者は正義感が空腹です! 助けなきゃ!」
「……はあ。私の定時退勤が、また遠のきましたね」
私が深いため息をつきながら荷台から降りると、村人の口から出たのは、牙や爪の恐怖ではなく、もっと生々しくドロドロとした、行政の腐敗だった。
「魔王軍対策特別付加税だと……?」
その単語を聞いた瞬間、私の仕事のスイッチが、カチリと冷徹な音を立てて入った。
村の集会場には、脂ぎった顔でふんぞり返る徴税官、ゼブスという男がいた。
彼は机に不備だらけの書類を広げ、無知な村人相手に横暴な言葉を叩きつけていた。
「おい、邪魔だぞ。勇者様なら、あっちの空き地で剣でも振ってな」
ゼブスは、私の『監督官』の腕章を一瞥し、鼻で笑った。隣でリリアが、握りしめた拳を震わせている。
彼女の『正義感』という名のゲージが、限界まで高まっている。このままだと、彼女は徴税官の頭を聖剣の柄で叩き割り、私はその『傷害事件事後報告書』で一晩を費やすことになるだろう。
それは避けなければならない。
私の睡眠時間を守る為に。
「失礼。徴税官殿」
私は、前世のクレーマー対応で磨き上げた『感情の死んだ完璧な笑顔』を張り付かせ、一歩前に出た。
「特殊監督課のアルバです。少々、貴殿が提示している『付加税』の根拠について伺いたい」
「……ハ、ハハッ! 減らず口を叩きおって。いいか、この『付加税』の命令書には、領主様の直筆署名と印章が入っているんだぞ!」
ゼブスが懐から、仰々しい金縁の羊皮紙を突き出してきた。
「これは領主様の意志だ。一介の役人が、その重みを否定するつもりか!?」
先程まで息を巻いていたリリアが、
「あっ、本物のハンコだ……」
と、気圧されたように一歩下がる。
だが、私はその羊皮紙を指先で一瞥し、冷ややかに言い放った。
「結構。では尚更、書面でエビデンスを確認しましょう。当該領主様が『王国法を無視してでも独断で徴収を強行する』という意志を公式に表明されたのであれば、それは最早、国王陛下並びに王国に対する背任、あるいは反逆の予兆として処理すべき案件です。今すぐこの場に領主様をお呼びいただけますか? 本人立ち会いのもと、調書を作成します。拒否される場合は、この印章を『証拠品』として一時押収しますが、よろしいですね?」
「な、……なっ!?」
「領主様もお喜びでしょう。貴殿のような忠実な部下が、自らの保身を捨ててまで主君の不正を公に証明しようとしているのですから。さあ、まずは貴殿の身分証から拝見します」
ゼブスの顔色が、赤から青、そして土気色へと変わった。領主の権威を盾にする男にとって、自分より巨大な権威を突きつけられる事程、恐ろしいものはない。
「あぁん? な、なんでお前に見せなきゃいけねぇ!そ、それになぁ、 魔王に文句を言え!」
「先ずは最初の質問に対する回答を。『王国直轄特務監督官権限行使規程』第7項に基づき、私にはその権限が有り、同時に貴殿が閲覧要求を拒否する事は特例を除き不可能です」
納得がいっていない顔のゼブズが口を開こうとした途端、私は畳み掛けるように続けた。
「端的に申し上げると、勇者候補は王国直轄資産であり、随行監督官には関連する全行政書類の閲覧権があります。次に文句と仰っている事柄に関してですが、現在、私は貴殿に対して言っております」
その後、私は鞄から、王都の書庫で暗記した『王国行政手続法』を脳内で展開し、淡々と告げた。
「そもそも、当該『付加税』は王国税典に定められた正式な税目では有りません。次に、王国行政手続法第百二条、その特記条項。非常事態における付加税の徴収には、王国財務省交付の『緊急財政措置許可証』の提示、および徴収額の三割以上の公共事業への還元が義務付けられています。……ですが、村の入り口の水路を見る限り、還元が行われている形跡はありませんね?」
「な、なんだと……!? そんな細かい規則、辺境で適用されるわけが──」
「適用されます。公法は領土内全域に及ぶ。特記であるからとないがしろにしてはなりません。それから、そこの書類」
私は、ゼブスの手元の書類を一瞬で掴み取り、読み上げた。
