城内 ②
第43話 誰がための睡眠薬
指先に、弦の震えが残っている。
奏は軽音部で使っている教室の中央に立ち、自分の指を見つめていた。アンプの低く湿った唸りが床を震わせ、ドラムが刻む性急なリズムが、西日に焼かれた壁に反射して鼓膜を叩く。窓から差し込むオレンジ色の陽光は、埃のダンスを金色の粒子へと変えていた。
不意に、奏はふうと息を吐き、無意識に隣へ視線を向ける。
――いない。
隣にいるはずの蓮の姿が、見当たらなかった。
奏はギターを抱えたまま、教室をぐるりと見渡す。
「あれ?馬場は?」
声をかけると、キーボードの前の仲間はきょとんとしている。
「馬場って誰だ?」
「はっ?」
思わず間の抜けた声が出る。冗談のつもりはないらしい。
「てか……お前誰だ?」
背中にぞくりと冷たいものが走った。
ハッ、と息を飲み目を開けると、木の床が目に入った。顔をあげて、座ったまま寝ていたことに気づく。
「夢?」
わかっていることを、まるで自分に言い聞かせるように呟く。
体を起こす、床に落ちていた読みかけの本が目に入り拾いあげた。
その時。
隣のベッドで、ガバっと起き上がる気配がした。
「っ!?」
驚いて横のベッドを見ると、頭を押さえ、顔を顰めた蓮が起き上がっていた。
「おはよう。よく寝てたね」
奏は平静を装って言った。蓮はその言葉に、鋭く奏を睨みつける。
「月島先輩は?ラゾートさんの偽物は?」
まくし立てるような問いに、奏は一瞬瞬きをする。
「そんな一気に聞かれたら答えられないよ。月島先輩は無事だよ。まだ油断はできない状況だけど。ラゾートさんの偽物はわからない。僕たちが行った時にはいなかった」
「……そうか」
短くそう言うと、蓮は口を閉じた。
その横顔には、安堵と同時に、拭いきれない不安が滲んでいる。
奏は冷めた目で見つめながら、耳元で揺れる、赤い石のイヤリングにそっとそっと指を触れた。
「先輩方、馬場が目を覚ましました」
しかし、イヤリングからは返事はない。その代わりに静まり返った廊下をバタバタと駆ける足音が近づいてきた。
そして次の瞬間、勢いよく扉が開いた。
「馬場くん!よかった……よかった」
駆け込んできた沙綾香が、言葉にならない声を上げながらそのまま蓮に抱きついた。
「わっ!先輩?!先輩!」
突然の体当たりに、蓮は困惑したように声を上げる。
蓮は助けを求めるように奏へ視線を送ったが、奏はそれを柳に風と受け流し、口角だけをきゅっと上げ、わずかに目を細めて微笑む。そして、踵を返し、部屋をあとにした。
「上野先輩と大塚先輩は?」
廊下に出て、もう一度イヤリングに耳を澄ませる。
だが、やはり何の反応もない。
嫌な予感が胸を締めつける。
不安にかられ、奏は足早に優が休まされている部屋へ向かった。
「だから!お前がぶっ倒れちゃ意味ないだろ!」
部屋の前に行くと中から茜の怒鳴り声がする。
「だから、寝てるって」
「うつらうつらぐらいだろーが!いいから、一度自分の部屋に戻って寝てこい!」
荒い言葉とは裏腹に、焦りが滲んだ声。
「でも…もしその間に優が…」
鈴奈の、今にも泣き出しそうな声が続く。
その声を聞いた瞬間、奏は扉を叩くのをやめ踵を返した。
奏は歩き出す。
しばらくして、廊下の一角にある扉の前で足を止めた。
意を決して、扉を開ける。
そこは――医務室だった。
「すみません。睡眠薬いただけませんか?」
振り返った医師が一瞬だけ、奏の顔を見つめる。
「君が飲むのかい?」
奏は首を振る。
「僕の仲間に不安すぎて寝ないバカがいるんです。倒れられたらめんどくさいので、眠らせたくて」
医師はしばらく考え込むように唇を噛んだ。
そして顔を上げ奏を見ると苦笑いを浮かべる。
「……分かった」
短くそう言って、紙の袋に入った粉薬をひと袋差し出す。
「用量は必ず守りなさい」
「はい、ありがとうございます」
奏は頭を下げ医務室をあとにした。廊下に出ると、ホッと胸を撫で下ろし、歩きはじめる。
そのまま食堂へ向かい、ティーポットに紅茶を入れ、カップを二つトレイにのせた。温かい香りが鼻をくすぐる。
準備を終えると、静かに優たちの部屋へと戻った。
「あのなぁ……」
呆れた声で言いため息をついていた。
「まぁまぁ。そうカリカリしないで。ロアークさんから差し入れで紅茶もらったので飲みませんか?美味しいですよ」
奏は笑みを貼り付け、紅茶をサイドテーブルに置くと、カップを二人に差し出した。
二人は顔を見合わせると、無言で口をつける。穏やかな香りに気持ちを委ねたのか、やがてうつらうつらと眠り始め、鈴奈は優のベッド脇に、茜はテーブルに身を伏せた。
その様子を見届け、奏はふうと息を吐く。
近くにあった毛布を二人にかけ、優の傍へ歩み寄った。
「早く目を覚ましてください、先輩……。色々あってみんなボロボロです。早く起きないと、みんなが倒れてしまいますよ……」
そう呟き、優の目にかかる前髪を、指先でそっと払う。
しばらく、その顔を見つめながら考え込むと踵を返し、音を立てないよう、静かに扉を閉めた。




