森 ①
第40話 師匠と昔話
誰も口を開かない。
聞こえるのは、靴底が石を踏む音と、どこかで滴る水音だけだった。
蓮は背中の重みを確かめるように、わずかに肩をすくめる。
優の体温が伝わってくるはずの背中は、妙に静かで、ただ重さだけがそこにあった。
どれほど歩いたのか、もうわからない。
通路は曲がり、また同じような闇が続く。
前に進んでいるのか、それとも足踏みしているのかその区別すら曖昧になった頃、通路は行き止まりになる。
見上げると、そこには古びた木の扉があった。
やがて、ファルべが一歩前に出た。
扉がわずかに軋み、開いた隙間から、シンニエークが放った機械仕掛けのフクロウが闇へと溶ける。
「今のところは……外は大丈夫みたいだね」
シンニエークは持っていた機械の画面を見下ろしながら言った。
「よし行こう」
そう言ってファルベが先に立ち、扉の外へ踏み出す。
続いて、全員が慎重にその後を追った。
夜の匂いを含んだ乾いた風が、皆の髪や外套をそっと撫でて通り過ぎた。
「なんとか脱出できたね」
そう沙綾香が呟くと全員が今いた村の方向に視線を向ける。
そちらの空は薄らオレンジ色に染まり、煙がいくつも上がっている。
「ありゃ、しばらくはおさまらないな」
呆れたようにリゾートは言う。
その空気を裂くように、鈴奈の声が震えた。
「ねぇ……優、息……してる?」
全員、ハッとし蓮の背中でグッタリしている優に視線を向けた。
優は目を閉じたまま、まるで眠っているようにも見えた。
だが、その胸は、ほとんど動いていなかった。
「どうしよう……息……してない……優……優!」
ポロポロと、鈴奈の瞳から涙が零れ落ちる。
その時、沙綾香が近づき、そっと優の口元に手を当てた。
「まだ微かにだけど息がある」
沙綾香は全員に顔を向けた。
「なら、早く王都に戻りましょう」
「でもここから数時間はかかるぞ」
シンニエークの言葉に返したリゾートは眉間に皺を寄せる。
「それじゃ間に合うかどうか……」
沙綾香の言葉を聞きながら、黙り込んでいたファルベが、ゆっくりと顔を上げた。
「……それなら、助けてくれそうな人がいる。王都とは別方向だが、今はそっちに行こう」
ファルベに導かれ、一行は王都とは反対の方向へ進んだ。
森は、先ほどまでいた場所よりも深く、夜の色を濃く抱え込んでいる。
足元の土は柔らかく、踏みしめるたびに湿った音を立てた。
枝葉が擦れる音に混じって、どこか遠くで、低いオオカミの遠吠えが響く。
一度きりではない。
間を置いて、別の方向からも応える声があった。
「大丈夫だ。アイツらは何もしないよ」
怯えるように辺りを見渡す鈴奈たちにファルベは短く言う。
やがて、木々の隙間に、微かな灯りが揺れているのが見えた。
「あそこだ」
ファルベが指差した先へ、一行は黙って進む。
小屋の前に立つと、彼は迷いなく扉を叩いた。
ほどなくして扉が開き、太陽の光を閉じ込めたような美しい金髪の女性が現れた。
「おや。森が騒がしいと思ったら珍しいお客さんが来たもんだね」
「お久しぶりです、師匠」
ファルベは少し苦笑いを浮かべ、女性に言った。
「そうだね。まぁ立ち話もなんだから、入りなさい」
そう言うと女性は全員を家へ招き入れた。
小屋の中は思った以上に広く、低い天井からは乾燥させた薬草が無数に吊るされていた。
触れれば崩れそうなほど乾いた葉茎が、少し甘さと薬草独特の香りを含んだ匂いを漂わせている。
「で、久しぶりに会いに来たわけじゃないだろ?」
そう言うと女性は振り返り一行に視線を向けた。
「……実は、この子が」
ファルベは言葉を切り、優に視線を落とす。
師匠と呼ばれた女性は優に近づき、顔を顰めた。
「酷いね……何があったんだい?」
師匠の言葉に鈴奈たちは代わる代わる今までの話をした。
「この子……あんたと同じかい?」
そう言って、師匠が視線を向けると、ファルべは静かに首を縦に振った。
師匠はもう一度、優へ視線を向けて、小さくため息をついた。
「ラゾート、その子を連れてエル……今はインベートか。一緒に私と来なさい」
「わかりました」
そう言うとラゾートは立ち上がった。
「ファルべさん!」
鈴奈が名前を呼ぶと立ち上がったファルべは振り返る。
「大丈夫。絶対悪いようにはしないから」
そう言い残し、師匠とラゾートのあとを追って小屋をあとにした。
——大丈夫。
そう言われても、落ち着けるはずがなかった。
茜は部屋の中を歩き回り、視線は床や天井に落ちる。
時折、優たちが消えたドアに目を向け、手を組んではほどき、髪をかき上げ、また歩き出す。
「茜、落ち着いて」
苦笑いを浮かべ、鈴奈は歩き回る茜を視線で追った。
「逆になんでお前はそんな落ち着いてられるんだ?」
「なんで……」
茜が視線を向けると、鈴奈は少し驚いた顔をし、ふと黙り込んだ。
「あっ……悪りぃ」
茜は気まずそうに俯く。
「なら、昔話をしようか」
そう唐突にシンニエークが声をあげた。
「昔話⋯ですか?」
奏の言葉にシンニエークは頷く。
「そう、昔話。むーかしむかし、ある村に1人の男の子が売られてきました。その子は、村長の世話係としてろくな食事も睡眠も与えられず仕えていました。そんなある日、男の子はその村に住む男の子と仲良くなり、その家族に食べ物をもらうようになりました」
そこで一度話を切ったシンニエークの表情が一瞬曇り、肩がわずかに震え、手のひらをぎゅっと握りしめた。
「そんなある日、友人の妹さんが生贄として捧げられることになりました。しかし、両親はそれに抗いその男の子と妹さんと僕を村から逃がそうとしました」
そこでシンニエークは言葉を止めると、俯きギュッと拳を握った。
「しかし、村人に見つかってしまい……両親と妹さんは殺され、男の子と……友人は徐々に命を食い尽くしていく呪いを受けました」
そう言うとシンニエークは胸元をぎゅっと握った。
「命からがら逃げ、道を歩いていると、薬草詰みに来ていた女性に会い、その人の家に転がり込む事になりました。2人は彼女を師匠と呼び慕うようになり、彼女に呪いを抑える術をかけてもらいました」
「あっ」と沙綾香は声を上げ、顔を上げたシンニエークに視線を向ける。
「もしかして……それが、シンニエークさんと……ファルベさん?」
申し訳なさそうに視線を向ける沙綾香にシンニエークは悲しそうな笑みを浮かべる。
「そして今、月島先輩にその呪い封じをしているんですね」
「おー、察しがいいねぇ」
奏が言うとシンニエークは片頬をあげた。
そこで、ガチャリと扉が開く音に全員が振り返った。




