森 ②
第41話 境界の夜
駆け寄った鈴奈は優を見つめ、それからファルベとラゾートへ視線を移した。
「どう……でした?」
「体を蝕んでいる術は抑えた。だが、楽観できる状態じゃないらしい」
ラゾートはそれ以上、何も言わなかった。
小屋の中に、押し潰されるような沈黙が落ちる。
「とにかく、城に戻ろう」
ファルベの言葉に、奏は小さく頷き続ける。
「そうですね」
「でも、その前に師匠さんにご挨拶を……」
沙綾香が辺りを見渡すと、ファルベが首を振った。
「師匠は向こうで休んでる。私を待たずに行けって。……行こう」
ファルべに促され、一行は城へと急いだ。
優が医師たちに引き取られ、隔離された部屋へと運ばれていくのを、誰もが無言で見送った。
扉が閉まる音が、やけに重く耳に残る。
どれほどの時間が経ったのか、誰にも分からなかった。
部屋から出てきた医師はゆっくりと9人のもとへ近づく。
「先生!優は?!」
鈴奈が尋ねると医者は眉間に皺を寄せた。
「……正直に言いますが、極度の栄養失調、脱水症状、それに謎の高熱。体力は、ほとんど残っていません。生きているのが、むしろ不思議なくらいです」
誰かが小さく息を呑んだ。
医者は静かな声で続ける。
「今日か、持っても明日が山場でしょう」
淡々とした声だった。
だが、その一言一言が、胸の奥に突き刺さった。
「そんな⋯」
沙綾香は俯いたまま肩を強張らせる。
「あたしが……あの時、ちゃんと助けられていたら……」
「仕方ないだろ。あれは夢だったんだから」
茜が言うと鈴奈は「でも⋯でも」と言い唇を噛みしめ俯きポロポロと瞳から涙を零した。
奏は何か言いかけて、結局言葉を見つけられずに俯き黙り込んだ。蓮もまた、爪が掌に食い込むほど拳を握った。
その時。
カーン、カーン、と城に鐘の音が響き渡った。
全員がはっとしたように顔を上げ、反射的に空を見上げる。
「……こうしてても仕方ないな」
空気を切り裂くように、ラゾートが明るい声を出した。
「飯でも行くか」
一瞬、その言葉に誰もがきょとんとする。
だがその声で、張りつめていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
「よし、行こうか」
ファルベとシンニエークに背中を押されるようにして、全員が部屋を後にした。
さっきまでいた静まり返った医療区画とはまるで違い、賑やかな笑い声と食器の音が一気に流れ込んできた。
「よぉ! 嬢ちゃんたち!久しぶりだなぁ」
見知った兵士たちが声をかけ、鈴奈や沙綾香、茜の肩を叩いてくる。
「また会ったな!」
「生きてたか?」
そう言い、また別の兵士たちが冗談交じりに蓮や奏の頭を掻き回し軽く笑い合う。
その何気ないやり取りに触れるたび、胸の奥にこびりついていた緊張が、少しずつ溶け5人はぎごちない笑みを浮かべる。
5人は食事を取ると空いている席に腰を下ろし、それぞれ無言のまま食事をとった。
だが沙綾香は、半分も減っていないスープの皿を見つめ、茜もまた、俯いたままフォークで皿を弄んでいた。
誰一人として、料理に手が進んでいる様子はない。
やがて、蓮はふと手を止め向かいに座り豪快に食事をしているラゾートに視線を向ける。
「あの⋯ラゾートさん」
蓮は一度、小さく息を整えてから口を開いた。
「ん?どうした?」
食べる手を止めラゾートは蓮を見た。
「食事のあと⋯少しだけ稽古をつけてもらえますか」
ラゾートはきょとんとした顔でこちらを見て、すぐに表情を和らげた。
「おう。いいぜ」
「ありがとうございます」
蓮は頭を下げると椅子を引いて立ち上がった。
「そしたら、先に行ってますね」
そう言い残し、食堂をあとにする。
廊下は、食堂の賑わいが嘘のように静まり返っていた。
自分の足音だけが、やけに大きく響く。
蓮の足が、ふと止まった。
「先輩のいる部屋の戸が……開いてる?」
嫌な考えが脳裏をよぎり、蓮はそれを振り払うように頭を振り、中へ入った。
そこには、機械に繋がれたままの優がいた。
胸がわずかに上下しているのを確認した、その瞬間――
窓の外で雷が弾ける。
白い閃光が部屋を満たし、その光の中に、がたいのいい見覚えのある後ろ姿が浮かび上がった。
「ラゾートさん?⋯」
恐る恐る、蓮が名前を呼ぶとラゾートはゆっくりと振り返る。
再び稲妻が走る。
その白い光の中に、ついさっきまで向けられていた、あの豪快で温かい笑顔はどこにもなかった。そこにあるのは、獲物の生死にすら興味がない、底冷えするような眼差しだった。
「いや、ラゾートさんじゃないよな。俺よりあとに食堂を出たのに、俺より早く着くことないし。お前⋯誰だ?」
一瞬、沈黙が落ちた。
次の瞬間だった。
ラゾート……の姿をしたそいつは、床を蹴り、音もなく間合いを詰めてきた。
「――っ!」
蓮が後ろに下がった瞬間、ラゾートの姿をしたそいつの拳が、迷いなく鼻先を掠めた。
「くっ……!」
反射的に、蓮は近くの椅子を引き寄せた。
背もたれを盾に構えた瞬間、拳が叩き込まれ、鈍い衝撃とともに木が砕け散る。
破片が宙を舞う。その隙を、そいつは逃さなかった。
体勢を立て直す間もなく、低く沈んだ腰から鋭い蹴りが放たれる。
「――っ!」
避けきれなかった。
蓮の脇腹に重い衝撃が突き刺さり、息が詰まる。
蓮の体は、床を滑るように弾き飛ばされた。
「ぐっ……!」
息を整える間もなく、髪を掴まれた。
無理やり引き上げられた視界の先で、床が一気に近づく。
次の瞬間、叩きつけられた衝撃が頭の奥まで突き抜け、意識が白く弾けた。蓮の意識は、そのまま闇へと落ちた。




