ヘルレーネス領 ⑤
第7話 蛇の扉
優と鈴奈が落ちた先は…水の中だった。
「ぷはっ!…鈴!」
水から顔を出し周りを見渡すと、優の横で鈴奈が水面に顔を出した。
「鈴!大丈夫?」
「うん、大丈夫。優は?」
「この通り!」
優は腕を折り力こぶを作る真似をし、ニッと笑う。
「こりゃのぼれそうにないね」
垂直に伸びる壁を優は見上げた。
「こっちにあがれる場所があるから
上がろうか」
鈴奈が指差した先を見ると、数秒泳いだ先に、整備された地面があった。
「そうだね」
そう言うと、鈴奈と優は陸まで泳いで行った。
陸に上がり一息つき、道の先に視線を向けると、水路の横に長く道が続いていた。
「…どうする?行ってみる?」
「そうだね」
少し考え鈴奈は答えた。
「ここにいても仕方ないし」
「だね」
2人は立ち上がり、歩きはじめる。
道なりに歩いて行く2人の足音だけ響く。
しばらく、薄暗い中を進んでいくと、目の前に小さな木製の扉が現れた。そこには、あのコインに描かれていたような蛇が描かれていた。
2人がどうするかあぐねいていると、中から派手に何かが崩れる音がした。
2人は顔を見合わせ、部屋の中に入ると、そこは本棚の裏にだった。
その時、ルイが派手に優たちが隠れている本棚に背中をぶつける。
「申し訳ありません」
「とんだ不浄な物が紛れてたではないか!」
「申し訳ありません。また新しい者を手配します」
「早くしろ!満月は近いんだぞ!」
怒鳴りつけられ小さく縮こまったルイの背中が、布の後ろに隠れている優の前に来たと同時に、鈴奈が優の腕を引っ張り本棚の後ろまで優を戻した。
その時、ドアが勢いよく開いた。
自然と全員の視線が、入ってきた沙綾香に注がれる。
「お前!…アイツら裏切ったか!」
沙綾香はピクリとも動かない茜に視線を向けたあとに、目を白黒させているルミナスをキッと見た。
「彼女に…何を…したんです」
フンとルミナスは鼻を鳴らした。
「女という汚らわしいモノになんぞ触れたくもないわ」
「優ちゃんと鈴奈ちゃんは?どこですか?」
すると、ルイがニコッと笑みを浮かべた。
「あー、ユーさんたちならきっと今頃、水に沈んでますよ」
「そんな…」
沙綾香は口に手を当て、騒然とした。
「いや、生きてる生きてる」
家具の後ろで手をフリフリしながら小声でつっこむ優の頭を鈴奈は叩いた。
驚いた顔をする優を睨みつけ、鈴奈は先を指差す。
視線を向けると家具の後ろに真っ直ぐ茜が転がされている場所へと続く道ができていた。
優は頷くと指でOKマークを作り、鈴奈の後に続いて腰をかがめ家具に身を隠しながら進んで行く。
「ふざけないでよ!」
沙綾香の怒鳴り声に優は思わず立ち止まり、家具から顔を出す。
「よくも…よくも私の友達を…」
俯きワナワナと震え、沙綾香は何も言わなくなる。
しばらくすると、俯いていた顔を上げ、キッとルミナスとルイを真っ直ぐ見ると、持っていた矢の先で自分の髪を切った。
「私は湯島沙綾香。私と契約よ!フレーミア!」
優はハッとし沙綾香を見た。
沙綾香が持っていた髪は炎に包まれ、やがて隣に赤とオレンジの炎を纏った筋肉質な人型が現れた。沙綾香が弓矢を構えると、矢の先がボッと音を立て燃えはじめ、その矢についた炎は消えることなく、矢と共に放たれた。
ルイがコンと床をつくと、魔法陣が現れ、矢はまるで飛ぶ力を失ったかのようにルミナスの前で落ちた。
しかし、沙綾香は表情を変えずまた弓をかまえ火のついた矢を放つ。
