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保険室からはじまる異世界転記  作者: 早暁の空
第2章 風のゆくえ
46/52

場内 ⑤

第46話 夜中の襲撃と雷鳴の契約


深い夜の底。

人の気配がすべて沈み込んだような静寂の中で、城内に警告音が響いた。


「……ウー……」


獣の声ではない。

金属を震わせるような、不規則で不気味な音。


はっとして、優は目を開けた。

音よりも先に、胸の奥がひやりと冷える。

理由は分からない。

ただ、昔から知っている「よくないことが起こる前」の感覚だけが、確かにそこにあった。


(……なに、これ)


遠くで足音が走り、扉の向こうが慌ただしくなる。

何かが起きている――

そう考えるより早く、警告音は再び夜を切り裂いた。


警告音が鳴り止まぬまま、今度ははっきりとした衝撃音が響いた。


――ガシャァン!


窓ガラスが砕け散り、冷たい夜気とともに黒い影が部屋へとなだれ込む。

小柄な体に歪んだ顔、濁った目がぎらつく。

人とは似ても似つかない――魔物だった。


その生物が、手にした棍棒を振り上げた瞬間。


「優ちゃん、伏せて!」


叫びと同時に強く抱き寄せられ、床へ押し倒される。

次に顔を上げた時、さっきまでそこにいた魔物は、炎を上げて燃えていた。


「大丈夫か?」


一瞬、状況が飲み込めずにいる優に、優しい声がかかる。

見ると、茜が心配そうにこちらを覗き込んでいた。

優が小さく頷いた、その時。


「茜!」


沙綾香の悲鳴に近い声が響く。

次の瞬間、二人は横合いから迫る影に気づき、目を見開いた。


だが、その影が届く前に――

床から伸びた土の手が絡みつき、魔物はそのまま壁へと叩きつけられる。


「二人とも、怪我は?」


落ち着いた声でそう言ったのは鈴奈だった。


その頃、廊下の方からも悲鳴と足音が重なり合う。

城全体が、明らかな異常事態に包まれている。


「ここは危険。外に出よう」


鈴奈の言葉に、優は震える足で立ち上がり、頷いた。

廊下へ出た瞬間、慌ただしく走り回る兵と人影が視界を埋め尽くす。


その時。


「先輩!」


聞き慣れた声に振り向くと、奏と蓮がこちらへ駆け寄ってきていた。

廊下へ出ると、そこはすでに戦場だった。

小柄なモンスター――ゴブリンたちが散発的に現れては、兵や魔法によって次々と倒されていく。

茜と鈴奈、沙綾香も迷いなく動き、迫る影を蹴散らしていた。

 

「二人とも、大丈夫?」


鈴奈の問いかけに、蓮と奏はこくりと頷く。

 