「字が潰れていますが、これは『概算払い』の申請書ですね?財務規程上、『概算払い』は正確な調査を前提とする例外措置です。が、しかし、正確な収穫高を調査した形跡がありません。形跡がない以上、これは明確な行政手続違反。更に虚偽があれば、王国刑法における『公文書偽造および徴収権の濫用』に該当する可能性がありますが、心当たりは?」
ゼブスの顔から余裕が消えた。
彼は立ち上がり、私を威圧するように一歩踏み込んでくる。
「貴様……ただの付き人のくせに、俺を脅す気か!? 領主様に言えば、お前の首なんて簡単に──」
「脅しではありません。指摘です」
私は、あらかじめ予備で持っていた三枚複写の『行政不服申立て受理通知案』を、静かに机に置いた。
「先ほどから、勇者候補への侮辱、および公務執行中の私への脅迫が続いています。これらは全て、私の『業務日誌』に記録済みです。……リリア殿、今の彼の発言、聞こえましたね?」
「えっ? あ、うん! 『首を飛ばす』って言った! こわーい!」
リリアが(棒読み気味だが)私の後ろに隠れる。
最強の勇者が怖がっているという事実は、私の職務内容のカウントとして大きな助けとなる。又、公務執行妨害とは切り離して、刑法上の処理も個別で行い易い。ようやく状況を把握したのであろう。ゼブスの顔から余裕が消えた。
「さあ、徴税官殿。選択肢を提示します。案の一、今すぐ徴収を中止し、過払い分を『復興費』として返還する。その場合、私はこれを『円満な調整』として処理します。案の二、徴収を継続。私は直ちに会計検査院の監査を要求します。……そうなれば、困るのはあなたの上官、領主様も同じですが……よろしいですね?」
ゼブスの額から、滝のような汗が流れ落ちた。
官吏にも共通するが、特に地縁が強い地方役人にとって、最も恐ろしいのは物理的な刃ではない。自分の上にいる人間を巻き込んだ、組織的な査定の悪化だ。
「……く、そが。……分かったよ! 計算ミスだ! 徴収は一旦、保留にしてやる!」
ゼブスは、吐き捨てるように言って、逃げるように去っていった。
広場に静寂が訪れる。次の瞬間、村人たちから割れんばかりの歓声が上がった。
「すげえ……魔法も剣も使わないで、紙だけで勝っちゃった……!」
村人達が次々と叫ぶ。
リリアも、目を丸くして私を見上げていた。
「……アルバ君。今のは、何? あたしの剣より凄かったよ」
「……ただの事務処理ですよ、リリア殿。……さて村長、還付の申請書を今すぐ作ります。定時までに終わらせたいので、急ぎましょう」
私は、押し寄せる村人たちの感謝を適当に受け流しながら、内心で深く溜息をついた。
これでまた、今日のガントチャートが大幅に狂った。
超過勤務の手当が出る保証もないのに、なぜ私はこうも仕事をしてしまうのか。
前世の公僕根性が、異世界の空の下でも私の首を絞め続けていた。
徴税官を追い払った後、カポック村は祭りのような騒ぎになった。
「勇者様、監督官様! 本当にありがとう! 少ないけど、これを受け取ってくれ!」
村長が差し出してきたのは、古びた木箱だった。中には、紫色の斑点がある巨大なキノコや、明らかに野生の何かをぶつ切りにした血の滴る肉、そして自家製の濁った酒が詰まっている。
「わあー! 美味しそう! アルバ君、今日のご飯は豪華だね!」
リリアが目を輝かせてキノコに手を伸ばす。
「待ちなさい。死にたいのですか」
私は彼女の襟首を掴んで引き戻すと、鞄からピンセットと小型の魔導秤を取り出した。
「鑑定。これは『ムラサキマダラタケ』。一見美味ですが、未調理で食べれば三日間は幻覚と下痢に苛まれます。こちらの肉は『山ワニ』。寄生虫の宝庫です。……村長、お気持ちはありがたいのですが、このままではリリア殿が『食あたりで倒れた勇者』として伝説に名を残すことになります」
「えぇっ!? 毒なの!? 食べられないの!?」
絶望するリリアを無視し、私は袖を捲り上げた。
「……いえ。中和し、解毒し、適切な処理を施せば、高品質なタンパク質と魔力回復薬の代わりになります。幸い、私の『調剤事務』と『簡易鑑定』の資格は、こういう現場の衛生管理のためにありますから」