ルイがまた杖で魔法陣を描こうとするが、ピタッと止まる。
沙綾香が放った矢はルミナスの顔スレスレを通り過ぎ壁に突き刺さった。
「ひっ!」
沙綾香は小さく悲鳴をあげたルミナスに再び矢を放つ。
ルイが杖を振り上げた瞬間、優はその場に思わず立ち上がった。
「風妃、ルイさんを阻止して!」
その瞬間ルイの足元に風が吹き、ルイは足を掬われ、体制を崩した。
「優…ちゃん?」
驚いた表情の沙綾香に優は頷いて見せた。
「大丈夫!私は生きてるから!」
「大塚さんも生きてるよ!」
茜の前に屈んだ鈴奈も沙綾香を見た。
「よかったぁ…。」
沙綾香はヘナヘナとその場にへたり込む。
「いまだ、ルイ!殺れ!」
恐怖に顔をひきつらせる沙綾香を救うために優が風妃に指示を出そうとした。と同時にルイが動く。
すーっとルミナスに近づくと、持っていた短刀でルミナスの首を一直線に引き裂いた。
「どうです?皆が…兄さんがやられたことをされる気分は」
驚き、釣られた魚のように口をパクパクさせているルミナスにルイはニヤリ笑う。
ルミナスは何かを言いたげに口を動かすが、声として発せられることはない。
すると、ルミナスはブルブルと震えだした。そして、その体が変形しはじめ、やがて蛇に姿を変えた。
シャーと威嚇したルミナスは、ルイに口を開けて襲いかかった。
しかし、炎の矢が目の前に飛び、ルミナスはルイを目の前にし動きを止めた。
「風妃!蛇に風の刃を!」
風の刃がルミナスの体を切り裂き、小さな傷を作ると、ルミナスは動きを止める。
沙綾香の弓から放たれた炎の矢は、乾いた音を立てルミナスに向かって放たれるが、ルミナスは燃えることなく炎のような赤い舌をひらめかせながら沙綾香を見る。一瞬の間のあと、沙綾香に向かって、鋭い牙を剥き出しにする。
優は飾ってあった剣を手にすると、蛇のしっぽを刺した。
「シャァァァ」
悲鳴のような声を上げ、ルミナスは振り返り優をその細い目で捉えた。
「あ、やべっ」
まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった優に、ルミナスはターゲットを変え、牙をむける。
しかしルミナスは、まるでそこだけ重力が増したかのように地面に押し付けられる。
驚く優の前に立ちルイはルミナスを見下ろす。そして、振り返ると今まで見せていた優しい笑みを浮かべた。
「ユーさん。これ」
ルイは銀色のロケットを優の手の上に置く。
「あっ!」
優は首元を触る。
いつも首から下げていたロケットペンダントがなくなっていることに気づき優はルイを見た。
「すみません。上で僕の魔法を受けた時に壊してしまったみたいなので直しておきました」
「こんな短時間に?」
不思議そうな優にルイは笑みを浮かべた。
「修復の魔法は得意なんです。それ、家族ですよね?…必ず家族の元へ戻ってくださいね」」
「ルイさんは?一緒にここを出ますよね?」
不安そうに確認する優にルイは笑みを浮かべた。
そして、ルミナスを一瞥すると、鈴奈に視線を向ける。
「ここを出たら、道なりに進んでください。そしたら、壁に1箇所、色が違う所があります。そこを殴ってください。そしたら、上へ上がる階段ができます。それを上がって上へ」
「…ルイさんは?」
ルイは鈴奈に微笑む。
「僕はまだやることがありますから」
優には、ルイのその笑顔が優しくどこか寂しげに見えた。
「さっ!早く!」
コン!と地面をつくと、ルミナス…だったモノが地面にめり込む。
優はルイに腕を伸ばすが目の前に瓦礫が落ちる。
