場内 ⑥
第47話 契約の先に
(違う)
優は心の中で呟いた。
目の前で子どものように笑う奏。あれは、彼女が知っている奏じゃない。
(あんな目で、仲間を見る人じゃない)
蓮は血飛沫の中を舌打ちしながら踏み込んでいく。それを見つめる優の目に、涙が滲んだ
(お願い……戻って)
声にならない願いが、喉の奥で震える。
(どうしたらいいの……)
優の胸に、不安が渦巻く。――その時だった。
「いててて……」
鈴奈が頭を押さえながら、優の横に立った。優は鈴奈の腕を掴み、体を触って無事を確かめた。
「大丈夫。落ちる寸前に土でうまく衝撃を抑えたから」
鈴奈は苦笑いを浮かべた。優の心配そうな顔を見て、察したらしい。
「……で、どうなってんの。なんで二人は暴れてるわけ?」
鈴奈は奏と蓮に視線を向ける。
「なんか機嫌でも悪いのかぁ?」
茜が歩み寄ってきて、そう言った。
「機嫌悪くてあの暴れようは困るよ」
鈴奈は顔をしかめる。
「だな」
茜も顔をしかめて、2人を見た。
その時、会話を交わす鈴奈の袖を、優が強く引いた。
「どうしたの?」
振り向いた鈴奈に、優は必死な表情で奏と蓮の背後を指さした。
そこには――見たことのない精霊が浮かんでいた。
奏の背後には上半身をあらわにした男が、蓮の背後には金色の瞳と逆立つ髪を持つ男が立っていた。二人の男は不気味な沈黙で佇み、まるで影のように主と一体化していた。
「……契約、したの?」
鈴奈の震える呟きより早く、蓮が片頬を上げた。
「気づくの遅ぇよ」
蓮が嗤った。その笑みは、かつて見たことのない冷たさを湛えていた。優の知る蓮ではない。まるで別人のような残忍さが、その表情に宿っていた。
次の瞬間、槍の切っ先が茜へ迫る。優は思わず声を上げそうになったが、茜が反射的に身をひねった。だが頬を浅く裂かれ、血が一筋、顎を伝う。鮮やかな赤が、白い肌を汚した。
「っ……!」
「ほら、どうした? 大人しくやられてくれるのか?」
挑発するように蓮は肩を竦める。その目は、どこまでも冷えていた。まるで獲物を弄ぶ獣のような、残酷な光を宿している。楽しんでいる――優の背筋に、悪寒が走った。
「ふざけんなよ!」
「そうだよ! そうやって吠えろよ!」
茜は歯を食いしばり、構え直した剣を蓮へ向ける。握る手に力を込め、間合いを計り直した。全身から闘気が立ち上る。優は息を呑んだ。
その時、パチン! と奏が指を鳴らした。次の瞬間、白い閃光が四人へ降り注ぐ。空気が焼けるような音が響いた。雷撃の予兆に、優の体が硬直する。
「っ!」
その時、優の目の前で地面が隆起する。鈴奈が両手を叩きつけ、土壁を築いた。雷が壁を叩き、爆ぜ、衝撃が全身を揺らす。耳鳴りが止まらない。肺の中の空気が震えた。優は目を細め、砂埃の向こうに仲間たちの姿を必死に追った。心臓が激しく鼓動する。
「チッ」
舌打ちとともに奏は再び指を鳴らした。
雷撃が壁を粉砕する。砕けた土塊が雨のように降り注ぎ、視界が茶色に染まる。砂埃が喉を刺激し、呼吸が苦しくなる。優は咳き込みながらも、前を見据え続けた。目を逸らすわけにはいかない。
「防げると思った?」
奏の笑い声が響く。その声は、優の知る優しい奏のものではなかった。そして奏は槍を鈴奈に向かって振り上げた。銀色の穂先が、陽光を弾いて鋭く光る。殺意が、空気を震わせた。
その瞬間、一本の矢が蓮の頬をかすめ、赤い線を刻んだ。沙綾香の反撃だった。
「あぁ?」
舌打ちとともに、蓮は手にした剣を沙綾香へ振りかぶった。殺気が膨れ上がる。優の胸が凍りつく。
「っ!」
剣が深く突き刺さる。弓が手から落ち、地面に転がった。血が一気に溢れ、袖を染めていく。沙綾香は膝をつき、呼吸を乱した。苦痛に顔が歪む。唇が震え、か細い呻き声が漏れた。
「沙綾香!」
茜が名を叫んだ一瞬。
背後から、冷たい感触。
腹部に、槍が沈んだ。
(茜さん!)