私は村の井戸端を借り、手際よくキノコの皮を剥き、特定の野草を煎じた汁で肉を洗浄し始めた。
煮沸消毒、pH値の調整、毒素の熱分解。
各工程ごとに何を目的として、何を考えながら行っているのかを逐一リリアや村人達に説明しつつ、理論を展開していく。彼等は頷き過ぎて首の挙動がおかしくなりつつあるが、まぁ許容範囲内だ。
料理というよりは化学の実験に近い。しかし、出来上がった鍋からは、今朝までの保存食とは比較にならないほど芳醇な香りが立ち上った。
「王国食品安全委員会が監修する許容一日摂取量を大きく下回っているでしょう。これなら王国食品衛生法に反する事は有りません。どうぞ召し上がれ」
「ぱくっ。……んんんーっ! おいしい! なにこれ、レストランのご飯みたい!」
リリアは涙目になりながら、毒キノコだったはずのスープを飲み干していく。
村人たちも、その『魔法のような調理』を唖然として眺めていた。
その夜。
村外れの空き地に張ったテントの前で、焚き火が爆ぜる音だけが響いていた。
リリアは満腹で幸せそうに膝を抱え、パチパチと揺れる炎を見つめている。
「……ねえ、アルバ君」
「何でしょうか。明日の出発は一時間早めますよ。今日の遅れを取り戻さなければなりませんから」
「アルバ君ってさ、本当に何でもできるよね。剣もそこそこ強いし、魔法も使えるし、交渉もご飯作りも……。もしかして、本当は大賢者様か何かが、正体を隠して私の付き人をしてくれてるの?」
私は、帳簿を整理していたペンを止めた。
焚き火の光に照らされたリリアの瞳は、純粋な敬意に満ちている。それが、今の私には少しだけ痛かった。
「……いいえ。私はただの、器用貧乏な凡人です。リリア殿」
「えー、そんなことないよ! 凡人はあんなに格好良く役人を追い払えないし、毒キノコを美味しくできないもん」
「……リリア殿。私の前世……いえ、昔の話です」
私は視線を炎へと移した。脳裏に、前世の県庁時代の記憶が過る。
たった一度の演説で何千人もの支持を集める政治家。
強引な手法とはいえ、鶴の一声で無理難題な予算を引っ張ってくる首長。
国から降ってくる、制度設計だけは完璧な中央官庁のエリート官僚。
彼らは眩しかった。そして、彼らが走り抜けた後には、いつも膨大な『ゴミ』が残されていた。
未整理の書類、整合性の取れない予算、そして彼らの才能に振り回されて疲弊した人々。
「私の周りには、一点突破の天才達が沢山居ました。いえ、一点突破というと語弊を与えますね。私は総合力でも遥かに劣っていました。そんな彼らは世界を変える力を持っていましたが、その足元にある『事務』や『生活』には全く興味がなかった。……私は、その天才たちが捨てていったゴミを拾い、帳尻を合わせるだけの人生だったんです」
私は、自分の手のひらを見つめた。
どれも二級、あるいは三級。突出した輝きはない。
「彼らに負けたくなかった。圧倒的な才能で全てを蹂躙する彼らに、組織と、ルールと、平均的な能力の積み重ねで対抗したかった。だから、穴を埋めるために何でも覚えた。此方に来てからもそうです。剣も魔法も交渉も……かつて彼らが『面倒だ』と切り捨てたものを全て完璧にこなせるようになれば、いつか彼らを見返せると思った。……それだけですよ」
「……アルバ君」
「私は、安定が欲しいんです。誰もがルールを守り、誰もが予測可能な範囲で生きる。そんな世界なら、私のような凡人でも、過労死せずに定年を迎えられる。……それが私の、唯一の復讐なんです」
リリアはしばらく黙っていたが、やがてふふっと笑った。
「……やっぱり、アルバ君は天才だよ。『凡人の天才』だね! 私は、そんなアルバ君がいてくれて良かった」
「……買い被りです。さあ、寝なさい。明日は五時起きです」
私は無愛想に背を向け、テントの中へ逃げ込んだ。
胃の奥が、少しだけ熱かった。それがキノコの成分のせいなのか、彼女の言葉のせいなのか、私には判別出来なかった。