茜を背負った鈴奈はルイの名前を何度も叫ぶ優の腕を掴み、引きずるように部屋を出る。
沙綾香に手を引かれ泣きながら優は1本道を茜を背負った鈴奈と足早に進んだ。
優たちが落ちてきたあの場所まで来ると鈴奈は、ルイに言われたように壁を見た。
すると、1箇所だけ色が違う所があった。
ルイに言われたように、色が変わっている場所をを殴ると、ゴゴゴゴと音と共に階段が現れた。
3人が階段を上がりきった時、背後から爆発音がし、全員振り返ると下から黒い煙が迫っていた。
「お前ら!探したぞ。どこに行ってた」
振り返ると、そこにはラゾートとロアーク、そして心配そうな表情の奏と蓮がいた。
「…ルミナスが…火を放ちました。下にルイさんがいましたが…」
濁した鈴奈の言葉の意図を組んだのかラゾートは顔をしかめる。
「火が回るのも時間の問題か」
「俺、緊急の鐘鳴らさせてくる!」
「お願いします。」
ロアークは頷くと走って行った。
その背中を見送り、ラゾートは6人を見た。
「お前らは直ぐに外に出ろ!なるべく火事だって叫びながら行け!」
「わかりました。月島先輩!しっかりしてください!行きますよ!」
奏は頷いて見せると、優の腕を引っ張り、座り込んでいる優を無理やり立たせた。
「上野先輩、大塚先輩、俺が背負います」
「ありがとう」
鈴奈はまだ動かない茜を蓮の背中に背負わせた。
廊下で叫びながら入口に向かっている6人の前にナタが歩いてくる。
「お前ら、何を騒いでんだ?」
ナタはバカにしたように片頬をあげた。
「火事が起きてる。早く逃げろ!」
蓮の言葉にナタは眉をひそめた。
「は?それよりルイはどこ行った?あいつ、約束を放ってどこ行った。本当に使えないやつだな」
優はナタの胸ぐらを掴んだ。
「ふざけんなよ、このクズ!!てめぇのクソご主人様がやらかしてたことを、止めてくれたんだよあの人は。そんな人を…。てめぇが…てめぇが…」
へたり込み泣く優を、奏が引っ張りあげ全員で城から脱出した時には、城は炎に飲まれていた。
ラゾートの確認で、死者も行方不明者も出なかった。…ルイ以外は。
6人は疲れた足を引きずり、ラゾートが手配した宿に向かった。
宿で、診察を受けた茜は、ただ薬で眠らされているだけと知り、全員が胸を撫で下ろし、そのまま床についた。
優はしばらく、ベッドで身動ぎをする。
しばらくすると、そっとベッドから起き、窓を開けボーッと夜空を眺めていた。
「ゆーう」
声に優が振り返ると、寝ていたはずの鈴奈が優しい笑みを浮かべていた。
「鈴。ごめん、起こした?」
弱々しく笑う優に鈴奈は首を横に振ると、椅子を持って隣に座った。
「どーした?」
優は悲しそうな笑みを浮かべまた窓の外に視線を流した。
「いや…色々考えちゃって」
「色々?」
「うん。ルイさん、救う方法なかったのかなぁとか、私って悪魔だなぁとか」
「ん、なんで?」
不思議そうな鈴奈に優は苦笑いを浮かべた。
「…彼でなく、ナタが死ねばよかったのにって本気で思っちゃった」
月が照らす優の髪をふわりと風が揺らす。
「そう?それは誰もが持つ感情だと思うけどね。特にあんなことされたらなおさら」
「だって…なんで…なんであんなに優しい人がなんで死なないといけないんだろ。なんであんなクソみたいなやつじゃなくて彼だったんだろ」
ポロポロと優の瞳から涙が溢れ出す。
「そうだね」
鈴奈はそう短く言うと泣きじゃくる優の背中をさすった。
俯き止めどなく涙を流しながらロケットを握りしめる優を朝日が照らした。