「何が起きてるんだ?」

「分からない。でも、まずはファルべさんたちを探そう」


鈴奈が言った瞬間だった。

背後から、ゴブリンが鈴奈に飛びかかろうとする。


蓮は反射的に鈴奈を突き飛ばし、剣を抜くと、迷いなくゴブリンを斬り伏せた。


「にしても、数が多いですね」


そう言いながら、奏は槍を振るう。


「でも、対処できない数じゃない」


鈴奈はそう言って地面に手をつき、

土の手を生み出してゴブリンを押し潰した。


やがて敵の姿が消え、ファルべたちを探そうと一歩踏み出した、その時だった。


重く、鈍い振動が床を揺らす。

一歩、また一歩。

城そのものが軋むような足音が、闇の奥から近づいてくる。


「……なに、あれ」


廊下の先に現れたのは、

ゴブリンとは比べものにならない巨体だった。

岩のような腕、分厚い皮膚。

その手には、柱ほどもある棍棒が握られている。


「……トロール」


沙綾香が、かすれた声で呟いた。


「逃げて!」


沙綾香が叫び終わるより早く、棍棒が振り下ろされる。

床が砕け、衝撃波が走った。

沙綾香の体が弾かれ、壁に叩きつけられる。


「沙綾香!」


助けに向かった茜の背後から、別の腕が薙ぎ払われた。

茜の体が宙を舞い、床に転がる。


とどめを刺すように、倒れた二人へ向けて、棍棒が振り上げられた。


「っ……!」


鈴奈は即座に土の壁を生み出す。

だが、壁はあっさりと砕かれ、

鈴奈はトロールに掴まれ、そのまま地面へ叩きつけられた。


「……!」


優は叫ぼうとする。

けれど、喉は震えるだけで、声にならなかった。


トロールが棍棒を引きずりながら、ゆっくりとこちらへ向かってくる。

一歩進むたびに床が軋み、空気そのものが震えた。


「先輩!」

「下がれ!」


けれど、優は動けなかった。

立ち上がろうとしても、まるで骨を抜かれたように力が入らない。

息が浅くなり、心臓だけが耳の奥でうるさく鳴る。


トロールは迷いなく手を伸ばし、優の体を鷲掴みにした。

ぎし、と嫌な音がして、視界が歪む。

酸素が足りない。目の前が、ちかちかと白く瞬いた。


「……っ、あ……」


声にならない声が漏れる。

脳裏に何かがよぎるが、掴もうとするほど、思考はばらばらに散っていく。


――その瞬間。


轟音が夜を引き裂いた。

掴まれていた感覚が消え、優の身体は宙へ放り出される。


「風妃さん! いるなら先輩を!」


奏の叫びと同時に、落下の感覚がふっと和らいだ。


「大丈夫ですか、先輩」

「そこにいろよ」


声に導かれるように、優はゆっくりと顔を上げる。


剣を構える蓮と、槍を握る奏。

そのすぐ傍――


上半身をあらわにした男が、静かに立っていた。

腰には雷文様の帯。長衣――狩衣を思わせる布が風もないのに揺れている。

逆立つ髪の隙間で、金色の瞳が不敵に光った。


「いくよ」


蓮が鋭い視線を向ける。


「ふん、わかってる」


応じて、ニヤリと口角を吊り上げた。


二人は並ぶように歩き出し、トロールへと距離を詰める。

剣と槍が、静かに構えられた。


「さぁ、遊ぼうぜ。雷神(いかづち)


蓮が楽しげに精霊の名を呼んだ、その瞬間だった。


――雷が、落ちた。


轟音とともに廊下が白く染まり、空気が爆ぜる。

次の瞬間、トロールの巨体は悲鳴を上げる間もなく吹き飛ばされ、壁ごと砕け散った。


鳴神(なるかみ)


低く、奏が名を告げる。

その声に応えるように、槍の穂がビリビリと光りだした。


奏は倒れたトロールに飛び乗り、ためらいなく額へ槍を突き立てる。


「グワァァァァァ!」


断末魔とともに、巨体はぴくりとも動かなくなった。


「なんだ。つまんねぇな。まだ遊び足りないのに」


心底退屈そうに、蓮が吐き捨てた、その時。


――ざわり。

廊下の奥から、大量のゴブリンが姿を現す。

 

「いいねぇ! 楽しくなりそうだな!」


そう言って、蓮はまるで新しい玩具を与えられた子どものように笑った。


剣が振るわれる。

一閃。


雷を帯びた刃が、ゴブリンの群れをまとめて薙ぎ払い、黒い影が次々と消し飛んでいく。


「ははっ……ははははは!」


高く、弾むような笑い声。

奏は雷を纏った槍を肩に担ぎ、心底楽しそうに笑っていた。


それは、優が知っている柔らかな笑みではない。

獲物を前にした子どものような、無邪気で、どこか歪んだ笑いだった。


「……っ」


優は、ただ呆然とその光景を見ていた。


鈴奈たちほど頻繁に話すわけではなかった。

それでも、交わした言葉や視線から、優しさや自分を気遣う気持ちは確かに伝わってきていた。


(……違う)


胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。


雷が落ちるたび、悲鳴が上がるたび、奏は楽しそうに笑う。

蓮は悪態をつきながら、舞うように敵を斬り伏せていく。

その姿が――優には、ただ、怖かった。


(こんなの……高田さんと馬場さんなんかじゃ、ない)


その笑顔を、優は――もう、直視できなかった。

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