声にならない声で優は叫ぶ。喉が締め付けられ、音にならない。
「よそ見すんなよ」
槍が引き抜かれ、血が溢れ落ちる。茜は崩れかける体を、必死に踏みとどまらせた。剣を握る手が震える。視界が揺らぎ、立っているのがやっとだった。
槍が引き抜かれ、血が溢れ落ちる。茜は崩れかける体を、必死に踏みとどまらせた。剣を握る手が震える。視界が揺らぎ、立っているのがやっとだった。
(やめて……)
声にならない叫びが、優の胸を締めつける。
そのとき、鈴奈が一歩前に出た。土にまみれたまま、まっすぐに蓮を見据える。
「……ねえ、そっちの精霊。聞こえてるんでしょう」
静かな声だった。怒鳴りもしない。ただ、真っ向から呼びかける。その声には、諦めの色がなかった。
蓮の背後で、刃のような光がゆらりと揺れた。冷たい気配が空気を裂く。
「あなたが主導権を握ってる。違う?」
応えはない。代わりに、雷鳴が遠くで唸った。威嚇するような、低い音だった。
「でも契約は対等のはずよ。選んだのは蓮。あなたじゃない」
その瞬間、蓮の眉がわずかに動いた。
優は見逃さなかった。心臓が高鳴る。
槍を構える手が、ほんの少しだけ遅れる。次に放たれた雷が、軌道を外して地面を抉った。土が跳ね、黒く焦げた痕が残る。硫黄のような臭いが鼻を突く。
「……うるせぇな」
吐き捨てる声が、さっきより低い。どこか、苦しそうにも聞こえた。
鈴奈は言葉を続ける。
「戻ってきなさいよ。あんた、そんな顔で笑う人じゃないでしょ」
沈黙が、場を支配した。
風が、優の頬をかすめる。
次の瞬間――蓮の目に、ほんの一瞬だけ迷いがよぎった。
「……っ」
蓮の顔が歪む。
「やめ……ろ……」
搾り出すような声だった。槍を握る手が震え、刃先が地面へ向く。
「ほお……」
背後の精霊が金色の瞳を細める。
「……蓮!」
鈴奈が叫んだ。
「うるせぇ……って言ってんだろ……!」
蓮が吠えた。その声は、もう冷たくない。苦しみと怒りが入り混じった、人間の声だった。
次の瞬間、蓮が槍を逆手に握り直し、自らの背後へ振り向いた。精霊の胸元へ、刃を突き立てる。
「……お前の言いなりには、ならねぇ」
睨みつける蓮を驚いた表情をすると、ニヤリと笑う。
「ほお。お主には飽きなさそうだ」
そう言うと、フッと消えた。
次の瞬間、蓮の背が、力なく丸まった。
「……っ、は……」
荒い息を吐きながら、蓮は膝をついた。槍が手から滑り落ち、地面に転がる。全身から力が抜けたように、その場に崩れ込んだ。
「俺……何を……」
言葉が途切れる。蓮は自分の手を見つめ、そして仲間たちの傷ついた姿を見た。顔が青ざめていく。
「俺……俺が……」
「人間ごときに情が移ったか?雷光」
奏はスタスタと優に近づき槍を構えた。
「お前もまだまだ甘いの」
そう言うと奏は優に向かって槍を振り上げた。
その瞬間、蓮が奏の前に立ち塞がる。
キリキリと剣と槍が鳴る。
「目ぇ覚ませっつってんだろ!!」
ゴツン!鈍い音がし奏はフラフラと後ずさった。
「ちぃとは目が覚めたか?」
片頬を蓮はあげる。
「……目は……覚めました……ね」
奏は顔をあげると蓮を睨みつけた。




